>>>>>> [1/6] ハングド・フライ・フォール
「うふふふふふふ……───」
耳元で轟々と唸る風の音の切れ間から、艶めいた笑い声が混ざり込む。
打ち上げ前のリツカが彼女の耳に何を囁いたのかは知らないが、ともあれ魔女っ子マシュさんは今も絶賛トリップ中のようであった。
「うぷっ……ッ……!」
まあ、突風に揉まれて空中錐揉み回転中の俺には、それを直に見ることは出来ないんだけどね!
──今日もフランスの空は青く、青く。
遥かな眼下にはいつか東京タワーから見下ろした景色のように小さく散在している家々と、ゴマ粒みたいな無数の点からなる集合……人間たちの集団がある。いや、魔物の群れかもしれないか。ただぼんやりと俯瞰するだけでは、下界の状況など把握できるはずもない────と、炎弾ッ!
「マシュさん!」
「邪ー魔ーでーすー!」
俺の呼びかけに応えたマシュさんが身を捩るようにして大盾を振り抜けば、迫りくる粘液質の炎弾はべチャリと潰れて弾け飛ぶ。……邪魔なのは、俺の発言じゃなくて炎弾の方ですよね?
更に彼女の生んだ回転運動エネルギーは縄でつながれた俺のところまで伝播し、極めてランダムな運動として表出することで、煮えたぎる唾ナパーム飛沫からのラッキー回避を実現させた。
(──だが、そこには代償がある──それは──、死ぬほど怖いってことだ──)
俺は為す術もなく振り回されながら、この巫山戯た飛行法の発案者を心の底から罵倒する。
(──これを考えた奴は──絶対に──頭が──おかしい────!)
ちくしょう、これの考案者……蒼崎橙子だったか。青だかオレンジ色だか分からない名前しやがって。蒼いオレンジって、それ絶対カビが生えてるやつじゃねぇか……!
思わず、ネガティブな連想が走った。まあ、生死をマシュさんに委ねて梱包済みの俺には、それくらいしか出来ることがないからね。仕方ないね。
(ああそうだ、果物ってのは管理をミスるとすぐ駄目になるからな……そう、梅雨時に黴びるオレンジだけの話じゃない。腐ったミカン……萎びたリンゴ……熟しすぎた柿……痛んだトマ「ぐぺっ」
「ブツブツ言ってるとー! 舌を噛みますよー!」
「もう
再び飛んで来た炎弾を
……悪因悪果。なるほど、人の悪口を声に出して言うのはよくないと思いました。
◆◇◆
「ところで、悪いニュースともっと悪いニュースがあるんですが」
それから何分たっただろうか、3次元空間機動フライトアクションが続いた後。
上昇軌道が頂点に達したのか徐々に下降を始めたあたりで、吊り下げられた俺に視線を落としつつマシュさんがそんなことを言い出した。俺も、辛うじて動く首を上向けることで彼女に応える。
なんだいマシュさん、これ以上状況が悪くなるって言うなら言ってごらん。ちなみに今、俺は君とリツカの
まあ、そこは術式を提案したオルガとの情報共有が上手くいってなかったのが悪いんだけどね。俺は魔術チート持ちじゃないし、彼女は彼女でわりと説明ベタなところがあるからな。ともあれライネスにお願いしていたプランBは廃案だ。そうなると自分で身体を張るしかないわけだが……
「あの、報告していいですか?」
ああ、ごめん。待たせてすまないね、お話どうぞ。
「……では、その。まず現状における第一の問題は、前方に音楽魔術と思しき広域魔術が展開されていることです。ドクターの解析によれば、術式の性質は『
……はあ。俺にはよく分からんが、それってなんか大変な事態なの? 大変なのか。
OK、それじゃあもっと悪い方のニュースってのは何?
「もう一つは……こちらは、極めてシンプルかつ深刻な問題なのですが」
はい。
「わたしの酔いが、もう覚めてます」
……。え? あ! ああー!
「シールダーとしての耐毒スキルは事前に切っていたのですが、サーヴァントとしての体内解毒作用が予想以上に強力に働いたようで……その。もう、重力に引かれて高度が落ちてきていると」
「だ、駄目じゃん!?」
「加えて、先ほど報告した音楽魔術の影響で、周辺空間にかなり強い重圧負荷が発生しています。なんとか、ファヴニールの足元までは到達できると思いますが……」
「……安全に減速したり着地したりする余裕はない?」
「お察しのとおりです」
俺を引っ張り、宙に吊り下げる形で飛んでいたはずのマシュさんが、いつの間にか高度を落として俺のやや上方に浮かんでいた。その差を生み出しているのも【トーコ・トラベル】の魔力ではなく、縄でコンパクトに梱包された俺と大盾を抱えたマシュさんの間の空気抵抗の違いにすぎない。
俺たちは、どうしようもなく落下を始めていた。
辛うじて残る魔力の残滓が生む微かな浮遊感と、位置エネルギーを解放し勢いのままに俺たちを地面に叩きつけようとする重力とのせめぎ合いの中で、落ちながらも進んでいく。
「着地の衝撃は可能な限りわたしが引き受けます。盾スキルは各種取りそろえていますから」
「それはありがたいね」
「いえ。それより、その後の計画について詳しく教えてください。クー・フーリンさんの宝具を使って撤退を図ると聞いていますが」
「ああ……そうか。ちなみにリツカはまだ寝てる?」
「先輩ですか? わたしの耐毒スキルが既に起動しているので、アルコール自体はすぐに分解除去されると思います。ただ、睡眠状態からの覚醒はまた別の話かと……先輩はよく眠る方ですし」
マシュさんはそう答えた。
OK、状況は把握した。リツカはまだ起きない。マシュさんは完全に酔いが覚めてる。やはり、欲など張らずに最初の目論見通りプランAでいこう。
「プランA、ですか」
「そう、シンプル&ストロングな第一案だ」
今回のケースで、逃走手段に必要なのは積載量と速度である。
装甲車でもありゃあ全員まとめて載せられて都合いいんだが、あいにくそういうチートは戦国自衛隊の領分だ。じゃあどうするか? 手持ちのカードで一番大きなものに乗せればいい。つまり、ウィッカーマンである。
現地到達、即座に宝具発動、NPC回収、即時撤退。
残りのプレイヤーたちは、まあ、何とでもするだろうさ。
「……なるほど。しかし、そんなに上手く逃げられますか?」
マシュさんが問う。良い質問だ。
もちろんウィッカーマンは生贄を捕まえたら最後その場で燃えちまうからな、多少の工夫って奴は必要さ。具体的には、宝具発動時にウィッカーマンへ捧げられる生贄役も同時に指定しておいて、そいつをウィッカーマンより速く逃がす必要があるだろう。
こういう妖怪変化の類ってのは、求めるナニカを追いかける時にこそ最大最高のスピードを出すもんだ。安珍清姫の清姫ちゃん、ワカル? 俺も聖女様との行軍中に多少は勉強したんだがね、彼女だって似たようなもんさ。……正直そろそろこの地域に辿り着くんじゃないかと俺は気が気じゃないんだが、とりあえずそこは置いておこう。
ああ、最後は相手と一緒に
「はあ。……では、その生贄役というのは、いったい誰に?」
「そりゃあもちろん、俺ですよ」
そこを他人に任せるほど残念な男じゃない。
手順としては、ウィッカーマンが呼び出されたら即座に召喚サークルまで死に戻って距離を稼ぐ。可能なら、ついでにその場で足元の召喚サークルを破壊して、更にドンレミまで死に戻り&誘導してやりたいもんだがね。まあそう上手くはいかないだろうな。
「では、わたしは他のサーヴァントの皆さんを回収し、ウィッカーマンに同乗して離脱すれば良いんですね? 可能であれば召喚サークルの破棄も行うと」
「そういうこと」
「わかりました。…………はい。はい。ええ、それで行きましょう」
「よろしくねー」
「こちらこそ、です。作戦立案、感謝します」
マシュさんがお礼を言う。
……今の会話、少しだけ空白があったな。
たぶん誰かとチャットしてた。俺の作戦を検討する……会話の相手は、ロマニあたりだろうか。
ともあれ、今のやり取りでマシュさんの雰囲気が多少和んだのはいいことだ。
順調に彼女との距離を縮めているリツカに対して、俺とマシュさんの関係はややギクシャクとしたものがある。いわゆる友達の友達というヤツか。なまじ俺とリツカが古馴染みなだけに、彼女相手には距離感を測りかねるところがあった。
◆◇◆
さて。そうこうしているうちに、徐々に下の方へと引っ張られる力が増していく。
それでもまだ地表は遠い。着地には尚それなりの時間が掛かるだろう。
耳朶を揺らし凶悪な唸りを上げ続ける風の音と、果てしなく引き伸ばされる落下の感覚は、柄にもない緊張感を俺に強いていた。言い訳になってしまうが、それは端的に言って異常だった。
『落ち続ける悪夢』。誰しも一度は経験があるだろう、嫌な夢だ。だが、あれの本質は落下じゃない。孤独である。ただ独り、何処へともなく落ちていくから怖いのだ。もしも友達と一緒なら、それは単なるパニックホラーに成り下がるだろうよ。愛する相手と一緒ならフライング曽根崎心中だ。え、地面に落ちなきゃオチが付かないだろって? そいつは一本取られたねHAHAHA。
……とまあ、俺はそのとき、そういう馬鹿げた会話を求めていたわけで。
気晴らしがしたかったとも言うが。けれど、そういう話題を振るには、俺にとってのマシュさんの印象はやや生真面目に過ぎていた。
だからだろう。俺が『自然な流れの』話題を求め、その結果、よりにもよって先程打ち捨てたはずのプランBの内容を口走ってしまったのは。
「──ちなみに。さっき話さなかったプランBは、向こうで俺と【オーダーチェンジ】したライネスが、トランス状態のマシュさんをどこか適当な座標へかっ飛ばすって案だったんだけど」
ま、流石にリツカが寝ている状況じゃそんな手段は提案できるわけもなかったけどね。
ハハハハハ。
「……」
「ハハハ……ハ」
コミカルに笑う作戦立案者に、ジトッとした沈黙を返す
引きつった笑いを萎ませる俺。
……おう。これは完全に話題選びをミスったね。
一瞬にして冷めきった雰囲気の中、マシュさんがうつむき加減にそのお口を開く。俺からは彼女の表情が日陰になってよく見えない。コワイ。ひとまず傾聴の姿勢を示しておこう。
「あなたが無茶をするだけなら良いのですが──」
「ハイ」
「あなたのそういう前向きなのか破滅的なのか分からないような思考判断が、今後の先輩の作戦指揮に悪影響を与えるようであれば──」
「ハイ」
「──わたしは、先輩を守るために行動します。……わかりますね?」
「ハイ、ワカリマス……」
俺は殊勝に返事した。
……でもね、マシュさん。リツカもあれで案外無茶なやつなのよ。トラブル体質でもある。むしろ俺があいつから影響受けてるフシもあるってことは分かってほしいな。
まあ、この場でそれを言うほど空気読めないわけじゃないけどさ……
そんな感じで、やはり気まずい俺たちは邪竜目掛けてどこまでも落ちていくのであった──
──セオさんからの緊急チャットが飛び込んでくるまでは。
「大変だよ、二人とも! リツカ君が【清姫】に攫われちゃった!」
>>>>>> [2/6] 去り行く者、落ち来る者
「『
朗々とした声が響き、戦場の空気がまた一段と重く、鈍くなっていくのを感覚する。
復活せし竜の魔女ジャンヌ・ダルクは苛立っていた。敵の全てにとどめを刺せるほどの戦力的優位があって尚、状況は停滞し、戦いの終わりは引き伸ばされ続けている。
低調に。
変化を抑え、のっそりと。
そう振る舞うことを強いられているような空気感。
この戦場の優劣を決したのは己の旗と、邪竜ファヴニールの力だったはずである。それがどうだ。いまや戦いの趨勢こそ覆ることはあらねど、戦場の流れを指揮しているのは魔女の握る旗ではない。そしてそれはあの聖女の立てる旗でもなく……一振りのか細い指揮棒を振りかざした音楽魔術師によるものであった。
ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト。
戦いの能も持たない
「ははははは! いささか元気が良すぎるな、君たち! 『
「おお、深淵の眷属よ! 何をしているのですか! 我らに逆らうあの愚か者を早く絞め殺すのです! さあ! サァ!」
美は、ときに魔に対して
護衛に連れてきたはずのシュヴァリエ・デオンもクー・フーリンを相手に延々とやりあっている。早く決着を付けて、あのフランス貴族どもを殺すのに加勢すべきであるものを……! その高いステータスは飾りとでも言うつもりだろうか!?
苛立つ魔女の頭上、聖女ジャンヌが得物の旗槍を大上段に構えて飛び込んできた。全体重の載った重い一撃を、辛うじて魔女は自身の旗をあわせて捌く。同じ体躯、同じ膂力から繰り出される一撃である。聖杯を握る魔女とは言え、届かぬということはないのだ。二合、三合と互いの敵意を打ち合わせ、そこで有り余る魔力に任せて聖女を吹き飛ばす。
そしてすかさず死角の位置を振り向けば、そこには目障りなコバエが一匹。
「──
こうして、聖女との攻防の間を縫うように剣を差し入れてくる。
魔女がその剣に応じれば即座に退き、応じねば円弧を描く二の太刀が続けざまに繰り出される。先刻から何度かに渡って繰り返されてきた、嫌がらせまがいの応酬である。
剣を執るのは黒髪の【プレイヤー】。
蛆虫の如く湧き出す有象無象の連中とは違う……だが、所詮は人間だ。いい加減、サーヴァントたる魔女がその気になれば相手にもならぬということを教えてやろう。
「ッ!」
ギン、と睨みつけた魔女の視線が邪を孕み、視線の先の剣士を灼いた。業火に呑まれ藻掻くヒトガタは、あの忌々しいピエール・コーションやシャルル7世を思わせる。
炎上する剣士から苦悶と絶望の声が聞こえないのは不満だったが──己の『復活』からというもの飽きるほどに見てきた、身を焦がす炎を振り払わんと踊り狂うニンゲンたちの姿には、男女貴賤など本質を外した区別に過ぎず、聖俗さえも意味のない詐術であったのだと確信させるだけの醜さがあった。
「アハ、」
その無様に、嘲笑が漏れる。聖油を注がれた国王サマも、名も知らぬ異国の剣士も、燃えてしまえば結果は同じ。後には黒く汚い燃え滓と灰が残るだけ。だからきっと、魔女も、聖女でさえ──
「────まだだ」
「!?」
そのとき。横薙ぎの一閃が、意識の外から魔女を襲った。
繰り出したのは、焼け果ててなお剣を離さぬ黒焦げの男。
その一撃はあまりにも遅く、サーヴァントにとっては苦し紛れの足掻きでしかない。だが、辺りに響き渡る葬送歌じみた重圧の音色が、魔女に敏速なる反応を許さなかった。
……否、それでもまだ魔女が速いか。咄嗟に引き戻された竜旗の柄が、殺人的な加速で襲撃者の剣を迎え撃つ。しかし激突の瞬間は訪れなかったのだ。
「【
ぐねり、と弧を描いて変化した鈍色の剣の軌跡が、魔女の構える長柄の守りを奇妙に躱し、白く
「やはり速い。が──」
「────ッ!!!!」
その瞬間、魔女はあまりの憤怒に我を忘れた──と思う。
呟きを残して崩れ落ちんとする死に体の剣士を、地から生えた闇色の槍が下から上へと突き上げた。一本ではない。処刑台の罪人を突き殺すように、何本も、何本もの黒き魔槍が地中から中空の剣士を貫いていく。血濡れた剣が地面に落ちて、土にまみれた。
剣士は、最期にビクリと空の右手を震わせ、
ハ、ハ、と魔女は荒く息を吐く。小物相手に感情を乱しすぎたか。
ああ、そうだ。このままダラダラと戦っていても埒が明かない。さっさと全員殺してしまおう。まずは、この重苦しさと停滞を生み出しているあの音楽家から──
そして、気づく。
怒りに気を取られているうちに、いつの間にか
「全速全開でいきます! 【
少女の持つ大盾が光の輪郭とともに爆発的に膨らみ、蒼翠の光壁を眼下の大地に押し付ける。一瞬の後、砲弾じみた轟音を立ててその乱入者は魔女たちの前に転がり込んでいた。
……ずっと後方に引きこもっていたはずの、大盾のサーヴァント。
それがなぜ今更前線に?
いや、竜もなしに一体どうやって空を飛んで……
「よう、ずいぶん英雄じみた派手な登場じゃねェか。モブキャラ志望のマスターさんよ!」
混乱する魔女を置いて、敵方のクー・フーリンが獰猛に笑う。
(マスター!?)
魔女に与するサーヴァントたちが、その一言に困惑した。ジャンヌに率いられた胡乱なる移民集団【プレイヤー】。魔物を使役する不可解な連中であることは知っていたが、まさかサーヴァントさえ従えるというのか……!?
音楽家が大きく腕を振り上げた。
「ここから先は転調だ! 『
雰囲気が一変し、状況が加速する。
クー・フーリンの言葉に応じるように、いつの間にか縄を抜け出していたもう一人の墜落者がその右手を掲げた。そこに刻まれた赤い令呪が不穏な輝きを宿す。
「
その男……新たに現れた【プレイヤー】はそう呟くと、魔女を見据え不敵に微笑んだのである。
書いてて気づいたんですが、ぐだーずは意識的に主人公ムーブさせていかないとどんどんヒロイン枠に落ち込んでいきますね。一部女性陣が積極的過ぎる。
◆音楽魔術について
独自設定要素あり。そのうち公式でも明確に定義されると思いますが、本作では音の響く範囲へ曲に応じた効果を押し付けることで場を支配する感じ。運命介入って言うとアムドゥシアスっぽさがある。今回は速度記号とかを採用してみました。