猫と別れた2Bと9Sは広大な砂漠を走り、滑り降りていく。人類であればおよそ不可能であろう滑走も、緻密なバランス制御が可能なアンドロイドにとってはスムーズな移動手段である。
滑り降りる勢いを失くした途端、二人は急減する運動エネルギーを使い跳び、空中でクルリと回ると着地の勢いのまま走り出す。足を取られる砂も、躓くことはあっても転ぶことはない。
「おおかたの機械生命体はこれで駆逐しましたね。そろそろ戻りますか2B」
「ん……最後に、あれだけ倒して帰ろう」
機械を切り裂く刀を構え、2Bは駆け出した。見据えた先にいるのは仮面をつけた機械生命体だ。なぜそんな恰好をしているのか皆目見当はつかないが、2Bにはどうでもいいことだった。
(これが私の任務。どのみちやる事は、大して変わらない)
刀を振り、切る。彼女の使命はそれだけだ。例えその相手が『何者』だろうとしても、機械を切る事に変わりはない。
殺気に晒された機械生命体は恐怖に震えているようだ。そう考えて9Sはすぐにそれを捨てた。何を馬鹿な事を、機械生命体の言動は過去のデータを組み合わせて再生しているに過ぎない。
機械生命体を追う二人はマンモス団地というビル群にたどり着く。廃墟都市のそれとは異なり、人が居住するためだけの建物らしい。狭く同じような部屋が多いあたり、アンドロイドのバンカーでの暮らしとよく似ていて、9Sはどことなく人類に親近感を覚える。
「いた!」
「コワイ、イタイ、イヤダ! コワイ!」
「へえ、何が怖いんです? 死が怖いだなんて、人類みたいな哲学的思考を持ってるんですかねー」
「マンジュウ、コワイ!」
「……どういう基準で言葉を選んでるんでしょうね」
逃げていく機械生命体は本当に奇妙だ。言葉選びも珍妙で意味が分からないが、逃げに徹しているわりに時々立ち止まり、まるでこちらに見つけられるのを待っているようだ。
(罠、ですか)
考えられるのはやはりそれ。アンドロイドの死体と思しき義体が増えるにつれ、確信に変わっていく。
だが、それでも二人は止まらない。もしも罠だというのなら罠ごと砕けばいい。斬り捨て御免が2Bの信条である。
辿り着いたのは巨大な穴とでも言うべき場所だった。臼状の空間を金属などの資材でちぐはぐに補強し、至る所に機械生命体がいる。本拠地とまでは言わずとも、機械生命体のコミュニティだろうと二人は直感した。
しかし、不思議なのは機械たちの挙動だ。何やら地面に旧世界の雑誌らしきものや映像機器が散らばって、その周りでは機械生命体たちが互いに覆いかぶさり身体を揺らしている。
「ンギモヂイイイイイ!」
「アッ、アッ、アッ」
「ファーwwww」
機械生命体たちは好き勝手に甲高く騒がしい声を上げ、二人の事など目に入らないとばかりだ。二人が間を縫って歩く間もギシギシ動いている。
油断なく、しかし僅かに脱力しつつ中央へ向かって歩を進める二人は物陰から飛び出た機械生命体に刃を向ける。
「ヤッテヤル! ヤッテヤル!」
「来る……あれ?」
「バーーーーーーカ!」
機械生命体は二人に向かって走り出す、かと思いきや、身を翻し臀部に相当する部分を叩いてから反対方向へ走り出した。そして唐突に柱に登り始めたのである。
「一体、何をするつもりなんでしょう」
「分からないけど、油断はできない。他の機械生命体も動き出した……!」
露を払うように2Bは刀を振るうが、どこからともなく無数に湧き出る機械生命体を倒し尽くすには遠く及ばない。焦りが剣をぶれさせるのか、我武者羅に振るう刀はガキン、と不格好な音で機械達を凹ませている。
同じようにポットを駆使して近寄らせまいとする9Sも暖簾に腕押しだ。二人の攻撃から漏れた機械生命体は徐々に柱の上で球状を取り、一つの塊になる様子は異様そのもので、二人の背筋にゾクリとする冷却水を流し込んだような嫌な予感を抱かせる。
そして、その時はやってくる。機械生命体の球体が割れると、ドロリとした粘つく白濁的な何かと、それに包まれた男が落ちてきたのだ。
もはや警戒と驚愕が入り混じる二人を更なる混乱に叩きこんだのは、全裸で長い白髪を持つ『男』の股間で揺れるソレだった。機械生命体はもちろん、アンドロイドですら持たないモノ。
――生殖器を見て。
「これは、アンドロイド……いや、人類!?」
「そんな馬鹿な! 機械生命体から人類が生まれるなんてありえません!」
理性は当然否定する。目の前の男は明らかに今、機械生命体から出てきた存在だ。それが人類であるはずがない。しかし、では何故生殖器がある人間のような姿をしているのか。
「ア……ア、アアアアアア」
目を動かし、首を動かし、口を開いて男は叫ぶ。獣染みたそれに反射的に斬りかかった2Bは褒められるべきだろう。
白き刀は真っ直ぐに振り下ろされる。未だ知恵の無い男は為す術なくその身を縦に裂かれ、倒れ伏す。切り口からはまるで人類のように、血液のような液体が飛び散っていた。
「っ、2B! 大丈夫!?」
「私は問題はない。でも、こいつはそうでもなさそう」
「く……こいつ、自己修復するのか!」
厳しい表情を崩さず、2Bは一歩距離を取る。これは明らかに異常だ。従来のデータに全くそぐわない展開が奇妙な予感と胸騒ぎとなって2Bの動きを止めた。
その隙を見たか、男はニヤリと笑う。次の瞬間男の腹からもう一人男が現れた時、9Sはすぐさま戦闘による破壊というプランを破棄した。
「2B、ここは一旦引きましょう! 僕達だけでは現状を打破できないし、幸いこいつらはまだ動けなさそうだ。今がチャンスです!」
「……わかった!」
本音を言えば、2Bは男たちをここで斬り捨てておきたかった。遺恨の種は残すべきではない。
だが、目の前の男たちが全く謎に包まれていることも確かだ。甘く見て結局倒せず、それどころかこちらがやられる破目になっては目も当てられない。
ジッと二人を見送る男たちを一瞬だけ振り返り、2Bは先行して脱出ルートを進む9Sを追い掛けた。男たちは、追ってはこなかった。
男は自らの半身を降ろすと、周囲に散らばっている本に手を伸ばす。
機械生命体のネットワークに接続された男は急速に自我を構成していく。その最中に見た本から得た情報は自我の構成情報の根幹の一部となり、彼を形作っていく。
次いで男は煌々と光るテレビを見た。画面では男が腰を振り、女は嬌声を上げていた。
男は改めて本を見た。そこには性癖についてを詳細に説明する文章が書かれていた。
男の自我がある程度組み上がり、彼は「個」となった。自らを周囲の機械生命体とは別物と認識し、それどころか機械生命体たちを統括する上位者となっていたが、彼の興味は本に向けられている。
後ろに控える、彼に瓜二つの男は沈黙し、それを見つめていた。
男はやがて、自らをアダムと名付けた。機械生命体を越えた新人類とも言うべき存在だと認識しながら、旧人類の神話を模したのは、やはり憧れなのだろうか。そう自問するアダムは本を開く。
「にいちゃん、一緒に遊ぼうよ。俺、何でもするよ」
「後でな。先に本を読んでおけ。お前は『受け』だ」
「うん、それはいいけど……俺、女じゃないよにいちゃん」
「人類の本には男同士の行為も多い。生殖だけに拘らないのが人類の面白いところだ」
「でも、退屈だよ。遊びたいな……」
「ああ……それを読み終わったら遊んでやる」
「ほんと!? 俺、頑張って読むよ!」
「そうしろ。薄い本はいくらでもある」
山と積まれた薄い本。ビルの下に残った旧世界の遺産はあらゆる性癖をカバーするほど多く、種類に富んでいる。
アダムは屹立する生殖器を宥め、自身に刻まれた欲求と使命を想う。
「……イヴ相手にクリアできるのは近親と同性。アンドロイドに生殖器は無い。困りものだな」