限りなく現実に似た世界で   作:気分屋トモ

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やぁ。予告通りの第二話だよ。
九月に入る頃には攻略を始めたいと思ってます。
それでは、どうぞ。

~追記~
加筆修正しました


悲劇にも、彼と彼女は囚われる

「ログアウトボタンは、どこにある?」

 

 俺の言葉にキリハは少し怪訝な顔をする。

 

「ログアウトボタンですか? それならメインメニューの一番下に……」

 

 そう言ってキリハはウィンドウをスクロールしていくがその途中で言葉は途切れる。彼女のウィンドウにも存在しなかったのだろう。

 

「ないだろ?」

 

「……ないですね」

 

「んなバカな! そんなことあるわけねぇだろ!」

 

 クラインも続いてウィンドウをスクロールするがどうやら結果は同じだったらしく顔から血の気引いていくのが分かる。

 

「おい、どうなってんだこりゃ……」

 

「分かりません。けど、こんな大規模なバグならすぐに報告があるはずなんですが……」

 

「コールセンターは一向に反応しないぞ」

 

 クラインは既に、コールセンターに向けて連絡を取っていたようだ。しかし、無情にも応答は望めない。

 

「となると、これは一体……?」

 

 沈黙。誰もが自分の置かれた現状を整理するため、或いは認めないよう現実逃避するために黙りこむ。

 

「まああれだろ! 正式サービス初日だかんな。こんなバグも出るんだろうよ。今頃運営は半泣きだろうな」

 

 空回りな元気と共に、クラインが声を発する。それに続くように俺達も反応する。

 

「お前もな」

 

「クラインもです」

 

 そのクラインの楽観的な思考に俺とキリハは現実を見せるために時計を指差した。その時刻は既に五時半に差し掛かろうとしていた。

 

 瞬間、クラインはその事実に気づき大声で叫ぶ。

 

「俺様のテリマヨピザとジンジャエールがぁぁぁぁ!!」

 

「この状況でそれが心配なのかよ……」

 

 クラインのその反応に、俺達は呆れて笑う。

 

 だが、これで少し気持ちが落ち着いた。これが演技で……はないだろうが、暗くなりつつあった雰囲気は取り払われた。素直に感謝だ。

 

「さて、キリハ。これからどうする? 何か手立てはないのか?」

 

 俺は一番この中でこの世界に詳しいであろうキリハに質問する。何かするにしても俺やクラインのようなビギナーには情報が少ない。

 

 それにキリハは少し考えるように腕を組んでから答える。

 

「そうですね。プレイヤーが自発的にログアウト出来るのはあのログアウトボタンだけです。ですので、結局のところ運営側が何らかの対処するまでは、私達は待機するしかありません」

 

 クソ……、思ったより手詰まりな状況にいるのか。一刻も早く、小町の待つ我が家へ帰りたいというのに。

 

 ゴォーーン! ゴォーーン!

 

「ッ!?」

 

 不意に、鐘の音が鳴り響く。この世界全てに轟くようなそれは、俺達の不安を駆り立てる。

 

 恐らく、始まりの街にあるあの大きな鐘が鳴っているのだろう。だが何故だ。こんなイベントはなかったはずだ。

 

「な、何が起こってんだ?」

 

「分かりません。けど……」

 

「あぁ……」

 

 嫌な予感がするのは、分かるのだ。

 

 クラスの空気が悪くなる予兆。危険な目に遭うかもしれない予兆。そんなものなど比較にならない、最大の警鐘が鳴っている。

 

 そしてそれは、突如として現れた。

 

「何だッ!?」

 

 謎の光が、俺の体を包む。抵抗する暇もなく、気づけばログインしてすぐの場所、始まりの街の大広間に飛ばされていた。

 

 そして、俺達以外のプレイヤー、恐らくは全てのプレイヤーもここに集められている。

 

「えー何々? 何のイベント?」

 

「おい、早くしろよ! 家に帰れねぇだろ!」

 

 ログアウト出来ず、前触れもなく集められたプレイヤー達は興奮や期待、或いは不安や焦燥に飲まれ、喧騒を広めてゆく。

 

 そんな中、誰かが言った。

 

「おい、あそこ見てみろよ!」

 

 そう言って指差す先には、青空の中にポツンと、バグのように現れたそれは、六角形に何かが書かれた、赤い表示だった。

 

 表示は見つけられたのを合図に、瞬く間に広間を覆うように広がっていった。

 

 世界の来訪者を歓迎する青空は、自身に牙を剥くような、絶望を呼ぶ空に変わり果てた。

 

「おい、どうなってんだよ……」

 

「何が、始まるんでしょう……?」

 

 クラインやキリハが隣で呟いているが、正直構っていられない。悪い予感が収まらないのだ。

 

「おい、あれ!」

 

 再び誰かが叫ぶ。そこには、赤く染まった空から零れ出た赤い液体が空中で何かを形作っている。

 

 その赤い空間に、警告を意味するWarningという文字が並べられていたのを、俺は見逃さなかった。

 

「やだ、怖い……」

 

「安心しなよ。どうせ、何か不具合に対するお詫びか何かだよ」

 

 あ、やべぇ。何か近くにムカつくカップルがいる。こんな状況なのにリア充くたばれビームが出ちゃいそう。

 

 そんな彼らや俺のことなど気にもせず、いよいよもって形作られたそれは、先程何度呼び掛けても応答のなかったゲームマスターの様相だった。

 

 しかし、赤いローブに穏やかな老人の顔。それが本来のゲームマスターの姿のはずだが、このゲームマスターには顔がない。

 

 そんな姿をした彼は、俺達を一瞥してゆっくりと手を広げると、静かに語り出す。

 

『プレイヤー諸君、私の世界へようこそ』

 

「私の、世界?」

 

 一体どういう意味なのだろう。ざわつくプレイヤー達を無視してゲームマスターは続ける。

 

『私の名前は茅場晶彦、今やこの世界をコントロール出来る唯一の人間だ』

 

 その言葉に、いっそう辺りはざわめき始める。

 

「本物かよ!?」

 

「随分手ぇ込んでるな!」

 

 いや、今はそこに感心している場合ではない。むしろ、何故そこまで呑気でいられるんだ。

 

『プレイヤー諸君は、既にメインメニューからログアウトボタンが消滅していることに気づいていると思う』

 

 当然だ。だから俺達は、ここから出られず、彼の支配下にあるこの世界に今も居るのだから。

 

 しかし、いくらそんな不備が出たからと言って、メディア嫌いと呼ばれていた彼がわざわざ出てくるか? それも、説明するためだけに。

 

 俺はその時、その言葉の続きを、どこか期待していたのかもしれない。ログアウト出来ないのは不具合で、すぐに現実に帰れるのだと。安直な願いを夢見ていたのだろう。

 

 かつて、彼女に期待していたように。彼女に理想を押しつけていたように。彼女に対して、一人で勝手に落胆してしまった時のように。俺は、同じ過ちを繰り返していた。

 

『しかし、これはゲームの不具合ではない』

 

 受け入れたくないと、そうじゃないだろうと、そう思いたいがための、押しつけがましい欺瞞を。俺は今も抱いていたのだ。

 

「……え?」

 

 思考が止まる。その先を考えられない。けれど、現実は俺を待ってはくれない。

 

『繰り返す。これは不具合ではなく、ソードアートオンライン本来の仕様である』

 

 茅場は、それが当然のものであるかのように語る。

 

「仕様、だと?」

 

『諸君は自発的にログアウトすることは出来ない。また、外部の人間によるナーブギアの停止、或いは解除もあり得ない。もし、それが試みられた場合――』

 

 それが目的だと言わんばかりに、彼は何の躊躇いもなく語る――。

 

『ナーブギアの信号素子が発する高出力マイクロウェーブが諸君らの脳を破壊し、生命活動を停止させる』

 

 ――俺達は、既にこの世界に囚われたのだと。

 

「ッ!?」

 

 茅場のその言葉を聴いた者達の眼が見開かれる。ただ、その意味を分かった人間は、少なくとも俺とキリハくらいのようで。

 

「何言ってんだアイツ? 頭おかしいんじゃね?」

 

 事実クラインは茅場の言っている意味が分からないようだ。その他のプレイヤーも口々に文句を言っている。

 

 けれど俺には、それが無駄な行為だと。彼の言葉が真実なのだと、分かってしまった。彼が何一つ、嘘を口にしていないことを。

 

「……信号素子のマイクロウェーブは電子レンジと同じだ。リミッターさえ外せば、脳を焼くことも……」

 

 キリハはそういった知識に造詣があるのか、専門用語的な言葉を呟く。どうやら、脳を焼く原理が分かるらしい。けれど、それがどうした。

 

「じゃあよぉ、電源を切れば……」

 

「ナーブギアには内臓バッテリーがあるぞ。……多分、逃さない為だろ」

 

 相手は天才なのだ。俺達が思いつくことくらい、容易に考えられるに決まってる。だから、分かったところでどうにもならないのだ。

 

「ぐっ! ……でも、無茶苦茶だろ! 何なんだよ!」

 

 クラインは痺れを切らして叫ぶ。当然だ、こんな理不尽が強要されて堪るか。

 

 けれど奴は、茅場は俺達に現実(ぜつぼう)を突きつける。

 

「残念ながら、現時点でプレイヤーの家族、友人などが警告を無視し、ナーブギアを強制的に解除しようと試みた例が少なからずあり、その結果()()()()名のプレイヤーがアインクラッド及び現実世界からも永久退場している」

 

「にひゃっ……!?」

 

 淡々と、結果報告をするようにそう言って彼は現実のニュース報道の映像をいくつも表示させる。そこには、ゲームでの死者が出たことによるニュース騒動ばかりが取り上げられている。

 

 どよめき、なんてレベルではなくなってきた。先程まで高を括っていた連中からも恐怖の表情が見てとれる。

 

「おい、冗談だろ……?」

 

「信じねぇ……信じねぇぞ俺は!!」

 

 キリハもクラインも、あまりに急過ぎるその事実に動揺を隠せない。

 

「ご覧の通り多数の死者が出たことを含め、この状況をあらゆるメディアが繰り返し報道している。よって、既にナーブギアが強制的される危険性は低くなっていると言ってよいだろう。諸君らには、安心してゲーム攻略に励んでほしい」

 

 この状況下で〝安心して〟などと言っているアイツは、間違いなく狂っている。

 

 大量殺人。それを、彼は何事なかったかのように流したのだ。正気の沙汰ではない。

 

 ふと、茅場が表示している映像の中で一人の女の子に目が止まった。

 

 その女の子は泣きながら母親に心配されている。きっと、中に囚われた家族が居るのだろう。

 

 その姿が、酷く小町の姿と被って見えた。

 

「小町……」

 

 きっと、小町は後悔しているかもしれない。俺が頼んだこととはいえ、自分が親父に頼まなければこんなことにはならなかったと。今もなお、自分を責めているかもしれない。

 

「しかし、充分に留意してもらいたい。今後、ゲームにおいてあらゆる蘇生手段は機能しない。HPがゼロになった瞬間、諸君らのアバターは永久に消滅し、同時に――」

 

 茅場はつけ加えるように説明を続ける。恐怖に駆られる俺達に、それが現実であると、そう言い聞かせるように。

 

「――諸君らの脳は、ナーブギアによって、破壊される」

 

 この世界の死は、現実での死を意味するのだと。

 

 死。たった一文字だ。当然の摂理だ。

 

 なのに、それを認識しただけで意識が揺らぐ。足元がおぼつくくらいに、気持ちが不安定になっている。

 

 俺はHPを見やる。初めての戦いの時、慣れない俺は一度だけこれが赤色になった。

 

 もし、これがなくなっていたら俺は……死んでいた。

 

 俺だけじゃない。ここにいる、全員が、たった一度でもHPがゼロになるだけで、死ぬ。ゲームのように、復活することはない。

 

「諸君らが解放される条件はただ一つ。このゲームをクリアすればよい」

 

 茅場は、俺達の唯一の解放条件を開示する。その内容は、至極単純だった。

 

「現在君達がいるのはアインクラッドの最下層、第一層である。各フロアの迷宮区を攻略し、フロアボスを倒せば上の階へ進める。第百層にいる最終ボスを倒せばクリアだ」

 

 だが、単純であるのと、容易であるのは違う。それは、明らかに無茶な条件だった。

 

「クリア? 第百層だと? 出来る訳ねぇだろ、ベータテストじゃ録に上に上がれなかったんだろ!?」

 

 クラインがそれに抗議の声を上げる。確かに、ベータテストでは二ヶ月で八層までしか上がれなかったと聞いている。単純計算でも二年はかかる。更に、それは死が許された時の話だ。慎重に慎重を重ねれば、もっと時間をかけることになるだろう。

 

「でたらめなこと言ってんじゃねぇよ!」

 

「早くここから出せよ!」

 

 あちこちから怒号が飛びまくる。当然だ。それは、俺達に死ねと言っているようなものだから。

 

 しかし、茅場は聞く耳を持たない。いや、聞く必要がないのだろう。彼にとってこの反応も、想定の範囲内のはずだ。

 

「最後に、諸君らのアイテムストレージに私からのプレゼントを用意してある。確認してくれたまえ」

 

「プ、プレゼント?」

 

 この状況でプレゼントだと? 一体、何を考えているんだ。

 

 けれど、開けなくてはどうにもならない。俺は恐る恐るアイテムを確認して、首を捻った。それは、男の俺には随分と馴染みの薄い物だったからだ。

 

「手鏡?」

 

 何故、このタイミングで手鏡を? そう思い手鏡を実体化させて見る。

 

 そこには、俺ではない普遍的な顔が写っている。そりゃあ、最初に設定したからな。目も腐ってない。

 

「ウワァァァ!?」

 

「な、何だッ!?」

 

 突如、周囲にいた人間達が皆光に包まれた。近くにいたクラインやキリハ、そして俺も例外なく包まれ、眩しさに思わず目を閉じて体を庇う。

 

「グッ……ん、あれ?」

 

 しかし、しばらくたっても何も起きない。体のどこにも違和感がない。それこそ、現実と同じくらいに。

 

「おい、クライン、ハチ、大丈夫か?」

 

 不意に、キリハからの呼び掛けが聞こえ、我に帰る。

 

「あぁ、お前も大丈――」

 

 そう言って、キリハのいる方向へ振り向いた。はずだ。

 

 しかしそこにいたのは、先程までいた長身の女性ではなく、小柄な可愛らしい少女だった。

 

「お前、誰だ?」

 

「だ、誰ですか貴方は?」

 

 見事に被った。いや、本当に誰だよ。

 

 いたはずの人間がいなくなって再び混乱に陥りそうになった時、クラインの声が聞こえた。

 

「キリハ、ハチも大丈夫か、ってあれ? 誰だお前ら」

 

 振り向くとやはり知らない人間がいた。

 

 いや、待てよ。まさか……。

 

 俺はもう一度手鏡を見る。

 

 すると、そこには俺がいた。

 

 現実世界での、眼の腐った俺がいた。

 

「なっ!?」

 

 体のあちこちを触る。その感触は、現実と何ら変わりのない俺の体そのものだ。まるで、俺そのものがこの世界に来たように。

 

 一体どういうことだ。何故、ゲームの中に俺がいる。いや、それよりも……。

 

「ってことはお前ら、キリハと、クライン、なのか?」

 

「では……貴方がハチさんと、クラインさんなんですか?」

 

「あぁ、俺はハチだ」

 

「俺はクラインだぜ」

 

「そう、ですか……ハチさん、眼が腐ってますね」

 

「ほっとけ」

 

 今言うかこのアホは。それどころじゃないだろう。しかし一体、どうやって再現してるんだ。そんな情報を盗られた覚えは……。

 

「……スキャン」

 

「え?」

 

 ふと、キリハが呟く。

 

「ナーヴギアは高密度の信号素子で顔をすっぽり覆っています。多分、それで顔の形を把握出来るんです」

 

「でも、体はどうしたんだ?」

 

「ほれ、あれあったろ。キャリブレーション? とかいうやつで体のあちこち触ったやつ」

 

 言われて思い出す。そういや、何でこんなのやるんだって思ったな。あれはこの為だったのか……。しかし何で……。

 

『これはゲームであっても、遊びではない』

 

 唐突に、その言葉が甦る。そして、彼の言動に合点がいった。

 

「そうか……そういうことか……」

 

「な、何か分かったんですか!?」

 

 キリハが食い気味に寄ってくるが、生憎落ち着かす余裕がない。何せ俺が一番落ち着いていない自信があるからな。心臓が破裂しそうだし、頭がクラクラする。

 

「あぁ……最悪なことだがな」

 

 この考えが正しいのだとしたら、茅場晶彦よ。お前は、相当狂ってやがる。

 

「奴の目的は――」

 

 どうしようもない程に、お前は狂っていやがる。

 

「――俺達をこの世界に呼ぶこと。多くの人間が、この世界で生きること。……それだけだ」

 

 そして、憧れちまうくらいに、純粋だ。

 

「なっ……!?」

 

「嘘だろ、おい!?」

 

 驚くのも無理はない。何せ、気づいた本人が一番驚いているんだ。

 

「分かる訳ねぇよなぁ? あのセリフが、デスゲームであるというこのゲームの伏線だなんて」

 

 アイツの言葉は、確かに一貫している。このゲームは遊びではない。"現実を生きる"のと同じようにだ。

 

 そして、その為だけに奴は逃避手段を断ち切った。それが、"現実逃避手段(ログアウトボタン)"の消失だ。

 

「奴はこの世界に何らかの執着でも持ってるんだろう。そして、その世界へ俺達を招待した今、奴の目的は既に果たされている」

 

「そんな……!? 俺達を呼んで何になるってんだ!?」

 

「それが分かれば苦悩はしない。ただ、今もなお喋る奴には、それを喋る気配は感じないがな」

 

 俺の言葉につられて二人は再び奴を見上げる。淡々と、ここにいる人間に絶望を与える彼の姿は、まるでこの世の理不尽を具現化したようなものに見えてしまう。

 

「奴はきっと仮想世界を"生きるべき世界"として見たいんだ。ゲームのように、ただ漫然と娯楽を求める為でなく、現実のように、苦しみながら生きろと、そう言いたいんだろうよ」

 

 しかも、それを無差別に選出する辺り、本当に様々な人間を呼びたかったのだろう。周りには老若男女、多少の比率の差はあれど、大方揃っているように見える。

 

「悪趣味が過ぎるぞ天才が……! 俺の理想の為に死ねと、言ってるようなもんだぞ!?」

 

 何が、彼をそこまでさせたのだろうか。

 

 何に、彼は駆り立てられたのだろうか。

 

 何を、彼は求めているのだろうか。

 

『――以上で、SAO正式サービスのチュートリアルを終了する』

 

 気づけば、茅場の説明は終わりに近づいていた。

 

『プレイヤー諸君、健闘を祈る』

 

 その言葉を最後に、赤いローブをまとったそれは、砕けて消えていく。掴み取れぬ現実のように、霧散する。

 

 そしてその後に残ったのは、驚愕に物言えぬ者達の、耳の痛くなるような沈黙だった。

 

 誰も、声を発せられない。思考が停止し、体も自由を奪われる。そんな金縛りのような状態が流れ――。

 

「い、いやぁぁぁぁ!!」

 

 年端もいかぬような、少女の叫びによって、爆発した。

 

「おい、出せよ!! ふざけんな!!」

 

「こんなことがあってたまるか!!」

 

「私この後予定あるのよ! 早く出しなさいよ!」

 

 感情の暴風雨。誰もが認めたくない現実から目を背け、各々の悲痛な声を叫び続けて荒れる場は、まさにそんな状況だった。

 

 俺も固まってしまう。このゲームからは出られない。死ぬかもしれない。その思考は沼のように深く、抜け出せない。

 

 俺が死んだらどうなる。

 

 小町は、きっと泣いてくれる。親も、多分悲しむはずだ。

 

 平塚先生も、きっと泣くだろう。戸塚もきっと悲しんでくれる。川崎も、何だかんだで悲しんでくれそうだ。

 

 ではアイツらは? あの雪のように儚げな少女は。太陽のように笑顔を咲かせる彼女は。

 

 一体どうなる? 俺の死に、どう思ってくれる?

 

 その時、思い浮かんだのは京都の夜。嘘告白をした後の、彼女達の顔。

 

『貴方のやり方、嫌いだわ』

 

 そう言って、俺の横を行く彼女の顔はどうだった。

 

『人の気持ち、もっと考えてよ!』

 

 そう叫び、俺を見る彼女の顔はどうだった。

 

 それを見て、俺はどう思った。何を感じた。

 

 彼女達の表情は、悲しそうではなかったのか。

 

「……はは」

 

 力無く、笑う。そうか、単純だ。単純だった。

 

 俺は、彼女達がどう思うかを、考えていなかったのか。

 

 雪ノ下の悲しげな表情を。由比ヶ浜の泣きじゃくる顔を。俺は見たのではなかったのか。

 

「やっぱ、どうしようもねぇなぁ……俺は」

 

 彼女達は何故そうなった。何故あんなにも苦しそうになった。

 

 それは、自ら敵に成りゆく俺を、見ていられなかったではないのか。

 

 逆で考えれば良いんだ。彼女達が、葉山に嘘でも告白したらどうだ? どう思う?

 

「……嫌だよなぁ」

 

 嘘だとしても、彼女達が別の誰かに告白するのを見て、俺は良い気分にはなれない。絶対だ。

 

 最善手だった。それは、絶対に曲げない。あの時に出来る手段は、あの結果に持っていく為には、絶対に必要だった。

 

 だが、それで納得出来るのか?

 

 俺なら問題ないと、何故思った。仮にも、半年以上共に過ごしてきた人間のそんな姿を、何故許容出来る。許容せずに、強要する方がおかしいと、自分で言っていたではないか。何故、彼女達には強要しているのだ。

 

 情けない。あぁ、情けない。情けなくて、死にそうだ。

 

 俺の中で後悔が生まれる。自分で選んだはずの選択に、俺は今、激しく後悔を感じている。

 

 こんな時に理解するなんて、全く駄目な野郎だ俺は。

 

「……戻るんだ」

 

 逃げてしまった事実は変わらない。だからこそ、あの部屋には紅茶は香らない。彼女達の顔にも、笑顔は咲かない。心地好かった空間を壊したのは、他でもない、俺だ。

 

「……生きて、あの場所に」

 

 だからこそ、あの場所に。あの空間に戻る為に。終わらせてしまったものを、始める為に。俺は、帰らねばならない。

 

「ハチさんッ!」

 

 キリハが俺を呼ぶ。見れば、クラインの腕をつかんで外に出るというサインを出していた。何か話があるのだろう。

 

「……今行く」

 

 行こう、生きるために。最初から情けない俺だ。今更年下に頼ったところで、それは変わらんだろう。

 

 そう思い、走り出そうと振り返る。だが、俺の足はすぐに止まってしまう。

 

「……おい、冗談だろ?」

 

 思わず頭に手をやった。保とうとした平静が崩れそうだ。今にも、膝から崩れ落ちてしまいそうだ。

 

「ハチさん!? どうしました!?」

 

 キリハが何か言っているがイマイチ届かない。悪いな、今は少し、何も答えられそうにない。

 

 神様ってのは時に残酷だ。それは、俺が生きてきた中でよく分かったことだ。

 

 だがよ、神。お前は、この状況を作った茅場並みに、どうやら悪趣味らしいな。今後一生、恨んでやるぞ。

 

「……どうしてなんだ」

 

 雪のように綺麗で、儚い。触れれば壊れてしまう程繊細で、脆い、美しい少女。

 

「……ひ?」

 

 それは今、この世界から抜け出す決意を抱く時に想った、少女の一人。

 

「……何で、ここに居るんだよ……雪ノ下……!」

 

「ひ、比企谷、くん……?」

 

 絶望に打ち(ひし)がれて、涙を流す雪ノ下雪乃なのだから。

 

「比企谷くんッ!!」

 

 雪ノ下は俺を見つけると人混みを分けてやってくる。

 

「うぉっ!?」

 

「比企谷くん……比企谷くん!」

 

 そして、彼女は脇目も振らず、俺に抱き着いてきた。周囲の目も気にせず、自身のプライドなども捨てて、縋るように、俺に身を預けてきた。倒れそうになるが、なんとか堪えて彼女を抱き止める。

 

 普段なら照れたり何なりして突き放すだろう。だが、そんな余裕は、俺にも彼女にも、ありはしなかった。

 

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 

 それは、何の謝罪だったのか。主語も、何もない。一方的な誰かへの謝罪。壊れたCDプレイヤーのように、何度も、何度も、繰り返して呟いている。

 

 ギュッと握った俺の服には、涙で濡れる感触があった。酷く震える感覚があった。込み上げてくる感情があった。

 

「……わ……」

 

 悪かったと、それだけの言葉が、出てきてくれない。喉が絞まって、声が震える。心()しか、頬に何かが垂れるような気がする。

 

 無意識に、俺は雪ノ下を抱きしめていた。強く、離さないように、失わないように、強く。

 

「……すまなかった……雪ノ下。俺が、悪かった……」

 

 こんな言葉を言ったところで、意味がないのは分かってる。言うべき場所が、言うべき相手が、言うべき時が、何もかもが、違うことも。

 

 けれど、言わなくては。その感情が、抑えられずに溢れ出す。

 

 それがたとえ、酷く醜い、ただの自己満足なのだとしても。

 

「ハチさん……?」

 

「大丈夫なのか……ハチ?」

 

 心配になったのか、キリハとクラインがこちらへ駆け寄ってくる。涙を見せたくなくて、俺は見られないように拭いて向き直る。

 

「大丈夫だ……それより、コイツを連れてって良いか? 俺の知り合いなんだ」

 

 俺はそう言って胸元で泣く彼女を見る。少し落ち着いたのか、嗚咽はもうなくなっている。けれど、顔は俯いたままだ。

 

「……次の街に行くんだろ? 頼む、俺達も連れてってくれないか?」

 

 キリハが広場を出ると催促した時、何となく分かっていた。キリハはβテスターだ。安全なルートもやるべきことも分かってるはずだから、いち早く行動に移そうとしたのだと思う。

 

「……とりあえず、広場を出てから話します。ここじゃ、人の目につくので」

 

「……助かる。走れるか、雪ノ下?」

 

 雪ノ下は黙って俺の問いに頷く。それを確認した俺達は広場を静かに抜けていく。

 

 決意の内容は変わらない。あの部屋に戻ること。それは、俺が今心から欲している願いだ。

 

 ただ、その部屋にいて欲しかった彼女と、目指すことになるとは思っていなかったけれど。




いかがでしたでしょうか?
八幡の長い葛藤、書き表せてるかどうかが心配です。
残念ながら由比ヶ浜が出る幕はありません。由比ヶ浜ファンの皆様、ごめんなさい。私はゆきのんのようにツンツンしてるキャラがデレるのが何よりも好きなんだ。異論は認める。
また、三話は結構しんみりした話になりそうです。攻略が始まるまで、今しばらくお待ち下さい。
感想、意見など待ってます。

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