いくつものろうそくにともる紫の炎が照らす天空魔城の王座で、ウルノーガの左手の痣が一瞬強い光を放つ。
時折光ることのあるその痣は自らへのささやかな抵抗であり、すぐに収まることから特に気にかけることはなかった。
だが、今回のその輝きは経験にないものだ。
「ぐう…この痛み…」
同時に強烈な痛みがウルノーガを襲う。
それに対抗するため、彼は右手に黒い魔力を凝縮させ、直接左手に放つ。
闇の力を受けた痣は輝きを失い、やがて抵抗を辞める。
だが、それと同時にウルノーガの脳裏に2つの痣を手にしたエルバの姿がフラッシュバックした。
「勇者め…まだ力を生み出すか…」
「なんだ…この光はぁぁぁ!!」
2つの痣から発する光にバクーモスはひるみ、納刀したエルバは両腕を交差させる。
今ここでバクーモスと戦ったとしても、決して彼のダメージを与えることはできない。
ならば、彼を現実へ引きずり出す。
そのためには、まずはこの空間を壊す。
「おおおおおお!!!紋章閃!!」
両腕から放たれた二重の紋章閃がバクーモスに襲い掛かる。
勇者の光を二重に浴びることとなったバクーモスは悲鳴を上げ、真っ暗な空間が粉々に砕け散った。
「ギャアアアアアア!!!」
「何じゃ、このモンスター!?アーウィンから出てきおったぞ!?」
急にアーウィンの体から追い出されたかのようにバクーモスが現れ、地面を転げまわる姿にロウは困惑する。
「ここは…戻って来た?」
「エルバ様!あの魔物はもしかして…それに、戻って来たって、何をおっしゃっておられるのですか?」
「何?俺は父さんの中に入って、それから…」
「何を分からんことを言っている?それよりも…」
エルバ以外にとっては、彼が何者かの声を聞いてからバクーモスが出現するまではほんの一瞬のことだ。
そして、目の前にアーウィンが暴走する原因となった魔物が現れた以上はそれに集中するだけ。
「ぐううう!!貴様、貴様!!殺してやる…殺してやるぞぉ!!」
せっかくのフルコースを台無しにされ、現実世界に無理やり引きずり出されたことにバクーモスは激昂し、口から紫の炎を放つ。
「むん!!うなれ、真空よ!!」
「お手伝いします!バギマ!!」
グレイグとセーニャが放つ旋風が炎を阻み、その間にロウとエルバ、カミュの手でアーウィンを後ろに下げる。
「父さん…待っていてくれ。カミュと爺さんは父さんを頼む」
「わ、分かりました…」
「任せておけ。アーウィンを治療した後で、儂も合流するぞい」
眠っているアーウィンにつぶやいたエルバはキングブレードを抜き、グレイグとセーニャに合流する。
「おのれ…おのれ勇者め!!」
「俺はエルバだ。忘れるな」
勇者である前に、自分はアーウィンとエレノア、そしてペルラの息子であり、ロウとテオの孫であり、一人の戦士。
そんな自分を信じる存在がエルバに勇気を与える。
「グオオオオオオオ!!!」
叫び声をあげたバクーモスが両腕の爪でエルバに斬りかかり、それをエルバがキングブレードで受け止める。
傷一つついていないキングブレードだが、その刀身には紫の水滴みたいなものがついていた。
そこから発する甘美な香りがエルバの鼻孔を刺激する。
「…!?これは…」
臭いを嗅いだと同時に強烈な睡魔がエルバを襲うと同時に強い頭痛を感じ始める。
キングブレードを地面に突き刺して杖代わりにするエルバをバクーモスがあざ笑う。
「臭いを感じてしまったな…?我の毒はそれだけで効果を発揮する」
「毒…?」
「ああ、そうだ。そうでなければ、生きている人間の悪夢を食うことはできぬだろう?」
「すぐに治療します!」
「魔物め!よくもアーウィン様を!!」
尊敬するアーウィンを苦しめた魔物に一太刀浴びせるべく、グレイトアックスを手にグレイグはとびかかり、その間にセーニャが睡魔に襲われるエルバの元へ駆けつける。
セーニャが毒にかかることがないように、睡魔に抵抗しながらエルバは刀身にメラを放って毒液を焼き尽くす。
キアリーを唱えるセーニャだが、解毒のスピードの遅さが感じられる。
魔物の個体によって毒の強さには差があるが、このバクーモスのそれはかなり強烈らしい。
「我は覚えているぞ…奴の悪夢の中にいたなぁ。名前は…ああ、確かグレイグといったか?」
「ああ、そうだ。そして、それが貴様を殺す男の名だ!!」
「貴様の悪夢はなんだ?お前からも、中々の絶望が…」
「下郎が!人の心に土足で入り込むならば、容赦はせん!!」
「そんな大口を叩ける状態かぁ!!」
バクーモスが口から紫の炎を再び放ってくる。
「うなれ、爆音!!」
正面に向けて思い切りグレイトアックスを振り落とすと同時に爆発が起こり、グレイグを襲うはずだったブレスが爆発とともに吹き飛ばされる。
爆発による煙がグレイグを包み込み、バクーモスの視界から隠す。
(あの戦士、斧で呪文を使うか…。だが、あのような呪文、何度も使えるものではない)
魔力を持たない人間でも、魔法石が埋め込まれた武器などを使うことでその呪文を使うことができる。
ただし、代償なしでそれが使えるかというとそうではなく、たいていの場合は使い手の精神力を消耗させることが多い。
また、レアなケースとしてとある一般女性がギラを使うことができる巻物に勝手に書き込みをした結果、その巻物で上級閃光呪文ベギラゴンを使えるようになったという話があるが、呪文の巻物に描かれる魔法陣や古代文字は非常に緻密な設計をされており、呪文の心得のない人間がそのような改造をした結果、ただの巻物になってしまうか最悪の場合自爆することもあるため、基本的には推奨されない。
とにかく、連発してこない以上は無暗にこちらから接近する必要はない。
再びブレスを放ち、遠距離から攻撃すればいいだけの話だ。
バクーモスは口を開き、ブレスを放とうとするが、急にトントンと誰かが頭を軽く叩いてくる。
何者かと顔を向けると、急に炎が口元めがけて襲い掛かり、ブレスを放とうとする口が大きく焼かれてしまう。
「エルバちゃんのパパにひどいことをしたお仕置きよ!」
炎を放った張本人であるシルビアが帽子のつばを指で上げ、手にしているレイピアの剣先をバクーモスに向ける。
至近距離から炎を口元に受けたバクーモスの鼻下から口の皮膚が溶けてくっついてしまう。
口元にためていたブレスも行き場を無くしている状態で、次第にバクーモスの口を焼いていく。
ブレスをためる必要があることから、そうした魔物の口内はブレスに耐えられる形になっているが、あくまでも短時間のみだ。
「うおおおおおお!!」
思わぬダメージをうけたバクーモスめがけて、キングブレードを抜いて跳躍したエルバが襲い掛かる。
その刃には雷が宿り、白く輝くその刃はまさに人の悪夢を食らい、心をもてあそぶ悪しき魔物への裁きの刃そのものだった。
その刃がバクーモスの頭を切り裂くとともに、宿っていた雷がバクーモスの体を引き裂いていく。
悲鳴を上げることすら許されることなく、バクーモスの肉体は焼き尽くされていく。
力尽きた魔物の肉体は黒い霧となって、消滅していった。
「やったわね、エルバちゃん!」
「ああ…だが、それよりも」
「そうだ。アーウィン様の元へ」
消えたバクーモスのいた場所を見向きすることなく、エルバ達はアーウィンの元へ向かう。
壁を枕にした状態で倒れこむアーウィンの兜は既にロウの手で外されており、そこには17年前と変わらぬ顔立ちをしていたアーウィンがいた。
「父さん!!」
目を閉じているアーウィンの前まで来たエルバは彼の肩に手を置いて呼びかける。
「アーウィン!起きよ、アーウィンよ!おぬしの息子が、エルバが目の前におるのじゃぞ!目を開けてくれ、頼む…!」
目覚めぬアーウィンにロウは必死に声をかける。
そんな2人に対して、セーニャは何も言うことができずに目をそらす。
確かにアーウィンをバクーモスの魔の手から救うことはできただろう。
しかし、アーウィンはバクーモスの糧である悪夢を見せ続けるために無理やり生かされていた。
そのバクーモスが死んだということは、アーウィンの命も今度こそ尽きたことになる。
「父さん!父さん!」
(義父上、エルバ…)
どこからか2人の耳元にアーウィンの声が聞こえてくる。
目の前のアーウィンからではない、脳に直接伝わる声だ。
(エルバ…大きくなってな。本当なら、生きてちゃんとお前の姿を見たかったが…。17年もの間、ほったらかしてしまって、すまなかった…)
「そんな、父さんが謝ることなんかじゃ…」
(義父上、申し訳ありません。エレノアを守ることができませんでした。本来ならば、こうして声をかけることさえ許されないのに…)
「よいのじゃ、アーウィンよ。仕方のないことじゃ…。それよりも、良かったのぉ、エルバが…おぬしとエレノアの生きた証は…ちゃんとここにおるぞ…」
2人が命がけで救った命が成長し、勇者として、今世界を救うための旅を続けている。
そして、ロウもまた、そんな最愛の孫と再会することができた。
その喜びを涙交じりの笑顔でアーウィンに伝える。
(そう、か…。ああ、そうか…)
(あなた…。ようやく、戻ってきてくれましたね)
「母さん…」
「エレノア…。ああ、そうか。迎えに来たのじゃな、アーウィンを…」
姿を見ることはできないが、ここにエレノアが来ていることをエルバとロウは確かに感じていた。
今、彼女はアーウィンと共に旅立つ。
命の大樹がない今、2人に待っているのは消滅しかないにも関わらず。
だが、死者がいつまでも現世にとどまっていてはならない。
それが怨念となり、魔物となって生者に災いをもたらすのだから。
(エルバ、私とエレノアはどうにか消滅しようとする魂達を少しでも生き永らえさせようと思う。お前が世界を救ったなら、きっと命の大樹も蘇るだろう。その時、葉となる魂がなければ、命の循環が断たれてしまう)
「父さん…父さんも見たんだな。俺の悪夢を…」
(ああ…。だが、まだ希望は残っている。それを信じて、見せてくれ。エルバの奇蹟を…)
(お父様、エルバを…よろしく頼みます)
「ああ…心配するでない。エルバのことは儂が守る。死者たちのことは頼んだぞい」
(はい…。エルバ、私たちはいつもあなたのことを見ています。大好きよ…)
2人の声が聞こえなくなっていく。
眠っていたアーウィンの肉体は消えてなくなり、その場に残ったのは彼が着ていた甲冑だけだった。
しかし、その甲冑はなぜか新品同然に直った状態になっていた。
「父さん、母さん…」
「エルバ様、ロウ様。一体何が…?」
「ワタシたちにはよくわからないけれど…もしかして、成仏してくれた…ということでいいのよね?」
「ああ…。父さんも母さんも、あるべきところへ帰ったんだ」
アーウィンの遺した兜に手を取ったエルバの両手の痣が淡く光る。
その光を見たシルビアの目が丸くなる。
「エルバちゃん!?勇者の力がよみがえったのね!けど、右手にも痣ができたの!?」
「ああ…。痣が教えてくれた。この右手に宿った力は…俺自身が生み出しただって」
「生み出した…?そのようなこと、ローシュ戦記にもなかったことじゃぞ!?」
「まさに、伝説を塗り替えたといったところだな」
「そう、かもな…」
今着ているユグノアの甲冑を外したエルバはアーウィンの甲冑で身を包む。
ほんのわずかしか両親と話すことはできなかった。
しかし、2人は自分を信じて、戦っている。
そのことがうれしかったが、同時に悲しみもあった。
「あ、あれ…??」
目を開けたエマの視界に入ってきたのは心配な表情を見せるペルラとダンの姿、そしてテントの布だった。
エルバと話して、痣が光ったのが見えたが同時にまた意識を失い、今イシの村にいる。
「大丈夫かい?やっぱり…疲れがたまっていたじゃないか。あの子といいエマちゃんといい、無茶しすぎだよ」
「ごめんなさい、おばさま。おじいちゃんも、心配かけてごめんなさい」
「ただの疲れでよかったわい。もしエマの身に何か起こったらと思ったら、不安じゃったよ」
「せっかくだから、今日明日はしっかり休んでなさい。これから、シチューを温めて持ってくるよ」
ペルラとダンがテントから出ていき、中は布団の中のエマ一人になる。
「エルバ…」
(エマさん)
急に目の前に淡い光の球体が二つ現れる。
普通ならあまりのことに驚くはずなのだが、なぜかエマはそれが何かが本能で分かったようで、驚くことなくそれを見つめていた。
「エルバのお父様と…お母様…?」
(エマさん…。エルバを、私たちの子供を救ってくれて、ありがとうございます)
(あの子は私たちの自慢の息子だ。それはきっと、ずっと彼のそばにいてくれた君なら、分かるはずだが)
(どうか、あの子のこと、くれぐれもよろしくお願いいたします)
優しい声で語り掛ける2つの球体。
本当にエルバのことを大切に思っていることがその言葉だけでも、感じ取れた。
ニコリと笑顔を見て、首を縦に振ると、光の球体は煙のように消えてしまった。
きっと、安心してくれたのだろうと思い、エマは目を閉じて祈りをささげる。
(エルバ…私はここで待っているから、必ず帰ってきてね。私はエルバを…あなたを、信じてる)