「うむ…シルバーオーブを手に入れることができたが、後味の悪いものとなってしまったのぉ…」
シルビア号に戻り、メダル女学園校長から受け取ったシルバーオーブを手にしたロウは複雑な表情を見せる。
あの裂け目からブチャラオ村に戻り、救出した人々と共に美女の壁画の真実について人々に説明した。
メルトアを倒したことで、壁画は消滅し、それがいった遺跡には壁画世界への入り口と思われる大きな斜めの穴ができていた。
メルトアは倒したものの、壁画世界そのものは存続しており、中にすでに住み着いている魔物たちはまだ生きていることから、その遺跡そのものが出入り禁止となり、固く封印されることが決まった。
最大の目玉を失ったことで、村人たちは落ち込むだろうと思ったが、そんな心配は杞憂に終わった。
彼らはその呪われた美女の壁画をネタにしてそれのレプリカを売り始めていた。
観光客に美女の壁画とその中にいるメルトアをネタとした怪談話を披露し、そのレプリカを売ることで新しい観光資源を生み出そうとしている。
転んでもただでは起きない商魂にはただただ頭を下げるしかない。
だが、現実として犠牲者はおり、その中にはエルバ達に探すように依頼された夫婦も含まれていた。
あの壁画世界に入り、生きて出ることができたのはエルバと彼らが助けた人々だけで、その中にはその夫婦は含まれていない。
メルトアの所業を考えると、もう死体そのものがないか、リビングデッドと化して今でもあの壁画世界をさまよっている可能性がある。
校長からは助けられなかったとはいえ、これ以上の犠牲者を増やすことを防いでくれたことを感謝され、約束通りシルバーオーブを借りることができた。
残された生徒については、故郷にいる祖父母が引き取ることになり、生徒に対しては時が来たら言うという形で決まった。
「メルトア…最低な魔物だったぜ…」
「ウルノーガめ…これほどの犠牲を出してまで永遠の命の力を求めるか…」
「じいさん、魔法の鍵はどうだ?」
「使っている金属は特殊じゃ。少し荒っぽい手を使うが、鍵としてだけなら使うことができる」
魔法の鍵の修理のために必要なのは不思議な鍛冶セットと打ち直しの宝珠だ。
原理はよくわからないが、その宝珠を使うことで取り込んだ装備や道具を分解し、再び鍛冶をすることができるという。
それによって、強化することができるようだが、それが可能かどうかは鍛冶をする人間の力量次第だ。
理論上では魔法の鍵の修理もできる。
「じゃあ、次の目的地を決めましょう。最後のブルーオーブがあるのは…確か、クレイモラン王国でしたわね」
「うむ。王家の家宝として保管されておる。今の王はシャール女王じゃが、話は聞いてくれる」
「聞いてくれる…?なんでそんな保証ができるんだよ?」
サマディー王と謁見したことのあるエルバ達はそのために、バトルレックスの討伐をしたり王子であるファーリスの手助けをするなどの苦労をした。
しかも、それはエルバ達が素性を隠したうえでのことだ。
追われる身であるエルバ達の話を、正体を知ったうえで聞いてくれる王家の人間がいるとはカミュにはとても思えなかった。
「心配はいらぬ。先王であるテオドールとは個人的な友人じゃったからのぉ。それに、16年の旅の間にも、いろいろと手を貸してくれた。信頼できる」
「私も保証するわ。ユグノアで生き延びた人達をかくまってくれているから…」
「ふうん…。まぁ、ブルーオーブがそこにある以上、行くしかねえのは確かだがな…。んじゃあ、少し疲れたし、休むかな」
(カミュ様…?)
船室へと戻っていくカミュの後姿を見たセーニャは違和感を抱く。
口調そのものは普段と変わりはないものの、どこかいつもの彼とは違う感じがした。
あくまで感じがしただけで、どこがどう違うのかはうまく説明できなかった。
潮風の香りが風と共に運ばれてくる個室で、椅子に座ったジエーゴが客人用のワインをテーブルに置き、2つのグラスを置いて待つ。
今日は珍しい客人が来るということで、セザールには菓子を買いに行くように伝えており、今は不在だ。
コンコンとノックする音が聞こえ、「入れ」とジエーゴが言うとともに扉が開く。
「よぉ、久々だなぁ…グレイグ。いい面構えになったじゃあねえか」
「お久しぶりです…師匠」
「ったく、相変わらず生真面目な野郎だ。まぁ、座れよ。酒ぐれえいいだろ?」
師匠であるジエーゴにお辞儀をしたグレイグは部屋に入り、扉を閉じる。
今のグレイグはデルカダールメイルではなく、青色をベースとした市松模様の服で、これは彼の普段着だ。
ガチガチに硬い動きと言動のグレイグに呆れた笑みを浮かべながら、彼のグラスにワインを注ぐ。
このワインは彼の生まれた日にできた葡萄で作ったもので、久々に来る彼のために特別に用意した。
そのワインを軽く一口のみ、下に伝わる味を確かめる。
「それにしても、キールスティン号の船長とは、出世したもんだなぁ、グレイグ」
「ええ…。しかし、この船の船長にふさわしいのは…」
「やけに謙遜するのはお前の悪い癖だ。もっと自信を持て、自信を。認められたってことだろ?」
「それはそうですが…」
「はあ…分かった分かった。黙って少し飲め」
ここから長くなりそうだということを長い付き合いから直感したジエーゴは無理やりここからの話を切り、酒を薦める。
グレイグとは長い師弟関係になり、彼が将軍となったころからめったにこうして屋敷で会うことがなくなっていた。
幼少期のグレイグのことはよく覚えている。
幼いころにバンデルフォン王国を家族や友人諸共失い、デルカダール王に拾われて育てられた彼を鍛えてほしいと王から直々に頭を下げられて、彼を預かることになった。
故郷を失った影響からか、力を求めている彼の希望にこたえ、徹底的に剣術や馬術を仕込んだ。
しかし、当時の彼は剣術も馬術もからっきしなうえに臆病とあって、本当に彼を強くすることができるだろうかと本気で考え込むことがあった。
ホームシックになり、他の弟子たちと一緒に寝泊まりする宿舎の中で大泣きしたり、暗いところでは眠れないということからランタンを探し、もし寝ている間に明かりが消えたらパニックになることもあった。
ジエーゴからの薫陶のおかげで、今ではそうしたところは治っているようだが、謙虚すぎるところは相変わらずだ。
おそらく、同じく将軍であるホメロスのことを念頭に置いているのだろう。
彼のことは何度も聞いており、ホメロスの知略や賢者と魔法戦士としての技量は耳にしている。
確かに、海戦の能力はホメロスの方が上で、模擬戦でも7:3でホメロスが勝っている。
「で…たかだか挨拶したいがためにわざわざソルティコまで来たんじゃねえだろ?」
ワインを飲み終えたジエーゴはジロリとグレイグの顔を見て、グレイグはわずかに視線を逸らす。
ソルティコの水門の許可は既に下りており、グレイグ本人がここへ来るような理由もないはずだ。
強いてあるとしたら、自分がかくまっているユグドラシルのことがあるかもしれないが、少なくともデルカダールにその情報が漏れたという情報は耳に入っていない。
グレイグは何も言わず、沈黙の時間が過ぎる。
ため息をついたジエーゴは立ち上がり、棚に飾ってある訓練用の剣を手にする。
「師匠…?」
「来い、グレイグ。久々に仕込んでやる」
「なんだぁ?そのへっぴり腰はぁ!!将軍になって、訓練を怠けていたなぁ!?」
「ぐっ…まだまだぁ!!」
屋敷の敷地内にある稽古場でジエーゴの一撃を受けたグレイグが後ずさるも、構え直したグレイグが再び前に出る。
2人の模擬戦の光景はジエーゴの今の弟子たちが見ており、中には彼らの戦い方をメモに取っている弟子もいる。
再び鍔迫り合いをはじめ、グレイグは改めて師匠の壁の高さを感じた。
(やはり…師匠は強い…。老齢であるにもかかわらず、これだけの力…衰えていない!!)
「へっ…感心してるんじゃあ、まだまだだなぁ!伊達に騎士を名乗ってるんじゃねえのさ!!」
怒れる剣神などと巷では彼の異名として呼ばれており、ジエーゴ本人はそうした異名をつけられることが好きではないものの、それでも自分の強さは証明し続けなければならないとは思っている。
そのため、今でも弟子たちの指導の傍らで、自らも修行を続けており、若いころと比べると若干腕力や剣を振るスピードが落ちているものの、それでも若い兵士たちには負けない自信はあり、まだまだグレイグにも勝つ自信がある。
(やはりな…情けねえぜ。こんなへっぴり腰にブレブレな剣…。俺が教えたものじゃねえ…)
だが、今のグレイグには100%勝てると今のジエーゴには断言できる。
弟子たちには見えていないかもしれないが、正面からグレイグの剣を受けているジエーゴには分かる。
力の入れ加減や呼吸の仕方、そして構え方。
いずれも若干のずれや甘さがあり、余裕のなさまで感じられる。
普段のグレイグらしくない。
再び剣を受け、しばらく鍔迫り合いをしながらジエーゴはグレイグの目を見る。
「やはりな…てめえ、何か迷っているな?」
「ぐぅぅ…!!」
「図星か。わかったぜ…てめえがわざわざここへ来た理由が。まずは…いったんノビていろ!!」
グレイグのがら空きの腹部にジエーゴが鋭い蹴りをお見舞いする。
鈍い一撃を受けたグレイグはうっと声を出し、口からは数滴の唾を飛ばして、同時に視界が真っ黒に染まる。
彼の体は大きく吹き飛ばされ、滑るように床にあおむけに倒れ、握っていた剣は手からするりと離れてしまう。
倒れたグレイグは白目をむいており、腹部が真っ赤に腫れていることから、どれだけ重い一撃を受けたのかがよくわかる。
「嘘だろう…?あのグレイグ将軍が負けた…!?」
「おっかねえ、師匠の蹴り、とんでもねえ…!」
「おい、見世物じゃあねんだぞ!!見学は仕舞いだ!!さっさと自主練に戻れ!!」
しゃべり始める弟子たちに一喝し、彼らは大急ぎで稽古場を後にし、外にあるデク人形相手に訓練を始める。
そして、ジエーゴはグレイグを抱えて稽古場を後にした。
「おら、起きな!!」
「うう…!?」
バシャッという冷たい音が響くとともに上半身が裸の状態になっているグレイグが飛び起きる。
そばには井戸があり、目の前にいるジエーゴの手には大きな桶が握られており、彼自身も上半身が裸になっていた。
記憶の中にあるジエーゴと比較すると、若干衰えているところがあるものの、それでもかなり筋肉質な体つきで、相変わらずの力強い肉体に感服する。
外気に触れたことで、水にぬれた体が反応してブルリと身震いしてしまう。
「ったく、相変わらず寒さには慣れねーのか?クレイモランへ行くんだろう?」
「鎧を着ていくのでとくには問題ありませんよ。定期的に火で体も温めますから」
「それをおめーを尊敬している奴が聞いたら、泣くだろうなぁ」
昔は寒い時期に北にあるドゥーランダ山に登り、そこで1カ月修行をすることが習慣となっていた。
その時期が近づくと、修行中の頃のグレイグは仮病を使ってさぼろうとし、先輩騎士に無理やり引っ張られて連れていかれるのが日常茶飯事だった。
その山の中にはドゥルダ郷があり、そこで修行僧と交流しつつ、より専門的な体術を学ぶこともできるため、騎士たちからの評価は高かった。
デルカダールとの関係もよかったが、16年前にデルカダール王が一方的に交流断絶を発表するとともに、デルカダール国民のドゥルダ郷への出入りを制限し始めた。
当然、ソルティコにもその影響が出ており、その年から年に1度のドゥーランダ山登山ができなくなった。
「で…てめえ、何か迷っているな?ホメロスという奴のことじゃねえ。もっと大きな何かに…」
「…やはり、師匠をごまかすことはできますまい…」
「何がごまかす、だ。最初からそのつもりで来たくせによ」
おそらく、グレイグが抱える迷いは悪魔の子、勇者の追討のことだろう。
エルバがロウやマルティナと行動を共にすることとなり、おそらくその過程でグレイグはマルティナと再会している。
そして、マルティナが必死にエルバを守ろうとしていること、そして彼女の指摘でデルカダール王が実は間違っているのではないかという迷いを呼び起こしている。
それについてはユグドラシルを支援しているジエーゴにとっては助かることだが、師匠として見ると今のグレイグは情けなくて見ていられない。
「…最近の王が分からぬのです。悪魔の子が現れてからというもの…。ロトゼタシアの平和を守るためには勇者を滅ぼさなければならない…。しかし、なぜ…」
グレイグの脳裏に燃え盛る村の光景、そして村人の死体の姿がよみがえる。
勇者を育てた村というだけでなぜ彼らにまで矛先を向けなければならないのか?
事情を知らない彼らを、無抵抗で力を持たない彼らを殺すことにどんな正義があるのか?
それがグレイグには分からなかった。
「グレイグ、忠義ってのは何だ?」
「忠義…主君や国家に対し真心を尽くして仕えること…」
「じゃあ、忠義を尽くす相手を決めるのはどこの誰だ?」
「それは、私自身が決めることです」
「で、もしその相手が誤った道を進みそうになったとする。それに従うことは忠義と言えるのか?」
グレイグは座学でジエーゴから学んだ騎士道を思い出す。
彼は特にその『忠義』というものを重視しており、騎士道の座学の中でもそれは最も多くの時間を割いていた。
忠義とは強制するものではなく、自発的に発生するものであり、主君の命令は絶対ではあるが、騎士が主君の奴隷となってはならない。
その言葉が急にグレイグの脳裏を駆け抜ける。
「そうだ。もしてめえの主君が…デルカダール王が間違っているってんなら、てめえが命を懸けて自分の考えを、気持ちを訴えてみろ。それもできねえ、主君の命令にも従えねえなら、騎士の名前なんて捨てちまえ」
「私は…」
「まずは相手に…勇者に正面から向き合ってみろ。そこで自分と王が本当に正しいのか、確かめるんだな」
「師匠…」
正直に言うと、今のグレイグはどちらが正しいのか分からない。
マルティナの言う通り、デルカダール王が間違っているのか、それとも彼女が勇者に騙されているだけなのか。
真実を突き止めるための一番の近道はジエーゴの言う通り、まずはエルバと向き合うことだろう。
「じゃあな。今度はもっとマシな剣術を見せて来いよ」
グレイグの上着をその場に置き、ジエーゴは弟子たちの指導をするためにその場を後にする。
グレイグは立ち上がり、師匠の後姿に頭を下げた。
「ううう、とても寒くなって来たでがす…」
「みんな、防寒はしっかり!もっと寒くなるわよー!!」
船員たちに防寒着を配るシルビアも似たデザインではあるが、より厚手となっているスーツ姿となっている。
クレイモランに近づくにつれて、気温が低下し始めており、雪も降り始めている。
「ようやく到着するわね、クレイモランに…」
「ええ。そして、その先にはラムダの里が、私たちの故郷が…」
クレイモラン王国の東にあるゼーランダ山にはセーニャとベロニカの故郷であるラムダの里がある。
ゼーランダ山は比較的温暖な気候となっており、そこでの農作物とクレイモランにあるコケモモの実や魚、肉の物々交換によって互いの食生活を支えあっている。
2人は幼いころからその物々交換の際にクレイモランに立ち寄っており、セーニャはそこで売られている外の世界の本に、ベロニカは服に心奪われ、両親にねだって買ってもらうことがよくあった。
「それにしても、寒すぎるんじゃない?この時期は寒いにしても、ここまでじゃなかったわよ!!」
赤い防寒着姿のベロニカはどうにか暖をとろうとメラを唱える。
2人がクレイモランの連絡船に乗ってそこを離れた季節と今はちょうど重なっており、その時期も防寒着は必要だったものの、それさえ着れば特に何も問題はなかった。
だが、今はもっと暖を取らなければ凍えてしまいそうなくらい寒い。
「ふむぅ…これほどの寒さ、気になるのぉ…」
外交や個人的な交友関係から、クレイモランに何度も足を運んだことのあるロウも今感じる寒さがとてもただの異常気象とは思えなかった。
海上の流氷も多く、砕氷衝角をつけていなければ戻らなければならなかっただろう。
「良かったわー。砕氷衝角をつけておいて!」
「もうすぐクレイモラン港でがす!上陸準備をー!!ってええ!?!?」
氷を砕きながら進み、ようやく港が見えてきたが、それを見たアリスは絶叫する。
「こりゃあ、どうなってやがる。寒すぎるからって理由じゃあねえだろ…??」
メインマストの展望台から見渡していたカミュも港の異常を見て、開いた口がふさがらなくなる。
雪が積もったままの船の数々と桟橋に氷漬けになっている正面の門。
見るからに普通の状況とは思えない。
「どうなってんだ!?港がここまで氷漬けになるのかよ!?」
「上陸して様子を見ましょう。もしかしたら、ブルーオーブが狙われた可能性があるわ」
ここまでの道中で、ブルーオーブ以外のすべてのオーブを集めた。
オーブを狙った魔物も存在することから、ブルーオーブも狙われたとしてもおかしくない。
港に近づくにつれて流氷も大きくなっていき、次第に砕氷衝角でも砕けないような大きさの氷も見えてくる。
「ここからはトベルーラを使って移動したほうがいいわね。おじいちゃん、エルバ、手伝って」
「分かった。ボートで行くにも難しそうだからな」
人間を抱えたままトベルーラをするのは何度か特訓でやったことがあるが、その時は短い距離での移動を行っただけで、船から港への移動もこんな寒い環境でのトベルーラも初めてだ。
ロウの手も借りて、まずはカミュを連れてトベルーラをする。
一方のシルビアはそのような気遣いは無用だと言わんばかりに氷から氷へと飛び移っていった。