限りなく現実に似た世界で   作:気分屋トモ

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やぁ。お盆に入ったけれど、休められないのは受験生だからと信じたい気分屋トモです。
今回の話は小説を書き始めてからずっと書きたかったゆきのんと八幡が思いの丈を語らうお話です。その為、文字数がかなり増えてしまいましたが、後悔はしていない。
今回のメインがこの二人である為、他キャラはほぼ出てきません。キリハが好きな人、出番なくてすんません。次回はちゃんと出番あるから!
てな訳で第三話、それではどうぞ。

~追記~
加筆修正しました


すれ違う想いの果てに、彼と彼女は

「……」

 

「……」

 

「……えーっと」

 

 沈黙を貫く俺と雪ノ下。そして、それを気まずそうにキリハが眺めるという状況に至った経緯を、取りあえず説明するとしよう。

 

 現在、キリハの案に乗って次の村へと来た俺達は、その村でキリハがベータ時代に見つけたという宿に案内されている。そこに居るのはキリハと、俺と、雪ノ下の三人だ。

 

 クラインは村を出ると提案した時に、共に徹夜で並んでゲームを買った仲間を見捨てられないと言ってあの広場へと戻っていった。その時のキリハの顔は、少し寂しそうだった。

 

 きっと、大人数を連れて行けないことに歯痒さを感じているのだろう。そんな心配をするような立場ではないだろうに。優しい子だと思う。彼女の為にも、クラインには死なずにいることを願うばかりだ。

 

 しかし彼ばかり構ってはいられない。今ここは、遊ぶ為のゲームではなく、生きるか死ぬかのデスゲームだ。圏内である以上死ぬことはないが、心の準備は中々上手くいくものでもない。

 

 そして、それは今も言える。キリハを除いて頑なに喋ろうとしない俺と雪ノ下にだ。キリハは俺達を交互に見ては先程からどうしたものかと考えあぐねている。いやまぁ、その元凶が言うのも何ではあるのだが。

 

 そもそも、俺達がじっと動きもせず黙っている理由とは何か。雪ノ下に関しては明確には分からないが、俺の場合は酷く単純なものだ。

 

 少し前のことを、よく思い出して欲しい。俺が何を思っていたのか。そして、その後に雪ノ下に会った瞬間、俺は彼女に何をしたのか。

 

 率直に言おう。死にたい。

 

 何臆面もなく抱き返してんだよ俺は!? いくらあっちから抱き着いたからといってそんな柄にもない行動したら後々気まずくなるのくらい分かってるだろうが!? 第一、俺が悪かった……じゃねぇよ! 今更どの面下げて言ってんだよバーカ! バーカ!! 一ヶ月くらい言うの遅ぇよ!

 

 と、そんな具合で転がり回りたい衝動を鋼の理性(笑)で抑え、俺は今沈黙を貫いている。精神攻撃で既に死にそうだ。原因全部俺だけど。

 

 だが、いつまでもこうしている訳にはいかない。無関係なキリハには申し訳が立たないし、雪ノ下を連れてきてしまった以上確執は取り払わなければならない。そしてそれは、俺と雪ノ下だけの問題だ。

 

 腹を括れ、比企谷八幡。後戻りは、もう出来ないんだ。

 

 俺は何も言わずに立ち上がる。そして、キリハの方に向き直る。

 

「……すまんがキリハ、出来れば少し時間が欲しい。勝手で悪いが、少しだけ二人で話してきて良いか? 今後の話もしたいからすぐ戻る」

 

「は、はい……分かりました。宿の裏なら人目もつかないので聞かれたくない話でしたらそこで……」

 

「すまん、助かる」

 

 俺の申し出に、キリハは戸惑うことなく了承してくれた。しかも、わざわざ話やすい場所まで教えてくれる。やはり彼女は良い子だ。今日は世話になりまくったし、多分これからもかなり世話になる。いつか、お礼をしなければならないな。

 

「雪ノ下……話がある。ついて来てくれ」

 

「……えぇ」

 

 雪ノ下は俺が促すとスッと立ち上がり俺の後についてくる。それを見て、俺は部屋を出て宿の裏へ行く。

 

 キリハが選んだこの宿は、一般的な宿とは立地もサービスも違う為、街から少し外れた場所にある。辺りには誰も居ない。

 

 俺達のような人間が言葉を交わすには、良い場所だ。

 

 

 

 

 宿の裏は、随分と静かだった。灯りはなく、俺達を照らすのは、月の光と、星々の輝きだ。顔が見えにくい分、いくらか話しやすくもなるだろう。

 

 俺は立ち止まり、振り返る。雪ノ下との距離は、少しだけ遠い。それはきっと、彼女との心の距離を表している。

 

 静寂。普段はそれを好む俺達でも、この手の静けさは多分どちらも苦手だ。何せ、お互いの不和が原因なのだから。それはいつかの、由比ヶ浜との行き違いの時とような、言い様のないもどかしさがある。

 

 けれど、喋らなければ話も進まない。何も分からない。俺達がバラバラになった原因も、逃げ出してしまった理由も、お互いが曝け出して、語らねばならない。だからまずは、俺から切り出そう。

 

 何、恥をかくのは得意だろう。比企谷八幡。

 

「なぁ……雪ノ下」

 

「……何かしら」

 

 俺の呼びかけに、雪ノ下は小さく言葉を返す。きっと、まだ自身の中で色々と納得出来ていないものがあるのだろう。下を向く彼女の顔はいつもに増して暗い。

 

 俺は呼吸を整える。改めて、言わなければならないことを、きちんと伝える為に。せめて間違えないように、心を落ち着かせる。

 

「すまなかった」

 

 俺は深く頭を下げる。多分、俺の人生の中で、最も誠意に溢れた、精一杯の謝罪。

 

「……」

 

 俺が考え得る限りに思考し、思案し、思索した。俺なりに、彼女達が拒絶した理由を考え尽くした。これで違うと言われれば、多分俺には一生どうしようもないけれど、それでも言わないよりはずっとマシなはずだ。

 

「お前達を頼らなかったこと。俺だけが実害を受けるかもしれない策を取ったこと。……お前達に、そんな俺の姿を見せつけたこと。その全てについて、俺は謝罪する。……すまなかった」

 

 彼女達が俺を拒絶した理由が、俺には全く分からなかった理由。それは、彼女達が”俺に対しどう思うか”を一切考慮に入れなかったからだったのだと、今の俺は思う。

 

 当然だ。だって俺は、今までそういう行動しか選択肢になかったから。配慮する必要がなかったのだから。

 

 けれど、今なら分かる。いや、本当は分かっていた。

 

 ただ、理解しようとしなかった。その答に行き着く理由を、俺は知りたくなかったのだ。知ってしまえば、後戻り出来ないと、分かっていたから。

 

 だから、考えたくなかった。知りたくなかった。理解出来ないそれを、理由にして欲しくなかったから。

 

 でも、逃げるのはここまでだ。

 

 向き合うと決めたのだ。それが、少し早まっただけだ。伝える言葉も、伝えなければならない想いも、変わらない。

 

「……何故、あんなことをしたの?」

 

 雪ノ下は、静かに俺に問う。声音にはいつもような覇気はない。何も分からないからこそ出た、純粋な疑問の声だった。

 

「……海老名さんがウチに依頼に来たのは覚えているか?」

 

 俺と雪ノ下達との間に祖語が発生した、正確には祖語が発生せざるを得なかった理由。それは、彼女が俺だけに依頼を頼んだということだった。そして、それは彼女達に相談出来なかった理由でもある。

 

「……えぇ、覚えているわ。現状維持を望んでいるようなことを言っていただけだと思っていたけれど……」

 

「……あの時、正確にはあの後にも、俺は海老名さんに依頼を受けていたんだ。……”戸部の依頼を阻止してくれ”ってな。葉山にも頼まれていた」

 

「ッ!? ……そう、だったの」

 

 俺が語った事実に雪ノ下は息を呑む。海老名さんには悪いが、俺はここで全てを語らせてもらうぞ。流石に、そこまでのアフターケアをしている余裕は、俺にはない。

 

「……じゃあ、あの告白は……」

 

「……戸部と、海老名さん。ついでに葉山の依頼を、同時に完遂する為の策だった。あの時、俺はあの案しか思いつかなかった。……だから、ああした」

 

「……そう。相談は……出来なかったのかしら……」

 

 どうにか出来なかったのか。それは、俺が一番思っていた。けれど、出来ていればこんなことにはなっていない。それも、一番分かっている。

 

「……人の想いを踏み躙るようなことを、公に相談は出来ないだろう。だから、口止めもされていた」

 

 どの口が言っているのだろうか。苦肉の策とはいえ、あの場所で、誰よりも人の想いを、心を踏み躙った人間が、そんな言葉を口にするなどと、甚だしいにも程がある。

 

「そういう、ことだったのね……」

 

 雪ノ下の声が暗くなる。きっと、あの時の状況を理解したのだろう。板挟みの依頼を受けて、誰にも相談出来なかったのは、仕方ないと言えるものだったと。

 

 でも、それを行ったのは俺だ。投げ出すことも、断ることも出来たはずなのに。依頼を受けたのも、あの策を決行したのも。全部、俺だ。だから言い訳は出来ない。してはいけない。

 

「……だが、相談をしてはいけないルールはなかった。俺個人が受ける理由も、お前らに何も言わずにいる理由も、なかったはずだ。……だから、悪いのはやっぱり俺なんだ」

 

「……」

 

「だから……すまなかった」

 

 俺は頭を下げた姿勢で、再び彼女に謝る。謝って許してもらえるとは思っていないけれど、それでも、せめてそれだけはしておかなければ、俺の気が収まらない。

 

 ……結局、俺も我が身が可愛いんだろう。胸を締めつける罪悪感から、後悔に苛まれる日々から、逃げたいだけなんだろう。醜い、自己保身の為の行動なんだろう。

 

「……顔を上げて頂戴」

 

 そんな自己嫌悪の渦に飲まれそうになった瞬間、雪ノ下が俺に顔を上げるように言ってくる。

 

 俺はゆっくりと顔を上げる。彼女の顔を見るのが怖い。そんな気持ちを押し込んで、俺は現実を受け入れる為に、顔を上げた。

 

 そして、覚悟した視界の先に見た雪ノ下の顔は、怒りなどではなく、何かを悲しんでいるようだった。予想とは違う彼女の態度に、俺は少し動揺する。

 

「……何故、貴方は依頼を完遂させようと思ったの?」

 

 その口から放たれた問は、俺の予想とは全く異なるもので。そこには、俺を責め立てるような意思は感じられなかった。だから俺は、戸惑いながらも答えた。

 

「……葉山達の関係は偽物だ。上っ面だけの横滑りの、欺瞞に満ちた関係だ。俺達が、最も嫌って、唾棄すべきだった上辺だけの関係だった。……でも俺は、あの関係にも価値があると思ってしまった。……だから、何とかしてやりたかった」

 

 どれだけ取り繕われた関係でも、いずれ壊れてしまう関係でも。あの瞬間、あの一時を大事にする人が居て、だからきっと、そんな関係を守ろうとしている彼らの姿が、俺の求めていたものと重なって見えたのだろう。外見も、中身も、全然違うものなのに。そこにある根底だけは、一緒だったから。

 

「……では、何故私達が、あの場で拒絶してしまったと思ったの?」

 

「それは……」

 

 考えてみれば単純だった。自分の近しい人間が、自分が頼った所為で非難される。そんな姿を見てどう思う。何を感じる。雪ノ下が、由比ヶ浜が、謂れもないことで非難される姿を見せつけてきたら、俺は耐えられるのか?

 

「……さっき、考えたんだ。俺がもし死んだら、お前達はどう思うか、ってな。そして、逆の立場なら、俺は確実に悲しく思うって、分かったんだ」

 

 きっと、俺には耐えられないだろう。何も出来ないなんて、生殺しもいいところだ。共に依頼を受けたはずの人間のみが罵倒され、軽蔑される姿を、俺は黙って見過ごすことは出来ない。

 

「もし、思い上がりでないのなら。数ヵ月もの間、共に関わってきたお前達にとって、俺は、それなりに近しい人間なんじゃないかって。そう考えたら、辻褄が合った」

 

 そして、分不相応にもこう思うのだ。俺がやれば、俺が頼らなければ、こんなことにはならなかったんじゃないかと。そんな愚かしい傲慢と、見当違いの後悔を。

 

「……お前達にとって、それなりに近しい人間が傷つくような真似をするのが、許せなかったんじゃないかって、そう思った……」

 

 それを、俺は彼女達にまざまざと見せつけたのだ。一番近くで感じさせたのだ。大丈夫だと。俺は傷ついていないのだと。そう見栄を張って。彼女達の気も知らずにだ。

 

「この謝罪が見当違いであるのなら、素直に言ってくれ。見当違いな謝罪をしていると、俺に罵倒の言葉を浴びせても、非難の声を上げても、俺は一切、文句は言わない」

 

 望むのであれば、何時間でも土下座しよう。朝が来るまで罵倒されたっていい。腰に携えるその剣で、貫かれても良い。それに値する行為を、俺はしたのだから。それを受ける覚悟を、今の俺は持っている。

 

「……貴方って、やっぱり卑怯だわ」

 

 それは、いつかの言葉。彼女が歩み寄って来てくれたはずの、あの時の言葉。

 

 か細い声で、その言葉を呟いた彼女の顔は次第に歪んでいく。

 

 その声音は、あの京都の夜に告げられた時のように、悲しさをまとっていた。

 

「……いつも、自分を貶めて。傷ついてる癖に、他人ばかり気にして。間違えたら、問い直す機会も与えてくれないなんて。……どうしたら良いのよ」

 

 ツーと、一筋の線が、彼女の頬をなぞる。それを先駆けに、彼女はゆっくりと泣き出した。

 

「ゆき、のした……」

 

 雪ノ下が泣いている。人に弱みを見せようとしない、誰よりも強いはずの彼女が、俺の目の前で泣いている。そのことに、俺は驚きが隠せない。

 

「……きっと、甘えていたの。貴方なら、きっと何とかしてくれるって。由比ヶ浜さんの時も、川崎さんの時も、鶴見さんの時も、相模さんの時も。貴方しか考えられないような、斜め下の案だけれど。誰もが救われるような、そんなことをしてくれるって、押しつけていたのよ。……貴方という代償がいることなんて、分かっていたはずなのに……」

 

 震える唇は彼女の後悔を吐き出していく。けれどそれは、それは違うんだ、雪ノ下。押しつけていたのは、俺の方なんだ。

 

 常に美しく、誠実で、嘘を吐かず、ともすれば余計なことさえ歯切れよく言ってのける。寄る辺がなくともその足で立ち続ける。

 

 そんな姿に。燃え盛る青い炎のように美しく、悲しいまでに儚い彼女の姿に。俺は憧れを抱いていた。願望を押しつけていた。

 

 ただの女の子だと分かっていながら、そんな理想を押しつけていたのは、俺なのだ。俺のように、汚れて欲しくなかった。

 

 今だって、俺のなんかの為に泣いてくれるような彼女が、自分を責める理由はないはずだ。

 

「私は、知ってて、それを見過ごしてしまった……。問い直すと、貴方に言ったのに……」

 

「雪ノ下……」

 

 ポツリ、ポツリと彼女は涙を流す。今まで見たことのなかったその姿を、今日だけで二度も見ている。天変地異の前触れだと言ったら、いつものように微笑んでくれないだろうか。情けないなと言ったら、いつもの調子に戻ってくれないだろうか。

 

 心が騒めく。言い様のない感情が、俺の中を駆け巡るような、そんな感覚。

 

「比企谷くん……私は、また何も出来ないの? ただ黙って、見ているだけしか許されないの? ……そんなの、あんまりだわ」

 

 言葉を伝えようしているのが分かる。彼女が真剣なのが伝わってくる。その姿が、どうしようもないくらい儚くて、触るまでもなく壊れてしまいそうで。

 

「分からない……私はどうすれば良かったの? どうしてこの気持ちを、胸を締めつけるような痛みを、我慢しなくちゃいけないの? 貴方が傷つく姿なんて、もう見たくないのに……」

 

 気がつけば、俺は彼女を抱いていた。離れてしまわぬように。どこか遠くへ行ってしまわないように。もう二度と手放してしまわないように。優しく、壊れてしまわぬように、そっと彼女を包む。

 

「貴女を支えていきたいと、そう思っていたのに……どうして私には、それが出来ないの?」

 

 そう言って雪ノ下は、俺の胸の中で嗚咽を漏らし始めた。

 

「ねぇ、比企谷くん……私、死にたくないの……。あの場所で、貴方達とずっと、笑ってお話していたいの……」

 

 その姿は、ただの女の子だった。威厳も、誇りも、高貴さすらも、今の彼女には欠片もない。ごく普通の女の子。どこにでもいるような、華奢で、か弱い女の子。

 

「由比ヶ浜さんと……貴方と……私がいる……あの部屋でずっと……」

 

 だからこそ。そんな彼女だからこそ、言えるのだ。

 

「……ずっと、言いたかったの。これからも一緒に居て欲しいって……私の所為で、迷惑かけてごめんなさいって……本心を言えなくて、ごめんなさいって……」

 

 彼女の、雪ノ下雪乃の偽りない、初めての本心を。

 

「今更謝りたいだなんて烏滸がましいと分かっていても、貴方にも、由比ヶ浜さんにも。ずっと、ずっと、ずっと言いたかったの……」

 

 きっと、この姿こそが。涙を流しながら、必死に言葉を紡ごうとしている彼女こそが。彼女本来の姿なのではないのかと、俺は雪ノ下を見ながら思う。

 

「私はあの時、ただ貴方に傷ついて欲しくなかった。……大丈夫だって、問題ないからって。……いつもそう言って、悲しそうにする貴方が、見ていられなかった。……なのに私は、貴方を傷つけてしまった……」

 

 誰よりも正しくあろうとして。どこまでいっても純粋で。どうしようもないくらい、脆くて、儚い少女。

 

「……だから、まずは貴方に、言わせてちょうだい」

 

 それが、雪ノ下雪乃なのだと。俺は今日、初めて知った。

 

 雪ノ下は俺からちょっとだけ距離を取る。そして、体の前で手を合わせて、頭を下げてきた。

 

「……ごめんなさい。貴方にばかり押しつけてしまって。貴方のことを拒絶してしまって。……貴方を傷つけてしまって……ごめんなさい!」

 

 けれど思う。誠実に、正しくあろうとするその姿は。初めて会った時から変わらぬ、俺の知る、彼女の姿だ。

 

「貴方には、救われてばかりなのに……! どんな言葉を投げかけても、優しく、してくれたのに……!」

 

 涙を流し、自分の行いを悔やみ、自己満足だと分かっていながらも、誠意の限りを尽くして、謝らなければ気が済まないと。そう思って行動する彼女を、一体誰が責められようか。

 

「こんな私でも、接してくれるのに……! 傷つけてしまって、ごめんなさい……!」

 

 いや、きっと責める方が正しいのかもしれない。弾劾して、糾弾して。ありとあらゆる罵倒の言葉を駆使して。彼女を否定してやることこそが、彼女の行いに対する、与えるべき最も残酷な罰になるのかもしれない。

 

「……なぁ、雪ノ下」

 

 けれど俺は、そんなことをしたくない。彼女を傷つけるくらいならと、今まで行動してきた俺には。

 

「……()()()()なんて言うのは、やめてくれないか」

 

 彼女を傷つける(否定する)選択肢など、俺は持ち合わせてなどいない。

 

 だって俺は、そんなことも出来ない、愚かな人間だから。

 

「え……?」

 

 きっと、この選択は、多くの人間から見れば間違いなのだろう。誠意をもっても、善意であっても。たった一度の過ちすら、人は許容出来ない、弱い生き物だから。

 

「……ちゃんと伝わるかは分からない。言いたいことが言葉に出来るかも分からない。だから、ちゃんと聞いてて欲しい」

 

 俺にそれが出来ない理由なんてのは単純だ。それは、大抵の人間なら大好きで、俺や雪ノ下のような人間が最も苦手とするものだからだ。

 

「俺は、お前()()()接したんだ。雪ノ下だから、雪ノ下雪乃だからこそ。俺はお前と居たいと思ってる」

 

 その存在に気づいても、無視して、目を背けて、見ようとしなかった。小説とか、言葉の上でしか知らなかった、ありきたりで、誰もが持つはずの、当たり前の感情。

 

「雪ノ下が好きだから、俺はお前の側に居ようと思ったんだ。誰の為じゃなく、俺の為に」

 

 それは多分、”好意”と呼ばれる感情だ。雪ノ下雪乃に対する、恋慕の情なのではないかと、俺は思う。

 

「……ッ!」

 

 語りかけながら、俺は雪ノ下を再び抱きしめて頭を撫でる。小町が昔家出して、泣いていた時にやっていたように、彼女の頭を優しく撫でる。落ち着かすように、独りではないと教える為に。

 

「だから……そんな風に自分を貶めて、泣かないでくれないか?」

 

 そして不器用に、精一杯に笑ってやる。こういう時に、相手を安心させるような笑顔が出来る奴が、心底羨ましい。きっと、俺なんかの笑顔では、小町くらいしか安心させることが出来ないからな。

 

「……貴方がそれを言うのね」

 

「……あぁ、全くだ」

 

 自分の言葉に、逆に笑ってしまうな。どう見ても、散々自虐してきた人間が言うセリフではないからな。とんだブーメランだ。

 

 ただ、彼女にはそれが効いたのか、彼女の口角が少しだけ上がったように見えたので、俺は彼女を撫で続けながら話を戻す。

 

「雪ノ下があの時、どう思ったかは分からない。きっと、言葉にしても、俺は分からない。曲解して、裏を読もうとして、本当はそうじゃないんじゃないかって、疑ってしまう」

 

「……貴方らしいわね」

 

 期待すれば裏切られるから。何度も経験して、怖くなったそれを避ける為に、俺はいつしか言葉を信じられなくなったから。だから俺は、言葉を信じられない。

 

「……言っても分かるってのは幻想だ。言った奴の傲慢。言われた奴の思い上がり。だから、俺の言葉も、所詮は自己満足に過ぎない。伝わらないかもしれないと分かってる」

 

 話したから分かる訳じゃない。言ったから伝わる訳でもない。きっと、言葉を伝えるということは、酷く難しいことなんだ。

 

「それじゃあ……どうすれば良いの?」

 

 不意に、雪ノ下は俺にそう問うてくる。瞳を涙で潤ませながら、彼女は俺に、その続きを問うてくる。

 

「さぁ……どうすれば良いんだろうな?」

 

 言葉なしには伝えられず。言葉があるから間違えて。なら俺と彼女は、どうしたら良いのだろう。どうすれば、彼女に俺の想いを伝えられるのだろう。どうすれば、俺は彼女の想いが分かるのだろう。

 

 真剣に見つめても、目を逸らしても、真面目に考えても、ふざけて考えてみても。どうやったって、そこに答えはない。揺れ動く視線の先に、求めた言葉は見つからない。

 

「……きっと、言葉じゃどうにもならないんだと思う。でも、言葉じゃないと伝わらないんだ」

 

「……何よ、矛盾してるじゃない」

 

 あぁそうだ。矛盾してる。でもそれは、お前にも言えることなんだ。

 

「そうだな……でも、お前のその"感情"も、矛盾してるところがあるんじゃないか?」

 

「それは……」

 

 きっと、彼女もその矛盾に気づいている。俺と同じように、感情に慣れてなくて、理屈でしか考えられないから、同じ壁にぶち当たる。二の舞を演じる。同じ轍を踏む。

 

「……多分、その違和感を。言い表せないそれを、俺達は言葉にしなくちゃいけないんだ」

 

 この違和感は、前からあった。けどそれは、経験したことがないから。感じたことがなかったからあるのだと、そう思っていた。そして、いつか慣れてしまって、消えてしまうものなのだと、そう思っていた。

 

 けれど、それは違うのだろう。今もなお感じるこの違和感を、俺は無視してはいけない、無視してはならないのだと、本能が叫んでいる。警告してくれている。

 

 ならば俺は、考えなければならない。真剣に、向き合わなければならないのだ。分からなくても、理解出来なくても、目を背けたら、無くなってしまう。そんな気がするから。

 

 だから、俺は彼女に、こう言うのだ。

 

「もう一度言う。雪ノ下、俺は、お前のことが好きだ。そして、出来ることなら、ずっと、俺の側に居て欲しい」

 

「……ッ!」

 

 雪ノ下が目を見開く。俺の言葉に、きっと驚きを隠せないんだろう。俺が一番驚いているんだ。間違いない。

 

「これは、俺の一方的な、独善的で、独裁的で、傲慢な願いだ。お前がこれを受け入れる理由は、どこにもない」

 

 そう、彼女には、俺の自己満足とも呼べるこの想いを、受け入れる理由はどこにもない。

 

「けど、もしも、もしもお前がこの言葉を聞いて、その"違和感"が膨れ上がるのなら。胸が苦しくなるのなら。……それはきっと、好意なんじゃないかと、俺は思う」

 

 前例はない、確証もない。何もかもが憶測で、何もかもが俺の自分勝手な我儘だ。

 

「それが異性に対するものなのか、はたまた単なる信頼からくるものなのか。もしかしたら好意なんかではないのかもしれない。それは、俺には分からない。けど……」

 

「けど……?」

 

 そこで言葉を止めると、雪ノ下と目が合った。逸らしていた目が、目を背けていた現実が、目の前にあるようだ。

 

 涙に潤んだ瞳、赤く腫れた目元、震える彼女の唇。その全てが、眩しくて、煌めいて、輝いているようで。俺は、つい目を逸らそうとして、思い留まる。

 

 ここで目を逸らせば、今までと同じだ。三度目の過ちは、仏だって許してはくれない。

 

 逸らそうとする目線を、一心に彼女へと向ける。彼女は、俺の続きを待って、しっかりと見つめてくれている。

 

 そんな、真摯に向き合ってくれる彼女に、雪ノ下に。

 

「……俺は、お前と同じ気持ちだと、嬉しいと、思う」

 

 俺なりに考えて、紡いだ言葉。悩んだ末に行き着いた、俺自身の本心。それを、俺らしく伝える。

 

「……ッ!」

 

 きっと、この言葉自体に意味はない。その文字列に、俺が表したいことの全てがある訳では全然ない。

 

「……もしかしたら、この"感情"は好意じゃないのかもしれない。そんな純粋で綺麗じゃなくて、もっとおぞましい何かかもしれない」

 

 けれど、俺はなおも言葉を続ける。続ければならない。

 

 言葉にして、伝えようとして、初めて意味を成すものだって、きっとあるから。

 

 それは、伝えた俺が、伝えられた彼女が、誰よりも分かっているはずだと、俺は思いたい。

 

「それでも俺は、この感情を、お前に……雪ノ下雪乃に対する好意だと、俺は信じたい。願っていたい」

 

 分からないのなら、考える。それで理解出来ないのなら、何度も悩む。それでも分からないのなら、いくらでも計算する。それが俺のやり方だった。

 

「……俺はきっと、そういう関係が欲しかったんだ」

 

 けれど、それでは分からなかった。答が見つからなかった。誤解ばかりが空欄を埋めて、何度も何度も問い直したのに、その正解がついぞ分からなかった。

 

「互いが願いを押しつけ合って、傲慢を許容出来るような、そんな関係性を……」

 

 だから、それももう止めよう。否、変えてしまおう。

 

「そんなものがないと分かっていても、きっと俺なんかじゃ手が届かないのだと理解していても、望んでも手に入らない存在だとしても……」

 

 分からないなら考えて、理解出来ないのなら大いに悩んで、幾度となく計算し尽くして、なおも分からないのであれば、俺自身が定義しよう。自分なりに、"そうなんだ"と、感情に任せて決めてしまおう。

 

「俺は……そんな"本物"が欲しい。そして、俺はお前と、そんな関係になりたいと、願っている」

 

 相手に"そうあってほしい"と願うこと。それが、俺が言葉にしてまで伝えたかった、俺の想い。

 

 そしてそれは、互いを想い合い、重ねた時間が、それ違った願いが、その言葉に確かな意味を与えてくれる。

 

 俺は、そう信じている。

 

「……本当、貴方って卑怯だわ」

 

 雪ノ下は、俺の長い長い独白に、先程と答える。

 

「卑怯、か……」

 

 確かに、彼女の言う通りなのだろう。俺が今更、何を言っているんだということなのだろう。

 

 分かってはいた。理解もしていた。言葉にして、彼女にも伝えた。だから、それでどうにも出来ないのなら。きっと、それはどうしようもないことなのだ。

 

「えぇ……卑怯よ。私が……貴方にとてつもない"好意"を寄せてる私が……貴方の嘘告白を一蹴したような私が……断れる訳がないじゃない……」

 

 だから、断られたって仕方が……ん?

 

「……え?」

 

 雪ノ下の言葉に、俺は思わず耳を疑う。今、彼女は何と言った?

 

「あら、想い人の声すら届かなくなったのかしら、タラシ谷くん?」

 

「えっ、と……え?」

 

 思考がまとまらない。頭が働かない。雪ノ下の言葉が、まるでメデューサに見られたかのように、俺を石のように固まらせる。

 

「……混乱しているのかしら。……えい」

 

「痛ぇッ!? ……って、痛覚ないんだった」

 

 突然、呆けていると雪ノ下に頬を両方に引っ張られた。雪ノ下の手が柔らかい……ってそうじゃない。

 

「はぁの……いぇきのしてぇしゃん?」

 

「何かしら、ヒキガエルくん?」

 

 パチンと、両の手を放して俺の頬が彼女から離れる。ゴムパッチンみたいにはならなかったが、いくらかの衝撃がきた。

 

「いやヒキガエルって……何でいきなり罵倒してくんの? 頬引っ張るし」

 

「貴方が悪いのよ? 折角貴方に答えてあげたのに、貴方呆けるんですもの」

 

 告白したら、罵倒される上に頬を引っ張られるとかマジ理不尽極まりない。いやもう、告白した次の日には学校中に広まるレベルには酷い。いやむしろそっちの方が酷いな……って、そうでもない。

 

「えっと……その、雪ノ下さん。改めてお聞きしても、宜しいですか?」

 

「良いわよ、何かしら?」

 

 雪ノ下はそう答えるが、その割には周りに超不機嫌オーラをまとっている。やべぇ、俺の告白そんなにやだった? 今までで一番ショックだったんだけど……。

 

「その……さっきの言葉は、嘘じゃないんだよな?」

 

 情けない質問だが、これが嘘だったら、俺は自殺するかもしれない。流石にそこまでいかなかったとしても、数ヵ月引き篭る自信がある。

 

「……はぁ」

 

「え、ちょっと? 俺結構真面目なんですけど?」

 

 案の定、雪ノ下は俺の質問を聞いて、不機嫌なオーラを抑えると溜め息を吐く。いや、しょうがないじゃん? これで嘘ですなんて言われてみろ。流石の俺も大声で泣く自信あるぞ?

 

「……なら、今度はちゃんと、分かるようにするわ」

 

「分かるようにって、何をっ……!?」

 

 雪ノ下は俺の顔を両手で挟んだ。そして、何をするのかと言おうとしたところで、俺はその後、何も言えなくなった。否、言えなくされた。

 

 彼女の、柔らかで、甘くて、震えている唇で。優しく、小鳥が餌を突っつくように、軽く塞がれていた。

 

 少しして、彼女から離れていく。それを俺は、少し寂しく思いつつ、何とか残った理性で頭を働かせる。

 

「お、お前、一体……?」

 

 嘘、全然働いてない。混乱と、恥ずかしさで、頭だけでなく身体中が熱い。溶けてしまいそうな感覚が、体を支配しようとしていた。

 

「どど、ど、どう、かしら? こ、これで貴方をその、しゅ、しゅき……しゅきだと……だいしゅきだっていうことが……その……」

 

「おお、落ち着け、雪ノ下。何回も言ってるが全部噛んでる。噛んでるから」

 

 しかし、俺より慌てふためいた雪ノ下を見て、少し落ち着いた。顔どころか首元まで真っ赤にして、目をあちこち泳がせて、呂律も全然回ってない。俺は落ち着くように彼女の肩を叩いて宥めさせる。

 

 その後しばらく、俺達は二人して、お互いを落ち着かせようと慌てていた。

 

 一体、何をやっているんだろうな。

 

 

 

 

 夜の冷たさを感じる頃に、俺達はようやく落ち着いた。冬の夜……向こうの季節とリンクしている所為か、十一月特有の渇いたような風は、冷たいというより少し寒い。それで、少しばかり頭も冷えた。

 

「……とりあえず、私の気持ちは伝わったかしら」

 

 コホン、と軽く咳をして、彼女はようやく口を開いた。それで、ようやく彼女の行動の意図が分かったのだが……。

 

「まぁ、お前の気持ちは……伝わった。けど……」

 

「けど? まだ何か足りないのかしら、この猿谷くんは」

 

「いやそうじゃねぇよ。というか、やってきたのむしろお前じゃねぇか」

 

 人にいきなりキスしておいて、何を言っているんだ、このポンコツッ娘は。思わず抱き締めたくなるじゃねぇか。恥ずかしいからもう絶対やんないけど。

 

「な、何よ。い、嫌だったの?」

 

「嫌というか……むしろ、嬉しかった、けど……」

 

「そ、そう……」

 

 沈黙。今度の沈黙は、先程のギスギスしたものとは別の、気まずくて、恥ずかしくて、もどしかしさで一杯だけれど。次第に心地好くなるような、優しい沈黙。

 

「……確かに、気持ちは伝わった。冗談で、あんな真似を、お前はしないからな」

 

「……そう。なら、良かった」

 

 そう言って、嬉しそうに微笑む彼女。それは、あの文化祭の終わりに、部室でただ一人俺を迎えてくれた彼女と、同じものだった。

 

「……ただ、なんでいきなりあんなことしたんだ? その、言葉でも、十分嬉しかったんだが……」

 

 そう、そこなのだ。彼女がわざわざ、あんなに取り乱すくらいにまでなって、俺にキスする理由が、あの場であったのか。そこだけは、どうしても分からない。

 

「……貴方が言ったんじゃない」

 

「え、俺?」

 

 そう言われるが、心当たりがない。キスしろだなんて、そんな烏滸がましいことを、俺が言える訳がない。ならどれだ? どれが、彼女を勘そうさせた?

 

「……言葉じゃどうにもならなくて。言葉じゃないと伝わらないって。だから、私なりにそれを示そうと思ったのよ……」

 

「そ、そうか……」

 

「そうよ……この気持ちが、貴方への”好意”だって、貴方が教えてくれたから。だから、そのお礼よ」

 

 そこまで言って、彼女はまた赤くなる。さっきのを思い出したのだろう。安心しろ、俺も多分真っ赤だ。暗くても分かるくらい、お互い真っ赤だ。

 

「……でも、そうか。それなら、凄く嬉しい……」

 

 ただ、彼女が俺を理解しようとしてくれたことが。歩み寄ろうとしてくれたことが、今は何よりも嬉しくて、幸せで、心が満たされるような気分だ。

 

「……フフ、なら、感謝しなさい」

 

 ポンっと、彼女の頭が俺の胸に預けられる。体も俺の体にすっぽり埋まるように、俺へと寄りかかる。一気にデレ過ぎじゃありませんこの娘? 可愛くて仕方ないんですけど。抱いて良い? 既に抱いてたわ(混乱)

 

「……約束してちょうだい」

 

 俺の混乱を他所に、彼女は不意に口を開く。

 

「……ゲームをクリアするまで死なないこと」

 

 ポツリ、ポツリと、彼女は俺に、約束を命じる。

 

「……私を、死なせないこと」

 

 顔の近くで香る彼女の髪の香りが、俺の思考を麻痺させるように浸透していく。

 

「そして誓いなさい、比企谷くん。あの部屋に帰るまで、私を守るって。今この場で誓いなさい」

 

 言いながら少し離れると、彼女は右手を、その小指を可愛らしく立てながら、胸の前まで持ち上げる。

 

「……もし破ったりしたら、怒るわよ?」

 

 そして、白く輝く綺麗なその手を軽く振って、俺に誓いを立てるように、可愛らしく催促する。

 

「……お前に怒られるのは、流石に怖いな」

 

 それを見て、俺は笑う。何というか、どうしてこう、俺の周りは皆カッコイイのだろうか。女々しい俺が、少し恨めしい。

 

「あら、酷いわね。私、貴方に怒ったこと、あまりないと思うのだけれど?」

 

「よく思い出してみろ。入部当初なんざ針ネズミみたく尖って威嚇してただろうに」

 

「あれは怒ってなんかいないわ。むしろ、当時の貴方に対する正当な反応だと思ってるわ」

 

「ほぅ……なら、今はどうなんだ?」

 

 俺は自分の右手をゆっくりと上げる。思えば、これをやるのは生まれて初めてかもしれない。

 

「……約束を守ってくれるなら、私も誓ってもいいわ」

 

「……何をだ?」

 

「……ゲームクリアまで死なないこと。貴方を死なせないこと。どうかしら?」

 

 そうやって蠱惑的な笑みを浮かべながら、彼女は差し出した右手の小指を、俺の右手の小指を握る。いわゆる、指切りげんまん、というやつだ。

 

「……約束する。お前を残して、俺は死なない」

 

 失敗は、いつだって取り返しがつかないものだ。そして、その度合いが強い程、人はより後悔の念を感じるのだ。

 

「あの部屋に、お前の入れた紅茶が香るあの部室で、三人揃って笑うまで」

 

 沢山失敗した。何度も後悔した。俺の黒歴史の数だけ、俺はそれを繰り返してきた。

 

「俺は決して死なないと、お前を死なせないと、約束する。絶対だ」

 

 だから、今度こそは。後悔のないように、失敗をしないように、話し合って、助け合うのだ。

 

 その為に、俺は雪ノ下と、それをすることを誓う為に、指切りを交わした。

 

「フフッ……」

 

 俺が指を放した後、彼女は不意に笑う。その頬を流れる涙はきっと、悲しいからではないだろうけど、その理由が分からない。

 

「どうした? えらくご機嫌だな、何か良いことでもあったか?」

 

 冗談混じりに、俺は雪ノ下をからかってみる。普段なら絶対しない暴挙だが、今ならきっと、許してくれる。

 

「えぇ……どこかの誰かさんが、プロポーズ紛いのことを言ってくれたのよ」

 

「お、おう……そうか」

 

 訂正。どうやら、からかわれていたのは俺だったらしい。確かに、言われてみればプロポーズも同然だな、俺のセリフ。今日は一体、どれだけ恥ずかしいことをすれば良いのだろうか。

 

「……何でこんな簡単なことが、出来なかったのかしらね。私達」

 

「……同感だ」

 

 思えば単純な話だった。お互いが、本心を語るだけ。そしてそれを、真っ直ぐに受けとるだけ。言ってしまえば、それだけなのだ。

 

 それだけのことが、凄く難しくて。それだけのことで、壊れてしまう関係もある。だから、それを恐れて言わないということも、きっとある。

 

「……でも、それが俺達だろ?」

 

「……そうね」

 

 けれど俺は、俺達は伝えられたのだ。本心を伝え合うことが出来たのだ。泣きながら、恥ずかしがりながらも、本心を曝け出し合うことが出来たのだ。

 

 たとえそれが間違いの上に成り立っているのだとしても。偽物ばかりで出来たものだとしても。俺達が最も嫌った欺瞞なのだとしても。

 

 俺はこれを、"本物"だと思いたい。

 

 この関係こそ、俺の求めた"本物"なのだと、思っていたい。

 

 それが、俺達にとっての本物なのだと、胸を張って言う為に。

 

「……由比ヶ浜さんには、悪いことをしたわね」

 

「……あぁ」

 

 ここにはいない、太陽のように笑顔を振り撒く、優しい少女。そんな彼女の笑顔を、俺は思い出す。

 

 彼女がいたからこそ、俺達はここまでやってこれたのだと思う。彼女がいなければ、きっと奉仕部は瓦解して、雪ノ下とこういう関係になることもなかっただろう。

 

 そういった意味では、俺も、彼女も、由比ヶ浜を裏切るような行為をしているのだ。

 

 俺は、彼女の好意に気づいていた。思い上がりでないのなら、あの夏祭りの帰り道。あの夜道で彼女は、それについて打ち明けようとしていたのではないのかと、何となく思う。

 

 けれど、俺はそれを遮った。たまたまその場を遮った電話に、話を逸らしたのだ。

 

 俺はあの時、怖かったのだ。勘違いで、彼女の迷惑になることが。彼女の想いを受けとることが。彼女に触れることが、怖かったのだ。

 

 彼女は今、この世界にはいないはずだ。こういった機械を扱うのが苦手なのだと、残念そうに言っていたのを覚えている。いつ聞いたかは忘れたが、多分このゲームについてそれとなく聞かれた時だったと思う。

 

 きっと、由比ヶ浜は泣いているだろう。あの場所が大切なのだと、誰よりも純粋にそう願っていた場所に、俺達は居ない。この世界に囚われているからだ。

 

 彼女の涙の原因は、大抵は俺な気がする。気配りの出来る男で通っていたはずなのに、これじゃあただのクズ野郎じゃないか。

 

「……?」

 

 不意に、俺の手を彼女はギュッと握る。指だけでなく、手全体を、優しく包むように。

 

「……彼女にも、謝らないとね」

 

 そう呟く雪ノ下の顔は、少し申し訳なさそうだ。

 

 もしかしたら彼女も、由比ヶ浜の好意に気づいていたのかもしれない。それを、自分が横取りしたような形になったことを、申し訳なく感じているのかもしれない。誰よりも信頼している、友人だからこそ。

 

「……一つ言わせてくれ、雪ノ下」

 

「……何かしら?」

 

 ただ、それは彼女が感じるべき感情じゃない。それを言うなら、そもそもはぐらかしていた俺が悪いのだから。それに――。

 

「俺は……お前だから好きだと言ったんだ。他の誰でもない、お前だから言ったんだ」

 

 由比ヶ浜にとっては残酷かもしれない。けれど、俺の心はきっと、彼女には傾かない。それは、分かっていた。

 

 思えば俺は、雪ノ下にずっと、惚れているのだから。

 

「……そう。嬉しいわ」

 

 だからきっと、由比ヶ浜に告白されたとしても、俺の心は、彼女には傾かない。揺らぎはするかもしれないが。

 

 優しくて、可愛くて、時々とんちんかんなことを言って。

 

 誰よりも晴れやかな笑顔を、俺にも見せてくれる。そんな優しい女の子だと、知っていても。

 

「……きちんと、話そう」

 

 だからこそ、俺は彼女を失いたくない。

 

「生きて、帰って、三人で」

 

 俺達のワガママで、彼女だけ傷つけるなんて、そんな真似をすることなど、決して許されない。

 

「納得してもらえなかったら……その時は」

 

「……分かってる。私も、彼女を失いたくないの」

 

 雪ノ下も、俺の言葉に静かに応える。

 

 そうだよな。雪ノ下の初めての友達だ。手放す気なんて、更々ないのだろう。

 

「渡す気はないけれど……もし彼女が、それで絶交を望むなら。その時は、容赦なく貴方を見捨てるわ」

 

 だから、こう雪ノ下が宣言するのも、分かっていた。

 

「……あぁ、それで良い。俺も、俺なんかが理由でお前らが仲違いするのは、見たくない」

 

 俺は、雪ノ下と、由比ヶ浜が好きなのだ。恋愛……なのかは分からないが、それで見れば雪ノ下が勝るだけで、由比ヶ浜という人間が好きじゃない訳じゃない。

 

「だから生きて、この場所から帰って、三人で話しましょう」

 

「……納得いくまで、あの部室で、三人でな」

 

 きっと、彼女なら……なんてことは言わない。こればっかりは、彼女の心次第だ。

 

 ただそれでも、俺達は三人でいることを何より望む。その為に、話し合う。その為に、この世界を生き抜く。

 

 そしたらきっと、またあの場所で笑っていられる。三人で、他愛もない話も出来る。

 

 俺は空を見上げる。都会には見られない、幻想的で、輝かしい夜空の星が見える。計算の上に成り立っているなんて、俺にはとても思えない代物だ。

 

 けれどここは、現実じゃない。生きるべき世界ではない。

 

「……絶対に帰るぞ」

 

「……えぇ」

 

 俺達は生きる。この世界で、生き残ってみせる。

 

「……フフフ」

 

「……どったの、お前?」

 

 突然、雪ノ下が笑いだす。何、ついに壊れた? 流石に今精神崩壊されても困るんだが……。

 

「何というか……似合わないわね」

 

「ほっとけ」

 

 そりゃ似合わんだろうよ。役不足ならぬ、役者不足だ。俺には本来釣り合わん言葉だからな。

 

「……比企谷くん」

 

「……ん」

 

 胸に重みがかかる。見てみれば、雪ノ下が俺に体を預けていたようだ。微かな温もりが、彼女から俺に伝わってくる。

 

「彼女にも、会いたいわね」

 

 一度別れてしまった人間は、二度と会うことがない。そう言っていた自分に、今すぐ殴りに行きたいくらいだ。

 

「……そうだな」

 

 今の俺は、どうしようもなく、会いたい人間がいるのだから。

 

 俺はもう一度空を見上げる。夜の帳もそろそろ降り終わるだろう。そしたらきっと、また朝を迎えにいくのだ。光に溢れた、煌めく陽の暖かさを。

 

「お」

 

 その瞬間、一筋の流れ星が見えた。一瞬で通りすぎるあの光に、人は願いを込めるという。

 

 以前の俺ならば、きっと何も願わなかっただろう。貰ったものは偽物で、いつか失ってしまうものだからと。けれど、今はもう違う。願うことを知ったから。願っても良いのだと、教えてもらったから。

 

 だから、俺は願おう。どうかこんな光景を、いつか三人で、共に見れる日が来ることを。

 

 俺は密かに、心の中で消えていった星に、願いを込めた。




いかがでしたでしょうか?
原作・ゲームから出来る限りの言葉を自己流かつ自分なりに二人をくっつける為に駆使しました。冗長かもしれませんが、二人ならこの程度の密度と長さの会話はきっと朝飯前です。夜だけど。
二人は和解した。思いの丈も言い合った。なら後は、分かるな? ってな訳で、次話以降イチャイチャする彼らの姿が増えることでしょう。八雪派の皆様、お待たせ致しました。次話投稿大分先になるかもしれませんが。(おい)
次回はキリハも交えてあの人に会いに行きましょう。原作持ちの方ならきっと分かるはず。何故アニメではなかったのか……。
意見、感想等、お待ちしております。

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