RWBY~俺は死にません~   作:傘花ぐちちく

1 / 6
※昆虫を食べる描写とか少しグロい描写があります故、苦手な人は目を瞑るか、◆が表示されるまでスクロールしてください。

※布教目的のため、Volume3の終わりまでやって一応完結します。Volume5以降の配信や新コンテンツの発表がされたら、矛盾がない限り続きを書きます。

※ノベライズ含め下調べはしているつもりですが、矛盾があればお気軽にお知らせ下さると幸いです


Trailer

一日目『生の可能性』

 

 

 

 目を開けた時、俺は森の中にいた。

 

 森、と俺が結論付けたのは、少なくとも三時間以上歩き回ってからである。

 

 ただ、三時間と言っても大人の足ではない。重心の安定しない子供の身体で、素っ裸の状態で、時折踏みつける小石や顔めがけて飛んでくる虫に四苦八苦しながら、足の踏み場もない様な原生林で三時間である。

 

 手入れがされず草も生え放題なので、もう何度身体に切り傷ができたかすら分からない。簡潔に言えば、遭難したという状況だろう。

 

「ここは、どこだ」

 

 ケッペンの気候区分に基づけば、気候は温帯という至極全うで無難な答えしか出せないだろう。暑すぎず寒すぎない、温暖な気候だ。ついでに言えば五月辺りだろうか。歩き疲れてやや発汗しているが。

 

 周辺の樹木の樹皮・形態はクロマツに近いが、葉の形状が針に近くないため異なる種であろう。どちらかと言えば広葉樹に近い。

 

「喉が乾いた……水道は……」

 

 聡明な諸兄姉は感づいていると思われるが、俺は子供のような小さな体で、見ず知らずの土地に裸で放逐されているのだ。黒くて硬くて大きい元気だったムスコは、今や子供サイズのショタコン御用達サイズだ。

 

 加えて、お人好しの神様がなんやかんやというのは無い。これは紛れもない現実で、前触れ無く起こった摩訶不思議な神隠しであり、少なくともその神秘を解き明かすまで帰れそうにない。

 

 アッと驚く超パワーで森を都市まで焼き払えればいいのだが、五分間の試行錯誤によりその試み――身体に眠る力を呼び覚ます的な――は全くの無意味であることが証明された。

 

 ただまぁ、森の中は薄暗くなる程度に遮光――陽の光が当たるところは避けている――されているので、熱中症や日焼けの心配は無いだろう。後一時間もすれば周辺を見渡せるような場所や国道に出る筈だ。

 

 これだけ歩けば、な。

 

「ギャ! 虫ッ!? 近寄んなッ!」

 

 たとえここが群馬県であろうとなかろうと、人間の立ち入らない自然など温帯では……滅茶苦茶多いが、大抵原住民族や現地のガイド、観光用の立て看板が目に入るだろう。ここがファンタジー的世界なら、泉の若いチャンネー(美人お姉さん系)精霊に出会うとか。

 

 異世界だろうとトチ狂った現実世界だろうと、こういう深刻そうに見える問題は早々に解決する場合が多いのだ。

 

 歩いている内に何回か転んで擦り傷を作ったのだが、どうやら痛みで涙が出たり声を上げたくなるような、子供特有の行動を取りたくなる衝動にしばしば駆られるみたいだ。

 

 精神が身体に引っ張られているのか。

 

 さっさと街に着いて保護されて、体の汗をシャワーで洗い流したいものだ。

 

「日が傾いてきた……」

 

 暫定異世界、最初の落日。それを悟ったのは木漏れ日が弱々しいオレンジに染まった時だった。七時間程度歩き回って脚が棒のようになっていたが、あまり絶望感は感じなかった。

 

 すぐ帰れるだろう。

 

 俺は先客のキノコを蹴飛ばし、苔の生えた大木に丸出しのケツを預けて眠りにつこうとしていた。

 

 生憎とボーイスカウトのような知識は持ち合わせていないが、夜の原生林で動き回れば、大型の動物が居る居ないに関係なく弩級で危険なことは容易に想像できた。

 

 夜の寒さは厳しいものではないが、裸であることと子供であることを鑑みれば十分に風邪を引くような環境であろう。だが、それはヒグマ――針葉樹林や亜寒帯らへんに生息――が滅多に居ない事の証明である。

 

 温帯にも居ないわけではないが、そもそも奴らは積極的なハンティングなんぞしない。

 

 万が一にも死ぬならどうせ眠りの中だ、と目蓋を閉じれば、聞こえてくるのは風のざわめきと葉の擦れるささやき。爽やかな大自然の子守唄が眠りの縁へと誘う。

 

「……怖っ」

 

 ……虫が関節をギチギチと鳴らして争う音、リーンリーンと求愛する虫の合唱コンクール、森に木霊(こだま)するケモノの遠吠え、掠れるようなフクロウの不吉な声。亡者のような唸りをあげる突風と森そのもの。

 

 見ず知らずの土地の大自然の猛威は、俺の如く矮小な存在など無いものとし、そしてエサとして飲み込まんとする一種の巨大な生き物にも見える。

 

(こんな薄気味悪い胃袋なぞ御免だわ)

 

 大気のうねりが叫び、大きな暗黒の口が木々の奥まで迫っていた。暗闇が天蓋ごと俺を飲み込むと、生き物たちの胎動はより一層激しいものになる。

 

「ギャァアアアアア!!」

 

 悲鳴。

 

 キチン質の生物が太ももの上を通り道にしてきた。細くカサカサと(うごめ)く感触は手で払い落とすと無くなったものの、気色の悪い触感がやけに残っていた。それに、ソイツはまだ周囲に居るはずなのだ。

 

 そしてそれが切っ掛けとなり、俺の耳はより鋭敏に夜の闇に潜む者達を感じ取るようになっていた。肌は空気の動きすらも明確に把握し、まるで虫たちが俺の一挙一動を囲んで観察しているような錯覚に陥る。

 

 俺は重度の虫嫌いで、本当はこんな森に近づくことはおろか、街路樹の側なんかにも寄りたくないのだ。ゴキブリだらけの部屋に放り込まれているのと同義と言っても過言ではない。

 

 それからは半狂乱になって、心の中であらん限りの叫びを上げ――意地でも口は開けなかった――俺の肌に僅かでも触れた、本当に存在するかも怪しい虫達を、ひたすらに追い払った。

 

 しかし、汗ばんだ俺の身体――体を拭くタオルもない――と二酸化炭素の匂いを嗅ぎつけてか、小さく不快な羽音が付き纏う。逃げ惑う俺は木の根に生えた苔に滑って転んでナニカを叩き潰したり、うっかり口に入った虫を吐き出して舌を掻き毟ったりしていたため、安息の時は一切訪れなかった。

 

 昼も居たはずの存在を過剰に恐れているのは、俺が単に虫嫌いであるというだけではないだろう。俺はこの偉大な暗黒を恐れていたのだ。

 

 結局のところ、眠れたのはほんの僅かな時間であり、東の空が赤らんだ頃であった。完徹である。

 

 

 

二日目『死出の旅』

 

 

 

 青い空が葉の間から見える……ような気がする。

 

 太陽光が最初に俺に与えたのは、晴れやかな心の平穏と爽やかな空気ではなく、ドッと襲ってくる眠気と肩にのしかかる錘のような疲労、得も言われぬ空腹と喉の渇き、それとほんの少しの絶望である。

 

「……歩こう」

 

 昨日の夜に潰したであろう黄色い中身の出た甲虫から目を逸らし、終着点の分からない「先」を目指して歩き始める。

 

(頭が重い……風邪か?)

 

 ネバネバした唾を飲み込む度、喉の渇きを痛みとともに実感する。まだ一日しか経っていないというのに、早くも関節の痛みや体温の上昇を感じる。心臓がやけにドクドクと脈打つ。

 

 俺は昨日と比べても牛歩のような歩みで進む。一時間もしない内に――時間の感覚など等に狂い始めている――肩で呼吸するようになって、大きめの石に腰掛けて休息を取る。

 

 俺はその貴重な休憩時間に脳みそに糖分を回して思考をフル回転させていた。

 

 昔のことだが、飲まず食わずで三日は生きられると聞いた事がある。

 

だが、今はこの逆剥(さかむ)けを無理矢理剥がすような喉の渇きをどうにかしなければ、死ぬ前に気が狂ってしまいそうだった。

 

 若干赤い点と黒い点がかかった視界で、俺は下草だらけの林床をボーッと見つめていた。「誰か助けが来るかもしれない」とか「非常食の入ったバックが落ちているかも」とか、そういった希望的観測は一切無かった。

 

 ただ動かなければエネルギー消費が少ないのではないかという、絶望的な消極的選択だ。

 

(! 結露か!?)

 

 幸か不幸か、神の悪戯か。葉の一枚にきらりと光る一雫の水滴を見つける。

 

 見つけるやいなや腰掛けていた石から飛び降りて、慎重に葉を(つま)んで雫を口の中に落とした。

 

 ……? おかしい、潤わない。

 

 ……。

 

 いや、何を考えてる。ただの一滴で喉の渇きが癒えるわけないだろ……。

 

 ぬか喜びどころではない。トチ狂った状況でトチ狂った思考をしているだけだ。馬鹿げた行為のせいで水を欲する欲求は更に酷くなり、汗臭いにおいと土埃に塗れた全身を洗い流したい欲求に駆られる。

 

 酷く汚い身体、浅くなる呼吸、二日と経っていないというのに俺の身体は限界に近づいていた。この子供のような身体のキャパが低いのか、俺の「常識と思われる知識」が間違っているのか。

 

 再び歩き出すが、空腹のせいか力が入らない。

 

 だが、あと少し歩けば、きっと、多分、恐らく。

 

 街とか、村とか、人とか、看板とか、食料とか、川とか、水たまりがあるかもしれない。

 

「だれか、だれか……だれ、か」

 

 木漏れ日が強くなった気がする。汗はあまり出なくなったが、全身がジリジリと熱せられるように熱くなる。

 

 頭痛がする。体を動かす度に頭の中で大きい球体が動き回るような痛みだ。

 

 足が棒のようだ。俺は樹に背中を預けてぐったりとする。接地面(せっちめん)が焼けるように熱く、ジメジメとした不快感があったものの、起き上がる体力も転がる気力も無かった。

 

 身体を休めているのに休めない。

 

 疲労で全身がちがちで、汗で寒いし皮膚が暑い。

 

「たすけて……」

 

 森がざわめく。濃い緑が波のように揺れ、俺の処遇を話し合っている。

 

 小さな蟻が指から腕に這い上がってくるが、払い落とす気力はなかった。

 

「たすけて……ここにいる……」

 

 風が囁いた。俺の身体を舐め回すように吹き抜け、木の葉が舞い落ちた。

 

「だれがッ! だれがだずゴボッ、ゲホッ、ゴホ……あ"あ"あ"あ"!」

 

 痛い痛い痛いいたい!

 

 喉の肉を削ぎ落とされる激痛。頭痛が再発して、何度も何度も内側から鈍器で殴られたような痛みが響く。

 

 痛みから逃れるように頭を抱えると、カブトムシの幼虫みたくうずくまって、ひたすら地獄の責め苦が過ぎ去るのを待つ。

 

 助けなんぞ来ない。

 

 ここで俺は死ぬのだ。死ぬ。死ぬ、死ぬのだ!

 

 俺が考えたくもなかった最悪の事態。

 

 このまま死の淵へ一歩一歩着実に歩いていけば確実に死ぬ。何を間違えたのか、何が正しかったのか、そんなものはもう分からない。

 

 何も知らず、お気楽なままで考えていたのが駄目だった。つまり、この訳の分からない森をとっとと脱出しようと考えた時点で詰んでいたのだ。

 

 俺は周辺に食料や川があることを確認しなければならなかったし、無かった場合のことを考えて何を食べるべきか熟慮する必要があった。

 

 広葉樹林であれば果実が存在する可能性も十分にあり得たが、この体では禄に木登りもできない。

 

 力はもうない。

 

 今過ごしているのは一秒だろうか、それとも一時間だろうか。実はもっと時間が経っていて、すぐそこまで救助隊が来ているのではないか。

 

 辛さから逃れるための妄想を繰り返せば繰り返すだけ空腹は強くなり、忘れようもない熱さが脳を蝕んでいく。

 

 暑い、熱い、あつい、アツイ……。

 

 お腹が空いて目頭だけが熱くなり、口の中にはもう唾すら分泌されていなかった。

 

 耳鳴りが酷く、キー……という音が延々と頭のなかに響いていた。

 

 やがて茜色に染まる。

 

 夜が俺を飲み込もうと、東の森の奥から顔を覗かせていた。

 

 恐怖。畏れ。飢餓。渇き。

 

 耐え難い苦痛と抑え難い精神の崩壊が、森を包む闇と共にもうすぐそこまで迫っていた。

 

「はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ、はっ」

 

 熱病に浮かされる倦怠感を塗りつぶすように、浅く呼吸を繰り返す。

 

 なんでもいいから、たべたい。

 

 いやだ……、惨めに死にたくない。苦しいのは嫌だ。

 

 恐ろしい。

 

 苦しい。

 

 誰も来ない。

 

 寂しい。

 

 昨日は大丈夫だったというのに、寒さで身体が震えてくる。ガチガチと歯が小刻みにぶつかり、より一層身体を丸めた。

 

 だが、闇の帳が下りるのと同様に、虫もまた動き始めていた。

 

 何処かから飛んできたカナブンに似た虫が、手を伸ばせば届く高さの樹皮にくっついた。

 

 俺は糸を掴むカンダタの様に、樹に縋り付きながら立ち上がり、探し回って手に取った。

 

 暗くて鮮明に見えないが、緑色の鈍く光って見える外骨格が存在を主張しており、六本の足が宙を掴むように動き回り、逃げ出そうとしている。

 

 逃げる気力が残った活きのいい虫だ。

 

 俺が嫌悪と憎悪を向けてきた虫達は、こんなにも美味しそうに見える。

 

 だが、それと「コレ」は別だ。

 

「!? ベッ……」

 

 恐ろしく不味い、舌が拒絶したものをすぐさま吐き出して、後悔した。

 

(あ、ああ……何処だ、何処だ、食べ物は何処だ)

 

 吐き出したタンパク質を求めて、暗闇で何も見えない地面を手でペタペタと探っていく。

 

 俺はすぐに湿り気のあるタンパク質を確保し、口の中に放り込んだ。土の味がいい塩梅になって、味はそんなに悪いもんでは無かった。けれども空腹は満たされず、絞られた胃袋が悲鳴を上げた。

 

 そして不思議な満足感に包まれる。

 

 どちらかと言えば「もうどうでもいい」に近いが、誰かに見守られたような安心感があったのだ。

 

 先程はアレだけ絶望していたと言うのに、憑き物が落ちたみたいだ。

 

 永遠に眠るため、俺は目を閉じて横たわった。

 

 闇を防ぐような力に包まれるが、今は苦痛なく逝ける時を待っていた。

 

 ――本当に何も感じない。

 

 辛くも苦しくもなかった。感覚が死ぬ前になって麻痺しているだけだろうが、特に何かをしようとは思えなかった。

 

 深みへと誘う微睡みに飲まれ、俺は意識を手放す。

 

 生きるのを諦めた。

 

 

 

三日目『喰らう』

 

 

 

 目が覚めた。

 

 俺はその朝を「いつも通りの文明的な起床」と何ら変わりない様に認識していた。

 

 愕然。

 

 俺の頭の中を絶えず跳ね回っていた飢餓と渇きは綺麗サッパリなくなっていたのだ。お陰で思考が冴え渡る。

 

「逆行、あの虫、原因は何でもあるな……」

 

 ただ、寝る前と比べて景色は変わっていなかったので、逆行の可能性に関しては即座に否定された。

 

 虫を食べて元気百倍というのも違和感がある。ないもの――体内の水は増やせないのだ。

 

 ただ、俺が此処に存在すること自体が特殊な非日常的要素を孕んでいるので、断言はできない。

 

 他に考えられる可能性としては、俺が超常的な再生能力を獲得したということか。しかも限定的な。

 

 当面はカナブンめいた緑の虫を探しつつ、水分の補給経路を探さなくてはならない。

 

 そのためには周囲を見渡せる木に登る必要がある。

 

 だが。

 

「……腹が減っているな。まだ生理的な現象の範囲だ」

 

 所謂、朝ご飯を食べていない状態。

 

「水分補給と栄養の確保は急務、結露に頼るわけにもいかんし……」

 

 今の時間帯では滅多に無い……が、そこで思いついた。葉を食べればいいのだ。

 

 ということで、朝食は簡単に捕まえられた蟻が六匹、イネ科の様な平行脈の細長い葉が二十枚、木の色とソックリなカミキリムシに似た昆虫が一匹だ。

 

 朝食を集めていて思ったのだが、森の中には食べられそうなものが意外と多い。

 

 昨日は虫なんて死ぬほど食べたくなかった――考えもしなかったが、あの拷問じみた飢えと乾燥に比べれば大したことはない。時間の感覚が狂って永遠にも似た苦しみを味わったのだ。今更虫ごときでどうのこうの言うわけがない。

 

 たった二日で随分と神経が図太くなったもんだ。

 

 食べられるから食べる。それが重要だ。

 

 カミキリムシ(仮)は葉っぱに包んで口に運ぶ。生きたままだと口の中で暴れまわりそうだったので、葉と手で潰してから咀嚼する。キチンの外骨格は消化に悪いし硬いので流石に取り除いたが。

 

 シャキッとした感触と体液の吐き気を催す味を、葉っぱの苦味が上手く中和して凄まじく不味い。味を味わう暇などない、口内では吐き気の嵐が吹き荒れるものの、ぐっと堪える。

 

 そして葉っぱをもう何枚か食べた後、潰した蟻を放り込んだ。ビミョーに味がするものの、美味いとは言えない。

 

 俺は移動しながら虫――蛾や蝶等を探しては葉に包んで潰し、片っ端から口に放り込んだ。糞のような味が時折するため、腹の下の部分を摘んで捨てる。

 

 花や水滴の付いた草も捕食対象で、俺はそれらに毒があるかないかなど考慮せずにいた。花粉は生殖用のエネルギーが詰まっているだけあって高栄養だからな。

 

 流石にキノコは避けたが、道すがらでパクパクとご飯を食べていたおかげで空腹は感じなくなっていた。

 

 知ってるか、葉っぱでも葉脈は不味いがそれ以外は美味い。

 

 俺は高台や登りやすそうな木、あるいは高低差のある地形を探して注意深く辺りを観察しながら行進する。周辺の地形を把握することは、何よりも優先すべき項目である。

 

 だが、簡単に登れる木など存在しなかった。

 

「はぁ……おっ幼虫」

 

 倒木を拳よりも少し大きい石で何度も叩いて解体する。表層しか壊せないものの、中にいる白い幼虫を引っ張り出す。勿論ノータイムで口の中だ。

 

「体毛が混じっててまじぃ……」

 

 ナマの甲虫は食感が良いものの苦くて糞不味い事がよーく分かったが、蝶や蛾は案外イケる。ゲロマズで味の無くなったいくらのような食感だ。こうして食レポが出来る程度には余裕ができてきた。

 

 それと、今まで藪の中は避けて歩いていたが――枝やら何やらで痛いのだ。素っ裸にはよく効く――あそこには蜘蛛が巣を張っていたりするのでそっちを食べるのもいいかもしれない。

 

 節操なしに節足動物門昆虫綱を食べていたが、やはりナマは不味かったらしい。味の方ではなく、食中毒やアレルギー、恐らく寄生虫や得体の知れない菌が俺に手を「下した」。

 

 つまりこういうことだ。

 

 上下の口からバルブを捻ったように【消化産物】が飛び出してきたのだ。こんな上下水道はクソ喰らえだ、整備不良にも程がある。

 

 先程食べた幼虫も、朝食べたカミキリムシも排出された。多少の栄養は確保できたが、水分を多く出してしまった。

 

 ……ついでに言えばケツを拭く紙もありゃしない。樹皮に擦りつけてどうにか物体Xは排除できたが、第二波が来た。出す物もないのに腹がぎゅりぎゅると音を立て、胃袋がねじれるような激痛が走る。

 

「おぉ……やべぇ……」

 

 笑い事ではない。下痢もゲロも水分を多く含む為、過度な排泄はそのまま脱水症状に繋がりかねない。「例の虫」がいない状態で死にかけるのはマジ勘弁なのだ。

 

 二度目の奇跡は無いかもしれない。自分が特殊な人間という仮定を捨てて行動しなければならないのだ。しかし……カナブンって何処に住んでるんだ?

 

 見た目はカブトムシのメスに近いし、樹液でも吸うのだろうか。

 

 便意が収まった瞬間に樹木を蹴飛ばしてみるが、落ちて来ない。子供の非力では当然の結果だが、命の掛かった状況だ。足の皮が少し剥がれてしまうが、そんなものは脱水症状の辛さに比べたら軽いものだ。

 

 あんな地獄はもう嫌だ。空腹も渇きも耐えられたものではない。

 

「クソッ!」

 

 排泄物が臭うので場所を変え、夕方までひたすら蹴り続けてみたが、何の成果も得られなかった。

 

 おまけに夕方には更に症状が悪化していた。発熱、めまい、動悸、手足の痙攣、吐き気、発汗。

 

 苦しい。

 

 体が燃えるように熱く、空気が喉で固まって上手く呼吸できない。

 

「ひゅ……っ……はっ……」

 

 飢えるよりはマシだが、こうも苦しいと安眠できやしない。

 

 あのカナブンの羽音がしたら起きれるというのは十分な利点だが。

 

 ……いや、痙攣してて立てねぇわ。

 

 

 

四日目『飢餓よりマシ』

 

 

 

 手足の痺れもなく、無事に起床。

 

 空腹や喉の渇きが酷くなっていると思ったが、案外そうでもないらしい。

 

 結論から言えば、昨日立てた「限定的な再生能力持ち」仮説が正しかった。

 

 足の皮はかさぶたもなく完治しており、痛みもない。「再生」したようだ。

 

 この「再生」だが、どうやら気絶しているか眠っている時にしか発動しないようだ。怪我をした直後に体調が回復しないのも、二日目に地獄の気分を味わったのも、全ては睡眠不足だったからだ。

 

 辻褄合わせはできたが、わざわざ空腹に苦しむ必要は無い。昆虫食は継続する。

 

 再生するなら下痢もゲロも怖くは……怖い。駄目だ。

 

 渇くのは嫌だ。

 

 食べよう、食べよう、食べよう。

 

 今日は草をたくさん食べよう。

 

 ……虫も少しだけ捕っておこう。

 

 起床したのはまだ日が出たばかりの頃で、結露の付いた草は多く生えていた。水滴を落とさないように慎重に摘み、あるいは先んじて水分を取り込んで、青臭い味を口いっぱいに噛みしめる。

 

「葉緑体うめー」

 

 牛のような朝食を済ませた後、名前も知らない甲虫を五匹ほど潰して左手に握る。

 

 この果てのない大森林の探険にはおやつが必須だった。

 

「げぇ、こいつうんこ抜けてねーじゃん」

 

 結局の所、俺の頭に焼き付いた虫=食料の強迫観念はそうそう抜け落ちるようなものではなく、おやつ感覚で採取した虫を食べてしまう。

 

 俺個人としては菌よりもうんこの方が嫌なので、腹部の一部を摘みとっている。それでも味はゲロマズだ。

 

「動物に会わないのは、流石に幸運だな」

 

 いくら再生能力持ちだからと言って、食われればそこで「死」だ。耳を澄ませば鳴き声などいくらでも聞こえてくるが、この数日間に一匹たりとも遭遇していないのは超絶ラッキーである。

 

 だからこそ死ぬのだけは避けなければならない。

 

 食糧難の解決によって思考に余裕ができた俺は、脇に抱えられる程度の石を幾つか見繕った。石の下にはダンゴムシやムカデが居たものの、流石に食べる事は躊躇われた。

 

 身を守る術を入手した、と浮かれていた俺は昼頃――太陽光が丁度直上に感じられた――にその無力さを味わうこととなった。

 

 丁度腰を掛ける事ができそうな倒木を見つけたので、俺は周囲を禄に見ずに幼虫探索の為に石を振り上げて木の皮を剥いでいった。

 

 朝から歩き通しで少しだけ疲れていた俺は、少しの酸味を求めていたのだ。腹を下してもまた再生すればいい。

 

「おっ、一匹発見」

 

 だが、見つけた幼虫を食べることは叶わなかった。

 

 ガサ……と藪を揺らす音。ついに野生動物と対面するのかと、小石を握り締めたのだが、現れたのは【見覚えのある獣】だった。

 

 見覚えのある、とは犬猫イノシシ狼を指しているのではない。まさにアニメで見るような架空の生き物である。ウェアウルフか、人狼か。狼めいた化物の出現であったが、幸運なことに心当たりはあった。

 

 墨汁をぶちまけた皮膚と体毛、骨のように突き出した白い器官が幾つも存在し、顔は紅い紋様の入った骨のマスクをしていた。しかし、体躯は猫背、人のように二本足で立つことも可能であるように見え、筋肉がよく発達しており、大きさは俺の三倍以上もある。

 

 そして薄暗い森の中でなお燦然(さんぜん)と輝く紅い瞳は、俺の事を憎悪に満ちた視線で睨んでいた。

 

 そう、こいつは――【グリム】。

 

 アメリカ産の3DCGアニメ『RWBY』に出てくる化物だ。名前は確か……べ、ベオウルフ? みたいなのだったと思う、多分。

 

 あまり作品自体にのめり込んでいなかったので、三期の二話までしか見ていないし、知識もそんなに無い。

 

 ただ結論を言うと――逃げなければ死ぬ。

 

 大体十メートルくらい先にいるベオウルフをどうにかこうにかして振り切るか、偶然ハンター――グリムを狩る戦士だ――にでも出会わない限り、待つのは死だ。

 

「っ……あ、い、いやだ……」

『グァァアアア!』

「ヒィィい嫌だぁああああ!!」

 

 死にたくない。

 

 糞の役にも立たない石を投げ捨てて全力疾走、走りにくい原生林だと言うのに、俺の身体は羽でも生えたかのように軽々と走破していく。

 

 足元を注視して、動きやすい最高のルートを一瞬で弾き出す事ができたのは火事場の馬鹿力に他ならない。生存本能が身体能力を限界まで引きずり出す。

 

(来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな来るな!)

 

 死ぬのは嫌だ、こんな場所で虫だけを食べて死ぬ人生は嫌だ、痛いのは怖い、死ぬのは怖い、暗闇は恐ろしい、お腹が空くのは痛い、こんな場所から逃げ出したい。

 

 殺されたくない――!

 

 だが振り向いた視線の先、目と鼻の先にベオウルフは居た。

 

「あああああああああ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"!!」

 

 奴は俺に飛び掛かっている最中で、俺の腕よりも長い爪を空中から背中目掛けて振り下ろした――が、それを思いっきり前に飛ぶことによって軽症に抑えた。

 

「い"ッあ"ぁァぁあ"あ"あ"あ"ァぁぁい"い"い"い"イ"い"い"ィ!?」

 

 死ぬよりマシと書いて軽症である。背中は四本の鋭利な爪によって深く切り裂かれ、脳が焼け付く程の堪え難い苦痛を与える。目頭が熱くなり涙が溢れそうになる。

 

「いっだい"、い"だ、い"だい"い"ぃぃぃぃいいいい!」

 

 俺はどれほどの激痛に声を上げようとも、すぐさま立ち上がって逃げなければならなかった。土から飛び出した根っこの出っ張りに手を掛けて、身体ごと引っ張って何としてでも前進する。

 

 悲鳴とは裏腹に、俺の身体は常に最善手を打っていた。

 

 だが、俺が立ち上がった瞬間にベオウルフの腕が振られた。俺の右腕を縦に切り裂き、肩から指先まで、骨から肉がこそげ落とされ、両断された。視界が眩む程の血が吹き出て、俺の右半身に生暖かい液体が付着する。

 

「ギッ、あ、い"あ"う"う"ぅぅ!!」

 

 右腕で済んだ、首では無いのが幸運だ。

 

『グゥアッァアアア!』

「い"――ッや"だ!」

 

 走る、走る、走る、走る走る、はしるはしるはしる。

 

 バランスを崩しそうになる足にあらん限りの力を込めて、大地を蹴飛ばす。

 

 俺の背中を追う者は破壊そのものの具現化だ。

 

「ぐる"ばぁあ"ぁあ"あ"あ"ぁぁ!!」

 

 言葉にならない叫び声を上げて、段差を大きく飛び越える。

 

 振り返った俺はベオウルフが何故か追いかけて来ないのを把握して――崖に飛んだ事を理解した。草陰に隠れて先が見えなかったのだ。

 

 俺が四日間、死ぬような思いをしながら森の中を彷徨って、見つけようとした場所は目と鼻の先にあった。視界の先には目一杯の緑と久々の青い空が広がっていた。

 

「あっ」

 

 ――直後、落下した俺の身体はゴツゴツとした岩肌へ(したた)かに叩きつけられる。顔面を強打して鼻血が吹き出すが、災禍はそれだけに留まらない。

 

「ッば!?」

 

 そのまま上下の区別もつかなくなるほど転がり落ち続け、大量の血を流し全身の激痛に声を上げることも出来ず、関節があらぬ方向に曲がるのを感じながら斜面と何回も何回も何回も激突する。

 

 右半分の視界が目玉ごと潰れ、舌を噛み切り、爪は剥がれ落ち、骨が痺れるように砕け、皮膚はべろりと捲れて切り裂かれ、肉を抉り取る。

 

 そして一瞬の長い滞空、俺は地面に打ち付けられた。

 

「……! ッ! ……ぁ!」

 

 ぴくぴくと痙攣するように動く俺の身体。呼吸が出来ず息苦しさはあったが、水の中にいるような浮遊感と眠気を感じた。

 

 麻痺しているのか不思議と痛みは無く、ころりと転がった自分の目玉と視線を交わし――

 

 

 

五日目『生存と逃走』

 

 

 

 生きてる……!

 

「心臓っ、足!」

 

 痛みはなかった。

 

 裂かれた右腕も、背中の裂傷も、潰れた目玉も、千切れた舌も、剥がれ落ちた爪も、砕けた骨も、切り裂かれた皮膚も、抉りられた肉も、全て元通り再生されていた。

 

 崖から落ちて尚、ギリギリ生きていたのは幸運だった。

 

 だが状況は絶望的だ。免れぬ死(グリム)が徘徊する森をどうやって生き抜けと言うのか。

 

 次に出遭った時、生き抜ける保証はない。

 

 しかし、希望はある。

 

 ここはRWBYの世界観と合致する土地だ。

 

 俺が再生能力を持つように、グリムと渡り合うハンターと同様の戦闘能力を獲得し得ないとは断言できない。

 

 確か……そう、登場人物の一人の「ヤン」は怒りでパワーアップ的な能力を持っていた。磁力とかも居たな。

 

 要は超能力を持つやつは潜在的に戦闘能力を獲得する可能性がある。超能力を持たないキャラ――記憶が正しければなんか情けない奴――も居たはずなので、逆かも知れないが。

 

 兎に角、俺は何かしらの力を持つ可能性がある。

 

 それを発揮するためには、やはりRWBYのストーリーを思い出さなければならない……と思う。二~三年前に見たので詳細が分からないものの、やらねば死ぬのだ。

 

 まず最初……主人公のルビーが、飛び級した? のか。

 

 で、学校に姉と――そう、ヤンと姉妹だった。ルビーは……コミュ障かぼっちだった気がする。でも強かった。アクションに惹かれた覚えがある……ストーンヘンジみたいな場所でデカイグリムと戦っていた。

 

 あとは……情けない――ジョーンだ。ジョーンが不正で入ったとかなんとかで、ピュラが……センブランスで何とかしたんだ!

 

 超能力はセンブランス、俺覚えた。

 

 で、模擬戦みたいなのでピュラがメチャ強くて、緑のHPバーみたいなのが全然減ってなかった記憶がある。

 

 緑のゲージが「力」の量で、動画で解説してたな…………そう、フォースの様な力、『オーラ』だ。

 

 ハンターはオーラとセンブランス(超能力)と武器を使ってグリム(化物)を退治する。

 

 俺は再生のセンブランスを持っていて、オーラが使えない状況だ。使い方が分からないとも言う。

 

 オーラは右手から出すのか、尻から出すのか、眼から出すのか、それとも生産する器官が内在しているのか、魂から出るのか、汗腺から噴出するのか。

 

 習得するにあたって、まず俺は……木登りの練習を始めた。

 

 オーラを一朝一夕に操作できるなどと自惚れてはいけない、まずは出来る範囲で身を守る方法を見つけなくては足元を掬われる。木に登れるようになってから、オーラの練習だ。一分一秒とて無駄にはできない。

 

 駆け上がり、爪を立て、枝に手を伸ばし、窪みに足をかけ、這い上がる練習を繰り返す。尻もちをついてケツが真っ赤に腫れる頃には額に汗がびっしりと張り付き、塩と水を土に染み込ませていた。

 

「はぁ……だめだ、身長が足りん」

 

 ついでに言えば握力と脚力。しかし、それを手先の技と技量の成長で補わなければ。

 

 俺は人間。あの(おぞ)ましい憎しみの獣よりも知能で上を行かなければならない。

 

「……暑いな」

 

 崖に木が生えていないせいで、久々に太陽が見える。

 

 暫く振りだったか、光が降り注いで俺の身体を照らす。

 

 ……そうだ、まだ俺は生きている。

 

 生きている限り俺は進み続けなければならない、断固として、不退転の決意を抱き続けなければならない。

 

 負けてなるものか。

 

 木々の隙間より迫り来る暗黒も、圧倒的な力を持つベオウルフの襲撃も大したことはない。

 

 無力さと絶望に苛まれ、真綿で絞め殺すように命をすり減らす飢餓と渇きに比べれば……大したことはないのだ。

 

 だから強くなる。絶望を跳ね返し、強靭な肉体と高度な戦闘技術を身に着け、血と肉を増やしてこの森を脱出するのだ。

 

 両手で頬を叩き、気合を入れ直す。

 

 この世界で、生き延びるために。

 

 

 

二十四日目『力』

 

 

 

 自分の《再生》のセンブランスについて、幾つか考察したことがある。俺は下痢とゲロを繰り返した日以降も虫と植物を主食に何とかやってきたのだが、二度目の食中毒を起こしたことがない。

 

 身体が驚くほどのスピードで環境に適応したか、単純に耐性がついたか。どちらにせよ切っ掛けなど一つしか無い――《再生》だ。

 

 意識のない状態でのみ発動する――しかも重症の時だけだ、クソッタレ――センブランスだが、発動すれば生きている限り身体をアップデートしていくらしい。名前をつけるなら《再生と抵抗》か。

 

 消化器官が強靭になったお陰でキチンをきちんと噛み砕いて栄養に出来る。土を食べても平気だったので、水が出るまで地面を掘って、水ごと土を飲み込んだこともあった。勿論無事だ。

 

 この生活で飲む水は麻薬のような魅力がある。例えるなら、丁度オーラの操作や高度な木登りの技術を鍛えた後の芋虫と同じくらい格別だ。分からない? スポーツの後のコーラみたいな感じだ。

 

 最初、木登りは密着して生えた二本の樹木を利用して、自身の身体をつっかえ棒としてSASUK○の様に登攀したが、コツを掴めば割とスイスイ登れるようになった。俺に必要なのは成功体験だった。

 

 まぁ木登りはともかく、オーラはうんともすんとも言わない。

 

 オーラが一体どこから出てくるのか、俺は小指から頭まで、ありとあらゆる部位に意識を集中させて念じてみたが、ちっとも強くなった気がしない。

 

 そこで心機一転、継続はするが出来ないものは仕方ないと、俺は投擲(とうてき)の練習を始めたのだ。人間の優れたる部分はまさにその投擲能力にあると言っても過言ではなく、野原を開拓した人間が如何にして獲物を捉えてきたのかを如実に語っている。

 

 原始の時代、荒野で通用した技術がここで通用しないとは言わせない。

 

 俺は枝を石で削って簡易的な槍を作り、積極的に投擲の訓練を行っていた。狙うは樹上の鳥の巣、もしくは鳥そのもの。

 

 今現在狙っている獲物は木登りの途中で見つけたものだ。巣から卵を掻っ払って殻ごと食べるのも中々乙なものだが、当たり外れが激しい。それに、目的は投擲の練習だ。

 

「フンッ! ……駄目だ、まともに飛ばん」

 

 木の槍は飛ぶには飛ぶが、先端を先頭にしてまっすぐ飛ばないのだ。必ず回転がかかり、勢いを失って落ちる。要練習だ。

 

「石なら投げれるんだが……なッ!」

『キェーッ!』

「おっ、ラッキー」

 

 近くを飛んでいた親鳥だろうか。鳩程の大きさの獲物が俺の直ぐ側に落下してくる。石の激突と墜落の衝撃で死にかけているらしく、ピ、と小さく鳴きながら痙攣している。

 

 俺が羽根を毟って食べようとごちそうに近づいた瞬間、上空から弾丸のような何かが肩目掛けて突進してくる。

 

「!? いってぇ!」

 

 皮膚の薄皮を貫いたそれ――ごちそうにソックリな鳥は、羽を羽ばたかせて滞空し、ピーピーと喧しく鳴く。

 

 俺は初めて出遭った攻撃的な被食者にやや面食らったが、投擲で死ぬ生物なぞ必殺・石ころパンチで殺してやると息巻く。

 

 事実、飛ぶ羽虫を捕まえるように、俺に突っ込んできた鳥は簡単に手でキャッチできたのだ。しかし、これが中々死なない。両手の中で押し潰そうと力を込めるのだが、羽を広げようとする動作だけで押し返してくるのだ。

 

「クッ……何だこいつッ……!」

 

 石の投擲で死ぬくせになんつー馬鹿力だ。

 

 こいつ、まさかとは思うがオーラをッ!?

 

 RWBYの劇中では犬が飛んでいたし、ありえる。

 

「だったら――!」

 

 その頭ごと齧り取ってくれる。俺はもがく鳥の頭を口の中に収め、ヤツの首に全身全霊の顎力を込める。

 

『ピィ――』

「はああああああああああああ!!」

 

 瞬間、何かの力が抜けたように歯が食い込み、両手が鳥を押し潰した。……その血肉、貰い受ける。

 

 ビチャビチャと口の端から血液が溢れて身体を汚す。頭は食べないので吐き出して、身体を回収する。

 

 そのままピューっと血を吹き出す首に口を付けて、水道から水を飲むように喉を潤した。

 

 久々の水分補給は堪らない。血液は凝固して腹を壊すそうだが、今までも同じようにはぐれ者の鳥を落として、たらふく飲んでいるので問題ない。

 

 獲った二体の鳥は羽根と足を毟り、槍で腹を捌いで内蔵を取り出す。

 

 丸出しになった肉――そのまま齧り付く。

 

 火など起こせないのだから当たり前だ。鉄臭い匂いが鼻をツンとさせるが、これも随分と慣れてきた。味は時間が経てば経つほど酷くなるので、さっさと食べ終える。

 

 樹上にある巣も習得した木登りで確保、二体の雛を同じように喰らい、何故か置いてあった卵を殻ごとかっ食らう。

 

 肉と成長が必要だ。骨や血でさえも噛み砕き、我が物とするのだ。

 

 鉄と密林の試練。生き延びる為に越える壁は幾つもある。

 

 そう、食事を終えた俺は速やかにこの場を立ち去り、血の匂いをどうにかして誤魔化さなければならない。

 

 血はこの森のありとあらゆる生き物を呼び寄せ、闘争に巻き込む「渦」なのだ。食事中は虫が寄ってくるので、おかずが一品追加されて嬉しいのだが、動物は別だ。

 

 狼が血に誘われてやってくる。

 

 そんなものを全く考慮に入れてなかった当初、襲われた俺は木に登って事なきを得たのだが、奴らはジャンプして俺を食いちぎろうと迫ってきたのだ。

 

 今になって思うが、鳥がオーラを使えるように狼もまたオーラを使えたのだ。

 

 もっと高くに登ったり、木と木の間を跳んで移動したりして振り切ったのだが。

 

 ともかく、俺は血の匂いを消すために石を使って土を掘り、葉をすり潰して体中に塗りたくる。効果があるかどうかは別にして、やれるものはやっておくのだ。

 

 あらかたやったらスタコラサッサだ。

 

 寝るためにも登れる木を探さなくては。

 

 

 

二百九十三日目『気高く餓える』

 

 

 

 大森林脱出の目処は未だ立っていない。

 

 この巨大な土地から逃れるために、俺は木に登って周辺を見渡したのだが、見えたのは視界いっぱいに広がる緑の海。そして遥か遠くにそびえる大山脈。

 

 俺は初夏の辺りには槍の投擲を最低限身につけ、大山脈を目指して歩き始めた。もっと高いところから見渡す為だ。

 

 旅は過酷であり、グリムの脅威に常に怯え、血の匂いに寄せられた狼を追い払い捕食し、泥水を啜って生き永らえなければならなかった。

 

 血で血を洗う闘争は激化し、ベオウルフを石で何とか倒す程度には鍛えられた。遠くから投擲し……なんてプランは端から成立しない。あいつらが俺を見つける方が断然早いのだ。

 

 必然的に、選ばれる戦闘スタイルはインファイト。相手の攻撃をかわして、こちらの攻撃を一方的に当てなくてはならなかった。

 

 鳥を殺したときの感覚が役に立った。オーラの習得は何とか間に合ったのだ。

 

 尤も、それは俺の利き腕がベオウルフによって叩き折られた後だったが。

 

 激闘は二十分か三十分続き、奴を殺した後は清々しい気持ちを抱いていた。

 

 しかし、利き腕が使い物にならなくなったのは大きなダメージだった。俺は《再生と抵抗》を当てにしていたのだが、こいつは死に掛けないと発動しないらしい。マジで使い勝手の悪い能力だ。

 

 しかも何に釣られたのかクマ型グリムに突然動脈を切られ、出血多量のまま振り切った。眠った時に腕は治ったが、あることが判明した。俺の身体はどうやらマジメに血の気(・・・)が多いらしい。あれほど生肉と血を食べる食生活に感謝した日はない。

 

 夏は暑かったが、まぁ何とかなった。洞穴には水気を含む土は山ほどあったし、血を流す動物も沢山いた。

 

 さて、こうして夏の困難を乗り越え、秋の豊かな森は何事もなく快適に過ごせたが、冬はそう都合よくいってはくれなかった。

 

 消え去った食料、常緑樹の葉だけではとても腹は膨れない。穴に篭った動物を狩猟する技術――発見や罠の知識――は俺には無く、木の皮を食べて根っこを掘り返す。

 

 乾燥で足りない水分は時折降る雨雪と霜を飲み込んで(しの)ぎ、時折土を掘り返して泥を飲んだ。川は……残念ながら俺には見つけられなかった。

 

 疲労と寒さでまともに眠ることは出来ず、素っ裸の身体に木の皮を何重にも巻きつけた。動物の毛皮を保存する技術は俺にはなかったし、一度そのまま纏った事があったが、蝿と肉食動物が寄ってきて堪らない。

 

 極めつけは疑似冬眠だ。

 

 眠るクマの居所を偶々ぶち抜いてしまい、そのまま親熊と殺し合って巣を乗っ取り、子熊ごと血肉を食べて生き延びた事があった。穴にこもればそれなりに暖かかったし、十数日は保った。

 

 問題はそれを繰り返さなければ生きていけなかったことだが、何とか生き延びた。マジで地獄だ。

 

 冬の頃には大山脈には近く、洞窟のような穴が沢山あったのも幸いしたのだろう。

 

 しかし、巣の中でクマ型のグリムと殺し合いになるとは全く思ってなかった。おかげで随分と夜目が効くようになったし、リベンジマッチも果たせたが、危うく首を飛ばされそうになる場面は多かった。

 

 オーラで内側から破裂させてやったが、その境地に至るまで数十分間命と精神をすり減らした。

 

 だが、生き抜いた。

 

 あと数十日もすれば春が訪れるだろう。非常食をどうにかして作製し、夏を待って山に登る。

 

 街の位置を特定して帰るのだ。

 

 

 

三百六十五日目

 

 

 

 《再生と抵抗》のセンブランスは今までに七回ほど発動している。その大半がグリムに殺されそうになって逃げ帰ったものだ。

 

 山脈の麓はグリムが特に多く、ヘビ型とかサソリ型、イノシシ型に鳥型。群れも何度か見掛けたが、バレれば死は免れないので必死で息を殺した。

 

 山越えのためには食料の十分な確保が必要で、そのために拠点を作製しなければならなった。

 

 しかし、これが難航する。見張りが居ない為風で飛んでいったり、動物に食われたり、俺を襲撃したグリムについでと言わんばかりに蹴散らされた。

 

 残念だが蛮族スタイルがすっかり板についた俺は、火をおこすことも籠を作ることも出来ない。糸も針もなく、皮はボロボロで、糊もホチキスも無いのだからどうしようもない。

 

 現代社会で過ごしてた昔の俺は、調べることが出来ただろう。だが、そんな能力は糞の役にも立たなかった。こすれば火が点くことくらいは知っていたが、消し方や管理の仕方を知らなかったのでやめた。

 

 ついでに言えば、乾燥させた草を土の上に置いて棒で何度も擦ったが、火は着かなかった。Fuck!

 

 山脈への強行軍は天候と食料と水の壁に阻まれる。標高三千メートル(イメージ)の辺りまでは登ったと思うのだが、なだらかな道はグリム、険しい道は落下の危険が常に付きまとう。

 

 それでも生きなければならない。

 

 前へ、前へ、前へ。

 

 喪った命と糧にした輝きに報いるために、俺は更なる生存競争に立ち向かわなければならなかった。

 

 山脈のこちら側には街はなく、あるのは俺が歩んできた森だけ。残されたのは途方もない山脈の迂回路か、遥か高みにある直通路。

 

 血で血を洗い潤した身体と、暴力と野生の狭間で均衡を保った精神を以って突き進むのだ。山脈の向こう――太陽の沈んだ先に人の営みがあると信じて。

 

 

 

九百二十六日目『突き進んだ険路の先に』

 

 

 

 強そうなグリムは全て避け、まともに歩ける道は全て避けて進む。ある程度の標高に達するとグリムの姿は見えなくなったが、俺が倒せるのは二、三匹のベオウルフか、一匹のクマ型グリム、一匹の猪型グリムだけだ。危険を避けるに越したことはない。今までもグリムに対しての戦闘は避けてきた。

 

 腹の音が鳴ったので、崖の僅かな出っ張りに掴まったまま、暫くの間立っていられそうな足場を探し、背負っていたクマの身体を貪る。クマは死んだまま俺の身体に手を回し、まるでリュックのようにしがみついているが、その頭と下半身は無い。

 

 標高のせいか肉は完全に凍っていたが、後ろに回した手で肉をちぎって口に放り込む。

 

 これが俺の考えた、シンプルなたった一つの答えだ。籠が作れないのならそのまま持ち運べばいい。幸いにして、登山に耐えうるだけのオーラ量と筋肉はあったのだ。子供の身体には似つかわしくないパワーが出る。

 

 登山に十分な脂の乗った獲物が確保できるまで、当然山越えはお預けだった。

 

 その準備に一年費やした。その間に行ける範囲でルートを決め、鹿みたく軽い肉で予行演習を行い、退治できる範囲でグリムを倒した。

 

 春先の雪崩に飲み込まれたこともあったが、《再生と抵抗》のセンブランスのお陰で窮地を脱せた。その御蔭で肉体の凍る気温でさえ、フリチンのままでいられる。

 

 日が傾いてきたが、そろそろ山頂も近い。そこが目的地――大山脈の一番ではないが高い所だ。俺が過ごしてきた「東」と別れる場所でもある。

 

 眼下には見渡す限りの雲海と濃い青の空。更には砕けた月が破片をくっつけており、星も見えていた。

 

「ふんっ」

 

 頂上付近に到達した俺は、比較的なだらかで安定した場所を探し回り、胡座(あぐら)をかいて瞑想するように浅い睡眠に入った。鳥型グリムが来たら目も当てられないので、頻繁に辺りを見渡して注意する。

 

 ――ヒュウウウウゥゥゥゥ……

 

 凄まじい烈風が冷気とともに到来し、身体に氷を吹きかける。身を裂くような寒さが常に俺に襲いかかり、死の淵へ追い落とそうとする。

 

 気温は氷点下。産毛は真っ白に装飾され、『よく肥えた腹』がエネルギーを提供してくれる。当然、太ることも俺にとっては準備の一つだった。

 

 生き残った事と食料となった熊に感謝を捧げて、目を閉じた。

 

 

 

九百二十八日目『頂を下る』

 

 

 

 目的地の頂上に到達してから二日間、俺は猛吹雪と突風によって行く手を阻まれていた。強行突破は出来なくもないが、雪のベールを抜けた先にグリムがいればDEAD ENDだ。体力はあるが戦闘力は無い。

 

 だが、今日は見事に晴れていた。睡眠と休息は俺にオーラを回復する時間を十分に与えた。

 

 日の出を待つ。

 

 ジェット気流というやつだろうか、風がビュンビュンと吹いている。

 

 流れる雲の動きがぼんやりと見えてくると、太陽が登った。

 

 俺は今まで過ごしてきた東の空を振り返り――言葉を失う。

 

 朝焼けに燃える空。見渡す限り光に満ちた雲海は、陳腐な言葉ではあるが、美しい。オレンジの空と、紫に混じった空が新しい風を運び、俺の長い長い旅の終わりの始まりを暗示していた。

 

 ここに訪れた者にしか分からないであろう達成感と感動、胸にこみ上げてくるのは三年の間で枯れ果てていた感情だった。

 

「あっ……あぁ、っ……!」

 

 涙が溢れる。嗚咽が抑えられない。

 

 この神秘的な光景が、俺の心に激情を産み出した。枯れた泉から涙がこぼれ落ち、ただひたすらに生きたいという気持ちを、辛酸を嘗める思いを、今生きている喜びを味わわせる。

 

 俺は今、己の手で切り開いた道を進んでいるのだ。迫りくる闇を生き延び、光が魂にこびり付いた絶望を洗い流す。

 

 太陽が顔を出すと、波のように押し寄せた涙はもう止まっていた。

 

 西へ。

 

 山を下ろう。

 

 守りを意識したオーラを纏い、俺は崖から飛び降りた。

 

 ぴょんぴょんと崖から崖へ、バッタのように跳ね回って移動する。何回か足元が崩壊したものの、オーラがあるので怪我はしない。山を半分ほど下った時には、もう日は傾き始めていた。

 

 振り返ればあれほど高かった大山脈――三年もの時間を掛けて登った山の頂も、随分と離れて見える。

 

 大山脈よりは低い山を幾つか超えれば、街が見えるだけの場所には近づくだろう。

 

 千切った熊肉を口に放り込んで、茜色に染まる斜面を移動し始めた。

 

 今日も生き残った。明日も、きっと……。

 

 

 

九百六十七日目『果てしない道』

 

 

 

 一つの誤算、それは秋の獲物を狙って冬に山を越えたのならば、越えた後は雪道が続くということだった。

 

 水は雪から補給し、食べ物は残り僅かな熊肉と枯れ枝だった。久々の枝だが、パリガリとしていて細かい繊維にバラける食感が良い。雪がどっさりと積もっており、反射光が目に染みる。

 

 そんな昼のことだった。

 

 木々の生えた山――大山脈は完全に越えた――を歩いていると、唐突に、湧き上がるように、目の前の景色に村が現れた。冬真っ盛りで雪が積もっており、見落とすのも無理はなかった。村にも雪が積もっており、擬態するようにひっそりとそこにあったのだ。

 

 そして、それは俺が歓喜の大声を上げて、全速力で訪問するには十分な成果だった。

 

(フリチンだ、笑われたらどうしようか、でも生きて帰れたんだ……遂に、遂に!!)

 

 門のような所に飛び込んで、誰か人が居ないか見回した俺の目に入ったのは、焼け落ちた建物と徘徊するグリムだ。

 

 気落ちするよりも前に、ほぼ反射的に建物の影に飛び込んだ。

 

 俺の生存本能は鈍ってはいない。例えそれが、三年間待ち望んだ安息地の跡であってもだ。

 

 だが、だからこそ込み上げてくる……!

 

 絶望、落胆、悲しみ。

 

 俺の帰る場所は何処にあるのか……ッ!

 

 身体から少しだけ力が抜ける。

 

「……行こう、道があるはずだ」

 

 奮い立たせる様に呟いてから移動する。今の今まで大山脈を彷徨っていたのだから、この程度の失望で希望は消せない。

 

 村から村への移動経路――たしかに道は存在したが、それを発見した直後、俺はグリムから強襲されていた。

 

「ッ……!」

 

 背後からの一撃、やや大きめのベオウルフが振るった爪を避けた俺は、視界の端に映る「群れ」と呼んでも差し支えない規模のグリム達を見てしまった。

 

 あれほど避けていた群れとの不幸な遭遇、どうやら全部倒すまで帰れそうにない。

 

 今までは石で戦ってきたが、手持ちには石が一つもない……村に入れると思ってたからな。だが、恐らく村の中なら武器があるはずだ。鉄製の武器があればもっと有利に立ち回れる。

 

 石の準備には時間がかかる。大きいサイズを砕いて投擲に適したサイズにまで落とし込み、それを数発投げて初めて奴らは倒せる。

 

 リスクを取れ。群れに飛び込むのだ。可能性に賭けろ。

 

 いつだって掛け金は命だった!

 

 俺は崩壊した村の中へ――即ち、群れの中心へとあえて飛び込んだ。雪が積もっていたが、俺のフィジカル的にそれは障害にはならない。寧ろ光が反射することのほうが最悪だ。

 

「おおおおおおおおッ!」

 

 自らを奮い立たせ、猪型グリムの牙を、クマ型グリムの巨躯を、ベオウルフの爪を回避し続け、時には受け流し、家の壁を突き破って捜索した。

 

 が、鉄の武器なんてものは無かった。

 

 俺は森の中で、石を片手に延々と戦い続けるという選択肢を選ばざるを得なかった。

 

 夕日が落ちる。

 

 何とか森まで逃げ込めたが、左手の五指が使い物にならない程青く腫れ上がってしまった。しばらくは物が持てないだろう。

 

 右利き左利きはもうない――両利きであるが、片手が使えないのは俺にとっては絶望的な状況だ。

 

 それに石と言っても砕いて作る時間はない。落ちている石では、大抵の場合奴らは投擲を物ともせずに突進してくる。

 

 かくなる上は、接近してオーラを打ち込むか。

 

 俺がこれを積極的にやろうと思わないのは、単にグリムという化け物どもがタフで、下手な一撃では倒れないからだ。それを俺は三年間の戦いで思い知ったし、奴らに補足されたら断崖絶壁でもない限り振り切ることは難しい。……振り切れば良いのだが。

 

 まぁ別の手段としては、他の村に逃げ込むことか。厄介な手土産を持って帰ることになるが、どちらにせよ数を減らすのは急務だ。

 

 土の道路を全力で走り、俺を追い掛ける群れで突出した猪型グリムの曲がった牙を両手で掴み、運動エネルギーを全身で押さえ込む。左手が悲鳴を上げるが、死ぬよりはマシなので我慢する。

 

「ッ、かァ!」

 

 バネのように身体を跳ね上げ、オーラを込めて牙をへし折ると同時に、浮かび上がった頭に前蹴りを見舞う。グリムは流れ込んだオーラによって破裂し、黒煙と化して消える。

 

 ついでに横合いから突っ込んできた二体のグリムに牙を投げつけて倒し、後続のグリムは震脚で大地を絨毯のように捲る事で数秒足止め。その間に駆け出して、オーラを込めた蹴りで樹木を道のど真ん中に倒す。

 

 しかし、これで稼げる時間はわずか。その間に距離を少しでも離さなければならない。長期戦に備え、道々の木に生える枝を引っ掴んで噛み砕く。

 

 ミッションは数を減らしながら食事と足止めを繰り返し、昼夜を問わず走り続けて次の村へ向かう事。俺がやらねばならない事は大層な理不尽と無茶無謀にまみれているが、今までもやってきたことだ。

 

 まだ戦える。大丈夫だ。

 

 俺は生きて帰る。

 

 自分自身に言い聞かせて疾走するが、俺の行く手を阻むようにヘビ型のグリムがとぐろを巻いて待ち構えていた。こいつは上下の高さだけで俺の身長を有に上回っているので、乗り越えるのは至難の業だ。

 

「負けるかァァああああ――ッ!」

 

 口を大きく開いて頭から飛び込んでくるヘビ型グリム。だが、奴と激突するよりも先に俺の横っ面をグリムが殴り飛ばした。

 

「がはっ……」

 

 樹木に衝突すると強制的に酸素が吐き出され、地面にずり落ちる。片膝を突きながら立ち上がると、雪崩のようにグリムが飛び込んできた。一番槍をオーラパンチで吹き飛ばし、ボウリングのピンのように後続を巻き込む。

 

 だが運良く潜り抜けた一体が俺の肩を前足で押さえて、首目掛けて牙を立てようとしてきたので、顎、身体と順に蹴飛ばして距離を取る。

 

 直後、ヘビ型グリムが真上から飲み込まんとしてきたので、大きく横に飛び、間隙を縫って首を掌底で殴る。

 

 が、グリムの皮膚が硬いのか、単に疲れからか、オーラがうまく流れず仕留め損ねた。奴はガス漏れに似た苦悶の声を上げ、俺と対峙し――

 

「――あ"あ"あ"あ"ッ!?」

 

 背後からの強烈なスイング。意識外の攻撃を防ぎきれず、右足の大腿骨が水々しい音と共に砕け、身体が回転しながら吹っ飛ぶ。

 

 地面に激突し、太ももから頭を槍で刺し貫いて抉る様な激痛が駆け巡る。

 

「痛"ッ、が、ぃィい"……ッ!? ぁぎ、ぁあああ――ァあああ"あ"あ"あ"!!」

 

 いたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいた駄目だいたいいたいいたいいたいいたいいたい立って痛い痛いいたいイタイいたいいたいい――

 

「――走れ!!」

 

 無意識の内に叫んだ言葉が俺の右腕をスムーズに動かし、地面に叩きつける。反動を利用して森の中に飛び込んだが、一瞬分の距離が離れただけだ。

 

 意識が吹っ飛びそうな痛みを気合で殺し、両足で走り出す。青く腫れ上がった足は地面を蹴飛ばす度外側に曲がり、血が滲んで皮膚が少しづつ裂け始める。

 

 折れた骨がぐちぐちと肉に食い込み、オーラによる軽度の治癒は全く意味を為していなかった。

 

 森に完全に入ることはせず、木々の間から見える道に沿って呻きながら走る。後ろからはグリムの足音が地鳴りのように響いている。

 

 立ち止まりたかった。横になって泣き叫びたかった。

 

 グリムに助けを請いたくなった。痛みで気絶してしまいたかった。

 

 何かの拍子で死んでしまえたら、どんなにいいことかと思った。

 

 だが、苦痛から逃れようと、恐怖に負けてしまおうと、死んでしまおうと思う度に心が苦しくなるのだ。

 

 耐え難いほどの胸の痛み――諦めることは俺が殺してきた全ての生き物や、生き残るための努力と時間と自分に対する裏切りだ。自分の精神を裏切ることは肉体が崩れ去る以上の苦痛だ。許されざる罪なのだ。

 

 俺は死ぬことよりも、自分自身が積み上げてきたものを自分の意志で崩したくなかった。

 

――生き残れ!

 

 全身の細胞、筋肉、骨、オーラが応えてくれる。

 

 温かい血潮が俺にはまだ流れている。

 

――勝ち取れ!

 

 喰らった鳥の目が、叩き潰した昆虫の蠢きが、死の末路を語る。

 

 闇の先には希望など無い。

 

――戦うのだ!

 

 折れた筈の足が限界を迎えても尚、動き続ける。

 

 諦めなければ、必ず闇は切り拓けるのだから。

 

「うぉぉォォォォおお――――オオオオッ!!」

 

 俺はまだ生きている、生きてるんだ。

 

 辛さも、痛みも、生きているから嫌なんだ。

 

 だから、この痛みを受け入れる。

 

 だから、生きようと思えるんだ。

 

 絶対に救われると願う意思があるから!

 

 前に進み続けるんだッ!

 

 暗闇に包まれた一本道を止まること無く疾走し続ける。

 

 無我夢中。意識だけが現世に現れて、身体が勝手に動く様な感覚。だが、腹の下が燃え上がるように熱く、内側から力が漲る。

 

 気が付けば朝日が昇り、太陽がまた一周し、夜が来て、また昼が来た。

 

 ――!

 

 (やぐら)に居た見張りが大慌てで動いているのが見える。

 

「グリムだ! グリムがきたぞ!」

 

 俺が言えるのは、これだけだ。面倒事を押し付けるのは申し訳なかったが、俺に出来ることはこれが限界だ。

 

 門から青いプロテクターを付けた兵士が飛び出してくる。何か言っているようだが、何も聞こえない。

 

「グリムだ! おわれている!」

 

 おれはうわ言のように叫んだ。

 

 視界が段々とぼやけてくる、止まったらダメだ。

 

 まだ、うしろから、来ているはずだ。

 

 誰かに抱きとめられる。危ないぞ、戦わなければ!

 

「――いケガだ、だれか――」

「……なさい、グリ――おって――な――」

 

 早送りになったみたいに周りの景色が動く。おれは、もう限界だ。

 

 ぼんやりと眺めていると、身体が浮かび上がって何処かに運ばれる。

 

 燃えてない家のようなもの、人の様な生き物、流れていく視界はひどく非現実的である。

 

「麻酔……いて――!?」

「ばかな! いそい――……」

 

 口の周りに何かはめられているようだ。

 

 白い服の何かが俺の全身を何かで何かしている。少し痛かったが、すぐ終わった。

 

 またどこかに運ばれて、外から砕けた月が見えた。

 

 夜になったのに、何故か明るかった。身体がふかふかしていたので、目を閉じて――

 

 

 

◆◆◆

 

 

 ヴェイル王国の端にある村で、偶々任務に就いていたハンターのチャカ・アルヘオカラに引き取られて七年、この世界――レムナントに来て十年が経過した。

 

 七年の内の最初の一年は、養父であるチャカに【ムラク】と名前を与えられ、生活の知識や食料と住処――食べ物と家を共有しながら生活したのだ。

 

 チャカは俺が辿り着いた村に俺を置いていくつもりであったが、俺がチャカにハンターへの道を尋ねると、彼は俺のことを正式に引き取ると言った。

 

 チャカの任務が終わり、村を旅立つと彼はハンターの知識を俺に教え込んだ。火の扱い方、水の確保、食べられる木の実、そしてオーラと武器の使い方。

 

 彼はコンバットスクール(戦士養成学校)に俺を通わせ、戦士として――ハンターとしての適正を慎重に見極めた。それを決めるのは正確に言えば教師の仕事だったが、普段寡黙な彼は心構えの話となるとそれはもう、饒舌だった。

 

 その頃になると、俺はもうすっかりレムナントでの生活に慣れきっていた。新しい名前のムラクは俺のものになっていたし、野生生活中には汚れていて気付かなかったが、白い髪と黄色い目にも慣れた。

 

 髪の毛は三つ編みにして伸ばしている。非常食だ。今の生活には本当に満足しているが、貴重なタンパク質を確保してくれているのでこれを切るには勇気がいる。もう餓えるのだけは勘弁して欲しい。

 

 そんなこんなで十年間、無事にやっている。俺は俺で人生の目標が出来たし、第二の人生を歩むつもりだ。

 

 性格も大分変わってしまった……。十年という月日はこうも人を変えるのか。以前の俺が見たらどう思うか……いや、関係ないな。

 

 今はいつだって過去とは違う。

 

「行ってきます、チャカさん……手紙は出すけど夏には一回帰ってくるよ」

「……ああ、気をつけろ」

 

 養父であるチャカにしばしの別れを告げ、ビーコン・アカデミー行きの飛行機に乗り込む。

 

 子供から成長した俺はもう十七歳(仮)。

 

 何でもではないが、出来ることは出来るようになった。 

 

 身長も二百二十六センチになった――正直伸び過ぎである――し、筋肉も世紀末的なつき方をしている。昔と違って今は楽々とグリムも倒せる、武器の扱いも板についてきた。

 

 俺は得た力と資質を役立てるため、正しい方向へ動かすためにハンターになるのだ。助けを求める誰かのために、差し伸べる手を強くしてくる。

 

 飛行機が飛び上がって地面からどんどん遠ざかっていく。

 

 俺の身体は新天地――ビーコン・アカデミーへ近づいていた。

 

 

 




※ネタの解説です。


※チャンネー……お姉さんの事。死語である。
※森は夜に歩き回ったほうが良いとか何とか。ほんとぉ?
※カナブンは夏に出てくる昆虫。早起きな奴が一匹いただけ
※昆虫の生食……やめましょう。主人公は特殊な能力があります。

※三期の二話まで……作者は全部見てます(逆ギレ)読者も見よう!

※情けない奴――ジョーン……最初はそう見えた。主人公は周回が足りない
※ピュラ……知らない人は今すぐユーチューブでRWBYを一話から見よう!戦いもできるし人柄も良い人間の鑑、きっとあなたはピュラのファンになるでしょう。
※オーラ……波紋とかフォースとか、そういう感じの特別な力。ハンターの必須技。主に防御に用いられるが、痛みだけは消せない。
※センブランス……オーラの特性。オーラを鍛えることで発生する特殊な力だが、彼の場合はある種特殊なものだ。
※彼は一日目の時点で微量のオーラを所持していました。ですが彼にはその使い方や本質が分からず、存在すら知りませんでした。
※土を食べるのはやめましょう、生肉も血も危険です。卵は商品だけを食べましょう
※頭も食えよ……ブリオンが蓄積して死ぬので駄目です
※ベオウルフ討伐……彼はセンブランスで身体能力が上がっているので何とか無事に済みました。
※クマ型グリム……アーサーです。彼はセンブランスのお陰で肌が岩のような強度を持つため、運良く生還できました。比較的小さくてメジャーな奴と戦ってます
※イノシシ型グリム……ボーバタスク、腹以外は硬い
※グリムは人の負の感情に引き寄せられる。悲しみ、孤独、嫉妬など
※話飛んでね?……蛮族生活などダイジェストだ!ゴキブリとかハリガネムシを食べようとするグルメサバイバルになるのでNG。
※三年……実は三年弱。彼は冬が三回来たから三年だろJKという認識。
※オーラによる治癒……オーラは怪我を治すことも出来ますが、怪我を負う時は大抵ピンチなのでオーラは枯渇気味
※チャカ……完全オリジナルメニュー。マヤ神話で方向を意味する?名前。なお不勉強

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。