世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし 作:ひょっとこ斎
入学式が終わって、さっそく囲碁部の部室へと向かう。
加賀さんはすぐには来られないようで、筒井さん一人。そういえば三谷くんは、ヒカルが碁会所でズルしているのを見つけたって話だった気がするけど、どうしようかな。
詰め碁ポスターは、見なかったとしても見たことにすればいいけど、それ以外は口出しするべきかどうか……。囲碁に関しては躊躇しないし、ヒカルに近付く女の子には注意を払うけど、男同士のやりとりに私が出しゃばっても、良いようにはならない気がする。
ともかく、まずはポスターだ。そうそう、最初は詰め碁も書いてない、単なるポスターだったんだよね。
「筒井さん、打とうよ。俺、強くなったんだ」
「加賀に勝てるほど強いのに、また強くなったの?」
「あ、いやあれは、マグレっつーか」
ああ、そういえば伝えておかないと。
「筒井さん、私、囲碁部には入るんですけど、大会に出る気はないんです」
「え? でも、大会は個人戦もあるよ」
どうやら3人集めるのが難しいからだと思われたみたい。
「私、今はまだ無理ですけど、プロになりたいと思ってるんです。だから、近々院生になれたら良いなって思ってて。だから、大会には……」
筒井さん、ポカーンとした顔になっちゃった。ヒカルも驚いた顔になっている。あれ?
「そ、そうなんだ。藤崎さん、そんなに強いの?」
「プロはまだ無理だと思いますが、まあ、そこそこ」
「え、プロ? お前が? 無理に決まってんじゃん!」
ヒカルってば失礼な。無理とは限らないでしょ。院生1組の和谷くんより私の方が強いんだよ? って言っても分からないだろうけど。
「塔矢くんは今年にもプロになるだろうし、私もできれば中学生のうちに、プロ試験合格したいと思ってるよ」
「え? そんなにすぐに? 大人になってからじゃないの?」
「プロ試験に合格したら、中学生でもプロだよ。過去にもいるし、塔矢くんもまず間違いなくプロになる」
もっと先の話だと思った、って。それは分からないでもない。私も、ヒカルがプロになった時はびっくりしたもん。
「じゃあ、俺も院生になる。そんでプロ試験もあっさり合格してやる!」
わあ、またヒカルが無茶を言ってる。いや、無茶じゃないんだけど、まだ無理じゃないかな。
「正直言って、今のヒカルじゃ厳しいと思うよ。それこそ、囲碁部の大会で海王に勝てるくらいにならなきゃ」
ちょっと細かい強さは分からないけど、海王の囲碁部より院生の方が間違いなくレベルが高い。
それはそうと、打とうと言いつつ止まっちゃってる。対局するよう促して、私は横から見る。佐為や私以外とほとんど対局経験がないから分かりにくいけど、筒井さんと良い勝負。
盤面五分で進んだ結果、ヨセで筒井さんはミスがなく、ヒカルは何目か損して、結果それが響いてコミ入れて9目半負け。
「ああ、駄目じゃん」
「いや、よく打てた方よ。ここ、突っかかるのがちょっと早かったね。この場合は先にスミを守るようにした方が正解かな。こっちは逆に、十分なのに手を入れちゃって、損してるね」
ヒカルの打った石に対して、いくつか説明を入れる。筒井さんも、ふんふんと一緒に聞いていたけど、話が一段落ついたところで、不思議そうに首をかしげた。
「でも、加賀に勝ったわりに、僕といい勝負だったね。悔しいけど、僕より加賀の方が随分と強いのに」
「あー、まあ」
ヒカルが困ったような顔になる。そうよね。ヒカル、今は加賀さんより弱いもん。
どうしよう、手助けするべきなんだけど、どう説明しようかな。
「俺、まだあまり分かってないせいで、打ち方に波があってさ。たまーにああいう風に、上手く打てる時もあるんだ」
筒井さんは、あまり納得いっていないみたい。でも他に言いようがない。
よし、話を逸らそう。
「筒井さん、新入部員の勧誘ポスターとかって作るんですか?」
「え? ああ、そうだね。団体戦のためにも、あと1人、男子部員欲しいなぁ」
「加賀さんは?」
「あいつが素直に出るとは思わないからね。まあ一応、声はかけるけど」
募集はしておこう、と筒井さん。ヒカルも院生になれば大会に出られないし、筒井さんも加賀さんも3年生だもんね。
でも誰か入ってくれても、来年から1人? もちろん、私はたとえ院生になっても顔を出すつもりだけど、やる気を維持するのは大変そう。そう考えると、1人でずっと頑張ってた筒井さんって、凄い。
そんな話をした翌日、葉瀬中に塔矢くんがやってきた。
「進藤!」
「塔矢じゃないか。どうしてこんな所に?」
「進藤。キミほどの人がなぜ学校の囲碁部なんかに?」
囲碁部なんか、って塔矢くんって意外と失礼かも? というよりは、ヒカルしか目に入ってないといったところね。
碁会所に来いって言ってるけど、佐為のことを考えると、碁会所で打つわけにはいかないよね。
「俺はお前とは打たないぜ」
「えっ!?」
「俺、筒井さんと囲碁部で頑張るんだ」
「待て、どういうことだ!」
「そんで大会に出るんだ」
「進藤!」
窓を閉めて、カーテンも閉める。廊下側から来たり出るところを待たれたら意味ないけど、塔矢くんもそこまではしないだろう。……多分。前世の時はしなかったはず。
しかし、完全にヒカルしか目に入ってない。まあ、私はヒカルに付いていっただけで、塔矢くんと打ったことないし、実力も知らないだろうから、しょうがない。
「進藤くん?」
「待たせるさ、俺が追いつくまで」
佐為ではなく、ヒカルが。筒井さんには意味が分からないだろうけど、私には分かっちゃった。というか筒井さんは初めて塔矢くんを見たんじゃないかな。意味分からないよね。私は前世の時、意味が分からなかったよ。
「今日は、ここまでにしようか」
ヒカルに配慮して、筒井さんが終わりを告げる。やっぱりこの辺、上級生だなぁ。しっかりしてる。
塔矢くんとの接触から数日後。私が、塔矢先生の勉強会に顔を出す日がやってきた。
もう少し早く来たかったけど、勧めてくれた緒方さんと、塔矢くんや塔矢先生が行ける日を初日にした方が良いとのことで、日程調整してくれていたの。見た目は怖いけど、案外優しい。
私が塔矢先生の家に行くと、奥様が出迎えてくれた。うわ、若い。……いや別に、塔矢先生が老けているといいたいわけじゃないんだけどね。
部屋に通されて、全員揃ってから挨拶するように、と言われる。塔矢くんもいて、私を見てびっくりしている。ヒカルの隣にいたのを覚えているんだろう。でも、さすがに今は大人しくしている。後から色々と聞かれそうだけど……。
「藤崎あかりです。普段は、森下先生に教えてもらってます。よろしくお願いします」
「藤崎さんだね。よろしく。アキラと同級生だと聞いた。どれくらい打てるか、やってみようか」
挨拶の後、塔矢先生と五子での対局が始まった。これはどちらかというと、実力を見るための対局ね。
置き石を置いての碁はミスがなければ、順当に勝てる。もちろん塔矢先生が強引に地を奪いに来たら別だけど、この対局でそんな真似はしない。
私は前世では、攻撃的な手があまり打てず、強引な手や乱暴な手を苦手にしていた。争いごとが好きじゃないと言えば聞こえは良いけど、どうにも弱腰だったんだと思う。だからヒカルもどこぞの誰かに取られて、泣くことになる。
逆行してから、意地でもヒカルと一緒になるために、碁の勉強もいっぱいしているし、苦手なんて言ってられない。必死で攻める手も覚えた。
無理せず守ればいいんだけど、ちょっと薄そうなところに、ちょっかいをかける。って、あれ。左下スミが薄そうだったから攻めたけど、左辺の石を上手く打たれて、攻めた分が丸々損になってしまった。
置き石の貯金、1つ分は潰しちゃったかな。手は緩めず、でも無茶はこれ以上できない。
「終局だね」
「ふむ、ここの部分、よく守ったね」
危ない、ギリギリだったけど何とか勝てた。まあ、塔矢先生は様子見の手がいくつもあった。手を抜いたというよりは、どう対処するかを調べるというような手。
それでも、だからこそ、ある程度の実力は見せられたんじゃないかな。
「大したものだ。アキラくんに近い実力があるんじゃないか?」
「そう、ですね。何度か打てば、僕でも負ける場合もあるでしょうね。……進藤の友人というのも納得だな」
塔矢くん、聞こえたよ。緒方さんもピクッて反応してるし。
「ひゃー、凄いねぇ。俺でもアキラくんに負ける時あるのに」
若い男の人、芦原さんというらしい、口笛でも吹きそうな調子で褒めてくれる。自分でも、かなり上手く打てたと思う。
というか、たった数ヶ月だけど、佐為に打ってもらって、間違いなく強くなっている。教え方が上手いというより、生半可な打ち筋じゃ一刀両断されるから、最善の手を常に考えなきゃ勝負にならないのが理由かな。
格上との対局は、何物にも代えられない財産ね。
しばらく塔矢先生と私の対局について検討を行った後、塔矢くんと打つことになった。まずは様子見の、互先で。
そして、打ちながら少し雑談をする。
「藤崎さんは、進藤に教えてもらったの?」
「えっと、そういうわけじゃないんだ。今は時々打ってるけどね」
確かにヒカルに教えてもらったけど、それは今の時代じゃない。前世でヒカルに教えてもらって、今は小学生から森下先生に強くしてもらって。現状はヒカルと打ちながら佐為に師事している。うん、絶対説明できない。
「進藤には、指導碁を打ってもらってるの?」
「ヒカル、よく分からないんだよね。真剣にやってるのは間違いないけど」
「どうして、僕と打たないなんて言うんだろう」
「さあ」
突っ放したような言い方で悪いけど、説明できない。
ヒカルが私より弱いと言っても、塔矢くんは否定するだろう。
それより、今は目の前の盤面に思考を傾けたい。せっかく塔矢くんと互先で打っているんだもん。
塔矢くん、よそ事なんて考えていると、負けちゃうよ。
「……ありません」
ほら。いくら強くても、気を散じてたら勝てるものも勝てなくなるよね。
「塔矢くん、ヒカルが気になるのは分かるけど、それと碁の勉強をおろそかにするのとは違うよね」
「うん、その通りだね。ごめん」
塔矢くんの目に、強い光が宿る。やる気に満ちた目。よし、それでこそヒカルのライバル。
でも今日は時間がもうあまりないので、もう一局打つのは難しい。
「終わったか。こちらでの検討に混ざりなさい」
私たちが近寄ると、塔矢先生が塔矢くんを責めた。曰く、対局に集中しないのは相手に失礼だから、集中できないなら打たないように、とのこと。確かに塔矢先生から見ると、私と打つメリットなんてほとんどないのに、真剣に打ってくれた。佐為もそう。二人とも、私との対局でも糧にしていると思う。
負けるにしても、何が悪かったのか、相手の良い手があれば吸収するくらいの気持ちでないと駄目ね。うん、さっきもやったけど、帰ったらまた塔矢先生との対局を検討しよう。
そして非常に有意義な、塔矢先生の勉強会が終わった。
「ありがとうございました、凄く勉強になりました」
「うむ、また来なさい。アキラにとっても、刺激になるだろう」
「そうそう。今度は俺とも打とうね」
芦原さんが気楽に言ってくれる。ありがたいんだけど、この人軽いなぁ。塔矢先生の門下といっても、色々な人がいるんだね。
塔矢くんは、一転して真面目な顔。本来の力を出せば、私では相手にならないだろう。一歩でも近付けるように、これまで以上に努力しないとね。
「はい、また次回、よろしくお願いします。塔矢くん、またね」
ぺこりと頭を下げた後、塔矢くんに手を振って帰路についた。