ゴオゴオと猛烈な吹雪の音が響き渡り、冷たい壁には何度も雪が打ち付けられる。
そのせいで、様々な色彩で人々を楽しませていたはずの壁が分厚くなり、白一色に染まっていた。
「なんだか、すごく怖いわね…」
城門を守る2人の衛兵の氷漬けになった姿を間近で見るベロニカはそのあまりの異様さに恐れを抱く。
1人は槍を杖代わりにして居眠りを始めていて、相棒と思われるもう1人はそんな彼に顔を向けて怒っている状態だ。
余りにも氷漬けになったときの表情とも姿とも思えず、まるである日突然、気づかぬうちに氷漬けになってしまったと表現するしかない。
それを見たベロニカは凍れる時の秘法という特殊な呪文を思い出す。
今目の前にいる2人だけでなく、港の作業員や商人も日常を送っている状態のまま氷漬けになっており、その秘法がかけられたのではないかと誤解してしまうほどだ。
「セーニャ、どうかしら?」
「やはり…呪文で氷漬けにされているみたいです。しかも…氷漬けになっている方々はみんな生きています」
氷漬けとなった人の1人に触れ、氷の魔力とじわりと感じる暖かさからそう確信する。
普通、このような状態となるとすでに死んでいる可能性が高い。
にもかかわらず、生きているということはおそらくはヒャドなどの氷結呪文とは異なる何か別の呪文でこうなっているとセーニャは推測する。
「ベロニカ、炎で門の氷を解かすことはできないか?」
「やってみるわ」
集中したベロニカはメラミを唱え、大きな火球を正門にぶつける。
火球は一直線に門に直撃したものの、そこには無傷な門と氷の姿があった。
「ベロニカのメラミが効かねえだと…??」
「なら、これでどう!?」
魔導書を開き、記されている文章を瞑想しながら唱えて魔力を増幅させる。
そして、もてる限りの力を込めて再びメラミを放つ。
倍以上の大きさとなった火球が飛んでいくが、今度は氷に接触する前に消滅してしまった。
「く…!やっぱり、ただの氷じゃないってことは分かるわ。悔しいけど、あたしには無理みたい…」
「お姉さま!!」
かなり力を使ってしまったベロニカはよろめき、セーニャに支えられる。
正門が使えないとなると、別の入り口を探すほかない。
エルバ達は壁の周りを歩き、別の氷漬けにされていない出入り口がないかを探し始める。
(まさか…もう2度と来ねえって思ったけどな…)
西側をエルバとともに歩くカミュは寂しげに壁の向こう側に思いをはせる。
そして、手に入れたレッドオーブのことも頭に浮かべてしまう。
(いけねえな…。もう割り切ったつもりなのにな…)
「カミュ、この扉は氷漬けになっていないぞ」
「何!?」
エルバの声が聞こえ、意識を現実に戻したカミュはエルバの元へ駆け寄る。
彼の言う通り、氷漬けになっていない紫色の扉がそこにはあった。
エルバがさっそく開けようとするが、びくともしない。
「じいさんを呼んでくるぜ。もしかしたら、あれの出番かもしれねえからな」
「ああ…頼む」
メルトアから手に入れた魔法の鍵は既に修理が終わっている。
まだ実際に試したことはないが、これで開けることができたら中の様子を確かめることができる。
しばらくして、ロウとカミュと共に仲間たちがエルバの元へやってくる。
「さてと…ついにこれを使う時が来たか…」
魔法の鍵を手にしたロウはじっとそれを見つめる。
メルトアが持っていて、彼女を生み出したのはウルノーガ。
おそらく、この魔法の鍵はウルノーガが作ったものかもしれない。
正直に言うと、仇敵が生み出したそれを使うというのはどこか後味の悪いものがある。
しかし、それがウルノーガを倒すためになるのであれば、ロウは覚悟を決めていた。
鍵穴に入れるとともにブルリと鍵が震えるのを感じる。
鍵の金属が今入っている鍵穴に合うように変形している証だ。
その震えが収まると、ロウは鍵を回す。
鍵が外れる音がし、魔法の鍵を抜いた後でエルバの手で扉が開かれる。
開かれた先に待っていたのは氷漬けの人々と建物、そしてこの国の象徴ともいえる城だった。
「やっぱり…魔物に先を越されたというの…!?」
「ふむ…じゃが、なぜ氷漬けにする必要があるのじゃ…?姫の言う通り、ブルーオーブを狙うというなら…」
これ以上は言わないでおいたが、もしそれが目的だとしたら、クレイモラン王国そのものを破壊した後で奪えばよかっただけの話だ。
人々を生きたまま氷漬けにするという回りくどい手段を使わなくても、それさえすれば済む話だ。
「誰…!?誰なのですか??動ける人がいるのですか!?」
「声…?」
「氷漬けになっていない人がいたのか?」
声が聞こえた方向に振り向くと、雪でふさがれた視界の中でボウボウと淡い光が近づくのが見える。
ガサガサ歩く音が近づいており、肉眼ではっきり見えるくらいの距離になると、そこにはランタンを片手に持つ1人の女性の姿があった。
細縁のメガネをかけ、オレンジ色の毛皮のマントに白い綿の入ったローブをまとった金髪の女性だった。
眼鏡についた雪を払い、女性はじっとエルバ達を見る。
そして、その隣にいるロウを見ると驚くとともに口元を手で隠した。
「まさか…ロウ様なのですか!?」
「ふむ。その衣装に眼鏡…まさか、シャール殿か!?」
「ええ、ええ…。お久しぶりです、ロウ様。お父様から聞いてはおりましたが、まさか本当に生きていたなんて…」
「いろいろあったのじゃ。それよりも、今のこの状況を説明してはくれぬか?」
「そうですね。こちらへ…」
シャールに案内され、城の東側にある氷漬けされていない地下室への扉を開け、その先へとついていく。
その奥には20人は収容できるであろうシェルターが存在し、扉以外の全方位を包むように水と食料などが備蓄されていた。
中央にある円卓で囲むように座り、シャールはエルバ達に赤い色のしたお茶を出す。
「ふむ…これは助かるものじゃのお」
「どういう意味だ…?」
「ヌーク草のハーブティーだ。こいつを飲めば、しばらくは寒さに耐えられる優れものだ」
「ほぉ、知っておったのか」
「まあな。寒さにまいっちゃあ旅はできねえからな」
そういう効果があるなら、しっかり飲んでおかなければと思い、エルバはハーブティーを口にする。
苦味というよりも辛味のあるお茶だが、飲むと体の中が温まるような感じがした。
このヌーク草は数百年前にとある薬師の家族がここから東にあるシケスビア雪原で遭難するなかで見つけた洞窟の中で発見したものが起源となる。
家族はそれの効果によって厳しい寒さに耐え、兵士たちによる救出を待つことができた。
城下町へ戻った後はそれを栽培する方法を30年にわたって研究し、完成させた。
ヌーク草はその一族の名前をとっており、クレイモランの人々の暮らしに貢献したことへの敬意としてつけられることとなった。
ただ、ヌーク草単体では効果が強すぎるうえに辛味もきついことから、基本的にはこのようにハーブティーにする、料理の隠し味に少し入れるなどで活用されている。
ハーブティーを飲み終えた後で、シャールはようやく今の状況の説明を始める。
「3か月前の晴れた日のことです…何者かが突然町の上空に飛んできたんです。その姿は人々が言うには魔女だと聞いています」
「魔女!?ま、魔女ってほら、よく昔話とかで伝説になっている、いわゆる魔女のことですか!?」
シャールは肯定するように首を縦にする。
話をしているシャールの体は小刻みに震えており、よほどその時に怖い思いをしたことが分かってしまう。
「彼女が呪文を唱えると、突然町が吹雪に包まれて…気づいた時には…」
「それで、なんであなただけ助かったのですか?」
「わかりません。ただ…その時に気を失ってしまって。どうして私だけなんともなかったのか…。助けを呼ぶこともできず、このシェルターで飢えをしのぎながら、助けが来るのを待っていたのです」
「ひどい魔女ね。どうにかしたいけど…」
もうすでにそれはやっていて、どうにもできない歯がゆさを耐えるしかなかった。
「そういえば、テオドール殿の…シャール殿のお父上のことは聞いておる。突然だったのじゃな…」
「はい…苦しむことがなかっただけでも救いです」
シャールの父親で、クレイモランの国王であったテオドールは1年前にすでに病でなくなっている。
事情があったとはいえ、葬式に出席することができなかったことはロウにとっては悔やまれることの1つだ。
「聞きたいことがあります。その、魔女が町を氷漬けにしたとき、オーブを持ち去りませんでしたか?」
「オーブ…?それは、もしかしてブルーオーブのことですか?なぜそれを…」
「故があって、オーブを集めておるところなのじゃ。それを借り受けたいと思い、伺ったのじゃが…」
「わかりません。気が付いた時には城は氷漬けで、地下室以外に入ることはできませんでした。オーブも城の中で、気が付いた時には魔女もいなくなっていたので、どうなったか…」
シャールの言葉で、状況はシンプルになった。
奪われたにしても奪われなかったにしても、魔女を倒して今のこの国の氷を解かさない限りはブルーオーブを手に入れることができない。
「実は、数日ほど前に外国の救援部隊がやってきて、魔女を討伐しに向かったのです。ですが…音沙汰がなく…」
「外国の…まさか、デルカダールのか?」
「はい。グレイグ将軍がデルカダール王からの命令で…」
「奴が…ここにいる…」
グレイグの名前を聞いたエルバのこぶしに力がこもる。
彼とは2度敵対し、1回目はただ逃げることしかできず、2回目はある程度ぶつかり合ったとはいえ、結局は破れてしまった。
もしその時にマルティナが命がけで助けてくれなければ、今ここにエルバはいない。
「エルバ様、お気持ちはわかりますが…」
「ああ、わかっている…」
だが、いまは魔女を倒すことが先で、グレイグもおそらく魔女と戦うだろう。
復讐するというなら、この問題を解決した後。
そう自分に言い聞かせ、強張った感情を落ち着かせた。
ぞんなやり取りをするエルバとセーニャを見たシャールは首をかしげるが、ロウに気にしないように言われ、話を進める。
「救援部隊からの情報によると、魔女はシケスビア雪原の北にあるミルレアンの森にいるとのことです。しかし…魔女が1人でいるとは限りません。情報によると、魔女は獰猛な魔獣を従えていると聞いています。どうか、お気をつけて」
「魔獣か…覚えておこう」
「ひとまず、明るくなってから出発されてください。寝室もありますので、ごゆっくり…」
空になったコップを集めたシャールはそれらを流し台へもっていく。
シェルターには寝室も用意されていて、エルバ達全員が休めるようになっていた。
「なら、まずは寝るとするか。船旅で疲れているしよ」
「そうじゃな…それに、吹雪がひどくなっておる…」
シェルターの中にもゴオゴオと吹雪の音が聞こえ、ここに入っている間に強まった吹雪を感じずにはいられない。
この状況で、雪国に慣れていないメンバーが大半の今の状況で強行しても、遭難することが目に見えている。
「じゃあ、しっかり休みましょう。魔女と戦う前にお疲れだと、元も子もないわよ」
さっそくシルビアが寝室に入り、自分のベッドを決めてその中に入る。
ヌーク草を摂取していることもあり、ベッドの中に入ると雪国であることが嘘のように暖かい。
エルバ達はそのぬくもりに包まれて、静かに眠りについた。
「ムフォ、ムフォォ…!?」
暗闇に包まれた雪の森の中で、木がなぎ倒される音が何度も響く。
金色の鬣で純白の肉体をした、大きな口と長い前足を持つ魔物がその巨体を吹き飛ばされ、岩を背中にぶつける形で吹き飛ばされるのが止まる。
今のその魔物の体はいくつもの火傷や切り傷ができていて、そのせいかもう動けるだけの力も残っていない。
ザッザッと雪によってある程度消された足音が魔物の耳に響く。
男の右手にはプラチナソードが握られており、左手には黒いまがまがしい光を放つオーブが握られていた。
「その程度の力で…伝説の魔物もこれでは哀れだな…」
オーブを握る男は不敵な笑みを浮かべ、そのオーブを魔物に向けてかざす。
オーブから出る光が魔物に入り込んでいき、異物が体中から入り込む感覚に魔物は悲鳴を上げる。
瞳の色が赤く染まっていき、額にはかつてエルバが戦ったバトルレックスやデスコピオンなどの魔物の額に宿っていた魔法陣が現れ、悲鳴を上げていた魔物が徐々におとなしくなっていき、体中の傷が消えていく。
そして、今まで自分を痛めつけた男を無視し、雄たけびを上げると森の中へ消えていった。