始まりの日
それはどこの家庭にもある爽やかな朝の食卓での出来事だった。
「なんつーか。俺思うんだわ、働いたら負けだって」
豪快にスープを飲み干した後、ボサボサの髪でグレン=レーダスは言った。
その光景を見ながら青色の髪の毛を後ろで結んだ少年…ソラ=アルスターと美しい金髪、紅い瞳をした絶世の美女とも呼べる容姿をしたセリカ=アルフォネアが冷たい瞳で見つめていた。
いや、性格には冷たい瞳で見つめていたのはセリカだけでありソラは無表情と言った方が正しいか。
ただ両者の共通点といえば、目の前のグレンを人として捉えていないことだ。
「お前のおかげで俺は生きている。ついでにソラも。お前がいなければ俺たちは生きていないだろう」
グレンの言葉にその通りだと言わんばかりにソラは頷く…無表情で。
「確かにそうだ。働けよ」
考える間も無く即答で返すセリカにグレンは一瞬たじろぐも再び自虐めいたように口を開く。
「言っただろ働らいたら負けだって…おかわり」
グレンがスープのお椀を突き出した先にいたソラは相変わらずの無表情でそのお椀を片手で受け取るとキッチンにある鍋のもとへと歩いていく。
ちゃっかりと自分のお椀も持っているところは茶目っ気があると言っていいのか、それとも育ち盛りと言えばいいのか。
「何気なくソラを使うな、それくらい自分で行け」
「だって動きたくないんだもん♪」
こちらも茶目っ気たっぷり…100%の煽り文句に流石のセリカも額に青筋を浮かべるが、側からみれば笑顔と呼ばない笑顔で返す。
「あ、ソラ! おまっ、俺のは大盛りだっていつも言ってんだろ!?」
「パシらせておいてその上、ダメ出しとは恐れ入る」
やけに少なく盛られたことに対して文句を言うグレン。
ソラはソラでちゃっかり自分のお椀に大盛りでスープを盛り付け、早くも食べ始めている。
ここにも問題児がいたかとセリカは頭を抱えるがそんなことは露知らずだ。
そもそもソラにとってこの2人のこの会話は聞き慣れたものであり、気にする必要はないのだ。
だが、今日は少しいつもとは違った。
「まあ・とにかく・爆ぜろ」
奇妙な文節で区切られた言葉。
それが呪文だと気づいたあたり、グレンは優秀と言えよう。
しかしながらお椀とスプーンを持ってどうにか対処できるはずもなくグレンはなすすべもなく爆風に飲み込まれた。
豪華な朝食が無残にも消し飛び、テーブルが壊れ、床には焦げた後がつく。
それでもスープのお椀とスプーンを持った手を上にあげて離さないあたりソラには相当な食い意地があるらしい。
セリカは黒焦げになってもこちらに向かって喚くグレンに溜め息をつく。周りにもし他の男がいたならば、その動作でハートを射止めることは朝飯前というものだろう。
それほどまでにセリカの容姿は整っている。
対してグレンはどうだろうか。
ボサボサだった髪の毛に加えて先ほどの爆風でアフロのように黒焦げになったその姿からは到底気品などは感じられず、どこにでもいる居候そのもの。
「…なあ、グレン、いい加減働かないか?」
セリカは真面目な表情でアフロなグレンを見つめる。
その瞳に宿るのは同情でも憐れみでも煽りでもない。
純粋なグレンへの心配。
グレンもいい歳だ。
もともとグレンが職を離れることに力添えをしたのはセリカだ。
もちろんそのことを後悔したことなどないが、ここまで酷いクソニートになったとあっては逆に自責の念に駆られるのだ。
「やだ! 断固拒否する! だってソラだって働いてないじゃん俺だけ働くなんてやだもんブーブー」
「ソラはまだ15歳だ。社会人としての責務など毛頭ない」
「俺だって社会人じゃないもんね! だって居候だし!」
「ほう…だがソラは
「そ、それはあれだ適材適所ってやつだ」
「ほう…その適材適所とやらに当てはめるとお前はどうなんだ?」
「お願いします、養ってください」
「
セリカが紡いだのは先ほどとはかけはなれた高度かつ、殺傷力が異なる呪文。
「おまっ、それッ!?」
結果、喋り終わる前に放たれた光の波動によってグレンは純粋な死の恐怖を味わうことになった。対象を分子レベルまで分解する光の波動を放つ、セリカ=アルフォネアの最凶の魔法…イクステンション・レイ。
セリカはとても微笑みとは言えない圧力に満ちた笑みを浮かべて再度グレンへと問う。
働くかと。
武力と言う名の圧力に負け、渋々というか強制的にグレンの首は縦に振られた。
そんなグレンにセリカはすでに職を用意して話をもってきていた。
セリカの優しさとも取れるが、そのことで揉めることになるのはまた別のお話。
◆ ◆ ◆
アルザーノ帝国。
北セルフォード大陸、その北西端に位置している。この帝国は冬は湿潤し夏は乾燥するという特有の気候をしている。
この帝国の南部にはファジテと呼ばれるヨクシャー地方の都市がある。
アルザーノ帝国魔術学院。
この言葉に聞き覚えはないだろうか。
北セルフォード大陸に住んでいるものならば一度は耳にしたことがあるだろう。アルザーノ帝国魔術学院は名前の通り、未来の帝国の魔術師を担う若人たちが魔術とはなんたるかを学ぶ学院のことだ。
魔導大国と名高いアルザーノ帝国があるのはこの学院があるからと言っても過言ではない。この学院に通うことによって生徒たちの将来はすでに約束されている。
そう言われるほどにまでここの学院の魔術に関する知識、技能は高まっているのだ。
もう少し言及してみれば、アルザーノ帝国魔術学院のみならずファジテ自体か魔術とはなんたるかを模索する学院都市である。
当然ながら住んでる者全員が魔術に関わっているわけではないが、魔術と共に発展したきたのでは伊達ではない。
街並みこそは古式によって建てられたものばかりだが、貿易関連においては魔道具や素材などが主である。
その魔術学院に新しく足を踏み入れた者がいた。
青い髪の毛に青い瞳、160cmちょっとの身長をした少年…そう、ソラだ。
隣にはなにやら苛立たしい様子で教室の教壇を指でつつくセリカの姿もある。
ソラとセリカの眼前にはこの学院の生徒たちが数十人座席に着き、セリカの言葉を待っている。
よくみればソラの着ている服と生徒の服が一致している。
今日からソラはこの学院の生徒となるのだ。
グレンの時と同じく、やり方ほぼ強制に近いものであったがソラはその首を縦に振った…それはもうブンブンと。
「あの馬鹿…初日から遅刻とはいい度胸をしてるな。次会ったらイクステンション・レイをぶつけるか」
「…無意味」
「まあ、本気を出した奴をもってすれば…だがな。さて、時刻になったので始めるとしよう。最初に断っておくが、ヒューイ先生の後任は私ではない。非常勤ではあるが確かな奴に任せてある。性格はあれだが、中々優秀な奴だ」
ヒューイというのはこのクラスで魔術に関する講義を行なっていた学院の教師だ。なにか理由があるらしく学院を去って行ったが、そのことを詳しく知るものは誰もいない。
無論、セリカとて同様だ。
後任がセリカでないことに落胆の色を見せる生徒たちだが、セリカをして『中々優秀』と評される教師となると期待せずにはいられない。
最強のセリカ=アルフォネアの名はここでも十分なほどに力を発揮する。
というよりもセリカ本人がこの学院の教授を務めているのだから発言力はもとから極めて高い。
「それと…こいつはソラ=アルスター。編入生だ。この通り無愛想で無表情な子だが、笑うときは可愛い顔で笑うものだ。ほれ、挨拶しろアルスター」
なんともどうでも良い情報を生徒たちへ伝えるとセリカはソラの肩をポンと押して前に立たせる。
ソラをいつもの呼び方ではなくアルスターと呼んだのは公私の区別をつけているからに違いない。
「ソラ=アルスター。よろしく」
「それじゃ自己紹介にならんだろうに。そうだな…好きな食べ物は?」
あまりにも簡単すぎる自己紹介に片手で頭を抑えるセリカだが、いきなり大勢の前に立たせたこともあるので大目に見ることとして助け舟を出す。
「セリカの料理」
生徒の視線がソラからセリカへと移る。
それは『本当に!?』という疑惑と驚きの視線。
どうやら彼らはセリカを最強の魔術師としか認識していないようで、1人の女性だとは思ってもみなかったらしい。
生徒たちは先ほどセリカがソラのことを
こいつ、
…完全に勘違いである。
「…好きなものは?」
セリカは一度咳払いをして再度ソラに問いかける。
今度の質問はアバウトだ。
これならばいろいろな答えを聞けるだろうと生徒は予測する。
「セリカとグレン、それと精霊」
しかしながら返ってきたものはなんとも言えないものだった。
セリカは目の前にいるからわかる。
しかしながらグレンと精霊というのはなんだろうか。
混乱する生徒たちにセリカはまたも頭を抱えることとなった。