世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第12手 中学1年生 その6

 学校が終わってすぐ奈瀬さんとの待ち合わせ場所に向かうと、思った以上に早く着いちゃった。30分以上は余裕ある。

 実は、奈瀬さんを連れて行きたかったのは、塔矢くんの追及を少しでも緩める目的。先週は研究会がなかったから大丈夫だったけど、今週の研究会で絶対にヒカルについて色々と聞かれるはず。

 せっかく塔矢先生のところで学べるんだ、行かないという選択肢はない。

 

「あら、あかりちゃん早いのね」

「奈瀬さん」

「もー、明日美でいいってば」

「う、はい、明日美さん」

 

 時間は早いけど、どうせ緒方さんは着いてるだろうし、塔矢先生も塔矢くんも準備はできてるだろう。

 少しゆっくり向かいながら、奈瀬さん……明日美さんの質問に答える。

 

「それで、そろそろいいでしょ。どこに向かってるの? もし名前を存じない方だったら相手方に失礼だし、教えてよ」

「確かにそうですね。場所は、塔矢先生のご自宅で、メンバーは塔矢先生、緒方さん、塔矢くん。他にもお弟子さんが何人か。緒方さんは、研究会の時は緒方先生って言われるより緒方さんって言われる方が慣れてるみたい」

 

 え? と足を止める明日美さん。

 

「ちょっと、聞いてない」

「言ってませんもん」

「……行くの断れない? 私じゃレベル低すぎるよ」

「そんなことないと思いますよ。師匠もなしに1組を維持できてるのって、凄いですよ」

 

 本当にそう思う。碁会所で打つくらいはあるだろうけど、自分より格上は、院生メンバーの何人かと、篠田先生くらいかな? そんな環境じゃ、伸びようがないよ。

 

「いや、でも……」

「今日は明日美さんが一緒って言ってますし、これで行かないと、余計に失礼だと思います」

 

 どっちにしろ今さら断る気はないけどね。

 明日美さんは今まで会った人の中で、女性で1番私と実力が近くて、1番囲碁に対して真剣。

 私はヒカルの目にとまるためという不純な動機があるし、そういうのもなく純粋にプロを目指す姿勢は、格好いい。ちょっと卑屈すぎるのが気になるけど、何か過去にあったのかな。院生にはあまりいないみたいだけど、女性だからって差別する人はたくさんいる。

 

「う……。確かに。でも本当に大丈夫?」

「うん、もちろん大丈夫!」

 

 話してるうちに塔矢先生の家に到着した。

 呼び鈴を鳴らして、人が出てくるのを待つと、すぐに塔矢くんが戸を開けてくれた。

 

「こんにちは。今日もよろしくお願いします」

「こんにちは、藤崎さん。それで、こちらの方が……?」

「はい! 奈瀬明日美って言います! よろしくお願いします!」

 

 ビシッと直立不動で、大きな声。あれ、明日美さんって体育会系? 塔矢くんも、目を丸くしてる。

 

「ええと、こんにちは。自己紹介は、あらためて揃った時にお願いします」

 

 家にあげてもらいながら、私は明日美さんに笑いかけた。

 

「明日美さん、そんな緊張しなくても大丈夫。いつもの院生研修と似た感じでやれば」

「でも緊張するし、やっぱり場違いだよー」

 

 どういって奮い立たせるべきだろう。悩ましい。

 

「奈瀬さんは、院生の1組なんですよね。今年のプロ試験は、本選から?」

「えっと、私は予選からです」

「そうですか。じゃあ、僕と一緒ですね」

「……え?」

「今年、僕もプロ試験を受けるんです」

「あ、そうなんですか」

「ええ、追いかける相手も、勘違いでしたし、ね。ああ、それと敬語なんていらないですよ。僕は藤崎さんと同じ歳ですから」

 

 ああ、追いかける相手とか言いながら、目がこっち向いてるし。知らない、見えない。聞こえない。

 それより、塔矢くんの言葉でひとつ思いついた。

 

「明日美さん、会った時から言われてたけど、これから敬語なしで話すね。だから、明日美さんも塔矢くんに敬語なしで。仲良くやろー」

 

 キュッと両手でガッツポーズを作りながら、えいえいおー。

 明日美さんは目を丸くして驚いていたけど、大きく深呼吸して、私と塔矢くんに向き合った。

 

「うん、ありがとう。緊張しないってわけにはいかないけど、できる限り頑張るね」

 

 うんうんと頷いていると、塔矢くんも笑みを浮かべた。良かった、明日美さんも元気が出たみたい。

 そして研究会に使っている部屋に入ると、塔矢先生と緒方さんが、検討をしていた。

 

「こんにちは」

「こんにちは。そちらの子が、今日から来る子だね」

 

 あはは、塔矢先生に今日から来るって言われちゃったね。これで、今日だけとは言いにくいはず。

 

「は、はい。奈瀬明日美と申します」

「ようこそ。俺は緒方。あと、今日はもう一人来るんだが、うるさいだけだから放っておいていいぞ」

「緒方さん、またそんなこと言って。芦原さん泣きますよ」

 

 緒方さんは、芦原さんに対して妙に辛辣だ。それだけ仲が良いというか、いじりやすいんだろうなぁ。

 そして私の時と同じように、塔矢先生が指導碁を打つ。

 打ちながら、今週末から始まるプロ試験を受ける心構えの話にもなる。最初は良くても、長丁場だけに最後まで普段通りの力で打てない場合も多く、自滅するパターンも多いんだって、緒方さんから説明を聞く。

 そういえば、伊角さんは院生順位が1位のまましばらく経つそうだし、きっと精神面で弱いんだろうな。明日美さんが精神面で弱いかどうかは分からないけど。

 

 

 しばらく経って、塔矢先生との指導碁が終局した。私たちも混ざって検討をしていると、塔矢先生が口を開いた。

 

「失礼な言い方だが、今の実力だと、今年のプロ試験での合格は難しいだろう」

 

 塔矢先生の言葉に、明日美さんがしょぼんとする。本選まで2ヶ月近くある。まだまだこれから伸びると思うけど、どれくらいの実力だとプロ試験に合格するんだろう。

 塔矢くんが合格できる実力だとは聞いているけど、例えば、今の私で受かるのかな。

 ヒカルが囲碁を始めて、半年と少し。ヒカルもとんでもない速度で強くなってるけど、私自身も、結構伸びてる気がする。塔矢先生や緒方さん、塔矢くんとの対局はもちろん、佐為に打ってもらっているのが、本当に大きい。

 塔矢先生と打って後から検討しても、時間が短いので、どうしても深いところまでは検討できない。

 佐為に打ってもらうと、夜遅くなっても何とかなるから、相当深く検討できる。しかもヒカルにも分かるように説明してくれるから、凄く細かい部分にも目が行き届いている。凄く貴重な時間ね。

 

「院生研修だけではなく、ここでしっかり力を付けて、合格を目指して頑張りなさい」

 

 塔矢先生の言葉に、明日美さんがばっと顔を上げる。研究会参加の許可が出るとは思っていなかったのだろう。来た時の言葉は、緊張して理解できてなかったかもね。

 森下先生もだけど、みんな懐が広いというか、囲碁業界の人はかなり子どもに優しいよね。

 

「あ、ありがとうございます」

「塔矢先生、ありがとうございます」

 

 私も明日美さんに続けてお礼を言う。私が連れてきたんだし。塔矢先生と明日美さんの対局中にやってきた芦原さんは、どことなく嬉しそうだ。明日美さん、美人だもんね。

 

「若い可愛い子が増えて、嬉しいなぁ。なあアキラくん」

「え? いや、僕は別に……」

 

 あっさりと言い放つ芦原さんに同意を求められて、塔矢くんは困っている。前世の時は気にしてなかったけど、モテそうなわりに色恋沙汰に苦手そうだもんね。

 

「まあ、アキラ君にとっては、女の子どうこうよりも、ライバルの方が嬉しいだろうけどな」

「ライバル?」

 

 緒方さんが的確なご指摘。うん、私もそう思う。

 

「ああ。同じくらいの立場で争わないとな。張り合いってものがないだろう?」

「張り合い?」

「ああ。アキラ君、今は張り合いが抜けたみたいなものだからな」

「僕は別に、彼のことなんかどうとも思ってません」

 

 がっかりしてたもんね。どうとも思ってないわけがないよね。

 口を挟みにくい雰囲気だけど、どうしようかな。

 

「ふーん? よく分からないけど、まあいいや。奈瀬さんだっけ、次は僕と打とうよ。塔矢先生はああ言ったけど、僕に勝てたらプロ試験受かる実力あるかもよ」

 

 定先でやろう、と芦原さんが白石を持つ。

 明日美さんが、コミなしの黒。

 そのまま話はいったん置いて、塔矢先生と緒方さんが打ち始めて、私は塔矢くんと打ち始める。

 そして、対局や検討が終わり、さて帰ろうとしていると、塔矢くんから声がかかった。

 

「藤崎さん、前はごめんね」

「えっ、何が?」

「大会中に、君の友達に暴言を吐いてしまったから」

 

 ん? ああ、ヒカルに怒鳴ったことね。前世では分からなかったけど、今なら分かる。佐為の実力を想定していたらがっかりするし、怒鳴りたくなる気持ちも、まぁ碁打ちとして理解できる部分もある。

 

「ううん。あれは何というか、ヒカルが悪いというか。でも、今もヒカルは頑張ってるから、がっかりせず保留してもらえると嬉しいかな」

「……頑張ってる?」

「うん。塔矢くんに追いつこうと、必死でね」

「ふうん……」

 

 あっ、半信半疑。今に分かるよ。

 気が付いたら、塔矢先生と緒方さんも、手を止めてこちらの話を聞いていた。わぁ、お邪魔しちゃってごめんなさい。

 

「では、お先に失礼しまーす」

「本当に、たくさん教えていただいて、ありがとうございます!」

 

 私と明日美さんの言葉に、塔矢先生は頷きを返してくる。ゆったりとした動作が、また似合うんだよね。渋い。

 

「ああ、来週は試験だね。なら、また再来週から来なさい。今、伸び悩んでいても、一足飛びに強くなる必要はない。時間をかけて勉強をすれば、絶対に自分に返ってくる。精進しなさい」

 

 私に、というより明日美さんに向けての言葉。前にも思ったけど、明日美さんは基礎がしっかりしてる。筒井さんみたいにヨセと目算特化というわけでもなく、ヨセも苦手じゃないし、攻めるのも守るのも、無難にできてる感じ。

 塔矢先生の言う通り、苦手があって勝てないなら、苦手の克服で一気に強くなった気になれるけど、奈瀬さんの場合は、そういうタイプじゃない。

 だからこそ、強い人に色々と教えてもらえて読みが深くなれば、しっかり強くなると思う。私も前世では全体的にレベルが低すぎたけど、森下先生に長年教えてもらって、ちょっとずつ強くなってきた。

 ……前世という反則があって、長年森下先生に教えてもらって、それでも塔矢くんに及ばないレベルかぁ。情けない。

 あああ、駄目駄目、考えないようにしないと。落ち込んでる暇はない。

 塔矢先生の家を出て、歩き始めてすぐに、明日美さんが口を開いた。

 

「あかりちゃん、今日はありがとう。すっごく勉強になったよ」

「こちらこそ、元はといえば和谷くんのせいだけど、どことも言わずに連れてきちゃってごめんなさい」

「ううん。それに、塔矢先生も再来週も来なさいって言ってくださったし。今でも、私なんかが行ってもいいのかなって不安だけど、せいいっぱい頑張るね!」

「うん! 私も、まずは院生1組に行かないと」

「あはは、あかりちゃんならすぐなれるね」

 

 今のところ負けなしだけど、1組に行けばそう簡単にはいかないだろう。

 今は明日美さんより強いけど、地力を考えると、追い抜かれても何もおかしくない。

 そもそも私が囲碁のプロになるっていうのが、ちょっと想像できない。でも、ヒカルの前に堂々と立つためにも、今は必死に勉強するしかないんだ。

 

「頑張ろう」

「うん、頑張ろうね」

「お互いプロになって、タイトルの挑戦者くらいにはなりたいよね」

「え、ちょっと待って」

 

 明日美さんが凄くおかしな顔になってる。あれ、プロになった後もヒカルと対局するには、タイトル狙うくらい強くならなきゃいけないんだけど、何かおかしいこと言ったかな?


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