ドラゴンクエストⅪ 復讐を誓った勇者   作:ナタタク

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第29話 ハンフリーとマルティナ

「く…この野郎!?」

「ベロロー、ルーキーなのに強いベローン!」

退魔の太刀のリーチに助けられているとはいえ、自らの鉄の爪による力のある直線的な攻撃をさばいているうえにベロリンマンをベギラマで牽制するエルバの闘いにガレムソンは舌を巻く。

ベロリンマンもガレムソンも呪文に関する能力が全くない分、呪文も剣もある程度使えるエルバはやりづらい相手だ。

「ベロローン、だったらこうはどうベローン!」

軽く2回ほどジャンプをした後で、ベロリンマンはエルバの周囲を猛スピードで走り始める。

「こいつは…」

「ベロベローン、スピードスターの実力、見せてやるベローン!」

走り回るベロリンマンの姿が2人、3人と増えているようにみえ、エルバは目の錯覚かと疑う。

ベロリンマンを目で追いかけている間に正面から突っ込んできたガレムソンが両爪でエルバに切りかかり、彼を抑える。

「今だ、やれ!!」

「ベロベローン!!」

なぜか3人になったベロリンマンが一斉にエルバの側面と背後にとびかかる。

一気に四方向からの攻撃で、前方のガレムソンの力任せな攻撃を凌ぐのに精いっぱいなエルバには回避する手立てがない。

「まずい…!」

「弱い相手を最初に倒すというのはセオリー通りだ、認めてやる。だが、それでチャンピオンを無視するのは、いただけないな!」

跳躍したハンフリーが左側面から攻撃しようとするベロリンマンに向けて飛び蹴りをお見舞いする。

背中に直撃を受けたベロリンマンは前のめりに倒れ、残った2人が煙のように消えてしまう。

「げぇ!?チャンピオンの野郎、ベロリンマンの本体、どうしてわかったんだよ!?」

「分身か…。面白い技だ。どうやってそれを作っているのか、気になってしまうな」

分身は理論上は高速で移動しながらほんの一瞬だけ止まるという動作を繰り返すことで作ることができるらしい。

だが、そのためには時速240キロレベルで走らなければならないうえに走りながら0.03秒制止する必要がある。

モンスターの中でも走るスピードが最速のキラーパンサーと追いかけっこできるくらいでなければ、少なくともそんな芸当をするのは不可能。

おまけに、ベロリンマンの場合はその分身が本体と一緒に動くこともできる。

ハンフリーもどうしてそういった芸当ができるのか、様々な流派の格闘術を調べているが、いまだに正体をつかむことができていない。

だが、先ほどの動きを見ていると、分身のベロリンマンの作る影は本物のそれと比較すると若干薄かった。

そのため、影の濃い1体が本物だと予測して一撃を与えた。

(今だ…!)

ベロリンマンの援護を失ったガレムソンの頭にエルバは腹にけりを入れる。

だが、相手は仮面武闘会でベスト4を取ったことのある男で、その腹筋は頑丈だ。

エルバの蹴り程度では大したダメージにならないようだが、それでも距離を取ることには成功する。

そして、ガレムソンに向けてギラを数発放つ。

「へっ、その程度の炎なんざ!!」

飛んでくる炎のうち、直撃コースのものを鉄の爪を盾替わりにして受け止める。

だが、エルバにとってはこれで十分だった。

側面から接近してきたハンフリーがショルダーアタックを放ち、ガレムソンの巨体を突き飛ばす。

「ぐああ、くそぉ!!」

倒れたガレムソンは立ち上がろうとするが、その前にエルバの退魔の太刀の剣先が顔に向けられていた。

実戦であったら、これでとどめを刺されることになる。

ベロリンマンは先ほどのハンフリーの一撃ですっかり気を失ってしまったようで、もう援護を受けることができない。

「ま、参った…」

「ここで、ガレムゾンが白旗を上げた!!勝者はエルディ選手とハンフリー選手だーー!!」

「おおおーーー!!」

「ハンフリー!ハンフリー!!」

勝者が決まった瞬間、会場が沸き上がり、ハンフリーコールが響く。

ハンフリーがそれにこたえるように手を振る中、エルバは静かに刀を収めた。

 

「はは、やるじゃないか。エルディ。まさかガレムソン相手にここまで戦えるとは思わなかったよ」

控え室に戻り、ハンフリーは上機嫌になりながら水を飲む。

エルバは返事をすることなく、次の試合と今闘っているカミュのことを考えていた。

彼は今、ミスターハンと共にマルティナ・ロウペアと戦っている。

フェアーな勝負ができるようにという都合上、選手たちは観戦できない決まりになっている。

「君の仲間のことを考えているな。すべては勝利の女神が決めることさ」

「勝利の女神…か」

エルバは胸に手を置き、お守りの存在を確かめた。

 

「おいおい、あの女格闘家、中々強いぞ!」

「セクシーなうえに強い…俺、こういう女性と仲良くしてぇ…」

ステージでカミュは体をかがめる、ジャンプをするなどして首や足を狙ったマルティナの蹴りを凌ぐ。

足が襲ってくるたびにビリビリと風を感じ、それだけで彼女の蹴りの破壊力を感じてしまう。

動きを封じるために吹き矢でしびれ薬を撃ちこもうとしたが、その前に蹴りで吹き矢そのものを破壊されてしまった。

(くそ…!脚が見えねえ!なんて蹴りなんだよ!?)

スラリとした長い脚を、カミュは避けることはできたものの、脚自体が見えたわけではない。

先ほど彼女の蹴りと共に迫る風から予測しているだけだ。

実際、序盤は何発か彼女の蹴りを受けており、服の下にはいくつか赤くなっている個所がある。

マルティナは大きくバックジャンプをしてロウのそばに立ち、長刀を構える。

カミュとミスターハンは互いを見て、首を縦に振ると同時にマルティナに肉薄する。

ミスターハンのシルバークローとカミュの2本の毒蛾のナイフがマルティナに迫る。

しかし、斬りつけられるとマヒになる可能性がある毒蛾のナイフで長刀でさばき、シルバークローを蹴りで対応する。

大の男が2人がかりで攻撃されたにもかかわらず、すべてノーダメージで対応するマルティナに観客たちは驚きを見せる。

おまけに、攻撃をさばくマルティナは笑みを浮かべる余裕を見せている中、カミュとミスターハンは顔をしかめ、息を切らせている。

一方のロウは少し距離を置いてマルティナの動きを見ているだけで、まったく攻撃をしようとしない。

「だったら、こいつで!!」

カミュは左手に握っている毒蛾のナイフを左上上空に向けて投げる。

マルティナは一瞬、彼の利き手に握られていたその武器に気を取られてしまう。

その間に、ミスターハンは彼女の背後に立っていた。

「目の良さが命取りだぜ!」

「それは…どうかしら!?」

背後からシルバークローで切りかかるミスターハンのことが最初から分かっていたかのように、体を横にそらせて回避し、カウンターとして彼の背中に足を叩き込む。

「ぐおおお!?」

背中に鋭い一撃を受けたミスターハンはあおむけに転倒し、毒蛾のナイフはステージの左端に落ちる。

乾坤一擲の一撃すらかわされてしまい、焦るカミュは動かないロウに目を向ける。

彼はニコリと余裕の笑みを浮かべており、気持ちの余裕をなくしたカミュとミスターハンの精神を逆なでする。

「あのジジイ…!!ハッ…!」

だが、今は彼を気にしている場合ではないことに気付いたカミュは再びマルティナがいた方向に目を向ける。

しかし、そこにいるはずの彼女の姿が見えず、カミュは自分のうかつさを痛感しつつ周りを見渡す。

どこを探してもマルティナの姿が見えないばかりか、相棒であるはずのミスターハンの姿もない。

「ねえ」

「その声…!?」

背後からの声に振り返るカミュだが、その瞬間人間くらいの大きさの何かが飛んできて、カミュに直撃する。

「がぁ…!?」

大きな質量の一撃を受けたカミュは場外に飛ばされ、ステージ周辺の広場に落ちてしまう。

ステージ上には目を回したミスターハンとマルティナ、そしてロウの姿があった。

マルティナは気絶したミスターハンを蹴り飛ばして、それでカミュにとどめの一撃を与えた。

あまりに重い一撃を受けたカミュはどうにか両腕を使って起き上がろうとするが、足に力が入らず、顔をステージ上から見下ろすマルティナを見ることしかできなかった。

「隙だらけだったわよ、坊や」

「くそ…が…」

もはや立ち上がるだけの力が残っていないカミュは気を失い、あおむけに気絶してしまった。

「勝負あり!勝者、マルティナ・ロウペア!!マルティナ選手、息が上がっていません。大きな余裕を見せる戦慄のデビュー戦でした!!」

 

「う、うう…」

ゆっくりと目を開けたカミュは心配そうに自分を見つめるセーニャの姿が最初に見えた。

上下から感じる繊維の覚えのある感触から、宿屋のベッドの中にいることが容易に分かった。

上半身は裸になっており、それを包帯で覆われている。

「カミュ様、大丈夫ですか。ずっと意識を失っていて、心配していました」

「悪い…こてんぱんに負けちまった…」

結局マルティナの一撃すら与えることができずに負けてしまった。

相手が悪かったかもしれないが、1回も勝利できずに予選落ちで、バツが悪い。

速くその話題から離れたいと思い、カミュは真っ先にエルバのことを頭に浮かべた。

「そ、そうだ。エルバはどうだ!?」

「エルバ様は決勝トーナメントに進出が決まりましたわ。ただ…」

「ただ、どうしたんだよ?」

エルバが勝ち進んだにもかかわらず、少し困った顔を見せるセーニャにカミュは首をかしげる。

「どうしたんだよ。言ってみろよ、セーニャ」

「はい…。実は」

セーニャはカミュに耳打ちし、気になっていたことを口にする。

話を聞いたカミュはため息をつき、左手を顔に当てた。

「おいおい、マジかよ…」

自分が予選敗退のため、結果的によかったかもしれないが、彼が何をしでかすか分からない。

しかし、もう決勝トーナメントに出ることが決まっている以上はもう成り行きに任せるしかなかった。

 

「ハハハ、ここまで余裕に勝ち進めることができるなんてな。エルディ、君と組めてよかったよ。これで今年も優勝できそうだ」

予選が終わり、闘技場の出入り口でハンフリーが嬉しそうにエルバに話しかける。

確かに勝ち進んでいるが、エルバはハンフリーの力量に驚きを感じていた。

ベロリンマンの分身を見破る洞察力だけでなく、走るスピードや格闘術も自分が知っている中で最速であるカミュ以上に思える。

もし彼と1対1で戦うことになったら、おそらくこちらが負けるように思えて仕方がない。

「俺はこれから孤児院に戻らないとな。じゃあ、明日の決勝トーナメントも頑張ろうな」

「ああ…」

「ハハッ、表彰式の時までにはその不愛想も直しておけよ」

ハンフリーは笑いながら闘技場を後にし、その後で観客席から戻ってきたベロニカとその場で合流する。

「エルバ、決勝トーナメントに進出できてよかったわ」

「ベロニカ、セーニャは一緒じゃないのか?」

「セーニャはノビちゃったアイツの面倒を見てるわ。まったく、見損なったわよ。もしかして、セクシーな体に見とれたとか?」

「…奴に限ってそういうことはないだろう」

カミュが負けたのはあくまでマルティナの武闘家としての技量によるもので、決してそれが理由ではないとエルバは信じたかった。

もしそうだとしたら、本当にベロニカに見限られているかもしれない。

だが、ベロニカがここまで怒っているのは最近セーニャがカミュと一緒にいることが多いからとも考えられる。

ダーハルーネを出た後のシルビア号でも、ここでも、カミュはセーニャの看病を受けているからだ。

カミュに妹を取られたという思いもあるかもしれない。

そうして話をしていると、話題にあったマルティナとその相方のロウが闘技場を出るためにエルバ達のいる出入り口に歩いてくる。

2人はエルバの後ろを通って後にしようとするが、エルバの後ろに一歩離れたところでマルティナが足を止める。

「ハンフリーには気をつけなさい」

「何…?」

彼がどうしたというのか、彼女に尋ねようと振り返るが、既にマルティナとロウの姿はなかった。

「ハンフリーに気をつけなさいって、一体どういうこと?」

マルティナの言葉はベロニカの耳にも届いており、彼の何を気を付けろと言っているのか、彼女にはわからなかった。

ガレムソンとの騒動を穏便に沈めてくれた彼が悪い人間には見えない。

しばらく考えるベロニカだが、一つだけこの町で仮面武闘会以外で噂になっていることを思い出す。

「そうだわ…行方不明事件!大会に出場している闘士が何人か行方不明になる事件が起こってるって噂があるわ」

「行方不明だと…?」

「ついてきて」

ベロニカはエルバと共に闘技場から出て東側の階段を下り、その踊り場にある町長の家のドアのすぐそばにある掲示板に指をさす。

そこには捜索願と行方不明者の似顔絵が張り付けられていた。

「彼らが行方不明者…?」

「そう、去年のね。何人かは見つかったけど、まだ見つかっていないのは8人くらい。おまけに見つかった人たちはなぜか行方不明になっている間のことを覚えていないのよ」

「覚えていない…妙だな」

イシの村で、テオから聞いたとある伝説をエルバは思い出す。

ロトゼタシアのとある村で、1人の若者が行方不明となり、村人総出で探したが、1週間たっても見つけることができなかった。

しかし、1カ月たって、突然その若者がふらりと村に帰ってきた。

その時の彼はやせ細っていて、行方不明になった理由をいくら問い詰めてもその間の記憶がないことから分からなかったという。

やせ細っていたかどうかはともかく、記憶にないという点についてはその伝説と似たものが感じられた。

「闘士が行方不明…となると、俺やカミュみたいな参加者全員がそうなる可能性があるということか…」

「ええ。ハンフリーさんもよ。様子を見に行ったらどうかしら?」

「そうだな。その事件で武闘会をつぶすわけにはいかないな…」

仮にもっと大勢の闘士が行方不明になったら、大会中止となる可能性が出てくる。

そうなると、せっかくの虹色の枝を手に入れるチャンスが水の泡になってしまう。

「ベロニカ、念のためこのことはカミュにも伝えてくれ」

「分かったわ、エルバも気を付けて」

ベロニカの言葉に頷くと、エルバはそのまま階段を降りて行った。

 

「ああ、教会かい?教会ならあそこだよ」

「感謝する」

案内してもらったエルバは地下街の一番奥にある教会にたどり着く。

グロッタの街では家のレンガとドームで使われているレンガがほぼ同じであるため、家や屋根の形から特徴をつかむしかない。

ここの教会もほかの家屋と同じレンガを使っていて、仮に壁にぶら下げられている十字架がなかったら、見逃していたかもしれない。

大きさはイシの村の教会よりも少し大きいくらいだ。

エルバは正面にある木製の扉の前に立つと、ドアノッカーでドアを叩く。

しかし、ノックしてしばらく待っても誰も出てこず、声も聞こえない。

「まさか…!」

嫌な予感がしたエルバはドアを開く。

鍵はかかっていないようで、エルバは中に入り、床に敷かれている長い間使われて若干薄くなっている赤いじゅうたんの上を歩き、その先にある主祭壇まで歩いていこうとする。

しかし、扉と主祭壇のほぼ中央あたりでいきなりドアが閉まる音が聞こえた。

「なに…?」

「捕まえろーー!!」

どこからか幼い子供の声が聞こえ、エルバは周囲を見渡す。

周囲を見渡していると、急に規則正しく2列に並んだ長椅子の影から少年少女が2人現れ、エルバの足を抑える。

「な…!?」

続けて、主祭壇の後ろから飛び出してきた少年がエルバにそのまま体当たりを仕掛ける。

腹部に大きな衝撃を感じ、後ろに倒れるエルバだが、防衛本能が働いたのか、両手で受け身を取る。

だが、そんな彼の視界に見えたのは分厚い聖書で、それが顔面に当たった瞬間、エルバの意識が飛んだ。

「やった!!ハンフリーの兄ちゃんを守ったぞ!」

「あたし達のハンフリー兄ちゃんをさらおうとするなんて!!」

「おい、いったいどうしたんだ?」

ガチャリと主祭壇の右側にあるドアが開き、そこからハンフリーが姿を見せる。

「あ、ハンフリー兄ちゃん!闘士行方不明事件の犯人を捕まえたんだ!」

「犯人…?」

首を傾げたハンフリーは子供たちをどかし、気絶したエルバを見る。

「おいおい、彼は犯人じゃないぞ。今年の仮面武闘会の相棒さ」

「え、ええーーーー!?」

「これは…完全にのびてしまっているな…」

彼が一体何のためにここへ来たのかはわからないものの、このまま放っておくわけにもいかない。

彼のことを先に話しておけばよかったと後悔しながら、ハンフリーはエルバを肩に背負った。

 

「う、うう…く…」

ゆっくりと目を開けたエルバは視覚に捉えている白い天井、そして宿とは違い少々硬めの白いベッドの感触に気付く。

手加減なしに思いっきり叩かれてしまったせいか、顔はいまだに痛みが残っていた。

「よぉ、ようやく起きてくれたか」

「ハンフリー…さん…」

「お、初めてだな。俺のことを名前で呼んでくれたのは。悪かったな、子供たちが早とちりしてしまってな」

隣のベッドに腰掛け、ハンフリーは後頭部をかきながら困った顔でエルバに詫びる。

「いや…俺も悪かった。闘士行方不明事件で、ここもナーバスになっているみたいだな」

「そうだな…」

「知っている限りでいい。その事件について教えてくれないか?」

「ああ…。2年前からな。最初に行方不明になったのはその大会のチャンピオンのサイモンという鎧騎士だ。結局、半年後に見つかったけどな。捕まっている間の記憶がないことから真相は分からず、チャンピオンが行方不明になったにもかかわらず、ほとんど注目されなかったな」

「そうか…」

確かにこの事件はうわさにはなっているものの、あくまで都市伝説レベルでしかなく、運営側もあまり注目していないようだ。

武闘会の説明を聞いた中でも、その事件について聞くことはなかった。

もっとも、その話をして不安をあおりたくなかったのかもしれないが。

「まぁ、心配してきてくれたのはうれしい。可能な限り、身の回りに気を付けることにするさ」

「あ、ハンフリー兄ちゃん…」

カチャリとわずかにドアが開き、その隙間から覗き込むように4歳くらいの少女が立っていた。

「どうして、シェリル」

「あのお兄ちゃん、起きた?」

「ああ。ほら、入って来い。みんなもいるんだろう?」

「うん…」

ドアが開き、何人かの少年少女が部屋に入ってくる。

先ほどの少女がこの教会では最年少のようで、中には15歳くらいの少年少女が1人ずついた。

年長の2人は襲ってきた面々の中にはいなかった。

「まったく、俺たちが買い出ししている間にこんなことがあったなんてな」

「ちゃんとエルディさんに謝りなさいよ」

「はい…エルディ兄ちゃん、ごめんなさい…」

彼らは一斉にエルバに頭を下げた。

闘士行方不明事件の犯人に勘違いした挙句、聖書で殴って気絶までさせてしまった。

「いや…気にするな。こんなのは傷には入らない」

「だとさ。彼は気にしていない。ほら、いつまでも立ってないで、晩ご飯の用意だ」

「う、うん!」

子供たちは部屋を出て、近くにある厨房で晩御飯を作り始める。

しばらくして、トウモロコシの匂いが部屋にも伝わってきた。

「彼らと一緒に暮らしているのか」

「ああ。俺も、元々ここで暮らしてた。みんな孤児なのさ」

「みんな…」

デルカダールのスラム街でも見たが、都会ではそういう子供もいるようで、イシの村との違いを改めて感じられた。

捨てられたのか、何らかの理由で死んでしまったのか。

だが、子供たちの楽しそうな声が聞こえきて、あまりかわいそうに思い過ぎるのもよくないだろうと思えた。

「俺は元々グロッタの出身じゃなくて、旅商人をしていた夫婦の子供だったって、俺を育ててくれた神父様が教えてくれた。魔物に襲われて殺されて、生きていた俺を拾ってくれた」

「そうか…ひどい経験をしたな」

「まあな。神父様が病気で死んでしまって…今はこうして俺がその神父様の代わりだ。俺に自慢できるものは腕っぷしくらいで、こうしてファイトマネーでどうにか生活しているんだ」

「ファイトマネー…か」

グロッタの街の闘士の収入は仮面武闘会以外にも行われる各地の大会での賞金で、他にもスポンサーとなってくれた資産家からの支援もある。

ハンフリーは最大の大会である仮面武闘会のチャンピオンであるため、並みの闘士以上の収入を得られるはずだ。

しかし、彼自身は炎の爪以外に高価なものを持っていないようで、おまけに生活も人並みレベルだ。

おそらく、得られた賞金の大部分をここの運営に使っているのだろう。

「俺はあいつらの親代わりだ。だからせめて、あいつらにとって強い父親でありたいのさ。そして、あいつらに楽をさせてやりたい。だから、闘士として戦い続ける。これが…腕っぷし以外にとりえのない俺にできる些細な事さ」

「ハンフリー…」

ハンフリーの細い眼からは静かに燃える闘志が感じられた。

それは小さいものだが、油断して触れると大やけどするほどのものに思えた。

「おっと、悪いな。らしくない話をして。じゃあ、そろそろ俺も料理の手伝いを…!?」

急に南の方角がらガシャンと大きな物音が聞こえ、2人は立ち上がる。

「この物音…近いぞ」

「俺の部屋からだ!まさか、泥棒か!?」

「お前は子供を見に行け。俺が行く」

「あ、ああ…頼む。俺の部屋は南へまっすぐ行った突き当りだ」

2人は部屋を出ると、ハンフリーは子供たちのいる厨房へ、エルバは南の部屋へ向かう。

突き当りにあるドアに到着したエルバは、剥ぎ取り用のナイフを手にする。

狭い部屋や通路では剣は扱いづらいため、こうした場合は短いナイフの方が有利になる。

泥棒が武装しているかはわからないが、ないよりはましだ。

エルバは壁に背中を押し付け、ゆっくりとドアを開く。

ドアが開いても何も物音がせず、エルバは構えた状態で中に入る。

「これは…」

部屋の中は散乱しており、南側の窓の一つが大きく割れていた。

倒れた棚や割れた瓶とその中に入っていたと思われるこぼれた液体。

おそらく泥棒は何かの拍子に棚を倒してしまい、急いで窓を割ってそこから脱出したのだろう。

エルバは窓から外の景色を見る。

教会から一番近い前方の建物でも、少し距離があり、飛び降りたとしてもよほどの訓練をしていなければ、運が良くて足の骨折、悪くて転落死だ。

だが、その下の広場や建物の屋上に人影は見えない。

追跡は難しいとあきらめたエルバはこぼれた液体を見る。

「この液体…水か?」

倒れた棚を見ると、その中の多くが瓶入れとなっており、まだ無事な瓶もある。

割れた瓶の内、粉々になっていて集計が難しいものを除いても、瓶の個数はおよそ15個。

これだけの数の瓶があったら、小さな薬屋ができるくらいで、一般家庭でそれだけの数を持つのはまずありえない。

(なぜ、これだけの瓶がここに…?)

「エルディ、大丈夫か!?」

ハンフリーが入ってきて、床を見るエルバに声をかける。

急いできたのか、ハアハアと息を切らしていた。

「ああ、だが泥棒はもう逃げていた。追跡はできそうにない。子供たちは?」

「大丈夫だ。小さい子は泣いていたよ。くそ…!俺の大事な教会に押し入るとは、なんて奴だ!大会が終わったら、見つけ出して成敗してやる!」

壁に拳をたたきつけ、ハンフリーは泥棒への怒りをあらわにする中、エルバは改めて部屋の中を見る。

本棚、倒れた棚、大きめのベッドに机。

ごく普通な部屋で、見た限りでは高価なものは見当たらない。

「ハンフリー、ここの金は普段どうやって隠している?」

「金は地下倉庫だ。俺の部屋にはおいていないぞ。それより…」

ハンフリーは棚を自分の手で元の位置に戻すと、床に落ちている瓶を拾い集める。

そして、ヒビが入っているものについては机の上のビーカーに戻し、無事なものは瓶入れにかけておいた。

「それは何だ…?」

「ああ、ただのドリンクさ。特に特別なものは入ってないが、大事な試合の時に使ってる。飲むと調子がいいのさ」

「ゲン担ぎか…」

「そういうことだ。さて…あいつらにもう大丈夫だって伝えに行かないとな。エルディはそろそろ戻った方がいいんじゃないか?仲間が心配しているだろう?」

「そうさせてもらうが、その前に部屋の掃除は手伝うぞ」

「いや、いい。この程度は俺一人でもできる。それよりもお前は明日の試合に備えてくれ、いいな?」

「ああ…」

エルバは部屋を後にし、あいさつのために子供たちがいる厨房へ向かう。

ハンフリーはドアを閉め、倒れた椅子を戻して腰掛ける。

「う、うう…」

急に痛みを感じ始めたハンフリーは胸を抑え、瓶を一本手に取り、その中の者を一気に飲み込んだ。

空っぽになった瓶を机に置き、ゆっくりと深呼吸をする。

だんだん痛みが治まっていき、気分もよくなっていくように思えた。

「あと少し…もう少しなんだ。持ってくれ、俺の体…。あいつらのためにも…」

ハンフリーはドア側の壁に欠けられている十字架を見る。

そして、ゆっくりと作り笑いをして見せた。

これは死んだ神父からの教えで、笑顔になることで悲しみや苦しみをいやすことができるという。

きっと、それは両親を失い、傷ついていたハンフリーに幸せになってほしくて教えてくれたものかもしれない。

最初はそれだけでいやすことができるなら苦労しないと思い、聞き流していた。

だが、神父が亡くなり、自分が教会を切り盛りする中でしきりにその言葉を思い出す。

(…そうだ。あいつらのためにも、そのためにも今は…)


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