「ん、ああ…よく寝たなぁ…」
円状の部屋の中でのっそりと小さな影が動く。
周囲についている光る石が光源となっていて、それらが壁画をうっすらと照らしている。
辮髪のような角を生やしたそれは子供くらいの大きさをしていて、紫のローブで身を包んでいる。
筒のような耳と丸っこい目をした、ロトゼタシアの人間が見ると異形ともいえるその姿はとても同じ世界の人間とは思えないものだ。
「一人でここに寝るようになって、どれだけ時間がたったのかな…?」
もうここで閉じこもり続けて何か月も経過している。
ここには不思議な力が働いているのか、水や飲み物がなくても平気な状態だ。
ただ、1人では退屈なうえにベッドではなく床で寝ていることから体の節々が痛くなる。
こんなことになるなら、ここにもベッドがあればよかったのにと思ってしまう。
「あれ…?この気配って」
角から伝わる、魔物のものとも人間のものとも全く異なる気配。
長老が教えてくれた神の乗り物の姿が不意に頭に浮かぶ。
そして、それとは別の大きな力がここに近づいてくる。
その力はあの日から決して開かなかった扉を開く。
「うわあ…」
入ってくる人間は7人。
そのうちの1人から感じるその力は間違いなく、勇者のものだ。
「ここが、神の民の神殿…」
「おい、エルバ!こいつは…??」
エルバの隣にいたカミュが真っ先に彼の存在に気づく。
彼はのっそりとエルバ達の前まで歩いていく。
明らかに人間とは違う存在に驚きを隠せない面々だが、敵意を感じることができないのか、だれも武器を抜こうとしない。
「ふーん、そっかぁ。兄ちゃんがそうなのかぁ」
「そうなのかって…君は…?」
「ああ、オイラは神の民さ。人間なんて初めて見たよ」
「ケトス様がおっしゃっていた…。あの、ほかの皆様は?」
仮にここが神の民が住む場所であれば、もっと他にも神の民の姿があるはず。
だが、ここにいる神の民は目の前の彼1人で、ほかにいる気配もない。
「それが、数か月前に魔王軍に襲われてね。ほかにあった浮島は壊されるか、地上に落とされちゃったんだ。で、オイラが最後の1人ってわけ」
「そんなことが…さぞお辛かったことでしょう…」
もっと早く来ていれば、何かしらの手を打つことができたのでは。
ベロニカの命がけの救出劇によって助けられてから、とにかく早く動いてきたつもりだが、それでも救うには遅すぎた。
「けどよ、なんであんたは無事だったんだ?この神殿に何かあんのか?」
ただ気まぐれで見逃されたのか、それとも何かしらの手段で生き延びることができたのか?
生き延びた彼に聞くのは酷な感じがしたが、それでも聞かずにはいられない。
浮島もろともウルノーガを倒す手がかりを破壊されたら、完全に無駄足で終わってしまう。
「ここは太陽の神殿だよ。ここにはこのロトゼタシアが生まれてから燃え続ける聖なる種火が祭られているんだ。オイラは魔王軍が来たとき、ここにいたから助かったのさ」
燭台のようなレリーフが刻まれた半円状の扉を見つめながら、神の民は答える。
「聖なる種火…まさか、これが魔王を倒すための手がかりなのか?」
「私たちは魔王ウルノーガを倒す力を求めて、この天空の地まで赴いたのです。もし、何かご存知でしたら、お教えください」
「うーん…魔王を倒せるほどの力か。聖なる種火は戦うための力じゃないし、何のための力なんだろう…?」
破壊と創造は表裏一体、そして創造の前には破壊が伴うという言葉を長老から聞いたことがある。
だが、聖なる種火は例外であり、それは決して燃料を必要とせず、静かに燃え続けている世界最初の炎。
だが、彼の持つ知識はここまで。
「ごめん、オイラこう見えても子供でさ、詳しいことは何もわからないんだよね」
「仕方ねえな。なら、あとはその聖なる種火ってものを実際に見てみねえとな。この先にあるんだろ?」
「うん、じゃあ…開けるよ」
神の民はのそのそと聖なる種火が祭られている間への扉を開く。
開くと同時に熱気がエルバ達を襲う。
熱気に耐えながら入っていき、それを放っているであろう聖なる種火を見る。
だが、それは種火などという名前から感じるかわいらしいものとは程遠いものだった。
部屋の中央にあるそれは小さな太陽ともいうべきもので、2メートル以上の直径があった。
「これが、聖なる種火…」
「清らかで、神々しい炎ですわ…」
「エルバ、痣が光っているわ!」
「何…?」
マルティナの指摘にエルバは両腕の痣の光に気づく。
その光と連動するかのように、聖なる種火から炎が伸び、それがエルバの両腕を襲う。
「これは…うわああ!!」
「エルバちゃん、これは…!!」
聖なる種火の炎がエルバの両腕を焼き始める。
激しく燃える炎の痛みに耐えながら、エルバは両腕に力を籠める。
炎の痛みに耐えるエルバの脳裏を見たことのない光景が襲う。
空に浮かぶ岩山の中、エルバと似た顔立ちをした男が青白い鉱石を掘り出している姿。
大きな鉱石の塊を手にしている彼の左手にはエルバと同じ痣が宿っていた。
そして、景色は今度は見覚えのある砂漠の光景へと変化する。
そこにあるサマディーへの外門の前で、ローシュとウラノス、そしてセニカが待っている中でネルセンが出てきて、その手には側面部分に剣を鍛える鍛冶職人たちの姿が描かれたレリーフのある巨大な槌が握られていた。
そして、4人が見るのはその東にあるヒノノギ山。
次の見えたのは周囲に巨大な炎を噴出させる灯台のある空間で、ローシュはそこで鉱石を槌で叩いていた。
鍛えられた金属は次第に形を変え、やがてそれが勇者の剣へと姿を変えていた。
その景色を見終わると同時に炎が消え、ようやく解放されたエルバはその場で膝をつく。
「エルバ!おい、大丈夫か!?」
「今、手当てを…!」
セーニャが急ぎ、無残なやけどを見えるエルバの両腕に回復呪文を施す。
その中で気になったのは焼けただれたエルバの両腕に対して、エルバがまとっている魔法の闘衣もアーウィンの鎧の小手も何もダメージがなかったことだ。
「エルバよ、今の景色は…?」
「エルバちゃんと同じ痣がついていて…もしかして、彼が先代勇者のローシュちゃんなのかしら?」
「みんなも、見えたのか…?」
「ああ。まさかとは思うが、この光景は…勇者の剣誕生の…」
ここ以外のどこかにある岩山の中にある鉱石を砂漠の国で手にした槌を使い、ヒノノギ火山の中にあると思われる火事場で鍛えることで勇者の剣が誕生する。
そのローシュが生み出した勇者の剣は残念ながらウルノーガの手にわたってしまった。
だが、エルバ達が見た光景は一つの対抗策を教えてくれた。
「先代勇者が勇者の剣を作ったってんなら、俺たちもつくりゃあいいんだ。勇者の剣を!!」
「そうね。手がかりはあの景色が教えてくれた。それに、ケトスなら勇者の剣のもとになった鉱石のある浮島を知っているはずよ」
「砂漠はおそらく、サマディーだ…。じいさんが頼めば、きっと槌について教えてくれるだろう」
「あとはヒノノギ火山ですわね。私たちがホムラの里に滞在していた時に聞いた話では、火山の中には禁忌の場所があると…」
その場所について詳しいことを知っているのは里長であり、巫女でもあるヤヤクだけなのだが、そのころのヤヤクは嫡男であるハリマが魔物との戦いで討ち死にし、喪に服していたことから会うことができなかった。
それから時が流れ、喪も明けているはず。
彼女の聡明さは里中で評判となっていることから、助けになってくれる可能性がある。
「まずは岩山だ。ケトスの元へ戻ろう」
行く道が決まったエルバは右手に軽く力を籠める。
すると、右手の痣が赤々と光るとともに手から炎が生まれていた。
「これは…聖なる種火の炎…!」
ベロニカのメラ系呪文に似たものに見えるが、ただの炎であるメラとはわけが違う何かが感じられた。
「お疲れ。その様子だと、道が見えたみたいだな」
聖なる種火の部屋を出たエルバ達を神の民の子供が笑顔で出迎える。
「ああ…。聖なる種火が教えてくれた」
エルバは右手から聖なる種火を生み出し、それを子供に見せる。
そして、それが見せた光景を彼に説明する。
キラキラと目を輝かせた子供は何かを思い出したかのように目を見開く。
「そうだ…、昔じいちゃんが聞かせてくれた話がある!邪悪の神を倒すために戦った人間…つまり、先代の勇者は闇の力を打ち払うべく、特別な剣を作るために聖なる種火をもって、冒険していたようだよ。兄ちゃんたちが見た光景って、たぶんそれのことじゃないかな?そして、先代勇者が鉱石を見つけた場所ってたぶん…天空の古戦場じゃないかな」
「天空の古戦場じゃと?しかし、何故そのようなところに勇者の剣を作るための材料が…」
「古い話だから詳しいことは知らないけれど、かつては特別な金属が発掘できた場所だから、それをめぐって大きな争いがあったんだって。その中で鉱脈も枯れてしまったと聞いたけれど、その場所で先代勇者も鉱石を手に入れたんだ。探せば、きっとあるんじゃないかな?でも、行くなら気を付けてね。そこは何百年も誰も近づいていない場所。何が起きても不思議じゃないよ」
「そうだな…って、お前、その体…どうしたんだよ!?」
話している子供の体が徐々に透けていき、光の粒子が生まれている様子にエルバ達は驚く。
彼らの様子を見た子供は両手を見て自分の異変に気付いたようだが、特に驚いたような様子はない。
「ああ…どうやら、オイラの役目はこれで終わりみたい。オイラは最後の神の民として、今世の勇者が聖なる種火から力を受け取るのを見届けるために、今まで生かされてたみたい」
「でしたら、あなたは…」
「うん、そういうこと。魔物の襲撃を受けたとき、とっくに死んでたってこと」
「そんな…」
人間とは異なる存在である神の民とはいえ、まだ子供である彼がその役目を果たすためだけに生かされ、そして死に戻る。
あまりにも残酷な定めに誰も何の言葉もかけることができずにいた。
自分以外の神の民がすべての死を見届けた彼の人生とはいったい何だったのか。
「ああ、気にしないで。命は巡るものさ。きっと、兄ちゃんたちは魔王を倒して、命の大樹を取り戻してくれる。そうしたら、死んだ神の民も長い時をかけて大樹の葉となり、そして再びロトゼタシアに戻るから。そうなれば、報われるってものさ」
「けれど…それはもう別の命になるんだろう?お前の、じゃない…」
死んだベロニカも同じ理屈が通るかもしれないが、彼女だった命が別の何かに生まれるとしても、それがどのような存在なのかはわからない。
それに、前の命の記憶など持っているはずもない。
エルバの前世と言われているローシュの記憶がエルバにはないように。
「いいかい、兄ちゃん。命はいつか必ず終わるんだ。終わりは新しい始まりへとつながっている。終わりのない命なんて、ただの幻…ただの夢なんだよ。そして、終わったからといって、すべてが無になるわけじゃない。終わった命は沈黙しない。生きている人が記憶する限りはね。だからさ。オイラのことを記憶の片隅にちょこっとだけでいいから、おいててくれよ」
「…ああ。わかったよ…」
「よかった。じゃあね、兄ちゃんたち。会えてよかったよ。オイラはボラ、神の民の最後の一人さ」
最期に自らの名前を告げた神の民の子供、ボラは最初からそこにいなかったかのように消えてしまう。
光る石も輝きを失って消えてしまい、神殿は暗闇に包まれた。
神殿を出たエルバは無人となった神殿の壁にボラの名前と『使命を果たした少年』という文字を刻む。
彼の最後の言葉を果たすため、そして彼をはじめとして神の民がロトゼタシアに確かに存在したということを忘れないために。
(そう、ですか…。もうこの世界に神の民は存在しないのですね…)
「けれど、道を示してくれたわ。ボラちゃんの思いを無駄にしないためにも、アタシたちは進まないと」
「ああ、そうだな…」
「なぁ、エルバ…ボラに言っていたことは…」
ボラへの弔いの中で、カミュが気になったのはエルバが彼の言った言葉。
それは命の大樹へと還った命が再びロトゼタシアで生まれ変わるという考えへの異議ともいえるものだった。
ベロニカや両親のこともあって、そのようなことを言ったのだろうか。
「…。生まれ変わるといって、生まれた命は誰の生まれ変わりだなんて、どう判断すればいいんだ…そう思ってしまっただけだ」
エルバには痣が、セーニャとベロニカにはセニカが持っていたとされる力があったから、そう判断することができた。
では、死んだベロニカは、両親は、そして村人たちの生まれ変わりはどうなのか。
その答えは誰にも出すことができない。
答えが出ぬまま7人はケトスに乗る。
ケトスが目指すのははるか南。
希望が残っていると思われる天空の古戦場だ。
高い岩山に囲まれた荒地は人の手が加わっていないのか、不規則に伸びた木々と草花が生い茂る。
そこには黒い2つの丸の間に鼻と思われる黒い一本線が刻まれた顔をした青白い小人たちがそれらに目もくれることなく歩き続ける。
彼らが目指しているのはこの荒野の中央にある巨大な塔。
その中は薄暗い黄金でできた数多くの歯車や時計がちりばめられ、そのいずれも同じ時を刻むことはない。
塔の最上階には外にいた小人がそのまま大きくなり、なおかつ長いスカートのドレスを身に着けているような体形となっている何かがたたずみむ。
それがじっと見つめているのは黒い球体が祭られた祭壇で、その中にはいくつもの光の粒がある。
同じような球体が無数に浮かんでいて、浮かぶ球体の1つ1つが時折何らかの光景を魅せる。
とある城の一室で、ようやく授かった二人の赤子をいとおしく抱きしめる金髪の美しい女性の姿や同じような一室で、修理が終わったばかりの壁を一蹴りで打ち砕き、そのまま外へと飛び出すワンピース姿の少女。
貴族の服を身にまとったカミュに似た髪をした少年が幼い顔立ちでウェディングドレス姿をした赤毛の小柄な少女とともに神父の元へと2人で歩いていく姿に木製の漁船の上で網にかかった石板に刻まれた文字を読む緑色の漁師服姿の少年。
崩落したつり橋のそばで、とげ付きの帽子と毛皮の服で身を包んだが太った山賊が黄色と青を基調とした服でオレンジのバンダナを頭に付けた青年に土下座する光景や滝の音が聞こえる部屋の中で、風変わりな服装の旅芸人の少年の看病をする紫の髪でエプロン姿の少女の姿。
広いつばのついた帽子とマントをつけた青年の前で、薄黄色の髪をした少女がレイピアを手にする姿もある。
そして、今祭壇にある黒い球体に映っているのは命の大樹が落ち、世界が崩壊する光景だ。
「そうか…君はずっとここにいたんだな。俺に会うために、いつまでも…いつまでも…」
「あなたは…?」
振り返ったそれの目に映るのは青い人の姿をした幻影。
後ろに下がったスパイキーショートをした男性といえる幻影はゆっくりとそれに近づき、その手に触れる。
「長い間…待たせてしまって済まない。俺のわがままを聞いてくれないか?俺たちの子孫たちのために…」