「ほら、シチューだ。セーニャ、湯を持ってきてくれ」
「はい、今…!」
夜の雪山の中でエルバは椅子代わりの切り株に座るグレイグにシチューを差し出し、セーニャは温まったばかりの湯をコップに入れる。
「す、すまない…。まさかここまでドゥーランダ山が寒いとは…!」
小刻みに体が震えているのはスプーンと器の震え具合でよくわかり、それでこぼれないだけでも奇跡な状態だ。
お代わりのシチューを、口の中を火傷することもいとわずに一気にかきこんでいく。
そして、セーニャからもらった湯でのどを潤す。
「すごい食べ方をされますね、グレイグ様…。将軍という仕事がそれほど激務なのでしょうか?」
「いや…そういうわけではない。ただ…」
「ただ?」
「苦手、なのだ…。寒いのが…」
「意外だな。クレイモランでムンババと戦っていたときはそんな感じはしなかったぞ」
「戦いの時だけだ。気を抜くと、寒さで動けなくなる」
意外なグレイグの弱点を聞くことになり、これが今まで自分が憎んだ男なのかとエルバはため息をつく。
今の彼は復元したデルカダールメイル姿である分、その残念な弱点が余計に痛々しい。
「明日の昼にはドゥルダ郷につく。そこで何かが分かればいいが…」
少なくとも、聖地ラムダに匹敵する勇者と縁のある地であるそこなら何かしらの情報があってもおかしくない。
そこで手に入れた情報をソルティコに持ち帰り、ユグドラシルと共有する。
大樹が落ちた後のユグドラシルの状況は分からないが、少なくとも本部があるそこに行けば、彼らの安否も知ることができる。
うまくいけば、散り散りになった仲間たちの行方も知ることができる。
「エルバ様、そろそろ気温が一気に下がる時間です。早くテントへ」
「ああ、そうだな。そのせいでグレイグが凍死されたらかなわないからな」
「言ってくれるな。だが、確かに…これ以上寒くなると…!!」
急いで食べ終えたグレイグは器とスプーンを置くと、大急ぎでテントの中へ飛び込んだ。
余程寒いのが苦手なのかとテントに入ったグレイグの丸くなった姿を思わず想像してしまった。
太陽が昇り、ドゥーランダ山の中腹を照らす。
靴底の冷たさを感じながら、エルバ達はそれぞれの馬を引っ張ってドゥルダ郷の入り口にやってくる。
「ここが…」
「はい、ドゥルダ郷。かつて勇者ローシュ様が修行をされた場所です」
赤を中心とした暖色の壁と瓦屋根が目立つ寺院で、オレンジと黒の薄手の袈裟姿の男たちが見張っている。
初めてドゥルダ郷に入ったグレイグが最初に思い浮かんだのは、どうして彼らはこんなに薄手なのに平然とできるのかという疑問だ。
今のグレイグは鎧の下にいくつか着こんでいて、そのおかげで寒さをしのぐことができている。
これも修行のたまものというなら、自分の今までの修行は何だったのだろうか。
「それにしても、どういうことでしょうか…?ここは大樹が落ちた場所にかなり近いはずなのですが…」
セーニャはデルカダール城下町と城の惨状を見ており、ここも大樹の影響で廃墟と化してもおかしくないとも思っていた。
しかし、僧侶たちは全員平穏無事な様子で、寺院にも影響はない。
なぜかと考えていると、エルバ達の姿に気付いた僧侶の1人が手で合図を送り、彼と、更に寺院から出てきた3人の僧侶がエルバ達を囲む。
「貴様…見覚えがあるぞ。デルカダールのグレイグだな!?」
囲んできた僧侶の言葉にグレイグはやはりかと思い、怒りの形相の彼らを見る。
彼らを怒らせることをしたのは確かで、その責めは受けなければならない。
だが、今はそのことで争いを起こしている場合ではない。
「そうだ。俺はデルカダールの将軍、グレイグ。ドゥルダ郷を封鎖し、苦しめた責めは甘んじて受けよう。だが…まずは彼の話を聞いてくれ。勇者エルバの言葉を」
「勇者…エルバ様、だと!?」
「そうだ。勇者かどうかはともかく、少なくとも俺はユグノア王家の血を引いている」
その証を見せるべく、ユグノアの甲冑姿のエルバは僧侶たちに首にぶら下げているヒスイのペンダントを見せる。
僧侶の1人がそれを手にし、偽物ではないか細かく確認していく。
「これは…確かに本物。しかし、まさか…」
17年前のユグノアの悲劇、そして半年前の大樹の落下。
これらの惨劇によって世界は崩壊し、エルバの生存は絶望的と思われていた。
そんな彼が今ここにやってきた。
デルカダールの将軍であるグレイグと共に。
「何事ですか!?」
寺院への正門から出てきた、エルバの腰あたりくらいの身長で、丸い縁の眼鏡をかけた少年の僧侶が降りてくる。
彼がやってきた瞬間、エルバ達を囲んでいた僧侶たちはその場にひざまずき、利き手の拳をもう片方の手で包み、軽く頭を下げた。
「サンポ大僧正。実は…こちらを」
僧侶がサンポ大僧正と呼んだ少年の前に出て、手にしているヒスイのペンダントを差し出す。
そして、エルバに視線を向けた後で彼に耳打ちした。
「なるほど…そうですか。ですから、このペンダントを…」
サンポがヒスイのペンダントを握り、エルバの顔をじっと見る。
そして、少しだけ彼に近づくと、目を閉じて首を縦に振る。
「そうですか…あなたが、勇者様なのですね」
「他人はそういうが、俺はもう勇者じゃ…」
「何をおっしゃいます!?あなたから感じる光と闇、その狭間に宿る力。とても隠せるものではありません!」
(光と闇の狭間…?俺の、闇…)
エルバの脳裏にクレイモランで見たもう一人の自分の姿が浮かぶ。
勇者の力を失って以来、彼の声は聞こえなくなったが、サンポの言葉が正しければ、まだエルバの中に勇者の力が残っている可能性がある。
無論、エルバの闇も。
「エルバの素質を一目で見抜くとは…」
まだ10歳程度の少年にしか見えない彼の眼にグレイグはなぜ彼が年上の僧侶たちからも一目置かれているかの理由がわかった。
瞬時にその人の本質を見抜く力。
彼にしかないそれが彼を大僧正たらしめていた。
「ああ…どれほど待ちわびたことか。勇者エルバ様、ようこそ…ドゥルダ郷へ…」
手を合わせ、この出会いを感謝するかのようにサンポは目に涙を浮かべ、エルバ達に頭を下げた。
サンポに案内され、エルバ達は寺院の中に入る。
僧侶だけでなく、僧侶の世話をしているであろう袈裟姿の女性やまだ修業を始めたばかりの少年少女の姿もあり、彼らはエルバとサンポの姿を見るとともに動きを止める。
「彼が…あのユグノアの…」
「よくぞ御無事で、しかし…まさかこのタイミングで参られるとは…」
「もっと早く来てくれれば…」
人々の話し声をよそに、寺院の奥にある建物に入る。
入ってすぐのところにある広間でエルバ達は足を止めた。
「では…改めて。ようこそ、ドゥルダ郷へ。私は大僧正のサンポ、この郷を治めるものでございます。先ほどは大変失礼いたしました」
「いいえ、デルカダールが起こしたことを考えると、彼らの怒りは最もです。私はデルカダールの将軍、グレイグ。故あって、勇者エルバと行動を共にしています。デルカダールが郷の人々に大きな苦痛を与えてしまったこと、心から謝罪します」
「グレイグ殿、デルカダールによる封鎖で我々が痛みを負ったのは事実です。しかし、本当の原因は魔王にある。あなた方には責任はありませんよ。それよりも、これからも勇者様のお力となられてください」
「サンポ大僧正…」
「初めまして、大僧正様。ゼーランダ山の聖地ラムダのセーニャです」
「セーニャ殿ですか。お噂はかねがね。エルバ様、我々はあなたが生まれてからずっと、ここであなたのことをお待ちしておりました」
「あの旗と、関係があるのですか…?」
エルバの視線が広間の天井から下げられている濃い緑色の旗に向けられる。
その中央にはユグノアの国章が刻まれていた。
「はい、ドゥルダは古来よりユグノア王家と縁のある郷。ユグノア王家に生まれた男子は幼少の6年間をこの郷へ修行に出されるという掟があります」
「なら、俺ももしかしたらここで修業をしていたということですか?」
「はい、そしてニマ大師の元で修行をしていたはずでした」
幼少期をイシの村ではなく、この郷で修行をしながら過ごす。
今のエルバには考えられない生活で、修行をした結果、エルバがどんな人間になっていたのか、想像できない。
「しかし、その肝心のニマ大師様はどちらへ…?」
その言葉が正しければ、ここを治めるのはサンポではなく、ニマのはずだ。
セーニャの疑問にサンポは顔を下に向ける。
「…われらの指導者、ニマ大師は魔王によって世界が滅ぼされた日、その衝撃から郷を守るべく、巨大な防御方陣を展開しました」
サンポの脳裏に大樹が落ちた日の光景が浮かぶ。
郷の外にいた人々を避難させる中、正門前に一人残ったニマがその場に正座し、目を閉じて瞑想を始めていた。
ニマを避難させようと駆け付けたが、そのときすでに彼女は防御方陣の展開を始めていた。
「その強力な結界によって、郷は守られました。しかし…大師はその代償として命を落としました」
本当なら止めるのが普通だが、サンポはその才能で分かってしまった。
ニマが発動する方陣がなければ郷が壊滅し、全員が死んでしまう。
今襲おうとする衝撃波はそれほど恐ろしいものなのだと。
ニマの遺言として、郷を守るように言い渡されたサンポは寺院の中に戻り、そこで彼女が発動した方陣に守られることとなった。
呪文の中には、自らの命を犠牲にして発動するものがあり、自爆呪文メガンテと生命散華呪文メガザルがそれに該当する。
そして、ニマが発動したのは生命障壁呪文メガトロンは自らの命を代価として障壁を展開する呪文で、その守りは隕石すらも受け止めることができるという。
その呪文で、ニマは命を落とし、ドゥルダ郷は守られた。
「そう、ですか…」
「ニマ大師の代わりに、あなたにお見せしなければならないものがあります。ついてきてください」
再びサンポの案内で、エルバ達は大師の間のさらに奥にある扉の先にある道を進んでいく。
長く続く一本道で、外から突き刺すような冷たい風が襲ってくる。
その寒さに耐えながら進んでいくと、半球の形をした建物が見えて来て、見張りをしている僧侶がサンポとエルバの姿を確認して、扉を開く。
その中には大きな正方形の石碑が置かれていて、その奥にはもう1つの扉があった。
「この先に大修練場があります。実際に大修練場を見る前に、郷に語り継がれている伝説の勇者ローシュの伝承についてお話ししましょう。神話の時代、ローシュは命の大樹からのお告げに従い、邪悪なる神を倒す旅に出ました」
ユグノア王家の王子として生まれた彼はお告げに従い、愛馬であるレティスと共に各地を旅し、魔物を倒していった。
しかし、彼はひとりで旅をしていたわけではない。
戦士ネルセンと魔法使いウラノス、そして賢者セニカと旅先で知り合い、運命を共にすることとなった。
「魔法使いウラノスと出会ったのはこのドゥルダの大修練場です。彼がここに来たのは、初代大師テンジンに弟子入りで、邪神を討つ力を得るためでした。そして、ウラノスは当時、テンジンの弟子の中でも一番の実力者でした。共に切磋琢磨し、互いの力を認め合った2人は友となりました。この石碑には、ローシュとウラノスが友情を誓い、共に邪神を倒すことを決意した言葉が刻まれています」
「ローシュとウラノス…興味深い言い伝えだな」
「さあ、昔話はこれくらいにして、実際に大修練場を見てみましょう」
サンポが向かい側にある扉を開き、その先にある大修練場をエルバ達に見せる。
グレーの石が敷き詰められ、容赦なくドゥーランダ山の冷たい風が襲うその場所は確かに普通の人間なら音を上げるほどの場所で、ローシュとウラノスもそこで激しい修業を重ねていたのだろう。
何もない場所だが、そこには幾万もの修練者たちの汗と血が滲んているに違いない。
「この大修練場は神話の時代から現存するものであり、今も多くの僧侶たちが修練に使っています。あなたもまた、ここで修練を積んでいたのかもしれません。ここへ足を運んでいただいたのは、ローシュの時代から連綿と続く伝統の地をあなたに踏んでいただきたかったこと、そしてオーブについてお伝えするためです」
「オーブ…ですと?まさか、これのことでは…!」
グレイグはグレイトアックスを鞘から出し、それをサンポに見せる。
それに埋め込まれているパープルオーブを見た瞬間、サンポの目が大きく開いた。
「この斧、パープルオーブ…何があったのか、詳しくお聞かせいただけますか!?」
「ああ、パープルオーブを手にした時…声が聞こえたのです。ネルセン様の…。そして、オーブがこの武器に…」
「やはりそうですか…。ローシュ達によって邪神は確かに倒されました。しかし、光と闇が表裏一体であるように、いつか再び闇がロトゼタシアに脅威をもたらすことを危惧していました。そのため、彼らは約束したのです。その時が来たとき、脅威に立ち向かう時代に英雄たちの力となることを。そのため、命の大樹へ導くオーブ1つ1つに、自らの力と魂の一部を封じ込めたのです」
これはドゥルダ郷での言い伝えであり、テンジンの指示により代々の大師にのみその秘密が受け継がれ、サンポもまた、ニマから教わっていた。
そして、それが真実であることを立証するかのように、グレイグの手にはネルセンのグレイトアックスが握られている。
「待ってください。勇者ローシュの仲間はセニカ、ネルセン、ウラノスの3人。オーブの数は6つ。数が合いません」
「エルバ様、確かにローシュ様と共に旅をされたのはその3人です。しかし、共に旅をすることはありませんでしたが、初代大師のテンジン様のように、ローシュ様に手を貸された方もいらっしゃるはずです」
「セーニャ殿のおっしゃる通りです。テンジン様の招へいを受け、義賊ラゴス、拳王ネイル、奇術師パノンの3人が自らの力と魂をオーブに分け与えたのです」
その3人もまた、それぞれの形で神話の時代を戦い抜いた人々だ。
堕落した貴族や王族、そして人々から財産を奪った魔物にのみ盗みを働いた隻眼の盗賊ラゴスはローシュのための邪神の情報を集め続けた。
拳王ネイルは武闘家としての道を極めることを主な目的としていたため、共に旅をする機会は短かったものの、ローシュらが命の危機に瀕したときには必ず現れ、その拳と脚で道を切り開いた。
奇術師パノンは各地の人々を助けてはその人々を連れて旅をし、邪神の出現によって広がる絶望を少しでも食い止めようと奔走した。
彼らのことは共に旅をした3人とは異なり、あまり話題になることはないが、それでもローシュの大切な同志であることには変わりない。
「だとしたら、なおさらオーブを取り戻さなければならない理由が増えたな」
「ああ。ウルノーガにこれ以上、彼らが託してくれた力を悪用させるわけにはいかないからな」
「実を言いますと、エルバ様の祖父であるロウ様もまた、ここで修業を積んでいます。そこである偉業を残しており、今も皆の記憶に残っております」
「偉業…?」
確かにロウが年老いてもなお、賢者として絶大な魔力を持っており、おまけにマルティナに手ほどきができるほどの武闘家としての技量も持ち合わせている。
若いころの彼がどれだけの実力を持っていたのか、想像しがたい。
何か輝かしいものかと想像する中、サンポはどこからか手のひらがついたような薄い木製のスティックを出した。
「ニマ大師の修業は厳しいことで有名です。これは弟子がおイタしたときにお尻をたたく…通称、お尻たたき棒。なんと、ロウ様は6年間の修行でこの棒でおしりをたたかれること一万回!」
「い…一万…」
「その記録はいまだに破られたことなく、ロウのようになることなかれ、という戒めが今でも語り継がれています」
「それは…大した偉業ですな…」
「身内の恥…というのか、これは」
日にちで換算すると6年間は2190日。
一日換算すると4.5回おしりをたたかれたという計算となり、ロウの問題児っぷりが如実に現れる。
ユグノア復興の資金集めなどという言い訳を使ってムフフ本を集め、おまけにユグノア王家にとっては恥辱ともいえる偉業。
さすがのエルバも頭を抱えるしかなかった。
「エルバ様、ロウ様が心配ですか?ですが、あの方は大師の厳しい修行の中で、秘術まで習得したお方です。今でも、彼は伝説の弟子として語り継がれるお方。世界崩壊の衝撃でお亡くなりになられるほど、やわな方ではありませんよ」
「そうですわ、エルバ様。ロウ様もお姉さまも、みんな無事でいます。旅を続ければ、必ず会うことができます!」
「ああ…そうだな。それにしても、秘術をここで学んだのか…」
「エルバ様、今日はあなたのために大師の宮殿でささやかな宴をさせてください。我々もできる限りのことはさせていただきたいですので」
「ああ…頼みます」
「ああ、久々の酒。修行の間は禁じられている酒が体にしみる…」
「もっと味わって飲め。勇者様が生きてドゥルダ郷にいらっしゃった記念の宴なのだからな」
その夜、大師の宮殿では修行僧や住民が集まり、持ち合わせた料理と酒で宴が催された。
修行中は肉や酒など、様々な食べ物を食べることが禁じられていることもあり、修行僧は今出ている肉料理や酒にやみつきになっていた。
ドゥルダ郷周辺の魔物から獲れた肉の中でもおすすめなのはブラックドラゴンの足で、赤身の多い引き締まった肉であることから人気で、宴の時は酒で柔らかくしたうえで、簡単に岩塩を振ったうえでステーキにするのがおすすめらしい。
「うん…うまい酒だ。しかし、まさか私まで参加させていただけるとは…」
修行僧から出された酒を飲むグレイグはデルカダールの将軍である自分まで宴に出席できたことに少し戸惑いを感じていた。
世界の危機を前にして、ドゥルダもデルカダールもないとはいえ、それでもわだかまりを感じずにはいられない。
加害者側といえる自分がそう思うのはおこがましいことなのかもしれないが。
「あなたがエルバ様を守る者である、ということもありますが、オーブに選ばれたことも大きいかもしれません」
「オーブに…選ばれる…?」
「パープルオーブに宿っていたグレイトアックスと戦士ネルセンの魂。オーブに宿る力は使い手を選ぶものです。そして、オーブが選んだのはグレイグ将軍、あなたなのです。あなたならば、戦士ネルセンのように世界の希望を、勇者様を守っていただける、そう信じています」
グレイトアックスを手にしたとき、グレイグの心にあったのはエルバを守るというというのと同じぐらい、ホメロスを止めるという思いがあった。
それをはっきりさせたことで、パープルオーブがグレイトアックスとなった。
「どうか、オーブに選ばれた時の思いを、大切にされてください」
「グレイグ様、エルバ様のお姿が見えないのですが…どちらへ…?」
サンポと話すグレイグの元へ、スイーツを乗せた皿を持ったセーニャが歩いてくる。
エルバにも食べてもらおうとスイーツを選んだのだが、肝心のエルバの姿がここにいなかった。
「世界崩壊でまずい中での宴…か」
一人、誰もいない大修練場に腰を下ろしたエルバは上空の月と、命の大樹に代わる世界の象徴と化した天空魔城を見つめる。
暗闇に包まれるその城へ今のエルバ達は飛び込むことができない。
その中にウルノーガがいて、彼を倒さなければならないにも関わらずだ。
そして、今この瞬間にも、人々の命が失われている。
焦ったところで、ウルノーガに近づけるわけではないのは分かっているが、焦らずにはいられない。
「宿っている光と闇…か。まさか、俺が中にいることも気づいているとはな。さすがは大僧正様、といったところか」
「お前は…」
背後から聞こえるあの声にエルバは振り返ることはしないものの、抵抗するかのように拳を握りしめる。
勇者の力が奪われたとともに消滅したと思っていた彼が再びエルバをもてあそぶかのように現れる。
「なんで消えていない…そう思っただろう?当たり前だろう?俺はお前だ。だから、お前がお前である限り、俺は消えねえ」
「だというなら、いつでも俺に何かを言うことができただろう?どうして今頃出てきた?」
「へっ…希望の炎をともした勇者、なんて調子に乗ってるだろうてめーにお灸をすえてやろうと思っただけだ。六軍王の一体を倒した程度で調子に乗るんじゃねえよ?勇者の力を失ったお前が」
そんなことはエルバ自身も分かっている。
あの時はグレイグが捨て身の攻撃でパープルオーブを取り戻し、その力を解放してくれたおかげだ。
自分にできたのはただ、とどめを刺しただけ。
「だからよ、さっさと俺にゆだねろ。俺の力は分かっただろう?命の大樹で…お前とあの男の邪魔がなければ、確実にホメロスを殺せた」
「黙れ!!俺は…お前じゃない」
「そんなことをいつまでも言ってりゃあいいさ。光が強いほど闇は濃くなるもの…だぜ?」
耳元でささやいてきたもう1人のエルバがなれなれしくエルバの肩に触れる。
ホメロスやウルノーガ以上に嫌う彼に触れられるのが我慢ならず、鳥肌が立つ。
「俺に…触れるな!!」
左腕を振るい、立ち上がって背後を見るが、そこにはだれもいなかった。
聞こえてくるのは消えたもう1人のエルバの高笑いだけだった。
「もう…もう俺はお前に負けない!俺には…帰る場所がある、ペルラ母さんが…みんなが…そして、エマがいる!もうお前なんかに…!」
「絆、か…?ハハハハ!下らねえ。そんな『光』を手に入れて俺に勝ったつもりか!?にもかかわらず、俺がいまだにお前と共にいる。その意味が分からねえお前じゃないだろ?」
「ぐっ…!」
唇をかむエルバは言い返すことができず、舌に伝わるあたたかな生きた味を感じるしかなかった。
彼のいる意味、クレイモランで感じてからずっと考えていた。
そして、彼の力を命の大樹で実際に感じ取ってしまった。
彼の力はすさまじい。
戦う中で、暴走しながらも彼の生み出す力に魅入られてしまっていた。
そして、今だからこそ分かる。
彼との戦いは終わらないことを。
彼の言う『光』を手に入れて、『闇』を克服できたと思うのははなはだ間違いで、実際は終わらない『闇』との戦いから目を背けているだけということを。
「そういうことだ。同じ腹から生まれた者同士、仲良くしようじゃないか」
「仲良くだと…?どの口が言う!?」
「そりゃあそうだろう。いつも言っているだろう?俺はお前で、お前は俺だってな」
その言葉を最後に、再びもう1人のエルバの声が聞こえなくなる。
心に残ったのは張り裂けるほどの胸糞の悪さと不快な味だった。