Fate/Abysswalker   作:キサラギ職員

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つづかないよ


運命の夜

 その剣を抜いたものは、太陽の光の王のもとに仕える栄光を戴くという。

 一人の若者が歩み寄り柄に手をかけた。

 

 いいのかい、と男が言う。

 その剣を抜けば君は―――。

 

 若者は笑顔で首を振ると剣を引き抜いてみせた。

 

 より多くの笑顔のために。

 

 騎士としては小柄なそのものはやはり神族の間では厭われていた。神族にも多種多様なものたちがいる。大王グウィンを筆頭とする太陽の系譜から始まり、火の神、異端とも言われた沈黙の女神まで。その若者が属していたのは言わば巨人のように神に近い力を持ちながらも蔑まれる一族だったのだ。

 だが、若者は選定の剣を抜いた。剣は大王グウィンがもっとも尊い精神と強きソウルの持ち主を選ぶために作り上げたものだった。太陽の光の神の国(アノール・ロンド)中の兵士騎士戦士たちがこぞって抜こうと試みてもまるで抜けなかったそれを。

 若者は王城へと赴き、光が如き神に跪き忠誠を誓った。

 

 曰く、忠実であれ。

 曰く、強くあれ。

 曰く、正義を成せ。

 曰く、王の敵を打ち倒せ。

 

 若者は剣を受け取ると一礼をした。

 

 若者は剣に選ばれたが、強いわけではなかった。特殊な力も持ち合わせていなかった。神の加護こそ受けていても、ひとたび傷つけば他の神や巨人たちと同様に死を迎えるしかなかった。死を超えた種族はこの世にたった一種類。若者は、その種族ではなかった。

 若者の未熟さを守るために身には不相応な守りの盾が作られた。闇を払い、火や雷ですら通さぬ城砦のような盾だった。

 未熟な若者はあるとき鍛冶の神に問いかけられた。

 

 剣と盾とどちらが大切だろうか。

 

 若者は迷いなく剣と答えた。

 神は言う。しかしそれでは守れない。剣で守れるものはないのだと諭される。

 若者は文字通りに若かった。がむしゃらに戦った。自身の力を過信していたわけではなかったが、強さを手に入れるにはそうする以外になかった。後に無双と称えられるようになる騎士とて、はじめからそうあったわけではなかった。

 山に繰り出しては闇の眷属と死闘を繰り広げ、漆黒の一ツ目の竜と熾烈な殺し合いを演じた。神から離反した巨人を殺した。盗人たる人間をその手で握りつぶした。太陽の光の王に背く神との戦において最前線を率いたこともあった。混沌から生まれた歪な怪物(デーモン)を討伐するために騎士たちと肩を並べたこともあった。王都を守る騎士と数え切れないくらいの鍛錬を重ねた。

 あるとき若者は不覚を取った。戦いに夢中になり孤立し、盾を失い、剣で攻撃を受けた。大王の作らせた大剣はあっさりと折れてしまった。

 見上げるような背の丈をした巨人の矢が戦場に降り注ぐ。闇の眷属の群れが戦列ごとなぎ払われる。

 戦場に雷が轟いた。獅子騎士の十字槍が闇に侵された竜を蒸発させていた。

 毒々しいまでの青で身を着飾った仮面の一団が敵戦列横合いから殴りつけた。踊るように死がもたらされる。

 若者は、若さゆえの慢心のために死にかけた。盾など不要であると言ってのけておきながら盾を失ったことで、死に限りなく近づいたのだ。

 若者はしばし旅に出た。

 深き森へ入ったときに、しゃべる猫に出会った。

 お前さん、情ってものがあるならあいつを助けてくれよ。

 それは怪我をした一匹の狼だった。狼はひどく衰弱していた。足にかかった毒を塗られた罠のせいで命は風前の灯だった。最初はきっと気まぐれだったのだろう。どちらかといえば話すことが苦手な若者は寡黙に治療を始めた。

 狼―――犬の眷属というものは、命の借りを一生をかけて(むく)いるものだ。名を持たなかった狼の仔はシフと名付けられた。シフは若者の治療もあってかあっという間に完治した。己の未熟さを克服したい若者が森で修行をしているのだと知ると、自らも剣術を使いたいといい始めた。

 若者の剣術はまさに無手勝流だった。多くの眷属を屠り、竜を殺し、怪物を討伐してきたことで得た膨大なソウルによって、戦場を馬も使わず縦横無尽に駆け巡りひたすら殺すための技術だった。時に宙を跳び、時に盾で殴り、時に地を這い、まさに狼の狩りにも似た(けだもの)じみた剣術であった。神々の中には若者のそれは剣術などではなく、怪物そのものであると評したものがいたほどに。

 狼の仔ははじめ木の枝を剣に見立て、口を手として振り回そうとしていた。人型が使う剣術を狼が模倣したところで真似できるものではない。改良(アレンジ)が必要だった。

 若者は自らの技術を教える代わりに、多くをシフから、大猫アルヴィナから、森から学んだ。狩りの手法を。生き残る術を。孤独な戦いを続けていた若者にとって、森はまさに奇跡の土地だった。

 暫し後に若者は王城へと帰還した。小さき狼を連れて。

 

 若者の瞳は光で溢れていた。

 王から打ち直された(エクス)剣を授かったとき、今までの鬱蒼としていた心にかかっていた雲が全て消えていくのを感じた。

 弓の神とも崇められる腕前を持つ鷹の目ゴーと語らい、酒を飲んだ。世界の始まりをよく知る彼の話は若者の心臓を高鳴らせた。

 騎士団長を勤める獅子騎士との試合に臨んだ。打ち直された剣はかの者の雷を跳ね返し、穂先をはじき返した。

 王の刃の長と肩を並べ歩いた。人間と大差ない体格をした彼女と若者が並ぶ。お互いの目線が合う程に、両名の背丈は似通っていた。長が傍らで舌を覗かせて息をする狼について言及すると、若者は笑った。躾けるなどとんでもないと。おかしな奴だと長は喉を鳴らして笑った。

 

 あるとき、ロイドの騎士たちの間で不穏な噂が立った。罪びとを捕らえる彼らには裏の任務が与えられていた。すなわち、人間だけが持つ闇のソウル(ダークソウル)の証を身に宿した罪人が現れたのだと。殺しても殺しても死なない死刑囚がいたとしよう。もはや通常の法は役に立たず、蔓延すれば、神族の立場が脅かされることは明らかだった。

 大王グウィンは人間を恐れていた。人間は知らぬことだが、世界の始まりのソウルを持って生まれた一人が、彼ら人間の祖先だった。太陽の光の王のソウルを『光』と定義するならば、人間のソウルは『闇』だった。

 

 それは愛であり、友情であり、望郷であり、あたたかく、どんな深みにも沈む。

 そしてそれはいつか、世界の枷になるという。

 

 闇のしるしを持ったものを捕縛して遠い牢獄に閉じ込めたこともあった。

 輪の都と呼ばれた牢獄の国へと人間を閉じ込めたこともあった。

 だが彼らの増加はとどまることを知らなかった。

 

 そしてあるとき、魔術の国として知られたウーラシールで封じられていた古い人の獣が目覚めたという報せが入った。

 混乱を極めた時代である。安住の土地を求めて。太陽の光の神の国(アノール・ロンド)を離れた神まで現れた。

 大王グウィンは剣以外の全ての力を親族に分け与え、探求の旅に出ていた。全ての始まりたる特異点。根源の渦たる『最初の火』へ自らをくべるために。騎士達は二分した。王都を守ることを選ぶもの。王に付き従い後を追いかけたもの。若者は王都に残り任務に徹することにした。命令が下った。ウーラシールの怪物を討伐せよと。支援が受けられぬ今赴いたところで自殺行為であることは目に見えていた。それは苦渋の決断だった。王都の軍を指揮する獅子騎士も悩みすいた末に考え出した選択肢だった。

 放置すれば深淵が広がりを見せ、世界を深海へといざなうだろう。

 だが派遣すれば、そのものは単身で深淵に挑むことになってしまう。

 四騎士はいまやバラバラに寸断されていた。獅子騎士は王都を動けず、王の刃は既に組織力を失い、鷹の目は幽閉されて兜に樹脂を塗られる辱めを受けていた。

 苦渋の決断を聞いた若者は笑った。

 

 より多くの笑顔のために。

 

 ウーラシールへ赴いた若者は度重なる戦いで疲弊していた。あろうことか後をついてきた相棒たるシフまでも闇に飲まれかけた。先を急がねばならない。若者は、自らの破滅を知りながらも盾を結界に見立て置いていくことにした。

 

 勝てるかもしれない戦いは、勝てるはずのない戦いとなった。

 闇の泥にまみれた若者はついに倒れ、膝を折った。

 これが真実だった。深淵を踏破したものであるという伝説はその実、史実の側面を映したに過ぎなかったのだ。若者は闇の怪物に屈してあろうことかウーラシールを徘徊する闇の眷属に成り果てた。時空の果てからやってきた勇者に止めを刺されるまでは。

 腕は折れ、盾を失い、全身を闇の青い汚れに浸しながらも奮戦し、ついに敗れたのだ。闇のソウルに侵食されていた肢体が力を失っていた。

 最期の瞬間に若者は兜を取った。

 金糸を兜の邪魔にならぬように後頭部で纏め上げたシニヨン。陶磁器のように白い肌は疲労でくすんでもなお輝いていて、形のよい鼻筋の上には強い引力を宿す翡翠の煌きが一対並んでいた。うら若い乙女の相貌だった。

 女だったのか。

 驚愕する未来からの人間に若者が笑った。

 そなたもではないか。

 

 

 かくして英雄は英雄のまま歴史上に刻まれる。真実は文字通り闇に葬られた。

 若者が―――深淵を歩いたとされるアルトリウスという男装の騎士が愛した狼も倒れた。仕えるべき王さえも。

 

 王を、国を、友さえも守れなかった後悔だけが積もり重なって。

 やり直しの機会を得られるならばと願い続けた。

 若者のソウルは強く、現世に影響を残し続けた。

 

 ソウルは呪いである。ソウル、それは火と同じである。火が強く熾れば、同様に闇もまた……。

 

 自らの遺志だけが一人歩きをして現世でもてはやされる現実に、(ソウル)は疲弊した。

 

 

 強い外側の引力に(ソウル)宇宙(そら)を舞った。

 

 

 誰かが私を呼んでいる。違う理が私を呼んでいる。ならば答えよう。今度は守り通す。誇りに誓って。

 

 

 

 

 若者は世界を超越した。

 

 

 

 

 

 

 一人の男子生徒が青服を纏った猟犬に追いやられ逃げ回っていた。相手は血の色よりなお赤い槍を構えていた。音さえ無為なものとして機動できる人外相手についこの前まで学びを本業としていた学生相手では、赤子の手を捻るようなものだった。工房――もとい土蔵へと蹴りこまれた男子生徒は武器を探そうと躍起になっていた。

 

 「あばよ。今度はくたばって動いてくれるなよ小僧。ったく同じ相手を二度殺すなんざ胸糞悪いぜ―――」

 

 男子生徒――衛宮士郎が“投影”魔術で作り上げたガラクタを強化しようと呪文(自己暗示)を唱えんとする前で、槍兵が敷居を跨がんと歩を進めていた。

 

 「くそっ……こんなところで……」

 

 衛宮士郎の魔術回路が白熱する。死を前にした肉体は痛みという自己防衛本能を切り捨てていた。

 腕が痛む。頭が沸騰してしまいそうだった。

 全て忘れろ。自分に鞭を打つ。奥歯をかみ締め、へたり込みそうになる足を持ち上げる。

 

 「死ねるかあああっ!」

 

 地面に描かれていた魔法陣というにはおこがましい線と記号の配列が輝いた。神々しいまでの輝きに場の人物みなが硬直する。光は粒子となり、土蔵の埃を舞い上げて渦巻いた。魚群が群れを成すように光が収束しては離れを繰り返し、ついに結晶化した。

 光のノイズを伴い、花緑青(ろくはなしょう)が輪郭線を得た。

 

 青と銀を基調とした無骨な形状が現世に降臨した。

 左手に担われるは人類が担ぐには巨大すぎる一振り。

 右手に握られるは暗銀の大盾。

 かちゃりと音を立てて狼の睨み付けを思わせる兜がこすれて音をあげた。後頭部に伸びる飾りが獣の尾のように揺れる。表情を隠すように覆われた青布の奥に凛とした顔立ちが青年を見下ろしていた。

 唖然として腰をついたままの青年を前に、騎士は静かに問うた。

 

 「―――――問おう。そなたが私を求めたものか」

 

 この日、この一秒を衛宮士郎という人間が生涯忘れることはないだろう。

 ここにありえないはずの別次元、別世界、並行宇宙を超越した運命の出会いが成立した。


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