世の中に たえて光のなかりせば 藤の心はのどけからまし   作:ひょっとこ斎

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第11手 中学1年生 その5

「藤崎、saiって知ってるか?」

 

 森下先生の研究室に行くと、和谷くんが話を振ってきた。

 

「さ、さい?」

「そう。インターネット碁でさ、最近ちょっと話題になってんだよ。かなり強えって」

「へえ。ネット碁は何回かやったことある程度で、あまり知らないの」

「saiだけじゃなく、時々プロも打ってるし、勉強になるぜ」

 

 へえ、プロって誰だろう。若い人が多そうな印象だけど。

 

「この前なんてさ、一柳先生が打ってたんだ。ビックリしたのなんの」

「え、一柳先生が!?」

 

 凄い、七大タイトルの保持者がインターネット碁って。一柳先生、見た目によらず若いなぁ。

 

「おう。でも、それよりsaiの方が気になるんだよな。絶対どこかのプロだと思うんだけど……」

「そんなに強いの?」

「ああ。現れるのは1週間に1回程度なんだけど、海外のアマ上位者相手にも負けなしなんじゃないかな」

 

 佐為、話題になっちゃってるらしい。ヒカルに言った方がいいかな。佐為が認められたって喜ぶか、バレたら困るからって止めちゃうか、どっちかなぁ。

 前世では、結構打ってたはず。でも2学期に入ってからは部活にずっと顔を出してたから、途中で止めちゃったんだろう。

 今も佐為の存在がバレないように気を付けてるくらいだから、止めちゃいそう。

 うーん、どうすればいいのかなー。

 

「藤崎?」

「あ、ごめんね。ちょっと考え事してた」

 

 適当に話を合わせているうちに森下先生の勉強会が始まり、話はそれで終わった。

 

 

 夜、ヒカルの家に遊びに行く。

 

「え、佐為が話題になってる?」

「うん、少しだけね。バレるとまずいし、絶対にチャットはしないようにね」

「打つの面倒だし、そんなのやる気ねえよ」

「そっか、じゃあ大丈夫ね。あと、曜日はバラバラの方がいいと思う。それと暇があったら、たまに土日にもネット碁したらどうかな」

「ふーん。その方がバレにくいんだ?」

「打つのが平日の放課後だけじゃ、学生だって特定されやすいかも。土日に打っても変わらないけど、少なくとも候補は広がるだろうし」

 

 後は……そうだ。

 

「もし、知り合いっぽい人と打つ機会があったら、バレないように気をつけてね。特に、直接佐為と打っている、塔矢くんとか」

 

 彼なら、直接対局しなくても、ネット碁の棋譜を何枚か見たら気付きそう。

 忠告だけだとやる気なくしそうだし、佐為が喜びそうな情報もあげないと。

 

「そうそう、七大タイトルのひとつを持ってる一柳先生って人も、ネット碁やるんだって。ハンドルネームは、そのまま英語で『ichiryu』らしいよ。機会があったら、打ってみて。多分、今まで打った人たちより、ダントツで強いから」

「へえ……って、いないと打てないだろ!」

 

 あはは。佐為がまた打ちたがったんだね。本当に、佐為ってとんでもなく強いんだけど、子どもみたいな可愛い印象が強い。

 ……見えないから好き勝手言ってるけど、ひげもじゃおじさんだったらどうしよう。

 

「ヒカル、ちょっと気になったんだけど、佐為ってどんな見た目?」

「ん? 佐為?」

 

 んー、と考えながら言うには、長い帽子と着物みたいなのを着た、ほっそりとした男性なんだとか。外だと靴を履いているけど、土足厳禁の場所だといつのまにか靴を脱いでるって。

 ふふ、お行儀良いんだね。

 

「まあ、犬っころみたいな感じ?」

「なにそれ。でも、じゃあ可愛い感じなんだ」

 

 良かった、印象と違ってない。

 

「対局してると憎たらしいけどなー。勝てねえし」

「勝てるようになったら、タイトルも取れるよ」

「頑張らねえとなぁ」

 

 そんな佐為に打ってもらって、今日はお開きとなった。

 

 

 そして、日曜日、院生研修の日がやってきた。

 同年代の子がたくさん打っている場所でやるのは今世では初めてだから、ちょっと緊張しちゃう。

 

「……和谷と同じ、森下門下だってさ」

「へぇ、じゃあ強いんだ?」

 

 部屋に入ると、話し声が聞こえた。

 ん、私のこと?

 

「あ」

「こ、こんにちは」

 

 うう、ドキドキする。変な声になっちゃった。

 

「おう、藤崎」

「和谷くん、こんにちはー」

 

 ほっ。知った顔を見ると、安心する。

 

「場所も決まってるんだっけ」

「そうそう。対戦表に書いてあるだろ」

「うん、ありがと」

 

 対戦表を見て、所定の位置に座る。

 前に座ったのは、今西くんという、年上の男の子。

 挨拶だけして、黙り込んじゃった。自分から話しかけるのも難しいし。うーん。

 って、悩んでるうちに、篠田先生がやってきた。

 

「おはようございます」

「今日から、みんなの仲間が増えました。藤崎あかりさんです。よろしくお願いします」

 

 笑顔を浮かべて、周りにぺこりと頭を下げる。しかし、仲間が増えたって、雨後の竹の子じゃないんだから、もうちょっと言い方があるような気が……。

 って、始まっちゃった。さっそくニギって、私が白を持つ。

 

「お願いします」

 

 そして対局が始まったけど。負ける心配は、あまりなさそう。

 もちろん院生になるくらいだし、相手もそこそこ打てるから、油断しちゃ駄目だけど。多分、海王の大将をしていた人の方が強いくらい。とはいえ、今のヒカルよりは少し強いかな?

 

「……負けました」

「ありがとうございました」

 

 ふう、一勝。

 最初だからか、篠田先生が検討に混ざってくれた。相手の子の失着を説明するだけでなく、私が打ったヌルい手も指摘してくれる。なるほど、油断してないつもりで無難な手を打っちゃってたみたい。最善の一手にはほど遠い。

 堅くなっちゃってたかな?

 

「よう、勝ったな」

「うん。勝てて良かったー」

「相手にゃ悪いが、まあ順当だな」

「そう? 私もまだまだだし、そこまでじゃないよ」

 

 ちょっとしたミス、もしくは相手に会心の一手があれば、ひっくり返る可能性は十分あるレベルよ。それこそ、塔矢くんくらい強くないと……。

 塔矢くんは、競り合いや、ここぞという押しの強さが凄い。大人しそうな外見に似合わず、力碁も得意としている。

 

「っと、次の対局が始まるな」

 

 午前中に2局、午後から2局。1局ごとの密度を考えると、結構なハードスケジュール。

 午後からは内田さんという女性と対局。落ち着いて打てたおかげで、勝利を得られた。

 

「いきなり二連勝か」

「おかげさまで」

「昼、どうする?」

「和谷くんはどうしてるの?」

「店屋物を頼むか何か買ってくるか、外に食いに行くかだな」

 

 ふうん。えっと、どうしようかな。

 

「おーい、奈瀬。お前、今日は昼どうすんの?」

 

 私が悩んでいると、和谷くんは近くにいた女の子に声をかけた。

 顔を向けると、院生試験の後にも見かけた、凄く美人の子。

 

「ん? どっか食べに行くつもりだけど」

「今日は、こいつも一緒だから、付いてきてくんねえ? 初回で女子が一人って、やりにくいだろうからさ」

「オッケー。んじゃ、藤崎さんだっけ。どこか希望ある?」

「あ、どこでもいいです。えーっと、奈瀬さん」

「ゴメンゴメン。自己紹介してなかったね。奈瀬明日美っていうの」

「藤崎あかりです。よろしくお願いします、奈瀬さん」

「硬いなぁ。まあいいか。よろしく」

 

 奈瀬明日美さん。ヒカルと一緒になった人ではないけれど、凄く美人だし、ちょっとだけ気をつけておかないと。

 和谷くんと奈瀬さん、あと伊角さんという人、福井くんというメンバーで唯一の年下の子も一緒に、外へ食べに出る。

 お店は、無難にハンバーガーショップ。

 奈瀬さんや伊角さんの質問に、私が答える。

 

「じゃあ、あかりちゃんは小1の頃から森下先生のお弟子さんなんだ」

「うん。考えたら長いね」

「そうだなぁ。そんで、俺より強いんだぜ」

「和谷より!? 今まで、どうして院生にならなかったの?」

「ちょっと諸事情がありまして。大したことじゃないんですけどね」

 

 逆にこちらからも質問をして、伊角さんは九星会に所属していたけど、奈瀬さんや福井くんは師匠もおらず、研究会にも所属していないとのこと。えぇー、もったいない。

 院生1組にいるくらい強いのに、師匠がいないというのは、伸び悩みそう。

 

「……奈瀬さんと福井くんは、師匠や研究会には興味ないの?」

「フクでいいよー。僕はね、中学に入ってから、誰かに師事するつもりなんだー」

 

 あ、そうなんだ。中学に入ってから院生になった私と、似て真逆のパターンね。

 チラリと奈瀬さんを見ると、小さく肩をすくめられた。

 

「考えないでもないけど、プロの研究会は、レベル高くって、私じゃついていけないかなって」

「え、そんなことないですよ。私、2つ顔を出してますが、楽しいし勉強になりますよ」

「そうなんだけどね。あかりちゃん、硬い硬い。敬語じゃなくていいよ」

「あ、えっと、うん」

 

 そう言われても、前世はともかく、今は年上だし。和谷くんは付き合い長いし、今さらだけどね。

 でも、伊角さんは大分年上っぽいけど、和谷くんも奈瀬さんも敬語じゃないよね。結構気楽に話してる感じ。

 フクくんは、もうお子様! って感じ。フワフワした雰囲気で、癒やし系ね。かわいい。

 

「奈瀬、一度試しに、藤崎と一緒に研究会に行ってみたら? 知った顔があるとやりにくいなら、森下先生の方じゃなく、もう一つ藤崎が行ってる方にでもさ」

「んー? それって、誰の研究会?」

 

 話を聞いていた和谷くんが、ニヤリと笑って口を挟む。あ、悪いこと企んでる顔。

 奈瀬さんも警戒して、訝しげな表情になる。うんうん、いたずらっ子の顔だもんね。しげ子ちゃんに言いつけるぞ。

 

「それは……」

「おっと、藤崎。それは内緒で。行ってみてのお楽しみでいいじゃん」

「何それ。でももうすぐ予選始まるし、それに通ったら本戦もあるし、そのあたり終わってからかな」

「何ヶ月も先じゃん、時間がもったいねぇよ」

 

 うん。プロ試験中が色々と忙しいのは分かるけど、塔矢先生の研究会に行って損することなんてない。それに、塔矢くんもいるし。

 

「藤崎、許可貰えたら、連れて行ってやってよ。奈瀬にとっても藤崎にとっても、いい勉強になるだろ?」

「うん、まあ確かにそうだけど。……隠す意味は?」

「その方が驚くじゃん。現地まで言うなよ?」

 

 やっぱり。連れて行って驚いたとしても、その場にいるのは私だけ。怒ったとしたら対処するのも私なんだけどな。

 

「でも、私から先生にお願いするにしても、奈瀬さんの棋力は知っておきたいかも。あ、もちろん1組にいるんだから強いのは分かってるんですけど」

 

 あ、言ってすぐに気付いたけど、上から目線の失礼な物言いだった。これはやらかしたかも。

 

「そうね。どうしようかな、あかりちゃんまだしばらく2組だし、研修の後に一度打ってみる?」

「あ、はい。すみません、お願いします」

 

 まったく気にしない様子で、奈瀬さんが提案してくれる。これは、分かった上で流してくれた感じかな。奈瀬さん大人だー。助かったというか、言い方に気をつけないと。

 

 

 そして、院生研修が終わった後、棋院の対局室で奈瀬さんと打ってみる。観客は和谷くんと伊角さん、あと飯島さんという人も。フクくんは、早めに帰らないと駄目だって帰っていった。

 

「ありません」

 

 互先で全力で打ち合った。結果、私の中押し勝ち。とはいえ、圧倒的な差があるわけじゃない。話を聞くと、飯島さんも奈瀬さんと似た実力だそうで、私と打つのが気になったみたい。私が勝ったのを見て、ちょっと顔色が悪いけど、大丈夫かな。

 

「ありがとうございました」

「ありがとうございました。どこが悪かったかな?」

 

 奈瀬さんが検討を求めてきたので、気になった点を口にする。あきらかにおかしな手は無いけれど、どれも無難で、ちょっとずつ損を繰り返すような打ち方。悪手のとがめ方もちょっと弱い気がする。

 盤面全体の管理は上手いから、無難な手を最善手にできれば、強くなると思う。もちろん、どれもこれも最善手を求めると先の展開が読み辛く、ちょっとのミスが大きな損になって難しくなる場合も多々あるから、地力を付けないといけない。そういう意味でも、奥の深い検討を行う塔矢先生の研究会は、奈瀬さんにとってすごく意味のあるものになるはず。

 

「あかりちゃんの説明、分かりやすいね」

「えっ、そうですか? ありがとうございます」

 

 そんなこと、初めて言われた。私の説明がうまく伝わったのなら、嬉しいな。

 

「奈瀬さん、さっき言ってた研究会の件、和谷くんの思惑はともかく、実際勉強になるし良かったらどう?」

「えーっと。まあ、1回行くくらいなら……。でも本当に、二人とも悪い顔してるよ?」

 

 あはは、私も和谷くんと同一視されちゃった。でも、なんていうか、ドッキリを仕掛けるみたいでちょっと楽しいのは確か。

 奈瀬さんは良い人だし、実力も近い。仲良くなって、絶対に損はないだろう。

 

 

 夜、帰ってから塔矢先生の家に連絡する。

 塔矢先生は留守だったけど、塔矢くんがいて、緒方さんの連絡先を教えてもらえた。

 あらためて緒方さんに連絡して、院生1組の実力があるなら、とりあえず1回来る分には問題ないだろうと許可をもらう。やった。ただ、今週は塔矢先生がいないから、奈瀬さんを連れて行けるのはその次。プロ試験予選が行われる週の直前ね。

 それと、継続して来ていいかどうかは、塔矢先生が決めることらしい。それはそうよね。

 

 

 その週は普段通り森下先生の研究会、塔矢先生の研究会に参加して。

 土曜の院生研修日に了承いただいたと奈瀬さんに伝えて、来週金曜に一緒に行くことになった。

 塔矢先生の研究会と聞いた時の反応が、今から楽しみ!


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