ソードアート・オンライン~スコープの先にある未来へ~   作:人民の敵

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《第41話》少女の最後

 黒鉄宮地下迷宮最深部の安全エリアは、完全な正方形だ。入り口は一つだけで、中央には磨かれた黒い立方体の石机が設置されている。ユイは、石机に腰を掛けている。

 

 ユリエールとシンカーには一先ず先に脱出してもらったので、今は5人だけだ。

 

 記憶が戻った、そうひとこと言ってから、ユイは数分間沈黙を続けていた。その表情は何故か悲しそうだ。

 

 キリトは訊ねた。

 

「ユイ……。記憶が戻ったのか……?」 

 

 ユイはしばらく俯き沈黙していたが、こくりと頷いた。泣き笑いのような表情のまま、小さく口を開く。

 

「はい……。全部、説明します―――キリトさん、アスナさん、それに……レイさん」

 

「……俺の名前は言っていないはずだが……やはり、君は観察者だったか」 

 

 俺の言葉にユイは頷く。そして、四角い部屋の中に、ユイの言葉がゆっくりと流れ始めた。

 

「《ソードアート・オンライン》と言う名のこの世界は、一つの巨大なシステムによって制御されているのです。 システムの名前は《カーディナル》、それがこの世界のバランスを自らの判断に基づいて制御しているのです。 カーディナルは元々、人間のメンテナンスを必要としない存在として設計されました。 二つのコアプログラムが相互にエラー訂正を行い、更に無数の下位プログラム群によって世界の全てを調整する……。 モンスターやNPC、AI、アイテムや通貨の出現バランス、何もかもがカーディナル指揮下のプラグラム群に操作されています。――しかし、一つだけ人間の手に委ねばければならない物がありました。 プレイヤーの精神性に由来するトラブル、それだけは同じ人間でないと解決できない……。 その為に、数十人規模のスタッフが用意されるはずでした」

 

「ユイ、つまり君はゲームマスターなのか……?アーガスのスタッフ……?」

 

 キリトの質問に、ユイは暫し沈黙した後、ゆっくりと首を振った。

 

「……カーディナルの開発者たちは、プレイヤーのケアすらもシステムに委ねようと、あるプログラムを試作したのです。 ナーブギアの特性を利用してプレイヤーの感情を詳細にモニタリングし、問題を抱えたプレイヤーの元を訪れて話を聞く……。《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》、MHCP試作一号、コードネーム《Yui》。それがわたしです。

 

「じゃあ、ユイちゃんはAIなの……?」

 

 アスナは、ユイに問いかけた。

 

 ユイは、悲しそうな笑顔のままこくりと頷いた。

 

「プレイヤーに違和感を与えないように、わたしには感情模倣機能が与えられています。――偽物なんです。全部……この涙も……。ごめんなさい、キリトさん、アスナさん、レイさん」 

 

 ユイは両目からぽろぽろと涙が零れ、涙は光の粒子となり蒸発した。ユイは言葉を続ける。 

 

「……二年前。 正式サービスが始まった日、カーディナルが予定に無い命令をわたしに下したのです。 プレイヤーに対する一切の干渉禁止……。 それでも、わたしはプレイヤーのメンタル状態のモニタリングだけを続けました。――状態は、最悪と言っていいものでした……。 殆んど全てのプレイヤーは恐怖、絶望、怒りといった負の感情に常時支配され、時として狂気に陥る人すらいました。 わたしは徐々にエラーを蓄積させ、崩壊していきました……。 ある日、いつものようにモニターをしていると、他のプレイヤーとは大きく異なるメンタルパラメーターを持つ2人のプレイヤーに気付きました。 喜び、安らぎ……。 でもそれだけじゃない……。 そう思ってわたしはその2人のモニターを続けました。 会話や行動に触れるたび、わたしの中に不思議な欲求が生まれました。 あの2人の傍に行きたい……。 わたしと話をして欲しい…。 わたしは毎日、2人の暮らすプレイヤーホームから一番近いシステムコンソールで実体化し、彷徨いました。 その頃にはもうわたしはかなり壊れてしまっていたのだと思います……」

 

「それが、あの22層の森なの…?」 

 

 アスナの言葉に、ユイはゆっくり頷いた。 

 

「はい。 キリトさん、アスナさん……。 わたし、とっても会いたかった……。 おかしいですよね、わたし、ただの、プログラムなのに……」

 

 涙をいっぱいに溢れさせ、ユイは口をつぐんだ。 

 

「ユイちゃん。 ユイちゃんは、プログラムなんかじゃないよ。 私達の大切な娘だよ」

 

 アスナが口を開く。 

 

 そして、キリトはユイの前まで行き、頭を撫でてあげた。

 

「ユイは俺たちの娘だよ。 ユイはもうシステムに操られるだけのプログラムじゃない。 だから、自分の望みを言葉にできるはずだよ。 ユイの望みはなんだい?」

 

「わたしは……、わたしは……」

 

 ユイは、細い腕をいっぱいに広げてキリトに伸ばした。

 

「ずっと、一緒にいたいです。……パパ……ママ……」

 

 アスナは溢れる涙を拭いもせず、ユイに駆け寄るとその小さな体をぎゅっと抱きしめた。

 

「ずっと、ずっと、一緒だよ。 ユイちゃん」

 

「ああ……。 ユイは俺たちの子供だ」

 

 だが――ユイは、アスナの胸の中で、そっと首を振った。

 

「もう……遅いんです……」

 

 キリトは、途惑った声でユイに問いかける。しかし、ユイから返答はない。不味い、これは多分――

 

「キリト、よく聞け。その娘は恐らく……もうすぐ消滅する」

 

「どういう……ことだ?」

 

 俺は部屋の中心に視線を向け、黒い立方体の石机を指差した。

 

「恐らくその娘が記憶を取り戻したのはあの物体のせいだ。あれは、ただのオブジェクトじゃない。GMがシステムに緊急アクセスするために設置されたコンソール。 さっきのボスモンスターは、ここにプレイヤーを近づけないようにカーディナルの手によって配置されたものだ」

 

「お、おい。ちょっと待て、なんでお前がそんなことを知って――」

 

「後で説明する。いいから聞け。彼女はこのコンソールにアクセスし、恐らく《オブジェクトトレイサー》を呼び出してボスモンスターを消去した。これはカーディナルが不具合が起きたモンスターを自動的に消去する際に使用するツールだ。勿論そんなもんを使えばカーディナルはそれを検知する。その時、彼女の存在にカーディナルが注目してしまった。これが意味することは分かるか」

 

 俺は口早に言う。そして返答を聞かず続ける。

 

「他人と接触を禁じられた彼女が他人と接触した。カーディナルの命令に背いた彼女を不都合な存在と判断するのは時間の問題だ。多分、すぐに異物という結論が出され、彼女は消去されてしまう。もう時間がない」

 

「じゃあ……じゃあどうしろって言うんだよ」

 

「悲しい結論だけ言う。どうしようもできない。プレイヤーはシステムに勝てるわけがないんだ」

 

「そんな……嫌だよ……お別れなんて……」 

 

「なんとかならないのかよ! この場所から離れれば……」

 

「パパ、ママ……」

 

「「!!」」

 

 いつの間にか目を覚ましたユイがか細い声で言った。

 

「レイさんの言ったことは……全て本当のことなんです」

 

「そんな…嘘だと言ってくれよ」

 

「やだよ……お別れなんて……私はユイちゃんとたくさん遊んで、たくさんの思い出を作りたい……!!」

 

 アスナは必死に叫んだ。

 

「暗闇の中……。 いつ果てるとも知れない長い苦しみの中で、パパとママの存在だけがわたしを繋ぎとめてくれた……。パパとママの温かい心で、みんなが笑顔になれた……わたし、それがとっても嬉しかった。お願いです、これからも……わたしのかわりに……みんなを助けて……喜びを分けてあげてください……」

 

「やだよ!!やだよ!!ユイちゃん、いかないで、いかないでよ、お願いだから!!」

 

 ユイは、俺たちに微笑みかけた。

 

「ママ、笑って。 泣かないで」 

 

 溢れる光に包まれながら、ユイはにこりと笑った。ひときわ眩く光が飛び散り、それが消えた時にはもう、アスナの腕の中にはからっぽだった。 

 

「うわぁぁぁぁぁ!!」

 

 抑えようもなく声を上げながら、アスナは膝を突いた。そして、アスナの隣に立っていたキリトも、膝を突いた。

 

「ちっ……やるしかないか」

 

 俺は部屋の天井を見据え言う。そして、俺は中央の黒いコンソールに飛びついた、表示されたままのホロキーボードを素早く叩く。

 

「「レイ(君)……何を……」」

 

「カーディナルが暴走した時用の妨害コードが設定されていたはずだ。それを使えば、カーディナルの削除行動を一時的に止められるかもしれん」

 

 ここから先は狙撃兵(スナイパー)としての俺の出番は無い。現実世界でこのゲームの設計に携わった楓野柃の出番だ。

 

 俺は高速で必要なコマンドを立て続けに入力する。一個でもコマンドが間違えれば妨害失敗のバッドエンドだが……

 

 不意に黒い岩でできたコンソール全体が青白くフラッシュし、破裂音と共に後方に弾き飛ばされた。

 

「くっ!!」

 

「おい、大丈夫か!?」

 

「レイ、大丈夫!?」 

 

 3人が歩み寄って来た。

 

「ああ、削除は食い止めた。それと、副産物だ」

 

 俺は右手に握っている大きな涙の形をしたクリスタルを見せた。

 

「それは……?」

 

 アスナが俺に聞いてきた。

 

「……彼女が起動した管理者権限が切れる前に、プログラム本体をシステムから切り離して、オブジェクト化したんだ……彼女の形見とでも思っといてくれ」

 

「……うん」

 

 俺は涙の形をしたクリスタルを、アスナの手の中にゆっくりと落とした。アスナは、クリスタルを抱きしめて言った。

 

「ユイちゃん……。 そこにいるんだね……」

 

 再び、アスナの両目からは、とめどなく涙が溢れ出した。

 

 

――――――――――

 

 

「じゃあ、俺たちはこれで帰ります」

 

 俺たちを見送りに来てくれたのは、シンカー、ユリエール、サーシャと子供たちだ。 

 

「本当にありがとうございました!!」

 

 ユリエールが俺たちに、深々と頭を下げた。ユリエールにユイちゃんはどうしたの? と聞かれたがアスナがお家に帰りましたと答えた。

 

 アスナの首には、細いネックレスがかけてある。光っている華奢な銀鎖の先端には、同じく銀のペンダントが下がり、その中央に大きな透明の石が輝いている。

 

「助けてくれて、本当にありがとう」

 

 シンカーもユリエールと同じく、深々と頭を下げた。シンカーは、キバオウと彼の配下は除名したそうだ。軍も後々解散させるらしい。手間が省けて助かっt……おっと危ない本音が出そうになった。

 

「いえいえ、こちらこそ」

 

 そんな会話をしたあと、俺とキリトはアスナを置いて一旦はじまりの街を出た。そして、街をでるなりキリトは俺を睨み付ける。

 

「どういうことか、説明してもらおうか。ユイの削除を防いだことには感謝する。だが、なんで一プレイヤーにすぎないお前があそこまで《SAO》内部の事情について詳しいんだ」

 

「……あまり現実(リアル)の事情を出すのは好きじゃないが、仕方ない。俺の父親は、システムやその関係に造詣が深い人物でな。このゲームの作者、茅場晶彦とも親交があった。そして父親は茅場にカーディナルシステムについての説明をしてもらっていた。俺もそのとき一緒にそれを聞いたな。その時、茅場は言ったんだ。『カーディナルシステムは暴走しないように2つの同じシステムが相互に監視し合うシステムだが、万が一どちらも機能不全に陥った時のためにシステムの暴走を人為的に止めるコードがある』ってな」

 

「……妨害コードの存在を知っていた理由は分かった。だが妨害コード自体を知っていたのはどうしてだ」

 

 キリトはなおも追及してくる。

 

「簡単な話だ。システム内部に『メモ書き』があった」

 

「メモ書き?」

 

「そうだ、『OC』と題された文字の羅列が残っていたよ。OCは多分『Obstruction code』の略、つまり妨害コードのことさ。それを打ち込んだってことだ」

 

「だが、そんな大事なコードを消し忘れていたなんてことがあの茅場晶彦にあるとは……」

 

 しつこくないかこの黒ずくめ。

 

「言ったろう。『人為的に止める』ってな。そもそもコンソールに近づける人間なんて殆どいない。本来コンソールに触れる人間なんてそれこそGMくらいだ。コンソールを触った人間が暴走を止めるための妨害コードを知らなかったら本末転倒だろ。だからこそ茅場晶彦は残したんだ」

 

「じゃあなんでGMじゃないはずの俺たちが……」

 

「そこだ。思い出してみろ、シンカーが嵌められたのはキバオウが安全地帯近くに回廊をマークしてたからだ。ではなんでキバオウが行った時にあの死神と遭遇しなかったのか」

 

「……!!」

 

 キリトも気づいたらしい。

 

「理解出来たか?恐らくあの死神はキバオウたちがコンソールに近づいたことによって()()()()()()()()()()()()()()()()に気づいたカーディナルが産み出した門番だ」

 

「そうか、ユイがいなければ俺たちもあの死神に……」

 

「そういうことだ。コンソールに機密情報があるならコンソールに人を近づけなければいい。ここで全てが繋がったな。そういうことだ」

 

 キリトは少し唸って黙り込む。我ながら良くできた説明だ。急造の割にはいい出来だと思う。

 

「そういうことだったのか。すまなかったな、疑ったりして」

 

 キリトはそう言うと、アスナのもとに駆けていった。

 

「……まさか。言い出せるわけがないだろ、"俺がこのゲームを作った一員なんだ"なんて」




はい、『朝露の少女』編完結です。ラストはレイが持ち前のリアルチートを使ってフィニッシュという……言い訳うまいなレイ(自分で作っといて言うな)
さて、遂に次回、《SAO》編が終結します(恐らく)。後ほんの少し、浮遊城での少年少女の物語にお付き合い下さい!!
では次回、またお会いしましょう

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