ハイスクールD×D ~優しいドラゴンと最高の赤龍帝~   作:マッハでゴーだ!

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第14話 男たちの意地

 そう言えば、とふと思い出したことがあった。

 それは小さな頃の記憶。本当に小さい頃、何の力もなかった頃に一度だけ見た記憶がある父親の背中。

 本当に俺は小さく、物心もついていない頃の記憶だ。

 オルフェルだった頃の俺は、いつだって守られていた。俺を一番最初に、ずっと守ってくれていたのは誰だったか。

 ……それは父親だった。

 その背中が大きかったのを覚えている。

 今の俺よりも確実に力が弱いことなんて理解しているけど、それでも―――その背中は、大きくて頼りになった。

 ……どうして今更、こんなことを思い出しているんだろう。

 そんなこと分かりきっているのに、俺はそう思い出すしかなかった。

 

「―――良く頑張ったな、流石は俺の息子だ!!」

 

 俺は晴明とヘラクレス、メルティに確実に追い込まれていた。

 俺の能力を無力化する謎の力に翻弄されて、フェルの力も発動できず、自力の力で追い込まれていた。

 使えるものはすべて使って対抗したけど、万全の敵三人に対してそれはあまりにも無策で、到底対抗できるものではなかった。

 その結果が、ヘラクレスの全力攻撃を避けることができないという事実。

 ……負けを、覚悟した。

 向かい来る脅威に対して俺は何もできなかった。

 ―――だけどその脅威は、一向に俺の元に来ることはなかった。

 その代わりに俺の前に現れたのは、大きな背中だった。

 筋骨隆隆で、背丈もこの戦場の誰よりも高い男。

 いつも家族は大好きで、口を開けば俺や母さんのことをただ「愛してる」と愚直にもらすその人は―――父さんは、俺の頭をそっと撫でて、晴れやかな笑顔を浮かべていた。

 俺は父さんが何で戦場に、俺の前に立っているのか到底理解ができなかった。

 でもただひとつ、分かることがあるとすれば……それはたった一つ。

 

「イッセー、お前は良く頑張ったから、ちょっと休憩だ。―――お父さんがお前を守るぞ」

 

 ―――俺は父さんに、守られていた。

 理解に苦しむ。どうして戦場に父さんがいるんだ。人間である父さんがこんなところにいたら……―――ちょっと待て。

 おかしいだろ。

 この際、父さんが戦場で俺を守っていることはいい。

 だけど―――ヘラクレスのミサイルを全て打ち落とすなんて芸当、ただ人間では不可能だ。

 父さんが神器を宿していたなんて驚きの展開なんてない。

 俺は16年間、父さんと一緒に生活していて気づかないはずがない。

 ……そのとき、俺は理解した。

 神器でないのであれば、父さんがどうなったかなんて理解が容易い。

 ミサイルによる爆撃に耐えうる力と防御力、そんなものを父さんに付与するのは狭まった現状である可能性は一つしかない。

 ―――戦車(ルーク)の駒の特性は、ぶっ飛んだ攻撃力と防御力。

 つまり父さんは

 

「どうして、悪魔に……」

 

 悪魔になった、ということだ。

 そしてこの戦場に父さんを悪魔に転生させることのできる存在は、俺を除いて一人しかいない。

 

「……言いたいことはきっとたくさんあるだろう、イッセー。ああ、そうだな。俺はお前に怒られることを承知で、お前を助けに来た。―――もう二度と、後悔なんてしてたまるか。もう二度と、お前の手を離してたまるか」

 

 ……父さんの拳より濃厚な魔力の塊を感じた。

 ―――悪魔になって数分の父さんが、魔力の制御をできていることに驚愕した。

 

「……おいおっさん、てめぇには用はねーから、すっこんでろ」

「口が達者だな。ウドの大木か、お前は」

「―――んだと!? てめぇは俺を馬鹿にしたなぁ!!」

 

 ヘラクレスは父さんの煽りにわかりやすく反応し、致死レベルのミサイルを次々に放った。

 

「やはりまだまだ餓鬼だ。青臭い小便小僧だ、そこのでかぶつ」

 

 ……父さんは拳を構える。

 その拳の魔力は更に上昇し、色を凄まじいほどの赤に変えた。

 

「―――少しは家の可愛い息子を見習え」

 

 低い声音が響き、ミサイルは父さんの方に向かう。

 激しい爆撃音と共にヘラクレスの笑い声が響き渡るが―――すぐにそれは止むことになった。

 ガガガガガガガガ、と物体が次々に殴られつぶれる音が鳴り響く。

 一時は爆発による煙で父さんの姿は見えなかったが、すぐにそれも拳圧で消えてなくなる。

 ―――煙が晴れたとき、父さんはほぼ無傷でそこに立ちすくんでいた。

 

「……ふむ。エリファちゃんの助言はわかり易くて良い」

「―――ちょっと待てよ!? なんでだ!! どうして俺の攻撃が一切効いてねぇんだ!! 高が数分前に悪魔になったばっかの奴が、何をどうしたらそこまでの戦い方をできるってんだ!!?」

 

 ヘラクレスは父さんの驚くべきまでの戦闘力を見て、罵詈雑言より先に純粋な疑問の声が出た。

 それは俺も同様だ。

 明らかにおかしすぎる。確かに父さんは人間離れした身体能力を持っていた。それは俺にも遺伝されているのは知っていた。

 悪魔になって、しかもそれが戦車だとしてもあのヘラクレスの攻撃を無傷で耐え切るなんて常識はずれもほどがある。

 ―――それを可能にしているのであれば、それは俺には一つ思いつかない。

 ……それは、父さんが魔力を使いこなしていること。

 たった数分前に悪魔になった父さんが、魔力の基礎理念さえ知らないのにも使いこなしている。

 どうしてそんなことが……

 

「―――俺は武術や格闘技、様々な種類のそれを幅広く収めていた。親の遺伝で身体能力も反射神経も驚くほどに凄まじい。それを駆使すればある程度は貴様とも戦えるというわけだが……魔力に関してはエリファちゃんにアドバイスを受けてな」

「アド、バイス?」

「そう。魔力は純粋な思いで、水を掬うような感覚で優しく扱う。それを込めたい部分に集結させるイメージ……拳に魔力とやらを集中させるのは俺の気色に合っているな!!」

 

 至極簡単にいうけど、そんなに簡単なことではない。

 父さんはそれを全て勘で実行したんだとしたら———戦闘における才能、か。

 

「……兵藤謙一。あなたまでも、どうして……」

 

 すると、晴明ほとんど聞こえないほど小さな声で何かを呟く。

 その視線は父さんに向いていた。

 

「……朱雀の兄はお前か」

 

 すると父さんは、晴明の視線に気づいたのかヘラクレスから目を逸らし、晴明に注目した。

 ……父さんは朱雀から土御門崩壊の大半の話を聞いていて、晴明にあまりいい感情を持っていないというのは明白だ。

 それを証拠に父さんの表情は複雑な心境を表現していた。……それでもなお、父さんは晴明の目をじっと見つめる。

 何かを見定めているような父さんの視線に、晴明は目を逸らした。

 

「……晴明、と言ったな。―――お前は何を隠している?」

 

 すると父さんは晴明の仕草を見て確信をした言わんばかりに断定し、晴明にそう尋ねた。

 

「……何を言っている? 俺が何を隠す意味がある?」

「ならば俺の視線を外す必要もない。だがお前は外した―――後ろめたさを隠すように」

「―――」

 

 晴明は父さんの言葉に表情には出さないものの、明らかに動揺していた。

 ……父さんの登場は、この戦況を一変させている。いるはずのない戦士の登場は敵側。……特に晴明に明らか動揺を生ませ、更にヘラクレスを牽制している。

 ……実際にそれほどの威圧感があるのは確かだ。

 ―――それでもやっぱり、複雑だった。俺の不甲斐なさから父さんは悪魔になるという選択肢を選んでしまった。

 ……そんな時、まるで俺の考えなどお見通しのように父さんは俺の頭を荒々しく撫で回した。

 

「そんな顔をするな、イッセー! 俺はお前のために何かできることを誇らしげにまで感じているんだぞ? つまりは大丈夫だ!」

「……大丈夫、か」

「そう、大丈夫だ。俺の後ろにイッセーとまどかいれば、俺はいつでも最強だ。どんな困難でもこの拳で打ち砕いて、大馬鹿者を説き伏せるくらいのことはしてやる!! ……だから」

 

 父さんは言葉を区切り、俺の首根っこを掴んで勢い良く母さんやアーシアたちがいる方向に投げた……ッ。

 俺は傷が深い理由で特に抵抗できずアーシアたちの方に飛ばされる。

 ……そして父さんは、俺の代わりに三人の敵を前にする。

 

「アーシアちゃん! イッセーの傷を治してやってくれ!!」

「は、はい!!」

 

 するとアーシアはすぐさま俺の元に駆け寄って、禁手である聖歌を歌って俺を凄まじい速度で癒してくれる。

 更にアーシアの体からはそれだけでは飽き足らず、普通の癒しの光までもが湧き出て、二重に俺を癒す。

 ……温かい光に包まれながら、俺の隣にすっと母さんが駆け寄る。

 

「……イッセーちゃん、あとで本気で怒るから」

「え、えっと……」

 

 母さんの真剣なトーンの声に、俺は狼狽する。

 ……一人で無茶をしたことに怒っているのは当然だ。仕方なかったとは言っても、それで母さんが俺を叱るのは当然だよな。

 

「……母さん。父さんは」

「うん、わかってるよ。ケッチーの(こころ)はいつも私に流れくるんだもん―――だから私は、夫を信じるよ」

 

 母さんは苦笑いを俺に見せながら、父さんの背中に視線を向け、そして大きく息を吸い込む。

 そして―――

 

「ケッチー!!!! 愛してるから!! 絶対に勝ってぇぇぇ!!!!!」

 

 ―――誰よりも父さんをやる気にさせる声援を送った。

 その瞬間、父さんの拳に纏われる赤い魔力はゴウッと大きくなり、メラメラと炎のように燃え上がる。

 ……いや、もうむしろ炎と言ってもいいほどの熱を感じる。

 

「―――うぉぉぉぉぉぉぉおおおお!!! 任せろ、まどかぁぁぁぁ!!!!」

 

 ―――父さんは本当に単純だよ。

 だけどそれが……俺の父さんなんだもんな。

 

「……目標、後退。障害、削除」

 

 するとそれまで動きを見せなかったメルティが行動を開始する。

 その鋭き爪の先端全てを父さんの喉に向けて突き刺し、命を奪おうとする。

 

「―――遅いわ、小娘ぇぇぇぇ!!!」

 

 ―――しかし、父さんはそんな高速で動くメルティの腕を掴み、そのまま背負い投げて元にいた場所に叩きつけた。

 地面は激しい戦闘で形の悪い岩などが散乱しており、メルティは父さんの一動作で背中に大きな傷を生む。

 

「予、想……外」

 

 ……速度で圧倒するメルティを、反射速度と技だけで無力化。しかも父さんの掴んだメルティの腕は、火傷のような傷ができていた。

 ってことは、つまり父さんのあの火のような魔力は、熱量を持つ性質ということか。

 

「……魔力を属性として付与させることは基礎ではある。でも基礎のない父さんはそれを、即興でやりのけているのか?」

「―――当然よ? だってケッチーはイッセーちゃんのお父さんなんだから。ケッチーって案外器用なんだよ? 割と何でもノリと器用さでこなすし。イッセーちゃんのそういうところはきっとケッチーの遺伝と思うなー」

 

 ……母さんがそんな軽口を叩いているとき、ヘラクレスが父さんに向けて特攻してきた。

 先ほどの遠距離からの爆撃は意味がないと悟ったのか、豪腕を振りかざして殴りかかる。

 ―――でもその位置は、父さんの領域だ。

 殴った箇所を爆発させるヘラクレスの能力は、つまり当たらなければ爆発は生まない。

 禁手のミサイルは遠距離では効かないと理解したヘラクレスが移す行動は、至近距離からのミサイルによる爆撃を放つというのは用意に理解できる。

 だけど、そんなことを父さんは許さなかった。

 拳を受け流し、ミサイルを流れるような動きで避けて、最小限の動きでヘラクレスの腹部に恐ろしいほどの威力のフックがヘラクレスの顔面を捉えるっ!!

 ボゴォッ……そんな可笑しいレベルの打撃音が響き、ヘラクレスの意識は一瞬宙に飛んだ。

 しかし父さんの猛攻はそんなものでは収まらず、意識を覚まさせるように腹部にストレートを放ち、意識が戻ったところを次は勢いのよいアッパーで殴り上げて空中に殴り飛ばす。

 そして止めと言いたいように父さんは勢い良く飛び、成す術のないヘラクレスを踵落としで地面に叩き付けた。

 ……その一連の流れで俺は身震いする。

 ―――俺、神器なしならまだ父さんに勝てる気がしない。

 

「あー、ケッチーぶち切れだね。まあ当たり前だけどね―――イッセーちゃんを笑いながら傷つけた下種は、もっとやるべきだよ」

「母さん、顔がやばい! ほら、アーシアもちょっと怯えてるよ!!」

「ま、まどかさんの、目が……目が……」

 

 ほら、ハイライトがなくなった母さんの形相にアーシアは本気で怯えてるし!

 アーシアがこの状況で手を握ってくる辺りが、まあなんとも言えない!

 ……でも一つ、気になるのは晴明。

 あいつはこの状況で、まだ父さんに対してアクションを起こしていない。

 視線を下に下げて、表情が一切見えない晴明が不気味でしかたない。

 あいつは一体、何のために戦っているんだ?

 ―――曹操は人間のために戦っている。

 異形の存在の脅威から全人類を守る最後の砦。それが曹操のいう「英雄」であり、曹操はそれを体現していると思う。

 だけどあいつはどうだ。恨みがあったとはいえ自分の実家であった土御門家を滅ぼし、実の弟である朱雀にまで手を掛けた。

 そして悪魔をも滅ぼそうとしている。

 ……曹操と晴明の違い。それは悪魔を滅ぼそうとしているかしていないか。

 曹操は守ると断言し、晴明は殺すと断言している。同じような正義に見えても、明らかに晴明は歪んでいた。

 ―――父さんがあの時言った。晴明は何かを隠している、と。

 それならば晴明の歪みは、その隠していることが原因じゃないのか?

 ……思い出せば晴明は俺に対して―――「兵藤」に対して異常なほどの執着を持っていた。

 俺と初めて邂逅したときは俺を仲間にしようとして、母さんが戦場にいると見たときはそのことを心から怒っていた。

 そして父さんが悪魔になって現れたときは悲しそうな顔をしていた。

 俺にはその意味がわからない。

 ……晴明に関してはわからないことだらけだ。

 俺の神器の無力化から始まり、あいつの内面も全てそう。

 ―――そこから突き詰めていくことが一番正しい気がする。

 どうしてか、俺はただ晴明を打倒するだけのことを考えることができない。

 そんなことでは、誰も―――朱雀は救われない。

 

「……イッセーさん。傷の治療は、終わりました」

「そっか。ありがとう、アーシア。おかげで大分楽になった」

 

 俺は軽く伸びをして立ち上がり、地面に膝をつけて座っていたアーシアの頭をそっと撫でる。

 アーシアはくすぐったいように笑い、しかしすぐに心配そうな顔をした。

 

「……我侭を言えばイッセーさんが困るのはわかっています。きっとイッセーさんは今、色々なことを考えながら戦っている。あのエンドさんのことや、フェルウェルさんのこと、朱雀さんのこと。……上手い言葉なんて掛けることはできません。でも私は―――イッセーさんを、信じています」

 

 アーシアは自分の頭の上にある俺の手をそっと握り、それだけ言って俺を送り出す。

 ……アーシアの言うとおり、今は考えることばっかりだ。

 だからこそ、アーシアのことを考えていない俺を、それでも送り出してくれる彼女に感謝する。

 帰ったら思いっきり甘やかしてあげよう。俺も何で甘えようか。

 そんな戦場には必要のない感情を抱きつつ、俺は前を見る。

 俺たちより後方より何かの気配を感じ、その気配を察知して俺もまた動き出す。

 先ほどまで動きを止めていた晴明は意を決したというのか、その剣先を父さんに向けて放つ。

 メルティも父さんを殺すために動き、ヘラクレスは恨みの篭った目つきでミサイルを放っていた。

 俺は晴明の妖刀を走っている最中に拾ったアスカロンで受け止め、父さんはヘラクレスのミサイルを炎を纏う拳でなぎ払い、そして―――

 

「―――封を解く。硬骨の鋼龍よ、護り振り切れ」

 

 ―――メルティの爪は、朱雀によって顕現された鋼鉄の龍によって防がれる。

 俺はアスカロンを薙ぎ払い晴明を、父さんはヘラクレスを殴り飛ばし、メルティはすぐさま朱雀から距離を取る。

 ……父さんは俺と朱雀の顔を交互に見て、そして少しばかりの苦笑いを見せて嘆息した。

 まるで、そうだな―――馬鹿野郎って、そう言いたげな顔で。

 

「ったく、俺の息子どもは揃って無茶ばっかりしてな」

「父さんに言われたくねぇよ」

「……全くです」

 

 俺も朱雀も、父さんの妄言にツッコミを入れる。

 ……だけどこれで本当に最後だ。

 この戦いをもう終わらせる。

 これ以上は、誰も傷つけさせない。

 

「さぁて、もうそろそろ終わらせようぜ。英雄」

 ―・・・

『Side:木場祐斗』

 色素の抜けた白髪の、カジュアルな黒い襟付きのシャツを着飾る彼―――聖堕剣アロンダイト・エッジで魔帝剣グラムを受け止めるフリード・セルゼンは、僕に軽口を挟みながら戦場に参上した。

 僕が彼に最後に会ったのはディオドラ・アスタロトとの一件以来だ。

 そんなフリードを見て眼を細めるのは、彼に剣を止められているジークフリートだ。

 よく見ればジークフリートとフリード。白髪、剣を扱うという点、元々は同じ陣営にいたという点。

 フリードの口振りから察するに、彼らは面識があるのだろう。

 刃を交えるフリードに、ジークフリートは声を掛けた。

 

「ああ、久しぶりだね。フリード……。君が教会から追放されて以来じゃないかな?」

「そっすねー。確かそんなもん? んま、今はそんなことはどうでもよくって、チョンパ!!」

 

 実に軽い擬音の癖に、フリードは軽さとは裏腹な本気の斬撃をジークフリートに振るった。

 ジークフリートはそれを難なく防ぐも、一旦はフリードと僕から距離を取る。

 ……そこで僕はようやく、フリードにまともに声を掛けた。

 

「フリード・セルゼン! なんで君がここにいるんだ?」

「んー? そりゃあ……説明するのが面倒臭いから割愛でおねがーいしやーす。または後でイッセーくんにでもお聞きなさいよぅ♪」

 

 フリードは僕の問いにふざけたように答えず、代わりに僕に何かの錠剤のようなものを放り投げてきた。

 僕はそれを見て目を丸くすると、フリードはぶっきらぼうに言い捨てるように言う。

 

「おれっちの渡すものが得体の知れないもんだと思うなら、捨ててもいいぜ。そいつはガルドの爺さんお手製の医療……飲んだら覚醒!みたいなもんじゃねえから安心しなよ。あ、もしかしてそっちの方がご所望だった!? それはすいましぇん!!」

「…………」

 

 正直に言えば、まだそこまでこの男を信頼しているわけだはない。

 イッセーくんから幾らの話は聞いているものの、やはり敵であった期間が長かったからこの男を信用は出来ない。

 ……でも、僕は躊躇いつつも錠剤を二錠ほど飲んだ。

 すると傷が治るわけではないけど、体の重さは幾分になくなった。

 ……信頼できる間柄でもないし、僕は信用できないのは確かだ。

 ―――だけどイッセーくんはフリードを敵とは思っていない。もしここで僕が彼に斬りかかれば、イッセーくんを失望させるのは目が見えている。

 だから……

 

「これはあくまで妥協だ。君の好意を無下にすれば、あとで後悔しそうだから」

「……あっそ」

 

 フリードはふざけた口調でも真面目な口調でもなしに、興味なさげにそう小さく返答した。

 ……フリードからの錠剤は確かに効いているけど、動くためにはもう少し掛かりそうだ。

 この戦闘でアーシアさんとヴィーヴルさんは僕たちの生命線としてもう十分なほどに頑張ってくれた。

 それに今はアーシアさんはイッセー君の治療で忙しい身だし……僕は必要ない。

 ゼノヴィアとイリナさんは魔獣の掃討が大方片付き、今はロスヴァイセさんの救援に向かっている。

 ―――英雄派に傾いていた戦況が、たった二人の乱入でどうなるかわからなくなった。

 

「相も変らぬふざけ振りだな。その癖、手癖がすこぶる悪いところも何も変わっていないな」

「いっしし、そういうあんたこそグラム振りかざして『まけんつかうおれ、かっけー!!』ってか? つーか前々からあんたは気にいらなかったのですです! こう―――すっげー野心家の癖に、いつもニコニコニッコーってしてるところが胸糞わりぃ」

「―――言うようになったね、フリード・セルゼン」

「そりゃあもう色々あったらねー! ―――ジークフリートの兄貴」

 

 ……それまでの雰囲気が一気に変わる。

 フリードのふざけた口調は一転して純粋な殺気に変わり、手に握るアロンダイトエッジもまたフリードに応えるように濃密な聖剣と魔剣のオーラを放つ。

 ……僕以外で純粋な聖魔剣を扱う唯一の存在、フリード。

 この世界で初の、ヒトの手によって創られた人工の聖堕剣・アロンダイトエッジ。

 その機能は非常に強く、使用者の素体を魔改造並みの強化を施し、更にほぼ未来予想に近い魔と聖のオーラの察知をする能力。

 これであのイッセーくんを追い詰めたのは、神器を持たない人間では恐らくフリードだけだ。

 あの晴明ですら多勢に無勢でようやくだったんだから。

 

「……前に本部で見かけたときにも思っていたけど、一体何をすればこうも変わるんだい? フリード。今の君の実力は是非とも英雄派の幹部として受け入れた―――」

 

 素直にフリードの力に感服し、ついフリードを勧誘しようとするジークフリート。しかしその言葉は最後まで紡がれることはなかった。

 フリードによって神速で放たれるアロンダイトの聖魔なる斬撃刃がジークフリートの頬を掠め、傷口を触ってそれを認識したジークフリートは歪んだ笑みを浮かべる。

 それは僕と戦ったときと同じ、戦闘狂の笑み。

 

「―――んなもんカンベンだよ!? ひゃははは! ……俺には英雄とか、んなもんきな臭くて似合わねぇよ。ってか自分で英雄語ったら英雄様に失礼だぜ? ……英雄っつーのは、何かのすんげぇことを成し遂げて、誰からも賞賛されるザ・天然ジゴロに称されるもんだ。ほら、あんたらのボスの曹操とか―――どこぞの赤龍帝とか」

 

 フリードは剣先をジークフリートに向ける。

 

「だから俺はまぁ―――あんの糞餓鬼共だけのヒーローでいいや。あ、イケメンくん! 今のはオフレコでよろ!」

「……君は、素直じゃないよね」

 

 僕は苦笑いをしながらフリードの願いに対して頷くと、フリードは再びジークフリートの方を向く。

 ……準備万端というべきか。

 ジークフリートもまた僕との戦闘で既に満身創痍のはずだ。

 だけどその衰えを感じさせない迫力を未だに見せている。

 既に剣はグラムだけだ。だけど逆にそちらの方が、形振りを捨てたジークフリートの方が強かった。

 

「じゃあ、行くよ―――」

 

 ジークフリートは動く。

 地面をグラムで大幅に削りながら走り、地面から剣を振り上げるように振るった。

 それは魔なる波動となってフリードに向かって放たれるも、既にフリードはそこにはいない。

 当然だ。彼は魔と聖に対して『後出し』の権利を持っているようなものだ。

 魔力と聖力を察知するアロンダイトエッジの未来予知でジークフリートの動きを先読みしてから、確実に当たるタイミングで剣を振るうフリード。

 その切っ先はフリードの腹部を掠め、彼は少し苦い表情を浮かべる。

 ……動きが鈍い。僕との戦闘が確実に響いている。

 だけどその目の一切光を失っていない。むしろまだまだ貪欲に攻めるとまで思わせる。

 

「もっと、だぁ!! もっとこい、フリード!!!」

「言われなくてもってね!」

 

 ジークフリートのグラムより更なるオーラが噴出する。

 あれは―――僕と戦っていたときよりも、絶大になっている?

 グラムはジークフリートが血を流せば流すほど、傷つけば傷つくほど、戦闘本能が過敏になればなるほど迫力と力をどんどん増している。

 ……魔剣の中の魔剣。

 大きいデメリットを持つ代わりに、それをなぎ払う巨大なメリットを含む剣。

 フリードは刀身の巨大なアロンダイトエッジの柄を微かに弄くり、そこより刃のようなものを放った。

 ……その刃はアロンダイトエッジと糸のようなもので繋がっており、ジークフリートがそれを無造作にグラムで薙ぐ。

 ―――しかし薙がれた刃は次の瞬間、大きさを短刀ほどの大きさに変えてジークフリートの死角から彼の背中を切り裂く。

 

「―――っ!?」

「どう? この剣、ギミックがすんげぇんだぜ? 何せ稀代の天才錬金術師、ガルド・ガリレイの傑作なんぜ~?」

 

 背中を切られたジークフリートはまだ笑みを絶やさない。

 傷は浅いように見えるが、それにしたって反応が異常すぎる。

 フリードとジークフリートは、明らかに相性が悪い。

 今や未来予知の力を誇るフリードは、特に聖と魔の力が強ければ強いほど真価を発揮する。

 フリードを相手にするには、魔帝剣グラムは力が強大すぎるんだ。

 この力に関してはイッセーくんでも対抗法は一つしかなかった。

 魔力を介在しない、アスカロンや神器の籠手の力だけを用いた戦闘方法。

 魔力を外部に漏らさず内部で運用して身体能力を大幅に上げるオーバーヒートモードで対抗して彼に勝利を収めた。

 ……イッセーくんは手札が多いからフリードに勝った。

 だけどジークフリートにあるのは究極の魔剣。たったそれだけ。

 それを極めているからこそ彼は卓越した強さを持っているが、フリードを相手にするならばそれが仇となす。

 ……僕も、今の彼と戦うなら色々と考えて戦わなくてはいけないかもね。

 

「アロンダイトエッジ(・ ・ ・)だ。刃とか短剣とか、そういう小回りの聞く機能を色々搭載してんだぜぃ、こいつは。対人戦闘では最適の剣。あんたの殲滅に特化しすぎたグラムじゃあ相性最悪……って油断してるとか思っていても無駄だよ? だよよ??」

「……そんな無駄な心配はしていない―――いや、良い。まさか敵にお前や木場祐斗くんのような素晴らしい騎士がいるとは!! アーサーが自軍にいて本当に退屈していたところに来た僥倖と言ってもいい!!」

 

 ジークフリートの狂乱ぶりに流石のフリードも引いていた。

 ……あの喜び具合は僕も引いている。

 ―――ヴァーリチームの聖王剣を持つアーサー・ペンドラゴン。彼は元々は英雄派に所属するべき存在だ。

 ジークフリートとアーサーの間では何かライバル的なものが存在しているんだろう。

 ……ジークフリートがそのように喜んでいる間に、僕の体もなんとか動けるところまでは回復した。

 ―――僕はエールカリバーを創る。

 今の僕が作れるのは恐らくこれが最後―――そう確信して創ったエールカリバーだったけど、でもその力はこれまでのどの剣をより強力に感じた。

 ……これは、強化の力の影響?

 

「……そうか。僕の体が強化の力に耐えれるほどになったから、その反動が普通のエールカリバーにも出てきたのか」

 

 思わぬ出来事に頬が緩む。

 ……これでまた、君に一歩近づけた気がする。

 いずれは君の力を借りずともあの聖援剣エールカリバー・ディオを創ってみせる。

 僕は心の中でそう近い、最高の剣を握りながらフリードの隣に並び立つ。

 フリードは僕に視線を向けることもなく肩に剣を乗せて、僕に声を掛けてきた。

 

「イケメン君~。ちっとばっか、あいつは厄介だから気をつけてねぇ~―――ってか邪魔すんなヨ?」

「それはこっちの台詞さ―――それと僕の名前は木場祐斗だ。イケメンイケメンって君に言われても嬉しくないよ。君はイッセーくんじゃないんだから」

「…………お、おう―――んじゃ木場きゅん」

「ああ―――」

 

 フリードが少し引き顔になったことは置いといて―――

 

「さぁ、最終ラウンドだ!! 来い、フリード! 木場祐斗くん!!」

「テンションあがってんじゃねぇよ、へーんたーい」

「全く……君に言われたら彼もかわいそうなものだね」

 僕たちの最終局面が開始した。

『side out:木場祐斗』

 ―・・・

『Side:三人称』

 彼女―――兵藤まどかの眼前の先には、自分にとって掛け替えのない『大切な』存在が恐ろしいまでの死闘を繰り広げていた。

 元は大切な息子である一誠が敵三人を相手に戦っていて、その息子の窮地に駆けつけた大切な夫である謙一。そして此度新たに家族となった朱雀が二人と肩を並べて戦場に君臨するその姿は、ある種の歴史的瞬間であったかもしれない。

 ……そんな中、兵藤まどかの心情は非常に複雑なものであった。

 息子が一人で戦っているとき、何もできずただ守られているだけの自分。

 息子が窮地のとき、その身を乗り出すのを強行しなかった己の弱さ。

 旦那がそんな息子の境地に駆けつけた時の高揚。

 旦那がもう、自分とは違う存在になってしまった心境。

 ……不安、喜び、悲しみ、怒り。喜怒哀楽、様々な感情が彼女の中で渦巻く。

 その中でも彼女の心象を最も追い詰めるもの、それは―――何もできない。ただその絶望でしかないことが頭の中をグルグルと回っていた。

 

「……まどかさん」

 

 そんなまどかの表情を汲み取って、アーシアは彼女の手を握って名を呼んだ。

 まどかはそんなアーシアの心の声が、半自動で聞こえてしまう。

 

 ―――きっと、まどかさんはこの状況でイッセーさんや謙一さんの近くにいれないことを悔やんでいるんですよね。

 

 ……そんな心優しいアーシアの心の声がまどかをどれほど救っているのか。きっとこの癒しの少女は理解していないだろう。

 まどかの表情が幾分かマシなものとなる。

 

「……イッセーちゃんにはイッセーちゃんの、ケッチーにはケッチーのできることをしているんだよね」

「……そうだと、思います。イッセーさんはいつだってその時できる最大限のことを全力で努力していました。今だってそうです」

 

 アーシアの視線の先で晴明と決着をつけるとばかりに激戦を繰り広げる一誠。

 彼はどんな状況でも、どんなに追い込まれていようと諦めることはしなかった。

 ……どんなときでも優しく、どんな誰と比べても折れない信念を持っていたのは他の誰でもない。

 ―――兵藤まどかと兵藤謙一の一人息子で、アーシア・アルジェントが永遠の愛を誓った兵藤一誠だ。

 それならば、兵藤まどかが些細なことで自己満足に近い悲壮に陥っている必要はない。

 親のないところに、子は育たないのだから。

 ―――まどかはひたすら、思考した。

 自分には何ができるのか。

 兵藤謙一は己の無力さを自覚して、悔いて、それでもなお、ひたすらに手を伸ばした。

 その先で得たのは取り返しのつかないものだ。

 ……だけどまどかは、それでも謙一を愛している。

 そもそもだ。一誠が悪魔になってしまったのを最初から知っていても彼女は彼を愛し続けている。

 無償の愛を彼に贈り続けている。

 それならば謙一であろうと同じだ。

 たとえ生命体として別個のものとなってしまっても、彼女の夫は謙一で、息子は一誠。

 ……そう考えていると、まどかの頭は鮮明なものになっていった。

 

「……私にあるものなんて、一つしかない」

 

 そう小さく呟くまどかの目には、決意の色があった。

 それは彼女が生まれたときからずっと持っていて、彼女を不幸にし続けた力。

 ……でも、その力で彼女は一誠の心を救ってみせた。

 生物の心の声が聞こえてしまう彼女だけの性質は、確かに誰かを救うことができた。

 その力でまどかは百は傷ついた。でも、百などでは収まり切らないほどの大切な存在を守ることができた。

 ―――だからまどかは、この力を解決の力として使う。

 心象の波と呼ぶべき心を聞く力を、彼女は初めて自発的に使うことを決めた。

 

「……アーシアちゃん。私はさ、ずっと逃げてきたんだよ」

 

 まどかの独白は、彼女を誰よりも尊敬するアーシアに向けられる。

 ……ずっと逃げてきた。自分の家のことから。

 立ち向かうことが意味のないことで、流されるだけで生きてきた。

 それを謙一に救われて、ようやく自分という存在を受け入れた。

 

「この力に振り回されて生きてきて、本当に辛い思いをしてきた。こんな力、なんの役にも立たないとか、考えてた―――実際に、生きているだけなら必要ないものだと思うよ。それでも今、私はちょっとだけこの力に感謝してるんだ」

「……感謝、ですか?」

「そう―――この力は誰かを救うことのできる力だって、知ることができたから。誰かの役に立てることを教えてくれたんだよ。私の大切な家族が」

 

 ……まどかはアーシアを抱きしめる。

 その意味をアーシアは知らない。ただアーシアの心は突然の抱擁に驚いているだけだ。

 驚いて、それでもまどかの温もりが心地よくて、抱きしめ返しているくらいだ。

 ―――まどかの言った家族。その中には含まれているのだ。

 ―――アーシア・アルジェントが。

 

「……ありがとう、アーシアちゃん」

「え、えっと……どう、いたしまして?」

 

 ……数秒の抱擁の後、まどかは意を決したようにアーシアから離れ、目を瞑る。

 これは彼女にとって初めての試みだ。

 普段は流れてくる心の声を読む、いわば自動的な現象。

 ―――それを意識的に、自発的に行う。

 その対象はもちろん、晴明であった。

 この状況下、明らかにおかしな存在は安倍晴明である。

 英雄派を名乗りながら実弟である朱雀を殺害し、何かしらのカラクリで一誠の神器を無力化している。

 かと思えば最初は一誠を自身の仲間に勧誘し、何故か「兵藤」に執着している。

 ……最初、晴明がまどかを見て意味深な表情を浮かべた時、まどかの元には一つの声が届いた。

 先ほど謙一が現れたときにも、聞こえた。

 それは―――晴明の声。晴明の……土御門白虎の心の声であった。

 その心の声は戦場には似合わない、そんな心の声。

 

 ―――まどか様、と。謙一様、と。

 

 晴明はそう簡潔に、二人の名前を呟いていたのだ。

 まどかはもちろん晴明のことは知らない、というより覚えていないのだ。

 まどかにとって土御門の記憶は必要のない、ガラクタのようなものだ。

 誰もが自分を否定し、誰もが邪魔者扱いをする。そんな生活であったからこそ、まどかは土御門家にいた頃の記憶を自分の中からほとんど抹消した。

 ……あの声は、敵に向けるような声ではなかった。

 まどかはそう確信していたからこそ、晴明の歪みこそが土御門家襲撃の原因ではないだろうかと考えた。

 

「……私には私のできることをする。ずっと目を背けていた土御門とバイバイするために―――この問題は、私が解き明かしてみせる」

 

 ……手探りに、まどかはいろいろな心の声を聞いていく。

 仲間の安否を心配する声。敵の強さに驚いている声。心強い仲間の登場に、心を躍らせている声。尋常なき戦いに身を投じることに対して喜んでいる声。

 ……色々な声が聞こえるが、あの時にまどかの聞いた晴明の声はない。

 雑音を掻き分け、自分の欲しい情報を求めて集中を続ける。

 ―――その先。

 その先で聞こえた心の声を聞いたとき、まどかは目を見開いた。

 ……自分の欲しい情報はなかった。

 だが、まどかはそれ以上にこの戦いの原因を、知った。

 ―――まどかは、この京都における黒幕を知ったのだ。

 ―・・・

「おらおらおらおらおらぁぁぁ!!!」

「―――ぬんっ!!」

 

 まどかたちの視線の先で激戦を繰り広げる兵藤謙一とヘラクレス。

 その戦いは実に分かりやすい力と力のぶつかり合いであった。

 ヘラクレスは上級悪魔ですら易々と殺めることのできる力を行使して、悪意に従って謙一に対して脅威を振りかざす。

 殴った箇所を爆発させる能力と、規格外の爆撃を撃ち放つミサイル。

 本来ならば悪魔に転生したての元人間など、ヘラクレスの相手になるはずがない。

 なるはずがない―――ない、はずだったのだ。

 だがヘラクレスは失念していた。

 ただの人間なら、そうだったであろう。

 だがしかし―――兵藤謙一は、兵藤一誠の父親であった。

 

「―――んで、俺のミサイルを全部撃ち落とせるんだよぉぉぉ!!」

 

 ―――ヘラクレスのミサイルに対して、謙一が取った行動は実にシンプルであった。

 天性の感覚で拳に纏った魔力のオーラで、向かい来るミサイルを全て殴り落とす。

 ただそれだけだ。

 爆風の余波で多少の切り傷ができるものの、それ以上にその光景はヘラクレスの自尊心を大きく傷つけている。

 ……しかし謙一は、まるで力を確かめるように拳をじっと眺めて、ヘラクレスには目もくれなかった。

 ―――エリファ・ベルフェゴールの眷属として眷属悪魔に転生した謙一に与えられた役割は『戦車』。

 戦車の駒の特性は並外れた攻撃力と防御力であり、非常にシンプルな力だ。

 ……故に、謙一はヘラクレスを追い込めていた。

 

「悪魔の体というのは存外に扱い易いものだな。自分の思い描いた動きの、それ以上を実現してくれる。それにこの魔力というのも異様にしっくりくる」

「何をベラベラとォ―――」

 

 ヘラクレスが戯言を言おうとする前に、謙一は彼の懐に入っていた。

 ―――空手、柔道、弓道、剣道、レスリング、ボクシング、etc……謙一はこれまで様々な武道、格闘技を経験していた。

 極めればトップアスリートになれたであろう、圧倒的な肉体的な才能。

 彼はその才能をまどかを守るために費やした。

 ……豪快さが目立つ謙一であるが、その実、彼は非常に几帳面な性格である。

 間違いを間違いと言う正直さ、頼まれたことは最後までやり切り、結果を出す。

 しかも彼は非常に頭が回り、効率がよいのだ。

 ―――特に彼の問題解決能力は一線を画している。

 社会においてそれを遺憾なく発揮したからこそ、謙一は大企業の上に立っていたわけだが、その才能は戦場においても開花していた。

 ……魔力を拳に纏らわせ、それを攻撃的に使用する。それこそ英雄派の幹部であるヘラクレスの攻撃に対抗できるほどの力を謙一は初陣にて示している。

 物量で攻め込まれればただではすまないミサイルを、馬鹿正直に真正面から打ち砕き、接近戦では卓越された戦闘技術で圧倒する。

 ―――特別なことは特にしていない。

 全ては基本に忠実なものだ。

 だが、だからこそ強い。

 ……この男、兵藤謙一。

 愚直にもその心根の拳を突き出し、全てを打破して勝利に導く―――兵藤一誠の父である、実に分かりやすい証明であった。

 ……懐に入られたヘラクレスは、成す術もなく血だらけになる。

 彼もまた人外並みの、桁外れの防御力を誇ることは間違いない―――が、全ての攻撃を急所に叩き込まれれば、防御も何もない。

 息を切らすヘラクレスに、未だ何かを思慮する謙一。

 ……ヘラクレスにとって兵藤謙一は最も相性の悪い敵であった。

 

「―――お前、ヘラクレスといったか」

「……んだ」

 

 不意にヘラクレスに言葉を掛ける謙一。ヘラクレスの目には反抗的な嫌悪が宿っている。

 

「お前は自らを英雄と名乗っていたな。なら一つ、問いたいことがある」

「……」

 

 謙一の言葉に、訝しげな表情を浮かべるヘラクレス。単純に、ヘラクレスには謙一の言葉の真意が理解できないのだ。

 ……ほんの少し生まれる二人の間の沈黙。その沈黙を打ち破るように、謙一はヘラクレスに言葉を投げかけた。

 

「―――お前にとって英雄とはなんだ?」

「―――っは」

 

 ……ヘラクレスは、謙一の突然の質問を鼻で笑った。

 嘲笑とも笑いの後に迎えるのは、大笑い。ヘラクレスは腹を抱えて笑っているが、しかし謙一は不思議そうな表情を浮かべていた。

 ―――ヘラクレスにとってそれは、笑いものでしかなかった。

 的外れも甚だしい。何をこの男は聞くのか。この戦場で、この場にいればそんな意味、聞く必要もない。

 そうにも関わらず謙一はヘラクレスに質問した。そのことにヘラクレスは嘲笑を隠せない。

 ……しばし笑い、平常を整え、そして―――ヘラクレスは言い放った。

 

「んなもん、てめぇら悪魔―――害悪をぶっ殺す正義の味方のことに決まってんだろ? あんたは餓鬼の頃、見なかったか? どんな世界でも悪魔をぶっ倒すのは正義の味方。特に偽善振りかざしてるてめぇらは更に醜悪だ。悪になり切れねぇ悪なんて、存在する価値すらねぇ!! だから俺は英雄としててめぇらを―――」

「―――もう、いい」

 

 ヘラクレスの止まらない罵声に、謙一は低い声で制する。

 その低い声の温度に、まさに言葉通り周りの温度が下がった。

 本当に冷気に包まれているのかと錯覚するほど―――謙一は、落胆していた。

 

「もう、聞く必要もない。そうだな、お前にとっての英雄など聞く価値すらもなかった」

「―――んだと!?」

 

 謙一の侮辱にいち早く反応するヘラクレス。しかし謙一はその怒りに充てられることもなく、ただ冷静に。しかしその怒りを抑えようとはせずヘラクレスを見据えた。

 

「……つまらん男だ」

 

 謙一は言い切る。

 

「―――お前には、志がない。たとえそれが復讐心であろうと、偽善であろうと、醜悪なものであろうと。お前にはない」

「だ、ぁまれぇ!! 志!? そんなもん、さっき言っただろう!? 悪魔を殺す、それが俺の志だ! 害悪であるてめぇらは俺が―――」

 

 ヘラクレスは構えない謙一に近づき、拳を振りかぶる。

 先ほどまであしらわれていた距離に入るという愚作を取るヘラクレスは、そのまま拳を振るい

 

「ぶっ殺すってなぁ!!!」

 

 ―――凄まじい打撃音を響かせて、謙一の頬を殴る。

 ヘラクレスの表情は害悪を殴れたことで笑みを漏らしているが、しかし―――

 

「―――軽い」

 

 ヘラクレスの打撃を正面から受けていた謙一は、その表情を一切変えずにヘラクレスを見据えていた。

 ……その状況にヘラクレスは、初めて寒気を覚えた。

 ―――兵藤謙一に、恐怖した。

 

「そんなでかい体をして、お前の拳は随分と軽く、安っぽいものだ」

 

 ヘラクレスの大きな拳に触れる謙一。

 その顔にはもはや侮蔑すらも含まれていた。

 ヘラクレスの言動は謙一の琴線に触れた。

 兵藤謙一の触れてはならない、絶対領域に土足で足を踏み入れてしまったのだ。

 それを気づいた瞬間、ヘラクレスは謙一から驚くほどの速度で離れる。

 謙一はその様子を見て、殴られた後を拭い、血を払った。

 ―――その目に確かな怒りを抱いて。

 

「―――拳が軽いのは、お前に自分がないからだ。お前の英雄の意味は誰が決めた? 違う、それはただの固定概念でしかない。お前の英雄は、ただの破壊者でしかない」

「な、にを……」

 

 ヘラクレスが最後まで声を紡ぐことはなかった。

 やり返しというばかりに謙一はヘラクレスの懐に入り、その拳を大きく振りかぶって―――ヘラクレスと同じ動作で彼の頬を勢いよく殴り飛ばしたからだ。

 ヘラクレスはその拳圧に押され、血反吐を吐き出して尻餅を着く。

 ―――凄まじい重さであると、彼は初めて感じた。

 

「お前は第三者の考えを歪め、自分の良いように解釈しているだけだ。さぞ楽だろう。自分勝手に解釈して、誰かを傷つけることを許容し、自分を正当化すれば、自分は傷つくことがない。だがな? ―――英雄は、自らが傷つくことを恐れはしない」

 

 謙一は上からヘラクレスを見下げ、燃えるような闘志でヘラクレスを威圧した。

 兵藤謙一にとって、ヘラクレスの発言は看過できるものでは、決してなかった。

 ―――兵藤謙一にとっての英雄とは、他ならぬ彼の父親だったのだから。

 若くして嫁を失くし、男でひとつで謙一を立派に育て上げ、そして消防士としてたくさんの命を救っていた謙一の父。

 その背中は大きく、その思考は謙一にとっては英雄そのもの。

 故に……謙一はヘラクレスを打ち負かさなくてはならない。

 

「英雄は、常に戦い続ける。自分が守るべきと考えたものを守り抜くため、幸せにするために。そのためにただひたすら邁進し、歩み続けた先にそれを成したとき―――初めてその英雄は英雄になれる。お前にはそれほどの何かがあるのか?」

「―――なら、てめぇは!!」

 

 感情任せのヘラクレスは、馬鹿の一つ覚えのように同じことを繰り返す。

 無造作に、無尽蔵に打ち尽くすミサイル。まるでこれ以上、謙一の言葉を聴きたくないと言わんばかりの、子供のように、泣き喚くように。

 

「てめぇは英雄だと言うのか!?」

「―――」

 

 ……謙一は向かい来るミサイルに対して、何のアクションも起こさない。

 何かを思考するようにヘラクレスを見据え、動きはしなかった。

 ―――考えた。自分は英雄であるのかと。

 兵藤謙一は実に馬鹿らしい質問であると思った。自分が英雄だと考えたことはかれこれ人生、一度もない。

 彼はただの人間で、家族をただ愛する父親だ。そこに英雄だなんて言葉は必要なかったから。

 ……それでも彼は父親の背中を見て、ヒーローだと感じた。感じて、もしくは憧れを抱いていたのかもしれない。

 彼の生粋の正義感と熱意の由来は、確実にそこであるのだから。

 ―――謙一が答えを得た。

 ほんの少しの思考の間に、彼は確信する。

 自分は―――

 

「―――俺は、英雄だ」

 

 そうであると。

 ヘラクレスの猛威が彼の近くに近づいたとき、謙一の手の纏われた魔力は急激に変化を迎える。

 元々赤かった魔力が、見る見る内に灼熱に変わる。

 ……それはもう、炎であった。

 彼の魔力の性質は、何の因果か彼の父親が戦っていたものと似通う。

 ―――何もかもを燃やすが如くの炎の魔力。それが兵藤謙一の魔力の根本。

 ほとんど感情と直感の行動で、彼はすぐに辿り着く。

 ……つつがなく、謙一は言葉を続ける。

 

「―――俺は、家族の英雄だ」

 

 その信念は、決して揺るぎはしない確固たるもの。

 謙一はその答えを胸に秘めたまま、その拳に宿る炎―――炎拳を以って、ヘラクレスとの激戦を繰り広げた。

 ―・・・

 土御門朱雀とメルティ・アバンセの戦闘を一言で表せば、ただ「速い」であった。

 騎士として眷属悪魔に転生した朱雀であるが、そもそもの基礎的な能力は非常に高く、速度に関しても木場祐斗に近しいとまで一誠に見られている。

 悪魔かでそれは更に顕著になっているが、しかし驚くべきなのはメルティであろう。

 ―――魔力などで身体能力を底上げしているわけでもなく、ただの身体能力だけで朱雀の速度に追いついていた。

 朱雀が宝剣を武器に使うのに対して、メルティは長く伸びた鋭利な爪を武器としている。

 その爪は鋼のように硬く、刃のように鋭い。しかも叩き割っても少ししたらまた伸びるという再生能力つきの力。

 ……高速で戦いを繰り広げる朱雀とメルティの戦闘内容は、技術は圧倒的に朱雀が勝っている。

 知性、と呼ぶべき能力は朱雀は段違いに高く、戦略や戦術は朱雀の方が上なのは確かだ。

 ―――しかしメルティ・アバンセの最も恐ろしいところは野生の勘とでも称するばかりの、卓越された危機察知能力だ。

 野生動物には第6感があるといわれているが、メルティのそれはまさにそれだ。

 故に技術で勝っていようが本質的な戦闘センスはメルティの方が断然に上。

 つまり二人の実力は現状は互角であった。

 

「……忌々しいな。こうも膠着状態が続くと、体力的に劣る私が不利なのは必死だ」

「……邪魔。目標、赤龍帝」

「―――そんなこと、させるわけないだろう」

 

 感情の表現が乏しいメルティが頑なに一誠に対して躍起になっているのは未だ、朱雀にも理解しがたい。

 だが今、朱雀にとっては一誠は家族であり眷属の王だ。

 何より彼を尊敬し、彼を慕っている朱雀がメルティの暴挙を許すはずがない。

 朱雀は宝剣の封の一つ、死に風の龍の力を顕現し、四方八方から全てを切り裂く風の渦を放った。

 

「……撲滅」

 

 メルティはその風の渦を掻い潜り朱雀の懐へ飛び込む。

 目には見えない攻撃を音と感覚で察知して避けるところを見て、朱雀は彼女に長距離戦法が意味のないことを理解した。

 ならば近距離戦をすれば済む話なのであるが、メルティは朱雀と戦えば戦うほどその動きを最適化していると思われるほど、動きが洗練されている。

 朱雀の癖や呼吸、瞬きのタイミングに動きの所作。それらを野生の勘で感じとめ、獲物を捕らえるとも言えるような戦い方。

 ……メルティにとって朱雀との戦いは『狩り』と同じなのかもしれない。

 ―――そこまで理解している朱雀もまた、メルティを狩ろうとしている狩人だ。

 いわば狩人同士の狩り合い。それが朱雀とメルティの戦闘。

 故に彼らの戦闘には一誠や謙一のような激しさはなく、非常に静かな攻防が見られた。

 懐に入られる朱雀はすぐさま宝剣の宝玉の封を解き、そこより灼熱の龍の力を顕現する。

 ……幻影の龍の力もあるが、仮に視界を封じたところでメルティは鼻で朱雀を察知し、攻撃してくるであろうことは必死。

 故に朱雀の行動は接近戦を受け入れる、であった。

 灼熱の龍の炎を宝剣に纏らわせ、メルティの攻撃を全て見切り、剣を振るう。

 メルティの爪が朱雀の頬を掠り、朱雀の宝剣がメルティの腕を掠る。それにより互いに傷口より一筋の血を流した。

 

「……痛みも表情に浮かばせない。君は、感情がないのか?」

「……必要、皆無」

「―――そう、か。ならもう気にする必要もない。君は確実に僕たちの障害になる。ここで確実に倒しておく他はない」

 

 その上で危惧するべきは、メルティが一度見せている獣化のような形態。

 黒い耳と尻尾、獰猛な牙を生やしたあの形態は、朱雀が知る中の彼女が最も強い形態であることが記憶に新しい。

 朱雀はそれを前提に戦いを進めているため、一切の油断も生き抜きもできない。

 だからこそ―――メルティを確実に屠れる方法を握りながら、それを発動はできないのだ。

 ……メルティの反応速度、移動速度は朱雀は全て理解していた。

 メルティが彼を観察するように、朱雀もまた彼女を観察する。

 ……その彼女の反応速度を考慮した上で罠を各所に設置し、龍の力を展開して追い込める。

 いわば詰め将棋のような戦法の準備はすでに完成している。

 あとは発動だけ―――しかし獣化の懸念が、その発動を止めている。

 

「……主、命令、変更―――封印龍、捕獲」

 

 ……メルティの様子が急変する。

 それまでメルティの目には一誠しか映っていなかったものが、突然の呟きと共に朱雀の方に切り替わったのだ。

 ―――考えてみればそう。ガルブルト・マモンが初めて彼らと遭遇したとき、彼もまた一誠と朱雀の身柄を確保しようとしていた。

 そのことからメルティの陣営とガルブルトの陣営が同じものであるということは用意に想像できる。

 ……ならばなぜガルブルトの陣営が彼らを付け狙うのか。

 ……その答えは、恐らく朱雀の中のディンの力であることは間違いない。

 

『さて、朱雀君。君の持つ術は発動すれば今の彼女を屠るには事足りる。でも君が懸念しているのは彼女の獣化―――それならば、それさえも範疇にいれる他ない』

「……やはりそれしかありませんか」

『そうだよ。……僕の力を彼らが狙っていることは間違いがない。さて、なら次は彼らがなぜイッセーくんを狙っているのか―――十中八九、彼の中の特異性が理由だろうね』

 

 一誠の中の特異性。

 そんなものは一つしか存在しなく、それは―――創造の龍。フェルウェルのことだろう。

 

『封印と創造の力を狙うなんて明らかに何かを企んでいる。恐らく彼女を裏で操る存在―――彼女で言うところの主って奴がこの面倒な騒動を引き起こしている』

「つまり彼女を倒せば、手がかりがつかめるかもしれない、と?」

『さぁ、それはわからないさ。ここまで頑なに表に出てこないんだ。裏で何をしているかわかったものでない」

 

 朱雀とディンの会話の中、メルティは機械のように変わらない表情で朱雀の確保に掛かる。

 ……朱雀は宝剣の宝玉の全てを輝かせた―――


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