ルミアは夢を見ていた。
夢を見ているとわかっていてもどうしても感情が移入してしまう。そしてこの夢を見るたびに思っていた『世界は理不尽だ』と。
「ひっく…どうして、どうしてなの…お母さん」
日が落ちた森の中を懸命に走る。幼かったルミアは森に出かけていたわけではない。もちろん、迷子になったわけでもない。
息も絶え絶えに全力で暗い森を駆け抜ける。
魔物でも襲ってきそうな森に聞こえるのは自分の息を吐く声と、バクバクと乱れて鳴り響く心臓の鼓動、風に揺られて不気味に聞こえる木々のざわめき。
誰かに縋りたかった。すぐにでも正義の味方が駆けつけて自分を助けてくれる。そんな子どもじみた妄想をしながらルミアは懸命に今を生き抜いていた。
暗くて足元が見えない中、走り続けられたのは幸運と言えよう。そんな幸運も長く続くはずがない。
地面にあった何かに躓いて地面に転ぶ。ゆっくりと立ち上がり、何に引っかかったのかを確認するべく頭を向ける。
随分と大きな何かに足をひっかけた。だが、太い木の根などではなかったはずだ。
怯えきったルミアが見たもの…。
「ひっ!?」
それは死体だった。
その死体の頭に自分の足は躓いたのだ。
そのことに気づいた時にはすでにルミアの腰は完全に抜けていた。
見渡せばいくつもの死体が自分の周りには転がっていた。
五体満足な死体もあればどこか欠損した死体もある。赤ではなく、黒く染まった血濡れの死体。
その死体には見覚えがある。
突然自身を攫った魔法使いの連中に違いなかった。
こんな酷いことを一体誰がしたのか。
そんなことは決まりきっている。
自分の命を狙うものしか錯乱したルミアには思いつかなかった。
この瞬間、ルミアの中での脅威順位は誘拐したこの魔法使いたちからこの魔法使いたちを殺した謎の人物へとすり替わった。
故に、死体の中心で立っている人物に心の底から恐怖した。
ルミアではない。この暗さでもわかるほど、綺麗な青い髪を結んだ160cmほどの少年。
少年がこちらを向いたのと同時にルミアはパニックに陥る。
この死体の山を作り上げた犯人が目の前にいるのだ。幼いルミアがパニックにならないはずがない。
直感的に理解してしまったのだ。
この魔法使いたちを殺したのは他ならぬこの少年だと。
「い、いやぁぁぁぁぁぁッ!?」
ルミアの叫びが暗い森の中に響き渡る。
ルミアは我慢の限界だった。今まで叫び出さなかったことにむしろ賞賛できよう。
発狂してしまうくらいにルミアの心は張り裂ける寸前だった。それこそ自分の運命を呪ってしまうほどに。
自分だけが理不尽にあっている。自分を捨てた母、世界から自分を
少年が目を見開く。だが、表情は無表情のままだ。その視線の先はルミアではない。ルミアの周りの
そして小さな杖を取り出し、構えた。
「ぁ、ぁ、あああああッ!?」
杖の先に光が集まって行く。
どのような魔術かはわからない。
だが、あの光はいとも容易く自分を貫き殺すのだろう。そう思ったとき、ルミアの心は恐怖の頂に上り詰めた。
今まさに魔術が放たれようする。
だが突然ルミアの視界に別の男が割り込み、ルミアの口を塞ぐ。同時に床に組み敷く。
「くそッ、杖を向けるバカがあるか!? 安心しろ!!落ち着け!!俺はお前の味方だ!!助けに来た!!」
『助けに来た』その言葉をどれほど待ち望んでいたか。だが、ルミアの心にその言葉は届かない。
遅すぎたのだ。
発狂しながら暴れるルミアを男はどうにかして宥めようとするものの、あまりの激しさに手足を抑えるくらいしかできない。
「ッ!! 全部お前のせいだからなッ!」
男は少年を睨みつける。
少年はゆっくりとこちらに近づいてくると無表情な瞳でルミアを見た。
その瞳に言葉を失う。
何も感じさせない瞳だった。
悲しみも怒りも喜びも憐れみも。
発狂した自分の心が突然凍らされたような感覚だった。
死の予感が胸をよぎる。
今度こそ殺される。
しかし言葉は出てこない。
少年は無表情な瞳でゆっくりと腕をこちらに伸ばし、掌を開き、口を開く。
『チョコレート、食べる?』
あぁ、そうか…この頃から…。
珍しく少しいい気分でルミアは夢から覚めれる気がした。
◆ ◆ ◆
映像がぼやけていく。
ぼんやりとした頭で重たい瞼をこする。
ゼンマイ式の時計に目をやると時刻は朝の6時50分過ぎ。
隣で寝ていたシスティーナの姿はすでになく、共同で使っている部屋にはルミアだけだった。
今日は魔術競技祭ということもあって張り切っているシスティーナはいろいろと準備をしているのだろう。
一応だが、決してルミアにやる気がないわけではない。システィーナが張り切りすぎているだけだ。
余談ではあるが、システィーナは遠足の前日よく眠れないタイプだということも言っておく。
それにしても随分と古い夢を見たものだとルミアは思う。
あの夢は3年前、フィーベル家で暮らすことになったルミアがシスティーナと間違われて誘拐されたときのことだ。
ルミアがエルミアナ=イェル=ケル=アルザーノとしての生を捨てて間もない頃。
本来ならば今現在も王女として帝国王室にいたはずのルミア。だが、感応増幅者と呼ばれる先天的異能者であることが発覚してからルミアの人生は一変した。
ついには病で崩御なされたとしてその存在を世界から抹消された。
「あの頃から、食いしん坊だったんだな〜」
最後の言葉を思い出してくすりと笑う。
この夢を見て笑えるのもあの少年…ソラという人物のことを知っているからだろう。
あれ以来ソラやグレンと会うことは一度としてなかった。だが、こうして学院で巡り会えたことはルミアにとって幸運だった。
2人は命の恩人だ。
あのときのお礼をまだルミアはしていないのだから。
ソラには前回の魔術学院での騒動のときにも救ってもらった。そのことについてもちゃんとお礼をしてあげなければならない。
というかしないと個人的に納得できないのだ。
「ルミアー、いつまで寝てるの〜!」
いつまでも回想に浸っていたルミアをシスティーナの声が呼び戻す。どうやら、システィーナは準備を終えて下で朝食の準備をしていたようだった。
「私は、迷わない。うん、頑張ろう」
何かを決意したように、ルミアは自分の衣類が納められたクローゼットに向かって歩き始めた。
◆ ◆ ◆
今にも女王陛下がこのアルザーノ魔術学院に到着しようかという頃。魔術学院正門前は女王陛下を出迎える学院関係者や生徒たちで埋め尽くされていた。
すでに先発で魔術学院に到着していた王室親衛隊は生徒たちが不敬を起こさないように周囲に目を光らせている。
学院関係者並びに生徒たちがいるということは当然この男もこの場にいる。
「いや、本当に陛下来んの? え、マジで?」
グレン=レーダス…その人である。
「マジ」
グレンのとなりには片手にパンを握りしめたソラの姿。本来ならば王室親衛隊にしばかれるところなのだが、前後左右生徒に囲まれているためばれていないようだ。
グレンが横からパンを奪おうとすると容赦なく手を叩く。
相変わらずの食欲なようでなによりである。
先ほどグレンが言ったように疑うのも無理もない。
前回の襲撃の件で転送魔法陣は壊されてしまっていたことが発覚したのだ。そのため帝都からここまでの移動は馬車ということになる。それだけでも十分躊躇う理由になる。それに加えて先日襲撃を受けたばかりの場所へ赴くとなれば誰だって疑いもしよう。
こうして生徒たちが疑わずに熱狂的に待っているのはそれだけ陛下が愛されているということだ。
『女王陛下の御成りぃーーッ!!』
生徒たちのそのまた奥からダンディな男の声が聞こえたかと思うと騒めきは一層強くなる。やがて騒めきは歓声へと変わり、正門前はお祭り騒ぎと化した。
だが、このお祭り騒ぎの中で悲しげな表情をした少女が1人。
「ルミア?」
「ううん、なんでもないよシスティ」
「ルミア…」
首にかけられたロケットを握りしめ、儚く笑うルミアをソラは無表情で見つめていた。