シズケビア雪原を東に抜けた山道をエルバと彼を乗せたフランベルグを先頭に7人がそれぞれの馬に乗って進んでいく。
白一色だった雪原からとってかわるように広がる青々とした緑と生態系豊かな動物や魔物たちに、雪に疲れたエルバ達をいやす。
「懐かしいですわ…旅立った時は2人きりでしたから…」
「山道を降りて、雪原を抜けて、船に乗って内海へ行ったわよね」
シズケビア雪原やクレイモランへは大人たちに連れられて2,3回足を運んだ程度で、2人きりで進むとなると聖地ラムダ以上の低温に苦しめられたのを今も覚えている。
だが、勇者を導く役目を果たすという使命感が突き動かしてくれて、今はその使命を果たすべく、故郷へ戻っている。
しかも、それはエルバとセーニャ、ベロニカの3人だけではなく、カミュなどの頼れる仲間たちと共に。
そして、その手には世界各地で集めた6つのオーブがあり、それがあれば命の大樹にたどり着くことができる。
「それにしても、あのクレイモランに近くて、標高はこっちが高いのに、こんなに自然豊かなのはびっくりだわ」
「聖地ラムダは…というより、ゼーランダ山は一番命の大樹に近いのです。命の大樹からの恵みを最も受けることができていることも大きいのでしょう」
「だとしたら、すごいのね。命の大樹って」
「命の大樹…か…」
一歩一歩前進する度に胸の高鳴りを感じ、同時に痣がうずくのを覚える。
かつての自分を含めたすべての命の源である命の大樹に近づいているからなのか。
それとも、そこで知ることになる真実に恐れを覚えているのか。
エルバはエマのお守りを握り、目を閉じる。
(エマ…もうすぐだ。俺がみんなが言う通りの世界を救う存在なのか、それとも世界を滅ぼす悪魔なのか…それが分かる。きっと…)
たった一人でイシの村を出てからのことを思い出す。
村を失い、帰る場所をなくしたことで悲しみと憎しみを宿して旅立つことを余儀なくされた。
だが、そんな旅の中でも得たものがある。
脱獄してからの仲間であるカミュとホムラの里で自分を導く存在として現れたベロニカとセーニャ、世界中を笑顔にすることを夢見るシルビア、生まれたばかりの自分を守ってくれたマルティナと祖父のロウ。
彼らがいたから、今エルバはここにいる。
もしたった1人で旅を続けていたなら、途中で力尽きていたかもしれない。
(これが終わりなのかはわからない。最も、終わった後で何をするかなんて、何も決めてはいないがな…)
「エルバ様、見えてきました。あちらです」
人の手で作られた石階段が見えて来て、馬から降りたエルバ達はそれを上っていく。
途中、白をベースとしたトーガのような服装をした人々と通り過ぎ、人々はエルバ達を見た瞬間、ざわざわし始めた。
「ついに、この日が…」
「長老様がおっしゃられていたことが現実に…?」
「ベロニカとセーニャも一緒だ。やはり、あのお方が」
「勇者様…??」
デルカダールの兵士たちが見せる敵意に満ちた視線でも、ただの旅人を見るだけの人々の無関心と好奇心の入り混じったものでもなく、純粋に勇者エルバへの畏敬に満ちたそれはエルバにとっては慣れないもので、こんな視線をされたのはソルティコのユグドラシル本部以来だ。
その慣れない視線の嵐に耐えながら登っていく。
登っていくと、円盤状の大きな広場に差し掛かり、その中央にある燭台の前で紫のトーガと帽子姿で、ロウと同じくらいの背丈の老人が上空に浮かぶ命の大樹を見ながら祈りを捧げていた。
その後ろには夫婦が立っていて、女性の腕の中には生まれたばかりの男の赤ん坊が愛おし気に抱かれていた。
「世界中の命を束ね、見守りし命の大樹よ。今日、このラムダの地にまた一つ新しい命が生まれました。かつて、古き葉として散った命は巡り、命の大樹の元へと還り…新たな葉として芽生え、また違う一生を歩んでいくでしょう」
死した命は命の大樹へ戻るとき、ロトゼタシアで生を全うしたことへの感謝として、その生涯の中で得た力や知識を命の大樹へと託す。
そして、そのエネルギーは新たな葉として再び生まれ変わるために、もしくは新しい命を生み出すために使われる。
今、この夫婦が産んだ子供も、どこかで何らかの理由で還った命が新しい葉となり、命となって再びロトゼタシアへ帰って来たともいえる。
すべてはより良き生を歩むために、世界を循環させるために。
長らく子宝に恵まれなかった彼らにとって、その命を担わせてくれたことは光栄であり、その役目を与えてくれたことへの感謝なのか、2人ともその嬉しさで涙を流していた。
「我らの命、命の大樹よ…聖地ラムダの稚い若葉にどうか、祝福を与えたまえ…」
祈りを終えた長老は広場に戻って来た従者の少年から受け取ったかしの杖を手にする。
そして、何かを感じたのか、後ろを振り返る。
白く濁った瞳でその光景を見ると、そこには長らく戻ることのなかった2人の命の波動が見えた。
そして、その後ろには待ち続けていた勇者と彼を守り、共に来てくれた仲間たちもいる。
「おお、双賢の姉妹…ベロニカとセーニャではないか…。よくぞ、戻ってきたのぉ。夢のお告げで、今日戻ってくると感じたのじゃが、勇者と共に本当に戻ってくるとは…」
「長老様、お久しぶりですわ。皆様、お変わりがないようで何よりです」
ラムダを出てから年単位で経過しているが、変化のない景色と長老の元気な姿を見ることができたことにセーニャは安心していた。
旅立つ前年に病に倒れ、視力も衰えた長老と再びまた会えたこと、そして元気な姿でいてくれたことがうれしかった。
「ベロニカ…いろいろあったようじゃな。じゃが、よくぞ使命を果たしてくれた…」
「当然よ。あたしたちは双賢の姉妹よ。さあ、エルバ!ちゃんと長老様にあいさつして!」
「おお、勇者様が…」
「勇者様が参られる日に私たちの子供が…なんて目出度い日なんだ!」
「勇者様!よくぞラムダの里へ!!」
ベロニカの声が聞こえたのか、家から人々が出て来て、広場に次々と集まってくる。
そして、視線はすべてエルバに向けられ、歓迎ムードに包まれていく。
「おお…勇者様。ようこそ、ラムダの里へ…?」
「俺が勇者だということが分かるのか…?」
「ええ。この通り、ろくに目が見えませぬが、その代わりにより多くの物が見えるようになりました。ですので、あなた様が勇者様だということもすぐにわかったのです。私はファナード。長らく、待ち続けた甲斐がございました」
「長老様…私たち、勇者様と世界中を旅をして、ついに突き止めたのです。勇者様の命を狙う邪悪なるものの存在を…」
エルバ達はここまでの道のりを説明し始める。
村人たちもその話を聞いており、特に勇者が悪魔の子としてデルカダール王国に命を狙われていると聞いた時は驚きと同時に動揺を見せた。
デルカダール王国の中にウルノーガが入り込み、そうなるように仕向けていると聞いたファナードは先ほどまでの穏やかな表情から一変させ、険しい表情を見せた。
「ふむ…闇の存在は想像以上に根深く隠れているのじゃな…」
「はい、そして虹色の枝の導きの元、私たちは6つのオーブを集めました。そして、始祖の森にある祭壇に捧げ、勇者様を命の大樹へお連れいたします」
「おお…私はかつて、ベロニカとセーニャが勇者様と共に命の大樹を目指す夢を見ました。時折、夢で大樹から神託を受けることがあるのです。それに従い、2人を旅立たせたのですが…」
「なら、話は簡単です。この先の始祖の森を抜け、命の大樹へ向かう。そこで…真実を突き止める」
あと一歩で手が届くところまで来た。
それまでの旅のこと、そして今は亡きイシの村のことを思い出す。
(エマの…みんなの犠牲と共にここまで来た。どうか…失望させないでくれ。命の大樹よ…)
「おお、ベロニカ!!セーニャ!!私の天使たちよ、よく戻ってきてくれたぁ!!」
ベロニカとセーニャに案内され、広場の北側にある2階建てで、出入り口のドアに杖の飾りがかけられた家に行き、真っ先に起こったのはその家主であろう茶色い薄毛をした小太り気味の男性がベロニカを抱き上げる光景だった。
小さくなったことを知らないはずなのだが、親子なのか、フィーリングで分かるという物だろう。
「2人とも、よく無事に帰ってきてくれたわね…」
「お父様、お母様、心配をおかけして申し訳ありません」
「いいんだ。2人とも無事に帰ってきてくれたこと、それが何よりもうれしい!!」
(これが…両親…)
ベロニカを抱きしめる父親とセーニャの無事を涙して喜ぶ母親を見たマルティナはその姿と優しかったころのデルカダール王と過ごす自分と重ねてみていた。
今ではウルノーガのせいでエルバの命を狙い、自分を死んだものとしている暴君と化しているが、それでも幼いころの思い出の中にいる彼の姿に変化はない。
その情景があったからこそ、マルティナは今でもこれが彼の本心ではないと信じている。
だが、2人を見ていると、16年前に引き裂かれた自分と比較してつい嫉妬してしまう。
(一緒に積み重ねた時間の差…なのかしら…)
この16年間の時間はロウが父親代わりをしてくれたのは良かった。
彼がいたから今の自分がいるため、そのことは感謝している。
しかし、本当の両親と過ごす時間もまた大切だ。
一緒のテントで休んだいたときに聞いた話だが、ベロニカとセーニャの両親は本当の両親ではなく、森の中になぜか捨てられていた自分たちを育ててくれた養父母だという。
なぜそこに捨てられていたのかはいまだに分かっておらず、攻撃呪文に秀でたベロニカと回復呪文に秀でたセーニャの2人はそれぞれがかつて勇者と共に旅をした賢者であり、彼の恋人でもあったセニカの力を受け継いでいること、そしてファナードがその日に見た神託から、2人は彼女の生まれ変わりではないかと推測されている。
だが、今の2人を見ると自分たちを育ててくれた両親を2人とも心から愛しており、両親もまたベロニカとセーニャを我が子同然に愛していた。
「いいもんだな。親子ってのは…。正直うらやましいぜ」
「ええ…そうね…」
「ん?どうかしたのかよ?おっさん。なんか思うところでもあるのか?」
「いいえ、なんでもないわ。それよりも、せっかくベロニカちゃんとセーニャちゃんがご両親と再会できたことなんだし、今日はもうここで休んでいかない?そして、明日命の大樹に行く、ということで!だって、今日クタクタだし」
のどかな野山とはいえ、ゼーランダ山が世界で一番高い山であることに変わりなく、長い登山でエルバ達は想像以上に疲れている。
その状態で始祖の森を抜け、祭壇へ向かい、命の大樹に向かうよりはしっかりと休みを取って、体力を回復させてからの方がいい。
それに、ベロニカとセーニャが両親と過ごす時間の確保も考えたい。
「そうだな…今日はここで休もう」
「でしたら、東隣にある宿をご利用ください。勇者様が参ったのです。温かく迎えてくださるでしょう」
「なら…お言葉に甘えます」
「…と思ったが、どうして静かに休めないんだ…?」
その日の夜、広場では村人たちが楽器を手にして音楽を奏で、女性たちが手塩にかけて作った料理をほかの村人や席に座るエルバ達にふるまう。
エルバ達が一日宿泊するという話を宿の店主から聞いたのか、村人たちは祝いの席を用意してくれていた。
精進料理がメインではあるものの、旅人にもてなすことも考慮されており、大根で作った揚げ団子や色鮮やかな野菜で作った煮物など、色合いが豊かなものや一見すると肉や魚料理に見えるようなものまでが用意されている。
本当は宿屋で眠っていたいと思っていたエルバだが、用意された以上はもてなしを受けないと失礼になると思い、こうして広場にある特等席に座って料理を口にしている。
「さあさあ、勇者様。こちらが…本日のメインディッシュです」
「うん…?」
机の上に野菜や肉に見えるように調理された大豆のペーストを入れて作ったシチューが置かれる。
精進料理である都合上、牛乳ではなく豆乳がルーとして使われている。
「どうして、シチューが…?」
「勇者様がお好きな料理とお聞きし、作りました。ぜひ召し上がってください」
恰幅の良い女性に薦められたエルバはそのシチューを口に含む。
普通のシチューと比較するとよりまろやかでクリーミーな食感が口の中で広がる。
牛乳とは違う趣が感じられ、おいしく感じたエルバの口元が緩む。
「気に入っていただけて何よりです」
黙々と食べ続けるエルバを満足げに見つめた女性はお代わりを作りに戻っていった。
「さーあ、みなさん!これから楽しいショーの始まりよ!そーれ!!」
広場の南側にある道具屋の前では、シルビアがショーを始めていた。
トランプを1枚手にし、指を鳴らすと同時にそれが10枚に増え、もう1度指を鳴らすと今度はお手玉へと変化する。
そして、一度それを空中へ投げると2個に分裂し、皿に投げると4つへと倍々に増えていき、最終的には16個のお手玉でジャグリングを始める。
トランプ1枚から始まる連続したマジックに観客となっている村人たちが歓声と拍手を送る。
「すげえ…こんなの見たことないぞ…??」
「ねえねえ、どうやったらそんなことができるの?教えて!!」
「いいなぁ…山を降りたらこういうのもやってるんだぁ…」
聖地ラムダではその地域柄、娯楽が少ないようで、外からの情報もなかなか手に入れるのが難しいことからシルビアの名前を知っている人はいなかった。
だが、それはむしろここでショーを見せて彼らに知ってもらういいチャンスでもあった。
「うふふ、来た甲斐があったわ!さあ、まだまだやるわよー!」
投げている玉の一つにフッと息を吹きかけると、今度はすべての玉が花びらとなって宙を舞った。
「ふうう…これほど、落ち着くことができたのは久しぶりじゃなぁ…」
「あの…大丈夫ですか?もうやめられた方が…」
「別に良いじゃろう!もっと酒をくれんか。今のこの気楽な時間を大事にしたいんじゃよー!」
子供のように駄々をこねるロウにため息をついた女性が仕方なくおかわりのビールをロウにふるまう。
今の段階でロウが飲んだビールは12杯で、これだけ飲んでいることに周囲で酒を飲んでいた若者たちが驚きを見せる。
16年にわたる旅の間、身を隠したりしなければならなかった都合上、こういう気楽にくつろぐことのできる場所ではすっかりタガが外れてしまっていた。
メンバー最年長のプレッシャーから一時的に開放されているおかげともいえるかもしれない。
「おお、勇者様のおじいさまですな。お元気なようで」
「これは…長老様!!」
ファナードがやってきたのを見て、ロウ以外の周囲の人々が酔っているのも忘れて立ち上がる。
そんな彼らに気にしないで、そのまま楽しんでと言うかのように笑みを浮かべた後で、顔を赤くしているロウの隣に座る。
「いつものを頼めぬか?」
「はい、こちらです」
すぐに酒の入った瓶を用意した女性はそれとタルのコップをテーブルに置く。
瓶には一定間隔で線が引かれており、女性はコップにその線を越えないように注意深く酒を注いだ。
「長老殿も、飲まれるのですかな?」
「長老だからといって、飲んではならないというルールはありますまい。昔はラムダ一の酒豪と呼ばれておりましたがなぁ…」
若いころから酒を好んで飲んでおり、そのおかげで二日酔いの状態で修行に参加した際に師匠から雷を落とされたことが今でも懐かしい。
それでも、毎日樽が空くくらい酒を飲んでいて、その時はとても楽しかったが、やはり酒は適度に付き合わなければならず、年齢にもあわせなければならない。
病に倒れてからは医者に飲酒制限をかけられており、今はこうして制限された量の範囲内で酒を楽しむことにしている。
その代わり、酒のつまみとなる枝豆はいつもより多く食べるようになった。
「…随分と、ご苦労があったようですな」
「それはもう…孫が、エルバが生きていたこと、それだけでも救いです。長老殿はいかがですかな?ご家族は…」
「家族はおりません。この責務に集中した結果です」
長老としての責務を果たし、聖地ラムダを守り続けた自分の人生をファナードは後悔していない。
家族はできなかったが、その代わりにここの村人が自分にとっての家族であり、守るべき存在だ。
「失礼しましたな。それにしても、お互いに気苦労が絶えませぬなぁ…」
「それはそうです。若い者を指導する立場になってから、ようやく死んだ師匠の気持ちが分かってきた気がして…」
お互いに酒を飲むのを忘れ、同年代で似た立場の者同士でのトークに花を咲かせ始める。
この周囲にいる若者の中にはそのファナードの指導を受けている若者も数人含まれており、若干居心地の悪さを感じながらチビチビと酒を飲んでいた。
「どこもかしこもうるさいぜ…ここくらいだな」
宴の賑わいから逃れてきたカミュは里の北西にある小さな森の中で、座りやすそうな木の根っこに腰掛けたカミュはクレイモランの時と同じように酒を口にする。
クレイモランに来てから飲む量が増えており、ものの数秒で今持っている水筒の半分を飲んでしまった。
酒なら、戻ればいくらでもふるまってくれるが、今はここで静かに飲みたいという気持ちが強い。
だが、1分足らずで飲み終えてしまうとほかにやることもなく、手持無沙汰となって仕方なくナイフを研ぎ始める。
「カミュ様…こちらにいらっしゃったのですか?」
「その声、セーニャか…?」
「はい…」
静かでおとなしい足音が近づいてきて、それだけでセーニャのものだとわかったカミュは特に反応を見せずにナイフを研ぎ続ける。
「なんだよ?俺を呼び戻しに来たのか?」
「いえ…ただ、私もここへ来たくなって…。ここ、ラムダの里にいたころによくお姉様と遊んでいた、秘密の場所なんです」
「秘密の場所…悪いな、俺なんかがここに来ちまって」
そうなると、ここにいるのはまずいと思い、立ち去ろうと思って立ち上がる。
しかし、セーニャは特にいやそうな表情を見せておらず、里に向かって振り返ったカミュの前に立つ。
「いえ…構わないですよ。秘密の場所と言っても、そんなに大したものではありませんから」
「…まぁ、お前が言うんならな」
だが、もしここでセーニャと2人きりでいたなんてことをベロニカに知られたら、妹に手を出した、秘密の場所に勝手に入ったなどと言ってややこしいことになる。
そうなる未来を予期しながらも、カミュは再び座ってナイフを研ぎ始めた。
「実は…ここで私たちはお父様とお母様に拾われたのです」
突然のセーニャの言葉を耳にし、カミュはナイフを研ぐ手を止める。
そして、カミュの目の前に立っている大木に歩いていき、その表面に触れる。
「なぜ私たちがここで捨てられていたのかはわかりません。ですが…長老様はいつもおっしゃっていました。私たちは大きな役目を担って、命の大樹の祝福の元、生まれてきたのだと…。最初は信じられませんでしたが、長老様の元で呪文を学んで、習得していく中で、他の人と違うことを感じ始めたのです」
そのためか、同じラムダに住む少年少女たちからは姉共々浮いた存在となり、どこか敬遠されることがあった。
そうしたところを敏感に感じ、遠慮するようになって今のセーニャができたと言っていい。
だから、旅の中で仲間が増えていく、身近な人が増えていくことはセーニャにとってもうれしいことだった。
「最初はどうして、自分たちが捨てられなければならなかったのかと思ったことがあります。今でも、時折思っています。けれど…お父様やお母様、エルバ様達と出会えたことを…本当に感謝しているんです」
「…盗賊の、俺でも…か?」
「そんなの、当たり前じゃないですか…」
「…俺も、似たようなものだ」
「え…?」
急に語り出したカミュに驚いたセーニャは視線を彼に向ける。
疲れが出たのか、寝そべった状態で話しているが、その視線は話し相手であるセーニャに向けられている。
「俺も、物心ついたころから本当の両親のことを知らねえ。捨てたのか、もしくは俺を残して死んじまったのか…」
「カミュ様…」
「俺も、お前らみたいにいい育ての親って奴に出会うことができたら、元盗賊なんて後ろ指さされる生業をせずに済んだかも…な…」
酒が回ったせいなのか、睡魔に襲われたカミュはうとうとしはじめ、そのまま瞳を閉じて寝息を立て始める。
空っぽの水筒が転がっているのが見え、そこから匂う酒臭さと登山の疲れを知っているセーニャは特に責めることなく、カミュの顔を見る。
いつもの真面目でやや硬い表情はなく、そこには無防備な彼の寝顔があった。
「男の人の寝顔…初めて見ましたけど、こんなに可愛いのですね…」
いつまでも見ていたいという思いから、セーニャはじっと彼の顔を見つめていたが、あんまり見ていると彼の邪魔になると思い、彼が座っていた木の根に腰掛ける。
そして、持ってきていた竪琴を奏で始めた。
小さいころに母から教えてもらった子守歌を静かに歌いながら。
(ゆっくり休んでください、カミュ様…。このささやかな時間だけでも…)
歌い続けていると、カミュの体がピクリと動き、邪魔だったのかと思ったセーニャは歌うのをやめた。
「…そのまま」
「え…?」
「そのまま、続けてくれ…」
宴で盛り上がる中、聖地ラムダのシンボルともいえる大聖堂は静寂に包まれていた。
松明の明かりだけが頼りのその屋内で、ベロニカは大広間に飾られているセニカ像に祈りを捧げていた。
「私たちの前世、セニカ様…。どうか、私たちを見守りください。これより、私たちは命の大樹へ向かいます…」
命の大樹へ勇者を導く、それがベロニカとセーニャの役目だが、それを終えたからと言って自分たちの戦いが終わるわけではない。
そこで真実をつかんだエルバと共にウルノーガを倒すことで、ようやく役目を終えることができる。
「そこで何が起こるのかは何もわかりません。しかし…たとえ、命をかけることになったとしても、必ず世界の希望たる勇者は守ります。そして、この決着は私たちの手でつけてみせます。ですから…どうか、最後まで手をお貸しにならないでください」
祈り終えたベロニカは立ち上がり、宴に戻ろうと大聖堂を出る。
だが、広場への下り階段の前でマルティナが立っていた。
「マルティナ…」
「珍しいわね。いつもセーニャと一緒にいるはずのベロニカが今回は1人でいるなんて」
「双子だからって、いつも一緒の場所にいるとは限らないものよ。あたしを迎えに来たの」
「そういうわけじゃないわ。少し、お酒を飲んだから休憩しているだけよ」
「意外ね、マルティナもお酒を飲むなんて」
「こういう日だけで、基本的には飲まないわよ」
初めて酒を飲んだ時はあまりにもまずくて吐き出してしまったことを今でも覚えている。
そして、その日の夜にロウから父親のことを教えてくれた。
彼は元々大酒飲みだったが、マルティナが生まれたことで父親としての自覚が生まれ、それからは貴族たちとの付き合いのパーティーの時以外は一切飲まなくなった。
マルティナの記憶の中でも、酒を飲んでいるデルカダール王の姿はない。
それを覚えているから、酒が普通に呑めるようになった今でも、基本的には酒を飲まないようにしている。
ただ、酒豪の血を受け継いでいるのか、一度飲み始めると樽が空っぽになるほど飲んでしまうことが多々ある。
「お祈りの言葉、聞いたわよ。命を懸けてでも勇者を守るって」
「当然よ。それがあたしの使命なんだから。それはマルティナだって同じじゃない」
勇者、母親のように慕っていた女性の子供。
守る理由が違えども、エルバが守るべき存在だという考えは同じ。
ユグノアでマルティナがグレイグから命がけでエルバを守ろうとしていたことは知っており、決意は同じだと思っている。
「そうね…。けど、エルバを守るためであっても、私は自分の命と引き換えにする道は選ばない。一緒に生き残る道を最後まで目指すわ」
「マルティナ…」
「だって、残された人はそのひとにどんなことをしても返すことができないから…」
幼いマルティナとエルバを命がけで守ったエレノアとアーウィン。
この世にいない2人にマルティナもエルバも何も恩返しすることができない。
できることとしたら、真実を突き止めることだけ。
その苦しみと悲しみは今でもマルティナの記憶の中に鮮明に残っている。
「そうね…覚えておくわ」
朝日が昇り、ざわざわと風が吹く。
暗がりだったゼーランダ山の森にも光が差し込む。
その森の先に、六芒星の祭壇が存在し、今エルバ達はその場にいる。
「命の大樹…ついにここまで来たわね」
「いや…。これはただの出発点だ。俺たちが目指すのはその先だ」
「…そうじゃの。さあ、オーブを捧げるとしよう」
エルバが祭壇の中央に立ち、6人がそれぞれ六芒星の先にある像に置いていく。
カミュがレッドオーブを、セーニャがシルバーオーブを、ベロニカがブルーオーブを、マルティナがイエローオーブを、ロウがパープルオーブを、シルビアがグリーンオーブを捧げ、その後でエルバの左右を挟むようにセーニャとベロニカが命の大樹に向かってひざまずき静かに祈り始める。
「母なる命の大樹よ」
「今、ここに導となる6つのオーブをささげました」
「どうか、我らに道を示したまえ」
「どうか、我らに命の答えを示したまえ」
「「虹の橋よ、導きたまえ」」
祈りの言葉を終えたと同時に、像にささげられていた6つのオーブが宙を舞い、祭壇に刻まれている六芒星と共に淡い光を発し始める。
そして、命の大樹が虹色の光を発したあとでその光でできた道が徐々に伸びていき、それが祭壇とつながっていく。
「虹の橋…」
「かつての勇者、ローシュ様もまた虹の橋を越えて命の大樹へ向かったという…ついに我らも同じ道にたどり着いたか」
「なら、行こうぜ。さっさと真実ってのを確かめようじゃねえか」
「…ああ」
立ち上がったエルバは迷うことなく虹の橋に足を踏み込む。
光でできたその橋は両足に確かに地面を踏んだ感触があり、なぜか足が軽くなったように感じられた。
続けてカミュ達も虹の橋に乗り、ゆっくりと歩いていく。
徐々にゼーランダ山から離れていき、その山以上の高度となったにもかかわらず、空気が薄くなった感じがなく、風も穏やかだ。
(あと少しだ…あと少しで、俺は…)
先に進むエルバがやや速足となっており、カミュ達と距離が離れていくが、今の彼はそれを気にかけることなく前へ、前へと進んでいった。