キノの恋   作:羽田 茂

4 / 6
映画館の国(1/1)

 男がいた。

 薄暗い室内。俺たちの視線の先で、何発目かもわからない銃弾をその身に浴びた男。

 彼はその喉を震わしながら立ち上がる。

「なかなか死なねぇな…」

「もう十発は撃たれてますけどね…」

 その姿を、俺とキノは雑談をしながら眺めていた。

 

 男は全身から血液を撒き散らし、その瞳に偽りの憎悪を浮かべながらパースエイダーを構える。

 そして、ふらつく体を押さえつけるようにしながら、銃口を俺たちへと向けた。

 だが、

「あ、死んだ」

 先に鮮血が飛び散った。

 

 その出どころは男からだった。

 眉間に空いた穴からはダラダラとどす黒い血液が垂れていた。

 やがて男の体はぐらりと揺れ、糸が切れた人形のようにゆっくりと地面に倒れた。

 男は立ち上がらない。

 

「それじゃ行こうか。キノ」

「そうですね」

 男の姿が消える。

 俺たちは席を立ち、暗い通路の段差に注意しながら出口へと歩く。

 その背後では白い文字列がゆっくりと流れているのを横目に見ながら、扉を押す。

「…キノ」

 扉の隙間から漏れ出す光に軽く目を窄めながら、俺はキノの方へ向く。

 

「口元に食べカスついてる」

 暗い空間。大きなスクリーンに、敵だった人物と仲良さげに肩を組む男のが流れていた。

 

 

 

 ×   ×   ×

 

 

 

「んっはーっ!」と良く分からない声を出しながら、俺は固くなった体をグイグイと伸ばす。

 俺の斜め上には、大きな画像の張られた一枚板が天井からつられており、そこでパースエイダー片手のむさ苦しいおっさんが、血を流しながらかっちょいいポーズを決めていた。

「映画、というのも久しぶりに見ました」

 空になった箱を片手にキノが言う。

 

 古城を抜け、草原を抜け、草原を抜け、さらに草原を抜けること約四日。

 映画が有名だと自慢げに話す入国審査員の話を聞き流すこと数十分間。

 俺とキノは三日間滞在するという事で入国手続きを済ませ入国した。

 流石映画の国だと自称するだけあって、あちらこちらに映画館が立ち並んでおり、また値段もお手軽だった。

 ちなみにさっきまで見ていた映画は、ハードボイルド臭剥き出しのむさいおっさんがこれまたむさいおっさんとどったんばったんくんずほくれつ大騒ぎする内容だ。すごーい!君はドンパチ出来るタイプのフレンズなんだね!

 俺的には結構おもしろかったんだが……特にってか主に序盤でおっさんが親指立てながら溶解炉に沈んでいくシーンが。

 まぁ、でも創作物に感じるものは十人十色なもので。

「以前エルメスと二人で見た時も思ったんですが……ボクには六発のパースエイダーから何十発も弾が出る意味が分かりません」

「それは演出だから…」

 どうやらキノには合わなかったようだ。

 実際の撃ち合いを体験してるせいか、それとも少し天然なせいなのか。…多分どっちもだな。

 俺は苦笑いしながら、映画館のホールを歩く。

 周囲にはバイオレンスから恋愛ものまで、多種多様な映画のチラシとポスターが張られている。

「それじゃ、次何見るか決めようぜ」

「…そうですね」

 俺の言葉にキノがぽちぽちとあたりを歩く。

 そして、しばらくすると一つのポスターの前で立ち止まった。

「コレなんてどうですか」

「恋愛もの…か」

 ポスターには二人の男女が手をつないでいる背中が写っている。

 …なんか意外だ。キノのことだから、なんだかんだ言ってまたドンパチものを選ぶものかと思ってた。やっぱりキノも女の子ってことか。ふふ。

「キノって恋愛映画とか見たことあんのか?」

「一応ホテルで何度か。といっても流し見程度ですけど」

 確かにいろんな国を回っているんだったら見る機会もあるか。

 しかしまた、じっくりと見たわけではない、という部分にキノらしさを感じる。

 俺はそんなことを思いながら、ひとりで「くくっ」と笑う。

「なんですか」

「あー…いや、なんでもない」

 冷めた瞳を向けてくるキノに、俺はぶんぶんと手を振る。

 とりあえず今日合わせ三日間……ゆっくりできそうだ。

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 俺たちがシアタールームの席に座ったのは、ちょうど開演と同時だった。

 映画が始まった。

 暴行されそうになっていた少女を、青年が…チッそりゃイケメンか…が助けるところから物語は始まる。

 そのことがきっかけで名前も知らない青年に少女は不思議な何かを抱く。ただ、少女は自分のその気持ちが一体何なのか気付いていないようだった。……完全に恋ですね。

 一方の青年は少女に一目ぼれし……ってあれ?もうなんか両名このまま結婚しちまえよーって雰囲気になってない?もう終わりでいいんじゃね?あと一時間二十分くらいあるけどもういいだろ。

 てか何なの?なんで映画の主人公は顔面偏差値が高い奴しかいないの?イケメンじゃないと恋愛なんてできないの?こちとら遊びでクソみてぇな面してるわけじゃねぇんだよ!!

 と、自分から選んだにも関わらず、開始十分で映画にケチ着けるカス野郎事俺だが。

「…?」

 ここで隣からポップコーンを食べる音が聞こえてこないことに気付いた。

 キノ?

 そっと隣を見ると、スクリーンのぼんやりとした光に照らされたキノの横顔が目に入る。

 興味深いものを見るような、そんな表情でまっすぐスクリーンを見つめている。

 意外だ…。

「……」

 俺は顔をスクリーンへと戻す。

 

 ここにくるまでの道中何度思ったか。

 俺はキノのことをよく知らない。

 まだ出会って日も浅いのだから当然なのだとも思うが、それにしても知らない。

 キノは今まで自分が訪れた国の話はすれど、自分自身の話はあまりしないから。

 俺がキノについて知っているのは、せいぜいパースエイダーの扱いが上手くて、シャワーが好きで、食べることが好きってことくらいだろう。

 年齢も。どこから来たかも。なんで旅を続けているのかも、なんで旅に出たのかも、俺は知らない。

 

ふとそんなことを思った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 映画内容も終わりに近づいてきた。

 青年は第三者の手によって海に沈められてしまう。少女と彼らの友人たちは青年を助け出したが、青年は息をしていなかった。

 少女は青年を助けようと彼の唇に自分の唇を合わせ、必死で息を吹き込んだ。

 少女は気付いた。自分のこの気持ちが何なのか。

 やがて、少女の思いが届いたのか青年は息を吹き返す。

 そこからも二人は大きい波や小さい波に戸惑い、ぶつかりながら互いのことを深く知り合っていく。

 

 俺はいつしか前半の感想など忘れ、のめりこむように見ていた。

 そして映画が終わる。

 

「綺麗にまとまってたな」

 作中転がっていた不穏なフラグをすべて回収したうえでご丁重にへし折ってからの完膚無きまでのハッピーエンドだった。

 

「そうですね。ああいった映画は初めて見ましたけど…結構面白かったです」

 あまり中身の減っていないポップコーンの箱を持ちながらキノが言う。

 ホントよく集中してたな。

 ……いや、普通はキノくらいの少年少女ならば普通あんな風の世界にいる物ではないのだろうか。

 

「どうかしましたか」

 いきなり黙り込んだ俺に違和感を感じたのか、キノが首をかしげる。

 

「あーいや、意外とキノってああいう内容のものに興味あるんだーって思って。あの映画みたいな経験あったりするのか?」

「いえ、自分で体験したことはない……あまりないですけど」

「まぁ、確かにあんな甘酸っぱいのは現実ではそうそ———……うえ?」

 

 まて、今なんて言った?『あまりない?』それって逆を言えば少しはあるってことじゃ——

 俺はバッとキノを見る。

「もしや…いや、もしかしてあるのか?」

「はい?」

「いや、あの映画みたいな経験…ッ」

 俺の問いにキノはさも当たり前といった風な表情で…つまり普段と同じ表情で。

 

「…ありますけど」

 そう答えた。

 

「……そ、そうか」

 うぁああああ!何故だかはよく分からないけどショックを受けている自分がいるッ。

 いや待て、そもそもどの辺!?あの映画のどの辺らへんの経験なの!?男の子と手をつないでたシーンか、それとも抱き合ってたシーンか、それともキスシーンか!?お父さんそんなの認めませんよ!!

 

 キノがそんな俺の大荒れの内心を知る由もなく、彼女は思い出すように虚空を見つめて口を開く。

「でも………最近だったらサトウさんですね」

「——え?」

 意外にもキノの口から出たのは俺の名前で、俺はぽかんと口を開けてしまった。

 

「…俺?」

 そんな俺の様子を見て、キノがほんの少し唇を緩める。

「助けてくれたじゃないですか、ボクをあの廃城で」

「……ああ、あれか」

 俺の脳内に浮かび上がるのは血だらけのキノの姿。

 

 …俺の予想していたロマンチックより、数万倍血なまぐせぇ。

 まるで白馬の王子様のように颯爽と現れた映画の青年とは違って、俺が見つけた時にはキノは既にボコボコの重態で完全に意識を失ってたし、正々堂々と悪党に立ち向かった青年とは違って、俺は悪党どもを不意打ちで撃ち殺していってたわけで……。似て非なるものどころかかすりもしないと思う。

 

 でもその答えにどこか安心したのも確かで。

「……あー、てっきりキスとかそういうのだと」

「ないですね」

「そっかー!」

 ああ、なんか安心。

「はい。ところで、サトウさんはどうなんですか?」

 

 一瞬にして俺の時が止まった。

「…サトウさ——「聞くな」………」

 

 聞くな。もうホント聞くな。聞かないでくれ。

 この年になるまで女性相手に恋愛できたことが一度もないなんてこと全然ないから。バレンタインで貰ったチョコが母親からだけだったり、靴箱に入ってたラブレターを空けたら呪いの言葉だったりとか全然ないから。ないつってんだろ!!お前ら俺をいじめて楽しいのかゴラぁッ!!

 

「…あの、大丈夫ですか?」

 キノの優しさが染みる。

「いや、ホント大丈夫だから……うん、俺は大丈夫。俺は大丈夫…大丈夫」

 そう俺は自分に言い聞かせたのち、深い溜息を吐きだす。

 

「一応好きな人はいたんだけどな」

「…え」

「え?まって、その『え』ってなに?」

「いえ…好きな人いたんですね」

 キノが少し言葉を区切りながら言う。やめて。噛み締めるように言わないで!?なんでそんな言い方するの!?Why!?

 

「今だから笑い話にできるけどな……その人女装した男だったんだよ」

 いえ、正直な話今だ俺の心を深くむしばんでいます。

「男が女装する国でさ…一目ぼれだったんだけどそれを知らなくて。告白したらokしてもらって、意気揚々としてたら……」

 

 あ、泣きそう。俺は年下の女の子に一体何を言っているんだろう。

「……そうですか」

 そうだよぉ!!

 

 いや、別にいいんだ。俺の黒歴史が話題の種になるのなら。心の傷の一つや二つくらい大した問題じゃない。むしろ俺は喜んで自分の傷を晒そう。

 ……だからな、キノ。その微妙そうな何とも言えない顔が一番傷つくんやで。

 

 もうこれ以上ダメージを食らうと心の闇の浸食が過ぎてそろそろダークサイドへ落ちそうになってきたから、この話はもう打ち切ろう。

 

「……ああ、キノ…そろそろお昼にしない?」

 エルメス曰く脳と胃袋で物事を考えるキノにこの言葉は効果てきめんだったようで。

 いや、冗談。空気読んでくれたんだよね。

「そうですね、そろそろいい時間ですし。そういえばここに来る途中で美味しい匂いのするピザ屋があったんですけど、今日の昼食はそこにしましょう」

 

 滲みきって歪んだ視界を拭い、俺は無言で首を縦に振った。

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 さて、突然だがラノベ、漫画、ドラマ、アニメ上での映画館のテンプレイベントと言えばなんだろうか。

 ホラーシーンで怖がった女の子が「キャー」と言いながら腕に抱きついてきて、あわよくば柔らかい胸の感触と女の子の体温を…とかか?

 それとも欧米ものにありがちな突然の濡れ場シーンに少し気まずい空気に…けれどどこか甘酸っぱいお互いを意識してしまっているような雰囲気になるとかか?

 いや、どのイベントも素晴らしいが、俺はここで一つ『眠った女の子が体を寄りかからせてくる』てのを押したいと思う。このイベントが起こった瞬間、時間返せ!とか金返せ!とかそんな気持ちが一瞬にして大気圏の彼方へと消える。ホント男って馬鹿だね!(満面の笑み)

 え?そんなイベント電車でも公園のベンチでも、なんだったら自宅でもどこでも起こるじゃねぇかって?うるさい!ばーか!あんぽんたん!!そう思ったクソジャップとモテ男どもは今すぐ実家に消えな!いいか良くきけ(消えなと言ったのに)。

 そもそも映画館という空間そのものが特殊なものだ。普通は大音量の雑音の中眠ることは難しい。だが映画館はどうだ!スピーカが大音量を発しているにも関わらず、人を夢の世界へと(いざな)う不思議な魔力がある。薄暗い空間とスクリーンの光が独特の雰囲気。大勢の人間がいるにも関わらずまるで世界が自分とその人だけになってしまったような感覚。

 え?「電車もガタンゴトンって音凄いけど眠くなるよ?」だって?「教室の雑音の中でも普通に眠くなるよ?」だって?うるさい!ばーか!あんぽんたん!黙れ(黙れ)!!

 

 まぁ…つまりだ。俺がなにを言いたいかというと。

「……起きてください、キノさん」

 つまり?そう、つまりそういうことだ。

 

 肩に掛かる少女の重み。布越しに伝わる人肌の温度。甘い匂い。至近距離から聞こえる吐息の音。

 俺は、人生で男子が誰でも一度は憧れるであろうテンプレという物を体験していた。

 

 あれだ。俺明日(あした)死ぬんじゃなかろうか。

 もうなんかヤバい。なにがヤバいって脳まで侵されているのか映画の内容全然頭に入ってこないのがヤバい。元から頭に入ってこないタイプの内容だったのに、もうこうなるとヒロインの()おっぱいでかいなくらいしか頭に入ってこない。ヤバい。

 

 あ、ゾンビ死んだ。あ、仲間が死んだ。あ、ヘリ堕ちた。ぱねー。

 

 ああもう本当頭に入ってこない。

ていうか、これはよくない。もういろんな意味で心臓によくない。

 

「……キノには悪いけど起きてもらおう」

 気持ちよさそうに寝ているところ、正直罪悪感はあるけど仕方がない。

 そうでもしないと俺が死ぬ。

「キノ…っキノ…っ!」

 俺は小声で叫びながらキノを揺らす。

 

 うっわ、肩ちいさ。それに…少しやわらけぇ。

「——じゃねぇよ。キノ、起きて。キノさん、起きてください」

 どうやっても男にダメージを与えるあたりキノさんぱねぇ。

 

 どれくらい経っただろうか。

「……ん」とキノが眠たそうに、薄くだが瞼を開ける。

 眼の焦点がどこにあっているのかはよく分からないが……あと一押しくらいだ。

 

 そう思いながら体を揺らそうとしたその時——

「キの——おおおおおおおおおおおおおおお!!?」

『ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああ!!?』

「うわあっ!!?」

 

 映画館全体が絶叫に包まれた。

 スクリーンいっぱいを埋め尽くすゾンビの顔面。

 アイエエエエ!!?歯茎ィッ!!?ぞんびぃ歯茎!!?

 ひゃああああ!びびったぁあああああああああ!!

 なんで今の今までスローペースだったのに突然本気出してきんだよ!?そういうのはもっと前半でやれよ!!?今までずっと「うがー」「うわー」って感じだったろ?なんで後半の中盤くらい———今更本気出したんだよ!?

 

「てかやっべぇ、マジで心臓止まるかと思った…」

「さすがにボクも驚きました…」

 俺はバクバクと鳴る胸元を繰り返し撫でる。

 すげぇ、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。いや、ラブコメ的な意味じゃなくて——

 

「ん?」

 あれ?そういえば今一瞬。

 

 俺はゆっくりと目線を隣へと動かす、すると。

「あっ…」

 瞳が重なった。

 

「あの、これは…」

 キノが、俺の腕をきゅっと抱き締めていた。

 ——そうか、キノ目が覚めたんだ。よかった。これであのテンプレ地獄から解放される。ってあれ…?なんか腕から柔らかい感触がする。

 あ、分かった。キノが俺の腕に抱き着いてるんだ。そっか。あのキノが——。

 あまりの出来事に、頭の中が真っ白になる。

「えと…その、……キノ、…その」

「………っ!」

 キノも自分の状態に気付いたのか、少し恥ずかしそうにそろそろと俺の腕から離れる。

 

「…すみません、すこしぼーっとしていたので」

「あ、そうか。大丈夫、気にしないで」

 どうやら頭がまだ半分寝ているような状態でどっきりシーンがきたため、反射的に動いてしまったらしい。

 

 ああ、自分の心臓の音がやけに大きく聞こえる。———もちろんラブコメ的な意味で。

 俺は自分の心臓付近を押さえつけながら、なんとかキノに笑いかける。

「眠気がなくなりました…」

「お、おう。そりゃあれ見たら、ふつう目も覚めるよなぁ!」

「はい。突然でしたし…」

「ああ、突然だった、しな……」

 あ、やばい。なに言っていいのか分からない。

気まずい沈黙が二人の間に流れる。

 

 なんだか目を開けていることさえ恥ずかしくなってきたので、誤魔化すように俺はそっと瞼を閉る。

そして、背もたれに深く体を預けた。

 

 

   ×   ×   ×

 

「…」

「…」

 

 閉じられた瞳の代わりに、鼓膜が音を拾う。

 どれくらいそうしていただろうか。

 いつしか物々しい音楽が消え、代わりに静かな音楽にかわっている。

 

 そんな中。俺の内心はあれ荒れに荒れまくっていた。間違えた、どちらかというとぴょんぴょんしていた。

 さっきからキノの柔らかい感触が頭から離れないんだけど。ヤベェよ…ヤベェよ……。というか正直気持ち悪いよ俺。でもさ、仕方ないと思うんです。男が映画館で憧れるイベントを今日もう二つも体験したんだぜ。

 これで落ち着いてたらそれはそれで問題だろ。そうだろ?なぁ、そうだと言ってくれ。

 とはいえ、もうこれ以上何が起こるわけでもなくこのまま終わって欲しいというのが本音だ。

 そうじゃないと本当に死んでまう。

……ま、ぶっちゃけ起こるわけねぇよな。

  

 

 そんなことを考えていると、

 「ん?」

 なんの音だ。

何故だかスピーカーからぴちゃ、ぴちゃという水のような音が流れてきている。

 そして、その音に続くように熱い男女の吐息の音が……。

 

 嫌な予感がする。

 

 そう思い、俺は背もたれから少しだけ背中を浮かし、瞼を開ける。

 そして、

「……」

 固まった。

 

 画面いっぱいに広がるドッキングシーン。

 モザイクも何もない、ありのままのど直球の不健全映像が大画面、大音量で流れていた。

 あれ?なんでこいつら唐突にエロシーンに入ったの?直前までそんな雰囲気なかっただろ。てかなにこれ思ってた以上にガチなんですけど。

 

 と、一瞬にして様々な言葉が頭に浮かんでは消えていく。

 そして、

「て………ッ!!おーイェスじゃねぇよ!」

 正気に戻った。

 そうだ、ここには幼気(いたいけ)な少女がいるんだ!こんな教育上問題のある映像なんぞ見せ続けたら、PTAにぶっ殺される!!

「み、見るな!キノ!見ちゃダメだ!」

 そう叫びながら、俺は目隠しをしようと慌ててキノの方を向く。

 

 だがそこにあったのは、

「——………えーっとキノ?」

「…なんでしょうか」

 既に瞼を閉じたキノの姿だった。

 

「…その、見た?」

 その問いに、一瞬キノが声を詰まらす。

「…………見てません」

 …いや、瞼を閉じてたってことは見てから反応したってことじゃ。…やっぱ何でもない。

「だよな…」

「……はい」

 その言葉を最後に、キノは自分の指で耳栓をしてしまった。

 瞼を閉じたその表情はいつものようにきりっとしたものだったが、彼女の耳と頬がいつもより赤くなっているのはきっと……いや、きっと気のせいだろう。うん。

 仕方なく、俺も再び瞳を閉じ、手で耳栓をする。

 そして、

「あ…耳栓しても普通に聞こえる」

 

 もう一度見た少女の耳は、相変わらず赤かった。

 その後、二人とも何とも言えない気分で映画館を出た。

   ×   ×   ×

 

 夜の空気が冷たい。

 

「じゃ、俺ちょっと買い物いってくるから。先に休んどけ」

 そう言いながらサトウさんは手を振った。

 そして、やがて人ごみに紛れるように雑踏の中へ消えていく。

 それを見送ってから、ボクはホテルへの道を歩き出した。

 

「今日はひどい目にあった…」

 何のせいかは言うまでもない。

 三番目に見た死体が動く映画だ。

 あれのせいで、少し恥ずかしい所を見られた。

 

「そもそも、あんなの聞いてない」

 なんであんな大画面であんなものを流すのかが理解できない。それに、サトウさんも「見た?」じゃない。そういうことは聞かないでほしい。

「……っ」

 ボクはいろんなシーンを思い出しそうになる頭をふるふると小さく振る。

 そして、そっと額に手を置いた。

 

「…あたま痛い」

 一日に何本も見すぎたみたいだ。

 ホテルへ向かい、部屋のカギを回しドアを開ける。

「ただいま、エルメス」

「おかえり、キノ。どうだった?僕は今日はずっとお留守番でたいくつだったよ」

「いいじゃないか。昨日も一昨日もその前もずっと走ってたし。たまには休息も必要だよ」

「本人が望まない休憩は苦痛なだけだよ。この部屋には娯楽もないし。キノ、今からでも遅くないよ、モトラドに乗って街を駆け巡ろう!」

「いや、今日はもういい。疲れたから少し寝ることにするよ」

「えー」

「恨むんだったらモトラドの走行が禁止されてるこの国を恨んで」

 ボクはエルメスの愚痴を聞きながら、ジャケットを脱ぎ、上からいくつかのシャツのボタンを外す。

 

「そういえばサトウは?」

「サトウさんなら買い物に行ったよ。晩ご飯はサトウさんが帰ってきてから」

 ボクは最後に腰回りを押さえるベルトを外し、傍にあったスツールに置いた。

 そして暖房機のスイッチを入れ、ベッドに倒れこむ。

「はしたないよキノ」

「別にボクははしたなくていい、見せる相手もいないし」

「なに言ってるのキノ?」

「…なんでもない」

 …本当にボクは何を言っているんだろう。

 

「はあー……疲れた…」

 まぶたを閉じるとじんわりと熱を持つような痛みが広がる。

 暖房機の暖かな空気と柔らかいベッドが心地よく、次第に意識がふんわりとしてくる。

「キノ、かぎ—————」

 エルメスの声が遠く聞こえる。

 ボクはそれを思考することなく、睡魔に意識をゆだねた。

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

「おーい、キノー?」

 買い物袋を片手に下げながら、俺はドアをノックする。

 コンコンと数度叩いてみても扉の内側からは何の反応も帰ってこない。

 出かけたのか?と思いながらも、適当にドアノブをひねってみると、

「うお、あったけ」

 扉はあっさりと開いた。室内は暖房が効いているようで、ぬくぬくと暖かい空気が顔に当たる。

 あ、やべぇ。疲労感も相まってずっとこの部屋にいると寝ちまうかもしれねぇ。

 そんなことを思いながら部屋の中を見渡すと、一つのシングルベッドが目に入った。

 その上には一人の少女が気持ちよさそうに寝息を立てている。

「鍵も締めずに不用心だな…っと、よ!エルメス」

「お、サトー」

 名前を呼ぶと、壁の隅に鎮座しているモトラドが言葉を発した。

 最初は会話するたびに「俺…無機物と喋ってる…」と何ともいえない気持ちになったものだが、俺ももうすっかり慣れたものだ。

「寝てるね」

「寝てるな」

「キノって結構タフだから、依頼があったときを除けばこんなになるのって滅多にないんだけど。なんかした?」

「ずっと映画見てた」

 まぁ普通何時間もぶっ通しで見続けたらこうなるわな。運動や集中力を使うのとはまた違った方向で疲れ溜まるし。

 俺はキノの傍へと近づく。

 そして、彼女の頭にそっと手を伸ばした。

 映画館で肩によりかかられた時から地味に気になっていたんだ。

「……うお」

 さらさらだ。

 触れると、一本一本の毛髪の感触が俺の指と手のひらに伝わり、謎の感嘆が漏れた。

 

 そして、彼女の前髪をめくり。

「……あ」

 

 ゆっくりと手を引いた。

 

「……んじゃ、俺部屋に戻るわ」

「あれ?起こさなくていいの?というかそれだけでいいの?」

「ごめんちょっと何言ってるのか分からない」

 お前は俺に何を望んでいるんだ。

「こんな気持ちよさそうに寝てるんだ、寝かしてやろうぜ。」

 

「一応起きたら俺に起きたこと知らせるよう言っておいてくれ。そしたら飯にするから」

「はいよー」と間延びしたエルメスの声を背中で聞きながら、俺はドアノブをひねる。

 

 彼女の前髪をめくったとき、彼女の額の隅に傷痕を見た。

 俺はそれに見覚えがあった。

 

 

「やっぱ冷えるな…」

 

 扉を開けると廊下の冷えついた空気が流れ込んでくる。

 暖められた体が、指先が急激に冷えていくのを感じた。

 

 温かい思いをすれば、またいつの日か冷たい思いをすることにだろう。

「せめて映画みたいに全部終わりが見えればいいんだけどな…」

 せめて、映画のように綺麗にまとまってさえいれば。

 

「……なーんてな」

 

 俺は後ろ手にそっと扉を閉じる。

 そして、自分の部屋へと歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 











この度は「なんてことない国」をご覧いただきありがとうございました。
久しぶりに書いたのでどうしようもない話になっていないか不安もありますが、もし楽しんでいただけたのならば幸いです。
楽しんでいただけなかったのであれば、「ああ、羽田茂がやらかしたんだなウケる」とでも思って笑ってください。もし美人のお姉さんであれば冷たい目で蔑んでください。
そしてついでにこんなクソつまらねぇssがあるんだけど、と知り合いに言いふらしてください。よろしくお願いします。

で、です。先に言うとここからどうでもいい話がずっと続くと思いますが、時間をどぶに捨ててもいいという紳士の方々……紳士の方々はぜひとも引き続きお付き合いください。

で、です。二日前、突如天啓のようにこの話が降ってきたわけですが、この話を書くにあたって、とある部分にすごく引っ掛かりました。
それはキノの羞恥心についてです。……大事なことですよ。
公式によればキノの年齢は十代半ばということになっているようですが、確か何巻かのカバー裏では「キノ14歳!」(訂正:若干15歳でした)って書いてあった記憶があります。
14歳と言えば中学二年生から三年生の間。ついでに言えば頭のおかしい爆裂娘と同じです。
中学三年生と言えば来年は高校生と少し大きく感じますが、中学二年生となれば一年前は中一、もう一年前は小学生です。そう考えると結構幼い気がしません?
キノが国を出たのが12歳。それこそ小学生くらいのときです。
その後師匠に拾われいろいろと教育を受け、旅に出たという事らしいですが、ちょっと前に書いたカバー裏には、キノがすでに旅に出ているというような感じで書かれていたので、少なくとも14歳のころには旅にでていたものだと思います(以後キノの年齢は14という事で話は進むものとする)。
作中での淡白さを見るに、性教育、それあれの概念は知っているのでしょうが(男の急所を狙ったこともあったし)。
また、とある国(たしか同じ顔の人間がめっちゃいる国)ではセックスしねぇとスポーツ感覚で誘われていた時、キノは遠慮がちに突っぱねてました(とそんな感じで脳内で勝手に流れた)。

作中キノは人は殺すわ、強いわでスーパー少女というように映りますが、その内側はやはり年相応の少女であると思うわけです。
そうでなくとも、人を殺すとかいう精神のベクトルと、恋をするなどといった精神のベクトルは全く違うんじゃないでしょうか。
キノが性的なものに直面した場合の淡白さは、「自分がまきこまれない限りは」というもの前提じゃないかなと私は勝手に思いました。
どうでもいいですけど、私はこの文章を書いていて「耳年間」という言葉が頭に浮かびました。

もしその前提が崩れた場合、キノはどうなるのかとも思います。
私たちの価値観というのは周囲の人間の価値観と共にはぐくまれて、定着していきます。
まさかキノの暮らしていた国が12歳、またそれ以下の子供がガッチガチな性的な話題に触れるような国であるとは考えにくいなと思っています。まさか手術する前に子供が子供作ったらそれこそ困るので、それなりにお堅い感じだったのではと。
現実の方でも性方面に対する羞恥心、恋愛観だったりは早い者で大体小学生中学年、高学年くらい。それこそ中学生になってから定着し始めるものじゃないでしょうか。
つまりキノはかなり中途半端な時期に国を飛び出してしまったのではと。
さっきも言いましたが、当然師匠がそう言った方面のことは教えているでしょうが……。

ああ、完全に話が脱線してしまいました。

で、です。皆さんちょっと想像してみてください。もしくは思い出してみてください。
小学生、中学生、高校生の頃、お茶の間でドラマや映画を見ている最中……もちろん兄弟、両親はいるものとします。そんなとき突然キスシーンとかセックスシーンが流れた時、ものすごい気まずい空気になりませんでしたか?なりますよね。
なんなら私は大学生ですが、この年になっても気まずい気分になる自信があります。
しかも、もしそれがそれが飛ばすことも止めることも耳をふさぐことすらできないのなら。考えるだけで体が茹だってしまいそうです。らめぇ。

ほら、想像(いまじん)してください。
幼気ない中学生の目の前で、大画面で、大スピーカーでそれが起きたんですよ。
目の前に一緒に旅をする異性がいるのに。目の前で男女がまぐわう映像が。考えただけで興奮します。
これで羞恥心が湧かないんだったら、私はもう「キノの恋」を諦めるしかありません。
というか、むしろ14歳でそうなっているのだとしたら、ガンジー、マザーテレサ、聖母マリアに続く寛大な私であっても、「お前キノに何しやがった」といろんな意味で師匠を許しません。

とまあ以上を踏まえたうえ今回の話は書きました。
まぁだからなんだという話ですよね。ウケる。
てなわけで、以降もキノの恋をよろしくお願いします。
次回更新は近いうちに。

あ、あと「お酒の国」は読み返したら「なんだこれ」と思ったので削除しました。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。