赤茶色の瓦屋根の家屋が立ち並び、家や船着き場への入り口には守り神とされている獅子の像が置かれている。
入り江には漁師たちが使う漁船がいくつも置かれており、次の漁に出るときを待つ。
ホムスビ山地南端に位置するナギムナー村は陸の孤島と言える場所で、数百年前のホムスビ山噴火の影響で北のホムラの里との陸での連絡が行えなくなっている。
主要の航路からも離れた位置にあるその村への外界からの船の停泊はめったになく、ここでは自給自足の暮らしが成立している。
シルビア号を停泊させ、船から降りてきたエルバ達の中で、シルビアはその村の光景に目を光らせていた。
「ここがナギムナー村ねぇ!!ロミアちゃんに聞いた話によると、ここでは世界一の真珠が取れることで有名だそうよ!」
「「素敵!!」」
「青い海!白い砂浜!きらめく真珠と屈強な海の男たち!まるで地上の楽園ねん!」
シルビア、セーニャ、ベロニカはすっかり目的を忘れたかのようにナギムナー村の魅力に取りつかれつつあった。
「ふむ…しかし、なんだか人が少ない気がするのぉ…」
「ああ、船はあるのに、どうしてだ…?」
周囲を見渡すと、ここにいるのは子供や女性、お年寄りだけで、漁を行うはずの若い男性の姿が見えない。
漁船が残っていて、耕作地もわずかなこの場所で男たちは何をしているのだろう。
「何か訳アリの匂いがするぜ…。厄介ごとはごめんだからな、さっさとキナイって男を連れてここを出ようぜ」
「じゃあ、私は酒場で情報を集めるわ。セーニャちゃんとベロニカちゃんは村長さんのところへ」
「じゃあ、私とロウ様はお年寄りの方たちから話を聞いてくるわ」
「分かった。俺はカミュと教会へ行ってみる。情報が集め終わったらシルビア号で合流するぞ」
教会は北の、山際に作られているためか若干小高いので、南にある村の入り口からも肉眼で見ることができる。
それぞれ情報を聞き出す先を決めたエルバ達は散らばり、エルバとカミュは教会へ歩いていく。
「こんな村まで来るとは思わねえが…用心しねえとな」
「ああ、そうだな…」
海峡を出てから二十日近く経っており、もうキールスティン号に乗ったグレイグが外海に出てきてもおかしくない。
そこからどのような航路を選ぶのか、そして無人島までも探りを入れてくるかはわからない。
船の速度ではシルビア号が勝っているが、ベイロードではキールスティン号が上回っていて、長期戦になれば補給中に見つけられてしまう可能性が高い。
「捕まる前に、なんとしてもオーブを集めて命の大樹へ行かねえと…うん?」
教会の前には子供たちが集まっており、教会そばの倉庫から出てきたオレンジ色の服を着た赤髪の老婆が横長の長方形の枠がついた四輪車を押して出てくる。
子供たちの視線はその老婆に向けられていた。
「なぁ、何か始まるのか?」
「あ、お兄ちゃんたち外の人!?もうすぐ紙芝居が始まるんだ!よかったら見に行かない!?」
「いや、俺らはそれよりも…」
「いいからいいから!!」
子供たちに服や腕をつかまれ、エルバ達は無理やり椅子代わりに置かれている丸太に座らされる。
老婆は集まった子供たちを見渡した後で、この場には不釣り合いな大人であるエルバとカミュを見る。
「ほぉ、外の世界のお客さんまで…。珍しいことがある物だねぇ…。せっかくだから、みんなで聞いていっておくれ。この村にまつわる忌まわしい呪いの話を…」
(呪い…?)
ロミアの話では、ナギムナー村の呪いについての話題は一切なく、今村にいない男たちに関係しているようにエルバには思えた。
老婆は四輪車の荷物入れに入っている紙芝居を枠の中に入れる。
「これは…この世で最も美しく、最も恐ろしい生き物の話じゃ…」
これは、昔のナギムナー村で起こった物語。
ある男がその村に入れ、彼は村一番の漁師だった。
そのため、村長からの信頼が厚く、自らの一人娘と婚約させた。
彼女もその漁師のことを愛しており、漁師もほかに愛する女性がいなかったこともあり、話はトントン拍子で進んでいた。
これで村は安泰だと誰もが思っていた矢先、事件が起こった。
真珠を積んで村へ戻ろうとしていた漁師に突然悪魔のような大嵐が襲い掛かり、彼は海へ投げ出されてしまった。
海の底へ沈んでいった漁師が死を覚悟したその時、美しい人魚が彼の前に現れた。
彼女は彼の耳元でこうささやいた。
生きたいなら、魂おくれ…と。
それから数カ月の時が流れ、村人たちはその漁師がすでに死んだものと考え、葬式が行われていた。
その時、漁師は自分の船に乗ってナギムナー村へ帰ってきた。
人々は驚いたものの、彼の生還を大いに喜び、許嫁もその喜びをかみしめながら漁師の看病をした。
だが、漁師は一日中ぼーっとし続け、口数もめっきり減っていた。
最初は遭難したショックだろうと思い、時間が解決してくれるだろうと村人たちは安易に考えていた。
しかし、傷がいえ、体力が戻った後も漁に出ることなく、ただひたすら静かに海を眺めるだけの彼に村人たちは違和感を覚えた。
彼は時折、こんなことをつぶやくようになっていた。
俺はもう1度あの場所に戻って、人魚と結婚するんだ、と。
そして、2カ月経過するとついに人魚の元へ行くと言い出し、勝手に船を出そうとし始めた。
暴れ出す漁師を見た許嫁は涙を流し、村長は怒りに震えた。
彼への制裁として彼が使っていた船を焼き、二度と海へ出られないようにしたうえで、村の反対側にあるしじまヶ浜に幽閉した。
「ふぅ…今日はこれまで旅人さん。今度続きも読んであげるから、また来ておくれ」
あまりの内容の紙芝居に子供たちでなく、エルバとカミュも開いた口が塞がらない。
子供たちはすっかりプルプル震えだしていた。
「に、人魚こえーーー!!逃げろーーーー!!」
子供たちは逃げ出し、老婆は満足げに紙芝居をしまい始める。
「なぁ、ばあさん。ちょっといいか?」
「うん…?」
「俺らはキナイって漁師を探してる。ここの漁師なんだろう?」
「おやまぁ、珍しいことだよ。あんた方はあの子のお友達かい?」
そのようなことは一言も言っていないが、そう思い込んだ老婆は嬉しそうにうなずく。
ナギムナー村の漁師は時折、漁の中でよその国や町の漁師や貿易商と会うことがある。
彼らと交流することによって、ナギムナー村の人々は外の世界の情報を集めている。
その交流の中で、友人を作ることもあるという。
おそらく、エルバとカミュはその関係でできた友人だと思ったのだろう。
「あの子は今頃、西の海ですじゃ。この村を襲った化け物イカを退治するために、村の男衆たちと一緒に出ておりますじゃ」
「どうりで、漁船が残っているのに男がいねえわけだ…」
「キナイに用があるなら、あの化け物イカ退治の手伝いをしてくだされ。倒してくれたなら、お礼もしましょう」
「結局面倒事か…仕方ねえ、みんなと相談しに合流するか」
「ああ…」
「ありがとう。じゃが…気を付けることじゃぞ。海で最も恐れるべきなのは人々を惑わす人魚ですからのぉ…」
無表情でその警告をした後で、再び柔らかな笑顔を見せた老婆が車を押してその場を後にする。
広場にはエルバとカミュだけが残され、カミュは腕を組んで考える。
「あのばあさんの息子がキナイ?もしそのキナイとロミアが結婚するなんて知ったら卒倒するだろうな…。だが、災難だな。まさか魔物退治に行くことになるなんてな」
そうなるとロミアの待ち合わせ場所へ向かうこともままならないことは分かる。
村のピンチというときに1人のうのうと城の入り江へ向かおうとは思わないだろう。
それに、ロミアがイメージする海の男であれば、おそらく戦力になる。
「はぁ…エルバ。水とメシを確保して帰ろうぜ。まぁ…この状態じゃあ食料は確保できるか疑問だけどな」
再び寄り道しなければならないのは面倒だが、キナイを無傷でロミアのもとへ向かわせるには力を貸したほうがいい。
食料は大丈夫かは心配だが、少なくとも飲み水を確保するため、カミュは町にある店へ向かう。
(あの人魚の話…本当なのか?ロミアのような人魚が本当にそんなことを…?)
人魚が人間から魂を抜き取り、自分の虜にするという話は聞いたことがない。
ただ単にナギムナー村にのみ伝わっている迷信の一つなのだろうか。
もう少し老婆からその話を聞いてみたいと思ったが、もう老婆は帰ってしまっており、どこにも姿が見えなかった。
「化け物イカ…その話はアタシも聞いたわ。そいつのせいで漁ができないんだって」
シルビア号へ戻り、エルバから話を聞いたベロニカも尊重から同じような話を聞いていた。
ついでに彼からその化け物イカの姿を絵にかいてもらっており、その絵をロウが見ている。
「ロウ様、このモンスターは…」
「うむ、話を聞く限りはクラーゴンじゃな」
「やっぱり…外海へ出たから、もしかしたら遭遇するかもって思ったけど…」
クラーゴンの恐ろしさはダーハルーネの海で一度襲撃を受けているエルバ達がよく知っている。
あれから力をつけてはいるものの、それでもクラーゴンに本当に勝てるかどうかはわからない。
実際、商船の艦隊が一斉砲火を浴びせることでようやく後退させることのできた魔物だ。
「そのことだけど、クラーゴンには弱点があるみたいなの」
「弱点…?」
「ええ。強い火よ。でもメラミやベギラマレベルではダメ。それよりも強い火に弱いのよ」
酒場で引退した漁師やけがで戦いに参加できなかった漁師たちから聞いた話では、クラーゴンは数年に一度ナギムナー村が漁をするポイント近くに出没し、そのたびに漁師たちが戦って撃退、もしくは対峙しているようだ。
その際にクラーゴンの弱点である強い火をぶつけるためにあえてすでに寿命が来ている船を複数燃やし、それをその魔物にぶつけているとのことだ。
漁師にとっては命綱であり、海でともに生き抜いてきた相棒といえる船をこのような形で使わなければならないほどクラーゴンは彼らにとっても脅威だ。
「そ・こ・で、ベロニカちゃんとロウちゃんに手伝ってほしいことがあるの」
「なんじゃ、わしはメラやギラは使えんぞ?」
ベロニカはわかるが、なぜここで自分の名前を出されるのかロウにはわからない。
シルビアが軽く手をたたくと、船室から船員が出てきて、彼らは若干赤がかった色の砲弾を持ってきた。
「酒場で知り合った大砲おばあちゃんって人からもらったの」
ナギムナー村では名物と言われているその大砲ばあさんは毎朝決まった時間に大砲を発射するくせがあり、そのせいかいつの間にそれが目覚まし代わりになっているという。
大砲そのものはかつてデルカダールなどの海軍で使用され、老朽化から払い下げられたものを修理して使っているという。
「これでクラーゴンの弱点である強い火を起こせるけど、まだ未完成。そこで、2人の力を貸してほしいのよ。これにベロニカちゃんのメラミを詰めて、ロウちゃんの秘術でそれを強化する。できるかしら?」
「うーむ、秘術はあくまで儂が発動する呪文を強化するものじゃ。面倒なことになるかもしれんが、理論上は可能かもしれんのう」
「メラミを詰める…。そんなことができるの?それ」
そんな砲弾にロウは魔弾銃という古代の武器を頭に浮かべる。
魔力を蓄積する力を持つ聖石でできた弾頭を使うことで、その魔力を遠距離に向けて発射できる武器で、呪文を使えない人物でも仲間に魔法使いや僧侶がいれば、その呪文を使えるということで利点のある武器だったらしい。
しかし、その技術は聖石を作る技術も含めて失われている。
そんな弾頭を1発しか詰めることができず、砲弾という形とはいえ再現に成功した大砲ばあさんには驚くものがある。
問題はロウが秘術で詰めているメラミの魔力を強化することができるかだ。
「おじいちゃん。もしかしたら、アタシの魔導書が使えるかもしれないわ!」
「ふうむ…とにかく、中でどうやるべきか話し合おうかのぉ」
ベロニカとロウは強化手段を考えるために、船室に入っていく。
ベロニカは魔導書を使うことで自分の発動する攻撃魔力を強化することができるが、それでもロウの秘術ほどのものではない。
何か応用できる手段があるかもしれないが、それについては2人に任せるほかない。
「じゃあ、船員のみんなが水と食べ物を運び終えたら出発ね。それまでゆっくり休んで」
「そうさせていただきますわ、ふああ…」
「休んでいいとはいえ、のんびりしすぎだろう…」
かわいらしくあくびをし、眠るために船室へ入っていくセーニャにカミュが突っ込んだ。
「…よし」
訓練場で、エルバはできたばかりの2本のドラゴンキラーで使い勝手を確かめる。
ソルティコで購入した、クレイモラン産のミスリル鉱石とロウとマルティナが旅の中で手に入れたというドラゴンの角とレッドアイを使って作った剣で、手入れなどで何度も鍛冶セットを使ってきたおかげか、ある程度性能の良いものができたようで、エルバにとってはちょうどいい重みだ。
人形を切って確かめたが、切れ味も良好で、これならドラゴンのような硬いうろこにも対抗することができるだろう。
「剣ができたのね、エルバ」
「マルティナ…」
訓練場に入ってきたマルティナは別の人形を使い、蹴りの練習を始めた。
剣の使い勝手が分かったエルバはその2本を鞘に納め、練習用の剣を手にして特訓を再開する。
「エルバ、聞いたかしら?あの村での人魚の話」
「ああ…。子供たちがそれを紙芝居で聞いていて、すっかりおびえていた」
「そう。人魚のことはロミアとしかあったことがないからよく知らないけれど、その伝説って本当なのかしら?」
「さあな。人魚にもいろいろある、ということじゃないのか?人間と同じだろう」
人間に善悪が存在し、そのどちらか区別することができないような人間がいるように、人魚も一面だけでは判断できないものがあるかもしれない。
ロミア1人だけでその伝説が間違いだと判断するのも、その伝説が真実だと判断しきってしまうのも早計だろう。
「とにかく、ロミアとの約束を守らなければ、俺たちは海底王国へ行くことができない。そうだろう?」
「そうね…。とにかく、今はキナイを連れていくことだけ考えないと。変なことを聞いてごめんなさい」
それから2人は黙々と自分の技術を磨くため、特訓を続ける。
その中でも、どうしても脳裏にキナイとロミアについて頭に浮かんでしまい、蹴りに精細さが欠いていた。
(ロウ様のおっしゃっている通り、どうも私は思いに振り回されてしまうところがあるかもしれないわね…)
思いは人を強くするが、時には暴走させてしまうこともある。
武闘家は技を使うとき、無心であることが一番だとされているが、なかなかそれを実践するのが難しい。
実際、そんなことのできる武闘家は少ないという。
(そういえば、ロミアとキナイはどうやって出会ったのか、聞いていなかったわ。まさか…あの紙芝居みたいな…気のせいであればいいけれど…)
いったん2人のことを頭から追い出すため、マルティナは深呼吸をし、目を閉じて瞑想をする。
そして、構えを直した後で人形に真空蹴りを放った。