世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

5 / 53
第5手 小学6年生 その3

 ヒカルが塔矢くんと打ってしばらく経ったある日、ヒカルと一緒に学校帰りに歩いていると、家じゃない方に向かっていく。というかこの方向は……。

 案の定、塔矢くんと打った囲碁サロンの前。ヒカルはそのまま少しぼんやりしていたけど、ため息を吐いて引き返そうとする。

 

「キミ!」

 

 って、緒方さんだ! 呼び止めたと思ったら、会いたい人がいるとかなんとか。ヒカルと会いたい人がいるって、なんだか嫌な予感が……。どんな用事だろう。

 

「あの、私も付いていっていいですか?」

「友達かい? そうだね、良ければ是非ついてきて」

 

 ヒカルが緒方さんに引っ張られて、囲碁サロンに入る。指導碁をしているのは、塔矢名人だった。

 

「塔矢先生! この子が例の……」

 

 ぼそぼそと声を細めたので、続きは聞き取れなかった。だけど、塔矢くんに勝ったのが波紋を呼んでいるのだろう。

 そして対局が始まった、んだけど。

 ヒカル、どうしたんだろう、凄く何か言いたそう。塔矢先生に? ううん、違う。それよりもっと、言いたいけど言えないような、諦めたような顔。もしかしたら、佐為に何か言いたいのかな。

 

 

 そして対局が始まる。布石を打ちながら、少しずつ会話も進む。塔矢くんに勝てるのが信じられないというのは、確かにその通りなんだけど。なんだろう、塔矢くんが凄く強いのは確かだけど、自分の子を別格とか。見た目とも雰囲気とも合わないけど、親バカの気配を感じる。私の気のせいかな?

 ヒカルは話半分といった風に、塔矢名人の打ち方に魅入っている。自然な姿勢も、なめらかな指の動きも、すっごく綺麗だもんね。

 おっと、よそ事を考えているうちに、ヒカルが凄く何か集中しているように、碁石を手に取る。親指と人差し指でつまみ取り、人差し指と中指に持ち替える。そして、盤面に打つ。

 

 パシッ。

 

 綺麗な音が碁盤から鳴る。

 打った場所も、たぶん佐為が言った場所とは違う。ここまでの布石から打たれるような場所じゃないもん。有利とは言えない、独立した一手。でも、だからこそ。この後の変化が楽しそう。

 

「うわぁあ!」

 

 だというのに、ヒカルってばビックリしたような声を上げて、逃げていっちゃった。もったいないし、この場も気になるけど、さすがに放っておけない。

 

「ご、ごめんなさい。また今度、お詫びに来ます!」

 

 言葉だけ残してヒカルを追う。もー、ヒカルに追いつくの大変なのにー!

 

 

 公園まで走っていったヒカルに何とか追いつくと、何やら一人でもめている。身体を操った? 佐為が?

 そんな風には見えなかったけど。

 

「ヒカルが、打ちたくて打ったんじゃないの?」

「俺があんな風に打てるかよ」

「案外、やってみたらできるかもよ」

「そんなわけあるか。コイツが乗っ取ろうとしてんだろ!」

「そんなに言うなら、もう一度試してみたらいいじゃない」

「ちぇ、お前ら、言葉が聞こえないわりに同じこと言いやがって。わぁーったよ」

 

 そこらに転がっている平べったい石を手に持つ。ちょっとプルプルしてる。

 ひょい、と振ると、地面に置かれず、すっぽ抜けて飛んでいった。

 

「ズボッだってよ」

 

 やってられない、とばかりにヒカルがつぶやいた。どうしよ、ヒカルが碁に興味を持っているのは間違いないんだけど。

 

「たった1回上手くいっただけで、その後ずっと上手くいくとは限らないよ。ヒカル、手を貸して」

「ん?」

「爪。碁石の持つ手はね、こんな風に、爪がへこむの。それに、指の腹もほら、硬いでしょ」

 

 ヒカルの指をフニフニと触って、私の指と比べる。人差し指の爪も、中指の腹も。私とヒカルで、全然違う。

 

「せめて、ちょっとは石に慣れるまで触ってないとね」

 

 ヒカルは少しいじけたような顔だったが、私の手とヒカルの手が全然違うって気付いたんだろう。

 それ以上は文句を言わず、素直に家路についた。

 

 

 週末、ヒカルと一緒に葉瀬中の創立祭にやってきた。お姉ちゃんにもらった食券を持って、何を食べようかと見て回っている時だった。ヒカルが遠くに目をやった。

 

「お、ホントだ。碁が置いてる」

「どこ?」

 

 佐為が見つけたんだろう、私が聞くと、ヒカルが碁盤の方向を指さす。

 2人で近づいてみると、筒井さんが詰め碁をやっていた。ああ、懐かしい顔だ。まだまだ幼さが目立つ。ふふ。

 

「次、いい?」

「どうぞ」

 

 筒井さんが並べた詰碁を、ヒカルが少し考えて答えを出す。おお、ヒカルが正解した。ヒカルの部屋に、碁のルール本なんてなかったよね。週末の囲碁教室と何度かの対局で、ルールを覚えたんだろうか。

 もらった賞品に渋い顔をしながら、ヒカルが文句を言う。こ、こら。厚かましいよ。

 

「もっと難しいのやってよ」

「もっと難しいの? 大丈夫? じゃ有段者の問題だ。ボクでもこれはてこずるかな。三手まで示して」

 

 言いながら、筒井さんが碁石を並べる。私は解けるけど、ヒカルには難しいかな……って即答しちゃったよ。佐為に力を借りたなー。

 

「えっ」

 

 そりゃ驚くよね。さっきのに悩む子が解ける問題じゃない。

 

「詰碁集がもらえる一番難しいのやってよ」

「こんなの解けたら塔矢アキラレベルだよ」

 

 言いながら並べたのは、確かに難易度は高い内容だった。でも、塔矢くんクラスの棋力が必要かというと、そこまででもないというか、私でも解けるくらいだ。

 ようし、と解く気満々なヒカルだったが、横からちょっかいが入った。

 

「第一手は……ココだろ」

「ああっ」

 

 目を向けると、加賀さんがタバコを碁盤に押し付けている。わぁぁ、なんてことを!

 何が塔矢アキラだって、加賀さん、塔矢くんに会ったことあるんだ。そして詰碁集を破いて筒井さんを煽っている。そしてヒカルが勝負に乗って、ヒカルと加賀さんで対局する流れになるのね。

 ヒカルってば、止める間もなく売り言葉に買い言葉で対局を始めちゃった。昔は加賀さん、もっと大人っぽい印象だったけど、そっか、こうやって見ると子どもだなぁ。碁が嫌になった理由って、何なんだろう。打つのは好きみたいだし。荒っぽい碁にも見えるけど、押さえるところはちゃんと押さえていて、基礎からしっかり学んだ碁だ。

 とはいえ、佐為は当然、今は私の方が上みたい。森下先生に何年も鍛えられておきながら加賀さんより弱いと、話にならないもんねぇ。

 

「……2目半負け」

 

 ヒカルが、というか佐為が勝った。当然だね。加賀さんが、信じられないような顔で盤面を睨んでいる。

 指導碁というより、ヒカルのための碁。ヒカルは分かってるかなぁ、分かってないだろうなぁ。

 

「勝ったぞ! 土下……」

「ヒカル! 待った!」

 

 約束通り土下座と言いかけたヒカルを、慌てて止める。加賀さんに土下座させるとか、そんな後が恐ろしいことは止めてほしい。

 

「ヒカル、碁やるなら、囲碁部に入った方が良いと思わない?」

「えぇ、そんなのめんどくせぇよ」

「今より強くなれるよ」

「うーん、でもなぁ」

 

 逆行前に、後から聞いた話だけど、無理矢理ヒカルが中学の大会に出ていたみたい。それを止めないなんて、加賀さんはともかく筒井さんも大会に出たかったんだろうな。でもヒカルが小学生なのに出るのは、ルール違反だから絶対駄目だと思う。

 

「ええと、加賀さん」

「あん? なんだお前」

「藤崎あかりです。初めまして。ヒカルが勝った分のお願いがあるんですけど、いいですか?」

「あぁ? なんでお前が……」

「兼部でいいんで、囲碁部に入って貰えませんか? ヒカルと私も、囲碁部に入ろうと思うんですけど、ヒカルはまだ実力が不安定で、色々と教えてあげて欲しいんです」

 

 反論させたら面倒なので、先に言いたいことを言っちゃう。

 佐為が打つと強いけど、ヒカルが打つとまだまだ弱い。今回だいたい互角の展開で、ぎりぎりで加賀さんに勝てる程度の打ち方だったから、ごまかせる範囲だと思う。

 

「そうは言っても、俺は将棋部の部長だから、兼部は無理だぜ」

「そうですか。なら、時々打ってもらうのは?」

「それぐらいならいいが……」

「決まりですね! お願いします!」

 

 怪訝そうにしているけど、この場で長々と話すのも難しい。詳しくはまた今度ということにして、その場を離れた。

 

 

 その後、たこ焼きをヒカルと分けて、色々と楽しんでから家路につく。

 

「ヒカル、碁は楽しい?」

「そうだな……まぁ、つまんなくはねえよ」

「ふふ、何それ」

 

 相変わらずひねくれてるなぁ。そして少し耳を押さえている。

 あーあー、もう。懲りないんだから。

 佐為は強さも普通じゃないけど、情熱というか執念というか、そういったものも普通じゃない。幽霊になるほどなんだから、それはそうか。

 

「思ったより面白いよ。塔矢もそうだけどさ、真剣にやってる奴は格好いいし」

 

 そういや塔矢どうしてるだろ、ってヒカルってば。囲碁の勉強してるよ、間違いなく。

 いやでもそんなことより。

 

「ヒカル、私も真剣にやってるよ。格好いい?」

「お前が? 何言ってんだよ、女のくせに」

「あー、ひどい」

 

 反論しようと思ったけど、ぼんやり気味。へーって。

 

「佐為?」

「ああ、うん。平安時代も女性が打ってたって」

「へー」

 

 それは知らなかった。っていうか平安!?

 

「佐為って、平安時代の人?」

「そうみたいだな。その後、ほんいんぼーしゅーさく? とかって奴と一緒に打ってたらしいよ」

「ほんいんぼーしゅーさく……本因坊秀策!?」

 

 ああ、それは強いとかプロレベルとかの次元じゃない……。

 

「凄いね。そういえばヒカル、家に碁盤なかったよね?」

「そんなのねえよ」

「前はいらないって言われたけど、やっぱりあると便利だよ。佐為と打つかどうかはともかく、今日やった詰碁なんかも、碁盤があると考えやすいし」

 

 幸い、私の家には昔使っていたプラスチック碁盤と、今使っている木の折りたたみ碁盤がある。

 ビクッと身体を震わせたかと思うと、ヒカルは耳を押さえてうずくまった。

 

「あー、まあ、使うかどうか分からないけど、一応貸してくれる?」

「うん。じゃあ今日渡すよ」

 

 本因坊秀策に、手取り足取り教えてもらうなんて、なんという贅沢。素質もあるんだろうけど、ヒカルが強くなるわけだね。

 

「私も、たまにはヒカルや佐為と打ちたいんだけど、いいかな?」

「おう……って俺とぉ?」

「うん。ヒカルも打てるようになると楽しいよ。私も色々教えるから、一緒に遊ぼうよ」

 

 囲碁の勉強も大事だし、強くなるのも必要なんだけど、そもそも楽しむのが大事。ずっとヒカルと一緒に碁を打つとか、凄く贅沢な時間だよね。

 もちろん、後々恨まれないように、ヒカルと佐為の時間を取り過ぎてもいけない。

 きっと、佐為はいつか消えるのだから。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。