すごく嬉しい。嬉しいのだが、なんか怖い。謎の現象を目の当たりにしている気分。
ターニャは研究所で働いている職員の後に付いて、研究所の廊下を歩く。
いつもは他の子供たちと一緒に訓練に励んでいる時間だが、今日は違った。ターニャ一人だけが呼び出されたのだ。
言われるがままに研究所職員に従うターニャだったが内心穏やかではない。なぜ自分だけが呼び出されたのか、何の為に呼び出されるのか、尋ねたい気持ちでいっぱいだった。しかし職員から明かさないことを詮索するのは、この研究所の子供としてはいささか不自然な行為である。従順な子供のフリを継続するためにターニャは我慢した。
そうして辿り着いたのはターニャが今まで来たことのない区画だった。廊下にはカーペットまで敷かれている。おそらくは来客を迎えるための通路なのだろう。
職員とターニャはある部屋の前で止まる。職員が木製を模したドアのノックした。
『入りたまえ』
「はっ! 失礼します。識別番号C-〇〇一一を連れてまいりました」
「うむ」
その部屋は応接室だった。中央にはオーク材のテーブルが鎮座し、それを挟む形で向かい合うようにソファが並んでいる。扉の向かい側のソファには二人の男女が腰掛けていた。
男性の方は軍人だった。軍服に付いている階級章は大佐。筋骨隆々だが軍人としてはやや小柄な部類に入る。年齢は階級相応に重ねているはずだが、短く刈り込んだ頭髪や肌の色艶から若々しくエネルギッシュな印象を受ける。
対してスーツ姿の女性からは軍人特有の暑苦しさとは別ベクトルの冷徹な物腰の強さを印象付けられた。美人であることに違いないが、おそらく見た目以上に歳を経ているだろう。佐官級の軍人の隣に座って物怖じしない時点で只者ないことは誰の目にも明らかだ。
「ご苦労。さあ座りたまえ」
おそらく招かれたのは軍人である彼らであるはずだが、まるで家主のように振る舞う。そしてその態度を研究所の職員はごく自然に受け入れた。
ターニャは一連の様子からこの大佐が遺伝子強化素体の研究の監督役なのだろうと推測した。
その大佐が自己紹介をする。
「初めましてだな。私はコンラート・フォン・リップマン大佐。こちらは ――」
「『ストラヴェルケ』執行役員、ヘラ・ハルツハイム。よろしくお嬢ちゃん。貴女のことはよく知ってるから自己紹介は不要よ」
「…… ありがとうございます」
『ストラヴェルケ』はドイツが誇る半官半民のISメーカーの名だ。設立当初は造船会社として操業、現在では広く兵器開発を手掛ける軍需企業として発展している。その執行役員ともなれば大佐と肩を並べ平然としていることも頷けた。
むしろ疑問なのは、それだけの地位の人間がわざわざターニャと会いに来たことだ。
まず話の口火を切ったのは彼女だった。
「大佐さん。面倒を省きたいので単刀直入に話に入らせてもらっていいかしら?」
「もちろん。私はあくまで責任者として立ち会っているだけだからな。実務的なことは君たち二人で進めたまえ」
「それでは……。失礼、なんと呼べばいいのかしら?」
「この身はC-〇〇一一と呼ばれていますが、言い辛いようでしたら何とでも。親しい者からは11番と呼ばれています」
「では、
「…… 兵器の、試験要員ですか? それを私に?」
「ええ。そう理解してもらって構わないわ」
新開発の兵器の試験要員。
ターニャの脳裏に忌まわしき記憶が蘇る。思い出されるのは、あのMADとの最悪の日々。いつ爆破四散するかさもなくば高度12000ftから地上に叩きつけられるかも分からない実験に付き合わされた挙句、得たものは人の尊厳を破壊する呪い付きアイテムを抱えての前線配置。
正直断りたい。
だが断れない。
ターニャが研究所で受けた教育は直接的な表現を避けつつも国家への奉仕と献身を是とする内容だった。研究所で教わったこと以上のことを知らない、という事になっているターニャがその教育方針にそぐわない意見を表明すれば、間違いなく不信感を抱かれる。
結論は決まっているようなもの。それでもターニャは必死に足掻いた。
「職務内容を教えてもらうことはできますか?」
「いいえ。正式に我が社と契約を結ぶまで詳しい内容を教えることはできません」
「…… ISかそうでないか、ということだけでも教えてはいただけませんか?」
ISの特性に航空魔導士の演算宝珠を重ねて見てしまうターニャとしてはそれだけは聞いておきたい。辞令の拒否はできないまでも覚悟を固めることはできる。最悪の場合、出社の直前に失踪するという選択肢も考慮しなければならなくなるかもしれない。
(いや、まず間違いなくISだろう。でなければ私のような子供を一介の職員として、執行役員が迎えに来ることなどあり得ない)
ISの操縦者に求められる素質の一つとして『IS適性』という概念がある。これが高ければ高いほどISとの親和性が高く、ISを上手に扱うことができるとされる。IS適性は操縦経験の蓄積によって向上するが、それでも元の素質が優れているに越したことはない。ターニャのIS適性はA+。これはそれまでISに触れた経験すらなくても国家や企業が人材確保に走るほどの適正値だ。この上のクラス、適性Sには世界最強のIS操縦者『ブリュンヒルデ』やそれに連なる『ヴァルキリー』くらいしかいないと言えば、その凄さが分かるだろうか。
隣の大佐とアイコンタクトをした後、ヘラは答える。
「いいえ。ISではありません」
「そうですか」
その回答に安心するターニャだったが、同時に疑問が生じる。ISでないとすれば、なぜターニャのような小娘を欲しがるのだろう?
「やっぱり、ISには興味があります?」
ヘラは笑顔を浮かべたままターニャに尋ねた。どうやらターニャの質問は真逆の意図として受け止められたらしい。
ここで正直に『無いです』と答えるのは流石に不自然であった。
「無い、と言えば嘘になります」
「ふふ。強くてかわいいISは女子の憧れですものね」
「単純な強さもそうですが、私はあらゆる局面に対応できる汎用性に魅力を感じます」
「あら? 意外とマニアさん?」
「私は、そんな……」
「んっンン!!」
コンラート大佐が咳払いで二人の会話を遮る。話題がISになったときから何処となく不機嫌そうだった。やはり現役の男性軍人からすればISの存在は面白くないのだろうか。
面倒は御免なターニャはすぐに話題を変える。
「ええと、それでは引き受けさせていただく、という方針で進めてもらってよろしいですか?」
「ええ。勿論、貴女が良ければ。詳しい契約の内容はこちらに」
ヘラが封筒からクリップで留められた紙の束を取り出す。
受け取ったターニャは目を通した。正式な契約内容に加え、給与や各種手当など重要な事項を別個に分かり易くまとめてある。素晴らしい資料だ。
(なるほど。正確にはストラヴェルケではなく新設の系列企業勤め。社員ではなく社外の協力者という位置づけか。まあ年齢を考えれば流石に正式採用は無理だしな。危険手当や傷害補償の項目が事細かにあるとみるに、あまりまともな仕事は期待できないか)
「…… わかりました。正式に引き受けさせていただくためにはどうすればよろしいでしょうか」
「今は口約束だけでいいわよ。一応、役員面接があるから場所と日程を追って伝えるわ」
ヘラが差し出した手をターニャが取り、握手を結ぶ。大佐は安心したように口を開いた。
「交渉成立。これでC-〇〇一一はこの家を旅立つことになる」
「はぁ」
「これは今までの君の貢献に対する国からの礼だ」
そう言って大佐が差し出したのはドイツ最大手の銀行の通帳。開いてみれば、子供が手にするにはあまりに多く、ターニャのこれまでの努力を換算すればあまりに少ない額の礼金が口座に入っていた。
(逃走、生活のための資金としては流石に心許ないか)
期待する額に及ばなかったことに内心舌打ちをしつつ、その不満をおくびにも出さないよう礼を言う。
「……なんと有り難い。光栄の至りに存じます」
「それと折角の機会だ。何か欲しいものがあれば言ってみろ。なんでもとはいかんが、ちょっとした我儘なら叶えてやろう」
「は?」
ターニャは大佐の言葉を瞬時に理解することができなかった。そして飲み込むと同時に頭の中に無数の疑問符を浮かべる。言っていることは姪っ子にプレゼントを買う気のいいおじさんのような台詞だが、彼にとってターニャは実験動物のうちの毛並みの変わった一匹でしかない筈。
(なんだ? この大佐殿は何を考えている? まさか私を世に出すにあたって、これまで私が研究所に不満を抱いていないか、恨みを覚えていないか確かめるつもりか!? ……ならば辞退する方が賢明だな)
「有り難いお言葉で ――」
そこまで言ってターニャはふと、あることを思いつく。確かに下手な嘆願はリスクになるが、研究所で受けた教育の方針に倣ったお願いなら問題ないだろう。
「―― いえ。やはり一つだけお願いしたいことがあります」
ターニャは自分の頼みを口にする。それを聞いた大佐は少し驚いた風だが、ターニャにマイナスの心証を抱いたようには見受けられなかった。
「そんなことでよければ構わないとも。…… ああ話の腰を折ってしまってすまない、
「いいえ。私からの話も済みました。では、エルフテ。またいつかお会いしましょう」
こうして齢八つに満たないターニャの就職先はあっさりと決まった。
就労開始日の前日、ターニャは既に社宅への引っ越しを済ませていた。
数の少ない荷物を運びこみ、三十分足らずで整理を終わらせる。今までの研究所の暮らしとは違って新居は思うがままに手足を伸ばせる一人暮らしだ。
ターニャは開放的な気持ちで窓を開ける。天候は曇り。眼下には湿地帯が広がっていて決して良い情景とは言えないが、ターニャは満足していた。ライン戦線やノルデンの豪雪地帯に比べれば天国に等しい。
ターニャが勤務することになっている会社『ストラヴェルケAIW』の本社兼研究棟は、兵器等危険物の取り扱いや国防の観点から、都市部や人里からそれなりに離れた湿地の中央に位置していた。ターニャが今いる社宅もその敷地内に収まっている。街から遠く離れているため一見して遊ぶ場所はなさそうだが、職員の福祉の一環として社宅には簡易なシアターやスパなどが設けられているので休日のリフレッシュくらいなら不自由はしない。買い物も少しばかり面倒な手続きを踏めばネットショッピングで済ませることができる。
(流石は税金で下支えされている大企業。至れり尽くせりというやつか)
それこそ前前世の凡夫だった頃からは考えられない好待遇だ。
(不安があるとすれば、やはり仕事内容だな。当日まで伏せられる厳重さには呆れるべきか感心すべきか……。まあどうせ明日になれば分かること、思い悩んでも仕方がない。ISとは関係ないことは分かっているのだから、そんな心配することでもあるまい)
―― そう思っていた。
「あの、すいません。私の目が確かならコレはISでは……」
「ええISですね。ドイツが誇る第二世代機《シュヴァルツェア・フェステ》です」
遡ること数分前 ――。
仕事が始まった当日、職場の先輩方への挨拶もそこそこにターニャはこの開発研究棟の格納庫に案内された。そこには小火器から重火器、軍用パワードスーツから対空機銃まで様々な兵器が並んでいる。
ターニャは『このうちのどれかを試験要員として扱うことになるかもしれないのだな』と思いながら、案内の職員に付き従って歩く。
そうして格納庫の中をしばらく歩いた後、ターニャを案内していた面長の研究員がある物の前で立ち止まった。そしてそれを見たターニャは言葉を失いそうになる。
そこにあったのは、漆黒のISだった。
《シュヴァルツェア・フェステ》――『ストラヴェルケ』社が開発したドイツの第二世代型IS。
遠距離砲撃型の本機最大の特徴は右肩部装甲と一体化した長大な砲身である。炸薬の爆発力とローレンツ力の相乗効果から生み出される加速、力学的エネルギーは従来火器のそれを大きく上回り、第二世代機の射撃兵装の中でも最強の威力を誇る。事実、第二回モンドグロッソの射撃部門では一撃で勝敗を決する鉄槌として大いに恐れられていた。しかしこの機体を設計したストラヴェルケの設計者は、本機の最も優れている点はこれだけの砲撃兵装を有しながら機体全体のバランスを失っていない点だと語る。確かに装備面の乏しさは否めないが近接格闘戦においても万能型と比べ遜色のない性能を発揮することが可能。正に遠距離型第二世代の佳作機と評されるに相応しい名機だろう。
しかして話は戻る。
「―― それで、そのフェステの操縦者はどちらに? 姿が見られないようですが」
「…………」
研究員は黙ったまま、畳まれた衣服のようなものをスッとターニャに差し出す。受け取って広げてみると、それは肌に張り付くような素材でできた女性用のボーディースーツだった。サイズはターニャに合わせた特注のssサイズだ。
「ISスーツ ……」
「はい、ISスーツです。ご存知の通り、ISスーツには操縦者とISの身体的なデータリンクを補強し、効率的なIS運用を可能とする機能があります。さらに簡単な防弾、防刃性も有していますので、ご自分の身を守るためにも是非ご着用ください」
「防弾性ねぇ」
ターニャに支給されたISスーツはいわゆる競技仕様と呼ばれるもので、女児用のスクール水着のようなシルエットをしている。腕や脚をむき出しの状態で防弾防刃を謳われても正直失笑ものだった。
そもそもこんなもの着たくない。
「私は新開発の兵器はISでないと伺ってきたのですが、これは一体どういうことでしょう」
「はい。シュヴァルツェア・フェステは新開発ではありませんからね。詳しいことは追って説明しますよ。それとも、何か問題でもありましたか?」
「それは ……」
問題ですISに乗りたくありません、とは言えない。ターニャと会社の契約内容にはISには乗らないという条項は入っていない。ヘラとの会話でも、うろ覚えだが『ISに乗らない』とは言っていなかったはずなのでそれを基に主張することもできない。
手詰まりだ。
「問題が無ければ、この先のロッカーでスーツに着替えちゃってください。ちゃんとした更衣室が無いのでご容赦を」
「……分かりました」
研究員の言葉が示していたのは、職員用ロッカーの片隅のカーテンで区切られた小さなスペースだった。中にはご丁寧にどこからか持ってきた姿見が置かれている。
ISスーツに着替えたターニャだったが、止せばいいのに鏡を見てしまった。そこに映っていたのはどこからどう見てもスク水幼女。結果ターニャは目の前の鏡を叩き割る衝動に駆られ、抑え込むのに苦心する羽目になる。
そんな人知れない苦戦を強いられていたターニャが先に進んでいた研究員のもとに追いつくと、そこにはハンガーから外されたシュヴァルツェア・フェステが操縦席を広げる形で座り込んでいた。
「〇〇一一君はISに乗るのは初めてですよね?」
「はい。ですが教本は読んでいるので乗り方は分かります」
「それは助かります。では早速乗っていただきましょう。何かわからないことがあれば何でも聞いてください」
(もはや逃げ道は無い。腹を括るか ……)
ターニャはフェステの脚部装甲に足を掛けるようにしてISに上り、両足を収める位置に気を付けながら背中を背部装甲にあずけた。するとその動作に反応するように体前面と両腕、両足の装甲が迫上がりターニャの体の各部に装着されていく。
そしてISの装着は、単純に機体を身に付けるだけでは終わらない。
「…… おっと!」
「どうされました?」
「いやなんでもありません。ISとの意識接続に驚いただけです」
「ああハイパーセンサーですか」
『ハイパーセンサー』とはISの有する機能の一つであり、端的に表現すれば『全方位対応高性能センサー』である。ターニャが驚きの声を上げたのは、ハイパーセンサーとの視覚リンクによって視覚が全方位360°まで広がったことがその原因。ハイパーセンサーの機能によって『肉眼では感知できない細部や遠方の観測、元来目視できない物体やエネルギーの視認が可能となる』と言われれば感覚的に凡そのイメージは出来るが、全方位視界の立体視ばかりは実際に体感してみないことには理解できない感覚だった。
始めは自分の背後と前方が同時に見えることに戸惑っていたターニャだったが、思いのほかすぐに慣れる。
ターニャが意識を向けると、目の前にいくつものウィンドウが浮かび上がった。
『パワーアシスト正常』
『PIC干渉領域設定完了、基準値内で推移』
『現環境を外部ストレス基準点として保存』
『絶対防御《デフォルト》―― 決定』
「…… 恐らくだが、問題は無い」
恐らくもなにも実際に何一つ問題は無いだろう。初めてISに乗るのだから異常があることに気付けなくても何らおかしいことはないが、にもかかわらずターニャの心の中には『問題なし』という確信があった。それは恐らくISから発せられるメッセージのようなもの。
ターニャにはそれが気に食わない。機械なら機械らしく操縦者の精神に働きかけるような真似などせず、情報はウィンドウに表示するべきだ。それが道具の領分というものである。
「それはよかった。ではPICで少しだけ飛んでみてください」
「…… こうですか?」
ターニャは自分の体が少しだけ宙へ浮かぶのをイメージする。航空魔導士時代に培ったあの感覚だ。
するとシュヴァルツェア・フェステの機体がふわりと浮かんだ。格納庫の床から20cmほどの高さで安定している。
「問題なければ、そのままこの先にある簡易試験場まで行ってください。案内のランプに従えば迷わず行けるはずです。私は管制室に行って指示を出しますので、それではまた後ほど」
「実験に参加してください。ISは作りません」
↓
「ISに乗らないとは言ってない」
『ストラヴェルケ』……オリ企業です。名前に深い意味はありません。
《シュヴァルツェァ・フェステ》……オリIS? と言っていいのか。イメージの基になったのはISのアニメ一期のラウラの回想シーンで登場したレーゲンの前身っぽい機体です。それに勝手に名前と設定を付けましたが、私が知らないだけでちゃんとした設定があるかもしれません。