「えぇ? エリカ風邪ひいたの?」
「あれ? チズさん聞いてないんですか?」
学校に来てエリカが居ないのは戦車道の朝練があるからいつものことだが、赤星さんをはじめとする戦車道履修者が戻ってきてもエリカが姿を現さなかったことは今までなかった。
赤星さんの言うように、どうやらエリカは病欠したらしい。
「珍しいことも……あっ」
そういえばあいつ、水泳の後に碌に髪も乾かさずに出て来てたな。暖かい季節だからと油断して体を冷やしたな。
もうすぐ7月になろうとしているのに何をやっているんだか。ポチのお母さんこと、隊長さんの誕生日があるから何をお祝いしようか一緒に話そうとしてたのに……
「はぁ……意外とひ弱な所は変わってないな」
「昔からそうだったんですね」
「最近は戦車道で鍛えられてると思ったんだけどね~」
人の性質なんてものはそうそう変わらないものなのだろう。
今日はエリカの居ない一日になった。
☆
「んじゃ、この書類はチーズが逸見に持って行ってやれ。提出期限が近いから必ず渡すんだぞ」
「は?」
いや、それは絶対におかしい。これは確信を持って言える。
「おいおい、教師に向かって『は?』はないだろ」
「エリカは女子寮住みじゃないですか。それだったら同じ女子寮に住んでる赤星さんだって……」
って、なんでそんなニコニコしてるんですか、赤星さん?
「それ以外でも別に……」
あの、委員長? そのニヤニヤは何でしょう……?
え? みんなもどうしてそんな目でこっちを見る。
「じゃ、そういうことで」
「あ、はい」
NOと言える日本人に、私はなりたい。
☆
「全く、なんでこうなるんだ?」
俺はエリカに届ける書類を見ながら帰路に就く。
そんな時、重大な事実に気が付いた。
「あれ? もしかしてエリカは家で寝てるんではなかろうか?」
病気に罹っているということなら普通は家でおとなしく寝ていることだろう。当然、ドアの鍵は閉めているだろうし、寝ているところをインターホンで起こしてしまうのは如何なものか。
仮に鍵が開いていたとしても、女子の部屋に無断で入るのはまずいだろう。
「まあ、それは後で考えるか」
とりぜず家に帰って、荷物を置いて、一息ついてから女子寮に向かうことにした。
我が家は寮よりも学校に近いという神物件なので、一度家に帰っても手間にはならないのだ。
電子ロックの暗証番号を打ち込んでドアを解錠……
「ん?」
したはずが、鍵が開くときの「ガチャ」という音が鳴らなかった。
家を出るときに鍵を閉め忘れたのだろうか? 学園艦とは言え、不用心は危険が一杯だ。次からは気を付けなければ。
ドアを開けて靴を……
「んんん?」
一人暮らし用の狭い玄関には自分のものではないローファーが転がっていた。靴をそろえる余裕すらなかったのだろうか。
そのローファーは学校指定のローファーであり、うちの生徒であることが伺える。そして、我が家に勝手に転がり込む黒高の生徒となれば、その正体は自ずと知れるというものだ。
「何やってんだ、エリカ」
部屋にいるであろう人物の名前を呼ぶが返事は返ってこない。
「って、ここで寝てるし」
今度は先ほどよりも声を潜める。
「柴さん、ただいま」
声を潜めて柴さんに帰ったことを伝える。柴さんもエリカが寝ていることを理解しているのか、走り回ったり吠えたりして騒ぐことなく、またエリカにのしかかって寝ることを邪魔したりせずおとなしくしている。
えらいぞ。
ベッドでは熱のためだろうか、寝苦しそうに表情を歪めているエリカがいる。その傍には投げ捨てられた上着と近所の病院の名前が書かれた薬袋が置かれている。
推測するに、病院に行ったまではいいものの、寮に帰ることすら辛くなったエリカは俺の家に転がり込んだ、といったところだろう。
「ん、んん……チズ、ル……?」
「あ、スマン。起こしちまったな」
「悪いわね……ベッド借りてるわよ……」
「良いから寝とけ寝とけ」
どうやらドアの開閉音やさっきの独り言でエリカを起こしてしまったらしい。悪いことをしてしまった。
辛いだろうに、律儀にも体を起こそうとしているエリカに声をかける。
「のど渇いてないか? ポカリ買ってきたぞ」
こんなこともあろうかとお見舞い用に買ってきたポカリが無駄にならずに済んでよかった。
「うん……欲しい」
「はいよ」
いつもより素直なエリカに調子を狂わされながらも、そういえば昔もこんな感じだったと懐かしく思いながらコップにポカリを注ぐ。
あ、コップのままじゃ飲みにくいだろうからストローも差してやるか。
「ほれ」
「ありがと……」
いつからエリカがここで寝ていたのかはわからないが、きっと水分は全然とっていなかったのだろう。はじめは使っていたストローは横に避けてコップに口をつけてゴクゴクと飲み始めた。
無用な気遣いだったか……
「食欲は? うどんかおかゆかハンバーグならすぐに作れるが」
「おかゆ」
「はいはい」
流石のエリカも今の状況ではハンバーグは食べられないか。
「そんじゃ今から作るからゆっくりしてな。寝ちゃっててもいいぞ」
「うん」
ベッドからはエリカの寝息が聞こえてくる。
どうやら相当しんどいらしい。さっきまで会話していたのにもう眠ってしまった。
「さて、作るとしますかね」
俺はエリカの寝息をBGMに冷凍ご飯の解凍作業に入った。
☆
「エリカ。エリカ、起きられるか?」
「……なんとか……」
おかゆを作り始める前に見た時よりエリカの様子は幾分かよくなったようだ。顔色も良いし、気だるげだった表情も柔らかくなっている。
「食えそうか? なんなら食べさせてやろうか?」
「それは必要ない」
「ああ、そうですか」
エリカにおかゆを手渡す。
やれやれ、エリカが熱を出したら昔は俺が食べさせてあげたもんだがなぁ……
『大丈夫エリちゃん?』
『うー……チズぅ……』
『はい、あーん』
『アッつぅい!!』
うん、懐かしい記憶だ。
「……たまごがゆ……?」
「うまかろう?」
「うん、おいしい」
そうかそうか、それはよかった。
俺も一緒に夕飯をとることにしますかね。3人分作ったおかゆのうち2人分は俺の取り分だ。流石に一人分のおかゆだけでは育ちざかりの高校生の胃を満足させることは難しいからな。
それからエリカのおかゆを食べるスプーンのスピードは落ちることなく米の一粒残すことなく続いた。
二人分の食器と鍋を洗い終えてリビングに戻ると食後の暖かいお茶を飲むエリカの姿がある。
うん、ご飯も食べてほとんど回復したようだ。やっぱり食欲があればなんとかなるもんだ。隊長さんの誕生日もあるし、早く治しておかないとな。
「もう大丈夫そうだな」
「ええ、ずいぶん楽になった」
「そりゃよかった」
一仕事終わらせて座椅子に座ると、待ってましたと言わんばかりに此のさんと木のさんが体を押し付けてくる。
こらこら、散歩はちゃんと後で行ってやるから待っててくれ。
「世話になったわね」
ベッドから立ち上がり、俺がハンガーにかけてぶら下げていた上着を着ることなく手に持って帰る支度をする。寒気も収まったようで何よりだ。
「気にすんな。なんなら泊まっていくか?」
「冗談。それに、明日の朝家に戻って学校の準備をするなんて面倒よ」
「そら残念」
別に本気で言っているわけではないが、ジェスチャーで残念がってる風を装う。ちょっとした戯れである。
「じゃあね、また明日。今日は助かったわ」
「おう、また明日な」
エリカはドアノブに手をかけたところで止まって振り返る。
「……ありがと」
「どういたしまして」
そう言うとエリカは自分の住む寮へ帰っていった。
次は元気になったエリカに月見ハンバーグでもふるまってやるか。