後に控える帝都攻略戦に備えて温存され、今なおグローリアに留め置かれている第75レンジャー連隊、第1大隊所属のジーク・ブレッド軍曹と同期のルーフェ・ワックス軍曹は与えられた休日を有意義に過ごすべくグローリアの市街地に出向いていた。
「なぁ、相棒?」
「なんだ?」
「今しがた気が付いたんだが……今日のグローリアの街の様子っておかしくないか?何かこう……いつもより雰囲気がフワフワしてるような」
「うん?……言われてみれば確かにそうだな。巡邏に出ている憲兵の数がいつもより少ないし、秘密警察らしき奴らの姿も見えない」
ルーフェ軍曹の問い掛けにジーク軍曹は辺りをサッと見渡してから小さく頷く。
グローリア攻略戦に参加し苛烈な戦闘を潜り抜け、見事生還を果たした兵士である2人は街中の微妙な変化を嗅ぎ取っていた。
「だろ?何かあったのかね」
「……。あっ、思い出した。きっとアレが関係してるんだろ」
まさかテロでも起きるんじゃないだろうなと、心配そうな表情を浮かべるルーフェ軍曹をよそにグローリアの街の様子がおかしい原因に心当たりがあったジーク軍曹は1人頷いた。
「アレ?アレって何だ」
「いや、俺も兵舎を出る時にチラッと耳にした程度なんだが、何でも総統閣下がグローリアの視察に来ていたそうだ」
「へー閣下が来ていたのか。って、過去形という事はもう帰ったのか?」
「あぁ、そうじゃなきゃ最重要機密である閣下の行動予定が表に出回る訳がない」
「それもそうか。……にしても本土からわざわざ来てすぐに帰るなんて閣下はずいぶん忙しいんだな。せっかくなんだから観光でもしていけばいいのに」
街の様子がいつもと違う理由が分かった事で胸を撫で下ろしたルーフェ軍曹は、先程とは一変して軽薄な笑みを溢して呟いた。
「バカたれ。俺達の立場で物事を考えるな。お偉方が、それも閣下が気軽に観光なんて出来るかよ。ましてやここはまだ占領されてから日が浅いんだ。いくら統治が上手くいっているとはいえ、無理がある」
「それはそうだけどよ。閣下って攻略戦が終わった直後に、ここへ来て設備やら施設やら兵員やらの召喚してただろ?」
「……まぁ、確かにな。だが、それは戦略的な目的があったからで、観光なんて遊び目的じゃないだろ」
事実を含んだ相棒の言葉にジーク軍曹は少しだけ眉をハの字に曲げながら抗弁した。
「でもよ、あの閣下だぜ?案外お忍びでそこら辺を観光でもしてるんじゃないか?」
「んなバカな。そんな事をあの鬼の副総統が許す訳がない。何なら明日の朝飯を賭けてもいいぞ」
「なんだよ、ジーク。賭ける対象が朝飯ぐらいじゃつまらないだろ?そこは……そうさなぁ、基地のPX(売店)それも、お前が気になっているあの可愛い娘ちゃんがいる第3PXで愛を叫ぶぐらいのレベルがないと」
「あぁ、いいぞ?万が一、閣下がまだグローリアにいたらあの娘に告白してやるよ」
「なら、決まりだな」
ルーフェ軍曹の口車に乗せられたジーク軍曹は、後に絶望の底に叩き落とされる契約(賭け事)を交わしてしまった。
「ま、そんな事にはならないだろうがな」
自分の判断が後に後悔しか生まないとは露知らず、ジーク軍曹が余裕の顔を見せていた時だった。
「――この無礼者ッ!!」
「も、申し訳ありません!!どうか、お許しを!!」
2人から少し離れた場所で怒声と悲鳴に近い謝罪の声が上がった。
「っ、なんだ?」
「行ってみるか」
「あぁ」
ただ事ではない声の様子に、顔を見合わせたジーク軍曹とルーフェ軍曹は駆け出し現場に急いだ。
「どうしてくれる!!服が汚れてしまったじゃないか!!」
ジーク軍曹とルーフェ軍曹が現場に駆け付けると、そこには怒りで肩を震わせ顔を真っ赤にした若い男が1人。
眼鏡を掛け、見るからに神経質そうな顔立ちを般若のように歪め、怒声を飛ばしていた。
「お、お母さん……」
「大丈夫、大丈夫だからね」
そして男の恫喝に怯えながら地面に踞る母子。
華奢な体型の母親に庇われている10歳程の小柄な少女は、母親の腕の中で震えていた。
「親子に何をするんだクマー!!」
「ちょっと服が汚れたぐらいで騒ぐんじゃないクマー!!」
更に線は細いが大柄で頭から獣耳を生やし素朴な顔立ちの2人の女性兵士が母子を庇うように立っていた。
「服が汚れたぐらいだと!?それはこのゼイル・アーガス伯爵家の三男である僕、ガゼル・アーガスに言っているのか!!」
「そうだクマー。というか、そもそも女の子にぶつかったのはよそ見をしていたお前じゃないかクマー」
「そうだそうだ、どこぞの貴族の出だからって、しかも高々三男坊が威張っているんじゃないクマー」
頭の上から突き出た獣耳を動かしつつ特徴的な語尾を付け喋る2人の女性兵士は背後で踞る母子を庇いながら、対する男に敵意を露にし鋭い八重歯を剥き出しにして今にも襲い掛からんばかりの形相を浮かべていた。
「これは一体どういう状況なんだろうか?」
「うーん。話を聞くに……あの母親に抱き締められている娘っ子に、あの男がぶつかって男の服が汚れたみたいだな。でこっちの女性兵士2人は母子を庇っていると」
騒ぎに引き寄せられ集まって来た野次馬の輪の最前列でジーク軍曹とルーフェ軍曹は状況の把握に勤しんでいた。
「なんだ……よくあるような事か」
「そうそう。よくある事さ。だから後は憲兵にでも任せて俺達は行こうぜ」
「いやいや、ルーフェ。ここは男として兵士として止めに行かないとダメだろ」
面倒事は御免だとばかりに、踵を返そうとするルーフェ軍曹をジーク軍曹が諭す。
「はぁ?おいおい、ジーク。お前正気か?わざわざ面倒事に顔を突っ込むのはよせって。あっちの男なんて、さっきのセリフから察するに多分カナリア王国の貴族の出だ。奴等はバカみたいにプライドが高いから関わるとうっとおしいぞ。それにここで問題を起こしてみろ、隊長にどやされる程度じゃ済まん」
「それはそうだがな――っと、こんな悠長な話をしている暇は無くなったみたいだぞ」
「ゲッ、マジかよ。あのクソガキ!!杖を抜きやがった!?」
「行くぞ、ルーフェ!!」
「あぁ、もう、しょうがねぇなぁ!!小型のコンバットナイフしか持ってないのによ。クソッ、拳銃ぐらい持って来ればよかった!!」
状況の急変に伴いジーク軍曹とルーフェ軍曹は、なし崩し的に騒動へ関与する事になってしまった。
「おい、お前!!何をしている!!」
「街中で正当な理由なく杖を抜く事は禁じられているはずだぞ!!」
野次馬の輪の中から進み出て騒動に混ざったジーク軍曹とルーフェ軍曹は、母子を庇う女性兵士を庇うような立ち位置に陣取り、杖を抜いた男に対し声を上げた。
「チィッ、次から次へと邪魔者ばかり!!僕の邪魔をするんじゃない!!ちょっとばかり、そこの親子に礼儀を教えてやるだけだ!!失せろ!!」
駄目だ、コイツには話が通じない。と言葉での交渉を諦め、ジーク軍曹とルーフェ軍曹が力ずくで男の制圧に移ろうとした時であった。
「貴様ら、街中で何をやっているかッ!!」
雷鳴のような雷声が辺りに響き渡る。
「「……マジかよ」」
ジーク軍曹とルーフェ軍曹は声の主の顔を見るなり目を見開いて驚く。
そして幾度か目を瞬かせた後、ようやく我に返って直立不動の体勢を取ったのだった。
―――――――――――――――
カレンを喫茶店に残して騒動の内容を確かめに来たカズヤは一喝した後、事の中心人物であろう7人をジロッと一瞥した。
「事情を説明しろ!!」
そう言い放ちながらもカズヤは状況を見て、ある程度の事情を推察していた。
大方、あの母親に抱き竦められている少女がこっちの男――恐らくはカナリア王国軍からウチに編入されて最近グローリアに配置された第8魔法大隊所属の兵士にぶつかって服を汚したという所か。
男が着ている青色の軍服の腹の辺りがソースみたいな液体で汚れているから、騒動の原因はこれでほぼ間違いないな。
それで、こっちのカーキ色の軍服を着た女性兵士2人は母子を庇っていたと。
にしても……旧式然とした軍服に加えて頭から突き出た獣耳――熊耳。
更には『砲弾を持つクマ』のエンブレムマークがあしらわれたワッペン。
ということはアレだな。
この2人は第22弾薬補給中隊の所属か。
史実じゃモンテ・カッシーノの戦いで弾薬運搬任務に従事した事もあって伍長の階級を得たシリアヒグマ――ヴォイテクがいた部隊だったな。
部隊の経歴に因んで、隊の半分を熊人族の獣人で固めてみた部隊のはず。
で、最後にデザート迷彩が施されたACU(戦闘服)を着た2人の兵士は――ワッペンのエンブレムマークからして……第75レンジャー連隊の所属か。
こっちも母子を庇っているな。
ふむ、一概には言えんが……善人、悪人の立場がはっきりしているから騒動の解決には時間を掛けずに済みそうだ。
騒動を収め、なるべく早くカレンの元へと戻らねばならないカズヤは単純明快なこの問題の解決に時間を掛けずに済む事を予想し、内心で安堵の声を漏らすのだった。
「ハッ、実は――」
「なんだ、貴様は!!軍人でも無い部外者は引っ込んでいろ!!」
「そうだクマー、一般市民は危ないから下がっているクマー」
カズヤの説明を要求する問い掛けに対し、ジーク軍曹が直立不動のまま答えようとした所、事の中心人物である男がカズヤに食って掛かった。
加えて最初に母子を庇っていた2人の女性兵士の内1人が、親切心でカズヤに下がっているように忠告を発する。
「……軍曹、貴官の名は?」
「ハッ、自分はジーク・ブレッド軍曹であります。あちらのは同期のルーフェ・ワックス軍曹です」
「そうか、ではブレッド軍曹。この状況の説明を頼む」
俺の正体が軍曹達以外にバレていないのを良かったと喜ぶべきか、悲しむべきか。
まぁ、よくよく考えたら俺の正体がバレると話がややこしくなるし、バレなくて良かったと思っておこう。
変装の効果なのか、はたまた自身の顔の認知度が低いからなのかは分からないが、自分の正体がジーク軍曹とルーフェ軍曹以外の周囲にバレていないことを理解したカズヤは意図的に自身の名と正体を明らかにせず、2人の言葉をスルーしてジーク軍曹に声を掛けた。
「――という話のようです」
「ふむ、そうか。……つまり、どう考えてもよそ見をしていたお前が悪い。しかも、理不尽な暴力を振るった時点で完全にアウトだ」
そして、事情をジーク軍曹から聞き終えたカズヤは端的に男を断罪した。
「な、何を!?平民が偉そうな口を利くんじゃない!!何様のつもりだ!!」
「はぁ……軍曹。休暇中の所に申し訳ないが、憲兵が来るまでコイツを拘束しておいてくれるか?これ以上うちの兵士として醜態を晒されては叶わん」
「ハッ、了解です」
「ふ、ふざけた事を言うな!!平民の貴様にそんな事を決める権限は無いぞ!!あ、あんたも何でそんな平民の言葉に従うんだ!!おかしいだろッ!!」
カズヤの命を受けたジーク軍曹は、がなる男を無視して拘束に動き出す。
「さぁ、大人しくする時間だ」
「ッ!?や、やめろ!!来るなッ!!魔法を食らいたいのか!!イタッ!?え、あ、ぼ、僕に触るな!!うわぁ!!」
「……弱すぎるだろ。お前、本当にパラベラムの兵士か?」
「う、うるさい!!離せぇッ!!」
ずんずんと近付いて来るジーク軍曹に杖を向け魔法を使おうとした男だったが、詠唱をする間もなくジーク軍曹に杖を叩き落とされ一瞬で地面にねじ伏せられた。
「軍曹殿、ちょっと聞きたい事があるんだクマー」
「なんだ?」
「あの人は誰なんだクマー?」
「偉い人なのかクマー?」
「お前ら……やっぱり気がついていなかったのかよ……」
「「クマー?」」
ジーク軍曹が問題の男をあっさりと拘束した後ろでは、可愛らしく小首を傾げる女性兵士2人の質問にルーフェ軍曹が呆れた顔を浮かべていた。
「離せ!!」
「往生際の悪い奴だな、お前は。少しぐらい大人しくしてろよ……」
「僕に、僕にこんな事をして、ただで済むと思うなよ!!」
「はいはい」
騒ぎを聞き付けた憲兵がやって来るのを待っている間、ジーク軍曹に拘束され地面に押し倒されている男の脅し文句にカズヤは適当に答えていた。
「いいか、よく聞け?僕はな、あの総統閣下の奥方であるカレン・ロートレック様と深い繋がりがあるゼイル・アーガス伯爵の三男、ガゼル・アーガスなんだぞ」
ん?なんか、聞いた事のある名前だな。
男の口から出てきた名前に聞き覚えがあったカズヤは、古い記憶を掘り起こす。
ゼイル・アーガス伯爵……あぁ、カレンが治めていた城塞都市で帝国と戦っていた時にカナリア王国からの増援を率いてきた人か。
「そうか、で?」
該当する人物を思い出したカズヤは、うんうんと頷きながらカゼルに素っ気ない返事を返した。
「で、って……ち、父上に僕がこの事を報告すれば、どうなるかぐらい分かるだろッ!!貴様達には厳罰が待っているんだ!!」
「いや、お前の親父さんに告げ口した所で何にもならんぞ?以前はそうやって親の権力を乱用して悪さをしていたのかも知れんが、パラベラムに併合されたカナリア王国――旧カナリア王国領の統治体制は余計な混乱を防ぐために、かつてのモノを流用こそしているが、実情はもう封建制じゃないから貴族の特権や権力は消失しているし」
親の威光を笠に着て、何とかしようとするカゼルの言葉をカズヤは真実という刃でバッサリと切り捨てた。
「う、嘘だ!!」
「残念だったわね、本当の事よ」
カズヤの言葉を信じようとしないカゼルの前に、カズヤの事を迎えに来たカレンが現れる。
「な!?貴女様が何故ここにッ!!」
カズヤの顔は知らずとも、カレンの顔を知っていたガゼルは、予期せぬカレンの登場に泡を食っていた。
「何故って、妻が夫の側に居たらおかしい?」
「お、夫?」
「……あら?」
自分の目の前にいる男が誰かなのかを理解していないカゼルにカレンは不思議そうに首を傾げ、カズヤに視線を向ける。
「カズヤ?貴方、自分の正体を言っていないの?」
「いや、顔を見られたらバレるかと思っていたんだが……案外バレなかったんでもう言わなくてもいいかなと。ほら、バラすと厄介な事になるだろ?」
「呆れた……だったら貴方が出ていく必要が無いじゃないのよ」
「返す言葉もございません」
「全く……この私をほっぽって要らぬ騒動に顔を突っ込むし、私が居るのに別のいい女が居たら鼻の下を伸ばすし」
「い、いや、カレンさん?他の女性に目移りして鼻の下を伸ばしたりはしてないと思うんですが?」
「そう?……じゃあ、カズヤ。今日これから私以外の女に現を抜かすのは禁止よ」
「はい、分かりました」
「分かったなら宜しい。だから……わ、私だけを見ていなさいッ!!」
「……」
顔を真っ赤にして思いの丈を吐き出したカレンに対し、カズヤは一瞬キョトンとした後、ほっこりと笑みを浮かべていた。
「クッ、ニヤニヤするな!!この女誑し!!」
そんなカズヤとカレンの他者を気にも掛けない会話をよそに、自分が誰に食って掛かっていたのかを理解し始めたカゼルの顔が徐々に青く染まっていっていた。
「ま、まさか……そんな、お前が、いや、貴方様が総ッ!?」
「おっと。はい、そこまで〜。俺とカレンはこのまま余計な騒ぎを起さずに静かに消えたいんだ。言ってる意味、分かるな?」
「ひゃ、ひゃい」
カズヤに頬をグッと握られ、強制的に言葉を途切れさせられたガゼルは、タコの口のように口を突き出しながら頷いた。
「「嘘だクマーッ!!」」
そんなガゼルの近くでは「あの民間人は変装をされている総統閣下だからな」とルーフェ軍曹からこっそり真実を聞かされた熊人族の女性兵士2人が悲鳴のような声を上げていた。