どのポケモンと一緒に旅へいくか迷っていた彼は、あるポケモンと出会いを果たす。
そして、旅立ちの日。
コウタがパートナーに選んだポケモンは──
「──いってきまーす!」
母親に声を掛けながら、一人の少年が家から飛び出した。
青い野球帽のツバを後ろに回し、快活な笑顔で道を走っていく。
彼の名前は、コウタ。
最近、マサラタウンに引っ越してきた少年である。
コウタの父はポケモントレーナーで、その関係でコウタ本人もポケモンが大好きだ。
今日も、コウタはポケモンを見るために、オーキド研究所へと赴く。
「ごめんくださーい」
「おお、こんにちは」
「こんにちは、オーキド博士!」
ドアを開いて迎えてくれた、白髪が目立つ白衣を着た男性。
彼こそが、知らぬ人などいないオーキド博士だ。
引越し初日に、コウタがポケモンに興味があると知ったオーキド博士は、こうして研究所に招いてポケモンを見せてくれるのである。
彼に続いて研究所に入り、ポケモン達が過ごしている庭に向かう。
「そういえば、コウタもそろそろポケモンを貰える歳じゃな」
「うん、そうなんだー! どのポケモンにしようか毎日悩みすぎてママに怒られてるよ」
へへっと鼻の下を指でこすると、目を輝かせるコウタ。
一週間後にコウタは十歳となり、トレーナー資格を手に入れる事ができる。
その際、オーキド博士から初心者用のポケモンを貰えるのだが、コウタはどのポケモンを貰うか決めあぐねていた。
希望に満ち溢れた未来の若者を見て、オーキド博士は優しい微笑を零す。
「じゃったら、今日はコウタのパートナーになるかもしれないポケモンを見にいこうかのう」
「おお! 見たい見たい!」
はしゃぐコウタを宥めながら、庭の一角に連れてきたオーキド博士。
そこには、木陰の下で休んでいるフシギダネがいた。
背中の種を揺らすと、フシギダネは瞑っていた目を開けてあくびをする。
「えっと、このポケモンはフシギダネだっけ?」
「そうじゃな。では、ここでコウタに問題じゃ。フシギダネは何タイプじゃ?」
「えーと、たしか……草タイプ!」
首を捻っていたコウタは、ぱっと顔色を明るくして手を上げた。
対して、オーキド博士は微笑んで頷く。
「正解じゃ」
「よっしゃー!」
「ただし、フシギダネにはもう一つタイプがある。それはなにかわかるかのう?」
「えっ?」
ガッツポーズを取っていたが、その言葉を聞いて目を見開いたコウタ。
微睡んでいるフシギダネに顔を向け、じーっと見つめていく。
「ポケモンには、二タイプを持つものもいるのじゃ。フシギダネも、それに含まれるんじゃぞ」
「うーん……虫タイプ?」
首を傾げてコウタがそう告げると、フシギダネが目を細めて鳴き声を上げた。
俺のタイプを間違えるな、と言わんばかりに。
「はっはっは。正解は草と毒タイプじゃ。トレーナーになるんじゃから、ポケモンのタイプは覚えておかなければならんぞ?」
「わ、わかってるよ! 今のはたまたま、次なら当てられるから!」
いーっと歯を見せつけ、コウタはオーキド博士を置いて駆け出す。
「どこに行くのじゃ、コウタ?」
「早く次のポケモンを見せてよ、オーキド博士!」
「じゃったら、この先の池に行こうかの。あそこなら、ゼニガメがいるじゃろうし」
「ゼニガメは知ってるよ! 背中に甲羅があるカメみたいなポケモンでしょ」
振り向いて胸を張ったコウタは、再び踵を返して池の方へと向かう。
「子供は元気があっていいのう。老骨には堪えるわい」
オーキド博士は眩しそうにコウタを見ていたが、頭を振るとその輝く背中を追いかけるのだった。
♦♦♦
オーキド研究所で、たっぷりとポケモンを堪能した後。
そろそろ日が落ちる頃なので、コウタは研究所を後にして帰路についていた。
機嫌よく鼻歌を歌いながら、スキップを披露する。
「いやー、ポケモンめっちゃカッコよかったなぁ」
瞼を閉じれば、容易に蘇るポケモン達の姿。
池を楽しそうに泳いでいたゼニガメや、水面を跳ねていたコイキング。
周りにはナゾノクサ等が水を飲んでおり、可愛いポケモンにコウタは頬が緩みっぱなしだった。
また、別の場所に行った時には、サービスしてくれたのか、ヒトカゲが火の粉を吹いてコウタを興奮させた。
あのカッコよさに、選ぶポケモンはヒトカゲにしようか迷うほどだ。
「でも他のもいいんだよねぇ」
つるのムチで演舞を魅せたフシギダネや、一緒に泳いで遊んだゼニガメ。
彼等も大変魅力的であり、中々これだと選べないでいる。
「どーしよっかなー……あれ?」
足元の小石を蹴飛ばすと、右方向に逸れてなにかにぶつかった。
首を傾げて近寄ったコウタは、思わず目を大きく見開く。
「これって!?」
慌ててしゃがみ込み、そっと抱きかかえる。
浅い呼吸を繰り返し、衰弱している様子を見せるそれは──
「早く怪我を治さなきゃっ!」
──片耳がない、ポケモンだった。
♦♦♦
コウタは急いで家に向かい、母親にポケモンの治療をしてもらった。
父親の職業の関係上、家にはきずぐすりを始めとした治療道具があったと覚えていたからだ。
テーブルの上に敷いたタオルにポケモンを寝かせ、コウタは母親に涙目で尋ねる。
「だ、大丈夫だよね?」
「ええ。応急措置をしたから、直ぐに元気になると思うわ」
「よかったぁ……」
ほっと胸を撫で下ろし、椅子の背もたれに深く寄りかかったコウタ。
足をぶらぶらとさせながら、規則正しい寝息を立てるポケモンを見つめる。
「ねぇ、ママ。なんで、このポケモンは耳が一個しかないのかな?」
「……きっと、そういうポケモンなのよ」
「そっかー。でも、前にオーキド博士のところで見た時は、違った気がするんだけどなぁ」
改めてよく見れば、片耳はまるで抉れたようになくなっている。
恐らく、野生のポケモンに食べられたのだろう。
野生同士の戦闘では、よくある事だ。
しかし、コウタはまだ十歳にも満たない。
耳の状態を見ただけで、その事を悟るのは難しいだろう。
また、コウタ自身が大人しいポケモンしか見た事がない、という理由もある。
「早く良くなれよー」
ポケモンを撫でようとするコウタだったが、ピクリと丸い耳が動いた事により、近づけていた手を止めた。
ゆっくりとポケモンの赤い目が開き、コウタの視線とかち合う。
「あ、起きた。怪我は大丈──」
瞬間、室内に響く大きな鳴き声。
思わず耳を押さえるコウタ達を尻目に、ポケモンは跳ね起きてテーブルを飛び降りた。
怪我をしていたと思えない機敏な動きで、疾走して部屋を出ようとする。
しかし、やはり万全な状態ではなかったからだろう。
途中でバランスを崩すと、転倒して四本足でもがき始める。
「まだ動いちゃダメだよ!」
駆け寄るコウタに威嚇するポケモンは、大口で腕に噛み付こうとした。
突然の事にコウタは対応できず、なすがままにされるしかない。
このまま、コウタに一生消えぬ傷がつくかと思えたが……
「えっ?」
「コウタッ! 大丈夫、どこも怪我してない!?」
「う、うん。オレは大丈夫だけど」
戸惑いながら、コウタはポケモンの方に顔を向けた。
ポケモンはコウタの腕の臭いを嗅いでおり、時折ヒクヒクと鼻が動いている。
やがて、チラリとコウタを見上げた後、不意に力尽きた様子で倒れ込んでしまう。
「あっ!」
「体力を使い果たしたのね。コウタ、タオルに寝かせてあげてちょうだい」
「うん、わかった」
母親の指示に従い、ポケモンを横たわらせた。
「じゃあ、私はオーキドさんのところに行ってくるから。コウタはポケモンを見ていてね」
「はーい」
部屋を出た母親を見送ったコウタは、穏やかな顔つきで眠るポケモンを見つめる。
「……そういえば、こいつの名前ってなんだっけ?」
ふと、正確なポケモンの名前を忘れたコウタ。
オーキド研究所で同じ種族を見た事があったが、コウタにとってはヒトカゲ等の方が記憶に強かったのだ。
「よし、今から調べてみよう!」
決心すると、コウタは椅子から降りて父親の部屋に向かうのだった。
♦♦♦
「ほーらほらー、ご飯だよー」
ポケモンフードを乗せた皿を揺らし、目の前の存在の気を引こうとするコウタ。
身体をうつ伏せにしながら、ゆっくりと後ろに匍匐前進。
そんなコウタの様子を見ていたポケモンは、呆れた素振りで鳴き声を一つ。
済まし顔でそっぽを向き、身体を丸めてしまう。
「あー! ちゃんとご飯を食べなきゃダメだって!」
慌てて立ち上がったコウタの機先を制するためか、ポケモンは身軽な動きで跳躍。
コウタの身体を駆け上がり、尻尾で彼の顔を叩いて再び跳ぶ。
「いたっ!」
思わず顔を押さえるコウタを尻目に、紫の影は物陰に隠れてしまった。
「うーん、どうしよう」
頭を悩ませながら、コウタはここ数時間を振り返っていく。
父親の部屋で調べ、あのポケモンの名前がコラッタだとわかったコウタ。
図鑑ではねずみポケモンと書かれており、言われてみればなるほどと頷ける。
しかし、本来のポケモン──コラッタの耳は、二つあるはずなのだ。
「なんでだろう?」
手元の図鑑のページをめくり、コラッタの記述を探していく。
その途中で、コウタはある項目に目が止まる。
「……なんて読むのかな?」
眉根を寄せて考え込むが、コウタに“縄張り争い”という文字は読めなかった。
だが、隣のページに描かれていた、デフォルメされたポケモンの戦闘。
その絵を見て、なんとなくコラッタの耳がない理由を察する。
「お前、負けちゃったのか?」
振り向いてそう尋ねると、物陰からはみ出ていた尻尾がピクリと動く。
暫く左右に揺れていたが、やがてコラッタは物陰から出てコウタを睨む。
まるで、なによ……文句でもあるの、と言いたいように。
対して、コウタはじっとコラッタの顔を見つめる。
「……よし!」
不意にコウタが声を上げた事で、全身をビクつかせたコラッタ。
直ぐに冷静な顔に戻ると、驚かせたコウタに怒るためか、跳び上がって彼の肩に乗る。
「わっとと。いきなりどうしたのって、いたいいたい!」
尻尾で三連ビンタ。
捕まえようとしたコウタから逃げ、コラッタはテーブルの上に着地。
「もー、いきなりなにすんだよ!」
頬を膨らませるコウタに、クールな彼女は済ました顔を返す。
言外に話の続きをしろと促されたので、コウタは頷いて真剣な表情を浮かべる。
「そいつを倒すために、オレと特訓しよう!」
拳を握ってそう提案したコウタを見て、コラッタはこてりと小首を傾げた。
暫く悩む素振りを見せた後、コウタの言葉の意味を察したようで、前足を離して二本立ちになって鳴き声を上げる。
「お前もやる気か! よし、じゃあ今から特訓するぞ!」
と、意気込んだ瞬間、獣の声が二方向から響いた。
思わずコウタ達は顔を見合わせ、どちらともなく目を逸らす。
「……まずは、ご飯を食べよっか」
今度は、コラッタも大人しく頷いた。
こうして、家に来て始めて飯を摂ったコラッタと共に、コウタは彼女のリベンジを手伝う事にするのだった。
♦♦♦
「じゃあ、早速やろう!」
腹ごしらえをした後、コウタ達は付近の広場へと赴いていた。
まばらに木々があるので、技の練習には最適だろう。
コラッタもやる気満々なのか、尻尾を奮い立たせている。
「えーっと、コラッタが覚える技は……」
図鑑からメモしていた紙を見ると、コラッタは“たいあたり”に“しっぽをふる”。
そして、“でんこうせっか”と“きあいだめ”が覚えられるらしい。
これ以上の技は、今のコラッタの実力的に難しいだろう。
「とりあえず、たいあたりをしてみて」
コウタの指示に頷き、木の幹へと飛び込むコラッタ。
鈍い音が鳴って葉っぱが揺れ、何枚かがひらひらと落ちる。
振り返ったコラッタは、済まし顔で片耳をピクピクと動かす。
どう、私だってやればできるのよ、とでも言いたげに。
「お、おお……!」
始めてトレーナーらしい行動をできたので、コウタは心の底から感動していた。
自分がポケモントレーナーになったような気がして、先ほどから顔がニヤケっぱなしだ。
「いたっ!?」
不意に訪れた痛みに、コウタは驚いて視線を落とす。
足元にはコラッタがおり、バシバシと尻尾で叩いていた。
「ごめん。ちゃんと特訓しなきゃね」
その言葉を聞き、コラッタはわかればいいのよと身を翻してそっぽを向く。
「よし、じゃあ……あっ」
改めて特訓を再開しようとした時、コウタ達の前方に影が降り立つ。
草をつついて動いているそれは、ことりポケモンのポッポだ。
「あいつと戦ってみない?」
ふと思いついた内容を言ってみると、何回かコウタとポッポの間に視線を行き渡らせた後。
駆け出してポッポに立ち塞がり、コラッタは威嚇の声を放つ。
こちらの戦意を感じ取ったのか、ポッポは羽を広げる。
「コラッタ、たいあたり!」
前傾姿勢から飛び出したコラッタだったが、ポッポが空に逃げた事により、たいあたりは不発。
少し離れた場所に着地すると、そのままポッポは足を振り上げて砂を浴びせかける。
「ああ!?」
思わず声を上げたコウタ。
コラッタは頭を振って砂を落としているが、どうやら目にも入ってしまったらしい。
再びたいあたりをするも、見当はずれの方向に攻撃している。
「えとえと、コラッタ、右に……あっ!」
慌てて指示を送っている間に、ポッポは悠々と羽ばたいて逃げてしまった。
姿が小さくなっていくことりポケモン。
コウタは呆然と見送っていたが、我に返るとコラッタの元に駆け寄る。
「コラッタ、大丈夫!?」
抱きかかえようとしてくるコウタを見て、コラッタは走り出した。
しかし直ぐに振り返り、前足で地面を掻いて毛を逆立たせる。
そんな彼女のやる気を感じたコウタは、真剣な表情で頷く。
「今回は逃げられちゃったけど、次こそは倒そうね!」
呼応して鳴き声を上げたコラッタ。
互いのやる気は充分。後は、ひたすら特訓あるのみ。
改めて、コウタ達は訓練を再開するのだった。
♦♦♦
「ここにいるの?」
コウタが隣のコラッタに尋ねると、肯定の鳴き声が返ってきた。
コラッタと一緒に特訓を重ねて、数日。
そろそろ彼女が痺れを切らしたので、こうしてリベンジをする事となったのだ。
現在コウタ達がいる場所は、一番道路の外れ。
草木が生い茂っており、周囲が見えにくくなっている。
「それで、コラッタを倒したポケモンってどんなの?」
私は負けてなんかいない。
と、コウタの足を一叩きした後、コラッタは地面に鼻を近づけて動かす。
暫くヒクヒクさせていたが、やがて顔を上げると走り始める。
「ま、待ってよ!」
慌ててコウタが追いかけると、少し開けた広場にたどり着く。
その中央には、こちらを待ち構えていたのか。
一匹の鳥ポケモンが、大きく翼を広げて佇んでいた。
「あれって、オニスズメ?」
図鑑で付近に出現するポケモンを、あらかじめ調べておいていたコウタ。
どうやら、コラッタの因縁の相手とは、オニスズメのようだ。
コラッタはオニスズメの前で足を止め、尻尾を逆立たせて震わせる。
対して、オニスズメは意に介していないのか、毛ずくろいを始めた。
「あいつ、前にコラッタに勝ったから余裕のつもりなのか」
コウタと同じ結論に達したようで、コラッタは前足を立たせて身体を大きく見せる。
そして、直ぐに前足を下ろした瞬間、弾けるようにオニスズメへと飛び込む。
「あ、コラッタ!」
事前打ち合わせでは、コウタの指示に従うはずだったのだが。
宿敵を前にして、抑えきれなかったのか。
感情の赴くままのように、コラッタはオニスズメに仕掛けていく。
鋭いたいあたりを躱したオニスズメは、嘲笑のなきごえを上げた。
お前じゃあ勝てない、と示すように。
前足を軸に急旋回しようとしていたコラッタだったが、その声を聞いて動きを止める。
尻尾を弱々しく揺らし、オニスズメの威勢に圧されているようだ。
「コラッタ! オレ達の特訓を忘れたのか! お前ならいけるって!」
戦意を奮い立たせるため、コウタは気持ちを込めて声を放った。
夕方まで特訓して、母親に心配をかけさせた。夜は寝るまで、どう技を使うか話し合いもした。危ないから街の外へ出てはいけない、と言われた母親の言葉を無視して、こうしてこっそりと一番道路にも来ている。
そうした頑張りを、無駄にしても良いのだろうか……いや、良いはずがない。
「コラッタ、こっちもやり返せ! しっぽをふる!」
コウタの言葉を聞き、コラッタの瞳に闘志が灯る。
自身を鼓舞するよう鳴き声を上げ、オニスズメに背中を向けて尻尾をふりふり。
明らかに馬鹿にされているその仕草に、オニスズメが苛立つ様子で地を蹴る。
「かわせ!」
咄嗟の言葉にも反応したコラッタは、右へと跳ぶ。
挑発の影響からか、攻撃を外したオニスズメの身体は無防備だ。
「今だ、コラッタ! たいあたり!」
ぐぐっと体躯を縮ませ、バネの如く飛び出すコラッタ。
勢いよく放たれた身体は、オニスズメの横っ腹にぶつかる。
どうやら急所に入ったようで、オニスズメは足元がおぼつかない様子だ。
ならば──今がチャンス!
「もう一度たいあたり!」
再び四肢を踏みしめたコラッタだったが、オニスズメの体勢が立ち直る方が早かった。
甲高い声を響かせた後、コラッタへ向けて鋭い眼光を浴びせる。
「コラッタ!? 早く逃げるんだ!」
しかし、コウタの声はコラッタに届かない。
耳を伏せて身体を震わせている彼女からは、先ほどまでの戦意が失われていた。
駆け出したオニスズメがつつくと、あっさりと食らって吹っ飛ばされたコラッタ。
ゴロゴロと転がり、やがて地に伏せて動かなくなる。
「コラッタッ!」
慌てて駆け寄って抱き起こせば、弱々しい鳴き声が返ってくる。
どうやら、まだ瀕死にはなっていないようだ。
しかし、既に体力の八割ほどはなくなってしまっただろう。
「コラッタ……」
コウタは己の不甲斐なさに、唇を噛んだ。
トレーナーである自分は見ているしかできず、指示だってなくても良いような幼稚なもの。
これでは、コラッタに怪我を負わせただけではないか。
「ごめん……ごめん……」
気がつけば、コウタは涙を流していた。
ポタポタと雫が垂れ、コラッタの頬に落ちて伝っていく。
すると、片耳が微かに震えたかと思えば、コラッタが薄く瞼を開ける。
「コラッタ! ごめん、オレが下手なばっかりに、お前を傷つけてしまった」
何度も何度も謝るコウタを見て、頬に尻尾をお見舞いするコラッタ。
「えっ?」
思わず目を点にしていると、コラッタの眦が力強く吊り上がる。
軽やかにコウタの腕の中から抜け、地面をつついていたオニスズメへと威嚇。
その戦意を感じ取ったのか、オニスズメも顔を上げて翼を広げる。
「まだ、戦うのか?」
無意識に漏れ出た言葉を聞き、コラッタは振り向いて鳴き声を一つ。
この時、コウタは確かに彼女の想いが伝わっていた。
──早く指示を出しなさいよ、私のトレーナーさん、と。
数瞬惚けていたが、直ぐに頬を叩いて気合い注入。
頬の涙を乱暴に拭ったコウタは、勢い込んで指示を出す。
「コラッタ! とにかく走れ!」
阿吽の呼吸で、コウタの指示通り動くコラッタ。
縦横無尽に辺りを駆け回り、その小柄な体躯を駆使してオニスズメを惑わす。
しかし、オニスズメも座して待つわけではない。
コラッタの軌道を読み、先んじて大きく羽ばたいた。
瞬間、コウタの脳裏に空を飛ぶポッポの姿が過ぎる──
「飛んで上から来るぞ! 避けろ!」
キュッと前足で無理矢理止まり、コラッタは弾けるように反対方向へと跳ねる。
その数瞬後、先ほどまでコラッタが行こうとしていた場所に、オニスズメが飛び降りた。
自分の技を回避された事に驚いたのか、オニスズメの動きが止まる。
もろちん、コウタ達はその隙を見逃すほど甘くない。
「いっけええええええ!」
コウタの叫びに応じるように、疾走するコラッタの速度が増す。
直角に曲がれば白い軌道を描き、その速さはまるで電光石火の如し。
眼前の敵が消えた事に、更に驚愕したのか。
完全に硬直したオニスズメの横から、コラッタのでんこうせっかが襲来。
勢いよく吹っ飛んで地面を転がり、オニスズメは目を回して倒れ込む。
「……勝った、のか?」
固唾を呑んで見守っていたコウタは、恐る恐るオニスズメの方に近づく。
オニスズメは完全に気絶しており、暫く目を覚ます様子はない。
ようやく実感が湧き始め、コウタは笑みを浮かべてコラッタの方に向く。
「勝った! 勝ったんだよ、オレ達!」
大声を上げて喜ぶコウタに、コラッタは大袈裟ねと言うように済まし顔だ。
しかし、ブンブンと物凄い勢いで振られる尻尾を見れば、彼女の心境が自ずと察せるだろう。
コウタは駆け寄ってコラッタを抱え、ぐるぐると回りながら笑みを深める。
「スゲーよ、お前! あんな強いポケモンに勝っちゃうなんてさ!」
あまりにも歓喜しすぎたからか、コラッタから尻尾で抗議された。
何度も叩かれて冷静になったコウタは、改めて感嘆の息を漏らす。
「ふぅ……これで、お前のリベンジはできたよね?」
後は、家に帰って母親に報告するだけだ。
勝手に外に出た事は怒られるだろうが、コウタは全く後悔をしていなかった。
それに、ポケモンバカの母親の事だ。
コラッタの事情を知れば、むしろ良くやったと褒めてくれるかもしれない。
「じゃあ、帰ろっか……なんか聞こえない?」
コラッタを下ろすと、どこからから音が耳に入ってくる。
ピクピクと片耳を動かしていた彼女は、やがて見上げて鋭い鳴き声を放つ。
同時に、青空の遠くから、小さな黒い影が沢山──いや、あれはオニスズメの群れだ!
「や、やばい! 逃げよう、コラッタ!」
一もなく頷き、コウタを置いて駆け出していくコラッタ。
「あ、一人だけで逃げるなー!」
急いで追いかけようと思ったが、暫し悩んでからオニスズメの元に近寄る。
しゃがみ込んでリュックからきずぐすりを取り出し、それを吹きかけていく。
思ったより頑丈だったのか、オニスズメは直ぐに意識を取り戻した。
キョロキョロと辺りを見回し、コウタを見とがめて警戒の鳴き声。
「えっと、ごめんな。いきなり喧嘩売るような事をして。でも、あれもコラッタのケジメなんだ。あと、これ。お詫びに、オレの弁当をあげる」
早口で言いたい事を言い終えると、コウタは立ち上がって踵を返す。
少し先の木の上で、早く来いと二本立ちでこちらを見つめているコラッタの方に向かう。
「うん?」
途中で背後から、オニスズメがなにやら鳴いたような気がする。
大きな意味が込められたようにも思えるが、あいにくコウタが察する事はできなかった。
「あ、やば! 見つかった!」
空の影が、心なしかコウタ達の方へ向きを変えた。
これはまずい、とコウタは慌ててコラッタと一緒に一番道路を抜けるのだった。
♦♦♦
「──コウタ。準備はできたかのう?」
「はい!」
オーキド博士に頷いたコウタは、期待で胸を膨らませていた。
本日を持って、コウタは十歳となる。
つまり、今日からコウタはポケモントレーナーになるのだ。
「ふむ。元気があるのはいい事じゃな。それで、初めのポケモンはなににするか決めたかの?」
以前にも見た、フシギダネとゼニガメとヒトカゲ。
三匹が納められたモンスターボールが、コウタの前に置いてある。
光を反射する艶やかなボールは、コウタが手を取るのを今か今か、と待っているようだ。
「……うん、オレは決めてるよ」
しかし、コウタの心には、彼等の存在は微塵も響かない。
もちろん、フシギダネ達の誰かを選べば、一生の思い出になる素晴らしい旅になるだろう。
少し前のコウタも、誰かと一緒になると疑っていなかった。
でも──
「オレは、こいつと旅をする」
コウタがそう告げると、背後から小さなポケモンが背中を駆け上がる。
肩に着くと止まり、挨拶がわりに尻尾でコウタの頬を撫でつけた。
「やはり、コウタはコラッタをパートナーに選ぶのじゃな」
「うん。オレ達は、もう友達だから」
臆面もなく言うコウタに対し、コラッタはそっぽを向いて涼しい顔だ。
しかし、嬉しげに揺れる尻尾を見れば、彼女が喜んでいる事がわかるだろう。
当然、オーキド博士もその様子に気がつき、優しい顔で懐からボールを取り出す。
「コウタは、良いトレーナーになれそうじゃな。……そして、これがコラッタのモンスターボールじゃ」
オーキド博士がボタンを押すと、瞬く間にモンスターボールが大きくなる。
手のひらほどの大きさになったそれを、コウタの手に乗せた。
「さあ、コウタ。コラッタをゲットするのじゃ」
コクリと頷き、飛び降りたコラッタと視線を合わせるため、しゃがみ込む。
手に持つボールを突きつける前に、コウタはここ最近の出来事を話していく。
「お前と出会ってから、まだ一週間ぐらいなんだよね。もう、ずっと一緒にいるみたいだ」
肯定するように動かす片耳を見て、コウタは苦笑いを一つ。
「オニスズメと戦った時、オレは嬉しかった。お前の力になれたから、お前との絆が繋がったような気がしたから」
しかし、コラッタの心境は違ったらしい。
跳んで回って尻尾を一振り。
コウタの頬をはたいた後、抗議の鳴き声を上げる。
思わず目を見開いていたコウタは、やがて大きく破顔した。
「そっか。繋がったような気がするじゃなくて、もう繋がってたんだ」
頬を緩めると、コウタはモンスターボールをコラッタの前に突き出す。
「オレと一緒に、旅をしてくれ」
返ってきたのは、モンスターボールが開く音だった。
赤い光に包まれたコラッタがボールの中に入り、手の中で小さく一度揺れる。
直ぐに揺れは収まり、コウタにある事実を教えてきた。
すなわち、コラッタが仲間になってくれた事を。
「無事にゲットできたようじゃな」
「オーキド博士」
静かに見守っていたオーキド博士の方に振り向き、コウタは満面の笑みを浮かべて口を開く。
「オレ、こいつと一緒に最高のトレーナーになってみせる!」
「うむ。コウタの活躍を期待しておるぞ。……それと、済まなかったの。ポケモン図鑑を渡せなくて」
眉尻を下げた、オーキド博士。
その言葉に首を振り、リュックから一冊の本を取り出す。
「オレには、パパの図鑑があるから」
「しかし、それは資料用の紙で、重いじゃろう?」
「大丈夫。これでも、鍛えているから」
「ならいいんじゃが……おお、そうじゃ」
オーキド博士がポンと手を打ち、コウタに一つの鞄を渡してくる。
「オーキド博士、これは?」
「うむ。この中には、モンスターボールときずぐすりが入っておる。ポケモン図鑑を渡せない、代わりだと思っておくれ」
「……ありがとう、大事に使います」
素直に善意を受け取ったコウタは、改めて頭を下げて踵を返す。
「気をつけるのじゃぞー」
「はい!」
オーキド研究所を出れば、暖かな日差しがコウタを迎えた。
青のキャップを被り直した後、モンスターボールからコラッタを出す。
「これから、よろしくな!」
コウタの言葉に鳴き声を返し、駆け出していくコラッタ。
「あ、こら待てって!」
慌ててコウタも追随。
頭上からはオニスズメの鳴き声が響き、空の彼方では虹色の鳥が羽ばたいている。
コウタ達の門出を祝うような、良い旅立ち日和だ。
「ははっ!」
自然と笑んだコウタは、どんなポケモンと出逢うのかと心を踊らせるのだった。
♦♦♦
──後に、片耳のコラッタを使う、ポケモントレーナーが噂になる。
コラッタとは思えない素早さと、言葉を交わさずに繰り出す技。
まさに、阿吽の呼吸という言葉が似合い、彼に負けたトレーナーは数知れず。
もう一匹の仲間であるオニスズメと共に、彼は強い短パン小僧として名を馳せる事になる。
これは、どこにでもいる少年が、一人のポケモントレーナーになる物語。