キノの恋   作:羽田 茂

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人でなしの話(1/2)

 そこには草木が広がっていた。腰の高さまである草と、高さが大人の背の何倍もある広葉樹が、鬱蒼と生えている。

 そんな森の中に、まっすぐの一本道が通っていた。

 人々や車両が繰り返し繰り返し踏み続けたのだろう。

 土はまるでコンクリートのように固まっており、草一つ生えていない。

 そんな道を二台のモトラドが走っていた。

 

「……あと一時間くらいで暗くなるな」

 俺は空を見上げながら、ぽつりとつぶやく。

 もう二時間近く走り続けているにもかかわらず、いまだに出口は見えない。

「いったいいつになったら出れるんだか」

 普段ならばもっと景色を楽しんだりできるのだが……何度見渡せど視界に入るのは樹木ばかりでいい加減飽きてしまう。

 

「エルメス―まだ着かないのかー」

「サトウもうその台詞聞き飽きたー」

「うるへー…俺も分かってるよ。つっても……なぁ」

 もし他の台詞が言えるものなら出している。こちとらももうとっくの昔にネタ切れなのだ。

「はぁ…今日も野宿か」

 まさか丸一日かかっても抜けられないとは思っていなかった。

 森の中での野宿となると虫やらなんやらも多いし…今から憂鬱になってくる。

 そんなことを思いながら、モトラドを走らせていたとき。

「ん?あれは…」

 いままでずっと口を閉じていたキノが口を開いた。

 

「どうした、キノ」

「いえ…あそこに何か…」

「あ!ホントだ。よく気が付いたねキノ」

 この中でモトラドだからと謎視力のエルメスが嬉しそうな声を出す。

「車だ」

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 

「おや?君たちは……?」

 車両のすぐそばには、一人の男性がいた。

 男は怪しげな二人の旅人…というか俺たちに訝しげな表情を向けてくる。

「こんにちは。俺たちは旅人です!」

 俺はそう言いながらモトラドから降り、軽く頭を下げた。

「随分長い間似たような景色の中走ってたら、偶然遠くからこのトラックが見えたんで。興味半分、野次馬半分で止まりました」

「ああ、なるほどそういうことかい」

 おい、興味半分野次馬半分ってところに突っ込めよおっさん。両方一緒だぞ。

 そう思ったが声には出さなかった。

「その、どうかしましたか?」

「ははは、いやなに少し休憩していただけだよ。ここ数時間ずっと車に座りっぱなりだったから腰が痛くなってね」

 よく言えばふくよか。悪く言えば不健康そうに太った男だった。

 服はそれなりのものを着ており、旅人というよりは行商人という見た目だ。

 

「俺たちもです。それにずっと同じ景色が続いていると気が滅入ってしまって」

「ははは、君たちはまだそんな歳じゃないだろう。まぁ景色については私も同感だけどね」

「同感ってことは…まだ当分先は森の中ってことか」

「そうみたいですね。だったら今日はもうここで野宿しますか。正直今日は疲れました。これ以上走るとおしりが痛くなりそうです」

 キノが俺の袖をくいくいと軽く引っ張りながら言う。

 いったいいつそんな高等テクを覚えたのだろうかこの娘は。

 まぁ、俺もちょうどここで野宿しようと思ってたとこだったから、まったく問題ないんだけど。

 そう思っていると、男が「お二人さん」と言葉をはさんでくる。

「まぁ、ここで会ったのも何かの縁です。今晩はごちそうするから、もしよかったら旅の話を聞かせてくれませんか。私もちょうど話し相手が欲しかったんだ」

「いいんですか?」

 キノの口元が微かに綻ぶ。

 その様子に男も「ああ」と顔にえくぼをつくって笑った。

「ちょうど近くの国で商品がよく売れて、食材も上手いものがたっぷりあるんです」

「そういう事でしたら、お言葉に甘えて」

 キノがそう言うと、男は「うん」と頷いた。

「ところで…」

「なんですか?」

「いや、さっきから気になってたんですけど、あの人は」

 俺はトラックの傍で佇む黒い影に目線を送る。

「ああ、アレですか。おい、ゾルドこっちへ来い」

 男がそう呼ぶと、黒い影が立ち上がった。

 

 それは体調二メートル近くはありそうな筋骨隆々とした男だった。

 全身を黒い布で覆い、腰にナイフとパースエイダーを見せつけるように下げている。

 ゾルドと呼ばれた男は俺たちの傍に来ると、深々と礼をした。

 太った男はその様子に一度満足そうにうなずくと、

「そうだ。旅人さん、少し席を外します。晩ご飯を多めに作るように伝えてきますので。…ゾルド、来い」

 そう言って、男二人はトラックの中へと引っ込んでいった。

 その様子を見ながら俺はぽつっと言う。

「らっきーだったな、キノ」

「ええ。まさかこんなところで人と出会うとは思いませんでした」

 キノが嬉しそうに言った。

「だよな。こんなところで一晩明かすことになると思って憂鬱だったけど……いやぁ、日頃の行いがいいおかげかな」

「ですね」とキノが言ったのとその音が聞こえたのはちょうどだった。

 トラックの方からパリンという音が聞こえてきた。

「今のは…」

「お皿でも割ったのかな?」

 

 だがその数十秒後。

「お待たせしました。食事ができるまでは少し時間がかかると思うので、その間に旅の話を聞かせてくれませんか?」

 男は何事もなかったかのように、顔に笑みを浮かべながら戻ってきた。

 

「あの、さっき皿が割れるような音が聞こえたんですけど」

「ああ、あれですか。まぁ、あまり気にしないでいただきたい」

 男が困ったように頭を掻きながら言う。

「それより、旅の話を聞かせていただけませんか」

   ×   ×   ×

 

 

 

「ははは、面白いですな。そんな国があるのですか」

「ええ。と言っても訪れたのは随分と前のことですが」

 傍にあった倒木に腰を下ろし、キノが過去の体験を語っていく。それを男がニコニコと聞いている図がそこにはあった。

「キノそんな国に行ってたんだな」

 

 男はあの後一度もトラックに戻っていない。

 おそらくだがトラックの中に他に料理人か誰かがいるんだろう。さっき皿を割ったのはその人だったのかと一人結論付けていると。

「旦那様。お食事の準備ができました」

 そう奥の方から女性の声が聞こえた。

「おお!そうか。ゾルドさっさと取りに行ってこい!」

「…はい」

 大男はそう言うと、トラックの中から次々と料理を運んできた。

「すげぇ…」

「すごくおいしそうですね」

 キノが、運ばれてくる料理に目を輝かせて言う。

「ははは、それはよかった。それじゃあ料理もそろったようですし、いただきましょうか」

 太った男が言うように料理がすべて運び終わったのか、大男がまたトラックの隅に佇み始める。

「すいません、彼はいっしょに食べないんですか?」

「ああ、キノさん…でしたっけ、大丈夫ですよ。そういうものですから」

「…そうですか」

 旅をしていればこういうことはよくある。

 俺は自分にそう言い聞かせ、料理を口へと運ぶ。

 そして、

「うま……っ」

「美味しい……」

「ははは、旅人さんたちのお口に合ったようで良かった」

 口に運んだ料理は普通にうまかった。

 俺とキノはほかの物にも箸を伸ばすが、どれも同様だ。

 そりゃこんな美味いもん食ってたら太るわ。とい俺が何故か感心していると。

「あの、この料理を作ってくれた方は?」

 キノがスープを見ながら、男性にそんなことを聞いていた。

 どうやらあのスープはキノにとって当たりだったらしい。

 でもその気持ちもわかる。この料理を作っている人物は相当腕がいい。

「俺も知りたいです。どんな人が作ってるのか」

「ああ、構いませんよ。……おいゾルド。アレを呼んで来い」

「…はい」

 男はのっそりと立ち上がり、トラックの中に入っていく。

 そして、一人の女性を連れてきた。

「……」

 キノの瞳が一気に静かなものへと変わったのを、俺は見逃さなかった。

 

 彼女の両足は鎖で繋がれていた。

 その体には服と呼んでよいのかも分からないボロボロの布きれを身にまとい、青い痣がいくつも浮かび上がっている。

 顔を見ると、まだ新しいものなのか目元が赤く腫れあがっていた。

 

「その女性は?」

「『コレ』ですか。コレは前の国での売れ残りですよ」

 男はそう言って、女性の髪を鷲掴む。

 そして、俺たちに彼女の顔を突き出すように見せた。

「見えるでしょう?この顔の傷。このせいで商品の価値が下がってね。たまにソルドが殴るんですよ。出荷前には殴るなといつも言っているんですけどねぇ」

「そうですか……。それは困ったもんですね」

「ええ、本当にッ!!」

 突如。男が女性を殴った。拳が腹に埋まる。

 その光景に俺は思わず言葉を失う。

「いつまで経っても金になりゃしない!」

 だがそんなことに気付いてか、そうじゃないのか、男は女性を殴り続けた。

 しばらくすると、女性がお腹を押さえながら、地面にうずくまりる。

 そして、「けほっけほっ」と咳をする音が聞こえ。

 

「……あの、ちょっといいですか?」

 俺はすっと、まっすぐ手を挙げた。

「はい、なんですか?」

 男が女を殴ろうとする手を止める。

「あのー実はですね。俺宗教上の理由で奴隷と一緒に飯を食べてはいけないってことになってるんですよ」

「なに?」

「だからですね、その女……ソレを食事中は視界に入らないように、どけといてくれませんか」

 俺がそう言うと、男はしばらくきょとんとしていたが、やがて「やはり旅人はいい」とニッコリと笑った。

「ははは、なるほどなるほど!それは失礼しました」

「いえいえ、頼んだのは俺の方ですし、本当にすいません」

「いえ、お構いなく。っと……お前!!今すぐ消えろ!!これ以上俺にいらん恥をかかせるんじゃない!!」

 男は女の髪をもう一度乱雑に掴んでから、たたきつけるように地面に突き放す。

 砂が顔を擦ったのだろう。女性の顔には新しい赤い擦り傷ができていた。

「……………はい」

 女性は腹部を押さえながら、ゆっくりと立ち上がる。そしてこちらに一礼をしてから去っていった。

 いつものことなのだろう。護衛の男は、一連の出来事をただ黙って見ていた。

 

 トラックの中へと消えていく女の姿を見ながら、男がひとりでに喋り出す。

「アレはすこし前に私が捕まえたんですよ。アレがいた国は誰とでも仲よくなれる、なんてことを言いながら城壁を撤去していまして」」

 男がコップを机に置く。

「家が木材でできていてよく燃えました。出てきたところをパースエイダーで動けなくして……ああ、あれは楽しかったですな。やはり狩りをするなら、どんな動物よりも人間が一番いい」

 俺は女性の作った料理を口に含む。

 キノもまた黙って話を聞いていた。

「アレも捕まえたばかりの時はまだ小綺麗だったんですが…殴るうちに反応は鈍くなるし。この間目の前で親を殺したら、それこそ人形のようになってしまいました。今となったら料理くらいしか取り柄がありません。本当…いつになったら売れるのやら」

男が眉間にしわを寄せ、困ったように言った。

 

「いいご趣味をお持ちですね」

「ええ。そうでしょう」

 俺の皮肉を意に返した様子もなく、男がうんうんと首を振る。

「ところで………そんなこと俺たちに言っていいんですか?」

「…?どういうことですかな」

「いやね」

 俺は肉に刺さったフォークを抜き———その先をスッと男へと向ける。

「——俺たちが今の話を聞いて『女性がかわいそうだ!』ってアンタに殴りかかるかもしれませんよ?なんたって俺らは善良な旅人ですから」

 銀色の先から濁った茶色のソースがつうっと垂れ、地面へと吸い込まれていく。

 それを見届け、俺は再び肉に深く、深くフォークを(うず)めた。

 だが男はなにが楽しいのか、そんな俺の話を聞いて「ははは」と笑う。

「ええ。ええ。なるほどそうですな!!たまにそんなことを言ってくる旅人もいました!——……でも、口だけですな」

「なに?」

 俺の真似をするように、男が料理にフォークを突き刺す。

「私はね、旅人を『信用』しているんですよ」

「…『信用』?」

「ええ、そうですお嬢さん。長いこと人間を商品にしていると、やれ人権やらなんやらと言ってくる人間もいるんです。ですがいざ私が『だったら買いますか?』と聞くと、彼らは『金がない』『スペースがない』と言って諦めるんですよ ————本当におかしいですな?」

 今日何度目になるか。男が(わら)う。

「助けたいのなら私から無理やりにでも強奪すればいい。でも、しない。———……結局彼らは人権を叫んでいるのに、彼らもまた奴隷を『商品(モノ)』と見ているんですよ。人を金だと考えている。旅人なんかはメリットデメリットで行動する生き物ですからね」

 男はそう言うと、大口を開けて肉にかぶりついた。

 そして、もしゃもしゃと咀嚼して呑み込む。

「特にお二人さんは…随分と長いこと旅を続けていますね。そして、随分と大勢殺している。アナタ方のような人の命を金で考えられる旅人は——特に信用できる」

「なるほど。参考になります」

「ほー、興味深い話でした」

「すごいねーおっちゃん!物書きとしても生きていけるんじゃない?」

 三者三様の旅人の言葉に、男は照れ臭そうに頭を掻く。

「ははは、だとしても書けるのは一冊だけですな」

 そんな男を視界に収めながら、俺は。

 

「これ美味いっすね」

 女性のつくった料理を口へと運んだ。

 

「ホント、美味いっすね」

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 和気あいあいとした時間はあっという間に過ぎ、気付けば並べられた皿の中身は空になっていた。

「おい、ゾルド。アレと一緒に皿を下げろ」

「…はい」

 トラックの中へと歩いていく大男の姿を、男はしばし満足そうな表情でしばらく見ると、「では私は少しトイレに行ってきます」と言って茂みの奥へと消えていく。

 

「それじゃ、俺たちもそろそろ寝る準備するか」

「そうですね」

 そして、俺たちは俺たちで寝袋を出したり、明日の為の道具等の準備を始めた。

 

 いつしか太陽は完全に沈み切っており、空には欠けた三日月が浮かんでいる。

 オレンジ色のランプが辺りを薄く照らし、その周りに数匹蛾が(たか)っていた

 。

 どれくらい経っただろうか。

 ちゃらちゃらと鎖を引き摺る音が小さく鼓膜を揺らした。

 そして、その音は俺たちの目の前で止まる。

「なんか用ですか」

 俺はパースエイダーを整備する手を止め、顔を上げる。

 やはりというか、そこにはあの女性が立っていた。

 彼女は虚ろだった瞳に、微かな希望を宿してこちらを見ている。

 そして、意を決するように口を開いた。

「……あの、私を買っていただけませんか」

「断る」

 俺は布をカバンの上へ置き、パースエイダーをホルターへとしまう。

 女性は最初からそう言われるのが分かっていたかのように、そっと顔を伏せた。

「一応、理由をお聞きしてもよろしいですか……?」

「……一つ。俺たちにそんな金はない。二つ。子供ならともかく、大の大人を乗せるスペースなんて俺らのモトラドにはない。三つ。もし乗せれたとてもその分食料を減らすことになる。まだ聞くか?」

「……いいえ」

 女性は空を見上げ「はー」っと息を吐く。その瞳には暗い諦観が浮かんでいた。

「まぁ、そういうことだ。俺たちに買って貰うってのは諦めるんだな」

「……ええ…申し訳ございません。今の話はお忘れください」

 女性はそう言って、俺たちへと頭を下げた。

 やがて、

「おい!そこで何をしている!!」

 随分と長かった便所が終わった男が、腹に着いた脂肪を揺らしながら帰ってきた。

「…いえ、何でもありません」

 最後にもう一度、女性は俺たちにぺこりと頭を下げ、ふらふらとした足取りでトラックへと戻っていく。

 その背中に向かって俺は。

「なぁ、ちょっといいですか」

「………はい、なんでしょうか」

「料理、美味かった」

「…………っ!」

 その言葉に女性が振り返る。

 そして一瞬、その顔をくしゃっとゆがめてから。

「…そうですか、ありがとうございます」

 口に小さな笑みを浮かべ、また歩き出した。

 鎖の音が遠ざかっていく。

 

「また後でな」

 

 俺は、覚悟を決めた。

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 何時間たっただろうか。

 周辺のランプの光はすべて消え、聞こえてくるのは虫の音だけとなっている。

 

 頃合いだ。

 俺は寝袋からのそりと這い出て、暗闇の中、あらかじめ近くに置いておいたランプに火をつける。

 すぐ近くで、寝袋のなかで寝息を立てるキノの姿が映った。

 

 俺は彼女を起こさぬように、静かに自分のカバンの中から必要と思われるものを次々と地面に置いていく。

 そして、ある程度それが終わると、パースエイダーに手を伸た。

「行くか」

「どこへですか」

 

 心臓が大きく跳ねた。

 慌てて振り向くと、寝ていた筈のキノが起き上がりこちらを見ていた。

 背中にじっとりとした汗が流れる。

 だが、俺はそれを外面に出さずに「いや」とキノに笑いかける。

「念のために荷物をもう一度確認してるだけだよ。もしかしたらあのおっさんになんか取られてるかもしれないだろ?」

「それなら大丈夫です。ちゃんとボクが耳を澄ませてました」

「……そっか、なら問題ないな」

 キノの返しに、俺は早くも笑みを張り付けるのをやめる。

 キノはそんな俺に静かな瞳を向ける。

「ええ。問題ないです。だからサトウさんは寝ても構いません。今夜はボクが起きているので。それで、どこに行く気なんですか」

 ……最初っから気付かれていたのか。

 こうもあっさりとバレたことに、自分の浅ましさに俺は深く息吹く。

 二人の間に沈黙が流れる。

 風の音がやけに大きく聞こえ、体が冷たいものが食い込んでいくような錯覚がした。

 やがて、キノが普段と変わらないトーンで、

「助けに行くんですね。あの女性を」

 そう口にした。

 無意識にパースエイダーを持つ手に力が入る。

「止めないでくれ」

「……彼女と同じ売られた人間はどうするんですか。これから先も奴隷の人に会うたびに助けようとするんですか」

 ああ、そうだ。その通りだ。

 東に飢える人間がいれば食料を与え、南に喉の乾いた人間がいれば水を与える。北に、西に、——そんなことできるわけがない。そんなこと分っている。

 それでも俺は。

「それでも俺は、目の前の一人くらいは助けたい」

 俺はキノの瞳を鋭く見据える。

 

「別についてこなくてもいい。……見逃してくれ」

 分かっている。分かりきっている。この状況で間違っているのは俺の方だ。

 昔とは違い、一人で旅をしているわけではない。今は『キノ』という同行人がいる。

 にも関らず、相談もせず独断で行動しようとしている。

 そもそも女性を助けたいなどというのがただの我儘でしかない。

 だから、

「ダメです」

 キノの返答は予想できたものだった。

 

 そのことに俺は唇を噛む。

「そっか…」

 自分の声が宙に虚しく溶けていくのを感じた。

 自然と、パースエイダーを握る手から力が抜けていく。

 

 そんな俺の様子を、キノは黙って見ていた。

 彼女はのそりと寝袋から起き上がる。

 そして、その手にパースエイダーを握った。

 そして、

「ボクも一緒に行きます」

 そう言った。

 

「……………は?」

 今、なんて?

 眼を大きく見開き、パクパクと口を開閉する俺に、キノはそっと微笑み返す。

「…なんとなくこうなるだろうって思ってましたから」

 その表情を見たのはいつ以来だろうか。そうだ、初めて会ったあの日。

 キノの言葉に、もう冷たさはなかった。

「…本当に、サトウさんはお人よしですね」

 その言葉に、再び心臓を掴まれる。

 一瞬、言葉が出なくなる。

「………キノ」

 キノは自分の鞄から幾つか物を取り出すと、腰を上げる。

「ただ、次からこういった行動はやめてください」

「……ああ、悪かった」

 本当に、なんて…頼もしい同行人なんだろう。

 それをひしひしと感じながら俺は「そういえばさ、キノ」と彼女の名を呼ぶ。

「はい、なんですか?」

「あの女性の料理美味かったよな」

 俺の言葉に、キノは「そうですね」と頷く。

「あのトラックにはたんまりと食料があるんだよな」

「……そうですね」

「さすがにトラックは貰えないけど——それは偶然その場に居た誰かが拾ってくれればいい」

「そうですね」

「『旅人はメリットデメリットで行動する生き物』だったよな」

「そうですね」

 

 キノの表情は、真剣なものだった。

 俺もまた気を引き締める。

 

 

 

 

 

「……ありがとう。キノ」

「どういたしまして」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




ではまた近日。

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