少年成長記   作:あずき屋

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“ラジエル、いついかなる時も警戒を怠らないように。
完全な安全など誰にも保証されません。
人畜無害な兎一羽に対しても油断することは許しませんよ。
油断して、元気百倍だった者が帰らない、なんてことはよくある話ですから。
いいですか、決して気を緩めないように”


第11話 少年、標的にされる

 

 

「こんの大馬鹿者がぁぁ!!」

 

 

 アストレア・ファミリアのホームのとある一室にて、その落雷は落ちた。

本当に雷が落ちたかのようにそれは建物全体に響き渡り、眷属たちは皆一様に身を竦ませた。

その一喝を目の前で受けているのは、言うまでもなくラジエルという少年だった。

黒目黒髪で、服装も黒一色で統一された奇妙な子ども。

武器の類を携帯せず、その手足には革製の防具だけ。

冒険者と言われなければただの子どもと思われるだろう。

しかしその実、卓越した武術を持ち、徒手空拳で戦う術を持っている。

その拳は岩を軽々と砕き、その足は風のように地を駆ける。

その実力はアストレア・ファミリア随一の戦闘力を誇るリューと、団長代理のリーヴァによって太鼓判を押されており、実際目にした者が居らずとも、眷属達の中では周知の事実となっている。

また常識や知識において乏しい部分があり、それを前にしたリューによる懇願にて居候を許可。

以後、アストレア・ファミリアの眷属たちと共に生活することになった。

 

 そんな彼は今、主神であるアテナよりお叱りを受けている。

説教を続けてかれこれ小一時間。

危険な行為に身を投じた少年に対して、怒りの衝動から怒鳴り散らしてしまっている。

立て続けに発せられる言葉の嵐には、叱っている自分からしてもどうかと思える程に怒った。

だが、一度堰を切ってしまったからには止まらない。

 

 

「全くお前という奴は!

無理はしないという私との約束はどうした!

冒険者になって日が浅いというのに十一階層に行った!?

いくら私が下界に来て間もないと言えど、ダンジョンの危険度は承知している!

お前も散々リューから聞かされただろう!」

 

「……ごめんなさい」

 

 

 ラジエルは反省の言葉を口にした。

しかし、少年の表情が変わらない。

故に本当に反省し、事の危うさが理解できているのかどうか判断が出来ない。

こればかりは理解してくれていることを信じる以外なかった。

その迷いが、アテナに対して不安を煽る。

 

 

「はぁ……。

ラジエル、最初に忠告したはずなのに何故危険を冒した?

熟練の冒険者がお前の傍についていれば私の溜飲も下がろう。

だが、今回の探索でお前は単独(ソロ)行動だった。

助けてくれる者は誰ひとりとしていない。

もし不意打ちで深手を負えば、誰に看取られることなく死ぬんだぞ?」

 

「……」

 

 

 神として、大人として今までの言い分がみっともないのは痛感している。

だが、それ以上に自分の子が心配なのだ。

初めて出来た眷属。

邂逅が偶然で、たまたま自分が空いていて、成り行きで自分の眷属となった。

守護女神としての自分を慕ってくれていた訳ではない。

まだ何の愛も示せてはいない。

それでも、眷属となってくれた子の身を心底案じようと思った。

ラジエルが力を求めて我武者羅に戦いを望んでいたことを知っていた。

だからこそ、心配の面を匂わせず、背中を押す激励を掛けた。

結果は、自分の不安を煽る形に終わった。

無事帰ってきてくれたが、それを心底喜べない自分がいた。

ただ、その感覚が不快だったのだ。

 

 

「ラジエル、身を危険に晒した罰として、三日間探索することを禁ずる。

その三日間の間に、私の言った言葉をよく考えろ」

 

「はい……」

 

「……もういい、戻りなさい」

 

 

 最後まで顔を伏せたまま、少年は部屋を後にした。

乾いた開閉音が響く。

同時に自分の行いがどれほどまでに身勝手であったかを自覚する。

心を覆う自己嫌悪の波。

後味がとても悪い。

吐き気を催すほどに、心境は最悪だった。

時間が経つごとに今までのことを思い返していく。

自分にあの子を叱る権利などなかった。

ここ最近、ラジエルに親らしいことを何一つしてやれてなかったからだ。

ファミリアの運営方法、資金の活用法、ギルドへの申請、主神としてのノウハウ等を学ぶことに手一杯で、まともにあの子に接してあげられていない。

一言二言話すこともなかった日もあった。

思い直していけばいくほど、後悔や罪悪感が込み上げていく。

もう少しやりようはあったはずなのに。

 ラジエルの過去は聞いていた。

親の愛情をろくに感じることなく一人になったこと。

それ故に自分自身が壊れてしまったこと。

それを知った上での対応がこれか。

全く彼に寄り添えていない。

これで何が家族か。

笑えもしない状況を引き起こした自分自身に対して怒りが沸き起こる。

可哀想なことをしてしまった。

自己嫌悪に頭を抱え始めた時、ノックの音が耳に届いた。

 

 

「アテナ、今いいかしら?」

 

「アストレアか……あぁ、どうぞ」

 

「調子はどう……なんて、思わせぶりな言い回しかしら?

随分と厳しく当たったみたいね。

ラジくん、顔には出さないけれど、目に見えて落ち込んでいたわ」

 

「あぁ……。

怒る側も気分が悪いとはよく言ったものだ。

お陰で心中は最悪だ。

もっとうまい言い方があったはずなんだがな……。

いざ自分が事に直面すればこの通りだ。

冷静なんてとても保てなかった」

 

 

 厳密に表せば、保てなかったではなく、持てなかった。

保とうとしていたはずの冷静が、突如目の前から消失してしまえば、事の運びは言うまでもなかったからだ。

怒りという成分を含んだ感情は、本来冷静というフィルターを介して初めてろ過される。

今回はそのフィルターをはめ込む前に落としてしまった。

劇薬を中和させるはずが、劇薬をそのまま服用するはめになった。

簡潔にまとめるなら、それだけの表現で十分だった。

 

 

「悪い言い方と捉えて欲しくないのだけれど、これも経験よアテナ。

確かに、今回は互いに落ち度があったわ。

一方は身を危険に晒し、一方は相手の心を配慮せずに一方的に言葉をぶつけた。

どちらもそれまでと言ってしまっては世話がない。

だからこそ、前向きに捉えましょう?

貴女は、子どもの叱り方の一つを学んだ。

彼は、一人で挑むことの危うさを知った。

ゼロから始めるんですもの。

これくらいの痛み分けは避けられないことよ。

大切なのは、次に進むための仲直りよ」

 

「アストレア……」

 

「ちょっと落ち着いたら、リューたちと一緒に、またご飯食べましょう?」

 

 

 神友となってから、最早数えるのも億劫になるほどの年月が経つ。

そんな長い間、多くの時間を共有してきたというのに、その顔は全くと言っていいほど見たことがなかった。

何気なく、朗らかに笑顔を浮かべるアストレア。

紛れもなく彼女は、女神だった。

 

 

____________________________________

 

 

 小石が、目の前を転がっていく。

強制的に力を加えられ、所々角ばった地面に乱反射して、小石は不規則に地を転がり続けた。

小石を蹴り続けるその足もまた、とても小さなものだった。

いつもより歩幅が狭く、不貞腐れたような足取りは、何やら多くの感情を含んでいそうだった。

転がる小石を見下ろす黒い双眼。

その目に、感情と呼べるものはない。

例えるなら無機質なビー玉。

光を反射して、不格好でありながらも輝きを放つ。

だがその反面、光がなければくすんで見えてしまうほどに魅力がない。

もちろん、そのパーツが置かれいるベースの顔もまた、大きな双眼と同様だった。

例えるならまっさらなキャンバス。

それは言うまでもなく、色が塗られる前の状態を意味する。

人間の表情をまっさらなキャンバスに例えることはほとんどない。

何故なら、人は皆何かしらの表情を無意識的に浮かべているものだからだ。

限りなく無表情に思えたとしても、じっくりと観察していれば、細やかな機微がある。

それは嬉しさや怒り、哀しみ、楽しい等といったもの。

それらを総じて、表情と呼ぶのだ。

 

 彼には、表情はおろか、機微と思わせるものすら匂わせない。

完全なる無臭。

完全なる無表情。

完全なる無機物。

人の身で、ここまで完全を再現させたものはほとんどいないだろう。

どれほど過去を遡り、伝記を読み漁ろうとも、これほどまでに無表情を貫いたものはいないだろう。

いるとするならば、それは最早人ではない。

元来、人という存在は、それほど器用な生物ではない。

個体ごとに、何かしらの欠点が存在する。

何かが欠けているのが、人として正しい証拠。

故に、どこか完成された部分が一つでも存在していた場合、それは最早人ではないのではないだろうか。

だが、この少年もまた、何処かが欠けている。

何処かが完成されていて、何処かが欠落している。

先程までの理論で証明付けたいのなら、この少年はまだ定義付けできない。

いや、今のままでは、未来永劫定義付けすることはできない。

何故ならそれは、矛盾を抱えているから。

どっちつかずの境界に位置づけされているため、どちらかによる明確な結論が下せない。

つまるところ、人間として正しいのかについては保留ということだ。

 

 

「…………」

 

 

 人間未満の少年は、行く宛てもなく、ただ足が動くままに街を彷徨い続けた。

傾きかけている太陽は色を変え、温かい暖色となって街を照らしている。

街中は、昼間とはまた違った賑わいを見せる。

仲間同士で肩を組み合い、酒場を目指す者たち。

親子で手を繋ぎ合い、喜色に包まれて我が家へ歩く者たち。

楽しく談笑しながら、街中を闊歩するカップルたち。

店主と笑い合う者たち。

何もかもが、昼間までの顔と違って見えた。

きっとこれは、オラリオの表情。

厳密に言えば、オラリオの表情を形作る者たち。

街ですら表情を忙しなく変化させるというのに、少年の顔は何の反応も示さなかった。

川の流れに抗う鮭のように、周囲に馴染めていない様が表れていた。

 

 

「……お腹、へったなぁ」

 

 

 去来する思いは空腹感。

虚無感や悲嘆ではなく、生物として当たり前の反応が際立った。

少年はふと空を見上げる。

何気なしに、ふと唐突に空を見上げたくなった。

それが自分にとって何を意味するかは分からなかったが、同時に世界が広いと改めて思えた。

少年は再び、宛てもなく彷徨い続ける。

相棒となった小石を連れて、暮れていく夕日を目指すように歩いた。

 

 

____________________________________

 

 

 

「ふふっ、やっぱりオラリオっていいわ。

魂が輝いている子が沢山いるもの。

誰も彼もが希望に満ち、誰も彼女もが絶望に満ちているわ。

そんな子たちの未来を想像すればするほど、あぁ……愉しくて仕方ないわぁ……」

 

 

 妖しく目を輝かせながら街を見下ろす女が、そこにはいた。

彼女の名は、女神フレイヤ。

人間はおろか、神々ですら溺れさせてしまうほどの魅力と美貌を兼ね備える女神。

美しき星。

美の化身。

愛欲に満ち溢れし天女。

この世すべての美しさを凝縮し、形を成した存在。

それが女神フレイヤ。

彼女に魅了された者たちは総じて、彼女の虜となり、彼女からの寵愛を受けるためならどんな手段も厭わない者へと成り果てる。

狂信者ならぬ、狂愛者と呼んだ方が適切かもしれない。

そんな美しき女神の日課は、こうして街を見下ろし、自分の気に入った魂を探すことである。

いや、気に入ったという表現は正確ではない。

気に入る段階は、あくまで最初だけ。

最後までその在り方を貫かせるためではないのだから。

要するに、自分好みの色に染め上げたい魂を品定めしているのだ。

そんな女神にも、側近と呼べるべき存在がいる。

 

 

「人間ってどんなに高価な金銀財宝、宝石より価値があるわ。

見ていてとても飽きない。

弄っていてとても面白い。

古今東西で唯一共通するのは人間の価値だけ。

どの子たちも、例え神であっても可能性を測りきれないわ。

ねぇ、貴方もそうだと思わない?

オッタル」

 

「私も同意見でございます、フレイヤ様」

 

 

 多くの眷属の中で、唯一女神フレイヤの側近を任された男。

名はオッタル。

猪人(ボアズ)の種族にして、オラリオで唯一の絶対的強者(狂者)

オラリオでただ一人、Lv.7に至った男。

その実力は圧倒的の一言に尽きる。

一級冒険者たちの中でも別格中の別格。

他を圧倒するほどの剛力、冷静沈着に状況を把握する分析能力の高さ、多くの武具を自在に操る技量等を兼ね備える。

卓越した技量を併せ持つことから、向かうところ敵無しと誰しも口を揃えて話すだろう。

それらが全て、彼を武人と讃えている要因となっている。

スキルやアビリティに関しては、誰もその実態を目にした者はおらず、その圧倒的な力以外は謎に包まれている。

彼ほどの武人が、何故女神フレイヤに心酔しているのかもまた、謎である。

 

 

「あぁ、やっぱり下界はいいわね。

あちこちに金の卵がフラフラ。

どの子も素敵で、いろんな子に目移りしちゃう。

はぁ……いいわね、この街の景観は最高よ。

……あら?」

 

「どうされました?」

 

「ねぇ、オッタル。

貴方、子どもとはいえ、10年以上生きた子の魂が真っ白なんて信じられる?」

 

「それは……実に奇妙な話でございます。

及ばずながら、私めの見解を述べてもよろしいですか?」

 

「ええ、貴方の意見を聞かせて頂戴?」

 

「では、僭越ながら申します。

フレイヤ様、初めに敬愛すべき貴方のご慧眼を疑う訳では無いことを前提に伺わせて下さい」

 

「構わないわ。

他でもない貴方の言葉だもの、聞かせなさい」

 

「ありがとうございます。

恐らくそもそも白では無いのではないのでしょうか」

 

「......塗り潰された(・・・・・・)、そう言いたいの?」

 

「恐らく。

フレイヤ様も承知なされている通り、そもそも魂に色のついていない者、ましてや人などおりませぬ。

もし、そんな者がいたとなれば、それはフレイヤ様が気に掛けるべき存在ではありません。

人ではないのですから。

それに、我が敬愛すべき貴女の目を欺く者など有り得ません。

故に、最も考えられる可能性をご提示させていただいたまでのことです。

恐らく、フレイヤ様が見られた者は、何らかの理由により、魂そのものを塗り潰されたのではないでしょうか。

それが作為的なものか、事故的なものかは判断しかねますが。

以上でごさいます」

 

「貴方の考えはよく分かったわ。

ありがとう、オッタル」

 

「はっ」

 

 

 オッタルは、無色の人など存在しないと断言した。

誰よりも強く、誰よりも多くの者をこの女神と見てきたからこそ言える見解。

彼もまた、武人として多くの者と対峙してきたからこそ解るものがあるからだ。

どのような善人であれ、悪人であれ、皆独特の色を持っている。

それはその者を象徴するものによって、如何様にも変わってくる。

例えば、その者が情熱的な存在であった場合、その魂の大部分は情熱を意味する赤になる。

感情を表に出さないものであれば、それは冷静を象徴する青になる。

また、それ以外の要素を持ち得ているのであれば、それ以外の色が仄かに垣間見えるのだ。

本来、人間とはそういう存在。

であるならば、色を持たないその少年は一体何なのだろうか。

主神以外には興味を示さないオッタルが、主神が見た者に対して興味を抱かせた。

 

 

「差し出がましいようですが、フレイヤ様」

 

「あら、貴方が興味を持つなんて珍しい。

分かってるわ、すぐにでも貴方に動いてもらおうと思っていたところだしね。

彼がどういう存在なのか、まず貴方自身の目で見定めてきなさい」

 

「はい、我が主神よ。

私は貴女の手となり足となり、御心のままに動く駒となりましょう。

ご命令を、女神フレイヤ様」

 

「ええ、主神として貴方に命じます。

彼の少年の在り方を見定めなさい。

あぁ、殺しちゃだめよ?」

 

「はっ、仰せの通りに」

 

 

 女神が指差すは黒髪の少年。

武人は動く。

今まで通り、主神の命を受け、それを忠実に遂行するだけだ。

だが、今宵のオッタルは今まで通りではない。

久方ぶりに興味を示した者が、どれほどの力を持っているのか。

内心、オッタルは密かに楽しみを抱いた。

無論、普段纏っている空気と違うことに気づかないフレイヤではない。

それを理解していたからこそ、彼に動いてもらうのだ。

たまには、私情を持って行動させよう。

神は、いつだって気まぐれなのだ。

斯くして少年は、数奇な運命に巻き込まれていく。

僅かに心を高ぶらせた絶対的強者が、後数刻の間に目の前に現ることなど知りもせずに。

 

 

 彼の名はオッタル。

オラリオにおいて絶対的強者として君臨し、冒険者の頂点に位置する男。

あまりにも強すぎる彼には、畏怖と敬意を込めて、こう呼ばれる。

 

 

猛者(おうじゃ)

それが彼に与えられた、頂点としての証である。

 




 いらっしゃい、あずき屋です。

お待たせにお待たせいたしました。
リアルで色々忙しかったもので申し訳ない。
言い訳にならない?
それはご愛嬌ということでトイレにでも流してください。

 さてさて、ようやく現れましたオッタルさん。
彼にはラジくんのいずれ越えるべき壁として、長期間立ちはだかってもらいます。
正直、彼の喋り方について不安があります。
こんなに堅っ苦しかっただろうか……。
まぁ、大好きな女神様の前なんで、これくらいがチョウドイイデスヨネ。


 ではでは、また次のページでお会いしましょう。

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