ドラゴンクエストⅪ 復讐を誓った勇者   作:ナタタク

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第43話 呪いの真実

「困ったわね…まさか、ロミアの言っていたキナイが50年前の人だったなんて…」

「人魚は人間の何倍も寿命を持つ生き物じゃ。もしかしたら、あのお嬢さんはそのことを忘れていたのかもしれんのぉ…」

シルビア号で白の入り江へ戻る中、食堂でロウ達はキナイから言われた真実をロミアに伝えるべきか否かを話し合っていた。

「難しいわね…。ロミアちゃん、本気でキナイちゃんのおじいちゃんのことが大好きみたいだし…50年以上もずっと待っていたんだから」

気の遠くなるほどの時を待ち、待ち人がすでに死んでいることを知ったら、大きな絶望を抱くことになるだろう。

きっと、その人の後を追うことまで考えてしまうほどに。

「なら、伝言を伝えるか?村を出るために準備をしてるから、もう少し待っていてくれとか?」

「嘘をつくというの…?」

「穏便に済ませたいなら、だがな…。ったく、他人の恋愛事に首を突っ込むとろくなことがねえな…」

おまけに、その恋愛事はただの男女ではなく、人間の男と人魚の女性という種族を越えたもの。

身分違いの恋以上に、悲劇で終わる可能性が高いものだ。

「ふむ…約束はあくまでも連れてくるのではなく、様子を見に行くじゃったからのぉ。その点では既に依頼は解決しておるが…」

「辛い真実と優しい嘘…どうすればいいのよ…!」

ロミアを傷つけないことを考えると後者だが、結局それは彼女を待ち続けるという時の牢獄に死ぬまで閉じ込めさせるのと同じだ。

それよりも、前者を選ぶことで、傷つくことにはなるが新しい一歩を踏み出すきっかけにさせるのも一つだろう。

だが、どちらを選んでも、どんな結末になるかは誰にもわからない。

「エルバ、お前はどうする?一応、聞いておくぞ」

問題はずっと黙り続けているエルバの答えだ。

黙り込んでいるが、このことを考えているのは確かで、難しい顔をし続けている。

「一応、みんなはどうしたいんだ?参考までに聞いておきたい」

「私は…真実を伝えるべきだと思うわ。これは受け入れるしかないこと…逃げることはできないわ」

幼いころに母親を亡くし、それを受け入れることができなかったことをマルティナは思い出す。

だが、そうすることができたのは母親代わりをしてくれたエレノアの存在が大きかった。

彼女のようなおせっかいを務めることのできる人がいるかどうかは分からない。

「あたしも同意見よ。いつまでも白の入り江に閉じ込めさせるようなことをしたら駄目よ」

「私は…嘘をつくべきだと思います。ロミア様を傷つけたくありませんわ」

「私もセーニャちゃんと同じ意見よ。あの子が悲しむのを見たくないわ」

 

「色恋にかかわるのは、もうごめんだな」

マルティナとベロニカ、シルビアとセーニャで意見が分かれる。

カミュに至っては、もう答えを出すことすら放棄している状態だ。

「これを満場一致で決めるのは難しい…。じゃが、白の入り江まではかなり時間がある。到着まで、しっかり考えて決めればよいじゃろう」

「ロウちゃんの言うとおりね。この話は今はここまでにしましょう?まずはちゃんとご飯を食べないと」

立ち上がったシルビアはパンパンと手を叩き、話し合いはそこで終了する。

もうすぐ船員たちが交代してご飯を食べにくる時間帯だ。

エルバ達はその中に混じってご飯を食べることになる。

食堂から出るエルバ達は無言のままで、普段は何かしら話をするセーニャとベロニカも同じだった。

 

夜になり、薄い赤のパジャマ姿になったベロニカが自室のベッドで横になり、天井を見る。

(正直、こんなの答えが出てこないわ…。あたし、そういう恋をしたことないし)

話し合いの時はマルティナに同調したものの、正直に言うとどちらがいいのかは今も悩みっぱなしだ。

それが魔力にも影響してしまっており、今日魔物に襲われたときは、思うようにメラミやベギラマを命中させることができないことがあった。

ラムダの里では同年代の異性と付き合った経験がなく、いつもセーニャと共に修行に明け暮れていた。

ベロニカにとって、恋は物語の中で出てくるロマンチックなものという印象が強い。

うらやましく、同じような恋をしてみたいという思いがあるものの、恋は時には人に過ちを起こさせるものでもある。

祖父のキナイがロミアと結婚するために、ダナトラや村を捨てようとしたときのように。

悩むせいで、中々眠りにつくことができない。

そんな中、小さなノック音がドアから聞こえてくる。

「セーニャ…?」

「はい、お姉さま…。開けてもよろしいですか?」

「…いいわよ」

ガチャリ、と扉が開き、薄緑のパジャマ姿のセーニャが入ってくる。

ベロニカと一緒にベッドの端に座る。

いつもなら、ここで何か思いつきでベロニカが話し始めるところだが、今日はそのようなことをしようとは思えない。

しばらくの間、沈黙が続き、聞こえるのはかすかな波の音だけだ。

「お姉さま…私…」

「悩んでるんでしょ?あたしも同じ」

答えは出しているけど、本当は悩んでいる。

そんなことは言わなくても分かっていることだ。

「お姉さま、覚えていらっしゃいますでしょうか?一緒に読んだ、人魚と会った王子様のお話を」

「ずっと昔に読んでもらったわよね。けど、何だったかしら…?あの本の続きって…」

白の入り江で話したことを思い出しながら、ベロニカはあの本の続きを回想する。

王子と人魚は互いにひとめぼれしたものの、やはり種族の違いと人魚の掟の存在からすぐに恋人同士になることはなかった。

王子は無人島でひっそりと暮らしはじめ、人魚は時折彼の元へやってきて、彼の抱く寂しさをやわらげた。

だが、やはりそうした思いを封印し続けることはできず、人魚は彼と結婚するために人魚の長を説得した。

しかし、人魚の長は掟を優先し、そのようなことを認めるはずがなかった。

そして、王子は大臣に居場所を知られてしまい、追手に狙われつつあった。

それを知り、彼の元へ向かった人魚だが、その時にはすでに追手は全滅していたが、王子は深手を負っていた。

「それで、確か王子は人魚に連れられて海へ行って、そこで…」

「ええ。種族違いだからというよりも、人間同士の争いのせいで…」

だが、物語はそれで終わるわけではない。

ここから先にも続きが存在する。

「2人とも、そろそろ寝る時間よ。ちゃんと寝ないとお肌に悪いわ」

ノックと共に、部屋の外からシルビアの声が聞こえる。

「では、お姉さま。戻りますね…」

「うん、セーニャ…また明日」

セーニャが部屋を出るのをベロニカは寝転がって見守る。

このまま起きていても、決して答えが出ない。

だったら、明日のためにも休む方がいいと考え、ベロニカは目を閉じた。

 

「おい、エルバ。そろそろ交代だ。さっさと船室に戻れ」

真夜中にメインマストの展望台へ登ってきたカミュは見張りをするエルバに声をかける。

だが、エルバはカミュに目を向けず、手にはキナイから受け取ったヴェールが握られていた。

「お前も、どうやら悩んでいるようだな」

「…ああ」

「ったく、マーメイドハープ…というより、グリーンオーブを手に入れたいだけなのに、こんな回り道するなんてな」

展望台で、エルバの隣に立ったカミュはいつもよりも多い雲を見つめる。

そのせいで月が隠れ、明かりは手元にあるランタンだけが頼りになる。

しばらく2人とも黙ったまま、船の周囲を見ていた。

そんな中で、エルバがようやく口を開く。

「エマのことを…思い出した。彼女を失ったときは…」

「エルバ…」

「彼女に、俺と同じ絶望を味合わせると思うと、どうか…な」

ホメロスからエマのことを聞かされたとき、怒りだけでなく深い悲しみも覚えた。

もしかしたら、真実を突き止めることで、運よく生き延びた彼女と再会することができるのではないかという淡い希望がその時に壊れてしまった。

「俺にはその痛みは分からねえ…。だが、もし目的を果たした後でそれを知ってしまったら…どうなってただろうな?もしかして…知らない方がよかったか?」

「…どうだろうな…」

知ってしまった以上、それを比較するのは難しい。

きっと、その淡い期待を唯一の慰めとして戦い続けたかもしれない。

そして、その真実を知って絶望し、きっとその先の未来を描くことができないだろう。

今のエルバは彼女たちの無念を晴らすために戦い続けている。

目的が少し変化しているだけだが、やっていることには変化がない。

だが、それはやるべきことが同じだっただけだ。

ロミアにとってはキナイと再会し、結婚することが目的となっており、この真実を知ることは目的の喪失とつながってしまう。

「結果なんてわからないよな…。良かれと思ってやったことが、むしろ悪い結果を生んでしまうことだってあるんだからよ」

もしデルカダール王にイシの村のことを教えなかったらどうなっていただろうと思ってしまうことがよくあった。

そうしたら、きっとイシの村は焼き払われずに済み、エマ達を失うこともなかっただろう。

もしくは、拷問されて無理やり吐かされることになったかもしれない。

同じ行動をしたとしても、状況によって異なる結果が生まれてしまうのはよくある話だ。

ホメロスの性格を考えると、きっと拷問されて、そのころのエルバだったら、きっと吐くことになっていただろう。

「結果は分からない…か。なら、お前はどうしているんだ?どうやって選択する?」

「…そうだな、その時に一番いいと思ったものを選択する。だから、ダーハルーネでお前をかばうときは何の迷いもなかった」

「そのせいで死にかけたのに…か?」

「まあな。だけど、お前もしかめっ面になったくせにお人よしだよな。一応、盗賊の俺を助けに来ちまうんだから」

「当たり前だ。これ以上、身近な奴に死んでほしくなかったからな」

「身近…ねぇ」

イシの村を失ったエルバにとって、その身近な人は今、周囲にいる仲間だけになってしまった。

だからこそ、彼らを失うことを内心恐れているのかもしれない。

彼の言動から、カミュはなぜかそのように思ってしまった。

「俺はお前がどっちの選択をしたとしても、それが一番だと思って選んだんなら、何も言わねえ。だが、後悔だけはするなよな。後悔はネガティブにするだけだからよ」

「勝手なことを言う…意見も言わなかった癖に」

「ほっとけ」

エルバは展望台から降りていき、船室へ戻っていく。

カミュはランタンの油を調べた後で、1人で見張りを始めた。

 

「おかえりなさい!!随分とお戻りが遅いから、私とても心配してしまいました!!」

白の入り江の中央に岩場に腰掛けるロミアはエルバとシルビア号がやってくるのを見た瞬間、ほっとした様子を見せる。

他の仲間は全員船の中で、今ロミアの前にいるのはエルバ1人だけだ。

「もしかして、あなた方やキナイの身に何かあったんじゃないかって思って、不安でずっと祈りの歌を歌っていたの!」

「歌が趣味なのか…?」

「ええ。これでも、歌ったり作ったりするのが好きなのよ!それで、キナイは…?キナイはどうでしたか??私を…私を迎えに来てくれますか!?」

じっとエルバを見つめ、答えが出るのを待つ。

考えるように目を閉じたエルバはここまで行く間に考え、出した結論を思い浮かべる。

その答えが何をもたらすかはわからない。

だが、エルバにとってはこれが今考える中で一番ベストな答えだ。

「ロミアさん、聞いてくれ…。あんたの待ち人は…キナイは、もういない」

「いない…?」

「確かに、ナギムナー村にはキナイって男がいた。だが、その人はあんたの知っているキナイとは別人だ。あんたの知っているキナイは…もう死んでいたよ」

「死んでいた…?エルバさん、何を言っているの??」

何か達の悪い冗談なのかと思い、首をかしげるロミアだが、エルバはじっと自分を見つめ、その真面目な表情から、冗談で言っていないことが分かる。

だんだん笑顔が消えていき、顔が青くなる。

「そして…これがあんたへの贈り物だ」

エルバは預かっていたヴェールをロミアに手渡す。

「これはキナイがあんたに渡すために用意していたものだ。彼は死ぬとき、これをずっと握りしめていた…」

「嘘…嘘よ!!だって、必ず迎えに来るって、約束してくれたもの!!」

約束してくれた時のキナイの笑顔、そして握ってくれた手のぬくもりを今も覚えている。

そんな彼が約束を果たすことなく、死んでしまうことなど考えられない。

だが、エルバ達は長い時間をかけてナギムナー村を往復し、キナイを探してきてくれた。

そんな彼らが嘘をついているとは思えない。

「…ごめんなさい、エルバさん。私は…彼の死を自分の目で確かめるまで、とても…信じられない。貴方があったというキナイに会わせてください。私を…ナギムナー村に連れて行って!」

「…あんたにとって、つらい事実と向き合うことになるんだぞ?いいのか…?」

「かまいません!お願い…私を、私を納得させて…」

涙をこらえ、懇願するようにロミアはエルバを見つめる。

今のナギムナー村は彼女が行くにはあまりにも危険な場所だ。

もしも、村人に見つけられたら、どうされるか分からない。

あのキナイも人魚を憎んでいる。

百歩譲って、会うことができるとしても、それが可能なのはしじまヶ浜だけだろう。

「分かった…後ろからついてきてくれ。そこからは追って指示するから、それに従ってくれ。ほかの人に見つかるわけにはいかないからな…」

「分かりました。わがままを言ってごめんなさい」

 

「今、アリスちゃんと確認したわ。ナギムナー村へ戻るまでの水と食料はどうにかなるって。着いたら、そこでかなり買い足さなきゃならなくなるけど…」

「悪い…」

「気にしないで。エルバちゃんが出した答えなんでしょう?」

ウインクしたシルビアだが、すぐにその表情から笑顔が消える。

しじまヶ浜であれば、村人に見つかることなくキナイと会うことができるかもしれない。

問題なのはキナイの反応だ。

キナイに怒りをぶつけられ、ロミアに深い絶望を与えてしまう可能性だってある。

「エルバ…ロミアはキナイが死んだのを確かめた後、ちゃんと立ち直れるのかしら…?彼女にとって、彼との約束がすべてだったみたいだから…」

「彼女を信じるしかない…。彼が死んでいたからって、人生すべてが終わるわけじゃないとこと知っている…とてもつらいことだが…」

「エルバ…」

エマやイシの村を失ったエルバだから、この結論を出すのは簡単なことではなかったことはみんな知っている。

だから、エルバがロミアに真実を話したことについてはだれも反対しなかった。

「まさかとは思うけど、あのキナイの後を追って死んじゃうなんてことはないわよね?そんなことになったら、なんのためにあたしたちは…」

「今は信じるしかない。ロミア殿のことを…」

このような恋愛は多くの場合、悲劇で終わってしまう。

現実でも物語でも、そのような前例は多く存在する。

すべては、ロミア次第だ。

 

深夜のナギムナー村に到着し、静まり返った村を抜けたエルバ達は再びしじまヶ浜に到着する。

村人に気付かれないように、船は外洋で止めて、村へは小舟で入った。

真夜中であるためか、誰も外におらず、起きている村人はわずかだ。

途中、村の祭りで聞いたキナイの家を調べたが、なぜかキナイの姿がなく、母親はすっかり心配していた。

「あんたら…また戻って来たのか」

キナイはあの家の前の崖に腰掛けていて、エルバの姿を見た瞬間、驚くとともにゆっくりと立ち上がる。

キナイの警戒心を解くために、しじまヶ浜へはエルバが1人で来た。

これはロミアにつらい事実を突きつけたことへの、エルバなりの責任の取り方だった。

「なんで、ここに…?」

「さあ…なんでだろうな…?それで、俺をまた探しに来たのか?」

「ああ…またあんたに用があって来た」

「…人魚のことか?」

不快感をあらわにするものの、どこか期待していたかのようにつぶやくキナイはエルバに近づく。

エルバ達が来るとなると、やはり前のように人魚関連のことだと分かっていた。

だが、エルバ達以外からそのことを話せるよりははるかにましだとも思っていた。

好奇心ではなく、純粋に真実を知りたいだけなのだから。

「そうだ…。実は、その人魚を…ロミアをここに連れてきている。あんたに会いたがってな…」

「何だと…?俺に…」

彼女が愛するキナイではなく、なぜその孫である自分に会おうとしているのか。

ヴェールを渡した時、そして初めて会った時に自分がそのキナイではないことを確かに説明し、おそらくエルバ達もそれを伝えているはずだ。

エルバはあまりいい答えは得られないものだと考えていた。

キナイにとっては、ロミアは母と自分の人生をゆがめた元凶だ。

「憎んでいることは分かる。だが…彼女を納得させるためには…」

「…ロミアは、ここにきているのか?しじまヶ浜に…」

「会って…くれるのか?」

完璧にとは言わないが、どこか乗り気な言葉にエルバは表情を変えないものの、若干言葉を詰まらせる。

キナイも、もしかしたら少し前までは会うことなく追い返していたかもしれない。

だが、今のキナイには憎んでいる彼女に会ってでも確かめたいことがあった。

「それで…俺の爺さんのことの決着がつくのならな…」

「分かった。こっちだ」

キナイと共に浜辺へ降りて、墓場の前まで向かう。

そして、海面に向けてメラを唱え、小さな火球が海面に接触すると同時にボンと音を立てて消える。

それを合図に、海の中からロミアが出てきた。

ロミアを見た瞬間、キナイの表情は固まるものの、目を背けることなく、じっと見つめていた。

そこには彼女への憎しみの色はなかった。

あるのは、実在したことへの驚きだけだ。

「あの絵の通りだ…彼女が、ロミア…」

しじまヶ浜の家の中にあったキャンパスを思い出す。

そこに描かれていたのは夜のしじまヶ浜で、あのヴェールをつけたロミアの姿だ。

ヴェールはつけていないものの、まさしくあの絵の通りだ。

おそらく、これは晩年に祖父のキナイが彼女を思って描いたものかもしれない。

一方のロミアはキナイを見つめ、最初は笑顔を見せたものの、やはりというべきか、徐々に暗い表情になっていった。

「あなた…キナイじゃないのね…」

「ああ、そうだ。あんたの知っているキナイは俺の祖父だ。あの人はもう…」

「分かっているわ。エルバさんから聞いてる…」

ロミアの目にはエルバ達の背後にある墓場が映っていた。

人間は死んだ人を葬るため、そしてその魂が命の大樹へと還り、再びロトゼタシアで生まれ変わることを願って墓を作る習慣があることをキナイから聞いたことがある。

もしかしたら、その墓の中には愛するキナイのものがあるかもしれない。

「キナイは…こんな寂しいところで、1人ぼっちで…死んでいった…。人魚の寿命は500年。人間の一生は私たち人魚の多くても5分の1しかない…。そのことをすっかり忘れていたわ…」

ロミアがキナイ以外に人間と触れ合ったのはエルバ達しかいない。

キナイを愛し、結婚して共に生きる。

そのことで頭がいっぱいになり、その大切な、種族が違うことによる悲しい運命のことを忘れてしまった。

「…あれから、こんなに時間が流れていたのね…」

ロミアは両手で顔を隠し、静かに泣き始める。

エルバから聞いた時から覚悟していたとはいえ、やはり愛する人がこの世にいないことは身を引き裂かれる以上につらいことだった。

そのことを知っているエルバには、ロミアにかける言葉が見つからなかった。

しばらく泣き続けたロミアは涙を拭き、エルバに作り笑いを見せる。

「エルバさん、わがままに付き合わせてしまってごめんなさい」

そうつぶやいた後で、ロミアはヴェールを身に着ける。

その姿はまさに、描かれていた通りのものだった。

ロミアは両手を使って砂浜へと向かおうとする。

「やめろ…!」

ロミアが何をしようとしているのかが分かったエルバは手を伸ばし、彼女を止めようとする。

人魚は海なしでは生きることができない。

海から出てしまった人魚は再び海へと戻ったとき、泡となって消えてしまう。

だが、その前にキナイがロミアの前に立ちはだかり、彼女を止める。

「どうして…?キナイは、キナイはあのお墓に…」

「違う、爺さんの墓はここにはない…。今から案内する」

麦わら帽子を外し、上半身を裸にしたキナイは海へ入り、ロミアを先導するように手を動かして合図を出す。

漁の中で、何度か夜中の危険な海へ飛び込んだ経験があるようで、その泳ぎも慣れたところがある。

暗がりの海を泳ぎ、しじまヶ浜から少し離れた海の底の、海藻であふれているところに小さな石造りの墓がポツリと置かれていた。

キナイはその墓に指を差していた。

「これが…キナイの墓。でも、どうして?どうしてこんなところに…??」

他の人達と同じ墓にすら入れてもらえなかったのか?

それも、自分のせいなのか?

ロミアは愛おしげに墓に触れる。

「キナイ…逢いに来たわ。でも、本当は…生きて、ちゃんと会って…結婚したかったわ…」

墓を抱きしめたロミアは静かにそれに唇を重ねる。

その姿は、キナイが母から聞いていた呪いをかける人魚のものではなかった。

 

しじまヶ浜へ戻ってきた2人だが、互いに会話することなく、沈黙していた。

だが、少なくともロミアは海から出ようとすることはなく、その点だけは安心できた。

「…あそこに葬って、墓を作ってほしいって頼んだのは爺さんだ。それで、母さんが結婚した父さんと一緒に葬って、墓を作った…」

「キナイが自分の意志で…でも、なんで…」

答えを言うことなく、キナイは抜いた服の中から手紙を出す。

茶色く変色しているため、一目で古い手紙であることが分かった。

「…これは?」

「家の中で見つけた。爺さんが遺した、ロミア…あんたへの手紙だ」

「私への…キナイ…」

この手紙はエルバ達が再びここに来るまで、何度も読み返した。

その手紙のおかげで、少しだけキナイは祖父のことを理解することができた。

そして、母親のことも。

キナイは手紙を広げ、ゆっくりと読み始める。

 

愛する人へ

君に助けられたあの嵐の日から、君を迎えに行くことだけを支えに生きてきた。

けれど、すまない。

俺はもう、君との約束を果たすことができない。

俺が村を追われて10年近く経った頃だ。

ひどい嵐が起こって、多くの漁師が死んだ。

ダナトラの夫と村長もだ。

その数日後、しじまヶ浜の崖の上に赤ん坊を抱いた女がいた。

かつての許嫁だった人、ダナトラだ。

ちょうど、幽閉されていた小屋の戸のあたりから見える崖で、人間がそこから海へ身を投げたら簡単に死んでしまう。

彼女は生きる希望を失っていた。

大きな悲しみを抱えていた彼女を止めようと俺は必死に声をかけたが、彼女には届かなかった。

彼女は俺の目の前で海へ飛び込んだんだ。

俺は彼女を救おうとしたが、結局助けられたのは赤ん坊だけ。

彼女を…ダナトラを見つけることができなかった。

なぜ彼女がここを選んだのかは今も分からない。

自分を捨てた俺へ生き地獄を与えてやろうと思ったのか、気まぐれか、それとももっと別の何かなのか…?

その日から何カ月か経ったが、いまだにその答えが出ていない。

助けた赤ん坊は元気に育っていて、俺にすっかり懐いている。

彼女を…赤ん坊の母親を殺したのは俺も同然だというのに。

彼女には俺が必要だ。

俺だけが幸せになるなんてことはできない。

そのために、人魚の呪いの物語を作り、俺のような身勝手な行動が多くの人を不幸にしてしまうことがないように、戒めにする。

君の仲間を貶めるような言葉をどうか許してほしい。

俺にはもう、君を迎えに行く資格はない、愚かな男だ。

だが、これだけは信じてほしい。

俺は君を愛している。

君を愛したことを後悔していない。

だから、ここで…いつまでも、君の幸せを願っている。

 

「キナイ…」

「きっと、爺さんは分かっていたんだ。自分が死んだことを知ったら、あんたが何をするか…。だから、海の中に墓を作ってほしいなんて頼んだんだ。あんたに、生きて幸せになってほしいから…」

「そんなの…私が、私だけが幸せになったって、意味なんて…」

今まで我慢してきたロミアだが、耐え切れずに声を上げて泣き始める。

ロミアにとっての幸せは海の中でおくるはずだったキナイとの結婚生活だけだ。

それが失われた以上、ロミアには幸せなんてない。

願うことなら、今すぐにでもキナイの後を追いたいとも願った。

だが、そんなことをしたら彼の思いを裏切ることになる。

「死にたい…」

「駄目だ!!」

先ほどよりも大きな声で叫び、2人の視線がエルバに向けられる。

そして、足首がつかるくらい海へ入ったエルバはじっとロミアを見つめる。

「…歌を、作ればいい」

「歌を…?」

「あんたとキナイとの思い出だ。確かに、あんたの愛する人はいない。だが、その人を愛したという事実は残っている。そうだろう?その事実を…人魚と人間が愛し合ったという事実を歌にして、海で伝えていけばいい。それがあんたの生きる理由になる。理由があれば、それを目的にして、生きることができるだろう…?」

「…」

エルバの言葉に返事をすることなく、ロミアはただひたすら泣き続けた。

鳴き声も涙も、海が飲み込んでいき、村へ届くことはなかった。

 

「…ありがとう、エルバさん…そして、キナイ…」

泣き終えて、少しはかなさを感じさせる笑みを見せるロミアは2人に礼を言う。

頭にはあのヴェールがつけられたままだ。

「私はこれから旅に出るわ。私とキナイのことを歌にして、海のみんなに伝えていく。もう、あの人に会うことはできない。けれど…確かにあの人を愛したことを伝えることができるのは私だけだから…」

目を閉じたロミアは静かに歌を歌い始める。

すると、彼女の目の前に水色のサンゴで作られたハープが現れ、ゆっくりとエルバの手へと浮遊していく。

「これはマーメイドハープ、約束のものよ。これを内海の中心で弾いてくれたら、人魚たちがあなたを導いてくれるわ。不思議な形の岩場が目印よ」

「ああ…ありがとう」

手にしたマーメイドハープは若干ごつごつした見た目に反して、ぴったりと手に吸い付いていて、なぜか脳裏にそれの弾き方が浮かんでくる。

「きっと、人魚たちも歓迎してくれるわ。じゃあ、行かないと…もう会うことはないかもしれないけれど、あなたたちの幸運を願っているわ」

もう月は沈んでおり、もうすぐ日が昇る。

これ以上ここにいてはならないと考え、ロミアはエルバ達に背を向けて海へ入ろうとする。

だが、その彼女の手を再び海へ入ったキナイがつかむ。

「キナイ…?」

「なぁ…もし、でいい…。もしその歌ができたら、俺に聞かせてほしい…。爺さんとのことを、いろいろ聞きたい…」

確かに、人魚の呪いの物語は母と自分を苦しめるものだった。

だが、それは子孫や村人たちの幸せを願った祈りでもあった。

祖父のことを知ったキナイの中には、もう人魚への憎しみも、祖父への戸惑いもない。

あるのは純粋な、祖父が本来どういう男だったのかを知りたいという思いだ。

「分かったわ。時間がかかるかもしれないけれど、聞かせてあげるわ…」

笑みを浮かべるロミアはじっとキナイの自分の腕をつかむ手を見る。

キナイは慌てて手を離すと、ロミアのその手を優しく包み込むように両手で触れる。

「暖かい手…キナイそっくり…」

「爺さんとは血がつながっていない…。だけど、爺さんと同じように、村一番の漁師になるために鍛えてきた…」

「そう…。この手、どうか大切にして…じゃあね…」

ゆっくりと手を離したロミアはしじまヶ浜から離れていく。

そして、日の出とともに海の中へと消えていった。

日の出とともに消えていった彼女を見つめていたキナイは彼女に包まれた手を見つめる。

目を閉じると同時に、その手をぎゅっと握りしめた。

 


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