FGO<Fate/Grand ONLINE>   作:乃伊

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>> [1/2] 愚者は諦めた。

 

 召喚サークルを勇ましい決意とともに走り出してから三十秒、俺は再び振り出し地点へと死に戻っていた。

 

 前方から切れ切れに聞こえてくるのはプレイヤーたちの悲鳴と怒号。緑豊かなフランスの平原には、邪竜ファヴニールが上空目掛けて吐き散らした炎弾が空爆さながらの様相で降り注いでいる。そんな爆炎の中を邪竜の鱗すら通せぬだろう貧弱武装で駆けていく俺たちは、さながら竹槍で戦闘機に挑むような有様だと言えるだろう。

 

 

 ……無理だこれ。

 

 

 また一つデスペナを積み上げてしまった俺が虚ろに送る視線の先で、一人のプレイヤーが炎弾の直撃を食らって爆死した。まるで数秒前の俺の死に様のリプレイだ。

 被害は不運なプレイヤー一人にとどまらない。

 飛来する炎弾はその勢いのままに地面へぶつかり弾け飛び、飛沫を浴びた周囲のプレイヤーたちまで致死の炎へと包んでいく。まるでナパーム弾のように、可燃性の粘液を灼熱の焔が覆っているらしい。

 

 竜のお口から天に向かって吐き出されている粘液質の液体……端的に言って唾みたいなもんである。つまり先ほどの俺の死因は唾死。唾にぶつかって死んだ。考えうる限り最悪に近い死に方だった。

 だからだろうか。そうと気づいてしまえば、もう一度他の連中のようにあのナパーム唾の降り注ぐ戦場へと無策で出ていく気にはなれなかった。燃え残ったドス黒い液滴がベタベタと草原を汚し、油脂じみて虹色に輝く不健康な光沢を見せている。……まさにK・K・K(キケンキタナイクサイ)って感じの代物だ。3Kオブジェクト。

 

 

 ……俺は正攻法で戦うことを諦めた。邪道だ、もう邪道しか道は残されてねぇ。

 とはいえ平成日本の倫理道徳の中で生まれ育った俺に思いつける邪道な手段などたかが知れているので、何か良い感じの助言が必要だろうと思われた。

 

 助言……助言相手か。

 俺はその候補として一人の友人の顔を思い浮かべる。その友人は少し変わった境遇の持ち主で、まあざっくり言うとこのゲームの運営やってる奴なんだけど、一プレイヤーとして俺とお友達をやってくれている以上は仲良くお話しちゃいけないって法もない。

 

 人間は平等だ。現実世界じゃ中々そうは見えないかもしれないが、少なくとも極めて善良な人間の心の中に限ればそれはもう圧倒的なまでに平等であるといわれている。

 この戦場から350年ほど後のフランスに生まれ、現代文明の礎を築き上げることにもなる『平等』の概念を揺り籠に育った平成日本人こと俺は、だから躊躇いもなく友人への通話手続きを行った。少しの間があって、相手が俺のコールに応答する。

 俺は悲鳴と怒号をBGMにしながら爽やかな挨拶を繰り出した。

 

《もしもーし。オルガ、元気してるー?》

 

 

 

>> [2/2] 天体魔術師(アニムスフィア)は思案する。

 

 

 

 退却戦。それは時間との戦いであり、数との戦いであり、恐怖との戦いだ。

 勝勢は勝ち馬に乗って虎の如く敵を追い、それに背を向け逃散する敗軍は大抵のケースにおいて悲惨な末路を辿る……。

 

 半日にも及ぶ会議という名の政治芝居を演じ終えたばかりのオルガマリー・アニムスフィアは、手元の端末に届いた戦況報告を見ながらそんなことを考えていた。

 

 ロマニ・アーキマンはよくやっている。プレイヤーたちの動きもまあまあだ。しかし、それでもフランスへ展開させた各戦線における特異点修復の状況は膠着し、唯一つ明確な進展を見せていた北東(ロレーヌ)戦線さえ今やこうして敗走の憂き目にある。【ファーストオーダー】に始まる一連の出来事は、まったく自分たちの処理能力を超えた難題であるという他になかった。

 

 退却戦。彼らは、プレイヤーは上手くやれるだろうか?

 

 ……そんな願望が、安全地帯にいる者の俯瞰した物の見方だということは分かっている。

 

 戦いに参加する当事者にとっての退却戦というモノは、カルデアがそう望むように、ときに要人護衛としての性質を持つ。兵士だけが生還しても、戦いの中で国の中核たる要人たちが死んでしまえば後がないからだ。もちろんそれは自分の命と要人の命、そして続く未来を天秤にかけた結果であって、歴史を紐解けば逆に部下から裏切られた上司というのも枚挙に暇がないだろう。

 

 同様に、運営(カルデア)がいくらサーヴァント救出の指示を出したところで、結局のところその成否はプレイヤーの意思と能力とに委ねられてしまうのだ。

 

 オルガマリーは机上に残されたコーヒーカップを弄ぶ。

 数分前まで堂々巡りの議論を声高に響かせていたその部屋は、既に彼女以外の人間を全て吐き出しきって本来の沈黙を取り戻していた。

 

 とっくに熱と香りを失った黒い液体は、苦さと暗さだけを残している。なんとなく手を付ける気にはなれず、かといって部屋を出て仕事に戻るのも気が進まない。

 

(エル)

 

 つい先程まで長机を挟んで彼女の対面に座していた男の名を、オルガマリーはその心中で呟く。

 

 エル。

 プレイヤーとしてはそう名乗る彼の、現実における名前はロード・エルメロイII世。新世代(ニューエイジ)の歴史浅い家系の出でありながら、若くして現代魔術科(ノーリッジ)君主(ロード)を務める男だ。彼もまた、どこかの魔術儀式に参加した折に先代当主であったエルメロイを目の前で失い、ただ一人イギリスまで戻ってきたと聞く。

 そこにどのような経緯があったか知る者は少ない。が、稀代の天才との誉れ高き先代エルメロイを自身の命に換えてでも連れ帰るべきだったと言う意見が数多くあったのは確かな話だった。

 

「……お互い、こんなことをしている暇はないのにね」

 

 ポツリとこぼした言葉は、しかし彼女の真意の半分までしか捉えてはいない。

 

 無駄な会議。無駄な言い争い。そんなことは誰にだって分かっている。勿論カルデアを糾弾する最先鋒であるところのエルメロイII世にだって。

 

 だが、それは真実の意味での無駄ではない。

 

 魔術師たちは、時計塔を統べる12学部の2……天体科(アニムスフィア)現代魔術科(ノーリッジ)のトップが会議を行ったという手続きにこそ価値を見出している。その評価軸は費やされた時間。君主(ロード)が会議に空費する時間が長ければ長いほど、カルデアが彼らのことをより真摯に考えていると受け取られるだろう。

 さながら、一つの儀式であった。

 何百年にも渡って政治を潤滑剤に動いてきた時計塔の魔術師たちを納得させ協力させるための、古から連綿と続く政治儀式。その中身は2人の若造による陳腐な議論芝居だと言うのに。

 

 

 ……啓示の聖女ジャンヌ・ダルクの持つ旗は、それを見る人々に迷いなき勇気を与えたという。彼女の放つ天与のカリスマが、生前には傭兵たちを戦場の誉れへと駆り立て、そして今ではプレイヤーたちを導いている。彼女の旗の示す先にこそ、彼らが真に戦うべき戦場があるのだと。

 

 それは、オルガマリーの同胞たちに比べればずっとずっとシンプルな在り方だと思われた。魔術師として生きる人間は、己の命に換えても譲れぬものをその両腕に抱え込みすぎている……。

 

(……レフ。貴方はどうしてカルデア(わたしたち)を裏切ったの? 貴方がここで過ごした日々の全てを投げ捨ててでも譲れなかった目的は、一体何?)

 

 レフがいれば。レフさえここに居てくれたなら。

 オルガマリーの心が果たすべき使命の長さ重さに挫けそうになるたび、カルデアを去った頼れる部下への喪失感に襲われる。そして彼がいないという現実に愚痴めいた言葉が口をついて出そうになる。というか出た。ジャンヌ・ダルクに従い行軍する途中のキャンプで夜通し愚痴に付き合わされた友人からすれば、さぞかし迷惑な話だっただろう。が、とにかくだ。

 

 

 今のカルデアを取り巻く状況は複雑すぎて、そのうえその状況を引き起こした【人理焼却】についても分かっていないことが多すぎた。状況が分からないから、何をすればいいのかも分からない。正解がない。たとえ正解しても、それが評価されることは決してない。

 ……それは、オルガマリーにとってこの上ないほどに嫌なことだった。忘れていたはずの過去の日々を思い出してしまうから。

 

 父マリスビリーが死に、何も分からぬままに天体科(アニムスフィア)の当主の座を継いで。

 魔術協会の魔術師たちは、ついぞオルガマリーという人間を褒めることがなかった。それは彼女の父や他の家族たちにしても同じことだった。彼ら神秘を追い求める魔術師たちの目は、人間的な──あるいは卑近な──幸福とは違う目的を見据えていて、その大きさ果てしなさに目を眩まされるあまり、足元で泣いている娘のことなど構う暇さえありはしなかったのだ。

 

 ……だから、きっと。

 この数年の彼女は、その人生の中で一番幸せな日々を過ごしていたのだろう。

 

 サーヴァント召喚実験の中でカルデアと契約することになったエジソンという獅子男に唆されて始めた『FGO』事業は、それはもう魔術師たちから凄まじい反発を受けたものだが、それ以上の喝采をもって全世界の人間たちから受け止められた。

 トレイラームービーを公開したその日、世界中のSNSのトレンドから『フィニス・カルデア社』の文字が消えることはなかった。投稿された無数のコメントの中には、彼女が口を出した映像演出を褒める者もいた。

 そんな反応に意気込んだオルガマリーが直々に指揮を取り急ピッチで作り上げたトレイラー第二弾も、第一弾ほどのインパクトこそ無いまでも彼女にとっては十分すぎるほどの反響を叩き出す。

 

 ──努力が報われたと思った。

 

 自分が頑張った結果が、動画のPV数やコメントという目に見える形となって現れる。

 それまでは半ば義務のように父祖の残した魔術書へ埋もれる日々を送っていたオルガマリーだったが、ある日突然贔屓にしていた魔術書商人を呼びつけると、外の世界で高く評価されているらしい商品開発指南書やら経営指南書やらを取り寄せるように言いつけた。そうして、周囲の魔術師たちが見せる怪訝な顔を無視して雪山へと引き篭もり、エジソン達と『FGO』の開発と展開戦略を論ずることに夢中になった。

 ……その結果は、売上というこの上なく明瞭な数字として示された。

 

 そうして、魔術師オルガマリー・アニムスフィアは『FGO』の運営に熱意を注ぐようになった。

 実際のところ経営や運営に関わる仕事の多くはエジソンやロマニやレフといったカルデアスタッフ、そして父がマスター候補として用意していたデザインチャイルド【マシュ・キリエライト】が担当しており、彼女が必要とされる場面などはほとんど無かった。

 だが、それでもオルガマリーは自ら進んで仕事を見つけるようになっていく。カルデアの本来の目的……人理継続の保証という偉大なそれへの使命感とは別に、彼女は、ある種の感謝とも言うべき気持ちを『FGO』というコンテンツに対して抱くようになっていたのである。

 

 ……一方で、父によって生み出された少女マシュとの関係は、ギクシャクとしたままほとんど改善されることはなかった。カルデアには一機だけ、父が残した本来のレイシフト用コフィンの試作機が残されている。ロマニの提案で『FGO』のナビゲーターとして働くようになった彼女が、時折ひどく暗い目でその試作機を見つめているのをオルガマリーは知っていた。

 

 マシュはレイシフト適性とマスター適性、そして魔術回路を優先的に組み込まれたデザインチャイルドだ。その代わりとして犠牲になったのは……彼女の寿命。

 父の計画から外れた『FGO』がオルガマリーを救ったのと対称的に、『FGO』によって存在の意義を奪われた人間もいるのだという事実を直視できているのかどうか。オルガマリーには自信がない。けれど、叶うことなら。なんとかしてやりたいと、そう思っていた。だからだろう、「今」のマシュが【ワカメ王国(キングダム)】のリツカと仲良くしている姿は、少しだけ心を安堵させてくれるのだ。

 

 ……それと同時に、いつか真実が白昼のもとに曝されるだろうことへの怖れもまた。

 

 

 日々の充実に解決し得ぬ懊悩を載せて、それでもなお運営の日々は続いていく。

 カルデアの目的など知りもしないプレイヤーたちはしばしば運営相手に愚痴を言い、無茶苦茶な要求を投げつけ、その一方では非効率で馬鹿みたいな振る舞いばかりして遊んでいる。SNSへ無節操に投稿される無数の不満の言葉には腹も立ったが、聞くべきところは聞くようにした。プレイヤーの視点を知ろうと、オルガマリー自身も素性を隠した一介のプレイヤーとして『FGO』へログインするようになった。

 実際のところ『FGO』は彼女の目から見ても理不尽な要素に満ちたゲームであったが、それでも楽しんでくれている人たちがいることに励まされた。

 

 ……そうしているうちに、友達ができた。天体科(アニムスフィア)でもなく当主でもない、ただの【オルガ】を友達と呼んでくれる人間がこの世界には存在していたのだ。彼女は心からの驚きとともに、なお半信半疑でその友情を受け入れた。そして、その友人との関係は今でも続いている。

 

 

 

 オルガの『FGO』における最初の友人。彼の所属する、当時まだ旗揚げしたばかりのクラン【ワカメ王国(キングダム)】のメンバー勧誘を通じて知り合ったその男は、プレイヤーとしての彼自身の命をペラ紙じみて軽く扱いたがる節があった。というか、彼に限らず『FGO』に慣れ親しんだプレイヤーたちは大体そうだ。【オルガ】だってゲームの中で死んだことなら両手の指で数え切れないほどあるけれど、あれだけは未だどうにも慣れられないままである……

 

 

 ……オルガマリーは冷めきったコーヒーカップを一息に呷って空にすると、なんとなく、手元の端末をいじって彼の情報を呼び出してみた。

 時間経過による解除を待たずに累積されたデスペナルティが複数。前線に取り残された自身のサーヴァント【クー・フーリン】らを救出するため他のプレイヤーたちと敵陣へ飛び込み、しかしあっさり竜の炎に焼かれてやられてしまったらしい。

 

「プレイヤーは復活する。NPCは復活しない。だったら自分の命を優先する理由がないだろ?」

 

 彼なら真顔でそんなことを言いそうなものだ。

 ……ふふ。想像してみると、なぜだか少し笑ってしまう。

 この上なく勇ましいことを言っているように見えて、実際のところはおおよそ打算で動いている。が、打算するきっかけが情だったりするあたりが魔術師たちと違って可愛げのあるところなんだろう。

 

 ……それにしても、ロマニが構築したプログラム【刻印】は本当によく出来ている。

 ロマニは元々父マリスビリーがどこかから連れてきた男で、その肝入りで医療班に配属されていた。しかし父が死に、オルガマリーの代になって『FGO』計画が採用されると彼もまたシステム構築部門への配置換えを提出し、オルガマリーはそれを受け入れた。

 そんな彼に創られた【刻印】は召喚サークルの機能と連携し、精神ダイブしたままカルデアスのシステムに取り残されたプレイヤーの身体(アバター)を再構築する核になる。魔力、引いてはその源になる電力はそれなりの量を食われるが、幸いエジソンがその手の技術に秀でていたおかげで最低限の運営リソースについては何とかなっていた。

 

 そして、ひととおり再観測と調査を終えた冬木特異点の霊脈から吸い上げている魔力で可能になった【使い魔】の運用も、今のところは大きな問題もなく進んでいるようだった。こちらは死んでしまえば新たに召喚せざるを得ない上、プレイヤーが死に戻った際に互いの位置がバラバラになってしまうのが悩みのタネではあるけれど。そう、今の彼のように……

 

【Call: 非公開チャット】

 

「──ふぇっ!?」

 

 ……突然の着信。

 その発信者を見て、思わず変な声が出てしまった。慌てて周囲を見回す。無人だ、よかった。

 彼のことを考えていた正にそのタイミングで本人から着信が来たせいか、少し挙動不審になっている自覚がある。間の悪い男め。オルガマリーは数回深呼吸をして息を落ち着け、それから彼のチャットに応じることにした。

 

《──もしもーし。オルガ、元気してるー?》

 

 真っ先に耳に飛び込んできたのは、そんな暢気極まる挨拶の言葉。しかしその後ろでは、プレイヤーのものだろう悲鳴と怒号、そしてファヴニールの炎弾の着弾音と思しき重い爆撃音が豪快に響いていて、回線の向こうにいる暢気者が今現在も戦場にいるということを雄弁に物語っている。

 

《……はぁ。わたしは問題なく元気だけれど。貴方はわたしなんかとチャットしている場合じゃないでしょうに》

 

 思わず、少し棘のある言葉が出てしまった。いけないいけない。

 しかし相手は気に留めた様子もなく、また軽薄な調子でろくでもないことを喋りだす。

 

《いやさあ、正面突破試してみたんだけどアレ絶対無理だわ。で、まあ時間もないし誰かに知恵を借りようかなって思ってさ》

 

《それで、わたしに連絡を?》

 

《そうそう。頼むよオルガえもんー。令呪配布かデスペナ軽減でもあれば強引に突破できると思うんだけど、多分そういうのってないんでしょ?》

 

《……雑な鎌かけね。運営情報は秘匿事項よ》

 

《知ってた。だからせめて頼れる仲間の助言が欲しいなあって》

 

《そう、だったらわたしも訂正するわ。ずいぶん雑なドア・イン・ザ・フェイスもあったものね。そんな会話テクニック、よそで披露したなら失笑モノよ》

 

《でもオルガだったら聞いてくれる?》

 

《甘えた男は嫌いだわ》

 

 ……馬鹿馬鹿しいやり取りだ。

 そもそも運営はオルレアン開放時に各プレイヤーへ令呪一画を配布しており、彼はまだその令呪を温存しているはずだった。追加がほしいのか? システム的には三画まで与えることが可能だが、今のカルデアにはそんな余剰リソースなど残っていない。少なくとも、敵の中核の撃破を見込めるような状況でなければ切れる札ではないのである。

 

 そして、分かっていたなら何故聞くのか。

 まだサーヴァントたちが敵の攻勢をやり過ごせているとはいえ、そんな話をしている時間はないはずだ。無駄口を叩かなければ話の一つも進められない、そんな友人の悪い癖。治せと何度も言ったのに。馬鹿、悪癖、大馬鹿。……ああ、そうだ。いつもの彼と変わらぬいつも通りの悪癖だ。

 けれど、今のように余裕が無いだろう状況でもそんな態度を保つのは。

 

《……ねぇ。貴方、焦ってないの?》

 

 何か、覆い隠したい感情があるからだろう。

 少しの沈黙。

 そしてそんな時間の損失さえ取り戻したいのかと思わせるような早口で、彼は言う。

 

《ああ、そうだ。焦ってるさ。だからこうしてチャットしてるんだよ。なあ、オルガ。ちょっと真面目な話……》

 

《……ふぅん、焦ってるの。なら仕方ないわね。いいわ、オーダーを聞きましょう》

 

 何か言いかけた彼の言葉を遮り承諾を告げると、チャットの向こうで相手が細く息を呑む音が聞こえてきた。続けて強い口調で礼の言葉が響いてくる。オルガマリーがあっさり引き受けたことに相当驚いているらしい。

 ……へぇ。もしあのまま話を続けていたら、真面目に懇願する彼の言葉が聞けたのかしら? それは珍しいものを聞き逃したことになる。しかしまあ、たまには友人にサービスしてやるのも悪くはないだろう。この間は愚痴を聞いてもらったことでもあるし。

 

《──片道。片道でいいから、なんとかファヴニールの足元まで俺を生きたまま令呪を使わず運ぶ方法を考えてほしい。クー・フーリンの宝具を発動できれば、それでサーヴァント全員を逃がす算段が取れる》

 

 ……なるほど。オルガマリーは手元の端末に戦場の地形を表示する。遮蔽物のない草原。まっすぐ突っ込めばまず竜の焔か地を這う触手のどちらかの餌食になるだろう。だとすれば、空? ……しかし神代の魔術師でもあるまいし、空を飛ぶ方法などそうそう用意できるものではない。

 

(彼が女だったら、まだやりようもあるんだけど……いや、馬鹿、何を考えてるんだわたしは)

 

 オルガマリーは一つ首を横に振る。そもそも空を飛べたところで、空中を落下してくる竜の炎弾に途中で衝突して終わりだろう。彼のオーダーに応えるためには、高速で移動する手段と、そのあいだ彼の身を守る手段の両方が必要になる。

 どちらも難題だが、防御についてはマシュを動かせば…………あ。

 

 パチリ、とオルガマリーの中でパズルのピースが嵌まる音がした。

 まるで数式を綺麗に解けたときのような、そんな感覚に確信を得て彼女は相手に呼びかける。

 

《ねえ、貴方! ドンレミの小屋で藁箒を作っていたわよね!? あれ、まだ持ってる?》

 

《え、箒!? いや、小屋に置いてきたけど……藁束はあるから作れと言われりゃすぐ作れるよ》

 

《グッド! 近くにマシュはいるわね!? あと、その召喚サークルのそばに【ノーリッジ】の連中がいるはずだから今すぐ探しなさい!》

 

《あ、ああ!》

 

 矢継ぎ早に彼への指示を飛ばしていく。

 『浮遊』するだけならともかく、ヒトを対象にした『飛行』を魔術的に実現するのは極めて難しい。だが、抜け道が無いわけでもないのだ。1431年フランス、魔女の時代。土地と時代に刻まれた人々の信仰が魔術基盤となって、その術式の成立を容易にする。

 必要なのは『魔術回路を持つ女』、そして『箒』。それは『空飛ぶ魔女』を再現させる術式だ。

 

 オルガえもん、とこの男は先ほど言った。反応する必要も感じなかったので敢えて流したが、確かその元ネタは日本のカートゥーンに登場する願望機じみた性能を持つロボットだったはずである。それが転じて、誰かに頼み事をする際のスラングになったと聞いている。

 ……科学に満ちたカートゥーンの世界。

 人格を持つ願望機に対して、その友人となった少年は願う。「空を自由に飛びたいな」と。

 

《なあオルガ。準備するのはいいけど、いったい俺に何をさせるつもりなんだ?》

 

 友人の問いに、オルガマリーは微笑んで答えた。

 

《空を自由に飛びたいでしょう?》

 

《は? ……あ、ああ。確かに、それなら》

 

《はい、じゃあ【トーコ・トラベル】ね》

 

 願望機の真似事は無理でも、友人にイカサマ魔術のひとつくらいは用意してやれるのだ。

 




 オルガマリーは原作に比べてかなり安定しています。
 具体的に言うと、1話(β-1)時点でフォウくんの写真を撮らせてもらえるくらいには、承認欲求を含め人間的に満たされている感じ。まあ、1話のときは本当に未来消失が起きちゃったこともあってだいぶ余裕ない印象になってましたけど。
 代わりにマシュの隠された地雷が少し増えましたが、その辺は獅子王絡みで話せれば。

ロマニ・アーキマン:元医療班。システム構築・管理を経て、現在はプレイヤーへの指示などを担当中。今でもマシュのメディカルチェックは受け持ち続けており、超多忙。安らかに生きられない……。

トーコ・トラベル:冠位指定魔術師【蒼崎橙子】によって開発された空を飛ぶ魔術。しかしそれを『飛行』と呼ぶかは意見が別れる……らしい。詳しくは次回。普通に飛んでるメディアさんは本当に凄い人。

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