「これは…ひでえな…」
「うう…」
「セーニャ、しっかりしなさい!!」
早朝から動きはじめ、ミルレアンの森に到着したエルバ達を待っていたのは信じられない光景だった。
銀世界を汚すように鮮血が染まり、あちらこちらには兵士たちの死体が転がっている。
中には胴体を真っ二つに引き裂かれた状態のものや体の一部がなくなっている遺体も存在し、そのあまりの惨状にセーニャが思わず立ちくらみを起こしかけた。
「これは…例の獣の仕業だというのか…?」
「ふむ…そうらしいのぉ」
外傷があるものの、欠損などのない兵士の遺体をロウが瞼を閉じさせた後で調べ始める。
シルビアとマルティナがセーニャとベロニカを下がらせ、カミュがロウのサポートに入る。
(心臓にまで達している裂傷、そしてこの大きな出血…おそらくそれが致命傷のようじゃな)
その出血が遺体近くだけでなく、北から伸びている状態だ。
ここまで逃げて来て、ここで力尽きたと考えると自然だろう。
魔物の爪による一撃で、鎧を突き破っているうえに裂傷の幅を考えると、その例の獣の一撃を受けたものと考えて間違いないだろう。
ロウは医学も学んではいるものの、呪文による治療を中心で精通しているわけではないが、吹雪が起こるほどの気候を考えたうえで計算すると、死亡したのは5時間以上前。
血痕の多くが雪で隠されてしまっていて、分かることはその獣が北にいるということしかわからない。
(うん…?この凍傷、不自然じゃな…)
手足の凍傷はともかく、なぜかその遺体の首から下にも凍傷の痕跡がある。
鎧を外し、カミュがその服をナイフで破って調べると、なぜか首の下半分から胸のあたりに大きな重度の凍傷があった。
凍傷そのものはこのような吹雪の中では珍しくないが、手足ではなく胴体への重度な凍傷はかなり珍しい。
「やはりというべきか、吹雪の攻撃を使っている可能性が高いのぉ。わかるところはここまでか」
「こんなクソ寒いところまできて、魔物に襲われて野垂れ死にか…。少しだけ、同情しちまうぜ」
自分たちに情報をくれたその哀れな死体をカミュが抱え、かかる雪が少ない岩陰まで運んでいく。
他にも、少なくとも運べるような遺体をカミュとシルビアが一か所へ運んでいく。
そして、エルバがその遺体にベギラマを唱え、火葬した。
「う、う、うう…」
「誰だ…?」
男のうめき声が聞こえ、その声が聞こえた方角へエルバは走っていく。
倒れた木の切り株を枕にしていて、そばには粉々に砕け散った剣が落ちている状態になっている重装備の兵士の姿があった。
兜は外れており、頭の上半分が赤く濡れた包帯で隠れている状態だった。
「誰か…誰か、いるのか…??」
「ああ…いる」
「そう、か…すまん。もう、目が見えなくてな…」
目の前に悪魔の子として殺害対象とされているエルバがいるのに、何もそれに対して反応を見せないことから、そうだろうと薄々と感じていた。
エルバは新しく覚えた回復呪文であるベホイムを唱えて、彼の傷を回復させようとする。
しかし、ベホイミを越える回復力を持つはずのベホイムでも、彼の傷が一向に回復する気配がない。
おそらく、彼の中の生命力が消えかけており、それで回復呪文を受け付けることができないのだろう。
「ゴホッゴホッ!!うう、うう…!!」
「無理にしゃべるなよ。苦しいだけだ」
「そうは…いかない…うう!!こんなところに旅人が来るとは…よほどのもの好きか、それとも…腕に覚えのある男か…だが、今は後者だと信じるしかない…。この森には危険な化け物が住み着いている…。我々はクレイモランの救援に駆け付けたが、多くが、その魔物の手にかかった…くうう…」
「ああ、そうだろうな…死んだ奴らは火葬しておいたぞ」
「そう…か…。フフフ、世界最強のはずのデルカダールがこのザマとは…落ちた、ものだ…。旅人よ、頼みがある。我らを率いているグレイグ将軍が今…生き残りの兵士たちと共に例の魔物を探している。加勢してほしい…。これ以上、英霊が増えるようなことは…」
「うむ…承知した…」
「ああ、良かった…私の名はパピン。王よ…20年近く、お仕えいたしましたが…これまで、です…」
最期の力でしゃべり終えたのか、パピンと名乗った盲目の兵士がドサリと雪の上に倒れてそのまま息絶えた。
先ほどの兵士たちにやったのと同じように、エルバ達はその兵士を火葬した。
「忠義の兵よ…どうか、命の大樹へと還り、再びロトゼタシアにて生まれ変わらんことを…」
「この先にグレイグ達がいるのは確かだな。行くぞ」
獣が暴れまわったためか、雪原とは異なり魔物の気配がない。
森の中だということは厄介だが、障害になるのはそれだけ。
ヌーク草のおかげで吹雪にはある程度強くなっている。
エルバ達は両足が見えなくなるくらいに積もった雪を踏みしめ、森の奥へと進んでいく。
途中、吹雪で凍り付いた川を渡り、そこから何か手掛かりがないか探していくが、なかなか見つからない。
雪で足跡は消されてしまっていて、あるとしたらなぎ倒された木や爪痕、そして兵士の落し物くらいだ。
「見ていて気持ちのいいものじゃないな…」
「そりゃあそうだな。戦いの痕跡じゃあ…うん??」
森の中を探る中で、カミュが古びた石碑を見つける。
当然、手入れする人間などこの森に来るはずもないため、ほとんど朽ちており、文字もわずかしか残っていない。
「何か手掛かりがあるかもしれません。ロウ様、読んでいただけますか?」
「ふむ…読める部分だけにはなるが」
指で石碑についている汚れを取りつつ、残されている文字を読み始める。
文字そのものは昔翻訳したことのある古代文字の一種であるため、どのような文字か分かれば問題はない。
「うむ…魔女がクレイ…獣を…封印し…魔力がよ…ふむ、読めるのはこれくらいじゃ。どうつなげるか、じゃな…」
「ということは、魔女が封印された直後に作られた石碑ということね。でも、どうしてこんなところ…」
ウオオオーーーーン!!!
耳奥まで鳴り響くほどの咆哮が北から聞こえ、同時に降る雪の量と風の勢いが増していく。
「例の獣か!?」
「魔女のしもべというのは…どうやら間違いないみたいね…!」
咆哮と同時に天候が急激に悪くなったということを考えると、そう思いつくのが自然だ。
段々吹雪へと変化していき、急激に気温も下がっていく。
もしヌーク草なしでこの場所にいたら、きっと身動きも取れなくなっていただろう。
「このままでは…!?」
左手で雪から目を守っていると、急に痣が光りはじめ、エルバの脳裏に光景が浮かぶ。
灰色の獣が兵士たちを蹂躙しながら森の北へと逃げていき、そこにある開けた場所で何かを待っている光景だった。
「あそこに…その魔物がいるのか…」
「おい、エルバ!!どうしたんだ!!先先行くんじゃねえ!!」
痣の導きに従い、ゆっくりと前進していくエルバをカミュが呼び止めようとするが、そこへ進むという気になってしまったエルバにその声は聞こえない。
勇者の力のせいなのか、足元が見えないほどの雪にもかかわらず、まるで平地を歩くようなスピードで進んでいく。
エルバの体からは青い光が発しており、進んでいくとともにその光が道標のように残っていく。
「ロウ様、これは…」
「ふむ、勇者の力じゃな…わしらに道を示しているようじゃが…」
「導くにしても、先先行き過ぎよ!エルバちゃん、待ちなさい!!」
「くう…トベルーラが使えたら…」
吹雪の中でのトベルーラは感覚を失いやすく、熟練者でも使うのをためらってしまうほどだ。
特に上下感覚を失って、地面に激突するようなことがあってはならない。
ベロニカ達はエルバが遺す光に従い、ゆっくりと進んでいくが、次第にエルバの姿が見えなくなってしまった。
「はあはあ、グレイグ将軍…」
刃がぶつかる音、そして大きな足音と咆哮が響く中で、負傷した兵士たちが目の前で戦う将軍の名を呼ぶ。
「はあはあ、ええい…化け物め…。よくも、私の部下を…」
キングアックスを構え直したグレイグの脳裏に目の前の魔物によって殺された部下たちの姿が浮かぶ。
故郷へ土産を持って帰るために生きて帰ると誓った、子供が生まれたばかりの兵士や今日が初陣だった兵士、初めての外海に出るということで胸を躍らせていた新米。
様々な思いでクレイモランにやってきた部下たちの多くを殺したその魔物をグレイグは許すことができなかった。
(なぜだ…将軍となってもなお、なぜこれほどまでに弱い!?なぜ、これほどまでに遅い…!)
故郷であるバンデルフォン王国を失い、二度と何かを失わないために力を求めてきたが、結局はまた零れ落ちてしまう。
まるでそんな自分をあざ笑うかのように屍を増やし続ける運命を呪う。
だが、それはグレイグにとっては立ち止まる理由にも、今ここで逃げ出す理由にもならない。
「せめて…死んでいった部下たちの仇は討つ!!」
「ムフォ、ムフォ、ムフォォォォォ!!!」
両腕両足をばたつかせ、地面の雪が宙を舞う。
視界をふさぐような雪は盾で払いのけ、グレイグは天下無双の構えに入る。
苦手な寒さをはねのけるため、深呼吸をし、ただ目の前の魔物一匹に全神経を集中させる。
そして、極限まで精神力が高まったのを感じると、一気にその魔物の接近し、6連続の斧の連撃を浴びせる。
分厚い皮膚が裂かれていき、大きな出血を見せるとともに後ろへ大きく転げる。
「くっ…手ごたえを感じない!これでは倒せないか…!!」
あくまで手傷を与えた程度で、天下無双をしても倒せない化け物に舌を巻く。
そして、魔物は立ち上がるとともに傷が徐々にふさがっていくのが見えた。
さすがに完治までには時間がかかるものの、普通の魔物ではありえないほどの回復力だ。
「これでジリ貧か…あとひとつが…うん?」
「はあはあ…」
天下無双を発動し終えたことで、クールダウンしたグレイグはどこからか聞こえる別の足音が聞こえ、そこにわずかに注意を向ける。
兵士たちもそれに気づいているが、負傷のせいで身動きが取れず、ただ見ていることしかできない。
「奴は…」
吹雪の中を歩く彼をグレイグが見間違えるはずがない。
不自然な青い光を帯びた彼は2度にわたって取り逃がした悪魔の子、エルバ。
彼がなぜここにいるのか分からず、他の兵士たちも動くことができない。
魔獣もエルバが現れたことで彼に視線を向け、新たな獲物をにらみつける。
「やはりいたか…」
「勇者…悪魔の子よ、なぜ貴様がここにいる!?氷漬けになったクレイモランと関係があるのか!?」
返答次第では切り捨てると言わんばかりに、キングアックスの刃を向ける。
魔女と悪魔の子の因果関係が分からず、なぜ古代の魔女がよみがえったのか分からない今、エルバとの関係を疑ってしまうことは無理もない。
グレイグの姿を見たエルバは心の中に渦巻く黒い感情を再認識する。
右手の痣には光が発しており、いつでも紋章閃を撃てる状態だ。
やろうと思えば、それを撃って村人の仇の一人を討つこともできる。
「答えろ!!魔女の封印を解いたのは貴様なのか!?」
「…」
グレイグの目を見たエルバはそれがまっすぐで澄んでいるようにみえ、思わず視線をそらしかけてしまう。
彼は純粋にクレイモランの人々を救うためにここに来ていて、この魔獣と戦っている。
イシの村で起こったことを許すつもりはないが、今ここで彼を倒していいのかと疑念を抱いてしまう。
「ちっ…答えは、こうだ!!」
エルバは右手を振り、紋章閃を放つ。
発射された閃光は一直線に魔獣へと飛んでいき、それを受けた魔獣は大きく吹き飛ばされる。
「何…!?」
「魔獣を倒すことが魔女を倒し、クレイモランを救う一歩になるなら…今だけは協力してやる」
「…」
紋章閃で顔面を大きく焼かれた魔獣が起き上がり、自分に痛撃を与えたエルバへの怒りなのか激しく咆哮する。
最初はエルバの行動がデルカダール王が言っていた悪魔の子の所業とは思えず、困惑する。
兵士たちもなぜグレイグではなくあの魔獣をエルバが攻撃したのかが分からずにいる。
そんな彼らを無視し、エルバは2本のドラゴンキラーを手に魔獣に向かって接近する。
魔獣が口から吐き出す吹雪を両手の剣に火炎を宿してしのぎ、収まるとともに魔獣に向けてデインを放つ。
勇者の雷を受けた魔獣だが、その程度の電撃では大したダメージはないのか、魔獣は大きく右腕を振りかぶり、エルバに向けて振り下ろす。
「…!?」
回避すべく、後ろへ飛ぼうとしたエルバだが、急に体に宿っていた青い光が消えると同時に激しい疲労感を覚える。
同時に体が重くなっていき、その場に座り込んでしまう。
(これ…は…!?うう…!!)
同時に右手の痣にも激痛を感じ、よく見るとその痣は白と黒の光を何度も入れ替わるように光らせ始めていて、それが激しい痛みとなってエルバを襲っていた。
なぜ痣が黒く光るのか分からず、だがその痛みと疲労感のせいで満足に動くこともできない。
そんなエルバに容赦なく拳が降りかかる。
しかし、そんな彼の前にグレイグが立ちはだかり、キングアックスを捨てて両手で盾を握り、その拳を受け止めた。
自分よりも小さく、非力なはずの人間であるグレイグが自分の拳を受け止めたことにさすがの魔獣も動揺する。
「はあはあ、なぜだ…」
徐々に痣の光が収まり、体が軽くなってくるのを感じる中で、エルバは自分を守ったグレイグに問いかける。
自分を殺そうと追いかけたはずの彼がなぜ自分をかばうのか?
「勘違いするな…貴様がこの魔物を狙うというなら好都合…。クレイモランの平和を取り戻すためにも…悔しいが、貴様の力が…必要…それだけだ!!」
自分に言い聞かせるように大声で叫ぶグレイグは体全体の力を使って徐々に魔獣の腕を持ち上げていく。
グレイグをのさばらせると危険だと判断した魔獣は今度こそ倒そうと、左拳も作り、グレイグに向けて振り下ろす。
その瞬間、魔獣の右目に閃光が飛んできて、その熱が目を焼いていく。
分厚く頑丈な皮膚を持つ魔獣でも、目や口の中などへの攻撃にもろいのはほかの生物とあまり大差がない。
右目の視界が消え、激しい火傷にさすがの魔獣も悲鳴を上げ、その間にグレイグはその場から離れ、キングアックスを手に取る。
「礼は言わんぞ」
「そのつもりはない」
お互いに、この魔物を倒した後で戦わなければならないことになるのは分かっている。
エルバは村人の敵を討つため、グレイグは忠誠を誓う王の命令のため、そしてロトゼタシアを守るため。
だが、どちらもそれが本当に正しいことか確固としたものにできず、だからこそ迷っている。
その迷いが結果としてこのような形での共闘として成立している。
「異常だな…この回復力は」
魔獣の火傷で失明したはずの目が回復呪文もなしに修復されていき、再び元の輝きを取り戻す。
あの魔獣を倒すには小手先に手段ではなく、一撃必殺で決めるほかない。
遠距離攻撃で一番の威力を発揮するはずの紋章閃では殺し切れない以上、他の手段で考えるしかない。
だが、グレイグは1つだけ見逃していないことがあった。
(俺の天下無双で与えたダメージは回復したが、ベギラマを受けたときよりも時間がかかっている。おそらく、回復しきれていない間にもう一撃を加えることができれば…)
エルバの紋章閃とグレイグの天下無双。
どちらも一度はなってしまうと隙だらけになる大技だ。
だが、それを立て続けに放つことで、あの魔獣を倒すことができるかもしれない。
そうなると問題なのはその息の合った攻撃を2人同時にできるかということだ。
「…」
「…」
先ほどは助け合ったとはいえ、元々は敵同士。
最初に一撃を与えた時点で、その相手に隙を与えることになる。
仮にその隙にその相手が攻撃してきたら、確実に殺されることになる。
そして、求められるのはその敵との連携だ。
「ムフォ、ムフォォ!!!!」
怒った魔獣がエルバ達に向けて吹雪を吐き出す。
距離は開けているものの、深い雪のために足を取られやすい。
エルバがベギラマで無理やり雪を溶かして道を作り、そこを2人が通ることで吹雪から逃れる。
「…エルバよ」
「何…?」
初めて、勇者でも悪魔の子でもなく、本来の名前を呼ぶグレイグに驚くとともにエルバの足が止まる。
グレイグは迫る吹雪に耐えながらキングアックスを構え、魔獣に狙いを定めて集中し始めていた。
「貴様の言葉…信じるに値するか、この一撃で確かめる…!」
「…」
「貴様の正体が何か、俺の命を秤にさせてもらおう!!」
吹雪の中を突っ込んでいき、グレイグが魔獣に肉薄する。
そして、全身全霊を込めて天下無双を放つ。
先ほど以上に重みの増した連撃が魔獣の皮膚を引き抱き、中の骨にもダメージが達する。
「ぐおおおおおお!!!」
「今だ!!」
「…!!」
既にエルバの右腕の痣には力がこもっている。
幸い黒く光ってはおらず、いつでも紋章閃を発射できる。
「はああああああ!!」
大声を出しながら、魔獣にめがけて全力で紋章閃を放つ。
大きく傷つけられたからだを紋章閃が貫き、胴体にはエルバの痣と同じ形の穴が開く。
2つの攻撃をまともにうけた魔獣はピクリと痙攣をおこした後で、その場に倒れる。
「ふう、ふう…」
「はあ、はあ…」
2人とも今持っている全力の一撃にすべてを出し切ったのか、激しく疲労していて、互いに警戒はするものの武器を構えることしかできない。
だが、いつまでたっても魔獣は動き出すことはなく、吹雪の勢いも弱まっていく。
「どうやら…魔女の下僕は死んだようだな」
「そのようだな…」
魔獣の死体は紫の瘴気を放って消滅していく。
これで部下の敵を討つことができたことに安堵したグレイグは睨むようにエルバに目を向ける。
「なぜだ…?あの状況ならば、俺ごと殺すこともできただろう…?」
紋章閃の破壊力を考えると、グレイグごと魔獣に攻撃することも可能だろう。
デルカダールメイルで身を包んでいるとはいえ、全力で出した威力ならば貫通も難しくない。
にもかかわらず、魔獣のみを攻撃したということがどういう意味なのか。
「さあな。お前はイシの村の人たちの仇だ…。そのことに変わりはない。だが、後ろから討つような真似をするのは卑怯だと思った…それだけだ」
「卑怯…か…」
悪魔の子らしからぬ言葉にグレイグは自分の先ほどの選択が間違いではないことを感じた。
だが、あくまでこれは魔獣を倒すための一時的なもの。
それが終わった時点で解消されることには変わりない。
「うん…なんだか、また雪がひどくなってきてないか…?」
エルバとグレイグがにらみ合う中、兵士たちの中で気候の変化に気付く人が出始める。
魔獣を倒したことで収まったはずの吹雪が再び起こり始めていて、しかもそれは先ほど以上にひどく、周囲の視界が塞がれていく。
「何!?」
「殺気…くそ!!」
吹雪でグレイグ以外の人影が見えなくなり、攻撃が飛んでくるのを感じたエルバだが、グレイグと同様吹雪のせいで身動きが取れない。
青い光が2人の足元へ飛んできて、2人の下半身を這うように氷が発生する。
最初は小さな薄い氷だったのが次第に氷塊へと変貌し、下半身を拘束する。
「これは…まさか、魔女の呪文か!?」
「ふふふ…捕まえたわ。英雄グレイグ!!」
真上から声が聞こえ、顔を上げるとそこには体に密着した薄い水色の皮でできたローブと毛皮のマントを身に着けた、薄紫の肌をした女性が浮かんでおり、2人の目の前まで降りてくる。
人間ではありえない肌の色と先ほどの呪文と吹雪。
それだけで彼女の正体は明白だ。
「貴様は…まさか!!」
「そう、お前たちが狙っている魔女よ。このままお前を氷漬けにすれば、私を解放してくれたあのお方との約束を果たすことができる…」
「あのお方…ウルノーガのことか!!」
メルトアのことを考えると、おそらくそういうふうに考えるのが自然だろう。
クレイモランのオーブを狙うため、彼女を解放したとしてもおかしくない。
そのエルバの言葉を無視した魔女はゆっくりとグレイグの目の前まで歩いていく。
キングアックスを振るおうとしたグレイグだが、その前に両腕も氷でふさがれてしまう。
そして、何を思ったのかその魔女はグレイグの首にぶら下げているペンダントをつかむと、無理やり引きちぎる。
赤い宝石がいくつも埋め込まれ、盾の形をした金色のそれには双頭の鷲の浮き彫りがあり、見るだけでそれがデルカダール関係の物だということが分かる。
「うふふ…このペンダント、いいわ…。あのひととおそろいね!!」
「なん…だと…??」
一瞬、彼女の言うことが分からなかったグレイグは言葉を失う。
正確に言えば、分かってしまったのだが、それを認めたくなかっただけだろう。
彼女の言う『あの人』と、おそらくグレイグが頭に浮かべている人物は同じ。
そして、その人物は魔女が封印から解かれたことに関係がある。
「返せ…!!それは、俺の誓いの…!!」
「安心しなさい。私が殺すのはあなたたち2人だけ。無益な殺生は趣味じゃないから…」
とどめを刺すべく、魔女は左手に冷気のこもった魔力を凝縮させていく。
逃げようにも、氷のせいで体が動かず、拘束する氷も暑さと大きさを増していき、今では肩にまで達している。
「くそ…魔女め!!将軍を…」
「うるさいわね…静かにし…」
グレイグを助けようと立ち上がった兵士たちに注意が向いたその時、魔女に向けて大きな炎の玉が飛んでくる。
感じ取った魔力で身の危険を感じた魔女はその場から飛びあがって回避するが、わずかにそれが間に合わず、炎が左肩に命中し、ダメージのせいで手に入れたペンダントを落としてしまう。
「この炎は…」
「大丈夫!?エルバ!!」
再び飛んできた炎が今度はエルバとグレイグに当たると同時に、彼らの動きを封じていた氷を解かす。
封じられた人間に一切ダメージを与えず、氷だけを破壊する芸当ができる炎の呪文を使えるのは一人しかいない。
「ベロニカ…!」
「まったく、一人で先先行くからこんなことになるのよ!」
「エルバ様、大丈夫ですか!?」
ベロニカだけでなく、セーニャやカミュをはじめとした仲間たちも集結する。
その数を見た魔女は相手が悪いと思ったのか、そのまま上空へと飛び続け、吹雪の中へと消えていく。
魔女の姿が見えなくなったことで気が抜けたのか、エルバはその場で膝を折る。
「エルバ!大丈夫なの…??」
「はあ…すまない。奴の冷気を受けただけだ。ヌーク草が無かったら、どうなっていたことか…」
「少し休みてーところだが、これをどうするかだな…」
カミュは立ち上がっているデルカダール兵たちに目を向ける。
突然のことや魔女の出現で動揺を見せる兵士たちだが、デルカダール兵である以上はおそらく、エルバ達を狙っている。
おまけにグレイグもいて、もしかしたらここでまた彼らと戦うことになるかもしれない。
カミュが身構える中、グレイグは雪の上に落ちているペンダントを手に取り、エルバ達には目を向けずにいる。
「おい…悪魔の子がどうしてここへ…」
「悪魔の子は弱っている。俺たちも傷ついているが、もしかしたら…」
「何言ってるんだ!!仲間たちと合流しているんだぞ…!!悪魔の子とは違って、奴らは…」
「全員、ここでの目的は達した。キールスティン号まで後退せよ」
「な…グレイグ将軍…!?」
勇者が目の前にいるにもかかわらず、出した撤退命令に兵士たちは困惑する。
エルバ達も自分たちを捕らえるべくここから動き出すものと思っていたグレイグの言葉が信じられず、セーニャとベロニカに至っては互いに顔を向けあう始末だ。
「兵力をズタズタにされ過ぎた。我々の今の任務はクレイモランの救援。それは悪魔の子を捕らえること以上に優先される。今のまま魔女を追跡したとしても、全滅するのがオチだ」
不意打ちしたとはいえ、一瞬でエルバとグレイグの身動きを封じ、あと一歩のところまで追い詰めたあの魔女は脅威だということは兵士たちも分かっている。
少し、釈然としないところはあるが、そこは英雄であるグレイグの命令であれば何かしらの考えがあっての判断だろうと無理やり納得した。
比較的軽傷で済んでいる兵士はほかのけがをしている兵士を抱え、グレイグは手にしたペンダントを首にかけなおすことなく森の出口である南へと歩を進める。
「グレイグ…俺を、捕えないのか…?」
立ち去るグレイグの背中に向けて、エルバが痛みに耐えながら問いかける。
それに対して彼は何も言うことなく、ただ兵士たちと共に立ち去って行った。
「待て…ぐ、うう!!」
限界を感じたエルバは意識を手放し、あおむけに倒れる。
「エルバ…!!」
「魔女の攻撃にやられたのね…体温が低いわ」
「そういえば、行きがけに小屋があったよな!?そこであいつを…!!」
「エルバよ…死ぬでないぞ…。アーヴィン、エレノア…どうか、エルバを守ってやってくれ…!!」
仲間たちの声が聞こえ、マルティナに抱えられるエルバだが、だんだんその声も聞こえなくなっていく。
「エ…マ…」
クレイモラン付近に錨を下ろして待機するキールスティン号にグレイグ達を乗せたボートが近づいてくる。
ボートには兵士だけでなく、デルカダールに仕える魔法使いたちも乗っており、彼らが炎の呪文で氷を溶かして道を開いていく。
ボートがキールスティン号に収容され、グレイグはそのまま1人で船の中を歩いていく。
長期間の外海での遠征任務を目的として作られているだけあって、内部は4階層に分かれており、後部には船長や将軍、さらには王の部屋があるキャビンがついた贅沢なつくりとなっている。
今グレイグはキャビンに入り、その中にある王の部屋へと向かっている。
今回はキールスティン号の処女航海であり、同盟国であるクレイモラン存亡の危機ということで、王も乗り込んでいる。
王も船に乗っているということは、これから報告しなければならない内容を考えると、都合がよかった。
「陛下、グレイグ、戻りました」
「うむ…厳しい戦いだったようだな」
「はい…パピンをはじめ、ともに向かった兵士の半数以上が魔女が従える魔獣に討たれました。魔獣は討伐しましたが、生き残った兵たちを回復させなければならず、やむなく帰還を…」
「そうか…兵士たちの回復後、再び任務に…」
「それから、もう一つご報告しなければならないことがございます」
「む…?」
念のためにグレイグは見張りの兵士に目を向け、首を若干横に振る。
兵士たちはグレイグに敬礼した後でその場を後にし、グレイグ達の会話に聞き耳を立てるような人物が誰もいなくなったのを確かめる。
「陛下、ここから先の話はくれぐれも内密なものです。漏れると、士気にかかわります故」
「おぬしほどの男がそのようなことを…よほどのことなのだな?」
「はい。このままでは、おそらくデルカダールにとって、大きな災厄ともなりえます」
「あい、分かった。入れ」
部屋の扉が開き、立ち上がったグレイグは一礼した後で部屋に入った。
「ふうう…よく俺たち、助かったよな…」
救護室のベッドで横になり、僧侶たちの回復呪文を受ける兵士は自分の運の良さを感じずにはいられなかった。
半数以上の兵士たちが魔女の魔獣に殺され、魔女まで現れたにもかかわらず、こうして生きてキールスティン号に戻ることができた。
戻る中で火葬された仲間を見つけたが、今は天候や兵士たちの治療をしなければならないことから遺骨の回収ができずにいる。
彼らの殺される瞬間を見ていることから、負傷しているとはいえ、こうして生きて帰ることができただけでも儲けものだ。
このキールスティン号に乗り込んだ兵士たちは厳しい訓練に耐え抜き、魔物討伐で確かな実績を上げている、デルカダールでも中核となりえる兵士たちだ。
そんな兵士たちをあっさりと殺してしまう魔物とそれを従える魔女にはぞっとする。
もし、エルバがここにきて、魔物を倒してくれなければ、自分たちもここに帰ることができなかっただろう。
なお、エルバ達と遭遇したことについてはグレイグから固く口止めされている。
そのため、彼らがいることを知っているのは兵士たちとグレイグだけだ。
「それにしても、将軍もまじめすぎるよな。報告を終えて、救護室に来たと思ったらぶっ倒れちまった…」
兵士たちの視線がベッドで眠っているグレイグに向けられる。
やはり彼も魔獣の吹雪を何度も受けていて、体が限界を迎えていた。
それでも、任務と自分のやるべきことをやり遂げ、迷惑をかけないようにとわざわざそこまで来たことでようやく気が抜けてばったりと倒れてしまった。
「将軍も無理しすぎなんだよ…。寒いの苦手だっていうの、とっくの昔にばれているのに」
「ついでに虫もな。生真面目だから、無理に苦手じゃないようにふるまっているけど」
「そういうところを見ると、少し安心するよな」
はたから見るとデルカダール最強の戦士であるグレイグだが、こうした欠点を知っていると、どこか親近感を抱き、自分たちと同じ人間であることを感じてしまう。
もっとも、そのようなことをグレイグ本人に言っても、根も葉もないうわさと必死に否定するかもしれないが。
「俺たちも、一日も早くけがを治そうぜ。早ければ早いほど、クレイモランの人たちを早く救えるというものさ」
「…」
グレイグの報告を聞き終え、1人室内でテーブルの上のろうそくの灯を見つめるデルカダール王は目を閉じる。
もうすでに夜が更けており、この火だけが部屋の中では唯一の光源だ。
同時に彼の背後には黒いまがまがしいオーラが現れ、そこには黒いローブを着た男が姿を見せる。
「…わかっておるな?もうすぐ私の最大の目的を叶える時が来る。その時こそ、貴様も本当の願いをかなえるとき。その力…存分に発揮してもらうぞ」
ローブの男はその言葉に返事を返さないまま、再びオーラを発生させて姿をくらます。
同時に、ろうそくの火が消え、デルカダール王にニヤリと笑みを浮かべる。
彼の紫の瞳は一瞬だけキラリと光を宿し、暗闇の中に消えていった。