ガラガラと稲光が窓を包み、切り裂く音が部屋中に響き渡る。
その部屋にある円卓にはロトゼタシアの王たちと先代ユグノア国王であるロウが座っている。
円卓の中央のゆりかごにエルバがすやすやと眠っている。
「あの子が…そうなのだな」
「そうじゃ。この痣、間違いあるまい」
サミット第3席のモーゼフの言葉に第2席のロウが答え、眠るエルバのゆりかごを撫でる。
「ふむ…普通の子供であれば泣き出すこの雷の中でも眠ることができるとは…。それだけ、ロウ殿とアーウィン殿がいることに安心しておるということか…」
第4席であるテオドールは微笑む中、第5席のファルス3世はそわそわしつつ、メイドが出してくれた水を口にする。
「暗黒の深淵にたゆたう邪悪の神。凍てつく黒き闇を纏いて母なる大樹に迫りし時、光の紋章を携いし勇者、聖なる剣で邪悪の神を討ち、閃光となりてロトゼタシアの地を光で照らさん」
「ローシュ戦記、終わりの詩か…」
ロトゼタシアに暮らす人々の大半が読んだことのある本で、ロウとモーゼフも耳にタコができるくらい読んでいる。
「しかし、戦記いわく、邪悪の神は古の勇者によって滅ぼされ、世界は平和になったはず…しかし、以前と比べてロトゼタシア各地で魔物が活発化しておる。皆も気づいておろう」
「はい…。アーサー王率いるバンデルフォン王国は確かに魔物による攻撃で滅びています」
第1席アーウィンのアーウィンにとって、そのことは幼いころの出来事で、その話はロウや軍学校の教師から聞いた話しかない。
圧倒的な軍勢となった魔物たちになすすべなく滅びてしまった。
その時、各国で連合軍を編成して救援に向かったが、できたのは生き延びた兵士や国民を救助することだけだった。
バンデルフォン難民の扱いやその魔物の大軍の調査を巡り、一度サミットは開催されている。
その後はいったん、魔物たちの動きは静まったが、最近になって再び魔物たちは活発化している。
その魔物たちの攻撃によって滅びてしまった集落も存在する。
「このような事態の中、勇者と同じ痣を持つエルバが生まれた。これが何を意味するのか…聡明なる王の見解を聞きたい」
魔物の活性化、勇者の誕生はどうしても繋がりがあるとしか思えない。
その答えはローシュ戦記にはない。
王たちは沈黙し、目を閉じて自分たちの考えをまとめていく。
その中で最初に口を開いたのはファルス3世だ。
「邪悪な神だとか、魔物が増えたとかいろいろおっしゃいますがねえ、どんなに不穏な影が世界を覆うとも…こうして伝説の勇者が再びロトゼタシアに現れたのですぞ!勇者がいる限り、この世界の平和は約束されているのではありませんか?」
勇者誕生のタイミングは邪悪の神がロトゼタシアに現れたときで、ユグノア王国の嫡男として生まれた。
そして彼は16歳の頃に勇者の使命に目覚め、愛馬であるクリスと共に旅だった。
その中で仲間であるネルセンやセニカ、ウラノスと出会い、ラゴス、パノン、ネイルの助力を得ることができた。
そして、勇者の剣を手に入れて邪悪の神を討ち、ロトゼタシアに平和が戻った。
今回、魔物たちが活性化する中で再び勇者が現れた。
ロトゼタシアを守るために命の大樹から遣わされたということは、彼が魔物たちを沈めてくれる。
そう楽観したいのは誰もが同じだが、どうしてもそう考えることは誰もできなかった。
「カッカッカッ、なるほどのぉ。勇者がいる限り、平和は約束される…か」
一笑いしたテオドールは髭を撫でると、鋭い目つきで周囲を見渡していく。
普段の穏やかな彼とは真逆の視線に空気が凍てつく。
「ロウ殿も人が悪い。先ほど語ったローシュ戦記、肝心な部分が抜けておる」
「ローシュ戦記第1章…勇者の誕生が記された序章だ。命を紡ぐ命の大樹、その息吹より生まれし光の勇者。勇者の光、尽きることなきまばゆさで、果ては漆黒の影を生み出さん。影の名は混沌を統べる邪悪の神なり…」
「それでは、伝説の勇者自身が邪神を誕生させたと…?」
「夜の暗闇がなければ、星が輝かぬように、光がなければ闇は生まれない。どちらも切っては離せぬ存在。太古の昔より定められた摂理じゃて」
少数ながら、歴史研究家の中にはそう主張する人もいる。
ロトゼタシアには光と闇のバランスをとる動きがあり、邪神誕生の原因は勇者誕生によって光の力が強まりすぎたことで、闇がバランスを取ろうとカウンターとして生み出したもの。
勇者が生まれなければ、邪神が生まれることはなく、バランスは保たれていた。
「光と闇は常に表裏一体。勇者の誕生は命の大樹の福音か、それとも邪神の目覚めの暗示か果たして…」
「言葉が過ぎますぞ、テオドール殿!!勇者が悪と同等の存在などと!!」
(ハハハハ!大正解、その証拠がまさにこの俺だろう!!)
エルバの背後にもう1人のエルバが現れ、机をたたいて憤りを見せるアーウィンをあざ笑う。
反論したいエルバもまた、自分がその証拠を作り出してしまったために、沈黙することしかできなかった。
「しかし、勇者が善の存在とは言い切れぬ。不吉の影は魔物だけではないのだぞ?最近になって、夜空に輝く勇者の星が鈍い光を放つようになったという情報もある。ご子息の誕生と同時に起こったことじゃ」
「なんてことを…」
勇者の星の光のことは事実であり、実際にサマディーでもそれを観測している。
だんだんと話の流れが勇者は悪魔という形へと変わっていく。
そこから出来上がっていく未来がアーウィンの脳裏に描かれていく。
「わしには聴こえるのじゃよ。まがまがしい輝きの中、勇者の星が唄うロトゼタシアを混沌へ導く破滅の唄が!!」
「…一理、あるな」
落雷の後で、沈黙を守り続けたモーゼフが口を開く。
アーウィンから伝わる視線を無視したモーゼフは言葉を紡ぐ。
「確かに、穏やかではあるが世界にはまがまがしい足音が近づいている。その兆しはバンデルフォンや勇者の星だけではない。世界中で起こっている。我々はそれぞれの国を統べる王。ロトゼタシアに住まうすべての民を守らねばならぬ。そのためには…その元凶を絶たねば。たとえ、それが伝説の勇者だとしても…」
「エルバを…我が子を、殺せと?」
アーウィンの言葉と同時に深い沈黙が流れ、その中で落雷が発生する。
そして、これまでおとなしくしていたエルバが身の危険を感じたのか、声をあげて泣き始めた。
泣いている我が子を見たアーウィンは彼が生まれる直前に起こったことを思い出す。
「我が子…エルバが生まれたとき、命の大樹から聖なる光が発せられ、夜明け前の空をまばゆく照らしました。その直後、その光と共鳴するかのように光り輝く痣をその手に携えて、エルバが生まれたのです」
その時は痛みに苦しむエレノアの手を握り、必死に祈り続けていたことから気づくことがなかった。
彼の認識としてわかっていることは本当に彼がエレノアのおなかの中から出てくるときに優しい光が窓から差し込んだこと。
そして、そのことを知ったのはエレノアの世話をしていたメイドから直接聞いた時だ。
その時、エルバは確かに命の大樹の輝きに祝福されて、この地に、アーウィンとエレノアの子として産まれたのだと気づいた。
「この子はまごうことなく伝説の勇者。大いなる闇を晴らす力として、命の大樹が与えてくださった希望の光なのです。確かに、エルバは伝説の勇者であると同時に一人の人間。喜びや幸福だけではない、悲しみや絶望のような闇もまた襲うことになるでしょう。しかし、エルバなら…伝説の勇者の生まれ変わりである彼ならば、光も闇
も超えていく。そして、その力で世界に平和をもたらす。私はそう信じます!」
信じること。
今のアーウィンにできるすべてはただそれだけだった。
伝説の勇者としての運命を、自分の意思であろうがなかろうが進むしかないエルバにできる精一杯のことがそれだ。
そのためなら、たとえ世界を敵に回そうともエルバを信じて、守る。
そのアーウィンの言葉にモーゼフは笑みを浮かべる。
「そうだ、それでこそアーウィンよ。もしも儂らの言葉に賛同したならば、即刻エルバを引き取るところじゃった」
「デルカダール王…?」
「勇者エルバは命の大樹の意志。我々に与えられた光の力だ。全力で守らねばなるまい」
「フフフ…すまぬのぉ、アーウィン殿。おぬしに本当に勇者の父親としての覚悟があるのか、それをどうしても知りたくてのぉ」
「お二人とも…」
緊張の糸が切れたアーウィンが倒れるように席に座る。
いつの間にかエルバは泣き止んでおり、荒くなった息を整えるアーウィンに笑顔を見せる。
「我が国は勇者への支援を約束しよう。エルバが16歳となった曉にはデルカダールにて修練を積ませよう。エルバにはいち早く我々を導く力を手に入れなければならぬからな」
「ふむ…では武芸はデルカダールへ、呪文についてはクレイモランが引き受けよう」
「ならば、サマディーは馬術そして山岳戦の教授を行うとしましょう。我が国だけが勇者の支援しなかった、では申し訳が立ちませぬからな、ハハハハ!!」
「みなさん…ありがとうございます!」
「フッ…では、将来は成長したマルティナとエルバで婚礼とするか?」
「モーゼフにしては、珍しい冗談じゃのぉ」
外の荒々しい天気とは裏腹に、ようやく会場には平穏で暖かな空気が包み始める。
「では、我々の心は一つにまとまったということで、まずはエルバの顔を勇者を待ちわびるであろう皆に見せなければな。その後で、後の議題を…うん?」
「アーウィン…様…」
急に扉が開き、一人の兵士が入り込む。
サミット開催中は緊急の伝言がない限りは入室が禁じられている。
何かがあったのかと席を立ったアーウィンは彼に駆け寄る。
兵士の体は血で濡れており、腹部に深々とできている傷がもう彼が助からないことを示していた。
「み…皆さま、お逃げください…。魔物、が…大軍でユグノアを…。城下の者も、現在、避難を始めて…ゴハァ」
血反吐を吐いた兵士はグラリと目を開いたまま倒れる。
アーウィンは自分の手についた血を見つめ、目を閉じるとその手を握りしめる。
いち早く席を立ったデルカダール王はそっと開いたままの兵士の瞼を閉じさせた。
「これは…どうやらバンデルフォンの悪夢を再び繰り返そうというのか」
椅子に座ったままのテオドールは窓の外から伝わる猛烈な悪意の気配を感じ取る。
落雷の光だけが頼りも暗がりの空には数多くの羽根がついた悪魔系の魔物たちが飛んでいる。
中には赤い上半身と大きな角を持つ半人半獣の魔物、アンクルホーンの姿もあり、雨水を取り込むことで威力を増したヒャダルコを城や城壁から弓矢で迎撃している兵士たちに向けて放つ。
「魔物の大軍…!!皆さん、急ぎ避難してください!!」
「勇者は、勇者はどこぞぉ!!」
窓ガラスを突き破り、会場へ魔物が飛び込んでくる。
飛び込んだ魔物、シャドーサタンは3つ目でジロリと既にアーウィンの腕の中にいるエルバに目を向ける。
「そこか…勇者!!魔王様の繁栄のため、その命もらいうける!!」
「下郎!魔物などに勇者は渡さん!!ロウ!」
「うむ、心得た!」
剣を抜いたモーゼフに向けて、ロウがドルマを放つ。
剣で闇の球体を受け止めたモーゼフはボソボソと呪文を唱え始め、次第に刀身がドルマの魔力で包まれる。
「受けよ!闇の刃を!!」
闇の剣で悪魔系であるはずのシャドーサタンに斬りかかる。
だが、盗賊よりも俊敏であるその悪魔は自らの体にその剣が到達する前に右手でその老体を貫こうとたくらむ。
しかし、動かそうとした右腕はなぜか動かず、動かない右腕にシャドーサタンは目を向ける。
なぜか肘の部分が凍り付いていて、あるはずの右腕は氷の彫像となったうえに既に切り離されていた。
「うかつじゃな。王が無防備であると思うたか?」
左手の指で印を切り終えたテオドールが放つヒャダルコが砕けた窓をふさぐ。
そして、切られた右腕に気を取られていた隙にモーゼフの剣がシャドーサタンの首を切り落としていた。
「アーウィン!急ぎエルバや家族と共に逃げよ!!わしらは魔物を食い止める!」
「義父上!!」
「案ずるな。わしらも時間を稼ぎ終えたら逃げる。それに、あの程度の魔物どもに斬られるほど、不覚は取らぬ」
「アーウィン殿、急ぎますぞ!」
ファルス3世に腕を引っ張られ、エルバを抱くアーウィンは会場を後にする。
アーウィンが出たのと同時に時間が止まる。
(あの魔物たちは、確かにエルバを狙っていた。私は願った。私が死ぬこととなろうとも、家族だけでも生き延びさせる。特に、エルバ…。お前さえ生きていれば、勇者という希望も、ユグノアという希望も残るはずだった。だが…だが…)