虹の橋を越え、大樹の大きな枝を足場にしてエルバ達は進んでいく。
「おお…命の大樹の中を自分の足で歩くことになるとは…」
「この1枚1枚の葉が…ロトゼタシアで生まれて…死んで…また生まれる命…」
マルティナはまだ生えたばかりの幼葉に触れる。
すると、急に頭の中に複数の光景が一気にフラッシュバックし、思わずそれから手を放してしまう。
「今のは…!?」
「マルティナちゃん、どうしたの?すっごい汗かいてるじゃない」
「え…??」
シルビアの言葉にハッとしたマルティナは額に触れる。
手は汗でびっしょりと濡れており、髪も同じ状態だということが今になって自覚できた。
「あの葉に触れたら、急にいろんな景色が見えて…」
「おそらく、それはあの命が再び生まれる前に見たものだと思われます。長老様がおっしゃっていました。命の大樹の元、私たちの命は巡り続け、ロトゼタシアを支える力になると」
「それよりも、早く行こうぜ。こうしている間にも、俺たちの勇者様は先に行っちまう」
カミュ達を置いていくように、エルバは巨大な枝から枝へと足を移し、中へと進んでいく。
中に入っていくほど、エルバの痣がうずき、胸が熱くなる。
そのうずきも熱も、この先に目指すものがあることを示していると信じて疑わなかった。
(言葉には出ない…だが、わかる。この先に…この先に進めば…)
イシの村から命の大樹を見るたびに感じた熱を思い出す。
今思うとそれは命の大樹へ向かえという何かの啓示だったのかもしれない。
途中、幹から通路のように上へとつながる空洞を通っていくと、蔓と絡み合うようにのびた幹でできた部屋のような大きな空間に到達する。
緑色の光が柔らかくその空間を包んでおり、その中央には蔓で丸く覆い隠された何かがある。
その大きさは6メートル以上あり、そこからより強い熱を感じた。
「ここが一番奥か…」
数分遅れでエルバ達に追いついたカミュ達の視線がエルバが見ているその何かに向けられる。
痣が光りはじめ、エルバはそれに向けて左手を伸ばすと、包み隠していた蔓が待ちかねたと言わんばかりに足元の蔓の中へと消えていき、その場には淡い光に包まれた1本の剣が残された。
「きれいね…これが、きっと大樹の魂…とても大きい」
命の大樹に魂が存在するかは誰も知らず、きっとそれはここへ来たことのあるかつての勇者ローシュと、いまここにいる人間にしかわからないことだろう。
だが、直感が教えてくれる。
命の大樹の葉はここから生まれる、自分たちの命はここから生まれているのだと。
「ロトゼタシア全部の命が詰まってるんだ。これくらいでかくないと収まらないだろ」
「こうしてそばで見ていると、ちょっぴり怖いわね…。なんだか、吸い込まれてしまいそうで」
「そして、この剣は…」
大樹の魂に守られるようにその中に封印されている剣。
金と青をベースとした不死鳥をモチーフとした柄で、その中央には赤い魔石が埋め込まれている。
そして、刀身は傷一つなく、透き通った水色の輝きをその中で放ち続けている。
その剣を見たロウはそれが何かはすぐにわかった。
「これが…かつて勇者ローシュ様が手にした勇者の剣…。闇を払う力…」
「なら、ウルノーガを倒すためにも今必要だよな。さっさと持っていこうぜ」
カミュが大樹の魂の前まで歩いていき、剣を取ろうと手を伸ばす。
しかし、大樹の魂に触れた瞬間、激しい痛みがカミュの腕全体を襲い、おもわずのけぞってしまう。
「カミュ様!!」
「痛て…少しは加減しろよ…!」
「ふむぅ…勇者の剣がある…おそらくは勇者であるエルバでしか、この魂の中へ入ることができんようじゃ」
「そして、そうじゃないやつが入った瞬間、こうなるのね…」
ベロニカの視線がセーニャによって治療されているカミュの左腕に向けられる。
1秒も触れていないにもかかわらず、腕全体が大きくやけどしているようで、服もその部分がすっかり焦げ臭くなっていた。
もし、無理をしてでもそれを手にしようとしたら、きっとその不届き者は全身を焼かれていただろう。
それだけの封印の力が大樹の魂にあるからこそ、長い時間勇者の剣は守られ続けてきたに違いない。
そして、ローシュの生まれ変わりであるエルバに託す時が来た。
「さあ、エルバよ!勇者の剣を手にするのじゃ。そして、聞くのじゃ。求めていた真実を!おぬしなら…できる!」
「…ああ」
ゴクリと唾をのみ、エルバは大樹の魂へと歩を進めていく。
長い時間がかかったが、これで勇者の真実を知ることができる。
エルバは右手をエマのお守りにあて、目を閉じる。
(エマ…力を、貸してくれ…)
左手を伸ばし、一歩一歩前へ進んでいく。
痣の光に反応するかのように、大樹の魂の中にある勇者の剣も同じ色の光を放ち始めた。
「お姉さま、これは…」
「エルバを迎え入れているんだわ…!勇者の剣がエルバに答えてくれている!!」
(光…?勇者が放つのが光だけだと、だれが決めたんだ?)
急にエルバの脳裏にもう1人のエルバの声が聞こえてくる。
それを聞いた瞬間、足が止まってしまった。
「邪魔をするな…今、ここで答えないといけないことか?」
(フン!そんな甘い幻想を抱き続ける限り、人間は闇に勝つことなんてできねえ。その証拠がもうすぐ来る!!)
「なに!?」
背中から襲う冷たい殺気にエルバは思わず振り返る。
その時には闇のエネルギーがこもった球体がエルバにさく裂する。
ユグノアの鎧と兜のおかげで威力は軽減されているものの、それでもエルバに激痛を与え、倒れるには十分すぎた。
「エルバ…!」
「この呪文…ドルクマじゃ!誰が!!」
「私ですよ、ロウ先代ユグノア国王陛下」
恭しい低い声が響き、倒れるエルバと治療を行うセーニャ以外の視線がその声の方向に向けられる。
大樹の魂は危険を察知したかのように再び蔓でその姿を覆い隠した。
カミュ達の視線の先には薄い笑みを浮かべるホメロスの姿があった。
「てめえ、ホメロス!いつの間についてきやがった!!」
視認できたことで、ようやく盗賊であるカミュもホメロスの気配をしっかり感じることができた。
それまで一切気配を見せることなく、いつの間にかついてきた彼に一同騒然となる。
「簡単な話だ。姿を消す呪文を作り出したのさ。そうだな…さしずめレムオルとでも呼ぶべきか」
その証拠を見せるかのように、再びホメロスの姿が消えてしまう。
同時に気配まで消えてしまったことで、カミュでもどこにいるのか分からなくなった。
「姿も気配も消せる呪文…そんなものが!!」
「あるのさ。作ればな」
再び姿を見せたホメロスに向けてマルティナは大きく跳躍し、真空蹴りを彼の頭部に向けて放とうとする。
しかし、彼の目の前に発生した見えない障壁によって阻まれてしまった。
「今のは…!?」
何か嫌な予感を感じたマルティナが本能に従って後ろへ下がる。
彼の周囲には黒い魔力の霧が発生しており、彼の視線がマルティナに向けられる。
「これはこれはマルティナ姫、ご機嫌麗しゅう。しかし、姫であるあなたがこのようなはしたない真似をされては…今は亡き王妃様が悲しまれますな…。それに、あなたが何をなさろうとも…私には傷一つ付けることはできない」
ホメロスの左手には魔力の霧がこもった黒いオーブが握られていた。
口角を上げると同時にそれから黒い波動が発生し、それがカミュ達に襲い掛かる。
波動を受けたカミュ達は目立った外傷はないものの、それに何か仕掛けをされたのか、全員足に力が入らなくなり、その場にうずくまる。
「カミュ様!!お姉さま!!皆さま!!」
「なんだ…こいつは…??」
「これで貴様らの力も魔力も封じた…。これでもう、戦えまい」
「く…ホメロス…!!」
回復がまだ済んでいない状態で立ち上がったエルバは2本のドラゴンスレイヤーを手にする。
そして、両足に力を籠めると一気に間合いをつけ、連続で切りかかるが、すべて闇の障壁で阻まれてしまい、ホメロスには傷一つ与えることができない。
「くそ…!くそ、くそぉ!!」
「ふっ…どうした、勇者よ。貴様の力はその程度か…。それでは、貴様のために死んだあの少女も浮かばれないなぁ」
「彼女を…エマを…口に、出すなぁ!!」
エルバの剣を握る力が強くなり、激しい怒りが彼の心を支配していく。
同時に、エルバの左手の痣が点滅するように光った。
「それほどまでにあの少女が大事か…?ならば、地獄へ会いに行くがいい!!」
ホメロスが右手に魔力を凝縮させていく。
そんな彼の動きを気にすることなく、エルバはイノシシのように突っ込んでいく。
「まずい…ホメロスから離れるんじゃ、エルバ!!」
「もう、遅い!!」
右手から発射される巨大な闇の球体がエルバに直撃し、同時に彼の体を守り続けていたユグノアの鎧と兜が粉々に砕け散った。
「あ、ああ…」
大きく吹き飛ばされ、愛用のベストコートも呪文の余波で粉々にちぎれ飛んでいく。
エルバの視線にはその布片と共に飛んでいくエマのお守りが見えた。
あおむけに倒れるエルバだが、力も魔力も失っているカミュ達には駆けつけるだけの力もなかった。
「エルバ様!!」
「おっと、おとなしくしてくれたまえよ」
危険を顧みずに治療へ向かおうとしたセーニャだが、それをあざ笑うかのように闇の波動が彼女の襲い、それを受けた彼女もまた力尽きる。
「その…異様な力…まさか、貴様が…!!」
もし、そうだとするなら今までのデルカダールの凶行にも説明がつく。
ロウの真実をつかんだかのような言動を無視し、ホメロスはゆっくりと凱旋するかのように大樹の魂の元へと向かう。
蔓に包まれているとはいえ、それでもそこからは並々ならぬ力を感じ、それに喜びを覚えながら両腕を広げる。
「ああ…これが大樹の魂。これさえあれば、世界をどうすることも思いのまま…」
「やめ…ろ…!」
振り返ったホメロスは剣を地面に刺して立ち上がるエルバの姿を見る。
上級暗黒呪文であるドルモーアを正面から受けてなお、まだ立ち上がれることには内心驚いたが、それでも立ち上がることができただけで、そこから続かなければどうということもない。
「まだ生きていたか…?なら、今すぐに楽にしてやる」
プラチナソードを抜き、ゆっくりとエルバに近づいていく。
「やめ…なさい、ホメロス…!どうして、どうして動けないのよ…どうしてぇ!!」
今、エルバが殺されそうな状況なのにも関わらず、起き上がることすらできないマルティナは無力さを憎み、涙を浮かべる。
「命を懸けてでも守る…天才魔法使いのあたしが…こんなのってぇ!!」
「逃げなさい…エルバちゃん、あなた、だけでも…」
「お前まで死なれては…なんのためにわしはこれまで生きてきたというのじゃ…。頼む、生きろぉ!」
「エルバ…駄目だぁ!!」
仲間たちの声はエルバには届かず、今の彼の心を黒い靄が覆い隠していく。
(憎め…憎め!!奴はイシの村を滅ぼし、エマを殺したんだぞ!?憎しみで燃えろ!!そうしたら出し切れる。本当の勇者の力を!!)
「本当の…勇者の力…」
(憎しみの炎で力を解き放て!!塵一つ残さず、奴を滅ぼせ!!)
「俺は…俺は…!!」
抑え込んでいたはずの憎しみの炎が燃え上がるのを感じはじめる。
左手の痣の輝きが消え、エルバの瞳が赤く光る。
「俺は…」
(殺せ…奴を…デルカダールを…!!)
「殺す…!貴様らを、殺す!!」
「殺してみせろ…できるものならなぁ!!」
プラチナソードが振り下ろされ、これから起こる惨劇が耐えられずに全員が目を閉じる。
だが、次の瞬間聞こえてきたのは強い金属音だった。
「な…何!?」
ホメロスは後ろへ下がり、右手のプラチナソードを見る。
なぜかプラチナソードの刀身が折れており、目の前には首に傷一つついていないエルバの姿があった。
そして、彼はホメロスと同じように闇の魔力に包まれており、左手の痣が黒く光っていた。
「エ、エルバ…」
「この力…エルバ様が、なんだか、怖い…」
今までの物とは全く違う今のエルバの力を感じたセーニャは青ざめ、身震いする。
一方のホメロスは折れたプラチナソードを投げ捨て、もう1本のプラチナソードを手にする。
「そうか…引き出したか。勇者の力を。我々が求めていた力を…」
「この程度か…もっとだ、もっとよこせよ。力を…!」
もう1人の自分にそう命令しつつ、エルバはホメロスに向けて突っ込んでいき、プラチナソードとドラゴンスレイヤーがぶつかり合う。
ぶつかると同時に黒い稲妻が発生し、それがホメロスを襲う。
「ぐう…!!」
「エビル…デイン!!」
勇者の雷であるはずのデインが闇に染まり、刃から容赦なくホメロスを襲う。
刃と刃がぶつかり合うと同時にタイムラグがほぼない状態で発生する暗黒の雷を回避する術はなく、徐々にホメロスを傷つけていく。
次第にホメロスは距離を置くが、ダメージが重なったせいですぐに構え直すことができないくらいに弱体化していた。
白かった肌も幾度もなく受けたエビルデインで傷ついていて、髪の毛も若干焼けていた。
「これで…終わらせる!!!」
2本のドラゴンスレイヤーにエビルデインを纏わせ、剣を上から背中に隠すように構える。
これから大技が来るのを感じ取ったホメロスだが、先ほどまでのエルバと同じような状況に陥っており、回避するだけの力も残っていない。
「ギガクロス…スラッシュ!!」
振り下ろすと同時に2つの剣閃がホメロスを正面から襲い、切り裂かれると同時に襲った暗黒の雷によってホメロスの白銀の鎧が砕け散り、残されたプラチナソードも粉々に吹き飛んだ。
胴体から鮮血が流れ、片膝をついたホメロスは右手で傷口に触れ、痛みに耐えながら回復呪文を唱える。
ギガクロススラッシュを受けたホメロスの胴体は治療可能ではあるものの、回復に時間がかかっており、おそらく分単位で回復に集中しなければ止血すらできない。
その間身動きが取れず、近づいてくるエルバに対して無防備だ。
「殺す…殺す、殺す、殺す…」
ぶつぶつとつぶやきながら迫ってくるエルバをホメロスは睨むように見る。
目の前まで来ると、ドラゴンスレイヤーを頭上高く掲げ、そのまま斬りつけようとする。
「待て…勇者よ!!」
だが、その刃はホメロスに達することなく、この場にはないはずのキングアックスが受け止めていた。
声の正体、そしてキングアックスの持ち主に察しがついたエルバはその男をにらむ。
「邪魔をするな…グレイグ!!先に殺されたいか!!」
「お前が望むなら…殺されてやろう。すまない…お前の無実は証明された!!」
「無実…無実だと!?今さら何を…!」
「ああ、そうだ!今さら、今さらだ…!だが、ホメロスの陰謀だったのだな…。陛下も私も、ここまでのことは見たぞ!!」
「あ、ああ…」
徐々に力が弱まるのを感じ、オーラが消えると同時にエルバがひざを折る。
間一髪でホメロスが斬られることを防ぐことができたグレイグはキングアックスとぶつかり合ったドラゴンスレイヤーを見る。
ギガクロススラッシュに耐え切れなかったのか、ぶつかり合っただけで折れてしまっており、そのことにエルバは気づいていなかった。
だが、それでも鍔ぜりあう中で感じたプレッシャーのせいで、今のグレイグの体は脂汗でびっしょりと濡れていた。
「グレイグ…どうして、ここまでこれた…??」
「勇者の後をつけたのだ。聖地ラムダを通ることができない分、かなりの苦労はあったがな」
聖地ラムダと祭壇の間には静寂の森が広がっており、そこへ向かう道は聖地ラムダにある礼拝堂を抜けなければならない。
勇者の命を狙っていることを分かっている聖地ラムダの人々が自分たちを快く迎え入れる可能性が低いことから、プランBとして獣道を利用することにした。
獣道といっても、人間では越えられない高い段差を越えたりしなければならず、ここにある人物を連れて行かなければならない以上は人の手だけでは不可能だ。
解決策としては、その道中に存在する二足歩行型卵型ロボットであるキラーポッドを利用することだ。
神経をマヒさせるガスを噴射する機能がついており、大きく跳躍できるだけの脚力もある魔物で、その魔物を利用することで静寂の森へ入ることができるとグレイグは踏んでいた。
急所を狙い、機能を停止させることができれば、あとは乗り込んで動かして進むことができる。
てこずりはしたが、どうにか2人分のキラーポッドを確保することができ、それを利用して静寂の森へ入り、そしてここまでやって来た。
「王よ、見られましたか!今のホメロスが纏っていた力を!!これこそが闇の力なのです!」
刃をホメロスの首元へ向けた後で、グレイグが叫ぶ。
すると、蔓の陰に隠れていたデルカダール王が姿を見せ、驚いた様子でホメロスを見ていた。
「お…父様…」
マルティナの記憶の中に残っているデルカダール王と比較すると、めっきり白髪が増え、苦労を重ねたためなのか目つきがやや鋭くなっているように見えた。
だが、その姿は紛れもなくずっと会いたかった父親そのものだった。
「私たちは長い間、とんでもない勘違いをしていたようです。このホメロスこそがロトゼタシアに仇成す存在!」
「ふっ…」
グレイグがあと少し手を動かせば、喉を刃で容易に裂かれる状況であるにもかかわらず、ホメロスはいつも通りの不敵な笑みを見せる。
味方であれば、これはとんでもない策を思いついた印で、頼れるものだったが、今はそんな楽観はない。
「ホメロス!何ゆえに魂を魔に染めた!あの時の俺たちの誓いはどこへ行った!!」
「ふっ…誓い?そんなもの、とうに捨てたさ…」
「ホメロス…!!」
「もう良い、おぬしの言いたいことはよくわかった。勇者のことも…我々は恐ろしい勘違いをしていた。認めるしかあるまい」
デルカダール王がゆっくりとグレイグに近づいていく。
本当なら振り返りたいところだが、相手がホメロスである以上、このままの状態を維持しなければ王にも危害を加えかねない。
無礼を承知でグレイグはキングアックスの刃をそのままにし、ホメロスをにらむ。
「お父様…」
「モーゼフ、おぬし…」
「ご苦労だったな、グレイグ。貴様の役目は終わりだ」
「な…!?」
どういう意味か一瞬理解できなかったグレイグの体を闇の魔力が覆い、ゆっくりと空中へと飛ばされていく。
魔力のせいで体は身動きが取れなくなっており、どうにか抵抗して首を回すと、そこには右手からホメロスと同じ闇の魔力を宿したデルカダール王の姿があった。
「王よ…!?なぜ…!?」
「よくそここまで案内してくれた。感謝するぞ、忠臣にして愚臣よ」
軽く腕を振ると同時に、グレイグの体が早いスピードで飛び、近くの太い蔓に激突する。
そして、再び別方向へ腕を振ると、休む間もなくグレイグの体は飛び続け、幾度となく壁にぶつかる。
それが何度も繰り返された後で魔力が解け、グレイグは地面に転落した。
「グレイグ!!」
「モーゼフ!?なぜじゃ!?息子同然のはずのグレイグをなぜ…!!」
「ふっ…その理由がまだ分からぬか?」
首を撫でた後で立ち上がったホメロスの元へデルカダール王が歩いていく。
その途中で彼の目が大きく開き、闇の魔力が彼の体を覆うと同時にマリオネットのようにぎくしゃくとした動きを見せ始める。
そして、口が開いたと同時にそこから黒い球体が出て来て、それが徐々に人の姿へと変わっていき、デルカダール王本人は白目をむいて気絶する。
人の姿となったそれは次第に黒いローブを纏った、赤いモヒカンと2本の角のある、紫色の肌な上にグレイグ以上の身長をした巨躯な魔導士へと変貌していった。
忠誠を誓うデルカダール王が異変を起こしたというのに、既に魂を魔へ売り渡していたホメロスはすました顔で彼を見つめる。
「ホメロスよ、よくぞ計画を実現してくれた。褒めて遣わそう」
「おお…なんとありがたいお言葉を…」
心の底からの喜びをかみしめるホメロスはその男にひざまずく。
本来ならその態度を示すべき相手が倒れている中でのことで、その姿は倒れているグレイグには想像もつかないものだった。
「我が主…ウルノーガ様」
「お前が…ウルノーガ、じゃと…。まさか、モーゼフにとりついておったのか…!?」
いつからそんなことをしていたのかは分からない。
しかし、勇者伝説を誰よりも信じた彼が豹変する理由、そして勇者を殺そうとする理由もそうであればすべて納得がいく。
そして、これは最悪の事態でもあった。
ウルノーガの前には大樹の魂があり、今の彼を止めることができる人間は既に地に伏せている。
そして、ウルノーガの視線が倒れたエルバの左手の痣に向けられる。
「エルバよ…よくぞここまで勇者の力を心の闇で染め上げた。その力、もらうぞ」
「勇者の力を…それに、闇だと…??」
「すべては我が手の中。貴様が復讐に燃え、その炎がデルカダールの存在、そしてグレイグのホメロスの存在を呪う。そして、彼らを焼き尽くすまで決して止むことがない。それが勇者の力を闇に染める。見事なものだ。最も強き光を放つ存在は最も強き闇を放つ者ともなりえる…。我の計画通りだ」
「計画…通り??まさか…!!」
「貴様の命もあの村共々、やろうと思えばいつでも滅ぼすことができた。だが、貴様にはやるべきことがあった。それはこれだ」
杖をかざすと共にエルバの体が闇のオーラに包まれて浮遊し、ウルノーガに無防備な姿をさらす。
そして、ウルノーガは残った左手を伸ばし、それがエルバの胸を貫く。
「が…はぁ…!!?」
「ふふふふ…感じる。感じるぞ。勇者の力が抑え込んでいた貴様の復讐心、貴様の闇が。それが私の世界の糧となる!!」
心臓を直接つかまれた感覚に襲われ、エルバは声を上げることができず、せめてもの抵抗か両手でウルノーガの左手を握るが、その力はあまりにも弱弱しく、次第に勇者の痣の黒い光が消えていく。
次第にエルバは白目をむき、飲み込む力をなくしたことで唾が口から無造作にポタポタと落ちる。
左手を抜くとともに、ウルノーガの手の中には青く光る球体があり、それが勇者の力を象徴しているのか、彼の左手に勇者の痣が宿る。
最も勇者のふさわしくない闇に勇者の力が奪われた瞬間だった。
「ほう…これが勇者の力。これさえあれば…」
大樹の魂に向けて左手を伸ばすと、それを守っていた蔓たちが消えていき、その中にある勇者の剣が魂から離れていき、ウルノーガの手に渡っていく。
勇者の剣の輝きを見たウルノーガはニヤリと笑い、静かに一振りした後で、左手を見る。
「勇者の剣は手に入れた。これにより、我は光と闇、二つの相克する力を持つ王となった!」
「エルバ様!!エルバ様!!」
「エルバ、ねえ起きてるの!?しっかりしなさい!!」
「あ、あああ…」
心臓をえぐり取られたような痛みに耐えながら目を開け、2つの力を手に入れたウルノーガをにらむ。
勇者の力を失ったエルバにできる抵抗はそれだけだった。
「そして、見るがいい!光と闇の狭間、混沌の力を!!」
ウルノーガは杖を手放すと、勇者の剣に魔力を注ぎ込んでいく。
聖なる輝きを放っていた勇者の剣はドロドロと溶けていき、それが次第に刺々しい曲がった分厚い刀身と柄を持つ浅黒い大剣へと変貌していく。
そして、柄頭には赤い一つ目が宿り、開くとギロリとエルバ達をにらみつけた。
「これが魔王の剣!さあ…命の根源たる命の大樹よ…その力…我がもらう」
「やめ…ろ…!」
ウルノーガが魔王の剣を掲げ、大樹の魂に向けて狂気に満ちた笑みを浮かべる。
エルバのかすれるような声は今のウルノーガには聞こえず、刃はゆっくりと大樹の魂に迫る。
「やめろーーーーーー!!!!!!」
魔王の剣が大樹の魂を切り裂くと同時に、それから放たれる聖なる命の光が真っ黒な闇の力へと変貌していく。
魔王の剣が変化していく大樹の力を飲み込んでいき、それがウルノーガの体内に向けて放出されていく。
次第に周囲の青青とした大樹の葉がその色を失い、弱々しく枝から離れていく。
「そんな…命の大樹が…!!」
ロトゼタシアすべての命の源である命の大樹が失われていく。
それは命の循環が失われ、世界が終わることを意味していた。
そして、命の大樹の力を得たウルノーガが宙を舞い、その体を変化させていく。
ローブが消滅し、灰色のマグマのように燃える傷跡が見え隠れする筋肉質な灰色の肌をした、翼を持つ悪魔へと変貌していく。
「このままでは…世界が…」
「さあ、これがロトゼタシアの終焉。そして我が世界の新しき誕生祝だ!命ではなく、世界そのものが循環したのだ。存分に受け取れ!虫けらどもよ!!」
ウルノーガの体から熱気を帯びた黒い波動が放たれ、同時に枯れ木と化した命の大樹は力を失ったかのようにゆっくりと地上へと落ちていく。
重力に従うように落ちていくそれは地表に落着するとともに大きなクレーターを作り出し、周囲を激しい岩と土煙で包んでいった。
(冷たい…ここは、どこだ…?)
体を動かすことができず、ただ全身に感じる凍えるような冷たさを感じるしかないエルバは目を閉じたままそれを感じることしかできなかった。
(カミュ…ベロニカ、セーニャ…シルビア…マルティナ…爺さん…みんな、どうした…?俺は…死んだのか…?)
体が動かせず、ただ静かに落ちていく以上、そうなのだろうと感じるしかなかった。
目の前で命の大樹の力を奪われ、そんな相手を前に勇者の力なしに勝てるとも、手傷を与えることもできるとは思えない。
激しい諦めがエルバを満たしていく。
(世界は…どうなった?俺は、どこへ行く…?)
命の大樹がない今、死した命の行方はどこにもない。
この世にとどめ置かれるのか、それとも怨念となって魔物となるのか、それさえ分からなかった。
そんな中、エルバの脳裏に幼いころの懐かしい光景が浮かぶ。
(何を思い出しているんだ、俺は…。ああ、これは…そうか…)
それは幼いころ、夜遅くになって泣いて家に帰って来た時のことだ。
テオはその時、ダンのところで晩酌をしていることから帰っておらず、家にいるのはシチューを作るペルラ1人だ。
「あらあら、こんなに遅くまでどうしたんだい??」
「ペルラ母さん…」
どうしてか言えず、ペルラに視線を合わせないように横に逸らす幼いエルバにペルラはため息をつく。
涙を流していて、おまけにその理由も言えないようで、普通ならお手上げなところだが、ペルラには察しがついていた。
「さては…エマちゃんとケンカしたね」
何も答えないエルバだが、ペルラにとっては明らかに図星だ。
だんだん怒りがわいてきたエルバはペルラにエマへの不満を爆発させる。
「だって!エマが僕の頭を叩いたんだ!!ちょっと、ふざけて…ルキに眉毛を書いただけなのに!!」
「ふ、ふふふ…あははは!!」
「笑いごとじゃないよ!ほら…頭に大きなたんこぶができてる!!」
エルバはエマに叩かれた箇所に指をさす。
まだまだ痛むようで、腫れているところがあるが、大げさに言うほどのものではなさそうだ。
普段はあまりしゃべらない彼もこういうところはやはり年相応だとむしろ安心していた。
「それで、エルバはやり返したのかい?」
「それは…」
答えることができず、肩を落とし、うなだれてしまう。
きっと向こうの家ではエマがそのことで泣きながらダンに訴えているように思えて仕方がなかった。
だが、お互いにまだまだ子供で、幼馴染だ。
こんな些細なことで関係が損なうことはないだろうが、深刻になる前にちゃんとどこかで手打ちをしなければならない。
ペルラはエルバの頭を撫でた後で、彼の目を見て、笑みを浮かべながら言葉をかける。
「いいかい?エルバ。これからはきっと同じようなことがおこる。だから…これだけは覚えておいて。どんなに嫌なことをされたとしても、苦しかったとしても、それをやり返したら、かっこ悪いだけだよ」
「ペルラ母さん…じゃあ、どうしたらいいの…?」
「まずはキチンとお話しすることさ。その人が何を感じて、なぜそうしたのか。そしたらきっとその人のことが見えてくる。それからあとは…とっても簡単。ただ笑って、握手をする。それだけさ」
(ペルラ母さん…俺は、母さんの言ったこと、守れなかったよ…。けど、許せなかった。どうしても、許せなかったんだ…みんなを殺して…村を焼いたあいつらが…)
だが、それで復讐に燃えて心を闇に染め、そしてウルノーガに付け入るスキを与えてしまい、結果として世界を滅ぼすのを助けてしまった。
ある意味では勇者が悪魔の子をエルバ自身が現実のものとしてしまった。
(もう、力もない…仲間もいない…。俺は、もう…)
(エルバよ…今を生きる俺の生まれ変わりよ…)
どこからか聞いたことのない誰かの声が聞こえてくる。
だが、それに対して問いかける力は今のエルバには残っておらず、ただ沈んでいく意識にゆだねるしかなかった。
(今は眠れ…。再び目覚めたとき、お前の犯した罪を罰する時が来る。その時がお前が…勇者の本当の意味を知るときだ。エルバよ…)