うつら、うつらと視界が開けてきて、青く揺れる光が浮かぶ。
その光の正体が何かわからないが、ゆっくりと息をしながら意識を取り戻していく。
「ここは…?」
「目覚めたわね、ようやく…」
ゴポゴポと何かが水の中を泳ぐ音が聞こえ、視界の中に大きな見覚えのある人魚の姿が浮かぶ。
その姿には見覚えがあり、金色のなびく長髪を見たことでそれが確信に変わる。
「女王…セレン…」
「そうよ、ようやく傷が癒えたみたいね」
「癒えた…?俺は、生きているのか…?」
「そう。あなたはここで半年の間眠っていた」
「半年…」
徐々に意識を失う直前の記憶が戻ってくる。
そして、そのまどろみの中で聞こえた言葉を思い出す。
(再び目覚めた時が…俺の罪に罰が下るとき…俺が、勇者の本当の意味を知るとき…)
「それから、あなたの存在を知られるわけにはいかないから、姿を変えさせてもらったわ」
セレンが杖についている水晶を鏡代わりにしてエルバに見せる。
そこから見たエルバの姿は紫色の鱗をした、少し丸みのある魚だった。
「な…!?魚だって!?」
「ええ。あなたが生きていることを知れば、命を狙ってくる。大丈夫、すぐに元の姿に戻せるわ」
「なら、すぐに戻してくれ…。あいつらは…!」
「待ちなさい、この半年の間に何が起こったのか…あなたは知らなければならない。ついてきなさい」
セレンが先へと進んでいき、このまま放っていかれるのはまずいと思ったエルバも彼女の後をついていく。
彼女を無視して戻ろうとしても、どうやって戻ればいいのかわからない以上は従うしかない。
光の差し込まない暗い水の中を泳いでいるが、やはり魚は人間とは違い、それほど疲れを感じない。
冷静に考えると、セレンがいるということからここはムウレアの中だということは分かるが、その場所には来たことがない。
城の中なのか、それとも地下空間なのかも見当もつかず、セレンについていくと、そこは大きく開けた場所で、光が差し込んでいて、昼のような明るさに照らされている。
その空間の中央には大きなピンク色の貝が置かれており、その中央には大きな真珠が置かれていた。
セーニャのように魔力を感じられるわけではないが、それでもその水晶玉からは強い力が感じられた。
「人間をここに入れたのは何百年ぶりかしら。ここは守り人の海、海底の王だけが入ることが許される許された海よ」
「何百年…?それは…」
「そして、これが王家に伝わる千里の真珠。これに触れることで、世界中の水とリンクして、あなたの知りたいことを見せてくれる」
セレンは持っている杖を空に掲げる。
水晶が一瞬光った後で何事もなかったかのように消えてしまった。
「こっそりと雨を降らしたわ。これで、世界中をくまなく見ることができる。さあ…エルバ、見るのです。今の世界の状況を…」
この真珠に触れることで、おそらく仲間の安否も知ることができるだろう。
だが、正直に言うと恐ろしい。
命の大樹が失われ、ウルノーガに勇者の力を奪われた。
そして、その原因を作ったのは紛れもなく自分自身。
その現実がエルバを真珠へ近づけさせない。
だが、その甘えを今は許されるはずがない。
「エルバ、あなた方の身に何が起こったのか…分かっています。見なければなりません、あなたの思う罪の結果を」
「俺の…罪…」
ゴクリと唾を(魚に唾をのむという習慣があるのかは分からないが)飲んだエルバはヒレを伸ばし、真珠に触れる。
その瞬間、エルバの視界が光りに包まれていき、それが次第に煙のような分厚く黒い雲に覆われた空へと変わっていく。
下を見ると、燃えている樹木や灰となったままその場に残り続ける草木が見えた。
(見なさい、エルバ。あなたの目の前にある物を)
「これ…は…」
目の前にある、真っ黒な炭となった巨大な樹木の正体は一瞬で分かってしまった。
大きなクレーターを作り出した状態で横たわるそれは紛れもなく、命の大樹の変わり果てた姿だった。
(これがロトゼタシアの今の姿。あなたが魔王ウルノーガに力を奪われた日、世界は死んだのです)
次第に景色が巻き戻っていき、命の大樹が落ちる直前まで戻っていく。
そして、そこから時が再び進みだし、命の大樹が落ちた瞬間の光景が目に映る。
そこから岩石を帯びた土煙と共に強烈な熱波が発生し、周囲に街や森を焼き尽くしていくのが見えた。
「あ、あああ…」
(熱を帯びた猛烈な爆風が世界を駆け巡り、草木を焼き払い、水を干上がらせた。そして…)
それだけでも地上には焼き尽くされ、真っ黒になって死んだ人々や生き物、魔物の姿があり、それらはもはや元々が何なのかわからないような状態だった。
エルバの脳裏には今も焼け死んだ村人の姿が残っており、地表にあるそれはその死体よりもひどい状態だった。
だが、それでも生きている人々や生き物がいて、突然起こったこの状況に混乱している様子だった。
そんな彼らをあざ笑うかのように、今度は空から灼熱を帯びた岩が降って来た。
「やめろ…やめろーーーー!!!!」
(これはこの半年の間に起こったこと。命の大樹が死んでから1カ月の間に、熱波と灼熱の岩の雨を起こし、ウルノーガは一瞬で多くの命を奪い尽くしたのです)
セレンの悲し気な声が響くとともに、エルバの耳には死んでいった人々の無念の声が響く。
必死に耳をふさごうとするエルバだが、それをするための手は今の彼にはなかった。
「私も、どうにかしようと手を尽くしましたが…ただ、ここで見ていることしかできなかった。けれど、希望は残されていました」
「希望…?悪いですけど、俺にはもう…」
「希望を作り出すことができるのは勇者だけではありませんよ」
景色が変化し、煙と炎が立ち込める暗がりの荒野とその中を歩く集団が見えてくる。
貧乏人から金持ち、大人や子供、男と女。
数多くの立場の異なる人々が荷物を持たず、フラフラと戦闘を歩く男の後を続いている。
長い旅で疲れ果てている様子で、中にはいくつも傷を負っている人もいる。
だが、誰一人として歩くのを辞めようとせず、歩けなくなった人に力を貸す人さえいる。
「もう…家もいねえ。家族もいねえ…。けど、まだ命は残っている。歩け、歩き続けろ…」
「そうよ…英雄様についていきましょう。デルカダールの南に最後の砦がある。そこでなら、生きることができる…!」
「最後の砦…デルカダールの南…?」
エルバの視線が戦闘を歩く青い市松模様のサークレット姿の男性に向けられる。
しかし、装備しているキングアックスと長い紫の髪がなびく後姿から、一人の男が思い浮かんだ。
「まさか…グレイグ!?」
(絶望の中にも希望がある。人々は懸命に希望の灯を宿している。けれど、それすらもウルノーガによって、消されようとしている。誰かがそれをともさなければならないのです。それはエルバ、あなたにしかできないこと)
「だが、俺にはもう勇者の力は…」
まだそこに希望があるなら、動き出したいという気持ちはある。
しかし、もう勇者でなくなった自分に何ができるか分からない。
思えば、今までの力はすべて勇者だからこそのもので、本当の意味での自分の力など存在しないのではとさえ思ってしまう。
そんな中で再び景色が命の大樹のなれの果ての元へ戻される。
そして、上空には黒い霧に包まれた怪しい城が浮かんでいるのが見えた。
(これが…今の世界の象徴。命の大樹亡き世界を統べるのは天空魔城の王、ウルノーガ。彼は命の大樹の力を奪うだけでは飽き足らず、この世のすべての命を刈り取り、悪しき力に変えようとしています。あれを見なさい)
再び景色が変化し、今度は海の中に変わっていく。
そこには数千の海の魔物たちが集まっており、その中心には黒と赤の鱗を持つ、額に何か赤い球体をつけた船以上の大きさを誇る4本脚の魔獣が拳をムウレアに向けて振るっているが、その前に展開されているバリアに阻まれていた。
「この魔物は…??」
(あれは私たち海の民を滅ぼすために遣わされたウルノーガの手先。ムウレアは私の結界でどうにか防いでいましたが、これも…そろそろ限界です。魔王の力は私をはるかにしのぐもの。まもなく、ムウレアは魔物の手に落ちるでしょう)
「何だと…!?どうにかならないのか…!?」
もう、どうにもならないことは頭の中では分かっていた。
既に結界にはひびが入っていて、ムウレアの住民たちは避難をしている。
あと数発あの化け物の拳が叩き込まれた瞬間、何が起こるかは明らかだ。
勇者の力を持っていたとしても、あの魔物とその後ろに控える数千の魔物を倒すことは不可能だ。
次第に景色が元の光景に戻り、エルバに視線がセレンに向けられる。
「エルバ…世界に再び光をもたらすため、希望の火をともしなさい」
ドオオン、ドオオンと守り人の海にもバリアと魔物の拳がぶつかる音が響き渡り、同時にセレンにも異常が生じる。
疲労を見せ始めており、苦しそうに胸に手を当てていた。
「女王セレン…このバリアはまさか…!!」
「そう…私の命で生み出したもの。こうなることは…分かっていました。けれど、あなたの傷をいやし、送り出すことができる…」
「そんな…」
「聞きなさい、エルバ…。希望の火は仲間たちの元にあります。その炎を繋ぎ、照らした先に…歩くべき未来がある!ああ…!!」
ついに限界を迎えたのか、叫びをあげたセレンがその場にうずくまる。
彼女の眼にはクマができており、肌の色も徐々に青くなっていく。
彼女が死へと近づきつつあることが分かり、何もできない自分を憎み、エルバは唇をかみしめる。
「悲しむことはありません…。女王として、長すぎる時を生きてきたのです。ようやく…自由になれる」
苦しそうに息をしているが、なぜかセレンからは安らぎのようなものも感じられた。
うつらうつらと瞳を閉じそうになりながら、セレンは最後の力を振り絞り、杖に魔力を籠めると、エルバの体が青い光に包まれる。
「いきなさい…前を向いて、決して振り返らないで。勇者とは…最期まで決して、あきらめない者のことです!!」
「女王セレン!!」
ヒレを伸ばそうとするエルバの体が光りとともに消えていき、同時にガラスが砕け散る音が鳴り響く。
杖が砕け、セレンの体が一気に老化していき、金髪の髪が真っ白になり、肌にも目立つほどの皺が生まれる。
「これで…やっと…」
長すぎる人生の終幕を感じたセレンはまどろむように目を閉じる。
勇者を送り出した達成感と、ムウレアを自分の代で終わらせることへのわずかな無念さをかみしめながら。
「は、はあ…はあ…」
波の音、そして下半身を濡らす冷たい水の感触が伝わり、エルバは目を覚ます。
目を覚ますとそこは真っ暗な闇に包まれた砂浜で、明かりらしい明かりもないために視界が悪い場所だった。
倒れたまま、エルバは視線を左右に動かす。
そこにはきっちりと腕があり、感覚から足もあることがわかる。
人間に戻ることができたが、左腕の痣からは何も力が感じられなかった。
おまけにやはりというべきか、鎧もろとも上半身の服も失われたことで、上半身は裸の状態だった。
当然、左腕に巻いていたエマのスカーフもぶら下げていたお守りもない。
エルバの視線が自然に黒い海に向けられる。
もうムウレアに戻ることはできず、セレンの安否を確かめることもできない。
「俺の…ために…」
(前を向いて、決して振り向かないで)
「そんな資格…俺にはない!!希望の火をともすだと!!もう、俺には…何も!!」
四つん這いになり、何度も拳を叩きつけながら、感情を爆発させる。
目には大粒の涙が出て、いくら流してもエルバの心の傷を洗い流すことができない。
大声で泣き続ける中、かすかに海に淡く光るものが見えた。
足首がつかるくらいの深さくらいのところに見えたため、涙をぬぐうことを忘れ、エルバはその光がする場所へと向かい、それに手を伸ばす。
「痛っ…!?」
刃物だったようで、握ったと同時に掌に切り傷ができる。
切り傷をホイミでいやした後で、それに気を付けながら触れて、持ち上げる。
持ち上げたそれは水のように青い刀身が印象的で、魚のひれと宝玉を口にした鮫を模した、鱗のような柄を持つ片手剣だった。
握っていると、かすかにだが力が湧くように思えた。
「女王セレンからの最後の贈り物…水竜の剣か…」
なぜか剣の名前が頭に浮かび、エルバは手にしたばかりの剣を握りしめる。
武器のないエルバにとってはありがたいものであり、同時に重い荷物ともなった。
剣を握ったまま浜辺に戻ると、魔物の足音が聞こえてくる。
メラを明かり代わりにして照らすと、赤い瞳を宿した数匹のスライムや骨だけになった翼竜などの魔物の姿が見えた。
「邪魔だ…!!」
セレンから託された水竜の剣を握り、エルバは正面から魔物に向けて飛び込んだ。