夜も更けた頃。
一連の騒動の後始末と千歳への事情説明及び説得を終えたカズヤはカレンが居る部屋の前に立っていた。
理由はもちろん、謝罪の為である。
「さて。覚悟を決めろよ、和也」
囁くような声で自身に喝を入れたカズヤは意を決してドアをノックする。
――コンコン。
「カレン?まだ起きてるか?俺だが……」
「――お待ちしておりました、ナガト様」
ノックしてから数瞬の間が開き、ドアが開かれる。
開かれたドアの隙間から顔を出したのはカレンの部下であるマリア・ブロードであった。
「中へどうぞ」
蒼髪をポニーテールで纏めた長身美女の彼女は来訪者がカズヤである事を確かめるとドアを開け放ち、カズヤを室内へと誘う。
「ありがとう。あぁ、皆は先に帰っててくれ」
「「「「「ハッ」」」」」
付き添っていたメイド衆と部屋の前で別れたカズヤはマリアの案内で部屋の中を進む。
「こちらです」
「カレ――って、酒クサっ!!」
応接間から別室へと通され、開口一番カレンの名を口に出そうとしたカズヤだったが、部屋の中に充満する酒の匂いに思わず悪態を吐いてしまった。
部屋の中は凄まじい数の酒瓶で埋め尽くされ、やけ酒の果てに空になった空き瓶がそこらへんに転がっていた。
「あぁ〜カジュりゃだぁあ〜〜」
予想外の光景にカズヤが固まっていると、呂律が回らず真っ赤にのぼせ上がったような赤ら顔のカレンが、ヘラリと嬉しそうに声を上げた。
「……かなり酔ってるな、カレン」
四肢を投げ出し直視することが憚れるような、あられもない格好でソファーに横になっているカレン。
着ている黒いキャミソールの薄い生地を通して、勝負下着と思われる際どい布地や赤く火照った素肌が見え隠れしていた。
「酔ってにゃい!!」
「……」
いやいや、ぐでんぐでんじゃないか。
明らかに嘘と分かるカレンの言葉に、心の中で反論するカズヤであった。
「んにゃことにょり、きょきょへきょい!!」
自身の隣をバンバンと叩いてカズヤを呼び寄せるカレン。
「はいはい」
酔っ払いの言うことには逆らわない方がいいと知っているカズヤはカレンに言われるがまま、ソファーに腰を下ろす。
「はにぃ、にょみぇ!!」
カズヤが自身の隣に腰を下ろした事を確認したカレンは酒瓶を掴み、大きめのグラスにトクトクトクッとアルコール度数の高そうな琥珀色の液体を並々と注ぐと、そのグラスをカズヤの目の前に上機嫌で突き出す。
「いや、酒はあんまり……」
表面張力の力を限界まで引き出す事で、辛うじて零れていない中身を気遣いながらカズヤはグラスを受け取る。
しかし、酒があまり好きでは無いカズヤはグラスに口をつけるのを躊躇っていた。
「にゃにっ!?わたしぃのぉ、さきゃがのめにゃいっていうにょ!?」
「そういう訳では無いんだが……」
「うぅ〜……のみぇッ!!にょまないとこうにょ!!」
「はい!!飲まさせて頂きます!!」
側に転がっていた空き瓶を振りかざして脅してくるカレンにカズヤは慌ててグラスに口をつける。
「〜〜きっつッ!!」
煽った酒の酒精が喉の粘膜を焼きながら胃の腑へと滑り込み、胃の中でグツグツと煮えたぎる。
そんな光景を幻視したカズヤは、たった一口の酒で根を上げていた。
「しょれ、よこしぇ!!わらしもにょむ!!」
あまりの酒の強さに眉間に皺を寄せ悶えているカズヤからグラスを奪い取ったカレンは、カズヤが口をつけた場所にわざわざ唇を当て酒を一気に煽る。
「あ、そんなに煽るとッ!!」
間接キスを堪能しているつもりなのか、一口で大量に酒を飲むカレンにカズヤが制止の声を上げるが既に遅かった。
「〜〜〜ゲッフッ……キュゥゥゥーーー……」
「言わんこっちゃない」
カレンは酒臭いゲップを吐いた後、グルグルと目を回してカズヤの膝の上に崩れ落ちる。
酔い潰れたカレンに膝を貸しながらカズヤはやれやれと首を横に振るのであった。
「うりゅぅ〜〜カジュリャのバガ〜」
「寝ながら文句言ってるよ……」
「閣下、少し……お話を宜しいでしょうか」
猫のように膝の上で丸くなって寝言を漏らすカレンの頭をカズヤが撫でていると、それまで部屋の片隅に控えていたマリアが近寄ってきた。
「あぁ、いいけど。話って?」
そう言えば、この人とはあんまり喋った事が無いな。
カレンとの話がある時に多少言葉を交わしたぐらいか。
そんな事を考えながらカズヤはマリアに席へ着くよう促した。
「本題に入る前に、少しだけおとぎ話を」
一礼してから対面のソファーに腰を下ろしたマリアは真剣な顔で言葉を紡ぎ始める。
「――その昔、ある所に叔父の謀略によって両親を奪われた貴族の少女が居ました。両親を殺され自身も身内から命を狙われるという最悪の状況の中、彼女はその類い稀なる才覚を持って叔父を返り討ちにし名家の家長となりました。しかし、身内から命を狙われた事が切っ掛けで人間不審に陥っていたのです。また叔父にその体を狙われていた事もあって男を毛嫌いするようになっていました。そして、そんな事があったからなのか彼女は女の幸せを望む事を諦め貴族としての責務にのめり込んでいったのです。ですが、そんな彼女にもようやく春が訪れたのです。相手は街を視察中に出会った青年。たった1日だけの邂逅で出会い方は決してロマンチックな物ではありませんでしたが、その青年と出会ってから彼女はガラリと代わり、年相応の笑顔を周囲に見せる事が増えました。けれど、その幸せな時間が長く続く事はありませんでした。突如隣国の大国が攻め寄せて来たのです。圧倒的劣勢の中、来るかどうかも分からない援軍を待ちながら戦い続け、ついに防御の要が1つ失われた時でした。白馬の王子さまが少女の元に駆け付けたのです。見たこともない武器で敵を凪ぎ払い命を賭してやって来た白馬の王子さまの正体は、少女が心の奥底で想いを募らせていたあの青年でした。義務では無く責務でも無くただ純粋に少女を救うためだけに馳せ参じた青年に少女は色々な意味で救われたのです。そして紆余曲折があった後、少女と青年は結婚し夫婦となりました……」
「……」
“おとぎ話”が終わると部屋に静寂が訪れる。
唯一聞こえるのは規則的な寝息を立てるカレンの呼吸の音だけ。
そんな中でカズヤは心の内を見透かすような鋭い視線を飛ばすマリアと真っ向から見詰め合っていた。
「私はこの物語の主人公に幸せになって欲しいと常々思っています」
「……」
「彼女が幸福を得るためならば、私はどんな苦労も厭いません。どんな対価でも支払いましょう。ありとあらゆる敵を討ち払い彼女の幸福を成就させてみせましょう」
「……」
「そして、万が一彼女が悲しむような事があれば、相手が大国の独裁者であろうと億の兵士を顎先1つで使える者であろうと、私は剣と杖を取ります」
その事を努々お忘れにならぬよう。そう続け口を閉ざしたマリアは最後に破顔しカズヤへ笑い掛けた。
この人……まるで俺に対する千歳だな。
この手合いは敵に回すとヤバイ。
まぁ、敵に回すつもりは無いが。
マリアへの評価をガラリと変えながら小さく頷いたカズヤは口を開く。
「……そうか。で、本題は?」
「はい。もう少しだけでも宜しいので、カレン様の事を気に掛けて頂けませんでしょうか?我が主は妙な所で義理堅いと言いましょうか、与えられた責務を第1に考える所がありますので。例えるならば、誰よりも貴族らしくあろうとする貴族のような感じかと」
「分かった。他には」
「以上です。私のような下賎な者のお話を聞いて頂きありがとうございました」
「いや、いいさ。色々と考えさせられる話だったしな」
「そうですか。では、私はこれで失礼いたします。カレン様とどうかごゆるりと」
そう言い残してマリアは部屋を出ていった。
「……ま、残りの人生は後悔を残さないように過ごすさ」
寝息を立てるカレンと2人っきりになったカズヤは自嘲気味にそう呟き、膝から下ろしたカレンの隣で横になるのだった。