「しっかし、エルバもだんまりになったくせに妙にお人よしだよなー。こんなアホな依頼を受けるなんてよ」
宿屋で合流し、4人で城へ向かう中、雑踏によって聞こえている人がいないことをいいことにカミュが愚痴をこぼす。
やろうと思えば、段取りに時間がかかるとはいえ、レッドオーブを盗んだ時のように城へ忍び込んで盗むこともできた。
デルカダールよりも小規模な城であるため、カミュにとって侵入は簡単だ。
「国宝だからな、それに大事にしたくない」
「だ、ろうな…。ま、その国宝を持ち歩いている俺があれやこれやいう資格はねーけどな」
「あの、カミュ様。なぜそのレッドオーブがほしかったのですか?」
2人の会話を聞いていたセーニャが小さく右手を上げ、カミュに質問する。
レッドオーブについてはホムラの里を出発した日の夜のキャンプで話していたが、その理由については一向に応えなかった。
そのことがセーニャにとって大きな疑問の1つとなっていた。
「ま、何か使い道があるだろうって思っただけだ。別に大した理由じゃねえよ」
「でしたら、お返しするか、路銀に変えたほうが…」
「そろそろ城につく。その話は終わりだ」
サミットの理事国の1つであるサマディーにも、おそらくレッドオーブが盗まれたという話は届いていて、仮にうっかりその話が聞かれてしまったら、脱獄囚としてデルカダールまで連行されてしまう可能性がある。
レッドオーブに関する話題を半ば強引に打ち切り、表門から城に入ろうとした。
「待て、エルディ殿でよろしいか?」
「そうだが…?」
門番に引き留められ、名前を聞かれたエルバはうなずいて答える。
自分の偽名を知っているということは、おそらくはファーリスから話を聞いていると予想できる。
もしかして、そのことがばれたのかと思いつつ、門番の話に耳を傾ける。
「実は…ファーリス王子から伝言を預かっております。自室に来てほしい、とのことです」
「部屋に…?」
「はい。どういうわけか、強敵と出会ったスライムのようにプルプルと震えておりました。何があったのでしょう…?王子の部屋は陛下の間への階段の右側です」
「ああ、感謝する」
門番に礼を言うと、エルバ達は城の中へ入っていった。
「なんだか…すっごく嫌な予感がするんだけど」
「ベロニカ、てめーもか。実は俺も」
2人の会話がセーニャの耳に入るが、どういう意味か分からず、首をかしげながら頬に右手人差し指を当てていた。
ノックをし、入ってきたエルバ達がドアを閉めた瞬間、目の前でファーリスが土下座をした。
一国の皇太子であるファーリスの恥も外見も気にせぬその姿には何かすがすがしいものがあった。
「頼む!一生のお願いだ!!魔物を倒すのに力を貸してくれ!!!」
土下座と共に飛び出した一生のお願いを聞いたカミュとベロニカは頭を抱え、ため息をつく。
あとは彼の口添えで虹色の枝をもらう、もしくは借り受けたらさっさとサマディーを離れようと思っていた矢先に、今最も頼みごとを聞きたくない相手から頼みを聞くことになった自分たちの境遇を不運と思うしかなかった。
「…話が見えないが。虹色の枝はどうした?」
「じ…実は、そのことについて話そうとしたんだけど…」
ファーリスは額を絨毯につけたまま、城に戻った後のことを話し始める。
「ファーリスよ、見事な走りだった。さすがは私の息子だ」
ファーリス杯で見事な力走を見せ、こうして戻ってきたファーリスの姿に満足したファルス3世は笑みをこぼしそうになるのを我慢しながら静かに彼をほめたたえる。
「ありがとうございます、これからも騎士の国の王子として、立派に精進してまいる所存です」
内心、すりかわりがうまくいったことを喜ぶファーリスはシルビアをどのようにして黙らせるかを考えながら父親に返事をする。
「そうか、そうか…」
「ところで、父上。一つお願いがござ…」
「陛下、一大事にございます!!」
勢いよく階段を上る足音と共に男の叫びが響き渡る。
上がってきた兵士の鎧と体はボロボロになっており、額から流れる血で左目がふさがっている。
「何があったのじゃ…?誰か、この者に水を持て!」
砂と血で汚れた鎧と体を洗う暇もないままやってきた彼を見て、とんでもない事態が起こったことは周囲の人々全員が共通して理解できることだった。
メイドが水が入った器を持ってくると、兵士はよほどのどが渇いていたのか、グイグイ口の中に注ぎ込む。
そして、腕で口を拭い、痛みに耐えながら姿勢を正す。
「さあ、何があったか教えてくれ…」
「はい…蠍の化け物です!バクラバ砂丘で、またあの蠍が現れました!巡回中に襲われ、戦死者はいませんが…負傷者が多数!!」
「ええい、あの砂漠の殺し屋か!毎年この時期になると決まって現れるな!」
せっかくのファーリス杯に水を差すようなその魔物の出現にファルス3世は立ち上がり、腹を立てる。
砂漠の殺し屋、デスコピオンは4本の鋏と2本の鎌のような腕を持つ、黄色い巨大な蠍型の魔物で、冬眠する時期が長いものの、この時期に活性化し、暴れまわることが多い。
5年前には2匹が出現し、騎士たちの奮闘によって1匹は討ち取ることに成功したものの、歴戦の騎士を何人も失う結果となった。
黄色い体によるステルス性と鋼鉄製の鎧を切り裂くことのできる鋏と鎌は脅威であり、1匹につき一個中隊を投入することでどうにか追い払うことができるというのが今の計算だ。
「自国の平和を守るのは騎士の務め!もう2度と襲うことがないよう息の根を止めねば!!うん…?」
騎士の人選をどうすべきか考えたファルス3世はファーリスに目を向け、何か思いついたような表情を見せる。
オグイなどの熟練の兵士の一部はバトルレックス討伐の際に傷ついており、療養中だ。
彼らの多くがデスコピオンと交戦した経験があり、その恐ろしさを身をもって思い知っている。
そんな彼らの力を今は借りられない以上、今いる兵士の中でベストの人選をする必要がある。
なお、デスコピオンを倒した騎士は国の英雄として、サマディーの歴史の教科書に名前が残るうえ、国民や騎士から多くの尊敬を得ることができる。
歴代兵士長の多くがデスコピオンを討ち取った経験のある騎士だ。
「そうだ!我が息子、ファーリスに魔物を捕らえさせよう!騎士として成長したお前なら、きっと今回の任務も果たせるだろう!」
ファルス3世のまさかの発言にびっくりし、ファーリスは脳裏にデスコピオンと戦う自分をイメージしてしまう。
剣を鎌で折られ、崖まで追い詰められた挙句、胴体を鋏で真っ二つにされる光景しか浮かばず、ブルブル震えだす。
父親であるファルス3世の前であるため、何とか抑えているが、仮に彼の前でなかったら、恐怖のあまり失禁してしまっただろう。
「れ…歴戦の騎士を亡き者にしてきたデスコピオンを私がですか…!?わわわ、私にはかないませんよ!!」
そんな魔物と戦ったら最後、死ぬのが目の見えているファーリスは別の騎士に言ってもらおうと辞退を申し出る。
しかし、ブルブル震えるファーリスをみたファルス3世は異様な震えにもかかわらず、よりうれしそうな表情を浮かべる。
「わははは!実力者ほど謙遜するものだ。それに、戦いを前にしての武者震いも止まらぬと見た。頼もしい限りじゃ!」
周囲の兵士もファーリスに期待をかけており、止めてくれる者はだれもいない。
自分のことをある程度知っているエルバ達が早くこの場に来て、止めてくれることを願ったが、もうそんな猶予はない。
今、この場で答えを出さなければ今までのウソがばれ、恥をさらしてしまうかもしれない。
そんなファーリスに崖から突き落とすかのようにファルス3世が叫ぶ。
「行けい、ファーリスよ!砂漠の殺し屋、デスコピオンを倒し、捕らえてまいれ!!」
「…という、わけなんだ」
ファーリスの話を聞いてカミュとベロニカはもはや何も言うことができず、ため息をつく。
「お前…騎士の国の王子だろ?少しは自分の力で何とかしろよ」
ファーリス杯での影武者依頼と今の土下座、そして事情の説明によって、もはやカミュはファーリスを王族として配慮することができなくなった。
あきれ果て、敬語なんて彼には使うのすらもったいない。
「うう…それが、駄目なんだ。今まで訓練のクの字もやったことがなくて、実戦は全部部下に任せていたんだ…」
「でしても、兵法を学んで、指揮を取ることも…」
「兵法もよくわからないんだよ!なんだよ、戦況の変化に臨機応変で対応するとか、敵と自分を知れとか!?まぁ…勝算があれば戦い、ない時は可能な限り避けるは分かるけど…」
これらの兵法はかつてバンデルフォン王国を建国した英雄王、ネルセンが著した兵法書の中にある。
激しい戦いを勝ち残り、王となった彼自身の戦争観や戦略などが書かれており、デルカダール王も政治のヒントにもなりえるとして愛読しているとのことだ。
騎士の国であるサマディーでも騎士の一般教養として学ぶ機会があるものの、16歳のファーリスには分かりにくかったのかもしれない。
よくわからなかった、という言葉から、挑戦しようとする気概があることは理解できるが。
「なぜ…そこまで人任せにする?」
エルバはひざを折り、ファーリスに問いかける。
誰かに任せることは悪いことではないが、その代わりに自分もまかせられた時にはこたえなければならない。
ペルラからそのことを教わったエルバには、ファーリスが人に任せてばかりの理由が理解できなかった。
「…一人息子の僕は幼いころから過保護に育てられて、父上と母上からはどんな小さなことでも褒められたんだ…」
砂漠の過酷な環境から、乳児死亡率が他国よりも高い傾向にあるサマディーでは生まれた子供を大切に育てる傾向が強い。
特に、兄弟のいないファーリスは将来、サマディーの国王として国を導く存在であると同時に、仮に何らかの形で死んでしまった場合は王家断絶となる危うい状態でもある。
そんな彼を大切に育てようという思いは間違っていないが、ファルス3世とその妻の場合は少々度を越していた。
「だから、両親や民衆の期待を裏切らないように、できないこともさもできたかのようにやり過ごしてきた。そうしているうちに、僕の評価は実力に見合わないほどに大きくなってしまって、後に引けなくなったんだ」
だが、そのようにふるまうためには周囲の協力が必要だ。
そのため、自分の直属の部下である騎士たちにだけ秘密を明かし、自分が自由に使えるお金で追加で給料を出すことで黙らせたうえで協力してもらっていた。
ファーリス杯の時はその騎士たちは全員外の守りに出なければならなかったため、エルバに影武者になってもらうことになった。
だが、その騎士の中でデスコピオンと戦った経験のある騎士はいない。
自分たちだけでは、捕らえる以前に倒すこともできない。
顔を上げたファーリスは懇願するようにエルバを見る。
「今回ばかりはとてもごまかせない!!デスコピオンを捕らえるなんて、僕には無理だ!!だから…頼む!協力してくれ!!必ず礼はするから!!」
「ふざけたことを言ってんじゃねえ。身から出た錆だろ?自分のケツは自分で拭け」
これ以上は付き合いきれないと感じたカミュは冷徹にファーリスの頼みを一蹴する。
その根性は一回痛い目を見ないと直らないから、これがそのいい機会ではないかと思い始めていた。
仮にそれで部下の中に死人が出たとしても、それはファーリスのこれまでの行いの結果でしかない。
その言葉を聞き、更に顔を青くしたファーリスは泣き出しそうな表情になり、床に思いきり額を叩きつ聞けそうになるほどの勢いで土下座をする。
「そんなことを言わずに、頼むよ!!この国のためだと思って!!デスコピオンを倒さないと、国民のみんなにも被害が及んでしまうかもしれないから!!」
「うう、それ言われるとなぁ…」
デスコピオンを倒せなかった場合に、その代償を国民や旅人の血と命で支払うことになるのはだれもが理解できた。
これ以上、彼からの頼みを受ける義理はないものの、放っても置けない。
「…追加報酬はもらうぞ」
「ちょ、エルバ!!」
まるでファーリスの頼みを引き受けたと捕らえかねない言葉を口にしたエルバにベロニカはびっくりし、うっかり本当の名前を口にしてしまう。
「放っては置けないだろう?それに、彼が死んだら、虹色の枝を借りるチャンスを永久に失う」
「そ、それは…」
「腐っても王子だ。路銀を手に入れるチャンスだと思えばいい」
「あ、あああ…ありがとう!!」
引き受けてくれたことへのうれしさから、先ほどまでのすがすがしい土下座が嘘だったかのように立ち上がり、エルバの両手を握って大きく上下に動かす。
満面の笑みを浮かべるファーリスに若干苛立ちを覚えたエルバはわずかに彼から目線をそらした。
「ちっ…勝手に引き受けやがって。でもよ、追加報酬は約束しろよ。じゃねえと、てめーをそのデスコピオンってモンスターの巣の中にぶち込むぞ」
「あ、あの、カミュ様…それはあまり…」
気に入らない相手だということは分かるものの、王子である彼にそんな脅しはやりすぎだと思い、セーニャは諫めようとするが、ファーリスの言葉が遮った。
「分かっているよ!この国の救世主を見返り無しで働かせるものか!ちゃんとその分のお礼はするし、虹色の枝についても任せてくれ!じゃあ…先に城門前に行ってるよ。部下に荷物と装備品の準備をさせてあるから!ああ、それからエルディさんはファーリス杯で使ったあの鎧で来てくれ。デスコピオン討伐のために一時的に兵士として雇用されたってことで!それじゃあ!」
スキップ気味に走り出したファーリスは勢いよくドアを開け、そのまま走って出て行ってしまった。
「本当に情けない王子さまね。この国の将来が心配だわ…」
閉め忘れたドアからファーリスの小さくなる後姿を見たベロニカはそんな彼を将来指導者とすることになるサマディーを哀れに思えて仕方なかった。
このような哀れな指導者が国を滅ぼした例は歴史上いくつも存在し、これでサマディーも次の代で終焉を迎えるように感じられた。
「お姉さま、あまり悪く言うのはいけませんわ。きっと、王子として重圧があの方を苦しめているのでしょう…」
「重圧…か…」
エルバはファーリスに握られた両手をじっと見る。
自分には勇者の真実を突き止め、イシの村と人々を皆殺しにしたデルカダール王に復讐するという目的がある。
そのことを人生の目的のようにしているものの、それをセーニャが言うような重圧に感じることはなかった。
(いや、俺がそう感じていないだけなのか…?)
「なぜです!?なぜ魔物を捕らえると言ってしまったんですか!?戦うのは私たちでしょう!?今回ばかりはいくらなんでも無理ですよ!!」
城門前で馬と戦闘用馬車の用意をしていた、一般兵のサークレット姿で金色の短髪をした若い兵士、ジョエルが不安げにファーリスに問い詰める。
彼は8年前からファーリスに仕えていて、小物から要領のよさから兵士となり、ファーリスのためにいろいろと便宜を図っていた。
余談だが、エルバ達のためにシルビアのサーカスのチケットを調達したのは彼で、ファーリスが依頼相手となる誰かと隠密に接触できるように前もって予約していた。
ファーリスから出発の準備の指示を受けたときはデスコピオンのデの字も聞いておらず、今になってその名前を出されたため、余計不安が強まる。
ジョエルだけでなく、参加するほかの4人も兵士も同様で、いつも付き合わされるファーリスの無茶ぶりをはるかに上回るその任務に恐れを抱く。
「待て待て、無理に戦えとは言わない」
「それは…どういう意味です?」
今回の任務で一番おびえるはずのファーリスが冷静であることから、何か裏があるのではとジョエルは勘ぐる。
それを肯定するかのように、サークレット姿のエルバを先頭に4人の助っ人がそれぞれが使う馬を引いて出てくる。
「紹介しよう。彼らが今回特別に同行してもらうエルディさんご一行だ。彼らにデスコピオンを捕まえてもらう」
「は、はぁ…」
エルバについては、ファーリス杯のこともあって、馬術についてはかなりのものだということは理解できる。
しかし、馬術と戦闘はわけが違う。
それに、優男2人と幼子を含めた少女2人で砂漠の殺し屋、デスコピオンとどれだけ戦えるのかも疑問だ。
「あんまり信用していねーみたいだな。なら…」
前に出たカミュはいきなり投げナイフを抜き、投擲する。
投げられたナイフは2人の兵士の顔の間を通って飛んでいき、その先にいるキメラの頭に突き刺さった。
その一撃で即死したのか、そのキメラは砂の上に墜落した。
「おお…」
「これで、信用してくれるよな?あと、こいつらはそれぞれ回復呪文、攻撃呪文のスペシャリストだぞ」
「そ、それなら…」
カミュのような技量を持つ男がいる一行であるため、もしかしたらかなりの戦力かもしれないとジョエル達は安心し始める。
ファーリスも先ほどのナイフ投げにはびっくりしたものの、自信たっぷりに戦車に乗る。
「よし、これからバクラバ砂丘へ向かうぞ!そこからさらに北へ進み、デスコピオンのいる魔蟲の住処ヘ向かう。さあ行くぞ!」
「「おおーーー!!」」
これなら、自分たちでも勝てるかもしれないと思ったジョエル達も拳を上げる。
兵士たちはそれぞれの馬に乗り、ジョエルはファーリスの乗る戦車の手綱を取る。
「んじゃあ、俺たちも…」
「ねえ、その蠍ちゃん退治、アタシも交ぜて~」
「…?ちょっと、待ってくれ!」
あまりにも聞き覚えのある声に驚いたファーリスは馬車を止めさせ、エルバ達もその声が聞こえた城門側の咆哮に目を向ける。
しかし、そこにはだれもいない。
「あ、あれ?今確か、シルビアさんの…?」
「おいおいマジかよ、あんなところにいやがるぞ!」
一番早く気づいたカミュは城門の右側にあるアヌビスを模した巨大な像の頭部の上を指さす。
そこにはシルビアの姿があり、エルバ達を見て笑みを浮かべた彼はそのまま命綱もなしに頭から飛び降りる。
空中の体をひねらせ、回転させながら体勢を整え、エルバ達の目の前に着地した。
そして、あいさつ代わりと言わんばかりに彼らに向けてウインクをする。
「あ…あんたは…!」
「はぁーい、王子様。アタシも気になってるから、ついていってあげるわー!」
「サソリちゃんって、楽しいものじゃないぜ。だいたい、アンタは旅芸人だろ?サーカスはいいのかよ?」
楽しそうに加わろうとするシルビアにカミュは冷静に突っ込みを入れる。
どうやってその情報を手に入れたのかはわからないものの、彼の言う蠍ちゃんはデスコピオンで、手練れの騎士を数多く葬ってきた魔物だ。
馬術がすごいことはファーリス杯で分かっているものの、戦いとは全く別問題だ。
それ以上に、旅芸人とはいえ、今の彼はサマディーのサーカス団に所属している。
サーカスという旅芸人にとっては大切な仕事をほったらかして大丈夫なのかと内心心配になる。
「ふふ~ん、今はサーカスよりもあの王子様が気になっちゃうの。ね、アタシもついていってい~い?頼りになるわよー!」
「まぁ、サーカスで見せたような体術とファーリス杯で見せた馬術は認めるけどよ、それと戦いとは話が違うぞ?」
「だったら、試してみる~?アタシと1対1で」
語るよりも実力を見せたほうが信頼してもらえると考え、シルビアは腰に下げているレイピアのような細身の剣を抜こうとするが、その前にカミュの腰と胸の鞘に一本ずつさしてある短剣に目が留まる。
剣から手を放し、代わりに腰にさしているナイフを抜き、逆手で握って構える。
「剣…抜かねーで大丈夫かよ。そっちが本領だろ?」
「剣と鞭、短剣。どれも使いこなせるわ。別に心配することはなくてよ、青い髪のボーヤ?」
「カミュだ。それに、坊やって言われるほどの年齢じゃねえよ」
ムスッとしたカミュは2本の短剣を抜き、両手で構えつつ、シルビアを見る。
口調はおちゃらけている印象が強いものの、彼の短剣の構えは良い意味で教科書通りともいうべきで、心臓のある左胸を後方に下げ、更にいざというときはその刀身と腕で防御できるように右腕を曲げている。
カミュの場合は左利きであることもあり、あえて左胸が前に出るように構えていて、攻撃的なものになっている。
「さーぁ、どこからでもかかってらっしゃい、カミュちゃん」
「その言葉…後悔するんじゃねーぞ!!」
姿勢を低くしたカミュを地面を強く蹴り、一気に距離を詰める。
あとはナイフの刀身をシルビアに近づければ終わりだ。
しかし、シルビアは体を横にそらして軌道から外れる。
「スピードは確かにすごいわ。でも、直線的すぎるわ」
勢いを片足で殺して振り返ったカミュはじっとシルビアを見る。
「だったら、こいつはどうだ!!」
カミュは2本あるナイフのアドバンテージを活用するため、シルビアに接近しつつ、両手で連続攻撃を始める。
1本だけしかナイフを握っていないシルビアが片方のナイフを抑えている間に自由になっているもう1本のナイフで攻撃しようという魂胆だ。
「甘いわ!」
姿勢をかがめたシルビアは長い脚を利用して足払いをし、見事に足に受けたカミュは転倒する。
起き上がろうとするが、その前にナイフが顔のすぐそばの地面に刺さった。
「これで、信用してもらえるかしら?」
「シルビアさん、強ー…」
あのカミュがほとんど何もできないまま負けてしまった。
その様子を見たベロニカが驚きとともに漏らす。
(何者なんだ…あいつは…)
盗賊であり、戦いの経験のあるカミュをナイフだけというハンデがあるとはいえ、ここまで一方的に倒してしまった。
剣の特訓の相手として、よくカミュと模擬戦をしているが、手加減して勝てる相手ではなく、デルカダール国寮で行った4回の模擬戦ではエルバ1勝、カミュ3勝という状態だ。
そのうちの2回は逆転負けに近い形で、決定打に掛けた状態での敗北となってしまった。
そんな彼を簡単に倒してしまったシルビアの実力に驚きを感じ、その正体を勘繰らずにはいられなかった。
「あなたのナイフの使い方、中々だけど、やや直線的ね。それに、我流なところもあるわね。戦う中で磨き上げてきたって感じがするわ」
ナイフを抜き、立ち上がろうとするカミュに手を貸したシルビアは戦いの中で見たカミュの動きを指摘する。
図星のようで、バツが悪そうにカミュは視線を逸らす。
「よかったら、教えてあげるわ。ナイフの使い方を。それと、エル…」
「エルディだ」
「ふーん…なら、エルディちゃん。あなたにも剣の使い方を教えてあげる」
「どういうつもりだ…?」
戦い方を教えると言うシルビアだが、そんなことをしたところでデスコピオンでの戦いに少しでも有利になるかもしれないが、シルビア本人の利益にはならない。
そんな自分たちにとってプラスになりすぎる提案をすることが考えられなかった。
「別に大した理由はないわよ。ただ、教えたいって思っただけよ」
「ああ…教えるんだったら、休憩地点でやってくれ。そろそろ出発しないと…」
「あら、ごめんなさい。じゃあ、行くわよー!」
ナイフを鞘に納めたシルビアは口笛を吹くと、どこからともなくファーリス杯でフランベルグと戦ったマーガレットがやってきて、シルビアは彼女に飛び乗る。
そして、先行するファーリスの戦車の後に続いた。
「あのおっさん…強い…」
馬に乗ったカミュはよほど悔しかったのか、手綱を握る手を強める。
「ええ…。でも、旅芸人さんってそんなに強いものなのでしょうか…?」
「それって謎よねー。しかも、エルバとカミュに戦い方を教えるって…」
「可能な限り技術を盗むだけだ。行くぞ…」
シルビアの後姿をにらむように見たエルバはフランベルグを歩かせる。
ファーリスを先頭とした一行はサマディー城塞とその南部の岩山を大回りするように西へと向かっていった。