朝日が差し、スズメ達が夜明けを喜ぶように鳴き、リスが草むらを駆けまわる。
木の上から、オレンジ色のスカーフを手にしたエルバは上空に浮かぶ巨大な木をじっと見ていた。
高く浮かんでいて、おまけに雲でわずかに隠れているせいか、とてもその木が幻想的に見える。
あの木はこの世界、ロトゼタシアの命の源と言われている命の大樹。
命はその木の葉から生まれ、そして死ぬとその木へと還っていき、そして再び生まれ変わる。
ロトゼタシア各地で伝わる命の大樹のシステムだ。
「命の大樹…か…」
エルバにはなぜかこの命の大樹が懐かしいと思えた。
すべての命の源であり、故郷だからなのか?
だが、その木を見るたびになぜか左手の痣のうずきを感じる。
三日月と剣を組み合わせたかのような、あまりにも整ったこの痣は生まれてからずっとあったという。
厳密にいえば、拾われてからと言ったほうが正しい。
エルバは16年前、ゆりかごと共に流されていたところを冒険家であった老人、テオに拾われた。
それから、彼の孫として、彼の娘であるペルラの息子として、イシの村で生きてきた。
イシの村はデルカダール王国南部に位置する小さな村で、外界との接触があまりないことから、自給自足の生活を送っている。
数年前にテオが病でこの世を去ってからは、エルバが生活を支えるようになった。
馬の世話や羊の毛刈り、牛の乳しぼりから畑仕事まで数多くの野良仕事をこなしてきた。
また、村の周りに時折現れる魔物退治に大人たちと一緒に参加したこともあり、その中で剣の使い方を学んだ。
背中に差している大剣、イシの大剣はある程度剣の使い方を学んだあとでプレゼントされたものだ。
重量のある剣を好んでいることもあってか、すっかり手になじんだ。
イシの村付近にある鉱脈から獲れた鉱石で作ったもので、つくりとしてはシンプルそのものだ。
命の大樹を見つめるエルバに呼びかけるように、木の下から1匹の犬が吠える。
「ルキ…?」
鳴き声が聞こえた方向に目を向けると、そこには茶色い大型の雌犬がいて、その隣には青いドレスとオレンジの前掛けを着た金髪の少女の姿があった。
「エルバー!私のスカーフ、見つかったー!?」
「ああ、エマ。今渡す!」
木から飛び降り、エマの目の前で着地したエルバは彼女にスカーフを渡す。
スカーフを受け取ったエマはすぐにそれを頭に巻く。
「大切な儀式の前にスカーフが風で飛ばされちゃうなんて、私ってばホントにドジだよね」
「いつも通りで安心したよ」
「いつも通りって、私がいつもドジしてるってこと!?」
「だってそうだろう?この前作ってくれたパン、結構焦げが多かったし…」
3日前にお弁当代わりに持ってきてくれたパンのことを思い出しながら、エルバは苦笑する。
自分が拾われたのと同じ日に生まれ、ずっと一緒に過ごしてきた幼馴染の彼女が作ってくれたのはうれしかったが、料理についてはまだまだ勉強中だったがゆえに焦げが多く、味も微妙だった。
言い返せないのか、エマはムッとした表情を見せ、そんな彼女を励まそうとしているのか、ルキが飛びついてエマの頬を舐める。
ルキは子犬だったころ、魔物に襲われていたところを2人に助けられ、それからはエマの飼い犬となった。
恩を感じているのか、2人にすっかり懐いており、エルバにとっては2人目の幼馴染と言ってもいい存在だ。
「ハハッ、くすぐったいわよ、ルキ!けど、ありがとう」
励ましてくれたルキに感謝しながら頭を撫で、彼女を落ち着かせるとエマは立ち上がる。
そして、2人は目の前に見える大きな一枚岩を見る。
イシの村では神の岩と呼ばれているその岩は16歳になると、その一番上まで登ることになっており、そうすることで初めて大人として認められることになる。
ただし、だからといって酒を飲めるようになるかというとそれはまた別の話であり、それについては18歳からということになっている。
「改めてみると、大きいわね…。本当に登れるのかしら…?」
「ペルラ母さんや村長だって、この儀式をやったんだ。登れるさ」
「エルバ…」
エルバとエマの2人の前に出たルキが1回吠えた後で、先へと走っていく。
「うふふ、ルキが私たちを案内してくれるみたい。さ、行こう。エルバ!」
「ああ…」
ルキについていくように、2人は走っていく。
石造りの階段を上り、神の岩へと続く洞窟の近くにある石碑に差し掛かると、そこには見送りのためか、住民や神父が来ていた。
その中にはオレンジ色のドレスを着た、オレンジ色の髪で恰幅の良い体をした中年の女性と薄緑の上着と帽子、そして黒い服を着た老人の姿もある。
女性の方はエルバの母親であるペルラで、老人の方はエマの祖父であり、イシの村の村長であるダンだ。
エマの両親は幼少のころに事故で他界しており、それからはずっとダンのもとで生活してきた。
2人とも、エルバとエマが無事にこの成人の儀式を行うことができることをとても喜んでいる。
「おじいちゃん!」
ダンの姿を見たエマが彼の元へ駆け寄る。
これから儀式を迎える孫娘の明るい表情を見たダンは嬉しそうにうなずくと、2人に目を向ける。
「よいか、これからおぬしたちは神の岩で成人の儀式を果たし、一人前の大人にならなければならん。神の岩の頂上で祈りをささげ、何が見えたのかをワシに伝えるのじゃ。そこまでが成人の儀式じゃ」
「エルバ…自慢の息子がここまで大きく育ってくれて…母さん、本当にうれしいよ」
「…母さんの子、だからな」
エルバは幼いころに、ペルラとテオが血のつながった家族ではないことは聞いている。
しかし、自分を拾い、育ててくれたのはほかの何者でもない、彼らであることから、そのことを気にすることはなかった。
本当の両親のことが気にかかるのは事実ではあるが…。
「うれしいことを言ってくれるねぇ。でも、そういうセリフは成人の儀式が終わるまで取っておきな」
「ああ…そうだな…」
「それから、もうちょっと口数を多くしないといけないわねぇ」
幼少のころから、あまりしゃべるのが好きではないのか、エルバは基本的に自分から話をしようとしない性格であり、話したとしても、あまり多くしゃべったりしなかった。
例外としたら、ルキなどの動物たち、そして幼馴染のエマで、彼らに対しては相対的にではあるが、多く話すことがある。
「生まれつきさ、どうにもならないよ」
「どうにかしようと努力なさい」
「わかった。じゃあ…行ってくるよ」
ルキが先行する形で、エルバとエマの2人は神の岩への洞窟へと進んでいく。
イシの村ができる以前から、自然に生まれたこの洞窟の中にはわずかながら魔物が住み着いている。
比較的おとなしい分類の魔物ばかりだが、それでも人を襲う魔物もいる。
そうした魔物を倒して、先へ進む。
それも大人になるための試練の1つだ。
「明かりをつけるね」
エマが洞窟の壁にかかっている松明の炎を持ってきたランタンに移す。
ランタンのおかげで周囲が明るくなり、天井に隠れていた蝙蝠たちが逃げ出していく。
「ウウーーーワンワンワン!!」
「魔物か!?」
ルキが警戒するように吠えたのを見たエルバはイシの大剣を抜く。
エマはエルバの後ろにある岩場に隠れ、様子をうかがう。
水の流れる音が聞こえる中、魔物たちが飛び出してくる。
覆面から綿毛を出していて、手に持っている針で獲物を串刺しにするモコッキーととがった頭で体当たりするスライムが数匹現れる。
「やるぞ…ルキ」
「ワン!」
エルバがイシの大剣を手にして前へ出て、体当たりを仕掛けるスライムをイシの大剣で受け止める。
大剣の強固な守りでひるんだ隙をつくように、ルキがそのスライムに食らいつき、ガケに向けて投げつける。
一度バウンドした後で、そのスライムはガケから真っ逆さまに落ち、水に落ちる音が聞こえた。
仲間が倒され、動揺するスライムをエルバが大剣で真っ二つに切り裂く。
真っ二つになったスライムははじけ飛び、水となって消滅した。
しかし、スライムを倒したエルバに向けて、真上からモコッキーが飛び降りてくる。
手に持っている針でエルバの頭を串刺しにするつもりなのだろう。
だが、大剣を手放したエルバに頭をつかまれる。
手足が短いためか、いくら振っても針はエルバの頭に届かない。
「寝てろ…!」
その一言と共に、エルバはモコッキーの頭を地面にたたきつけた。
ピクリと動いた後で、モコッキーは動かなくなった。
同時に、崖の上から3匹のモコッキーが飛び降りてくる。
先ほどの仲間と同じ過ちを繰り返さないためか、それとも彼らを相手に奇襲をしても無意味だと判断したのか、エルバを囲むように着地する。
「エルバ、後ろのモコッキーは任せて!!」
エマは指で印を切ると、呪文を唱え始める。
戦闘はあまり得意ではないエマだが、料理のことを考えて、メラだけは使えるように勉強はしていた。
彼女が放ったメラによってエルバの背後にいたモコッキーは焼き尽くされ、残り2匹はそれぞれエルバとルキによって切り裂かれる、もしくは噛みづかれて絶命する。
腰にさしているサバイバルナイフを抜いたエルバはモコッキーから綿をはぎ取る。
イシの村では綿花のほかに、モコッキーからはぎ取った綿も利用して服を作っている。
また、綿の中に薬草を隠し持っていることが多いため、薬草がない時にはモコッキーを倒して綿の中から探すという手段もある。
「ふぅ…」
今回はぎ取った綿の中には薬草はなかった。
綿を袋に入れたあとで、エルバは左胸に右拳を当て、倒したモンスターたちに対して冥福を祈る。
魔物(一部を除く)もまた、動物と同じく自然と共存する存在であり、ほかの生物と同じく命の大樹から生まれた存在とされている。
そのためか、イシの村ではこうして倒した魔物に対して冥福を祈り、自然に還すためにその死骸からは必要以上にはぎ取ることを禁止されている。
いつからそのような教えが根付いたのかはわからないが、エルバもエマも自然にその教えが身に沁みついていた。
「それにしても、最近魔物の数が増えているわね…」
先日のことを思い出しながら、エマは心配そうに言う。
儀式の1週間前のことで、海岸から物々交換で手に入れた魚や塩を運ぶ荷馬車が村まであと少しというところで、魔物たちによる攻撃で破壊されるという事件が起こった。
運んでいた村人は重傷を負い、現在も寝込んでいる。
証言によると、魔物は徒党を組んで襲ってきたとのことで、しかもそれは異なる種類の魔物による混成だったとのことだ。
エルバを含む村の男性たちによってどうにか撃退したものの、このような形で魔物が徒党を組むのは極めてレアなケースであり、村人たちにとっても初めての出来事だった。
「わかっていたけど、こんなふうに神の岩でも魔物が現れるなんて…。ちょっと不安だけど、勇気を出していかないと。頼りにしてるよ、エルバ」
「それはお互いさまだろう。前は任せて、エマ」
大剣を抜いたまま、エルバはルキと共に慎重に先へ進む。
彼の言葉がうれしかったのか、エマは笑みを浮かべ、彼の後へ続いた。
神の岩
イシの村が生まれる以前から存在する一枚岩で、村人からは大地の精霊が宿っているということから信仰の対象となっている。
そのため、16歳の誕生日を迎えたらこの神の岩を上り、そこで大地の精霊に祈りをささげるという儀式が行われる。
実を言うと、それにはもう一つの目的があり、そのためか儀式のときに見たものを子供たちに話してはならないという不文律が存在する。
イメージCV
エマ:豊口めぐみ
ペルラ:斉藤貴美子
ダン:長克巳