「陛下、陛下にぜひ、お聞き届けいただきたいことがございます!」
緑のサークレットにユグノアの国章が刻まれた赤いマントを身に着けた、若干ハネのある黒い髪の青年が王座に座る王の前にひざまずく。
その隣には薄緑のドレスを身に着けた、薄茶色の流れるような髪と海のような優し気な青い瞳をした女性がいて、彼女もまたひざまずく。
目の前に座る王とは何度も顔を合わせており、隣にいる彼女の護衛隊長となって、直接会う機会も増えている。
騎士団長としての職務で顔を合わせることにはもうとっくに慣れているが、今日だけはどうしても緊張してしまう。
鎧に隠れた手が汗でにじんでいるのが感じられる。
「エレノア王女殿下の護衛隊長、アーウィン。お…恐れ多くも王女殿下と連れ立ち、ロウ様の御前に参じました。ほ…本日、こうして参じましたのは、ロウ様に大切なお話があってのこと…!」
「うむ…申してみよ」
主の声が聞こえ、あとは胸に秘めていたことを言うだけ。
だが、思い人とは身分違いであり、普通であれば認められるはずのない話。
ユグノアの貴族の妾の子であり、部屋住みの身分であった自分を取り立ててくれた大きな恩のあるロウにこれ以上何を求めるのか。
賢王と呼ばれ、身分や血筋に囚われない彼なら猛烈に反対することはないだろう。
だが、どうしてもこれ以上、あと一歩が踏み出せない。
わずかに視線を隣の女性、エレノアに向ける。
彼女が見せるのは普段見せてくれる優しい笑顔。
護衛兵として初めて会った時から見せてくれたものだ。
大丈夫、その笑顔だけで安心と勇気が目覚める。
意を決したアーウィンの口が開く。
「実は…この私と、王女殿下の婚約をお認め戴きたいのです!!」
「アーウィン…」
向ける視線がかわったこと、それは見ずともアーウィンにはわかることだ。
だが、エレノアのためにも、自分がつかみたい未来のためにも、下がるわけにはいかない。
「一介の兵士に過ぎぬ私には不相応な願い…それは承知しております!しかし…不肖ながら、このアーウィン、王女殿下のために鍛え上げたこの剣、そしてゆるぎないこの思いの強さは世に並ぶものはないと自負しております!!ですから、ロウ様!どうか、今後は護衛隊長としてではなく、夫として王女殿下を生涯守り抜くことをお許しいただけないでしょうか!?」
しばしの沈黙が流れ、ロウが立ち上がる音とこちらに歩み寄る足音が聞こえてくる。
ロウの小さな影がアーウィンを包み、プレッシャーを感じながらもアーウィンは動きを見せない。
「…アーウィンよ、表を挙げよ」
「はっ…」
声色はいつもの陽気なものではない、王としての威厳と厳格さを感じるもの。
しかし、顔を上げてみたその表情は笑顔そのものだった。
「断る理由など、ありゃせんわい。儂は知っておるぞ、おぬしがエレノアの伴侶となる男じゃ。これから、エレノアのことを頼むぞい、アーウィンよ」
「うう…口惜しい、口惜しい…」
真っ暗な空間の中で、男の声が反響する。
誰もいない、ただ地下を通る水の流れだけが聞こえるその場所で、彼は右手に握っている折れた剣を見つめる。
護衛隊長に任命された時にロウから賜った隼の剣。
左手に持つ魔法の盾は既に色あせていて、身にまとっている鎧もまた、ひび割れなどが目立つ。
彼はすべてを失ったあの日からずっとここにいる。
何度もここを出ようとしたが、なぜか出ることができない。
それならばと首に剣を突き立てたこともあるが、なぜかすぐに治ってしまい、死ぬことさえできない。
死ぬぎりぎりの飢えと渇きに侵されながら、ここに居続けている。
「口惜しい…義父上との約束を果たすことができず、何も守れず…すべてを奪われてしまった…」
本来ならば、決意と幸せに包まれるはずだったあの時間が今の彼には悲しみの種となっている。
もう何もない自分にできるのは悲しみと憎しみの感情を口にすることだけ。
最強の騎士と称されていた自分が情けなくて仕方がなかった。
「ふむ…では、ここから北の道は通れぬと」
「はい、落石で道がふさがれています。ですが、ルートはあります」
ユグドラシルのメンバーが見せる地図の、ネルセンの宿屋の箇所に印が刻まれる。
本来ならそこから北上することでグロッタの街にたどり着くことができる。
ちょうど、ここの主からマルティナらしき女武闘家が向かったことを聞いたため、そのまま進みたかったが、残念ながらそううまくはいかない。
凶暴化した魔物の暴走によって落石が発生し、山肌を沿うような形で作られていた道がそれでふさがってしまった。
幸いなのは迂回するルートが残っていることで、彼が進めてくれたのはユグノアを経由する道だった。
長距離移動となるものの、今グロッタへ向かうとなるとこのルートしかない。
「水は途中の川で調達できるでしょうが、食料については…どうにもなりません。ここに備蓄されている食料を提供できれば良いですが…」
ポートネルセンとグロッタの間であり、穀倉地帯であるバンデルフォン地方にはその分魔物の数が多く、その魔物によって滅ぼされてしまった集落も存在する。
グロッタへ逃げることのできない人々を受け入れているのがネルセンの宿屋で、現在は旅の戦士やユグドラシルのメンバーの助力で宿の周辺の受け入れのテントや防塁が作られている状態だ。
食料と水を確保できる分、流入する人が多く、今はエルバ達にそれを融通する余裕がなかった。
「いや、情報が入っただけでも良い。じゃが、本部との連携が分断されながらも、よくぞ無事で…」
「グロッタの町長の助力もありましたから…彼がここで孤立した我々を…。それ故に、グロッタと連絡が取れないことが心配です。今は私を含め、メンバーのみが知っている状態です」
「その方がええ。追い込まれている中で、パニックになってしまうよりも…」
「はい、どうかグロッタの状況を確かめ、マルティナ様を…。魔物の勢いがすさまじく、守らなければならぬ人々がいる以上、我々も…」
「ここは任せる。頼むぞい」
「はっ…お帰りをお待ちしております、ロウ様」
頭を下げるメンバーをいたわるように、ロウは彼の肩に手を置く。
世界崩壊によって、皮肉にもエルバとユグノアの無実が証明される形となり、こうしてユグドラシルも大っぴらに動くことができているが、状況は悪くなる一方。
六軍王も、まだエルバとグレイグが戦ったゾルデしか倒すことができていない。
(仮にグロッタが魔王に占拠されたとなれば、十中八九、そこには六軍王が…)
「ああ、ロウ様、もう1つ…これは報告すべきか否か迷っているものですが…」
「うむ…なんじゃ、申してみよ」
「実は、最近になり奇妙な夢を見る人々が出ております。半年前からで、最近ではここにいる人々の半数以上が見ておると…鎧姿の男が口惜しい、口惜しいと真っ暗な場所で言い続けているというもので・・」
「鎧姿の男…?その鎧とはどのようなものなのじゃ?」
「私も見ましたが、暗くてなかなか…ただ、見間違いでなければ、それはユグノアの…それも高い地位の方のものであるかと…」
彼は元々兵士ではなく、鎧についてはあまり詳しいというわけではない。
ただ、ユグノアで行われた兵士たちによるパレードの時、上級の兵士や王族が身に着けていたものを覚えている。
今思えば、その男の鎧はそれに近いかもしれない。
ユグドラシルで装備の調達をするとき、15年前に戦死した兵士である兄と父にもっと装備品のことを聞いておけばよかったとさえ思ってしまう。
(ユグノアの戦士、か…。まさかとは思うが…)
「ハッ!デヤアア!!」
宿屋近くの川辺では、上半身が裸になっているエルバが右手に水竜の剣、左手に普段使っているナイフを握り、振るう。
机替わりの切り株の上にはグレイグから受け取った剣術書が置かれていて、それに従うように剣を動かす。
ここまで移動する間や滞在中、エルバはかじりつくようにその本を読み、修行を続けていた。
(型についてはある程度、体が覚えて来てくれた。どうして二刀流が必要かも…)
その書物の中では、両手剣はともかく、片手剣を両手で握って戦うことはナンセンスだという記述がある。
二刀流について書かれたのは片手剣は馬に乗っているときや走っているとき、人混みや険しい場所ではどうしても片手で剣を使わざるを得ないためで、騎士の大半が短剣も一緒に差しているためだ。
ロン・ベルク流では、片手剣とその短剣を使った二刀流が初心者の基礎となり、使える武具はすべて使い切らなければ意味がないという彼の持論がにじみ出ている。
そう考えると、エルバのように片手剣2本を最初から使ってしまったのはその流派から外れた行動だと言える。
また、そうした訓練が必要なのは片手で武器を使うことに慣れるためで、二刀流を使うべきタイミングとして推奨されるのは大人数と戦うときや屋内などの閉所。
あらゆる場所でも、自分が有利な状況下で戦えるようにすることがロン・ベルク流の考えと言えるだろう。
「だが、分からないのが奥義…」
ジエーゴが習得できなかったその奥義については、そのページそのものが強い魔力でくっついた状態になっており、開けない状態だ。
どうやって開けばいいのか皆目見当がつかない。
そのひとつ前の章には最強の剣技として、星皇十字剣の名前だけが書かれているが、その使い方も動きも一切書かれていなかった。
剣技というのは己や周囲を守るためのものであり、自らを破壊し、再起不能となるような剣技は剣技ではないと否定している。
実際、それを強敵に対して使った際には確かにその敵を倒すことはできたものの、両腕を破壊してしまい、長期にわたる治療が必要になってしまったという実体験があるらしい。
「エルバ、どうだ?あの書は役に立っているようだな」
「グレイグ…」
ここにいるユグドラシルのメンバーにある程度、剣の手ほどきをしてきたグレイグがやってくる。
切り株に腰掛け、開きっぱなしになっているページに触れる。
「グロッタへはユグノアを経由することになるようだ。…私にとっても、あまり思い出したくない場所ではあるが…」
「そういえば、グレイグは17年前の戦いでアラクラトロを倒したんだったな」
その戦いはエルバが両親と故郷を失った一件であり、すべてが狂いだした時でもある。
グレイグ飛躍のきっかけとなって一件ではあり、そこから将軍となる道筋ができていったが、あまりそれを喜ばしく思えない。
「ああ…。だが、思えばその時から王が狂い始めた…。おそらく、その時にはすでに、ウルノーガに…」
「なにかそういう兆候があったのか?」
「そうだ。17年前の魔物の襲来の時、それは4大国の王が集まり、会議をしていた。その時、私は城の近くにある兵舎で待機をしていた」
休憩に入っていた当時のグレイグはその時、いつでも出れるようにと鎧と剣は装備したままの状態で、ホメロスから薦められていた本を読んでいた。
そんな中で緊急事態を告げる鐘の音が聞こえ、魔物の襲来が伝えられて飛び出した時に見たのは空一面を覆うほどの魔物たちだった。
まだ城門は破られておらず、地上から侵入しようとする魔物がいないことから急いで当時のグレイグの上司である兵士長が兵士の割り当てを行い、グレイグは王救出のために場内に進入した。
城内にはどうやって入ったのか、既に多くの魔物が侵入しており、既に兵士のみならず、城内の戦えない人々も犠牲になっていた。
魔物たちを蹴散らしながら王を探し、その中で脱出用と思われる城の地下水路で、ようやく主君と合流することができたものの、そこで同時に見たのはアーウィンの遺体だった。
「あの時、王は…いや、憑依していたウルノーガが言っていた。ユグノアは勇者の力を独占しようとしていた。そして、アーウィン様が襲い掛かったからやむなく殺した。しかし、エレノア様がマルティナ様を人質にとってしまったと…勇者の光によって、闇が引き寄せられたうえにユグノアの人々の心まで変えてしまったと…」
「それで、勇者は悪魔の子、と…。はめられたな、ウルノーガに…」
「ああ、後悔しているよ」
デルカダール王やジエーゴが父親の存在だとするなら、アーウィンは最強の騎士で、そんな彼を尊敬していた。
デルカダール王本人もアーウィンのことを絶賛しており、仮に若いころの彼を側近に加えることができたとしたならと惜しむほどだった。
「あの後は生存者を脱出させるために動き、遺体はそのままになってしまった。ウルノーガはアーウィン様を含め、ユグノアの人々を弔うこと、そして葬ることすら許さなかった。もう16年も経過しているが、今もアーウィン様は、きっとそこに…」
「…だとしたら、遺体か遺品だけでも見つけて、ちゃんとあの墓に埋めてやらないとな…」
「ああ、そうだな…」
「悔やむのは後だ。今の俺たちにはその時間すらないんだ」
過去を悔やんだとしても、もうこの17年間は戻ってくることはない。
死んだ両親や失った国、失われた命が戻ってくることは決してない。
それ以上に、その間にもウルノーガによって失われる命がある。
そのことを考えると、エルバ達は立ち止まることができない状態にあった。
ネルセンの宿屋を発ち、西への街道を向かった先。
月が黒い雲で覆われ、真っ暗闇の中をエルバ達はランタンの光だけを頼りに進んでいく。
「ユグノア…また戻って来た」
「胸が痛むわね…。初めて来たときもボロボロだったのに」
廃墟と化していたユグノアは世界崩壊の影響から避けることができず、さらに崩れてしまった家屋やいまだに焼き尽くされた木々、何かが焦げるようなにおいで包まれていた。
城があった場所まで向かい、すぐにエルバとロウが確認したのが両親の墓だ。
世界崩壊の影響でもし壊れてしまったら、2人に申し訳が立たない。
「良かった…少し、ヒビがあるみたいだが、墓そのものは無事だ」
墓を見つけたエルバはヒビが入ってしまった部分をそっと撫でる。
ロウも一安心したものの、ここに来た目的はそれだけではない。
「グレイグ、本当にわかるの?脱出用の地下水路への道って…」
「17年も前のことだが、今も生々しく残っている。おそらくは…」
廃墟にはなっているものの、ある程度道のりは理解している。
城があったころとを頭の中で比較しながら歩いていき、ちょうどエルバ達が儀式を行った場所へと続く山道への入り口から見て右側の開けた場所にグレイグの目が止まる。
「あの場所…そうだ、あの場所に隠し通路があった。そこを通って、陛下と合流した」
「ふむ…そこは覚えがある。ガレキをどかしていけばもしくは…エルバよ、どかしてくれぬか」
「分かった、やるよ」
「俺も、手伝います!」
エルバ達男手4人が道をふさいでいると思われるガレキを一つずつどかしていく。
彼らの手でガレキが取り除かれる中、ロウは道中で聞いたアーウィンの末路を思い浮かべる。
(ウルノーガに取りつかれていたとはいえ、信じていた人間に殺されるとは、どれほど無念であったことか…)
アーウィンは生前、正式な婚礼を挙げる前にロウから紹介され、一時期デルカダールへ遊学していたことがある。
そこでデルカダール王のもとで帝王学を学び、王としての責務などを学んだ。
そんな恩があり、ロウと同じくらい尊敬している彼に殺されたアーウィンがどのように思ったか、その悲しみは想像を絶するものだろう。
やがてガレキが取り除かれ、地下へと続く階段が露となる。
「お気を付けください、皆さま…。ここから先に恐ろしい気配を感じます」
「恐ろしい気配…魔物か?」
「であれば、なおさら放っておくわけにはいかぬ。アーウィン様の身に何かあってはならぬのだ」
「そうじゃな。心して参るぞ」
6人がアーウィンの眠る地下水路へと足を踏み入れる。
一番最初に入ったエルバは歩を進めるたびに胸を締め付けるような痛みを感じたが、それ以上に父親を見つけたいという思いが強く、口外することはなかった。