「ここは…どこだ…??」
黒い霧に包まれた空間の中に、エルバは立っている。
崖から飛び降りて、目を閉じるとなぜかここにいて、一緒に脱獄したカミュの姿もない。
よく見ると、武器やボウガンなどが手元になく、さらに服装もイシの村でいつも着ている服に変わっている。
どうなっているのかわからず、混乱するエルバの前にテオが現れる。
「テオじいちゃん…!?いったいどういうことなんだ!?王が言っていた…勇者は悪魔の子だって…。どういうことか教えてくれ!!」
目の前のテオに必死に訴えかけるが、彼は何も言わず、悲しげな眼を見せると背を向け、エルバから離れていく。
「おい…!なんで教えてくれないんだ!冒険の話を笑って教えてくれたように、教えてくれ!!」
走ったエルバはテオの肩に手を置くが、それと同時にテオが消滅してしまう。
いなくなってしまったテオに混乱するエルバだが、今度はペルラやダンなどの村人の姿も見えてくる。
「ペルラ母さん、村長、マノロ!!みんな!!」
彼らもまた、テオと同じようにエルバに背を向けて歩いていく。
「なんでだ…!?なんで、なんでみんな俺を置いていく!?俺が…俺が悪魔の子だからか…!?もし、そうだとしたら…なんで俺は生きているんだ!?」
霧の中へ消えていく彼らを追いかけるエルバの前に、見覚えのある少女の後ろ姿が見えてくる。
テオやペルラ達と違い、彼女は足を止めている。
出発前夜に見せたあの後ろ姿をエルバは確かに脳裏に焼き付けていた。
「エマ!!」
エマの元へ走るエルバ。
きっと、彼女であれば受け入れてくれる。
彼女であれば、笑顔で自分を励ましてくれるという、異性の幼馴染への甘えに似た信頼を抱いていた。
エルバはエマに触れようとする。
しかし、その前にエマの体がフラリと、エルバの目の前で倒れた。
「エ…マ…??」
何が起こったのかわからないエルバは倒れたエマを抱きかかえる。
そのエマの姿を見たエルバの目が大きく開き、目からは涙が出てくる。
彼女の腹部には深い刺し傷があり、エマは涙を流し、目を開いたまま息絶えていた。
近くにはルキも同じように傷を負って倒れている。
そして、エルバの目の前には紫色の服を着た、黒いフードで顔を隠す男の姿がある。
「お前が…お前がぁ…!!」
エマの瞼を閉じさせ、両手を胸に当てさせる形で彼女をあおむけに横たわらせたエルバは怒りに満ちた目でその男に目を向ける。
彼の手には兵士の剣が握られていて、刀身は血がべっとりとついている。
エルバはなぜかそばに現れたイシの大剣を手にし、その男に襲い掛かる。
「お前が…みんなを奪ったのか!?俺からみんなを…エマを!?」
あまりにも生々しい感覚に、エルバはこれが現実のように見えてしまう。
イシの大剣と兵士の剣が何度もぶつかり合う。
しかし、破壊力と耐久性が上回っていることがあってか、イシの大剣が何合目かで兵士の剣をたたき折る。
「返せよ…俺のすべてを…返せぇ!!」
大剣が男を切り裂き、男は口から血を吐いて倒れる。
エルバはこの憎むべき男の正体を確かめようと、彼のフードをとる。
「あ、ああ、ああああ…」
正体を見てしまったエルバはその場に座り込む。
信じられず、受け入れられず、彼の眼には涙があふれ出す。
エマとルキを殺し、その敵として殺した彼が…エルバ自身だったからだ。
エルバは両手を見ると、その手にはべっとりと血がついていて、さらにイシの大剣は彼が持っていた兵士の剣へと変わっていた。
「うわああああああ!!!!!」
「エルバ…エルバ!!」
カミュの声が聞こえると同時に、一気に景色が霧の中から小さな部屋へと変化する。
今、自分が寝ているベッドと本棚、机と椅子が一つずつあるだけの質素な空間で、カミュがじっとエルバの顔を見ている。
「カ…ミュ…?」
「覚えておいてくれたか…あんな状況で、うれしいぜ」
カミュは持っていたタオルをエルバに渡す。
(夢…だったのか…?)
体中に出てるべっとりとした汗を拭きながら、エルバは先ほどまでの光景をそう解釈する。
あまりにも生々しく、あの男を切り裂いたときは確かに現実のような手ごたえを感じたため、夢とは思えないところもあった。
「だいぶうなされていたな。何か悪い夢でも見たか?」
「…そんな、ところだ」
「詳しくは聞かないが、あんまり気にするなよ?夢はどうあっても夢、現実じゃあないんだぜ?」
シスターからもらった食事を食べ、2人は外へ出る。
夜更けとなっており、まだ脱獄してからそれほど時間がたっていないことが分かった。
「この子があなた方をここまで連れてきたんです。驚きましたが、放っておけませんでした…」
「フランベルグ…どうしてここへ…?」
外へ出たエルバは城下町に置いてきた相棒の頭を撫で、なぜここに彼がいるのかという疑問を抱く。
別れた時には確かに馬小屋に鍵をかけ、出られないようにされており、捕まった時には連行されていたはずだ。
百歩譲って脱出し、自分たちを見つけたとしても、見ず知らずの人間であるカミュまで助けるというのは考えられないことだ。
「それにしても、最近は物騒ですねぇ。魔物が活発化しただけではなく、今度は悪魔の子まで現れるなんて…。生きるのが難しい世の中になってきました…」
「ああ…そうだな…」
その悪魔の子であるエルバと行動を共にしているカミュが締まりなく答える。
おそらく、彼女は自分たちを旅人と思い、こうして助けてくれたのだろう。
また、エルバの顔を見ても何も反応しないということは、まだここには勇者の素性が伝わっていない。
しかし、ここはデルカダールの南西にあり、距離が近い。
伝わるのも時間の問題だ。
「助けてくれて、ありがとうございます。その、何かお礼を…」
「かまいません。助けを求める人がいれば、手を差し伸べるべしという教えに従ったまでのことです。ですが…よろしいのですか?出発するのであれば、朝にしたほうが…」
夜中は当然のことながら視界が悪く、ランタンで明かりをともさないと進むのが難しい。
また、ガストのようなエレメント系や腐った死体をはじめとしたゾンビ系などの夜行性のモンスターが活発に活動する時間帯だ。
そういうタイプの魔物は仲間を増やすために積極的に人を襲う習性があり、そのため夜中に呪文を使える人がいない状態で旅をするのは自殺行為だ。
しかし、ホメロスの部隊が3日でイシの村のある渓谷を調査し、城へ戻ってくるというグレイグの言葉を信じるとしたら、そして情報の伝達も考えると、長居をするわけにはいかない。
「俺ら、どうしても急がなきゃいけない事情があるんだ。それに、目的地はデルカダールで、馬もあるから、そんなに時間はかからねえさ」
「そう、ですか…。わかりました。ですが、危険だとわかったら、すぐにでも戻ってきてください。お二人に神のご加護があらんことを…」
シスターがロザリオを手に、2人の無事を祈った後で教会の中へ戻っていた。
エルバはフランベルグの背に乗ると、その後ろにカミュが乗る。
「おお、すげえな…。2人乗っても大丈夫かよ」
「じゃあ、ここからイシの村へ行くには…」
「ちょっと待ってくれ。その前にデルカダールへ行ってくれ」
「何…?」
エルバは先ほどの目的地がデルカダールだというカミュの発言をシスターに説得するための方便だと思っていた。
そのため、出発したなら、すぐにこのままイシの村へ戻るつもりでいた。
土地勘はないが、地図があるため、あとは方角に従って進めば、どうにかなる。
エルバ自身もそれが望みだった。
だからこそ、デルカダールへ行くというカミュの言葉が理解できなかった。
「あそこに大事なものを隠してるのさ。それを手に入れねえと…」
「急いでイシの村へ戻る必要があるんだ。それをしている暇は…」
「ここからそのイシの村ってところへ戻るにはナプガーナ密林を超える必要があるぞ。こんな準備不足な状態で行ったら、遭難してスモークの仲間入りになるのがオチだぞ」
カミュの正論にエルバは閉口する。
ナプガーナ密林が一度迷ったら出られないと言われているほど危険な密林だということはエルバ自身も理解している。
ここから東へ山越えするという手段については、その山が岩山であり、山道もトンネルもないため、取ることができない。
おまけに夜であることも考えると、ここはカミュの言う通りにせざるを得ない。
「…デルカダールに戻れば、準備ができるんだな?」
「ああ、そうだ」
「…わかった。頼む、フランベルグ」
2人を乗せたフランベルグが北の街道を進み始める。
西側にある開けた草原を見ると、そこには地獄の殺し屋という2つ名を持つ豹型のモンスターであるキラーパンサーがその子供であるベビーパンサーと共に眠っており、ランタン小僧がフワフワと飛んでいる。
光合成によって養分を蓄える切り株お化けはエネルギーの節約のためか、ぐっすりと眠っていた。
「で…大切なものっていうのは何なんだ?」
「ああ…人がいねえみたいだし、いいだろう…。レッドオーブだ」
「なんだ、それは…?」
「やっぱ、知らねえか…。デルカダールの国宝さ。それを盗んだってことで、1年前に捕まって死刑囚になっちまったのさ」
カミュの話を聞いたエルバは国宝を盗むことの重大さを感じた。
普通、死刑になるとしたら、国家転覆を企んだり殺人などの卑劣な犯罪を犯した場合など、重大な犯罪に限られている。
「で…それを盗んだ時に、殺しはしたのか?」
「しねえよ。俺は人殺しじゃない。まぁ…眠らせはしたがよ」
眠らせた、という言葉を聞き、どのようにしてやったのかの手段を知っているエルバはあぁ、と納得したようにうなずく。
その言葉が正しければ、彼はだれも殺しておらず、国宝であるレッドオーブを盗んだという、ただそれだけの理由で死刑囚になったことになる。
「で、その隠し場所はどこなんだよ?」
「ここの下層にあるスラム街さ」
真夜中になり、城下町では人々は家に戻り、家族と静かな時間を過ごしている。
しかし、堀の中で暮らしている人々はかがり火の周りで酒を飲み、踊り子の服を着た女性の踊りを見た男性が興奮した様子を見せる。
隅には飲み過ぎた男が酔いのせいで嘔吐を繰り返す、城下町とは対照的な汚い空間にエルバとカミュはやってくる。
堀の中にできたこのスラム街はデルカダール王国の暗部ともいえる空間であり、城下町の人々は一部を除いて出入りする人が少ない。
住民が自分の手で作ったと思われるボロボロや小屋や展望台、テントなどがあり、外で寝る人が多いのか、ボロボロの莚が両端に無造作に置かれている。
「相変わらず、下品な街だぜ」
嘔吐しているつぎはぎだらけの服の男を見たカミュはため息をつく。
「相変わらず…?」
「ああ。ここには1年と半年くらい前から住んでたのさ。例の物を手に入れるための段取りのためにな」
スラム街であっても、だれに聞かれるかわからないため、『例の物は』以降の言葉は耳打ちする形でしゃべる。
ここの住民は確かに貧しいものの、鼻の利く連中もいる。
些細な情報をもとに、どうやったのかわからないが、情報を集めて、それが犯罪者に関する情報であれば兵士に報告して、手間賃をもらうことがあるようだ。
金のにおいに敏感にならないと生き残れない、それがこのスラム街らしい。
「それで、『それ』はどこに置いてある?」
「ゴミ捨て場だ。手違いがあって、間違えてゴミに混ざっちまった」
2人はスラム街の中央にあるゴミ捨て場まで、オブラートに内容を包みながら話して歩く。
ゴミ捨て場に到着すると、強烈なごみの匂いが2人を出迎えた。
牛や羊、馬などの世話でにおいについては慣れているエルバでも、このにおいがきついようで、必死に鼻と口に腕を押し付けている。
「見張っててくれ、エルバ」
「ああ…言われなくても…!」
ゴミ捨て場に背中を向けたのを確認すると、カミュはごみをどかし、愛用のナイフを使って穴を掘り始める。
見張っている間、エルバはあの夢のことを考えていた。
(あまりに生々しかった…。俺の手で…エマを…)
夢の中で、エマを殺した人間は間違いなくエルバだった。
悪魔の子と呼ばれたせいで、頭が混乱したためか。
何度も頭を振り、この夢を忘れようとするが、あまりにも強烈だったせいで、その程度では記憶から消えない。
(早く…忘れないと…)
「おかしい…ない」
掘ったところを埋めて、ごみを元に戻したカミュがつぶやく。
「ない…だと?」
「ああ。確かにここに隠したはずだ…だとしたら、デクの野郎が…」
「デク…あんたの仲間か?」
「ああ。長い付き合いだ。まさかあいつが『あれ』を…」
カミュの苦い表情を見たエルバはそのデクという男がカミュにとって信頼できる仲間だったことを理解できた。
「とにかく、あいつを探す必要がある。この先にある宿へ行くぞ」
とにかく、彼に会って話をしなければわからないと思ったのか、切り替えたカミュは方針を固める、廃材で作られた2階建ての建物に指をさす。
廃材でできていることもあり、エルバが泊まった城下町の宿屋と比較するとかなり見劣りを感じた。
「そこへ行けば、何かわかるのか?」
「あの宿では段取りをするときに世話になったのさ。女将に聞けば、デグについて何かわかるかもしれねえ」
「…わかった。それで気が済むんならな」
2人はその宿屋へ向かう。
途中、犬に追いかけられている金髪の兵士がいたのだが、彼については無視して、宿屋の中に入る。
そこでは、ぞうきんでカウンターの裏側にある棚の掃除をしている赤髪の太った女性がいた。
スラム街とはいえ、宿屋を経営していることもあってか、服装は住人たちと比較するとかなり整ったものになっている。
掃除に集中しているせいか、2人が入ってきたことに気付いていない。
「女将、久しぶりだな」
「ん…その声、まさか…カミュちゃんかい!?」
カミュの声を聞いた女性は振り向き、驚いたように彼を見ていた。
彼がいるのが信じられないのか、彼女はカミュの顔を触ったり、髪の毛を引っ張ったりした。
さすがに髪を引っ張られたり、つねられたりしたときは痛みで目をつぶってしまう。
「確かに本物…。ということは、本当だったのね。勇者と死刑囚が脱獄したという話は…」
カミュとエルバを見て、彼女は城下で聞いた話が真実だと確信する。
彼女は宿屋の寝具などを仕入れるために、たびたび城下町へ行くことがある。
本来はスラム街と城下町は隔離されており、唯一の通路については兵士によって監視されている状態であり、治安を理由に普通は通ることが許されない。
しかし、ワイロやハニートラップなどで買収することで、通ることが可能らしい。
女将の話を聞いたエルバは警戒を始める。
話を聞いているということは、自分が悪魔の子であることも知っているということを意味する。
となると、彼女が自分の居場所を兵士に伝えることだってできる。
そのことをわかっているのか、女将のアハハハと笑う。
「心配いらないわ。カミュちゃんのお友達を売ったりしないわよ」
「心配するなよ、エルバ。女将は信用できる。で、女将。デクは知らないか…?」
エルバを安心させるため、彼に諭した後で、カミュは本題に入る。
デグ、という名前を聞いた女将は少し考えた後で、棚にしまってある1枚の手紙を出した。
スラム街ではありえない、整った新品の紙で書かれたその手紙を見たカミュは目を大きく開く。
「あいつ…城前広場に店を出しただと!?」
「確か、8カ月くらい前だったかしらね。この手紙が届いたのは」
「城前広場は…確か、セレブ街で、貴族くらいしか住居を持っていなかったはず…」
城へ向かう際、エルバは城前広場を通ったことを思い出す。
そこは身なりの整った貴族をはじめとした金持ちが集まっていて、一般の民衆とは一線を画すほど、経済的な差がある。
そこには大きな屋敷が立ち並んでおり、そんなところで店を出すとなると、相当な金が必要だ。
デクがどのようにしてその金を用意したのか。
答えはひとつしかない。
カミュは手紙を握りしめる。
「あの野郎…裏切りやがったか!!エルバ、あいつの店へ殴り込むぞ!!」
「おい、カミュ!!ちょっと待てよ!!」
手紙を投げ捨てたカミュはエルバを置いて宿屋を飛び出していく。
彼を追いかけるようにエルバも出ていくと、女将はクシャクシャになった手紙を拾う。
外へ出て、彼らが去っていった方向を見て、彼女はフゥとため息をついた。
「よし…ゆっくりだ。見つかってないから心配するなよ…」
深夜になり、人気のない城下町の教会の屋上からつながっているロープをエルバは慎重にわたっていく。
向かい側の城前広場の庭先では先にわたりきったカミュの姿があり、彼は衛兵が来ないか見張っている。
2人が城下町へ続く通路に到着したとき、幸運にも監視しているはずの兵士の姿がどこにもなく、すんなりと中へ入ることができた。
しかし、城前広場へと続く長い大階段は城に続いていることもあってか、兵士によって監視されており、脱獄囚である2人が通るのは自殺行為だ。
そこで、2人は隠し通路となっている屋上にかかったロープを利用して忍び込むことにした。
カミュは盗賊として、こうした不安定な足場を利用して進むことについては慣れているが、エルバは綱渡りなどやったことがない。
そのため、ロープをつかみ、ぶら下がる形で進んでいる。
教会は城を除くとデルカダールで一番高い建物であるため、落ちたら確実に死が待っている。
下を見ないように進んでいき、カミュに支えられながら城前広場にたどり着いた。
2人は兵士たちに警戒しつつ、大階段の東側に位置する店舗の前に立つ。
手紙の内容が正しければ、ここがデクの家だ。
鍵はかかっていないようで、ドアは簡単に開けることができた。
中に入ると、骨董品や武器、防具に宝石など、幅広い種類の商品が丁寧に陳列されており、カウンター前では黄色と緑の縦縞の服を着て、首には金のネックレスをかけた太った男性が白磁の壺の手入れをしていた。
足音で2人に気付いたのか、彼は壺を置くと2人に目を向ける。
「いらっしゃいませ、申し訳ありませんは既に閉て…」
ニコリと笑いながら、話しかけてきたその男はカミュの顔を見ると、ビックリしたように目を大きく開く。
「よぉ、繁盛しているみてーだな、デク…」
左拳を作り、思いっきり太った男、デクの頬に左ストレートをお見舞いしようとしたが、その前にデクはカミュを押し倒すように抱き着いた。
「兄貴ーーーー!!よかったーーー!!お化けじゃない!!無事に再会できてうれしいよーーー!!」
「な、なぁ!?」
号泣しながら抱き着いてきたデクのカミュは困惑する。
あまりにもこの彼のリアクションが1年前まで一緒に行動していた相棒と全く同じだったからだ。
とても、自分を裏切ったように思えない。
「どういうことだ?あんた、裏切ったんじゃなかったのか?」
「何を言ってるんだよー?ワタシがカミュの兄貴を裏切るはずがないよー!」
「な、なに言ってやがる…!お前、俺を裏切って…レッドオーブを売ってこの店を…??」
「そんなわけないよー!この店は兄貴を助けるために始めたんだよー!」
「と、とにかく…まずは離れろ!!話は…そこからだ…!」
むさくるしい抱擁を堪能したカミュがバンバンと降参したプロレスラーのようにデグの背中を叩く。
涙と鼻水でカミュの顔と服はすっかりビショビショになっていた。
「どうぞ、お疲れでしたよね?まずはこれを飲んで、落ち着いてください」
2階にある客室に案内されたエルバとカミュは青のシャツと赤の服を重ね着した、茶色いボブヘアーの女性からケーキと一緒に出された紅茶を飲む。
「おいしいよねー?ここの盆地でできたお茶なんだよー」
デルカダール地方はロトゼタシアで最大の領土を持っており、盆地となっている城下町周辺ではお茶や果樹園が盛んな一面がある。
特に紅茶は貴族からの評価も高く、これを飲むことが一種のステータスとなっている。
彼らがたしなんでいるということもあり、2人ともその紅茶がおいしく感じられた。
「あの、さっきの女の人は…?」
「ウチの奥さんのミランダだよー。この店は2人で作ったんだー」
「ミランダ…?ああ、彼女は…」
カミュは段取りをしていた時期に知り合った女性のことを思い出す。
その女性がミランダで、彼女は城下町や城で盗みを働いており、この国の裏道を知り尽くしていた。
彼女から情報を仕入れ、レッドオーブを盗むための計画を練っていた。
彼女とデクが交際をしていたことはカミュも知っていた。
ただ、当時の彼女はかなりガサツなところがあり、おまけに口調も男性的だったため、今の彼女があのミランダなのかと一瞬疑ってしまったが。
彼女は話の邪魔をしないために、既に客室を出ており、寝室で休んでいる。
「で、この店を作ったのは俺のためって言ってたのは、どういうことだよ?元盗賊にしては、随分立派じゃねーか」
「ワタシ、盗みの才能はなかったけど、商売の才能はあったみたいよー。アニキが捕まって、なんとか助けようと手を尽くしたんだよー。けど、まさか死刑囚になっていたのはビックリしたよー。お客さん達からちょっと話を盗み聞きしたけど、そんなことはあり得ないのに、って言ってたよー」
「ありえない…だと…?」
カミュは捕まって、最下層の牢屋に入るまでのことを思い出す。
捕まった後で行われた事情聴取はわずか1時間で終了し、翌日には裁判が行われた。
裁判はわずか半日で終了し、死刑が決定した。
判決を下したのは王で、判決を聞いた時は周囲の兵士たちや陪審員の貴族たちに動揺が走った。
「そうよー。いくら国宝とはいえ、盗んだとしても10年から20年くらい牢屋に入れられるけど、死刑になる場合は殺人みたいな凶悪な犯罪でもしないとあり得ないよー。ワタシ、法律も勉強したから、間違いないよー」
「そうだな…。殺しまではしねーし…」
カミュは不文律として、盗みはしても殺しや人質を取ると言った行為は徹底的に避けていた。
それは無駄な殺生をしたくなかったこと、そして最悪捕まったとしても死刑だけは回避できるようにするためにそう決めていた。
最も、地下水路で溺死した兵士については、不幸な事故であり、どうしようもなかったのだが、
ただ、国宝を盗むのはレッドオーブが初めてのことで、最初はデクに危険すぎると反対されるほどだった。
「この店はオーブを拾ったって嘘をついて、王様に返した時にもらった賞金で始めたのよー。稼いだ金は兵士へのワイロに使ったってわけ!」
「ワイロだと…!?妙に最下層にしては警備が甘くなってたわけか…」
カミュは半年くらい前からはじまった警備兵の動きの変化を思い出す。
かつては最低1人はそばまで来て監視していたが、そのころからはだれにも監視されない時間ができた。
その間にこっそりと隠し持っていた木の枝を使って即席の吹き矢を作り、更には地下水路へ続く穴を掘ることもできた。
そう考えると、見えないところで彼はデクに助けられたということになる。
「でしょ、でしょー!きっと、ワタシが渡したワイロが効いたってことだよー!」
ニコニコと笑いながら、デクはケーキを食べる。
ここまで話を聞いていると、つじつまが合う上にデクが裏切っていないということが真実だということがわかる。
相棒を疑っていた自分が馬鹿らしく思ったカミュは頭をかく。
「ああ、ああ!わかった、俺が悪かったよ。助けてくれて、ありがとうな、相棒」
「兄貴ー!わかってくれて、うれしいよー!」
「ただ、オーブは行方知れずか…」
オーブを返したということは、もうデクの手元にはないということになる。
おそらく、レッドオーブは城の保管庫とは別の場所に隠されることになるだろう。
しかも、厳重に情報統制を敷いたうえで。
これでは、レッドオーブを盗むためにまた年単位の段取りが必要になるかもしれない。
1年前までの苦労を考え、それ以上の苦労が要求されるのかとカミュは頭を抱える。
(こいつ…なんで、そんなにレッドオーブに執着するんだ?)
「それについては心配いらないよー。ワタシ、オーブのありか、知ってるよー!」
「何!?」
「ワイロを送った兵士から教えてもらったよー。南にあるデルカダール神殿にグレイグ将軍が厳重に保管したんだってー」
「デルカダール神殿…。エルバ、地図をくれ」
「ああ…」
机の上に地図が広げられ、カミュはデルカダール神殿の位置を調べる。
イシの村のある渓谷の東に位置しており、距離も馬を使えばそれほど遠くない。
場所が分かれば、後は簡単だ。
「よし、手間が省けてちょうどいい。デク、一緒に来るか?」
カミュの言葉に、デクは悩むように眉を顰め、顔を下に向ける。
1年前であれば、この提案を迷うことなく承諾したかもしれないが、店やミランダがいることで、それができなくなっていた。
「ごめん、兄貴…ワタシ…」
「ああ、悪い。そうだったな。昔から商売をやりたいって言っていたよな…。嫁さん、大事にしろよ?」
少し残念に思いながら、カミュは立ち上がる。
デクが相棒となってから、2年近く一緒に行動をしていた。
彼は確かに盗みの才能はなかったが、一緒にいて楽しかった。
その日々を思い出す。
「じゃあ、足がつかない間に出発するか。デク、達者でな」
「あ、そうだ!!ワタシは行けないけど、せめてこれだけは持って行ってよー!あと、出るんだったら…」
フフフと笑みを浮かべたデクは2人を自室へ案内する。
そこにある大きな本棚の中央にある緑色の表示の本を押すと、本棚は横へ動き、抜け道が出現した。
「まさか…」
「多分、ウチに来るかもって思って、道を作っておいたよー。足元に気を付けてー」
デクに先導され、2人は抜け道となっている階段を降りていく。
5分程度進むと、石造りの倉庫の中へ到着する。
そこには武器や防具などが置かれていた。
「いろいろ、持って行ってよー。多分、ここから先は大変だと思うから…」
「デク…すまねえ」
「じゃあ、遠慮なくこれをもらっていく」
エルバはすぐそばにある鋼の大剣と鋼の剣を手にする。
カミュも盾替わりにガントレッドを両腕に装備し、先に外へ出たデクが近くにある納屋から連れてきた馬に旅のために必要なテントや薬草、保存食を持たせる。
倉庫と納屋はエルバ達がスラム街へ向かうために使った街道の近くにあり、少し距離があるためか兵士たちの監視はない。
茶色い毛で、兵士へ売るために丁寧に手入れされた馬で、その馬の背にカミュは乗る。
幸い、フランベルグを隠しているのはその倉庫の近くだ。
なお、街道からスラム街へつながる洞窟は兵士によって封鎖されていた。
「デクがこの道を教えてくれなかったら、まずかったかもな…」
「兄貴、気を付けて。あと、連れの人も…兄貴のこと、よろしく」
「ああ…」
「ああ、1つ!これは絶対持って行ってほしいものがあったよー!」
何かを思い出したデクは倉庫へ戻っていき、そこから釜と金床がくっついたような青い道具とハンマーが持ってきて、カミュが乗っている馬の荷物入れに入れる。
その間に、エルバは近くの木の陰に隠していたフランベルグを連れてきた。
「こいつは…?」
「初めて、2人で盗んだ不思議な鍛冶セット!ワタシが持っているより、役に立つよー!」
「…すまねえ、何から何まで…」
「気にしないでよー」
「…じゃあな、デク。会えてよかった…。行くぜ、エルバ!!」
「ああ、急がないとな…!」
エルバとカミュ、2人を乗せた2頭の馬が南へ向けて走っていく。
2人の後姿をデクは手を振りながら見送ると、ばれないように内側から倉庫のドアを閉じた。
デルカダール(下層)
デルカダールで国防のために利用されていた堀にできたスラム街で、貧困層がここに集まっている。
城下町と比較すると治安が悪く、犯罪が起こっても取り締まられることは少ない(ただし、殺人については確実に取り締まられる)。
そのため、普段は城下町とスラム街の出入りは禁止となっている。
しかし、賄賂やハニートラップですんなりと通れることが多いため、裏取引の現場としては絶好の場所となっている。
住民たちは儲け話に目と耳を光らせており、バイタリティは群を抜いて高い。
スラム街ができたのは10数年前で、ちょうど勇者が生まれたころに近いが、関連性は不明。