日の光が眩しい。
僕は⋯何をしていたんだっけ⋯。
何か大切な事を忘れている気がするけど、どうしても思い出せない。
それが何だったのかも、それがいつの話なのかも分からない。
ぼんやりとした記憶の中にあるのは、誰かの笑顔。誰かの歌。
そんな曖昧なものだけだ。
「⋯ツん⋯⋯ナッツん!!」
「ん⋯⋯穂乃果?」
「もう、また寝てたでしょ。早く起きないと、鬼の海未ちゃんに怒られるよ〜?」
「鬼⋯?」
「ひぃっ!?」
「そうですね⋯貴方がそう望むのなら私は鬼にも修羅にもなりましょう。覚悟は良いですか?♪」
「ごごごごめん海未ちゃん!ついっ!口がっ!!」
「全く、目を離すとすぐこうなんですから⋯。夏喜も起きて下さい。そろそろ本番も近いんです。」
「本、番⋯⋯?」
何の話だっけ⋯。あたりを見渡すと、そこは学校の屋上。向こうには各々準備をし始めている少女達の姿が見える。
「ここは⋯。」
「ナッツんまだ寝ぼけてるの〜?ここは音ノ木坂じゃん。」
「眠いなら〜、ことりが起こしてあげましょうか〜?♪」
「あっはは、ちゃんと起きてますよ〜。ライブの話だよね?」
「そうそう、大事なライブだからね!わーって盛り上がって、ばーっと派手に行こうよっ!!イェイ!♪」
そう言うと、穂乃果はみんなの元へと走り去っていった。まるで春の陽気な嵐みたいだな⋯。
「その⋯夏喜?」
「ん、どうしたの海未??」
「本当に大丈夫なのですか?顔色があんまり良くないですが⋯。」
「あぁ、大丈夫だよ。ありがとね。」
そう⋯きっと僕の勘違いなんだ。
多分知らない事⋯知らない事の筈なのに、どうしてこんなに胸が苦しいんだろうな。
遠いどこかで、名前も知らない誰かに呼ばれた気がした。
◆
「千歌ちゃんっ!!」
「曜、ちゃん⋯。」
走り始めてからすぐに千歌ちゃんは見つかった。辺りには何があったのかと集まって来た野次馬の人達と、電柱にぶつかってボロボロになった車だけが残っていた。
道路に薄く積もった雪には赤い染みが付いている。ここで⋯ナツ君は⋯。
ぐっと泣きそうになるのを堪える。私は泣いちゃいけないんだ。
ナツ君が目の前で事故にあった千歌ちゃんに比べたら、こんなのなんとも無い⋯なんとも無いんだ⋯!!
泣くな、泣くな、泣くな。
私が支えなきゃ⋯!!
「ち⋯千歌ちゃん⋯。ナツ君は?」
「救急車で運ばれた⋯。タエおばあちゃんを見てくれた赤毛の先生が来て、大丈夫だって⋯近くの病院に⋯。」
「そっ、か⋯。」
「曜!千歌!!」
「果南ちゃん⋯皆⋯。」
「ナツは?」
「病院に運ばれたって⋯。」
「⋯⋯行くぞ皆。」
「ヒロ⋯?」
「あの馬鹿に一言言わなくちゃな。心配すんなよ千歌ちゃん。その赤毛の先生はな⋯超一流だ。それにあの馬鹿もそんな簡単にくたばったりなんかしねぇよ。」
「⋯行こ、千歌ちゃん。」
「うん⋯。」
震える小さな手を握りしめて、ナツ君が運ばれた病院へ皆で向かう。
震えてるのは⋯どっちの手なんだろう⋯。
ナツ君、お願い。無事でいて⋯⋯。
◆
「疲れたにゃあ〜〜〜⋯!!」
「きょ⋯今日は、確かにハード、だったね⋯!!」
「花陽⋯大丈夫⋯?」
「大、丈夫、だよっ⋯!!」
確かに今日の練習は普段にも増してハードだった気がする。まぁ僕はギター担当だから、そんなに体力使うものでもないんだけど⋯。
彼女達の歌に合わせて演奏して、盛り上げて⋯今までと同じ事をしている。
⋯同じ事のはずだ。なのにどうして僕はこんなに満たされないんだ。
皆でライブをやり始めた頃は楽しかった。このメンバーなら何でも出来ると思ってた。
今だって楽しさは変わらない。
変わらないけど⋯それ以上に苦しい。
「夏喜。」
「にこちゃん⋯?」
「なんか今日変よ?いつもよりボケ〜っとしてるし、何かあった?」
「ん〜⋯分からない。」
「はぁ?」
「何か⋯忘れてる気がする⋯。それが何なのかが分からない⋯思い出せないんだ。それに、誰かに呼ばれてる気がする⋯小さな声で⋯どこの誰かは分からないんだけど⋯。」
「⋯そ。まぁ考え事するのは良いけど、あんまし無理すんじゃないわよ。」
「あぁ、分かったよ。」
「それからね───。」
くるりとこちらを向いた彼女は、呆れるようにふっと笑う。彼女の口から発せられた言葉を、忘れる事が出来なかった。
『夢を見るのも、程々にしておきなさい。』
◆
病院の一室。ナツ君は頭に包帯を巻いてスヤスヤと眠っていた。
先生の話だと一名は取り留めたらしいけど、道路に頭をぶつけてるから後遺症は分からないって⋯。最悪、目が覚めても記憶があるかどうかも分からないし、いつ目を覚ますかも分からない⋯そんな状況だった。
「ナツキ⋯なんでこんな⋯⋯。」
「今は安静にしておかないといけないわ。これから目を覚ますかどうかは彼次第⋯すぐに目を覚ますかもしれないし、長い時間このままの可能性もある⋯。待つしか、出来ないわ。」
「そんな⋯!夏喜君無しでライブだなんて⋯。」
「私のせいだ。」
「千歌⋯。」
「私が遅れていったから⋯私が学校に忘れ物なんかしなければ、こんな事にはならなかったんだ⋯。ナツ君じゃなくて私が代わりに事故にあってれば⋯!」
「お止めなさい千歌さん。そんな事を言ったって始まりませんわ。」
「そうだよ千歌っち。折角この人が庇ってくれたのに、それは失礼⋯違う?」
「でもっ!でも⋯。」
「起きるよ。」
「曜、ちゃん⋯。」
千歌ちゃんのせいなんかじゃない。ナツ君が悪いわけでも無い。そんな事は絶対無い。めちゃくちゃな事言ってるって自分でも思うし、これでナツ君が目を覚ます保証もない⋯それでも。
ここで信じなかったら、本当に帰ってこない気がするから。
「絶対起きる。ナツ君は目を覚ます。」
「曜⋯。」
「だって⋯だって、ナツ君だもん⋯!今はまだ疲れて眠ってるだけで、絶対起きるよ!あんなに⋯ライブ楽しみにしてくれてたんだよ⋯。」
『眠ってるだけ』のナツ君のそばへ行って、手を握る。果南ちゃんと2人で起こしに行った時のように、静かに寝息を立てているナツ君⋯。
あっはは⋯おかしいな⋯泣いちゃ、いけないのに⋯⋯!
「ねぇ、なんで⋯?なんで起きないの?お願いだよナツ君、目を開けてよ⋯!」
どれだけ呼びかけても、彼は返事をしてくれない。
私の手を握り返してはくれない。
ルビィちゃんや花丸ちゃんも、必死に泣くのをこらえてる。
私は、泣いちゃいけない。信じる。ナツ君の事信じてる。必ず目を覚ますって⋯。
だから───
「曜ちゃん。」
「ち⋯か、ちゃん⋯⋯。」
「ごめんね、曜ちゃん。私、また曜ちゃんに甘えてた。子供の頃、曜ちゃんは私や果南ちゃんより泣き虫さんだったもんね⋯本当は一番泣きたいのに、ずっと我慢してくれていたんだよね?」
「ちが⋯私より、千歌ちゃんの方が⋯!辛い⋯でしょ⋯。」
「辛かったけど⋯曜ちゃんに助けてもらったよ?いっぱい、いっぱい助けてもらった。スクールアイドル始める時も、衣装を作ってくれるって言った時も、今日みたいに駆けつけてくれた時も⋯。」
千歌ちゃんが、私とナツ君の手を包んでくれる。私と同じくらいで、そんなに大きくなくて⋯でも、暖かかった。
「ありがとう、曜ちゃん。」
「千歌、ちゃん⋯⋯う⋯うぁっ⋯ナツ君、起きてよぉっ⋯!!」
苦しい。怖い。このままナツ君が居なくなったらどうしようって、そんな考えが頭をよぎっていく。
耐え続けた涙は、どうしようもなく溢れてくる。
きっと皆だってそうだ。
皆、ナツ君の事が大好きだから⋯本当は、私だけがこんなに泣いちゃダメなのに⋯。
「っ⋯ナツキ。聞こえてる?あんたの事思ってんのがここに9人も居るのよ。このまま起きなかったら許さないから。」
「善子⋯ちゃん⋯。」
「そうだよナツキ。ライブを見に来ないなんて笑えないジョークは勘弁してね?」
「ナツ⋯私達、待ってるよ。ずっとずっと、待ってるから。」
「またいっぱいお話して⋯。」
「いっぱい笑って⋯。」
「色んな事を経験していける、そんな毎日を⋯。」
「信じてますわ。夏喜さん。」
「ナツ君⋯見ててね。必ず届けるから。皆に⋯君に、私達の歌を。」
「皆⋯。」
「やろう、ライブ。それが⋯ナツ君の為に出来ることだから!!」
涙を拭って、皆で頷く。
ほんの少しだけ、握った手が動いた気がした。
◆
暖かい。
何も触れてないはずの右手は、ほんのり暖かかった。
懐かしい様な温み⋯これ、どこで感じたんだっけ⋯。
『ナツ君。』
「え⋯希ちゃん?」
「ん〜?」
「今僕の事呼んだかい?」
「ウチは何も言ってないよ??」
「あれ⋯おかしいな⋯。」
「なになに〜?ナツ君ってばウチにお熱なのかな〜?♪」
『えっ!?』
「希?あんまり冷やかさないの。あそこの4人が固まっちゃったでしょ??」
気のせい⋯か?でもあの呼び方をするのは希ちゃんぐらいだし⋯。
「でも今日のナッツんはなんだかボ〜っとしてるね。」
「普段からボ〜っとしてる人がそれを言いますか?」
「あ!海未ちゃんひど〜い!!」
「でも折角ライブ前最後の休日なんだから、あんまりボ〜っとしてるのもどうかと思うにゃ?
「り、凛ちゃん⋯!」
「あっはは⋯申しわけない⋯。どうも今日は調子が悪いみたいだ。何の話だったっけ?」
「夏喜君の昔の事聴きたいなぁ〜って話だよ♪」
「昔の事⋯?」
「そうそう!ナッツんが過ごしてた内浦ってどんなところなの!?」
「内浦かい?内浦は海が綺麗なところでみかん畑が広がってるんだ。人口はそんなに多くないけど、暖かい人が多くて⋯それで⋯⋯それ⋯で⋯。」
それで⋯何だ?
僕は、何を思い出そうとしている?
何を忘れているんだ?
大切な事だったんじゃないのか?
⋯忘れちゃいけないことだったんじゃないのか?
僕のそばに居たのは⋯。
『ナツ君、ダッシュだよ〜!ヨーソローーー!!』
『夏喜君、新しい曲出来たんだけど⋯どうかな?』
『夏喜さんは相変わらずプレイボーイずら♪』
『あっはは⋯また間違えちゃいました⋯。』
『まぁ、リトルデーモンを労うのも主の役目だし??』
『ナツキ〜、無理のし過ぎはNoだからね♡』
『このぐらい幾らでも手伝ってあげますわ。』
『あっはは、じゃあハグする?♪』
『ナツ君!一緒にみかん食べよ!!♪』
「大切な、幼馴染みが居たよ。いつも一緒だった9人の子達⋯μ'sの皆みたいに、キラキラしてた⋯。」
記憶の片隅に残っていた言葉。
それが意味するものは、まだ思い出せない。
それでも⋯どこか懐かしいその言葉を、僕は自然と口にしていた。
彼女達の名前は、確か───
「『Aqours。』」
歌が、聴こえた。
ずっと近くで見守ってくれた人が居る。
ずっと近くに居た子達が居る。
記憶の片隅にある言葉。
歌。
ありがとうを⋯伝えたい。
次回、夢と現
あなたも、ちょっと田舎で暮らしませんか?