ドラゴンクエストⅪ 復讐を誓った勇者   作:ナタタク

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第58話 最後の砦

「はあ、はあ、はあ…これまで、なのか…??」

数人の兵士と馬、そして倒した魔物たちの死体が周りにあり、深々と目元まで兜をかぶった兵士が持っている剣を地面に突き刺し、体を支える。

彼はこの切通しで魔物たちの侵入を阻む任務を受けており、これが初陣でもあった。

しかし、その初陣でまさか死を覚悟することになるとは思わなかった。

ウルノーガの影響を受けて周辺の魔物たちが強化されているうえに、見たことのない魔物も押し寄せてきて、そのせいで自分以外の先輩兵士たちは戦死してしまった。

自身も腕や足を負傷し、剣にも刃こぼれが生じている中、まだ骸骨のドラゴン2匹が生きている。

この骨はほっそりとしているが、見た目以上に強靭で、並の片手剣では逆に折れてしまうほどの強度を持っている。

そのドラゴンが口に冷気を集め始める。

もう動くことのできないその兵士は観念したかのように目を閉じる。

しかし、次に感覚が伝えたのは凍えるほどの冷気ではなく、何かが砕ける音だった。

目を開けると、そこには真っ二つにされた骸骨のドラゴンがいて、青い刃の剣を持つ、茶色いボロボロなマントで上半身を隠した少年の姿があった。

仲間のドラゴンを殺されたことで怒ったそのドラゴンは冷気を兵士ではなく、その少年に向けて放とうとする。

だが、少年は剣を両手で握り、祈った後でそれをふるうと、そこから冷気が発生し、ぶつかり合って相殺した。

「なんだ、あれ…?」

多くの人間を氷漬けにしてきたブレスを相殺する人間とその剣に驚くドラゴンだが、時すでに遅しで、少年は大きく跳躍して、そのドラゴンの頭に上にのっていた。

「…死ね」

その一言とともに深々と頭に剣を突き立てる。

それが致命傷となり、死してなお動かなければならなかったドラゴンは地に伏した。

死んだのを確認した少年は剣を抜くと、まずは生き残った兵士に目を向ける。

「あ、あんた…すごいな。一人であんなガイコツどもを2匹も倒してしまうなんて…」

「じっとしていろ。傷がひどい」

賞賛の言葉に耳を貸さず、少年は兵士の傷に手を当て、ベホイムを唱える。

傷口はふざがっていくが、長時間放置した傷については治りが遅く、呪文を唱え終えても半分ほど残っていた。

「ほかに生き残ったやつはいるのか?」

「いや…俺だけだ。あとは全員死んだ」

「そうか…」

「あんた、見ない顔だな。この半年、誰もこの国に出入りできない状態なのに…。うう…」

傷がある程度治ったため、立ち上がろうとする兵士だが、疲れているのか、それとも足に残っている傷のせいなのか、立ち上がれずに転倒してしまう。

少年の手を借り、起き上がってことで、兵士はようやく間近でその少年を見ることができた。

サラサラとした茶色い髪で、顔だちも幼さと大人っぽさがまじりあった、年頃の少年という印象が強い。

だが、持っている剣や腕や足の太さなど、小さなところで彼が年齢に合わない歴戦の戦士であることがわかる。

「助けてもらったうえに頼んで申し訳ないが、俺を運んで行ってくれないか?このことを報告しに行かなければ…あんたも、いつまでもここにいるより、一緒に来たほうがいい」

「ああ…あんたは?」

「俺か…?俺はピピン、兵士になりたてだ。あんたは?」

「…エルバだ」

エルバと名乗る少年に抱えられたピピンはそのまま近くまで走ってきた馬に乗せられる。

そして、エルバと2人乗りになる形で切通しを進んでいく。

「暗闇がひどい…。おまけに炎のにおいがする。何があった?」

「あんた…この半年間のこと、何も知らないのか??」

「…理由があって、その間の記憶がない。ここに流れ着いたのはつい2,3日前だ」

「ああ、そうか…。大変だったんだな。半年前、命の大樹が落ちてからはデルカダールから太陽が消えてしまったよ。おまけに激しい熱風が吹いて大勢の人が死に、城も城下町もボロボロだ。生き残った兵士たちはどうにかまだ生きている人たちを助けたが、今度は追い打ちをかけるように魔物が来てな…。命からがら逃げだして、今はこの先にある最後の砦を作って立てこもっているのさ」

「最後の砦…いやな名前だな」

「まったくだ。確かにそこにはきれいな水があるし、海も近いから魚も取れて、最悪海水を塩代わりにできる。だが、出入り口は北にある一か所だけでそこ以外にはもう逃げ道も何もない。まさに、その名のごとくだな」

最後の砦と呼び始めたのはだれかは定かではないが、いつの間にかその名前が浸透していた。

ここに生き残ったすべての人々が寄り添うように暮らしていて、もうそこ以外に生きることのできる場所もなければ、退路もない。

まさに二重の意味での最後の砦といえる。

ムウレアである程度事情は察していたとはいえ、それでもひどい状況にエルバは言葉を失う。

(それにしても、なぜフランベルグが…)

更に気になったのはなぜかラムダの里に置いてきたはずのフランベルグが現れたことだ。

魔物たちを倒しながら、当てもなくさまよう中で見つけた、放置されてボロボロになった漁師小屋で、干した魚や今着ているマントといったものをあさった後で、外に出るとなぜか彼が待っていた。

どうしてここにいるのかは分からなかったが、彼がいるおかげである程度スムーズに動くことができていて、今ピピンを連れていくことができる。

切通しを出て、多くの柵やバリスタでふさがった道に出る。

バリスタの点検をしていた兵士や砦へつながると思われるとげとげしい木製の門の警護をする兵士がピピンとエルバの姿を見た瞬間、駆け寄ってくる。

「新入り!?一体どうしたというんだ?ほかのやつらは!?」

「ああ…みんな、死んでしまったよ。俺も、こいつに助けられなかったらどうなっていたことか…。どうにか、魔物は全滅させたが」

「…そうか。お前だけでも生きていてよかった。…!?」

門番の兵士がエルバを見ると、驚いたように彼の顔を見る。

ほかの兵士たちもエルバのことに気付くと沈黙する。

「そうか…ここが、最後の砦か…」

最後の砦の場所があの場所だということに気付いたエルバが表情を暗くする。

わずかな沈黙の後で、門番の兵士の口が開く。

「勇者様…。度重なる無礼、どうかお許しください。…何が起こったのかはすべて聞いております。どうぞ、お入りください」

これまでのデルカダール兵の殺意のこもった行いから一変したうやうやしい態度だが、エルバの彼らへ向ける視線に変化はなかった。

しかし、ここに来るまでに多くの魔物と戦ってきたことや、今の荷物が手元の剣のみの状態では、フランベルグがいたとしてもこのまま旅を進めることはできない。

「まさか…滅ぼしたイシの村にこんな砦を作るとはな…」

「…おっしゃりたいことは分かります。ですが、民を守るためには背に腹は代えられず…」

どうやら、イシの村を滅ぼす部隊に加わった経験のある兵士のようで、門番は複雑な表情を浮かべる。

彼もまた、村人が殺されるのを見ていたのだろう。

バリスタの兵士がピピンを連れて砦の門まで向かう。

門が開き、2人が中に入ると同時に犬の鳴き声が聞こえてくる。

聞き覚えのあるその鳴き声にエルバの視線が門へと向けられる。

「あいつは…」

「ワンワン!!」

暗がりのせいで、姿がよく見えないが、その犬が中へと走っていくのが見えた。

「ま、待て!!」

フランベルグから飛び降りたエルバは追いかけるようにピピン達を追い抜かし、門の中へ入っていく。

あの鳴き声は長年聞き続けてきた懐かしいもので、聞き間違うはずがない。

「待ってくれ、どうして…どうしてお前がいるんだ!?」

狭い切通しを走り抜け、徐々にあの絶望に満ちた廃墟が広がるはずの空間へと出る。

ごうごうと各所にかがり火や松明の炎であふれていて、そこは夜であるにもかかわらず夕方くらいの明るさに見えた。

そして、広がっているのは多くの柵や門で各所が隔離され、ちらほらとテントや見張り台が並んだ無骨な広場だった。

そこには廃墟の面影がすっかり失われており、まるで場所をそのまま入れ替えたかのような錯覚に襲われる。

「どこだ…!?どこにいる!?」

景色に意識を持っていかれかけていたエルバはすぐに正気に戻って犬を探して周囲を見渡す。

しかし、どこにもその姿はなく、結局幻だったのかと落胆する。

(当り前だ…。もう、ここには…もう…)

「もう、ルキ!!どうしたの?急にいなくなって!!」

「ワンワン!!」

「え…?」

再び聞こえる1人の少女と1匹の犬の声。

ついに心が追い詰められて幻聴が聞こえ始めたのか。

そうなると、ついに本当に勇者ではなくなってしまったのかもしれないと自嘲してしまう。

だが、せめて真実を確かめたいと、エルバは声が聞こえる方向へ歩いていく。

近くにある松明を取り、その明かりを照らしながらも、やや足元を見ながら進んでいく。

「エル…バ…?」

正面から少女の声が聞こえ、エルバは顔を上げる。

そこには幻ではない、本当に会いたかった少女と犬の姿があった。

「エマ…ルキ…?」

「そう…そうよ!エルバ!!」

「ワンワンワン!!」

嬉しそうにルキがエルバの周りをかける。

エマを見ると、トレードマークといえるスカーフがない状態で、腕や手には薪拾いで負った切り傷がいくつもついている。

「エマ…エマ!!」

「ずっと、会いたかったよ…。ずっと、ずっと…エルバぁ!!」

我慢できなくなったエマが駆け寄り、エルバに胸に顔をうずめて泣き始める。

喜びと驚きを覚え、泣いているエマを励まそうと触れようとするが、急に脳裏に浮かんだ光景がそれを邪魔する。

勇者の痣を闇に染め、勇者の力を奪ったウルノーガが命の大樹のすべてを奪った瞬間が。

それが手を止め、エマに触れることができなかった。

数分し、ようやく泣き止んだエマは目の周りを赤くさせながらエルバを見る。

「ご、ごめんね…。エルバも大変だったのに…」

「エマ…あの時、何があったんだ??」

「エルバが旅立ってしばらくして、デルカダールからホメロスって名前の将軍が軍を連れてきたの。彼は私たちを広場に集めて、こう言ったの…皆殺しだ、と…」

その時のホメロスの冷たい瞳と、まずは見せしめに村人の1人をホメロスが自らの手で斬殺し、その白い肌と鎧を染めた赤い血を今でも覚えている。

兵士たちは逆らうことができず、それから村人の処刑が始まった。

「そんな中で、あの方が来てくれた…。命まで奪う必要がないって、ホメロスを説得してくれた。村は焼かれて、私たちは城に閉じ込められたけど…あの方はとても親切だったわ。誰も私たちを傷つけようとしなかったし…」

「俺の…せいだな。俺がイシの村のことを奴らに教えてしまった。だから…」

「エルバのせいなんかじゃないわ!きっと…エルバが一番大変な思いをしたのよ。ずっと、追いかけられて、その中で旅を続けて…」

エルバの辛さを感じたエマの目に涙が浮かび、これ以上エマの泣き顔を見たくないと思ったエルバが視線を逸らす。

ルキの鳴き声が聞こえ、エマは涙をぬぐうとエルバの手を握る。

「ほら、行こう。奥にエルバの帰りを一番待っている人がいるわ。会いに行かないと」

エマに引っ張られ、ルキが先導する中、エルバは砦の奥へと歩を進める。

歩いている間にも、村人や城下の住民の生き残り達の姿が見え、他には治療のために粗末な敷物の上で横たわる兵士の姿もあった。

「う、うう…目が、目が見えん…」

兵士の1人が苦しみながら訴え、その兵士の奥さんと思われる女性がその手に触れる。

「大丈夫…大丈夫よ。ただ、出血がひどかっただけで、体力が戻ればまた見えるようになるって言ってたわ。大丈夫だから…」

「ひどいな…」

「うん…毎日のように男の人たちは戦ってるの。それで、いつもここはけが人でいっぱいになって…。けど、最近すごい回復呪文を使う人が来てくれたの!何か…天使みたいな人って、言われてるわ」

「天使…?」

エルバの脳裏にセーニャの姿が浮かぶ。

ナギムナー村で宴がされていた際、彼女はクラーゴンとの戦いで負傷した漁師たちの治療を行っていた。

村の豪快な女性陣とは違う、おしとやかでほっこりさせるようなのんびりさを持つ少女であるセーニャは男たちを夢中にさせ、行列を作ってしまうほどだった。

「その人はどこにいるんだ…?」

「今は英雄様と一緒に行動しているわ。連れて帰ってきてくれる人の中には急いで治療をしないといけない人が多いから…」

「そうか…」

「こっちよ。もうすぐだから」

再び歩き続け、ちょうどテオが釣りをしていた川へと続く道へと到達する。

そこにはテントがいくつもあり、たき火を中心に女性たちが集まって裁縫を行っていた。

「さあ、みんな!チャッチャカ手を動かして!チャンバラは男たちに任せな!私たちの戦場はここだよ!!」

「その…声は…」

「ペルラおばさん!!ただいまー!!大ニュース、大ニュースよ!!」

エルバから手を離したエマは急いでペルラの元に駆け寄り、大声で声をかける。

「あら、エマちゃんじゃない。どうしたの?そんなにあわて…て…」

振り返ったペルラは先ほどまでの真剣な表情をやわらげ、笑みを浮かべながらエマに尋ねると、自分の視界に入って来た見覚えのある少年に言葉を失う。

上半身がボロボロのマントで隠れていて、髪も整っていない状態だが、その顔立ちと感じる面影から、その少年が誰かはすぐにわかった。

「エル…バ…」

「少し…やせた?ペルラ母さん」

長い軟禁生活と、魔王ウルノーガによる大災害によって苦労を重ねてきたためか、旅立つ前と比べると若干ペルラのふとやかな体がしぼんだように見えた。

ペルラは言葉を失い、涙を浮かべながらエルバを見つめていた。

 

時間が過ぎ、エルバ達だけにさせてやろうと考えた女性陣がその場を離れ、エマとペルラ、ルキだけが残る中、エルバが近くのテントの中から出てくる。

上下ともに長い間着慣れていた村人の服の姿に変わっているが、それでも何かあったときのことを考えなければならず、腰には水竜の剣を差した状態でいる。

「エルバ…よく無事に戻ってきてくれたね。それはもう、恐ろしいことばかりおこって、私はてっきり…うう…」

「仕方…ないさ。こんなことに、なってしまったんだからな…」

「あの爆発で、大勢の人が亡くなったの…。次に朝が来なくなって、恐ろしい魔物が大陸中にあふれてしまったのよ。生き残った人たちも、だんだんと生きる力をなくしていって…中には自殺してしまった人もいるわ」

テントが集まるこの場所の一角には、ここで亡くなった人のための墓地がある。

墓地と言っても、きちんとした葬儀をすることも、墓を作ることもできない状態であるため、できることは大きな石碑を一つ用意して、そこに名前を刻んでいき、その周辺に火葬した死者の骨壺を埋めることぐらいだ。

時折、死者の遺族や関係者がそこへ墓参りする人もいるが、もう最後の砦はあきらめの色に包まれており、今では墓参りする人が少ない。

「そんな時だ。あの方は身分も、国も関係なしにみーんな助けてくれたわ。私らを守りながらここまで連れてきてくれた。あの方がいなかったらどうなっていたことか…。今じゃこの村は最後の砦なんて呼ばれて、大陸中の人が集まるようになったわ。それに…なんと!あのデルカダール王もいるわ!」

「彼が…いるのか…?」

一国の王であるデルカダール王のことを『彼』呼ばわりしたことで、失礼だと叱ろうとするペルラだが、これまでのことを考えて、彼が王のことを恨むのは仕方がないと思えて、叱るのを辞めた。

仕方ないとは思うが、いつまでもそれを続けるわけにはいかない。

人を恨んではいけない、恨み続けても生まれるのは虚しさしかない。

エマも、その命令を出した本人が王だということから、複雑な気持ちを隠せずに顔を下に向けてしまった。

「…そんな顔をするんじゃないよ。村を焼かれたこと、知ってる人を殺されたことは忘れられないさ。けれど、人を恨んでも仕方のないことだよ。すぐに、とは言わないけれど、一度王に会うべきだと私は思うよ。おじいちゃんなら、きっと同じことを言う」

「…そうかもな」

命の大樹の中で、真に憎むべきなのは王とデルカダールそのものを操っていたウルノーガだということは分かっている。

しかし、それでも割り切れないものがあり、エルバにとってはそれでも王が憎む対象であることを変えることができずにいる。

過去のイシの村で、テオに言われた言葉は今でも頭に焼き付いている。

だが、それを破ってしまい、憎しみに負けてしまったから、自分は命の大樹もロトゼタシアも守れず、勇者の力を奪われた。

闇に負けたのだから、そうなるのは当然のことかもしれない。

もう遅すぎるかもしれないが、テオの教えを守ることだけは決めたエルバは立ち上がる。

「行くのね…?」

「ああ。俺自身の憎しみと向き合うためにも」

「デルカダール王のテントは中央にある一番大きなテントだよ。入口にある2つの旗が目印だ。けれど…ケンカをするんじゃないよ」

「ああ、分かっている。分かっているさ…。服、ありがとう」

エルバはトボトボと村人のテントを離れていき、北へと赴いていく。

彼の弱々しい後姿を見たエマは静かに両手を握り、祈るように目を閉じる。

(お願い…エルバ。どうか、旅立つ前の優しいあなたを見せて)

 

「そうか…儂はそのようなことを」

「いえ。英雄殿のおっしゃることが正しければ、行ったのはウルノーガであり、陛下が気に病むことでは…」

「いいや、ウルノーガに憑依される隙を与えてしまったのは儂自身。先祖代々の国を守れず、よもや多くの民と兵を死なせることになろうとは…」

テントの中で、兵士から話を聞いたデルカダール王が唇をかみしめ、顔を下に向ける。

自分が目を覚ましたのはつい先日で、それまでは生死の境をさまよっていた。

傷は癒し手が治してくれたが、治せるのは体の傷だけで、ウルノーガによって奪われたすべてが戻ってくるわけではない。

16年という時間、崩壊した城と城下町、失われた命、そしてマルティナ。

決してその16年は自分が体験したものではないにもかかわらず、記憶に焼き付いている。

兵士に尋ねたのは、それが現実か妄想なのかをはっきりさせたかったからだ。

だが、心のどこかにそれが妄想だと言ってくれることを望んでいた自分がいるが、そんな希望はむなしく切り裂かれる形となった。

「陛下、エルバ殿が参られました」

「そうか…ご苦労だった。今は彼と2人きりにさせてもらえぬか?」

「は…」

王の苦しい胸の内が感じられた兵士は敬礼をしたあとでテントを出て、入れ替わるようにエルバが入ってくる。

腰には水竜の剣を差しており、今のデルカダール王には身を護る武器がベッドのそばに置かれている鋼の剣しかない。

若いころは剣豪としても名高かったが、老齢なうえに起き上がったばかりで体力が戻っていないデルカダール王が仮にここでエルバに斬りかかられたとしても、太刀打ちできるはずがない。

「無事で…あったか…」

「…ああ、あんたもか」

王に対する者とは到底思えない口ぶりだが、今のデルカダール王にとってはこれがむしろ心地よかった。

何も守れなかった自分が王を名乗る資格などないのだから。

「儂は恐ろしい夢の中にいたようじゃった…。そなたが生まれたあの時から…」

「残念だが、夢じゃない。現実だ。今起こっていることも…村を焼かれたことも…」

「そうじゃな。済まぬ…民にも、そなたにも…申し訳ないことをした。許してくれとは言わぬ。そのようなことを言われる資格はもうないのだから…。儂の首をよければ、ためらいなく切り落とせ。その代わり、兵たちのことは許してほしい。すべては儂の命で終わりにしてほしい」

自分もまた、今の世界の元凶を作り上げてしまった。

その罪は命でなければ償えない。

ちょうど、その死刑執行人にふさわしい男が目の前に現れた。

ならば、彼に斬られることで、その罪を清算することが、今生き残っている自分の役目。

眠っている間、英雄は人々のために動き続けた。

彼に最後の砦のすべてを任せればいい。

「さあ、斬れ。それで、終わりに…」

「…」

エルバは水竜の剣を抜き、一歩一歩前進していく。

デルカダール王は目を閉じ、静かに裁きの時が来るのを待つ。

至近距離まで近づいたエルバは剣を振り下ろす。

冷たい死の感触が来るのを待った王だが、いつまでもそれが伝わってこない。

目を開けると、その刃は首筋ギリギリのところでとどまっていた。

「俺は…あんたを許さない。だが…あんたは、仲間の…マルティナの父さんだ。いくら…憎くても…その人は、斬れない…」

力なく剣がエルバの手から離れ、カタリと床に落ちる。

落ちた剣を見つめるエルバの表情は苦悶に満ちていて、デルカダール王は目を閉じる。

「マルティナ…我が娘が…。生きておるのか?」

「分からない。俺の記憶はウルノーガが力を放って、命の大樹が力を失った瞬間から…途切れてしまっている」

どのようにして命の大樹から生還し、ムウレアに来たのか、エルバには分からない。

それを知っているであろうセレンがもうこの世にいない以上、聞くことはできない。

当然、他の仲間たちがどうなったのかも、今のエルバには確認のしようがない。

「そうか…」

拳を握りしめるデルカダール王は目を閉じ、肩を震わせる。

16年にもわたって、ウルノーガによって引き裂かれた娘の生死が分からず、それを確かめるすべもない己の無力さを感じずにはいられない。

エルバも何も言うことができなかった。

(カミュ…セーニャ、ベロニカ…シルビア…マルティナ…爺さん、生きているのか…?)

「失礼いたします!!」

重々しい沈黙の中、伝令の兵士がテントの中に入る。

中の様子を見た兵士は一度出ようとするが、デルカダール王の視線を感じ、姿勢を正す。

「報告か…?」

「はっ!英雄殿、そして癒し手殿のご帰還です。本日も逃げ遅れた多くの民を救出したとのことです!なお、デルカダール城下町内にて、デク殿の商店から武具の回収も成功しております!」

「そうか…ご苦労だった」

「はっ!失礼いたします!!」

兵士がテントを出て、デルカダール王の視線がエルバに向けられる。

「…望まぬことやもしれんが、そなたもあやつを出迎えてやってくれぬか?」

「やはり、英雄というのは…」

「そう、グレイグじゃ…」

エマやペルラから英雄という言葉を聞き、そしてムウレアで見たあの光景から、英雄がグレイグだということは薄々と感じていた。

なぜ、将軍を名乗らずに英雄などと名乗るのかは分からないが、肩書を変えたからと言って、エルバのグレイグに対する感情が変わるわけではなかった。

 

村の入り口だった場所で、兵士たちの中でエルバもグレイグの帰りを待つ。

相変わらず真っ暗な空で、ここに到着してからどれだけ時間が経ったのか、すっかりわからなくなっていた。

その中で切通しから足音が聞こえ、兵士たちの視線がそちらに向けられる。

そこにはグレイグを先頭とした兵士たちの姿があった。

全員の鎧もサークレットも傷だらけになっており、一部には肉眼で分かるくらいの補強部分まである。

物資が何もかも不足している中で、どれだけやりくりして出ているのかを感じずにはいられない。

砦の中へと歩くグレイグだが、途中で自分が受けているいつもとは違う視線を覚え、その方向に目を向ける。

そこにはエルバの姿があり、エルバは睨むようにグレイグを見ていた。

「生きて…いたのか…」

「ああ、あんたもな」

刺々しいほどの冷たく、重い雰囲気が感じられ、英雄の帰還を喜ぶはずの人々の間に沈黙が流れる。

エルバもグレイグも、そこから口を動かす気配はなかった。

「エルバ様…!!エルバ様!!」

「その声は…」

聞き覚えのある声に列の後方を見る。

そこには見覚えのある金色のロングヘアーと緑と白のドレスを身に着けた少女の姿があった。

「セーニャ。癒し手というのは…」

「はい、はい…そうです!エルバ様!良かった…ご無事で」

エルバに駆け寄り、無事な姿を見るセーニャの目には涙が浮かんでいた。

近くで見ると、少し疲れがあるようで、眼には薄いくまがあり、元々華奢な体が痩せていることで余計細く見えた。

「良かった…ベロニカは?」

「分かりません…。気づいた時にはここにいて…。私はここでずっと、兵士の皆さまや避難してきた皆さまの治療をしていました。本当はエルバ様たちを探しに行きたかったのですが…」

「いや、いい…。セーニャらしいな」

目の前のけがをしている人々を放っておくことのできないやさしさ。

それがあるから、きっとこの砦で大きな助けとなっていて、結果的に再会することができた。

その偶然と幸運をセーニャは感謝していた。

そんな少し明るくなった空気の中で、テントから出てきたデルカダール王が護衛の兵士2人と共にグレイグの元へやってくる。

「よく戻った、グレイグよ。…して、成果は?」

「はっ。デルカダール城にて不穏な動きがあると。この闇に乗じて動きがありましょう。王よ、民たちを急ぎ安全なところに…」

「うむ…」

「皆のもの!!じき、魔物が来るぞ!!かがり火をたけ!!戦いに備えるのだ!!」

「「「「ハッ!!!」」」」

グレイグの命令に応じ、兵士たちが急ぎ戦いの準備を始める。

前線に出るために、砦から出てくる兵士の中には武闘家や戦士をはじめとした冒険者、そして装備だけは一般の兵士の物となっているが、おどおどしながら歩く男もいた。

多くの民間人を守るには、生き残っている兵士だけでは不足で、今では少しでも戦った経験のある人も動員しなければならないくらい追い詰められていた。

「…悪く、思わんでやってくれ。グレイグ程の男でも、いまだこれまでのことを整理しきれておらん」

グレイグを擁護するデルカダール王の言葉を聞くエルバだが、彼に視線を向けようとせず、顔を下に向けている。

整理しきれていないのはエルバ本人も同じだった。

村人の仇と思っていた男が実はその村人を救ってくれていたなど、信じられない。

なら、これまで追いかけられて、殺しあってきたのはいったい何だったのか。

「…兵士たちが言っている。近頃のあやつはまるで己を痛めつけるように戦っておる…」

兵士たちに指示を飛ばすグレイグをデルカダール王はじっと見つめる。

昔見た時のグレイグは生真面目さ故に厳しいところはあるが、それでも余裕のある、兵士たちの声に耳を傾けるところがあった。

しかし、今の彼はそのような余裕は一切なく、矢継ぎ早に指示を飛ばしていて、兵士と会話する余裕が一切ない。

何かに追い立てられるような強迫観念が彼を縛っているのを王には感じていた。

「これ以上…あやつを一人で戦わせるわけにはいかんのだ。頼む…そなたの力を貸してはくれぬか?」

「俺はあいつの部下を何人も殺した。そんな俺に…か?」

言い訳めいた言葉だと、しゃべるエルバ本人も感じていた。

本当はただ、ひどく憎んでいたグレイグと一緒に戦えるか疑問に感じているだけだ。

最後の砦にはエマやペルラ、そしてセーニャがいる。

彼らを守るために戦うことには拒否する理由はない。

だが、問題なのはグレイグと本当に共に戦えるかだ。

「これまでの戦いで多くの兵が傷つき、死んだ。今生き残っている兵の中に、グレイグと共に戦える者はおらん。おぬしだけが頼りなのだ。頼む…」

懇願するように頼み込む今のデルカダール王からは威厳が薄れているように感じられた。

王である以前に、ひ弱い一人の老人のように見えてしまう。

これが憎み続けてきたデルカダール王という男なのか。

「…分かった。だが、奴が俺と共に戦うことを拒否するかもしれない。その時は…俺も奴を助けられるかどうかは分からない。そうなっても、文句は言うな」

「…ああ、頼む」

「やや、あなたはもしかして、兄貴の連れの人!?いやーー、久しぶりねー!」

重い空気の中、これまた聞き覚えのある、軽やかなトーンの男の声が聞こえ、カサカサと駆け足の音が近づいてくる。

少し顔を上げると、その音の主が了解もなしにエルバの顔をじろじろと見る。

「やっぱりー!生きていたんだねー!良かったー!なぁ、兄貴はどうしたの??」

「…分からない。生きているかどうかも」

「生きているかどうかは心配いらないよー!だって、兄貴は強い人だからー!それより、これから戦うのに、剣1本だけじゃ、装備が足りないでしょー??ほら、ついてきて!!」

「お、おい…??」

無理やりデクに手をひかれて、否応もなしにエルバは切通し付近に止められている大きな荷馬車に連れていかれる。

そこにはこれから戦うと思われる人々が集まっており、装備の新調をしていた。

(そういえば、伝令の兵士がデクさんの武具を回収したといっていたな…)

「私、あれから商売の手を伸ばしてねー。いろいろ武器や防具も手に入ったんだよー!魔物たちに盗られてるのもあるけど、だいぶ残っててよかったよー!ほら、しっかり装備整えてー!」

「いいのか?それは…」

旅を続けて、いくつも装備品を見てきたからわかるが、いずれも一般の武器屋や防具屋が仕入れるには高価なものが集まっており、手に入れるのも並大抵ではなかったはずだ。

そんな装備をためらいなく渡そうとするデクに申し訳ないという気持ちもある。

下手をすると、これらが今の彼の全財産のはずなのに。

「あ、お金のことは気にしなくていいよー。平和が戻って、復興したらまた稼げばいいだけだからー。だから、気にしないで準備してねー」

「分かった…助かる」

「ああ、そうだ。特におすすめがこれだよー!!」

さっそくデクは鎧や服などの胴体への装備品の列から胸部に不死鳥のような模様が刻まれた紫色で長そでの上下の服を持ってくる。

「これは魔法の闘衣といって、呪文とブレスに強い特別な布を魔力を込めて編んだすぐれ物だよー!これなら、並の呪文とブレスを前にしても、へっちゃらだよー!それから、あとは…」

まるでコーディネイターのようにデクはエルバに合いそうな装備を探し始める。

楽しそうに探しているデクを見たエルバはデルカダールで出会った時の彼を思い出す。

その時も、彼から装備品だけでなく、馬や食料などを提供してもらった。

何かの因果を感じつつ、エルバは彼が装備を集め終えるのを待った。

 

「エマ、ペルラ母さん」

「あら…エルバ。どうしたの?さっきから騒がしくな…」

戻って来たエルバの姿を見たペルラは言葉を失う。

先ほどまでの剣を差している以外は村にいたころとほとんど変わらない姿であったはずのエルバの姿が魔法の闘衣と腰に差している2本の剣、そして背中の両手剣で完全武装されたものへと変わっていた。

黄土色のやや分厚い刃のあるその剣は奇跡の剣で、デク曰く、軽さだけでなく、相手を攻撃することで自分の傷をいやすことのできる優れものとのことだ。

そして、背中に刺している同じ色の刀身で、柄が鷲の翼を模したものとなっているキングブレードもまた、デクから出世払いで受け取ったものだ。

「2人とも、これから戦いが起こる。できるだけ奥へ避難してくれ」

「エルバ…」

戻ってきてそれほど時間が経っていないにもかかわらず、勇者の力を失ったにもかかわらず、なおも戦わなければならないエルバ。

力のないエマには彼のみを案じることしかできない。

「今は戦える人間が1人でも多い方がいい。だから…」

「エルバ、あんた…無茶だけはしちゃだめだよ。私たちを守るためとはいっても、死んだらどうにもならないんだからね」

「ああ…分かっている」

敵はいつまでも待ってはくれない。

エルバは背を向け、テントを出ようとする。

だが、急に右手を細い指が絡まる。

その指はエマのものだということは一瞬で分かった。

「エマ…」

「行かないで…エルバ…」

「…」

「分かってる…。こんなの、私のわがままだってこと。でも、でも…!」

エマの脳裏に見張りの兵士たちが言っていた言葉がよみがえる。

悪魔の子と呼ばれ、追われ続けて、一歩間違えば人間に殺された可能性だって高い旅を続けてきたエルバ。

そして、そんな辛い思いをして旅をつづけたエルバにさらに酷なことに、再び戦う時が来てしまった。

離れ離れになってから、ずっとエルバのことを考えていたエマには彼を送り出すことがどうしてもできなかった。

「エマ…変だな。力をなくして、こんなひどい状態なのに…まだ戦えることがうれしい」

「エルバ…?」

「村が廃墟になって、みんながどうなったのか分からない…。そんな状況で俺は…ずっと贖罪のために戦っていた。守れなかったエマやみんなのことを…ずっと忘れることができなかった」

そうすることでしか、彼女たちに償う道がない。

ずっとそれを考えて生きて来て、デルカダールを憎んだ。

それが間違いだとわかっていたとしても。

「でも、今ははっきりとみんながいることが分かる。今度こそ、守ることができる…。俺はそれがうれしいんだ」

「エルバ…」

「もう俺に、勇者を名乗る資格はない。だから…もう1度確かめたいんだ。勇者としてよりも、俺として戦う意味を」

エルバの片方の手がエマの手に触れる。

何かを言おうとしたエマだが、その前にペルラがエマの肩に手を置く。

「ペルラおばさま…」

「すぐに、戻る」

エマの手が離れると、エルバはテントの外へ出る。

テントを出たエマは彼の後姿を見守ると、ぎゅっと祈るように手を組む。

(神の岩に宿る大地の神様…どうか、エルバを守って…)

 

「弓兵部隊、特に空を飛ぶ魔物は一匹たりとも逃がすな。先発する敵への第1波終了後、騎馬隊が突撃…」

伝令兵によって、配置された兵士たちに作戦が通達されていく。

砦を出たエルバは右翼前方で待機し、フランベルグの背に乗っている。

そこから少し左を見ると、そこには先頭に立つグレイグとリタリフォンの姿が見えた。

デルカダール王の言葉が脳裏に浮かぶが、そんな余裕を吹き飛ばすように、偵察兵の声が響く。

「敵襲、敵襲ーーーー!!!」

ビリビリと殺気を感じたグレイグが即座にキングアックスを抜き、同時にデルカダール兵たちも剣を抜く。

デルカダールへと続く北への道からはリビングデットや骸骨剣士などのゾンビ系の魔物たちやイビルビーストなどの魔物たちがぞろぞろとやってきていた。

ざっと見るだけでも、砦を守る兵士の数を上回っており、上空にも空を飛ぶ魔物たちの姿がある。

「弓兵、攻撃ーーーー!!!」

グレイグの声と同時に、兵士たちが次々と矢を放つ。

雨のように降り注ぐ矢は次々と魔物たちを撃ち抜き、十数匹を倒すことができたが、それでも敵の侵攻をわずかに遅らせるだけに過ぎない。

それでも、持ち前の生命力かそれとも幸運によって生き延びた魔物たちが後退することなく、まっすぐに兵士たちに向かってくる。

「突撃ーーーー!!!」

兵士たちがグレイグに続いて一斉に突撃する。

兵士と魔物たちの刃がぶつかり合い、その中で兵士や魔物の断末魔の声が響く。

フランベルグを駆けるエルバは正面から迫る、右手に槍を持った骸骨の騎士、死神貴族に迫る。

死神貴族の槍とエルバの水竜の剣がぶつかり合い、同時に刃から冷気が発生する。

それにひるんだすきにフランベルグが後ろ脚で死神貴族を蹴り飛ばした。

馬の後ろ脚をまともに受けたことで死神貴族の体が砕け散りながら宙を舞い、主を失った馬は逃げるようにその場を後にする。

「うおおおお!!!」

グレイグは持っているキングアックスを振り回し、上空から迫るイビルビースト3匹を切り捨てる。

そして、リタリフォンを大きく跳躍させ、その姿にひるんだキラーアーマーを両断した。

 


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