キノの恋   作:羽田 茂

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再投稿です。
後半のキノの台詞を編集。


始まりの話 (3/3)

 廊下の窓からのぞく電柱の柱と線が、複雑なシルエットを浮かべている。

 昼間の喧騒はなく、聞こえてくるのは涼しげな鈴虫の鳴き声と、夜風が草木を揺らす音だけになっていた。

 ナースステーションに駐在する看護師の仕事をする音がときどき、風に乗り小さく聞こえてくる。そんな夜だ。

 

 人影は、看護師に見つからないよう廊下を渡り、モトラドと少女のいる病室の扉に手をかけた。

 暗い部屋を照らすのは月明りだけとなって、それが部屋の構造を頼りなく浮かび上がらせていた。

 備えつけられた四つのベッド。

 そのなかの一つが白いカーテンで囲まれている。その白は、暗闇の黒の中でひときわ映えていた。

 人影はその白い(カーテン)の前にそっと近づく。

 そして、カーテンを開くことなく——

 

 ——発砲した。

 

 小さな風音速の風が室内を舞う。

 抑制器(サンプレッサー)によって音を減らした銃弾が白い布に穴をあけていく。

 地面に落ちた薬莢(やっきょう)が、硬質な音を何度も室内に落とした。

 銃弾を撃ち込まれるたび、カーテンが揺れる。

 

 やがて、銃声が止んだころには、カーテンは穴だらけになり、その際に見えるベッドもそうなっていた。

 男はゆっくりとパースエイダーをおろし、ベッドから背中を向ける。

 

「動かないでください」

 そして、自分にパースエイダーを突きつける少女の姿を見た。

 人影はその姿を見て、ひどく動揺したようだった。「ひっ」と短く喉を鳴らし、一歩後退する。

 だが、

「キノが言う通り、動かないことを推奨するよ」

 今度はその後頭部から声を聞くこととなった。

「な…なんで」

「それは、キノが死んでないのか。それとも、なんで俺がいるのか分からないってことか?入国審査員さん。いや——————十五人目の山賊さん」

 俺はパースエイダーを構えながら、若い入国審査員にそう言った。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 赤く染まる部屋の中、彼は言った。

「————今夜、誰かがキノを殺しに来るかもしれない」

「え?」

 いったいどういう——。

 そうボクが聞くより早く、彼はボクの手に冷たい塊を乗せる。

 ボクはその重量に、その感触に。それが何であるのかを悟る。

 それは、間違えるはずもない。ボクが廃城に置いてきた『パースエイダー(カノン)』の感触だった。

 

 

   ×   ×   ×

 

「一部始終見せてもらってたよ。見事に騙されてたみたいで」

 俺はパースエイダーの銃口を男に向けながら、挑発するように言う。

 答え合わせの時間だ。

「なんで……ッ」

「そのなんでは一体どちらの意味かな?なんで自分が山賊だとばれたか?それともなんで襲撃が分かったか?そもそもなんで俺が15人目だと?じゃなければこんな室内のどこに隠れていたかか?」

俺は銃口を外さず、吐き捨てるように言う。

「時間はたっぷりあるから、ひとつづつ答え合わせしてやるよ。俺たちが隠れていたのは他のベッドの下だ。一つだけカーテンの締められたベッドを見りゃ、当然そこに(キノ)がいると思うよな。それに、暗い視界の中で白は見つけやすい目印だ。状況から示し合せ、そこを狙うだろう」

 

「次に、なぜ俺が十五人目がいるか分かったのか。それも簡単、俺が依頼の話を受けたのがこの国じゃないからだ」

 俺は依然として呆然とした顔を晒す男に言う。

「その国の情報によれば、山賊は全部で15。廃城を拠点にしてるってことになってた。でもいざ廃城に行って数えてみれば人数は全部で14人しかいない」

 全員が等しく死亡していた。だが人数が合わなかった。

「最後の一人の死体、居場所だけがどうしても分からなかった。もしかしたら山賊の情報に間違いがあったんじゃとも考えたんだけど。まぁ、それは諸事情があって深くできなかった」

 傷だらけの少年——いや、少女(キノ)がいたから。

「それで、この国に来てみれば……あら不思議。山賊の数は14人らしい。じゃあやっぱりアッチの国の情報が間違っていたのか。そう思った」

 

「思ってたんだけどな…、その後アンタの口から面白い話が出た。『なぜかこの国の人間だけが襲われない』ってな」

 よくもまぁ白々しいことを言えたものだ。

 

 正直、十五人目がこの男だと分かった瞬間は、正直驚いた。

 まさか俺にあの情報を与えてきた本人が、犯人だとは誰も思わないだろう。

「俺は、山賊がこの国の人間の乗ったトラックを襲わないように、トラックの来る日程を漏洩(なが)してる人間がいると思った」

 いつの日かの入国審査室。老人が見ていた書類を思い出す。トラックの到着時間を知らせる表を。

「まぁ、とにかくその情報を流してる人間が、滞在中に襲ってこない確証はない————……だから復讐できる時間を絞り込んだって感じで……まぁ、つまりは明日出発っていうのは嘘だ。すみませんね」

 

「それじゃあいつから俺だと……」

「ああ、ぶっちゃけそこは今この瞬間知ったって感じで。俺の予想は所長さん辺りだったんだけどな」

そこまで言うと男は小さく震えながら、顔を覆う。

「畜生…」

「とまぁ、そういうわけで……終わりだ」

男は顔を打つ向かせたまま「畜生」とつぶやき続ける。

「お前らのせいだ…。お前らが殺した」

「てことは、やっぱり俺たちが仲間を殺した復讐か」

「ああそうだ!!復讐だ!!」

 男がこぼした理由はあまりにも予想通りのもので、俺はつい眉を顰める。

 

 だが次の瞬間、男は下を向いていた顔を勢いよく上げ——

「お前らが署長を殺した————その復讐だ!!」

 ——そう叫んだ。

「は?」

 こんどは、俺たちが間抜け面を晒す番だった。

 

 男の叫びは終わらない。

「署長、あの人、あの野郎、あの糞は僕が山賊の仲間だって、僕を警察に突き出そうとしやがったんだ!!畜生!糞が、糞が!!僕がどれだけこの仕事を大事にしてたのかあの野郎分かっていないんだよ!!」

 

豹変したかのように唾を飛ばしながら叫ぶその姿は、とてもじゃないがつい前に会った人物と同一人物とは思えなかった。

 

「僕がどんだけ一生懸命働いたのか!!それを、たかだかあの程度のことで…アイツはきっと頭がおかしいんだ!!他の奴らも盗み聞きなんかしやがって!!人間のすることじゃねぇ!屑のすることだ!!人が下手(したで)に出てれば偉そうにしやがって!!なにが優しさだ!!何が恩恵だ!!(オレ)を刑務所に入れようとしたくせに!!これだから頭の悪い連中は嫌なんだよ!!自分が年上なだけで偉そうにしやがって!!わざわざ俺が話を聞いて、命令を聞いてやってるんだぞ!!それだけで十分だろ!!もっと俺に感謝しろよ!!年下の連中もだ。俺は年上なんだぞ!!偉そうにすんじゃねぇよ!年上を、俺をもっと敬えよ!!だから嫌なんだよ!自分より馬鹿な連中と一緒にいるのは!!あいつらはみんなみんな脳みそが腐ってやがる!!正しい行動が何も理解できてない!!お前らもだよ!お前らも頭がおかしいんだ!!署長を殺しやがって!!お前らがいたから署長は死んだんだ!お前らのせいで俺は署長を殺さなくちゃいけなくなった!お前らがこの国に来たせいで、依頼を成功させたせいで!!おかしいだろ!!理不尽だろ!俺に人殺しをさせるだなんて!!なんで俺に殺人なんかさせやがった!この悪魔め!死神め!!仲間を、仲間たちを返せ!署長を返せ!!そして俺に殺人をさせたことを謝れ!!償え!!そもそもなんで死んでないんだよ!!俺がベッドにわざわざ銃を使ってまで撃ったんだぞ!?なんでベッドに寝てないんだよ!!なんで死んでないんだ!おかしい、おかしいじゃないか!お前は俺がわざわざパースエイダーを使ってまでした行いを無駄にしたんだぞ!?この部屋に来るまでどれだけ苦労したと思ってる!!無駄な苦労を俺に掛けさせやがって!!これだから旅人は嫌いなんだよ!!廃城の野郎どもも、人の手を頼って他人の残飯を貪るだけの動物のくせに偉そうに俺に指図しやがって!!その癖旅人ごときに殺されやがった!!何のために俺が行商人のトラックの荷台に紛れ込んだと思ってるんだ!!ここの連中を信頼させるのにどれだけ時間を使ったと思ってる!!どれだけ苦労したと思ってるんだ!!糞が、糞が!!役立たずが!あの役立たず共が!!俺の苦労が!信頼が!!全部水の泡じゃねぇか!!」  

 

あまりにも無茶苦茶な理論。それをあたかも正しいかのように垂れ流すその瞳は狂気に染まっている。後半からは、耳に入れることさえ苦痛だった。

 

そして何より。

「……殺したのか」

 その言葉に男は鼻を鳴らし、再び口を大きく開く。

「そうだ!!さっきから何度もそう言ってるだろうがッ!!同じことを何度も言わせるんじゃねぇ!!でも間違うなよ!俺が殺したんじゃない!!お前らが殺したんだ!!お前らが(ぼく)に殺人をさせたんだ!!」

「償え、償え!!」と大声で発せられる金切り声。

 

 もういい。笑えない。この男は笑えない。

 俺は無言のままパースエイダーの引き金に掛けた指に力を入れる。

 男は涎を振りまきながら、それに気づいているのか、そうでないのか喚き続けている。

「死ねよ」

俺はそう一言言い、引き金を引こうとし——

 ————たその瞬間。男が電池が切れた人形のようにその動きを止めた。

 「は?」

 突然の出来事に、俺は指をトリガーから離し呆気にとられる。

 キノも、吃驚とした表情を男へと向けていた。

 

 その隙を突かれた。

「ッつ———————————あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」

「ッ!!」

 突然再起動した男が、キノに手を振りかざした。その手には鉄製のパースエイダーが握られている。それは弾がこもっていなくとも、一つの凶器だった。

 だが—————男よりキノの動きの方が早かった。

 早業——そう呼ぶしかない。彼女は男に向かってパースエイダーを構える。

 

 そして——

「糞が!!糞が!!殺してやる!!ぶっ殺してやる!!」

「つ!!」

 ——その手から銃を滑り落とした。

 キノの双眼が大きく見開く。

 だが、その瞳の先が捉えているものは落ちたパースエイダーではなく、目の前の男の姿。

「キノ!?」

 見たことのない顔だった。

 彼女は唇を小さくゆがませ、顔は血の気を失い、眉尻を引き合わせている。

 自分に向かって振りかざされる凶器——、いや、腕を見る彼女の表情は、恐怖で固まっていた。

 幸か不幸か。キノが体制を後ろへ倒し、地面に尻餅をつく。

 そしてその頭上スレスレを、男の凶器が通過した。

「ッくそ!!」

 俺はすかさず男の腕を狙い、パースエイダーを発砲する。

 ——殺人は駄目だ。面倒なことになる。

 そう思いながら放った弾丸は、希望通り男の腕へ収まり、鮮血を散らした。

「お゛おおお———あ゛あああああああああああああああああああああああああああああッッ!!!!」

 だが、男の動きは止まらない。

 彼は手に持っていたパースエイダーを俺に向かって思いっきり投げ捨ててくる。

 そして、自分の腰に手を当てたかと思うと、そこから新たなパースエイダーを引き抜いた。

 俺はそれが署長のパースエイダーだと直感で悟る。だが今それを知ったところで、何の利点にもならない。

「こ゛ろずぅううううううううううあ゛あああああああああああああああッッッ!!!!」

 男は絶叫とも言葉ともとれる声を喉から発し、その銃口をキノへと向ける。

「……くッ!」

 それを見届けるよりも早く、俺は駆け出す。

「キノ!!」

 

「————」

 俺は覆いかぶさるよう、彼女を抱きしめる。

 男に向かって背中を向けたため、俺の視界には必然的にキノが映ることとなる。

 こんな状況にもかかわらず、俺は「あれ?俺なんであったばかりの女の子に、こんな命張ってんだろ…」とそんなことを思った。それと同時に「あ、キノってすごい、いい匂いがする」とも。

 そしてそれらが、これから自分の身に起こる事柄への現実逃避であることも、頭のどこかで理解していた。

 

 発砲音。

 火薬が焼ける臭い。ハンマーを叩く音。

 ————肉に穴が空く。

 

 一秒未満後にやってきた激痛に、俺は唇を噛み、暴れ狂う痛覚と喉から溢れ出す絶叫を殺す。

 キノを抱きしめる腕に力が籠り、キノの口から呼吸が漏れた。

 激痛は続く。

 抑制機器(サンプレッサー)の音が鼓膜を伝い、何度も何度も脳内に響き渡る。

 そしてその音は、パースエイダーの音が止まった後も、なぜか頭の中で反響し続ける。

「サトウ…さん?サトウさん?…————サトウさん!!」

 それを、キノの声が上書きした。

 

「あ……————————はは」

 その表情はあまりにも悲痛で、悲惨で、絶望の淵を見ているような、酷いもので。

 自分という存在が今キノの心を傷付けているのだということに、加虐心にも似た歪な悦びが胸の中を満たす。

 ————やばい、——嬉しい。

 

 唇が独りでに吊り上がる。

 自分のせいで傷付いている女の子見て笑うだなんて。嬉しいだなんて。俺はおかしい。あの男の言ったとおりだ。もういっそ死んでしまった方がよっぽど彼女のためになるかもしれない。

 

 キノを抱きしめる腕から力が抜けていく。

 垂直に回転する世界。そして、衝撃。

 焼けるような熱を持った体に、冷たい床の温度が気持ちよかった。

 少女の呼び声と、男の怒声。その他にも多くのざわめきが俺の耳へと飛び込んでくる。

 

 そりゃ、これだけ騒いだら、人くらい集まるか…。

 あ、そういえばキノって怪我人だったっけ…。

 体痛くねぇかな?悪いことしたな。

 …——————。

 足元から地面がなくなっていくような錯覚が脳を浸し、黒い世界が近付いてくる。

 薄れゆく意識の中。

 

 その中で、俺は少女の声と、もう聞こえるはずのない銃声を聞いた気がした。

 

 

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 薄い薬品の臭いが鼻腔を抜ける。

 お腹にかかる重みに眼を明けると、キノが椅子に座りながらこちらを見ていた。

 そして、偶然にも目が合う。

あー、美少女はいつものジト目でもおっきく目を開いても可愛いんだなぁ。さすが美少女。略してさすびしょ。

しかしおかしい。俺は死んだはずでは無かったのか。

あれだけあの男の黒いアレでパンパン(緩和表現)されたんだ。普通死んでるだろう。

つまりこれは。

「夢だな」

なるほど、夢か。

 

……夢かぁ。

 

そうだよなぁ。夢に決まってるわなぁ。

起きたら目の前に女の子がいたとかギャルゲの世界の出来事だもんなぁ。現実でそんなこと起きるわけないもんなぁ。恋人もできず、童貞のまま死んだせいでこんな夢を見ているのだろうなぁ。拗らせてんなぁ、俺。なに分析してんだろうなぁ、俺。クソが。

 

「あの……、…サトウさん?」

 

いや、逆に考えるんだ。夢だからいいさ、と。

夢の中なら現実で出来なかったようなあんなことやこんな事が出来るのではなかろうか。

例えばキノを撫で回すとか、キノの全身を弄るとか、キノの全身を舐め回すとか。

……。

……オラっすっっげワクワクしてきたぞ。

 

「…サトウ、さん?」

 

ああ、今分かった。これは神様から与えられた最後の慈悲なんだ。

恋人もできず、清い身のまま散っていった俺への施しなんだ。

よし、そうと決まれば……行くしかないだろ新たなフロンティアに。

俺は目を見開いた。俺はもう迷わない。

どうせ死んだんだ。こうなりゃとことんいってやる。

俺は腹筋のバネを使い起き上がった。

そしてキノへと手を伸ばーー

「せねぇでやんの!?いっづぇええ!!?」

「さ、サトウさん!?」

 

なんだ!?身体が超痛ぇ!?

おいふざけんな世界。なんだ?未成年に手を出そうとしたのがダメだったのか?ほんとふざけんな、未成年に手出すって言っても夢の中でだぞ!?ポルノ厳しすぎやしねぇか!?

「まだ動いちゃダメです!手術したばかりなんですから!!」

キノが慌てた様子で、俺を手で制しようとしてくる。

って…キノ、今なんて言った?

「手、術?……あれ?もしかして俺生きてる?」

俺のマヌケな問いに、キノは一瞬はっと息を呑んだ。

そして、厳かに瞼を閉じて、言葉一つ一つを確かめるように

 

「……ちゃんと、…生きてますよ」

 

そう口にした。

「……そう、か」

そうか。生きていたのか。俺は。

「…調子はどうですか?」

「いや、大丈夫。とはお世辞にもいえない…」

「…ですよね」

正直、今生きていることすら信じられない。

なんだったら、今この瞬間背中から天使の羽的な何かを生やしたサムシングがドッキリのプラカード持って天井突き破ってネタバラシしてきても驚かないぞ俺は。

しかし、どれだけ待っていてもプラカードを持ったクソ天使が現れる気配はない。

 

「え…と、キノ。一ついいか?」

「…はい。何ですかサトウさん」

「あの後どうなった?」

 その言葉に、キノは小さくうなずく。

「あの後、男は病院に運ばれました」

「ん?」

 開口一番俺の予想と違う。そして、わずかな違和感。

 俺はキノを一度じっと見る。だが、その表情からは何も読み取ることが出来ず、俺は気のせいかと疑念を消した。

「病院?って、アイツ————ああ、だったな俺が撃った怪我か」

「……それもですがその後僕もパースエイダーを撃ちました。しばらくは警察病院に入れられるらしいです。人を殺した罪と、情報を国外に漏洩した罪、犯罪に加担した罪……その他色々。病院を出たら、少なくともこれから一生檻の中、だそうです」

 その言葉に、俺はざまぁみろと鼻を鳴らす。

 アイツに同情するような優しさは、最初から俺には持ち得ていない。

 キノを撃とうとしたんだ。これから長い余生を豚箱で過ごせばいい——本当にいい気味だ。

「サトウさんの怪我は全治に時間がかかるそうですが、命に別状はないそうです。『まるで弾が大事な器官、血管を自分の意思で避けたかのようだ』って、お医者さんたちは言っていました。最後に、佐藤さんが撃たれてから二日たっています」

 二日って…。いや、そこはさして重要じゃない。それよりも重要なのは……。

「はは……すっげぇ奇跡だな」

 実際、自分でも死んだと思ったのだが。

 あの激痛と、血液がなくなっていく感覚は今でも鮮明に思い出せるし、今でも自分が生きているのが夢なのではないかとさえ思う。

 

「あとは、依頼の達成ということで報酬金がでてます」

「報酬金…金か。夢が広がるなぁ!」

「…はい」

「なぁキノ!もし俺が治ったら一緒に飯行こう。良かったらたくさん奢ってやるよ!」

「…はい」

 その返答に、さすがの俺も違和感を感じる。

 エルメス曰く、『ただで美味しいものを食べるのが一番好き』のキノがこの話題につられないだなんて。

 

 だが俺はそれをあえて無視して話し続ける。

「何が食いたい?この国って牛肉の他に、あとサボラ……?とかなんかそういうウナギみたいなやつの料理が有名らしいぜ。少し高いらしいけど、せっかくだから食いにいこうぜ!」

「……そうですね」

「あれ、もしかして俺が寝てた間に食べちゃったか?」

「いえ……」

 微かに、キノが前髪を垂らす。

そのせいで顔面に影が差し、表情が一層分かりずらくなる。

「そっか、じゃあそこで決まりだな。あー、でもそろそろ足も欲しいと思ってたんだよな…。バイク……じゃなくてモトラド?だっけ。それも欲しいな。だとすれば、お金は多めに残しておいた方がいいか」

「そうですね…」

「でも、ホントありがとうキノ。」

「…、なにがですか」

「俺が今もこうして生きてるのは、キノが助けてくれたおかげだ————」

ありがとう。そう俺は続けようと口を動かす。

「———なにが……」

 

 だが、

 

「ん?」

「……なにがボクのおかげなんですか?」

冷え切った声と共に、その先を遮られた。

 

 

「……っキノ?」

「サトウさんはーーー」

 彼女が頭を上げる。

「———……アナタは、ボクのせいで撃たれたんですよ」

その声には深い疑念が含まれていた。

「いや、あれはべつにキノが悪いってわけじゃ——」

「ボクがあの時撃っていれば、アナタが撃たれることはなかった」

まるで事実を淡々と述べるような、自らを糾弾するような物言いに、俺は一瞬息を詰まらせる。

「あなたはボクを批難するべきはずです」

「それは————」

「ボクは。ボクはあの時、手が震えて動かなくなりました。男の表情と、振り下ろされる腕と、叫び声が……廃城の男たちと重なりました」

 あの瞬間、あの男の姿が彼女の目にはなにに映っていたのか。

「もしあの時、ボクが撃てていれば……アナタが撃たれることはなかった」

 キノはそう繰り返す。

 自責の念にでも駆られているのか、膝の上に置かれた小さな手をぎゅぅと握っていた。

「なぁ、キノ」

「はい」

 

「キノはさ、痛みに慣れてないんだな」

 俺の言葉にキノが眼を見開き、言葉を絞り出そうとする。そして、少し押し黙った後に、「そうですね」と小さくこぼした。

「今まで旅で、痛い思いをしたことなんかほとんどありませんでした。そうなる前に、終わらせられてきたので」

 その返答に「やっぱりな」と俺は笑う。

「キノがパースエイダーで男に狙いを定めたときさ、天才かよって思ったんだよ。それくらい、速かった。……それだけの実力者が、そんじょそこらの依頼ごときに後れを取るはずがねぇよな」

 つまるところ言えば、キノは痛い思いをせずに依頼をかたづけてきたのだ。

 だから、痛みに対する耐性が低い。

 長い間外に出ることなく、研ぎ澄まされてきた鋭利な痛覚。いや、普通痛覚というものはそういうものであるはずなので、彼女は何もおかしくない。

 むしろこのくらいの少女が痛みというものに慣れていたら、それはそれで大問題だろう。

 

「痛かっただろうな」

 俺はそう言って、彼女の姿を見る。

 顔に張られたガーゼ。痛々しい切れ痕の残る唇。包帯の巻かれた首元。腕。指。足首。

 衣服で隠れているが、その下も傷だらけだ。

「……そうですね」

「痛いのは怖いよな」

 彼女は微かに目を伏せた。その視界の先が、なにを捉えているのか分からなくなる。

 

「でも、キノは自分で立ち上がった。俺を、救ってくれた」

「———…でもそれは」

 もしキノがいなければ、俺はあの後鈍器で殴られるやなんやらで、満身創痍通り越してきっと死んでただろう。

 実際、あの男ならば容赦なくそれをしただろうと謎めいた確信があった。

「それは、なんだ?もし俺がキノと同じ目にあってたら、俺たぶんもう二度とパースエイダー握れなくなるぜ。だから……すげぇよ、キノは」

「アナタは撃たれた。それはボクのせいで——」

「それに、年上ってのは下にかっこいいとこ見せたがる生き物なの。女の子を身を挺してかばって、救って、そして見事に生還した俺。超かっこいいだろ。って、あー、だからさ……そんな思い悩むな」

 俺の言葉に、今度こそキノは押し黙った。

 そして俺も、言葉を吐き出すうちに、その言葉をいったい誰に向けて放っているのか分からなくなってくる。

 だから、最後に頭の中を全部リセットして、いま伝えたい言葉だけを選ぶ。

 

「ありがとう、キノ」

 ————俺は今笑えているだろうか。

 どうにも、作り笑いというモノが苦手だ。

 俺は今…ちゃんと笑えているだろうか。

 そんな一抹の不安を胸に、薄く細めた視界の中で彼女を見ていた。

 だが、そんな不安などあっという間に頭から消えた。

 キノが笑った。

「いえ、それをいうのはボクの方です。ありがとうございます————サトウさん」

 頬を緩ませ、微笑をつくった。

「……っ」

 誰が言ったか。

『普段無表情の女の子が、ふとした瞬間に見せる笑顔の破壊力はヤバイ』

 今ならその意味が分かる。

 

「サトウさん……」

「え?…あ、なんだ?」

「その、手を出して下さい」

俺は彼女の言葉に首を捻りつつ、手を出す。

すると、その上にキノが手を重ねてきた。

「……っ!?な」

心臓の鼓動が一気に早くなる。

そんな俺の内心を知ってか知らないでか、

「暖かい」

キノはそう一言零した。

その表情は、今まで見た中で一番魅力的だった。

 

女の子って汚い。なんでこう一つ一つの言動が心揺さぶってくるのか。たった一つの微笑みでこんなにも心揺らしてくるのか。

 

 俺はサッと自分の頭を下げ、片腕で乱雑に顔を隠す。

「ちょ、ちょっと…サトウさん!?もしかして傷が……」

包まれた手の暖かさが遠くなり、 キノが何か言ってるようだが気にしない。

 やばい、あっちぃ。

 顔あっちぃ。

 今自分の顔がどうなっているのかは考えるまでもない。

 とりあえず、今絶対顔上げられないわ。

 

 結局、俺が長時間顔を上げなかったせいで、キノが看護師を呼び、病院にいろいろと迷惑をかけることとなったのだが……そこは詳しくは必要ないだろう。

 

 

   ×   ×   ×

 

 

 

 俺はバイク……じゃなかった。モトラドを引きながら一人で城門を出る。

(シャバ)の空気が美味ぇ……!!」

 出る前、国の中で入国審査員の人たちが何度も頭を下げてきたりとアクシデントはあったが、無事五体満足で出国できたことに、妙なすがすがしさが胸をいっぱいにする。

 男との銃撃事件があってから、三十日…ひと月以上が過ぎた。

 入った報酬金でバイ……モトラドを購入し、鈍っていた体を元に戻すのに思った以上に時間もかかった。その他諸々入国してから違いがあるが。

 そうだな……何よりの違いは。

 

「お待たせしました」

 鈴を転がすような心地良い声が、鼓膜を揺らす。

「お、キノもお疲れー」

 一台のモトラドを押し、城門をくぐって出国する黒髪の少女。

「疲れることはまだなにもしてないと思うんですが」

「右に同じー!」

 

 呆れたようにいうその声。だが彼女の表情はどこか柔らかいようにも見えた。

 ……相も変わらない仏頂面なので、もしかすれば本当に見えただけかもしれない。

 俺はそんな声を気にせず、空を眺める。

「絶好の旅日和だな」

 城壁のない、地平線まで見渡せるような道と、澄み切った空がどこまでも、どこまでも続いている。

 風は涼しく。

 地を照らす陽光は暖かい。

 小さな花弁が、ふと吹いたそよ風に乗って、どこまでも飛んでいく。

「なぁ、キノ。次はどこの国に行くんだ?」

 

 俺の言葉に、キノは答える。

 

 





【挿絵表示】

キノ旅アニメ化記念を祝っての作品を製作中。
投稿スピードが減っていたのはこのせい。これからも続く。
とりあえず次回投稿はに二、三日後です。

自己解釈ですが、キノは痛みに滅法弱くなってそうな気がします。
師匠のところで扱かれたのも随分と昔だし、それにキノの母親に首やられてた時それだけで辛そうだったんで。

あと、念のため。
(2/3)で夕焼けのせいで顔が赤い。みたいなのは本当に夕焼けのせいで、恋愛的な意味は少しもないです。
もしよかったらもう一度読み直して見て下さい。結構力入れたとこです。

最後に。以外と地の文とかに色々さらっと書いてあったりします。皆様が少し気になっていることの答えとか。

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