今回は日本海軍サイドの話と伏線のばら撒きについて。
カリカリカリカリッ……
ここは日本本土、深海棲艦からの侵攻を防ぐ海軍の総本山ともいえる横須賀鎮守府の執務室である。
調度品は飾り気はほとんどなく、実用性を重視する使用者の性格が見て取れる。
壁には地図がかかっており、そこに手書きで前線や補給線が書き足されている。その補給線は伸びきり、苦しい現在の戦況を克明に記していた。
そんな執務室の重厚な執務机で書類に筆を走らせる男が1人。
齢60ほど、しかしその覇気のみなぎる身体は老いを感じさせない。この男こそ日本海軍の頂点に立つ、中條信一元帥その人であった。
「閣下、ショートランド泊地からの報告書です」
「うむ、ごくろう」
秘書艦である大淀から書類を受け取る中條元帥はその内容に目を通すと、露骨に顔をしかめた。
「またか……」
思わずため息が漏れる。
そこには輸送船弾の護衛任務成功という戦果が記されていたが、その隅には駆逐艦娘3人の被害が小さく書かれていた。需要の約3ヶ月分の戦略物資の輸送成功ということが大々的に書かれており、駆逐艦娘3人の被害を惜しんでいる様子はない。損失分の補充を願うというだけだ。
中條元帥は頭が痛くなったが、何もそれはショートランド泊地だけの話ではない。
やれ外国人艦娘や駆逐艦娘は全滅しましたが大型艦は無事です、だの。やれ外国人艦娘や駆逐艦娘は犠牲にしましたが戦略物資は無事です、だの……そこかしこからそんな報告がさも当たり前のように上がってくる。あまりにも容易に犠牲を出し過ぎだ。
確かに少数を犠牲にして大きな戦果を得る、というのはある。中條元帥とてそんな経験がないわけではない。だが、最初から犠牲を強要するようなことなど戦術上の『外道中の外道』だ。その外道が限定的・例外的に行われるのならまだ話は分かるが、今はそれが蔓延し、頭の痛いことに外国人艦娘や駆逐艦娘を使って敵を誘引したり、撤退時の殿として特攻を命じる、別名『捨て艦戦法』と呼ばれる戦法が常道化してしまっているのである。
確かに戦艦や空母、重巡といった大型艦になればなるほど適合者の数は少なくなり、その戦闘力も絶大だ。彼女ら大型艦は深海棲艦との戦いの主力である。
逆に小型艦、特に駆逐艦は適合者の数が多く、10歳ほどの少女ですら適合者となりえるため、大型艦娘とは比べ物にならないほどに補充は容易である。
しかし……彼らは分かっているのだろうか?
そういやって犠牲にしている彼女たちが、『艤装を纏い戦うことのできる人間の女の子』であるということに。
「あやつら……人が木の股から産まれてくるとでも思っとるのか?」
少女たちが成長し、子を産み、育むことではじめて『人』は増えるのだ。その生産者である少女たちをこんなにも簡単に戦争で消耗していて、一体どこの誰が次代の『人』を産み育んでくれるというのだろう?
「しかし……それでいて一定以上の戦果はあげているというのがまた、憎たらしい」
「まぁ……これだけ頻繁に犠牲を出しておきながら結果を出せないようではよほどの無能ですから。
そんなの、それ以前の問題です」
正直、平気な顔で『捨て艦戦法』を駆使するような提督など罰してやりたいと中條元帥は心の中では思っているが、そういう提督たちもしっかりと結果は出しているあたりタチが悪い。おかげで叱責するわけにもいかず、悪循環は続いていく。中條元帥と、彼の心中を良く知る大淀は揃ってため息をついた。
中條元帥は考える。一体、いつからこんな流れになってしまったのか?それは15年ほど前からの戦況悪化が原因だ。
深海棲艦が現れてからすでに100余年の時を、人類はこの戦争に費やしている。深海棲艦は同時多発的に全世界の海に現れたが、沿岸防衛線を突破しインド・中央アジア周辺から一群のユーラシア大陸への上陸を許してしまう。そしてそのままその一群は数を増やしながら西進、ヨーロッパ方面へと進撃し激しい攻防戦ののちに欧州が陥落。同時にアフリカ大陸も北部から南下して制圧していった。そしてそんな深海棲艦のヨーロッパ・アフリカ方面軍ともいえる一群が制圧をほぼ完了し東進を始めたのがおよそ15年前のことだ。
ユーラシア大陸の陸地では深海棲艦東進軍に対し中国・ロシアといった国家がおびただしい血を流しながら抵抗するなか、インド洋を東進する深海棲艦東進軍の大艦隊に対して、日本海軍は必死の防戦を決意。しかし日本は元々が太平洋の深海棲艦の一群と戦っており、全戦力をその深海棲艦東進軍との戦いに投入するわけにはいかなかった。
そのため最精鋭ともいえる者たちを抽出して決戦に臨んだのだが……深海棲艦東進軍の大艦隊はなんとか退けたものの、その代償としてこの作戦に参加した優秀で経験豊富な提督と艦娘がほぼ全滅してしまう。それによって、特に指揮官側である提督の人材が払底してしまったのだ。その深刻さの度合いは、戦時を理由に教養課程を削りに削って、ヒヨッコのまま戦場に出さざるえないほどであった。
そんなヒヨッコ提督たちも、それでも提督を志す一般的には優秀に分類される人間だ。自らが死なないために、文字通りの死に物狂いで勉強を行う。過去の海戦で勝利した時の戦術を研究し、それを生かそうというのだ。勉強熱心は大いに結構なことであるが……この時に目についてしまったものが悪かった。
ヒヨッコ提督が活路を見出したのが15年前の深海棲艦東進軍の大艦隊を退けた海戦だったのだが、このときに使った戦法というのが『捨て艦戦法』だったのである。
命を捨ててでも国を護ろうとした提督と、提督たちと心を同じくした自ら特攻を志願した艦娘たちによる『限定的な外道戦法』として例外的に行われた『捨て艦戦法』……それをヒヨッコ提督が試してしまい、しかも大きな戦果をあげてしまった。そうなればヒヨッコ提督たちがこぞって真似をし始める。そしてそのヒヨッコ提督が先輩になり、さらに後輩提督たちに『捨て艦戦法』を伝授して、後輩提督たちも実践する。それによってこの『限定的な外道戦法』だった『捨て艦戦法』がいつの間にか常道化してしまったのだ。
彼らは被害が少なく戦果をあげれる有効な戦法だと思っているだろうが、それは違う。
目には見えず、もっとも補充に時間のかかるだろう『人的資源』という希少資源を削ることで戦果をあげているのだが、それを正しく理解していない。今の状態など、未来のための貯金を切り崩しながら生活しているようなものだ。そしてその先にあるのは、避けられない『破滅』という結末である。
しかし、それを憂う良識と見識を持つものはあまり多くはなかった。
「日本は……いや、世界は……あとどれだけの間もつのだろうか……?」
「……私には分かりかねます、閣下」
中條元帥の言葉に、中條元帥の思想の理解者でもある大淀は言葉を濁した。
日本も、そして世界も無限にこんな戦争を戦い続けられるわけではない。今の100余年もの間もたせているのが奇跡だ。対して深海棲艦は初めて現れた100余年前からその勢いは変わらないという。今のままでは、いつか確実に人類は……『絶滅』する。
『何か』が……この流れが変わる大きな『何か』が、人類には必要だった。
「ふぅ……すまない、今のは聞かなかったことにしてくれたまえ、大淀くん」
「はい閣下、私は何も聞いていません」
こんな気弱な発言を海軍のトップがしたとなれば士気にも関わる。それを理解している大淀は何もなかったこととして、次の書類を用意した。
「閣下。
ご子息からの……トラック提督からの報告です」
「うむ」
中條元帥は頷いて書類を受け取る。
中條元帥に長く秘書艦として仕え、彼の思想を理解している大淀はいわゆるデキる女である。
中條元帥の息子である中條義人提督は、幼少のころから中條元帥の思想を教え込んできた。中條元帥と同じく世界の未来を憂う良識と見識のある立派な提督で、『捨て艦戦法』など決してしない。それでいてしっかりと戦果をあげているという理想的な提督である。彼からならば中條元帥を悩ませるような報告書ではあるまい。だから先の報告とで嫌な気分になっているだろう中條元帥の気を紛らわせようと気を利かせ、大淀は順番を変えて次はトラックからの報告書を見せることにした。
しかし、それを受け取った中條元帥の顔が険しいものに変わっていく。
「あの……どうなさいましたか?」
「……いや、少し気になる報告を見つけたのでな」
そう言って中條元帥がその部分を見せてきたので、大淀はそれに目を通す。
それは行方不明だった駆逐隊の艦娘の一部が発見されたという内容だった。
なんでも夜間偵察に出た駆逐隊が未帰還となり周辺を捜索、するとその駆逐隊に所属していた艦娘の1人の遺体を発見したというものである。周辺に敵の痕跡はなく、発見された遺体は上半身のみの状態で下半身は千切れていたが、やけどはないという。
……確かにおかしな話である。敵の火砲で吹き飛ばされたとしたら当然やけどがどこかにあるはずだ。深海棲艦に喰われたにしても、戦闘の痕跡がほとんど感じられない。何よりも遺体が『綺麗』すぎる。深海棲艦に喰われたのなら良くて腕や足の一部、普通はミンチになって深海棲艦の腹の中だ。
では何らかの事故に巻き込まれた、とも考えたのだが駆逐隊が丸々消えるような、そしてこんな遺体が残されるだろう事故というのが思いつかない。
だが同時に、確かに奇妙な話ではあるが、こうは言ってはなんだが駆逐隊1つが全滅したくらいで中條元帥がここまで過剰に反応しているというのが大淀にとっては一番奇妙だった。
やがて、考え込んでいた中條元帥は静かに大淀に指示を出す。
「大淀くん。
すまんが今すぐ、これと同じような奇妙な事件がここ最近に起きていないか調べてくれんかね?
他の仕事はすべて後回しでかまわない」
「……わかりました」
最優先でという中條元帥の指示にやはり奇妙なものを感じたものの、大淀は一礼して仕事のために執務室を出る。1人になった中條元帥は、机の奥から木の箱を取り出すと、その箱を開けた。そこに入っていたのは石だ。『太陽をかたどったような円と射線、そしてそれを四分する十字の溝の入った石』が入っている。
中條元帥にとっての大切な、生涯のお守りであるそれを手に取ると、中條元帥は若きあの日のことを思い出す。
中條元帥はその昔、海で死を覚悟した。
人員輸送のための船に乗り、そこに深海棲艦が襲撃、艦娘たちの奮戦虚しく船は沈没した。艦娘たちの必死の戦いのおかげで深海棲艦が直接喰らいにくることこそなかったが中條元帥は海に投げ出され、死を覚悟した。
しかし、中條元帥は死ぬことなく、ある島に流れ着いた。そしてそこで『彼女たち』に命を救われたのである。
人心地つき、『彼女たち』が一体何なのか理解した当時の若い中條元帥は必死で、『彼女たち』に人類への助力を願い出た。一緒に再び深海棲艦と戦ってほしいと願い出た。
しかし、『彼女たち』からの答えは意外なものだった。
深海棲艦は本当の絶望ではない。『彼女たち』は深海棲艦が現れ出した100余年のその昔、その『真なる絶望』の方を封印し、今は身体を癒している最中なのだと語った。いつか封印が解け、『真なる絶望』が復活するその時に再び戦うために今は人類に助力できない、と言われたのだ。
深海棲艦だけで人類はすでに窮地に立たされているというのに、それ以上の絶望の存在を聞かされ、目の前が真っ暗になったのをよく覚えている。
そして、そんな絶望する中條元帥に『彼女たち』は言った。
「『この世界に2つの『希望』が現れる。それまでは絶望の封印はもたせてみせる。
そして絶望が姿を現したその時こそ、2つの『希望』とともに再び人類とともに戦いましょう』
……思えば、随分と昔の話だ」
中條元帥は苦笑いをする。
思えばその言葉を、『彼女たち』の語った『希望』の存在を信じてがむしゃらに戦い続け、この元帥という地位にまでたどり着いたのだ。それは中條元帥にとって人生を変えた出来事だった。
一しきり苦笑すると、中條元帥は顔を引き締める。
「あの奇妙な事件……深海棲艦とはどこか違う事件が、『彼女たち』の言っていた絶望の前兆なのかもしれん……」
少なくともその可能性がある。
中條元帥はそのまま窓から空を仰いだ。
「どうか人類の前に、あの言葉通りに2つの『希望』と『彼女たち』が現れてくれることを……」
そんな短い祈りの言葉は、誰にも届くことなく空に溶けた。
名前でピンとくる人の多い元帥です。
彼を助けてくれたのは誰でしょうね(棒)
次回もよろしくお願いします。