世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第8話 中学1年生 その2

 あ、三谷くんだ。

 ヒカルが金子さんを引っ張ってきて失礼なことを言った翌週、詰碁ポスターに書き込んでいるのを目にした。

 声、かけてみようかな。前はヒカルが無理矢理連れてきたけど、最初はひねくれたこと言ってたし、ヒカルも院生になるから、ずっと一緒に大会に出られるわけじゃないし。

 うん、声かけてみよう。ヒカルに任せても、ろくな結果にならない気がする。

 

「えっと、三谷くん?」

「あ?」

 

 ピンピンと跳ねた髪の三谷くん、若いなぁー、かわいい。

 おっと、まじまじと見ていたら不審そうな顔をされた。

 

「あ、私も囲碁部なんだ。詰碁を解いているのを見て、つい。囲碁部に興味ある?」

「ふーん。別に興味ない」

「でも、問題解いてたじゃない」

「解けるから解いただけ。話はそれだけ?」

「一度、囲碁部に来てみない?」

「遠慮しとく。放課後は用事があってね」

 

 うわー、取り付く島もない。次の授業もあるし、今日は塔矢先生の研究会があるし、来週になっちゃう。

 それに用事って碁会所だよね。しかもズルしてて。良くないなぁ、辞めさせないと。

 

「そっか。囲碁部はいつでも歓迎だから。また声かけるね」

 

 肩をすくめられたけど、強くは否定してこない。よし、印象はそう悪くないかな。

 昼に、ヒカルに三谷くんの情報を伝える。

 

「詰碁ポスター、3組の三谷くんが解いてたんだ。声かけてみたんだけど、あまり乗り気じゃなかったの。週明けの月曜なら行けるから、一緒に行ってくれる?」

「ふーん。じゃあ、俺も聞いてみるよ。任せとけって」

 

 ヒカルに任せるのは、不安しかない。でも、以前も囲碁部に誘うのは何とかなったみたいだし、任せて良いのかな。

 加賀さんは将棋部の大会と被っちゃったせいで、囲碁部の大会には出られない。だから、三谷くんを誘えなきゃ大会に参加できないんだけど、ヒカルってば、分かってるのかな。

 

 

 ヒカルにやりすぎた行動を取らないよう言い聞かせてから、私は塔矢先生の研究会に向かった。

 そういえば、初めて塔矢先生の研究会に行った後、森下先生が興味を示したので塔矢先生の勉強会で何をやったか伝えたら、うちと変わらねえじゃねえか、とか文句言っちゃって。

 そりゃそうよね。変わったことしている勉強会って何。

 その日は塔矢くんと打って、検討をして。でも、ヒカルが気になるから、早めに終わらせてもらった。

 

 

「ヒカル、どうだった?」

 

 ヒカルの家に行って経過を聞くと、難しい顔になる。あ、そういえば。

 

「先に帰っちゃってたから部室に連れて行けなかったんだけど、たまたま碁会所にいたのを見つけて、打ってるところ見たんだけどさ」

「強かった?」

「ああ、なかなか打てると思うぜ。終局間際だったからあまり分からなかったけど、勝ってたし。それより、佐為が気付いたんだけど、あいつ、整地をいじってたみたいなんだよな」

「えっ、ズルをしていたってこと?」

「ああ。しかも賭け碁してたからなぁ。バレたらどうなることやら……」

 

 ええぇー、ズルしていたのは以前にも聞いたけど、賭け碁は初めて聞いたよ。そっか、負けるのが嫌なだけかと思ってたけど、賭け碁はまずいね。

 

「ヒカル、月曜は私も行けるから、一緒に誘おう」

「おう。そうだ、筒井さんに勝ったぜ!」

「えっ、凄い!」

「結構きわどかったけどな。佐為にも悪手をいっぱい指摘されたし」

「佐為の指摘はしょうがないよ。ヒカル、おめでとう」

 

 勝てなかった相手に勝てると嬉しいよね。

 しかも筒井さんに勝つってことは、ヨセに入る前には勝負が付いてなきゃいけない。ヒカルの実力だと厳しそうだったけど……。

 

「ヒカル、1局打てる? どれくらい強くなったか、気になるの。ヒカルと佐為が打つのを見るだけでもいいんだけど」

「おう。手加減なしだぜ」

「うん」

 

 そして対局が始まる。随分、布石がしっかりしてきた。ちょっと地を広げすぎているからあっちもこっちも薄いけど、一応形になってる。特に弱いところを攻めながら、雑談を混ぜる。

 

「筒井さんって、ヨセ上手いよね。目算も間違えないし。ヒカルも教えてもらった方が良いんじゃないかな」

「あー。目算って苦手なんだよな。数えんの面倒くせえし」

「好き嫌いしてるようじゃ、塔矢くんに追いつけないよ。今は、序盤はおぼろげに勝ってそうかどうか程度でもいいけど、中盤にはおおよそ何目くらいの差か読めるようにならないと」

 

 ヒカルの場合は性格に似合わず、意外と攻めるのが苦手みたいだから、不利になると巻き返しがあまり上手くない。その代わりに、優位に立つとそのまま維持するのは得意みたい。だからこそ、布石が大事なのよね。

 攻めるのも慣れていかなきゃ駄目なんだけど、私にたくさん言われても嫌だろうし、意味も薄い。佐為も分かってるだろうし、必要なら助言するだろう。

 終局したら少し検討して、私も佐為から助言をいただいて、家に帰る。

 

 

 家でご飯を食べた後、さっそく棋譜に書いて、保管する。

 とても大事な、ヒカルとの記録。私の宝物。

 

 

 そして翌週、ヒカルと一緒に三谷くんを囲碁部の部室に誘う。

 ヒカルってば無理矢理腕を引っ張っちゃってる。あーあー、もう。三谷くん呆れてるよぅ。

 

「それで、一番強い人は?」

 

 筒井さんが来た後、これで全員と言うと、三谷くんは強い人を指名してきた。

 どうしよう、私が出てもいいのかな。

 

「強いのは私だけど、大会に出るのはヒカルと筒井さんだから、私よりどっちかと打つ方が良いと思う」

「あっそう、逃げんだ?」

「そうじゃないよ」

「じゃあ打とうぜ」

 

 困っちゃってヒカルを見ると、小さく頷いた。打っていいってことね。

 

「分かった。よろしくね」

 

 

 序盤で得た地を維持しつつ、無理に相手の地を荒らさずに打つ。正直に言って、まだまだ緩い手が多いけど、時々勢いよく噛みついてくる。こういう力強さは、ヒカルが持っていない部分ね。

 

「整地はいいよね。コミ入れて8目半の勝ちね」

 

 途中、コツンと碁石を側面に当てたりもしてたけど、いくらなんでも、盤面に打たれてもいないのに次の手を打つほど視野が狭くなることはないし、置く時にズラしたのも、一度「あれ、動いちゃったね」って戻したら、二度目は試みなかった。

 ヒカルから整地をいじるって話もあったけど、じゃあ整地しなければいい。

 

「チッ。で、お強い人がいるのは分かったけどよ、それでどうしろってんだ?」

「だから、大会だよ大会。6月末頃にあるから、一緒に出ようぜ」

「海王中学っていう、凄く強い学校があるんだ。絶対勝てないけど、そこと当たるところまで行きたいなぁ」

 

 筒井さんってば、絶対勝てないって……。そこまで圧倒的じゃないと思うんだけどなぁ。

 

「何言ってんだよ。俺、海王に勝てるくらい強くならなきゃいけないんだよ!」

 

 そうだよね、ヒカルは勝ちを狙わないと。

 あ、そうだ。三谷くんに言っておかないと。

 

「三谷くん、良かったら、一緒に出てあげてくれない? ヒカルも院生になりたいって言ってるから、3年間ずっとじゃないんだけど」

「はん。つまり進藤が海王と対局したいから、俺を人数会わせで都合良く使おうってことだろ? そんなのはお断りだよ」

 

 まあ確かに、別に対局したから入部しないといけないってわけじゃない。ただ、三谷くんの場合は、ズルをしてるから碁会所で続けさせるわけにもいかないのよね。

 うーん、どうしたものか。悩んでいるうちに、三谷くんは帰っちゃった。一日を争うわけじゃないし、明日以降でいいよね。明日は、森下先生の研究会だけど。

 

「碁会所でアイツを見つけたんだけど、対局後の整地でこう……ズルしてたんだ」

「整地で!?」

 

 ヒカルが筒井さんに説明をする。筒井さんは大会でズルしないか、不安そう。ヒカルはやめさせると言っているけど、どうするつもりだろう。

 

「ちょっと追いかける」

「あっ、ヒカル待って、私も行く」

 

 バタバタと荷物を片付けて走り出すヒカルを追いかける。

 

「ちょっと、私は碁会所の場所知らないんだから、置いていかないでよー」

「遅えぞ、あかり!」

 

 止まる気配なし。もう。

 必死に追いかけると、ヒカルは走りながらブツブツとつぶやいてる。佐為と会話ね。余裕あるなぁ。私、走るのでせいいっぱいなのに。

 なんとか目的地まで、ヒカルを見失わずに到着する。ヒカルはそのまま繁華街の地下にある碁会所に入っていったが、私は少し息を整えてから入る。ぜーはー言いながら入るのは恥ずかしい。

 

「こんにちはー」

 

 中に入ると、人の良さそうなマスターが出迎えてくれる。

 

「いらっしゃい。おや、また学生かい。あの子たちの友達かな?」

「あ、はい。えっと、見るだけなんですけど、席料は……」

「ああ、見るだけならいいよ。今度また打ちに来てよ」

「すみません、ありがとうございます」

 

 優しい人だ。お茶まで出してくれる。こんなマスターがいるなら、三谷くんも明らかに無理な相手とは対戦していなかっただろう。なのにズルをするとか、三谷くんってばもう。

 

「ヒカル」

 

 見ているヒカルに声をかけて、盤面を見る。

 まだ中盤に入るかどうかだけど、三谷くんの方が、石の形ははっきり良い。これなら、ズルしなくても勝てるかな?

 

「おやおや、女の子まで見に来てんのかい。おんなぁ~心ぉ~♪ てか」

 

 うわ、いきなり歌い出した。酔ってるね、うん。

 酔ってる人は、ちょっと苦手。前世でも、セクハラしてくるのは、酔ってる人が多かったもん。

 

「あんちゃん勝ったと思ってるね。勝負はゲタを履くまでわからねぇって言葉、知ってるかい? とらぬタヌキの皮算用ともいうぜ」

「ハハ」

「お、笑ったな。最後まで笑っちゃいけねェよ。勝負ってもんはよ」

 

 酔ってるけど、言うことはまともだ。筒井さんのヨセじゃないけど、油断して読み間違って、なかった負け筋が生まれてしまう、というのは珍しくない。

 三谷くんも、思うところがあったのだろう。緩みかけていた空気を一転させて、真面目な顔つきになる。

 

「いいこと言うね」

「だろ? あんちゃん、人の話を聞く耳持ってんな。将来、見込みがあるぜ」

 

 シュボッとライターの火を、左手で付ける。あれ、この人右打ちしてたよね。

 別に、利き腕で打たなきゃ駄目な理屈はないけど。

 

「左ききかい?」

 

 三谷くんも怪訝そうだ。と、相手の人がニヤリと笑う。

 

「観察力もするどいな。てえしたもんだ……。いいだろ、ちょっと早いが勉強させてやるよ、大人の碁を」

 

 ガッと左手で碁笥を持ち、置く場所を変える。と同時に。

 

「一万円の授業料でな」

 

 左手でそのまま碁石を手に持ち、バシッと力強く打つ。気持ちの問題かな。利き腕で打つ時は本気。逆の手で打つ時は遊び。

 

「あ」

 

 石をずらした。佐為も気付いたのか、ヒカルが盤面を探し始める。いやぁ、凄い。俯瞰で見ているから気付けたけど、対局中だと気付かなかったんじゃないかな。

 それと、焦っているのか三谷くんも相手の早打ちに釣られて、考えずに打っちゃってる。これじゃ実力の半分も出せないだろう。

 

「さァ終局だ。どっちが勝ってるか分かるか? ふふ、整地でイジらねぇと勝てねぇぜ」

 

 あらら、もう現時点で勝ってるのに、さらに整地までイジっちゃうかぁ。これは、この人は悪さした三谷くんを懲らしめるために呼ばれたかな。

 

「コミを入れて12目半の差。俺の勝ちだ。あんちゃん、1万円出しな」

「ええ! 1万円!?」

 

 あ、思わず。あはは。

 

「おう。賭け碁だからな。コイツがいいって言ったんだ。約束は約束だからよ」

「三谷……」

「く、くそっ」

 

 財布から……ん? 今、ポケットから直接お札出さなかった?

 

「20円足りねえぜ」

 

 容赦ないなぁ。いや、文句言う権利はないんだけどね。

 

「三谷、俺貸してやるよ」

 

 ヒカルが声をかけるが、貸しを作りたくないみたいで、マスターに相談した。ああ、でも……。

 

「あんちゃん、おいたが過ぎるとな、こうやって俺みたいなのが呼ばれるんだよ」

「え?」

「ダケさん!」

 

 うーわー。言っちゃうかぁ。このダケさんって人、容赦ない。三谷くん、悔しそうに20円をマスターに返して、ヒカルから借り直した。そのまま黙って出て行っちゃう。ヒカルがそれを追いかける。

 え、ここに私を置いていく? どうしよ。

 

「お嬢ちゃん、打つかい?」

「えーと。どうしようかな」

「へっ」

 

 本気にしていないのか、打つつもりは元々無かったのか、鼻で笑ってダケさんはマスターと会話を始める。

 これは、私が三谷くんの友達と分かった上で、伝えているんだろう。優しさとも言えるけど、私が見限ったり、言いふらすことは考えないのかな。

 

「最近なんだよ、イタズラをしだしたのは」

 

 お客さんも、孫にこづかいやるような気持ちだったと言う。小中学生が碁を打っているの、嬉しいもんね。微笑ましいというか。一度大人を経験してると、よく分かる。

 

「でもイタズラはいけないヨ。それで、ちょっとたしなめてもらおうとね」

「おう、子どもをしつけるのは大人の役目だからな。さてと、このままカモでも待つかな」

 

 多分、マスターがダケさんに依頼したから、お礼もあるんだろう。でも私がいるから払えない。ダケさんが待つと言ったら、マスターは少し嫌そうな顔をするも、黙っている。

 

「あの。おじさん、私と打ってもらえますか? 1万円を賭けて」

「え?」

「お嬢ちゃん、やめときな! さっきの見てたろう?」

 

 見てましたよ。腕は、私の方が上。問題はズルだけど、やると分かっていたら気付けると思う。

 カラン。扉が開いて、ヒカルが戻ってきた。

 

「おじさん、俺が勝ったら、さっきの1万円返してくれない?」

「お?」

「俺、あいつの友達なんだ」

「じゃあ、お前が負けたら1万円くれるんだろうな」

「え?」

「じゃねーと賭けにならねえよ。こっちのお嬢ちゃんは、1万円賭けるって言ったぜ」

「あかりが!?」

 

 うん。だって、このままだといくらなんでも、三谷くん可哀想だもん。

 

「やめとけよ、お前が1万円かけるとか、似合わねえ。俺に任せとけ」

「絶対負けられないけど、ヒカル、大丈夫なんだね?」

「おう、絶対に勝つ」

 

 ん、通じたみたい。さっきのを見て絶対に勝つって言えるのは、佐為が打つということ。じゃあ任せよう。多分、佐為なら対局中でもズルに気付くだろう。

 実力はともかく、ズルをするような人と打つのは、ちょっと不安だったんだよね。ヒカルが戻ってきてくれて助かった。

 

「座れよ、置き碁は無しだぜ」

「いらねーよ、そんなもん」

「いらねーか、そんなもん」

「バカ、知らないよ! まったく、最近の子は……」

「あんちゃん、どれくらい強いんだ?」

 

 ダケさんがヒカルに質問する。ヒカルってば、少し悩みながらも。

 

「本因坊秀策くらい――かな?」

「はっはっは! こりゃまいった、言うに事欠いて秀策かよ」

 

 ダケさん大笑い。勝負終わるまでは笑っちゃ駄目なんじゃなかったっけ。マスターもため息をついている。気持ちは分かるけど、事実なんだよね、まったく笑えないよ。

 

「秀策殿に敬意を表して、はなっから左手でいくぜ」

 

 そして対局が始まる。……うわ、容赦ない。打ち始めて、すぐに佐為は相手の地を荒らしに行く。ダケさんも自信があったのだろう、早々にヒカルの打った右下にちょっかいをかけたが、きっちり守りつつ、右上、左辺と黒を殺していく。

 これはまた、早い決着だ。布石の段階で、ダケさんの黒に生きがほとんどない。左上少しと上辺、左下で凄く小さく生きるのがせいぜい。はっきり黒が悪いというか、もう終わってる。

 

「……負けました」

「約束ね、1万円」

 

 盤面を見ながら、呆然とするダケさん。うん。佐為って凄い。

 

「いくぞ、あかり」

「うん。ありがとうございました」

 

 ペコリとマスターに頭を下げて、碁会所を出る。はあ、緊張した。

 

「ヒカル、お疲れ様。佐為も、ありがとう」

「おう。明日これを三谷に返して、大会参加させようぜ」

「弱みを握ったみたいであまり好きじゃないけど、そうね」

「大会で海王に勝ったら、院生試験を受けてもいいだろ?」

「そうね。でもヒカルに勝てるかな?」

「勝つさ」

「応援してる。頑張ろう」

 

 へへっと笑ったヒカルと並んで、家へと向かう。

 

「ヒカル、今日行っていい? 佐為と打ちたい」

「んー。って、分かったよ。その後、俺とも打つぞ」

「うん!」

 

 今日の打ち方を見るに、佐為は一度も全力で打ったことないんじゃないかな。ヒカルは当然、私なんかとも実力が違う。

 ヒカルはきっと、佐為と変わらない実力を身につけるし、私も佐為からできるだけ吸収しないと。


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