「ヴィンセントさんヴィンセントさん! 漸くエイナさんから許可を貰えましたよ! 1階層なら行っていいって! これで僕もダンジョンに行けるんです! やったぁ~!!」
興奮冷めやらぬといった様子で部屋に飛び込んできたベルに、ヴィンセントは読んでいた本から顔を上げ、やれやれとばかりに息をついた。彼はパタンと本を閉じて立ち上がると、肩で息をするベルの頭に軽く手刀を落とした。
「気持ちは分かるが少し落ち着け。浮かれた状態でダンジョンへ行っても痛い目を見るだけだ」
「痛っ……!? はっ、はいぃ……!」
そんな言葉にベルは涙目になりながら頷いた。一方のヴィンセントはそんな彼を見て、無理もないかもしれんと内心で溢す。
ベルが冒険者となって今日で五日が経過する。しかし、これまで彼がやっていたのは担当アドバイザーのエイナと共に、ダンジョンについて勉強することであり、実際に挑むことは彼女から止められていたこともあって出来なかったのだ。ダンジョンに挑めるのに挑めない、英雄を目指すベルにはそれがどれだけもどかしいことであったかは想像するに難くない。
それが今日漸く許可が下りたともなれば、先程の興奮も仕方のないことだろう。例え1階層だけでも念願のダンジョンに挑める、お預けを受け続けたベルにはこの上ないご褒美だった。
「少し準備をする。ベル、貴公も準備は必要だろう? 終わり次第、もう一度ここに来てくれ」
「は、はい!」
バタバタと出ていったベルを見送り、ヴィンセントもダンジョンへ行くための準備を始める。いつもの黒いコートに袖を通し、同じように黒の帽子を深く被る。そして腰のポーチには
「まぁ、上層ならここまで念を入れる必要はなさそうだがな」
ポツリと呟いたヴィンセントは再び本を手に取った。そのおよそ十分後、先日買い揃えた装備を身に付けたベルが、バタバタと足音を立てて姿を現す。要所をサポーターで守り、腰にナイフとショートソードを下げるその出で立ちは、誰が見ても立派な冒険者のそれだ。
「お待たせしました!」
「よし、では行くか」
歩き始める二人。向かう先はダンジョンへと通じるバベル──ではなくリビング。そこのソファーで昼食の食休みをしていたヘスティアの下である。
「神様、神様!」
「ん~? どうしたんだいベル君?」
「僕、漸くダンジョンに行けるようになったんです! だから今からヴィンセントさんと一緒に行って、その、えっと……頑張ります!」
目を輝かせ、ヘスティアにそう宣言するベル。そんな彼にヘスティアはふっと微笑みを浮かべると、すぐに真剣な表情となって彼を見つめた。
「いいかいベル君、ヴィンセント君がいるから大丈夫だとは思うけど、無茶だけはしちゃ駄目だぜ? ダンジョンってところはきっと、君やボクが思っているよりもずっと危ないところだろうからね。だから無茶だけはしないで、絶対に帰ってきてくれよ。君は……ボクの大切な
「っ……はいっ!」
ヘスティアの言葉を胸に刻み、ベルは力強く頷いた。
家族を失う悲しみはベルも知っている。育ての親である祖父が亡くなったと聞いたとき、彼は何度も何度も涙を流した。悲しみに明け暮れ、生きる気力もなくしかけた程である。そんな思いを、ベルは敬愛する主神に抱かせたくはなかった。
「神様、僕は必ず帰ります」
ヘスティアと人形に見送られて
▽△▽△
「ここが……オラリオの
地下迷宮1階層。『始まりの道』と呼ばれる大通路に立ったベルは、目の前に広がる薄青色に染まった壁面と天井を見て呆然と呟いた。長く、広く、そして複雑なこのダンジョンに自分は漸くやって来たのだ、と。そう考えるだけでにやけそうになる頬をベルは必死で我慢する。
「さて、まずはモンスターを見つけるぞ」
そう言って歩き始めたヴィンセントの背中を、我に返ったベルは駆け足で追いかける。1階層のマップは全て記憶しているのか、ヴィンセントの動きには迷いというものが見られない。
数分後、辿り着いたルームでは数体のモンスターが『グルルル……』と唸り声を上げていた。鋭い牙と爪を持つ犬頭のモンスター、『コボルト』である。エイナの指導のお陰か、ベルにはすぐにその名前が分かった。
「数は三、初陣にはちょうどいいな。ベル、いけるか?」
「……はい!」
深呼吸をして心を落ち着かせ、ベルはゆっくりと腰の後ろからナイフを引き抜いた。二〇
コボルトが振り返った瞬間、ベルはその喉笛へナイフを突き立てた。そしてそのまま体重を乗せ、コボルトを思い切り地面に押し倒した。
『──ッ! ────ッ!!』
「くっ……! このぉ……!」
バタバタと声を出す代わりに暴れ回るコボルト。力負けしそうになったベルは喉に刺さったままのナイフを両手で引き抜き、今度は眉間目掛けて力いっぱい振り下ろした。手に伝わる生々しい感触と共に息絶えるコボルト、しかしベルが安心する暇はなかった。
『『グルァアアアア!!』』
ルームにいた他のコボルト達が目を血走らせて襲い掛かってくる姿に、ベルは「うわぁああ!?」と驚きを露にした。体を反らし、迫る爪をギリギリで避けることに成功するが、勢いのあまり地面をゴロゴロと転がってしまう。しかしベルは素早く立ち上がるとナイフを構え、キッとコボルトを睨んだ。
『ガルルルッ!』
「負ける……かぁ!」
振り下ろされた一撃を体を捻ることで躱し、戻る勢いを利用してコボルトの胸をナイフで斬り裂く。怯んだことで生まれる隙、そこをベルは見逃さず、コボルトの顔面へと握り締めた拳を全力で振り抜いた。
「ぁああああああああああ!!」
『グガァ!?』
殴られたコボルトは綺麗に吹っ飛び、勢いのまま地面を滑っていく。そんな相手にベルはすかさず追い討ちを仕掛けようとする──が、邪魔をするように三体目のコボルトが彼の前に立ち塞がった。思わぬ事態にベルは足を止める。
だがそれも一瞬のこと。短く息を吐いてから膝を曲げ、バネのように飛び出したベルはコボルトに肉薄し、一体目と同じように喉元を一撃で穿った。更にそのまま刺さったナイフを振り上げ、返り血が降り掛かるのもお構い無しにコボルトの顔面をバッサリと両断する。崩れ落ちる頭の裂けたコボルトの死体、ベルはそれに目もくれず、最後に残った一体に意識を向けた。
『グルル……グルルルル……!』
「はぁ……はぁ……! お前で……最後だっ!」
鮮血の伝うナイフの切っ先をコボルトに向け、ベルは地面を蹴った。息が切れているのも気にせず細かくステップを踏んでコボルトを翻弄し、腕や胴体へ確実に傷を負わせていく。時折繰り出されるコボルトの攻撃も、ベルは躱すか腕に装備されたサポーターで防いでいた。
その動きはまだ未熟だが初めてダンジョンに挑む者のそれではない。最後の一体だからこそ確実に仕留める、そんな意志が彼の挙動から見て取れるのだ。恐らく誰が見ても彼のことを、まだ冒険者となって五日目の新米だとは思わないだろう。
隙をついてコボルトを蹴り飛ばしたベル。彼はそんなコボルトの掌をナイフで地面と縫い合わせると、馬乗りのままで下げていたショートソードをゆっくりと抜き放った。輝く銀色の刀身に歪んだコボルトの表情が反射する。
そして──ベルはそれをコボルトの胸に突き立てた。
「はぁ……はぁ……」
『ガッ……ァ……!』
急所たる胸の魔石を砕き、無事に最後のコボルトを打ち倒したベル。立ち上がり、血を払ったナイフとショートソードを鞘に納めて息を整えた彼は、
「ヴィンセントさん、どうでしたか……?」
「初めてにしては上出来だ。よくやったな、ベル」
ヴィンセントはそう言いながらポンポンとベルの頭に手を置いた。手解きを受けた師より及第点を貰えたことで、ベルもまた破顔してほっと息をついた。
「良かった……。二体同時は驚きましたけど、ヴィンセントさんに比べたら動きも遅いし、どうってことなかったです」
「頼もしいな。しかしベル、貴公は今三体のコボルトを殺した訳だが、"敵を殺した"という今の感覚には早く慣れることだ。ダンジョンでは一々気にしている余裕はないぞ。冒険者とはモンスターを狩る存在、故にそういうものだと割り切る他にないのだから」
そんな言葉にベルは先程まで得物を握っていた右手に視線を落とした。その手にはまだコボルトを刺した時の肉を抉る感触が残っており、また血の匂いがこびりついている。僅かに震えるその手を握り締め、そして振り返れば地面に転がるコボルトの二度と光が宿ることのない目と、彼の揺れる瞳がピタリと合った。
沸き上がる罪悪感に似た感情を、ベルはこれがヴィンセントの言う"慣れるべきもの"なのだと理解した。目を閉じ、すぅと大きく息を吸って深呼吸を繰り返す。ざわめく心を切り替え、感情を制御し、そして目の前の先達を静かに見据える。
「……はいっ!」
こくりと大きく頷く頃には、その手の震えは止まっていた。迷いの消えたベルの表情にヴィンセントは満足そうに頬を緩める──直後、ピキピキと卵の殻を割るような音が辺りに木霊した。
「な、なんですか……!?」
「ダンジョンがモンスターを産む音だ。ベル、後ろを見てみろ」
ヴィンセントの言葉に慌てて振り返るベル。そこで彼が見たのは
ダンジョンはモンスターの母胎である。
エイナとの『勉強会』で知識としては理解していたベルだが、実際にその場を目の当たりにすると思わず目を見開いて動きを止めた。産まれたゴブリンの数は四、威嚇をしているのか、『ウウウゥ……』と唸り声を上げている。それでもゆっくりと、だが確実にジリジリと距離を詰めてくる様子に、ベルははっとなってすぐさまナイフを抜いた。
「連戦だな。ベル、焦ることはない。やり方はさっきと同じだ。一体ずつ確実に、複数を同時に相手することだけは注意しろ」
「っ……りょ、了解です!」
ベルはパンと頬を叩き、疲れた体に鞭を打ってゴブリン達目掛けて勢いよく飛び出した。そんな彼にゴブリン達も殺意を滾らせ、鋭い爪を天へと掲げてベルへと走り始める。
──英雄を目指すならこのくらいの障害は乗り越えて見せろ
内心で己をそう奮い立たせ、ベルはナイフを握る手に力を込めた。
狩人様の英才教育により、ベル君は着々と『よい狩人』への道を歩んでいます(白目)。
ただし、立ち回りや技術にはまだまだ荒削りなところもありますし、戦い方を意識しすぎてかなり疲れやすいです。これが息をするように出来るようになれば……へっへっへっ……。