世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第18手 中学1年生 その12

 ヒカルを連れて、棋院で行われる森下先生の研究会に向かう。和谷くんが伝えてくれてるので、直接行っても問題ない。

 

「はぁ、研究会かぁ。なんかなぁ、プロの人達って怖そうだし、気が乗らねえなぁ」

「そんなことないってば。院生じゃなくても若い人もいるし、白川先生もいるよ」

「え、そうなんだ。そういや白川先生もプロか」

 

 うんうん。白川先生なら優しいし、安心できるよね。

 

「おっ、藤崎に進藤」

「和谷」

 

 和谷くんが迎えに来てくれた。挨拶して、早々に部屋に向かう。挨拶をして部屋に入ると、白川先生が笑顔で出迎えてくれた。森下先生も、囲碁を覚えて1年未満だって言うと驚いていたし、ヒカルが打倒塔矢アキラって言うのが気に入ったみたい。

 

「藤崎もそうだし、今度は進藤が1年未満で院生になるとか、白川くんは指導者として素質がありそうだな」

「え!? いえ、私は何もしてませんよ。藤崎さんは最初から囲碁を覚えててここに連れてきただけですし、進藤くんも、最初に2、3回教えただけですし」

 

 私は白川先生の説明好きだけどね。何と言っても優しいし。

 雑談はその程度で切り上げて、すぐに検討が始まる。実戦で悪手を打たれた場所、どう打てば上手く立ち回れたかという内容。

 ここもいまいち、こっちもまずいと話していると、ヒカルが声を上げた。

 

「あの、ここは?」

「院生2組が何を言うんだよ」

 

 馬鹿にしていると言うより、森下先生でも良い手が浮かばない盤面。普通に考えて私たちじゃ思いつかないというだけのつもりなんだろう。

 でも、この場合、佐為が騒いだのかなぁ。だとしたら、和谷くんの心配は無駄になるね。

 

「いいよ、言ってみな」

「ここに……」

 

 ヒカルの示した手に、みんな感心している。和谷くんは、びっくりした顔。しょうがない、早めに慣れてくれたらいいんだけどな。

 

 

 夕方になって研究会が解散した後、和谷くんがヒカルに声をかけていた。

 

「お前、結構やるじゃん。1組に上がった時は、お前とやるの楽しみにしてるぜ」

「早く和谷とやれるように、1組に上がらないとなぁ」

 

 ため息まじりのヒカル。実際、2組の人にそう負け越すような実力じゃないと思うんだけど、何だろう。

 ヒカルの家に着いたら佐為にも相談してみよう。

 

 

「勝てない原因?」

「うん。ヒカルが2組であまり勝てないの、なんでかなぁって。こうやって毎日打ってると分かるけど、2組の子よりも強いと思うんだ」

「うーん、なんだろう。……ん?」

 

 ヒカルが斜め上を見ながらふんふんと頷いている。佐為が何か、アドバイスしているのね。

 

「うーん、佐為が言うには、お前や佐為と打ってるせいであまり踏み込めなくなってるってさ」

「確かにヒカルって、性格に似合わない慎重な碁を打つよね」

 

 乱暴な手がないのは良いことだけど、踏み込みが浅いとも言える。強引な手というか、荒らされる覚悟で荒らしに行ったりもできていない。

 私も前世では全然できず、逆行してから打てるようになった。苦手を補おうとすると、かなり大変だけど、ヒカルならきっと、すぐに克服できるよね?

 

「お前なぁ、性格に似合わずって、もっと言い方あるだろ」

「ごめんごめん。じゃあ、その点を意識しながら、打ってみよう。押すべきところで逃げてる手があれば、その都度止めるね」

 

 他に言い方って言われても難しいよ。やっぱり佐為に教えてもらってるから、佐為の碁がヒカルの碁に大きな影響を与えている。それとは違って、私はあまり佐為の影響は受けていない。もちろん読みの深さや全方位を睨む一手など、私もできるようになりたいし、常に意識しているけどね。

 

「ヒカル、今、日和ったよね」

「う、でもよ」

「怖がらないで相手の地を全部奪うくらいの気持ちで打とう。そう思えば、緩い手を打ってる暇はないでしょ? 塔矢くんと打てば、きっと厳しい勝負になるし」

 

 私相手に怖がってちゃ打てないよ。練習でしか打ってないけど、気迫に押されて攻め損ねる時があるもん。

 そんな話をすると、ヒカルも思うところがあるのか、強引な手も打つようになった。もちろん強気に打てば勝てるとか、そんな簡単な話じゃなく、余計にあっさりと潰される。

 でも今はそれでいい。どんなタイミングで押して、どんなタイミングで引くか。今まで引くのみだったんだから、押せるようになるのは絶対に必要。

 佐為は凄い。言われたら確かにその通りなんだけど、ヒカルに何が足りていないか、佐為のアドバイスがなければ分からなかった。

 ヒカルと一緒に佐為に鍛えられるこの時間は、ヒカルや私にとって、何にも替えられない貴重な時間。一秒も無駄にしないつもりで、せいいっぱい学ぼう。

 

 

 一ヶ月ほど経って、院生研修で伊角さんや越智くんと手合わせをする機会があった。研修では勝ったけど、何回か打てば負けることもありそう。本番の一発勝負だと、どうなるか分からない。それくらいの僅かな実力差。

 越智くんは分からないけど、伊角さんとでは場数が違う。私、大会に出たのって、実は前世での学生時代まで巻き戻らなきゃいけない。

 逆行してから森下先生に教えてもらっていたけど、大会には全然出てなかったんだよね。このままだとプロ試験で苦労するだろうから、何とかしたい。

 

「確かに、知らない人と打つのも大事よね」

「だよね。明日美さんは、碁会所にはよく行くの?」

「たまにかな。ちょっと打ちたくなった時とか、ふらっと入ってみることはあるよ」

 

 凄い。私は怖くて、塔矢先生の碁会所とかの行き慣れたところ以外、全然行けないよ。

 

「ふぅん。じゃあ、私と一緒にどこか行ってみる?」

「えっ。どうしようかな。ヒカルも、あまり碁会所って行ったことないよね?」

「お、俺が打ってるんじゃなくて、人が打ってるのを見てたことはあるけど……」

 

 三谷くんが打ってたもんね。でも、ヒカルも何回か打ってたと思うけど……。

 そっか、佐為が打ったのも数に入れてないんだ。純粋にヒカルがまともに打ったのは、確かになかった気がする。

 

「なんだ、進藤も碁会所に行ってないのか。伊角さん、冬休みって忙しい?」

 

 どんどんと話が進む。気がついたら、明日美さんたちと一緒に、適当に碁会所をめぐろうという話になった。

 大丈夫かなぁ。変なことに巻き込まれなきゃいいけど。

 

 

 そして冬休み。院生研修が終わった後、5人で碁会所へと向かった。

 

「5人だと、全員は打てなそうね」

「かもなぁ。多いところだと行けるだろうけど」

「ここでいいな、広そうだし」

 

 伊角さんが、目に付いた碁会所へと足を向ける。囲碁サロン道玄坂。中に入ると、10人以上が打っている。おー、結構多い。

 日曜だからか、おじいちゃんだけじゃなく、若い人もいる。怖そうなおじさんも、少し。

 

「5人? 場所を使うだけかな?」

「いえ、ここの人たちと打ちたいんですけど」

「そうかい。じゃあ、空いてる人は……」

 

 お店の受付にいた女性が、店内を見回してるけど、和谷くんがまた何か思いついたって顔してる。嫌な予感しかしない。

 

「俺たち、ここにいる中で1番強い人たちと打ちたいんですけど」

 

 もう、また変なこと言い出した。明日美さんをチラッと見ると、呆れた顔になってる。店の人も生意気だって言ってるし。ほんとごめんなさい。

 

「和谷くん、何言ってるの」

「団体戦って面白そうじゃねえ?」

「団体戦!? 楽しそう!」

 

 ヒカルが乗っかかった。そうよね。ヒカルは部活でも団体戦楽しんでたもんね。

 

「じゃあ、誰が大将? 私とヒカル慣れてないんだけど」

「私も団体戦やったことないなぁ」

「だいたい強い順でいいんじゃねえの? 慣れてないってんなら、大将は伊角さん、副将が藤崎。俺が三将で奈瀬が四将、そして進藤が五将だな」

 

 妥当なところかな? 前世以来の団体戦。凄く楽しみ。わくわくしてきた。

 

「ふふ、団体戦、楽しそうじゃないか。私も入ろう。君たちが勝ったら、お金はいらないよ」

「やったぁ」

「負けたら店にある碁石を全部洗うんだよ。それに、お金も当然払ってね」

 

 お店のマスターっぽい人が出てきて、楽しそうに混ざってきた。それはいいけど、たぶん奥さんだよね、店番していた女性がかなり怒ってる。

 そもそもお金いらないっていうのはマスターが言ったんだし、負けたらお金払うのは当然として、なんで碁石洗わなきゃいけないの?

 

「はい!」

 

 和谷くん元気に返事しちゃって。もー。

 勝てば良いじゃんって簡単に言うけど、このお店にいくつ碁笥があるか分かってるのかな。

 

「進藤は負けるにしても、俺ら4人で3人が勝てばいいんだし、行けるだろ」

「なんで俺が負けるって決めつけるんだよ!」

「だって、明らかにお前が一番弱いじゃん」

 

 ぎゃあぎゃあと騒がしく言い合ってる。どうしようかな。

 

「騒がしくてごめんなさい。あ、5人揃いました? じゃあ、お願いします」

 

 さらっと騒がしいのを流しつつ、明日美さんが準備を進める。院生研修とかでも、騒がしいのに慣れてるんだろうなぁ。

 大将から順に椅子に座る。マスターが大将の席に座り、曽我さんという髪がないおじいちゃんが私の相手。当たり前のように煙草を吸い始める。ちょっと煙たいけど、しょうがない。

 

「俺と和谷と進藤が黒、藤崎と奈瀬が白だな」

 

 伊角さんがニギって、手番が決まる。相手も団体戦のニギリは知らない人がいた。個人戦は出ていても、団体戦は興味ないって人もいるよね。

 

「お願いします」

 

 打ってみると、私の相手は結構強い。院生1組にも遜色ないくらい。負けたら大変なことになるし、気を抜くわけにはいかないので、きちんと打つ。対局時計を置くわけでもないけど、あまり時間をかけすぎるのは良くない。布石の段階ではともかく、進むにつれて相手の悩む時間が増える。そうすると、相手が悩んでいる間にこちらも考えられるから、ますます打つまでの時間が短縮できる。

 

「負けました。くそっ、強いな。お前ら何者だ?」

「ありがとうございました。私たち、院生なんです。私と、五将の子があまり碁会所とかも慣れてないって話になって。じゃあ打ちに行こうかって」

「院生だと!?」

 

 ざわり、と周りが騒がしくなる。まあ、院生がまとまって碁会所に行くとか、珍しいかもしれない。

 河合さんは来てないか、とか言ってるけど、誰だろう、強い人かな。

 周りの様子を見ると、和谷くんは終局していて、和谷くんの勝ちっぽい。伊角さんも終わりが見えている。明日美さんとヒカルの碁盤までは見にくいから、前に座っている曽我さんに断って席を立つ。

 

「みんな勝ちそうだな」

「うん。ヒカルもなんとか勝てそうで良かった」

「……過保護」

 

 和谷くんが茶化すので軽く睨むと、肩をすくめられた。

 うーん、ヒカルの保護者をやってるつもりはないけど、そう見えるのかな。ってことは、ヒカルにもウザがられてるかも!? やだ、どうしよう。

 

「あかりちゃん、何を百面相してるの?」

「明日美さん。いやその、別に……」

「お、あかりも勝ったのか? へへん、俺も勝ったぜ!」

 

 私の心配をよそに、ヒカルが嬉しそうにガッツポーズをする。良かった、大丈夫そう。でも確かに過干渉になってしまうと嫌がられるだろうから、気をつけておかないと。

 

「よし、じゃあ次は本番、おじさん達が2子を置いて勝負!」

「2子だと?」

「碁会所で打つの初めてって奴がいて、ちょっと互先で慣れさせたんです」

 

 2子だと、守られるとそれで負けるから、相手の地を奪いにいかないと勝てない。

 私もだけど、それ以上にヒカルは攻めるのが苦手なので、荒らしに慣れるためにも置き石は良さそう。和谷くん、そこまで考えてくれてるのかな?

 今度は置き碁なので全員白石。

 当然、さっきとは全然違う展開になる。序盤からのんびりしてられないので、左辺と左上スミとの分断を狙って急戦を仕掛ける。

 

「むむ」

 

 曽我さんはいきなりツケたのを警戒して、若干長考している。さっきは緩い手が多かっただけに、応手に悩んでいるんだろう。

 ここでツケると、今後の展開が複雑で、私にミスがあると一気に崩れる。でも、ミスせず打てれば、相手の左上スミの黒が死んで、置き石分どころじゃなく形勢が傾く。

 しばらく左上スミの攻防をやりつつ、こっそり左下に対しての有効手も散らしておく。佐為なら右辺にも影響力のある手を打てるかもしれないけど、なかなかそこまでは思いつけない。

 佐為ほどじゃないけど、曽我さんも気付かない手を打ててるし、悪くないと思う。

 

 

「くそっ、こっちもか」

 

 舌打ち混じりに、曽我さんが左下の状態に気付く。左上は完全に分断できなかったけど、置き石分くらいは減らせた。そして左下の攻防が不利になってるのに気付かなかったせいで、形勢ははっきりと私が有利になった。

 

「ありません」

 

 よかった、曽我さんは本当にかなり強い。この盤面で、状況判断も的確だし。

 周りを見ると、今回は私が遅い方だったみたいで、和谷くんも明日美さんも終わっていた。

 

「……sai」

 

 え、和谷くん、今なんて?

 

「お前の碁、少しだけどsaiに似てる気が……」

「そう? 私としては、秀策の碁を参考にしてる部分も多いかなって思うんだけど」

「ああ、秀策か。言われてみれば確かに……」

 

 誤魔化せたかな? ヒカルの様子を見ると、まだ対局中でこちらのやりとりに気付いた様子はない。

 

「和谷、saiって?」

「知らねえの? ネット碁の強いやつ。夏はしょっちゅう打っててさ。最近は週に1度見るかどうか。俺の知る限り負け無しで、一柳棋聖にも勝ったんだぜ」

「へえ。それは凄いね。で、あかりちゃんが似てるって?」

「そんな気がしただけ」

 

 私の碁盤を眺めて、ふーんと明日美さんがつぶやく。

 

「先々週に進藤と打ったけど、進藤も少し似てるところあるかな?」

「そうかも。ずっと一緒に打ってるから。私は森下先生の影響が強いけどね」

 

 そういえば、森下先生も顔に似合わず、力押しをあまりしない技巧派よね。塔矢くんは甘い顔しつつ力碁を得意としているし、棋風って面白い。

 

「お、進藤も勝ったか」

 

 明日美さんもヒカルも勝って、私たちの全勝。ふぅ、良かった。

 

「じゃあ次は本番、3子でやりましょう」

 

 え、和谷くん何言ってるの?

 

「和谷! 3子は厳しい。この人たちをなめてないか? この人達はしっかり--」

「なめてなんかいねーよ! 俺たちは院生だぜ! これをかわしていくくらいの勢いがなければ、来年のプロ試験を受からねーぜ!」

「そーだな、碁会所のおじさんくらい、3子でやっつけられなきゃな!」

 

 もう、また二人して!

 

「てめっ、このやろ! なめきってケツかる!」

 

 周りにいたおじさんの1人が、ヒカルの頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜると、鼻をギュッとつまむ。

 酷いけど、和谷くんとヒカルの発言も大概酷いので、おあいこだよね。

 

「和谷くん、ヒカル、意気込みはいいけど、他の人を馬鹿にするような言動は駄目よ。それに和谷くん。勢いだけじゃ意味ないよ。ちゃんと、実力で勝たないと」

 

 曽我さんに3子。はっきり言って相当厳しいけど、楽しみなのも確か。自分の実力がどの程度か、腕試しとしてはちょうどいいのも確か。

 ヒカルの相手が変わって、他はそのままで3子での勝負が始まった。


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