「よし、こっちだ…!」
地下水路で、囚人は物陰から警備兵の様子を確認しながら、エルバを誘導する。
穴を通った先にあったのはこの地下水路で、井戸や水飲み場へ供給される水が通っていることもあり、毒を入れられるなどすると危険であるため、このように警備兵がいるのは当然のことだろう。
「ん…ちょっと待て」
エルバがそばまで来ると、囚人は彼を制止する。
同時に上の階から3人の兵士が下りてきた。
「警戒を厳にしろ!!死刑囚が2人逃げた!」
「何!?牢屋番は何をしていた!?」
「それが…2人とも意識を失っていた。おまけに…眠り薬が塗られた針が刺さっていたらしい…」
「針だって!?くそ…お前ら、探せー!!」
兵士たちが散らばり、エルバ達を探し始める。
「ちっ…ちょっとマズくなってきたぞ」
死刑囚の内の1人が勇者だということもあり、これから考えられるのは兵士の増加だ。
今増えた3人だけであれば、まだ対処できる。
しかし、ここから徐々に人数が増えると、見つかるのは時間の問題だ。
「気づかれていないうちに急ぐぞ…!」
「あ、ああ…!」
囚人のあとに続くように、エルバも走る。
エルバには、目の前の青年がどうしても死刑囚になるほどの罪を犯した人物のようには思えなかった。
走るペースをエルバに合わせるだけでなく、地下牢で兵士を2人倒した時も、吹き矢で眠らせただけで不要な殺生を避けている。
そんな彼がどうしてあの場所にいたのか…?
だが、今はそれを考えている場合ではない。
一刻も早くデルカダールを出て、イシの村へ戻らなければならない。
「見つけたぞ、あそこだ!!」
「くそっ!やっぱり見つかったか!」
兵士の1人がエルバ達を見つける。
来た道にはすでに兵士が来ており、声が聞こえたのか、エルバ達のいる方向へ走ってきている。
逃げ道があるとしたら、近くにある橋だ。
囚人とエルバは橋を渡ろうとするが、その先には3人の兵士がおり、剣を抜いていた。
「囲まれた!?」
「2、3人くらいなら一度に相手をしても問題ないがよぉ…」
短剣に触れた囚人は周囲を見渡す。
見える範囲だけで今、兵士は6人から8人。
エルバにどれだけの力があるのかはわからないが、この人数を突破するのは難しいと考えていいだろう。
(こうなったら、加減はできねえか…うん?)
ボコッと橋から変な音が聞こえる。
兵士たちがエルバ達を捕まえようと橋を上ると同時に橋がガラガラと崩れていく。
「うわあああ、マジかぁぁ!?!?」
エルバ達は端にいる兵士もろとも、真下に流れる水の中へ落ちていく。
異変に気付いた残りの兵士たちが橋が崩れた場所を調べに来た時には、そこにはだれもいなかった。
「おい…しっかりしろ、おい!!」
ペチペチと誰かに頬を叩かれる感触がし、エルバはゆっくりと目を開く。
そこには例の囚人の姿があった。
目の前には水路があり、どうやらエルバは囚人の手によって水の中から引き揚げられ、この場所で眠っていたのだろう。
お互いに服がかなり濡れており、それほど時間はたっていないようだ。
ハッと、何かに気付いたエルバは服の中に手を入れて何かを確かめる。
首にかけてあるお守りは少し濡れてしまっているが、流されておらず、ちゃんとかかっていたため、エルバはふぅと一安心する。
「首にかけてるそれ、大事なものらしいな…」
「ああ…大事なものだ」
「水に落ちたおかげで、どうにか撒けたみたいだ…。だが、ここはどこだ…?」
地図を持っていない囚人にはどこまで流されたのか検討がつかなかった。
デルカダールの中にいることは間違いないと思うが、問題はどこの位置にいるかだ。
それを確かめるには進むしかないが、選べる道はエルバの背後に広がる大きな通路だけだ。
立ち上がり、水路を見たエルバの眼が大きく開く。
「どうした?エルバ…」
「あれは…」
エルバが指さした方向には兵士2人が浮かんでいた。
ピクリとも動いておらず、念のために囚人は水に入り、その2人の脈を測る。
「俺たちはラッキーだったぜ…。こいつらと違って身軽だった。うん…?」
兵士の死体のそばに、ボウガンが浮かんでいる。
片手で撃てるタイプのもので、威力は低いものの、小型の野生動物やモンスターを狩ったり、不意を突いて攻撃をするのに向いているうえに取り回しもいい。
死体を調べると、それを使うためのボルトが何本か入った革袋ある。
それらを手にした囚人はボウガンとボルトをエルバに渡す。
「こいつはお前が持っておけ。いざというときに役に立つ」
「…」
生まれて初めてこういう形の人間の死体を見てショックを受けているのか、エルバは何もしゃべることができず、動きも止まっている。
囚人はエルバの胸ぐらをつかむ。
「今はこんなのを気にしてる場合じゃねえだろうが…!お前には、もっと気にしなきゃいけねえことがあるだろう!」
囚人の言葉を聞き、エルバはやらなければいけないことを思い出す。
一刻も早くイシの村へ戻り、襲ってくるかもしれないデルカダールの軍隊から助ける。
どうやって助けるかはまだ考えることができていないが、それは道中で考えればいい。
そのためにも、今は先へ進むしかない。
「目が覚めたようだな。こいつなら、やろうと思えば兵士を殺さずに足止めできる。あいつらはけが人が出たら、そいつらのカバーを優先するからな」
エルバは腰に革袋とボウガンを取り付ける。
泥棒をした感じがして、よい気分ではなかったが、囚人の言う通り、今はそのようなことを気にしている場合ではない。
エルバと囚人は先へと進んでいく。
暗闇の中を、足場や壁などを手で触れながら進んでいく。
水にぬれたせいで今はエルバのランタンは使えず、壁には松明がかけられていない。
松明置き場もないため、おそらくこの洞窟は人工の物ではないだろう。
「となると…魔物がいるかもな」
「随分と旅慣れしてるんだな」
「訳あって、5年近く旅してるからな。…!動くな」
後ろからついてくるエルバを囚人が左腕を出して制止させる。
足を止めると、エルバの耳に聞いたことのないいびきが聞こえた。
暗いせいで前はよく見えないが、この先に何か大きな魔物がいるのは間違いないだろう。
エルバが今まで見た中で一番大きい魔物はヘルコンドルだが、地面を揺らすような低いいびき声をそのモンスターが出すはずがない。
だが、ここまで歩いても別の道はなく、一本道しかない。
2人は身をかがめ、足音を立てないように気を付けながらゆっくりと前へ進んでいく。
いびき声を出しているということは、おそらく眠っており、気づかれないように気を付けて歩けば、気づかれずに済むかもしれない。
前へ進むたびにいびき声が大きくなり、あまり聞いていい気分の物ではなく、エルバは左手で頭を抱える。
旅慣れした囚人はそういうものには慣れているのか、全く気にせずに進んでいる。
「これは…」
「静かにしろ」
しばらく歩き、エルバの目に8メートルを超える巨大な黒いドラゴン、ブラックドラゴンが飛び込んでくる。
さすがの囚人もそのような魔物をめったに見ないためか、冷や汗をかいている。
同時に、デルカダールの地下にそのようなモンスターがなぜいるのかが気になった。
(デルカダールにはモンスターが入ってきていないはずだろう…?)
小さい魔物が忍び込んで住処にしている程度ならばわかるが、このような巨大なモンスターが入ってくるのを兵士たちが見逃すはずがない。
しかも、侵入ルートとしてはあの水路しかなく、そこを入ってここまで来るとなると当然人々の目に入るのは間違いない。
奇妙に思いつつ、囚人はエルバを誘導し、先へ先へと進んでいく。
ブラックドラゴンの頭の先に出口へ続くと思われる道がある。
2人がブラックドラゴンの首の部分まで差し掛かった瞬間、ゴトリと石が落ちる音がする。
天井となっている石の一つが落下し、ブラックドラゴンの頭に当たる。
その衝撃でブラックドラゴンの眼が開く。
「やば…!!」
目を覚まし、ブラックドラゴンの視界に囚人とエルバが入ってしまう。
自らのなわばりに入られるのを嫌う習性をもつブラックドラゴンが2人に向けて激しく咆哮する。
すんでのところで耳をふさいだ2人だが、あまりのうるささで身動きが取れない。
耳をふさぐタイミングが少しでもずれていたら、両耳の鼓膜が破れていただろう。
ブラックドラゴンの左手がエルバに向けて振り下ろされる。
「あ…ぶねえ、エルバ!!」
このような魔物と初めて出会い、しかもみられてしまったことで、エルバは恐怖で足をすくめてしまう。
囚人が腕をつかみ、思いっきり引っ張ったことで、その手はエルバをつぶすことなく地面をたたきつけた。
「止まったら死ぬぞ!!死にたくなかったら走れ!!」
囚人もあのブラックドラゴンと正面から戦おうとするほど馬鹿ではない。
エルバの腕を引っ張り、出口へ続くと思われる道を走る。
ブラックドラゴンは住処に入ってきた野蛮な人間2人を血祭りにあげようと追いかける。
隠れるように暮らしていたスライムや大ガラス、モコッキーやランタン小僧が巻き込まれるのを恐れて我先にと小さい穴に入ったりして身を隠したり、逃げ出したりする。
「もっと早く走れ!!踏みつぶされるぞ!!」
「くぅ…あああ!!」
囚人に引っ張られ無理にでも走ったことで、恐怖よりも生きたいという生存本能が上回ったのか、エルバも必死になって走る。
しかし、2人に待ち受けていたのは出口ではなく、崖だった。
人工的に作られた洞窟でないため、当然のことながらはしごなんてあるはずがない。
「くっ…!!」
囚人とエルバはがけ下を見る。
飛び降りても、死にはしない程度の高さではあるものの、若干の水たまりがある程度の硬い石の足場であり、着地や受け身に失敗すると、骨折があり得る。
しかし、ブラックドラゴンが迫る中、生き残る道はこれだけだ。
「飛び降りるぞ!!」
「わ…わかった!」
他に選択肢のないエルバは囚人共々崖から飛び降りる。
飛び降りた2人に驚いたのか、ブラックドラゴンは足を止める。
囚人は着地の際に前転をし、体から衝撃を逃がして無傷で着地する。
エルバも木の上から飛び降りたときの経験を生かして、着地と同時に全身を使って衝撃を逃がした。
ただ、地面と石の上では感覚が違うのか、若干体に痛みを感じた。
「ハハ…やるじゃねえか。さっきまで足をすくませてたくせに…」
「死にたくないって思っただけだ。あんた、こういうことばっかりしているのか?」
「まあな。こういうのは数えきれないくらい経け…」
後ろを向いた囚人がしゃべるのを辞める。
なぜ急にしゃべらなくなったのか気になったエルバだが、嫌な予感がして後ろを振り向いた。
ブラックドラゴンが飛び降りる姿が見え、2人の目の前で着地した。
どうやら、今回のブラックドラゴンはかなり短気なうえに執念深い個体のようだ。
「マ、マジか!?!?」
「本当に逃げ切れるのか…!?」
再びブラックドラゴンと人間2人による追いかけっこが始まり、エルバの脳裏に2人ともつかまって食われるビジョンが構築されていく。
勇者の真実を確かめるために旅立って1週間足らずで、そんなあっけない結末はごめんだとエルバは必死になって走る。
しかし、いくら走っても外の光が2人を包むことはなく、ただいたずらに体力だけを奪い取っていく。
「おい、エルバ!!あそこだ!!」
息切れしつつあった囚人は先にある分岐点に指をさす。
そこから右へ曲がった道の両端は落石でふさがれており、その間には人間1人通れるくらいのスペースがある。
あそこを通れば、ブラックドラゴンを巻くことができるかもしれない。
「よし…!!」
エルバと囚人は右へ曲がり、そのスペースの中へ飛び込んでいく。
囚人が先に入り、後から入ってきたエルバを引っ張って入れると同時にブラックドラゴンが到着し、岩の隙間から2人を見る。
こうなれば、捕まえるのは不可能であり、ブラックドラゴンは悔しさを表現したいのか、強く咆哮する。
「長居は無用だ…逃げるぜ!」
「ああ…でも、ここから先へ行けば出られるのか?」
「そこは運を天に任せるしかねえだろ…!」
言い出しっぺの囚人も、この道が出口へ続いているのかわからない。
だだ、ブラックドラゴンに追いかけられ続けるよりはマシだと思うしかなかった。
先ほどと同じ一本道を2人は歩き続けた。
しかし、10分後には一本道とは違う景色が見えてきた。
「くそ…!戻ってきちまったか…」
それは例の地下水路であり、エルバ達はそこへ戻ってきてしまっていた。
違いがあるとすれば、本来行くはずだった橋の向こう側まで来たというだけだ。
「おい、ここにいたか!?」
「見つかりません!流されてしまった兵士も!」
「くそ…悪魔の子め、運を味方につけやがって!!」
なかなか見つからないことに腹を立てた兵士が壁に拳をたたきつける。
脱獄が確認されてからすでに2時間以上経過している。
このことが王に知られたら最後、よくて謹慎、悪くて免職があり得る。
そうなると家族を路頭に迷わせることになってしまう。
そんな最悪の未来をイメージしながら、兵士たちはエルバ達を探す。
「…!!見つけたぞ、悪魔の子だ!!」
「やっべえ、逃げるぞ!!」
「くそ…!」
先ほどまでブラックドラゴンに追いかけられ、必死に逃げていたこともあり、2人とも体力を大幅に消耗している。
先ほどの一本道を歩いている間に回復できた体力は雀の涙程度。
それでも、捕まらないように必死に走る。
「見えた…出口だ!!」
走っていると、外の光が見えてきて、前までは当たり前だった光を今日のエルバはとてもありがたく感じていた。
囚人も久しぶりにこれほど明るい光を見たのか、目が少し慣れておらず、フードと手で目を隠している。
2人は出口を出る。
しかし、少し走ったところで2人は立ち止まってしまう。
「ハハハハ!!バカめ!!ここは行き止まりだぁ!」
追いかけてきた兵士の1人が高笑いしながら言う。
彼の言う通り、そこは崖になっており、すぐそばには滝がある。
高さは30メートル以上あり、用意もなしに飛んだら大けがをするか、死んでしまう。
兵士たちは剣を抜き、ジリジリと近づいてくる。
エルバは奪った兵士の剣を抜いて、構えようとするが、囚人が彼の肩に手を置き、制止する。
「やめろ、ここで戦っても、死ぬのは目に見えている」
「でも、捕まったら、それこそ終わりだろう!」
ここから飛び降りると死ぬ可能性が高いことを考えると、エルバの考えは妥当かもしれない。
だが、今ここに来ている兵士は5人で、聞こえてくる足音を考えると、更に5人以上来る可能性が高い。
それだけの兵士と戦って、勝てる見込みは薄い。
「ああ…。だから」
「ということは、お前…まさか…!!」
囚人がこれからやろうとしていることに気付いたエルバの目が大きく開く。
すると、彼はフードを取り、隠れていた青いツンツン頭が外の空気にさらされる。
「俺は信じてるぜ…勇者の起こす奇跡というやつを」
「お前…」
囚人の眼を見たエルバは口を閉ざす。
彼の眼は本気でエルバを信じているのか、まぶしく見えた。
出会ってからそんなに時間が立っていないにもかかわらず、ここまで自分を助けてくれて、しかも本気で信じてくれている。
そんなありえないようなことが、今自分の目の前で起こっていた。
そうなると、もうできることは1つしかない。
「…知らないぞ」
「カミュ」
「え…?」
「俺の名前だ。覚えておいてくれよな…」
「…わかった」
2人はうなずき合い、兵士たちに背中を向ける。
「な…き、貴様ら、まさか!?」
何をしようとしているのか理解した兵士は2人が狂ったかのように見えた。
ここから飛び降りるのは明らかに自殺行為で、死期を速めるだけに彼の眼には映っていた。
「行くぜ!!」
「うおおおおおおお!!」
エルバも腹をくくり、囚人であるカミュと共に走る。
走っている間、エルバは胸にあるエマのお守りに触れ、そしてカミュと共に崖から飛び降りた。
兵士たちが何か叫んでいるが、今のエルバの耳には届かない。
(エマ…!)
お守りに自分と村の人々の無事を願いながら、エルバは意識を手放した。
「ふうう…1人で掃除するのは疲れるわね」
木陰に隠れるようにぽつんと存在する小さな教会の中で、老いたシスターが箒を使ってゴミを集めていた。
この教会には彼女1人しかおらず、実質的に彼女の住処となっている。
外には畑があり、教会には機織り機が存在し、それによって彼女は自給自足の生活をしている。
また、城下町の外にあるにもかかわらず、ここにもお祈りに来る人々がおり、彼らから寄付や手伝いを受けることもあり、生活には不自由がない。
掃除を終えたシスターは洗濯を始めようかとしていたとき、馬の嘶きが聞こえてくる。
「何かしら…?もしかして、旅人の方かしら?」
シスターは掃除道具を片付けると、出入り口のドアを開く。
開くと、シスターは驚きに満ちた表情を見せ、口を両手でふさぐ。
そこには気を失ったエルバとカミュを背中に乗せたフランベルグの姿があった。