アンドロイドはかく語りき   作:ゆーゆ

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今話で一区切りとなります。


壊レタ世界ノ歌

 

 旧世界の自動販売機を装ったアクセスポイントは、複数の機能を有している。記憶データのバックアップをはじめ、メールの送受信やハッキング演習、最新鋭の転送機能。

 

『報告:バックアップサーバー未接続。データの送受信、及び義体転送システムの不具合を確認。修復は不可能と判断』

「だろうね。他は?」

『素体再構成ユニット、及び素体保管システムに不具合を確認。保管システムに機能不全が生じてから約二千三百六十一時間が経過している。素体の約九十二パーセントに著しい劣化を確認』

 

 そして素体の再構成ユニットと、保管機能。10Hさんの提案は、素体管理に関するシステムの復旧と保全だった。

 僕らは今、砂漠地帯の一画に設置されたアクセスポイントの復旧を試みていた。

 

「ポッド、システムの修復はできそうかい?」

『可能性は極めて低い』

「ゼロじゃない分マシだよ。やってみよう」

『了解:修復開始』

 

 アクセスポイントは有事の際に防護シールドを展開するようプログラムされていて、機械生命体の干渉を遮る機能がある。しかし一時を境に大部分のアクセスポイントで不具合が生じ、防衛機能がダウン。そのほとんどが外部からの物理的損傷を受け、使い物にならなくなっていた。

 

『報告:修復シークエンスにエラーが発生。修復率七パーセントで停止』

「もう一度」

『了解:修復再開』

 

 復旧の成功は、僕らにとって大きな意味合いを持つ。パーソナルデータさえ無事であれば、仮に義体が甚大な損傷を負っても、パーツの再構成が可能になる。

 そもそも僕や2Bさんの義体は、オーバーホールが求められる域に達していた。オーバーホールは無理でも、備えあれば憂いなし。10Hさんに言われるまで放置をしていた僕らの危機感のなさは、大問題だったと言える。

 

「おい4S。まだ掛かるのか?」

「恐らくは。失敗する可能性の方が高いですけどね」

「やれやれ……。おい一号、遠くへ行くな。三号もだ」

 

 復旧作業には、A2さんも同行していた。加えていつも彼女に付き纏う機械生命体が二体。

 パスカルの村で暮らす機械生命体に、A2さんは番号を付けていた。小型二足は一号と三号。二体の中型二足はそれぞれ五号、六号。小型飛行体が七号で、大型二足に八号。二号と四号を避けたのは、僕らのモデルを考慮してのことだろう。

 

『おねえチャン、おにいチャンは何をシテるノ?』

「何だと思う?」

『オシッコ!えほんでよんダ!』

「惜しいな。あれは立ちションというんだ」

「A2さーん。聞こえてますからねー」

 

 中身のない不快な会話が聞こえてくる。一号と三号の情操教育に問題があり過ぎる。話題を変えておこう。

 

「A2さん。この間、10Hさんと二人っきりで話をしてましたよね」

「それがどうかしたのか」

「どんな話をしたんですか?」

「忘れた。どうだっていいだろう」

「……そうですか」

 

 問い質したくなるのを抑えて、作業を続ける。嘘だと分かっていても、想像が付いてしまう。

 10Hさんは僕らを『極めて不健康』と表現した。それなら、A2さんはどうなのだろう。そもそも別個体のパーツ流用は、一時的な措置としては有効でも、長期に渡るとあらゆる面で不具合を伴う。A2さんは両腕と両脚、その全てが継ぎ接ぎなのだ。

 本来であればあり得ない義体。10Hさんの目に、A2さんはどう映っていたのだろう。聞きそびれていたのは、単に僕が臆病だったから。怖かっただけだ。

 僕に限った話でもない。2Bさんに、ナインズもそう。己の不具合から目を逸らすぐらいだ。他者の義体を慮る余裕も、僕らにはなかった。

 

「……ん?」

 

 不意に、足元が揺れた。両足から振動が伝わり、作業を共にしていたポッドがアラート音を鳴らし始める。

 

『報告:大型機械生命体の接近を感知』

「な、何だって?」

 

 復旧シークエンスを中断させて、ポッドを対象の捕捉に専念させる。

 揺れは一気に強まっていき、やがて眼前の砂丘から上空へと飛び出したのは、途方もなく巨大な連結型の機械生命体だった。

 

「こ、こんな個体が、まだ生き残っていたのか!?」

「4S!」

 

 A2さんの声に振り返ると、その右手に握られた三式斬機刀の切っ先が、機械生命体を見据えていた。

 

「下がっていろ。私が相手をする。お前は一号と三号を頼む」

「なら、僕も後方から―――」

「いいからこいつらを見ていろ。一撃で仕留めてやる」

 

 迷いながらもA2さんの声に従い、一号と三号の手を取って後方へと下がる。ポッドにシールドを展開させ、固唾を飲んで傷だらけの背中を見守った。

 あんな巨体を、一撃で仕留める?いくらA2さんでも無茶だ。いよいよとなれば、ポッドだけでも射撃支援に回すしかない。

 

「すうぅ………あああああ!!」

 

 A2さんが咆哮すると同時に、全身が怪しげな光を放つ。辺り一帯の気温が急上昇を始め、途方もない熱量が砂竜巻を生み出し、一号と三号が悲鳴を上げた。

 

(Bモード―――!?)

 

 A2さんが頭上に軍刀を振り上げた頃になって、漸く気付かされる。

 旧型のヨルハ機体に搭載された、核融合ユニットの暴走機能。一時的に核融合反応を起こすことで膨大な熱量を発生させ、飛躍的に機動力を向上させる諸刃の剣。

 A2さんが放った斬撃は、連結型機械生命体を容赦なく叩き斬った。砂塵と共に舞い上がった金属片が、頭上からばらばらと降り注ぐ。

 

『コワい、コワい!』

『コワいよー!』

 

 身を屈めて一号と三号を抱き留めていると、轟音が止んだ。顔を上げた先には、不敵な笑みを浮かべながら金属の塊を蹴り飛ばす、A2さんが立っていた。

 

「ぶ、無事でしたか?」

「こっちの台詞だ」

『おねえチャン!』

 

 一号と三号が駆け寄ると、笑みが変わった。素っ気なさと慈しみが入り混じった、A2さんだけの笑顔。

 ほっと胸を撫で下ろして深い安堵を抱いていると―――思わず、目を疑った。

 

「え、A2さん?」

「ん……ああ、あ?」

 

 右腕が、歪に蠢いていた。腕の中を何かが這いずり回るかのように、べこべこと不快な音が鳴った。

 次第に歪みは一気に増していき、風船のように膨張した右腕が、鋭い音を立てて『爆ぜた』。

 

「がああああ!?」

『お、おねえチャン!』

 

 顔面に温かな液体が纏わりついて、視界が真っ赤に染まった。崩れ落ちたA2さんの肘から、ぼたぼたと赤色の液体が零れ出ていく。

 

「A2……さん?」

 

 何処へいった。右腕はさっきまで在っただろう。

 なんだこれ?骨格がみえる。あかい。気持ち悪い。みたくない。

 こわれた?どうして。さわりたいのに。いやだ、いやだ。いやだいやだいやだいやだいやだいやだい―――

 

『推奨:迅速な応急処置』

「っ……ポッド!ありったけの止血ジェルを塗付、各種バイタルの確認を急げ」

 

 落ち着け。落ち着け、落ち着け。落ち着いて、冷静に対処しろ。

 まずは止血だ。止血を優先しながら損傷レベルを確認。マニュアル通りの手順を踏んで、それから。

 

「ひ、必要ない。こうする、までだ」

 

 A2さんは左手で損傷部位のやや上流、上腕部を力任せに握り締めた。ぼきぼきと骨格が折れる音が耳に入り、思わず目を逸らしそうになる。

 

「だ、駄目です!益々損傷が」

「同じことだ。どの道……この腕は、寿命だった。もう、手遅れだ」

 

 寿命。手遅れ。手遅れ?ておくれ。ておくれ、なのか?違う、違う違う。意味合いを考えろ。

 A2さんは諦観していた。僕らも少なからず、分かっていたはずだ。数ヶ月先か一年後、数年後に訪れるであろうその瞬間が、今日だった。それだけのことだ。

 

「10Hさん、応答して下さい。10Hさん!」

『はーい、こちら10H。どうかしたの?』

「核融合ユニット暴走による過負荷で、A2さんの右前腕が全壊しました。上腕は圧迫止血に伴いクラスAの損傷です。バイタル値を今送信します」

『……分かった、今確認するよ。すぐにキャンプに戻って』

「強制シャットダウンを試みても?」

『駄目、そのレベルじゃ危険過ぎる。神経伝達系アルゴリズムにも絶対に触らないで』

 

 10Hさんの言葉を一字一句逃さず記憶領域に刻みながら、A2さんの肩を支えて、歩を進めた。

 絶対に死なせない。僕はこの女性を、死なせる訳にはいかない。

 

___________________

 

 

 廃墟都市の北部でナインズ達と合流した僕らは、総出でA2さんをキャンプの休息所へと搬送した。

 10Hさんによる簡易な処置が為された後、僕は鮮血に塗れた両手を一旦洗い流してから、再度休息所で眠るA2さんの下へ向かった。

 止血が施された右上腕の先は、変わらずに見当たらない。俯いて損傷部位を見詰めていると、10Hさんが重い口を開いた。

 

「一時的にスリープモードに移行させたけど、あくまで仮の措置。こんな状態で長時間のスリープは危険だから、そろそろ起こさないといけないと思う」

 

 鎮痛剤を投与したとはいえ、気休めにしかならない。それでも起こさなければいけない。

 10Hさんに続いて、2Bさんが言った。

 

「A2の腕は……修復、できるの?」

「みんな分かってると思うけど、方法は一つだよ。A2には素体再構成ユニットが使えない。別モデルのパーツを、強制接合させるしかない。多分だけど、2Bの素体データが一番適合し易いと思う」

 

 唯一機能不全を免れていたキャンプのアクセスポイントには、2Bさんにナインズ、10Hさんと僕の素体データがバックアップされている。各地のアクセスポイントの復旧が叶わずとも、万が一が起きた際の備えがある。

 しかしA2さんは例外だ。A2さんを脱走兵として認識するアクセスポイントは、彼女のデータを拒絶する。だからこそA2さんは、返り討ちにしたヨルハ機体のパーツを流用して、今日まで生き抜いてきた。

 

「再構成の準備は完了してるよ。右腕を完全に切除して、新しい右腕を接合させる……でもそれには、大きな問題があるの」

「問題?」

「みんなに……A2の神経伝達系アルゴリズムを、可視化して送るね」

 

 ポッドが受信したデータを解凍して、閲覧する。画像データには、まるであり得ない構造が映っていた。

 

「なんだ、これ」

 

 規則性が、見当たらない。左右非対称に展開した無数の曲線が、全身をてんでんばらばらに巡っていた。

 理解していたつもりだった。流用パーツだらけの義体は、きっと普通ではないのだろうと考えてはいた。しかしこれは、こんな義体が、あっていいものなのか。

 

「分かるよね。普通だったら、立って歩くことすらできない。すごく不安定な状態で、A2の義体は安定してしまっているの」

「で、でもどうして、こんな」

「流用を繰り返したからだよ。長期に渡る別個体のパーツ流用は、何が起きるか分からない。ましてやA2は旧型の身で、最新型のパーツを何度も……。私もこんなの、初めて見た」

 

 分からない。10Hさんが言わんとしていることが、一向に見えてこない。事象が複雑過ぎて、何が問題なのか、整理が追い付かない。

 

「みんな、強制接合の経験はある?」

 

 10Hさんの投げ掛けに応じたのは、ナインズだった。

 

「2Bの……いや。以前に左前腕を、一度だけ。一瞬で繋がりましたけど、気を失いそうになるぐらい、痛かったです」

「そうだね。神経系を繋ぎ治すんだから、途方もない苦痛を伴う。接合に要する時間は個体差があって、数秒かもしれないし、数分掛かるかもしれない。過去には痛みのあまり、自我データが崩壊したケースもあったかな」

「あの、10Hさん。つまりどういうことですか?」

「それは今から本人に聞くよ。私もまだ、聞けていなかったから」

 

 10Hさんはストレッチャー上に眠るA2さんの寝顔にそっと触れて、簡易ハッキングを行った。強制スリープが解除された途端、A2さんの身体は一度だけ痙攣して、痛々しい呻き声を漏らした。

 

「ぐあぁ、あう」

「ごめんねA2、一つだけ聞かせて。最後にパーツを強制接合した時、どれぐらい時間が掛かった?」

「お、覚えて、ない」

「大体で構わないから。お願い、教えて」

「……っ、二週間、ぐらい」

 

 身の毛がよだつような苦痛が、脳裏を過ぎった。不快感が吐き気を誘い、口腔内に広がった体液の塊を地面に吐き捨てる。

 二週間、だって?今し方ナインズは、一瞬だったと言わなかったか?

 

「……A2の神経伝達系アルゴリズムは、接合の度に再構成を繰り返すんだと思う。だから膨大な時間が掛かるんだよ」

「待って下さい。二週間って……無理だ、無茶です。そんなの耐えられない」

「でもそうするしか方法がない」

「さっき言ったじゃないですか。たったの数分間で、発狂したケースもあったって。それを、二週間?馬鹿げてる」

「ううん、今回はもっと時間が掛かるよ。再構成をすればするほど、複雑化するから」

「駄目だ!!」

 

 腹の底から叫んでいた。A2さんの傍らに寄り添うと、自然と言葉が並んだ。

 

「A2さん、無理です。耐えられるはずがない」

「へいき、だ。いいから、さっさとやれ」

「嫌です、嫌だ」

「いいから、やれ」

「できません。いっそのこと、右腕は―――」

 

 寸でのところで右頬に衝撃が走り、その先が遮られる。地面に尻餅を付いた姿勢で見上げると、わなわなと身体を震わせる10Hさんが、僕を見下ろしていた。

 

「何を言おうとしたの」

「ぼ、僕は」

「右腕だけじゃないよ。左腕も、両脚だってそう。いずれ経年劣化で朽ち果てる。その度に君は、腕も脚も全部諦めて、それでも生きろって、そうA2に言うつもりなの!?」

 

 右頬の痛みとは全く別の痛みが、全身を駆け巡った。

 選ばなければいけないのだろうか。こんな残酷な選択肢を―――違う、違う違う違う。

 どうして分からない。そうじゃないだろう。

 

「2B、9S君も目を逸らさないで。私達も同じだよ。生きるってこういうことなんだよ。地上に取り残された私達は、今を生きるだけじゃ駄目なの。お願いだから、それを分かってよ」

 

 乗り越えて生きようとする意志は、A2さんのものだ。選択肢なんて僕には初めから存在しない。決めるのは僕ではなく、A2さん自身。

 それに彼女は、ずっとそうやって生きてきた。

 A2さんはこの数年間をただひたすらに、そうやって生きてきたんだ。

 

「A2、改めて聞くよ。今回ばかりは最悪を覚悟して。上手くいくかもしれないし、自我が崩壊してしまうかもしれない。それでも貴女は、右腕の強制接合を望む?」

「何度も……言わせるな。さっさと、繋げ」

「オーケー。なら私が仮接合をしてあげる。2B、お願い」

「分かった」

 

 2Bさんはキャンプの敷地内に設置されたアクセスポイントへ向かうと、パネルを操作してから扉を開けた。10Hさんが言ったように再構成は完了していて、中から新たな右腕が取り出される。

 

「右肩を外すね」

 

 10Hさんの手により、肩から先が切除された。断面には無数の光点が浮かんでいて、A2さんの呼吸と同じリズムで、ちかちかと点滅を繰り返していた。

 いよいよか。A2さんは勿論、僕らも覚悟を決める必要がある。恐らくは接合の瞬間が苦痛のピークだ。

 

「みんな、A2の身体をしっかり押さえてて。絶対に離さないでね」

 

 三人掛かりで四肢を掴み、渾身の力を込めて固定する。息を止めて見守っていると、肩部が右腕と接触して、10Hさんの指が接触部の人口皮膚を再生していく。

 

「がっ……ああああああああああッ!!!」

 

 耳をつんざくような悲鳴が響いて、凄まじい力が全身を襲った。途端にストレッチャーの足が一本折れてしまい、A2さんの身体が地面へと転がった。

 それでも僕は、離さなかった。A2さんが何処かへ行ってしまいそうな気がして、離せなかった。

 

「仮接合は一瞬だから。耐えて、A2!」

 

 感電したかのように、身体が跳ね上がっては痙攣した。何度も繰り返すに連れて頻度が低下していき、呼吸も段々と落ち着きを見せ始める。

 

「はあ、は、あぐっ……はっ」

「うん、もう大丈夫。A2、どう?」

「……随分、と、早かったな」

「私がサポートしたもん、当たり前だよ。でも分かってるよね。私にできるのはここまで。本番は、これからだよ」

 

 そう。仮接合は、始まりに過ぎない。本当の苦痛はこれからだ。

 想像を絶する痛みなのだろう。何度も同じ部位を斬られて、熱せられた金属を当てられるに等しい苦しみを、あと二週間以上。三週間か、或いはもっと。

 

「A2さん……え、A2さん?」

 

 驚いたことに、A2さんは両足で立ち上がると、ふらふらと身体を揺らしながら、休息所を離れようとする。

 

「待って下さい、何処へ向かうつもりですか」

「構うな。一人に、してくれ」

 

 どうしてこの人は、こんな時にまで。そんな勝手が、許されるとでも思っているのか。

 

「嫌です。放っておけません」

「見られたくない」

「傍にいさせて下さい」

「頼む。私は……お前には、見られたくない」

 

 何とでも言えばいい。単なる自己満足なのだとしても、絶対に離れない。離さない。

 貴女の全てを、僕は傍で見ていたいから。

 

「パスカルの村へ行きましょう。僕が貴女を、支えます」

 

___________________

 

 

 A2と4Sがキャンプを発ってから、一週間後の今日。ここ数日は珍しく雨模様が続いていて、キャンプの敷地内にはそこやかしこに水溜りが浮かんでいた。

 無数の雫が地面に落ちては弾ける様をぼんやりと見詰めていると、足元からあどけない声が届いた。

 

『ネーネー2B。おねえチャンは、まだかえっテこなイノ?』

「A2は……うん。A2お姉ちゃんは、まだ眠たいんだって。もう少しだけ、待ってあげよう」

『少しッテ、ドレぐらい?』

「……雨が止むまで、かな。それまでの間、私が遊んであげる」

『じゃあ本!おにいチャンの本が読みたい!』

「分かった。今持ってくるね」

 

 一号と三号の頭部を撫でてから、拠点としている個室へと向かう。扉を開けると、二人揃って机に突っ伏して眠る、ナインズと10Hの背中があった。

 

「……ベッドで眠ればいいのに」

 

 ベッドシーツを二つ折りにして、そっと二人の背中に被せる。作業台の上には、無数に散らばった薬品と、プラグインチップの数々。この数日間、寝る間を惜しんで手掛けた物なのだろう。

 H型はポッドやO型のサポートを必須としない。射撃による戦闘支援は別としても、H型は各種データの送受信や分析を独力で行うことができる。単身でも後方支援が可能という点においては、私のような戦闘型とは雲泥の差がある。

 しかしその分、負荷は大きい。今も10HはH型の能力を総動員させ、H型としての誇りを賭して、A2の苦痛を和らげようとしてくれている。ナインズも彼女に付き添い、ポッドにより強制シャットダウン中。大分無理をしたのだろう。

 

『ネーネー。まだー?』

「あ、待って。すぐに行くから」

 

 A2。私達は勿論、あの子達もみんな、貴女の無事を願っている。帰りを待っている。

 だからせめて、私は祈ろう。いつか滅びるであろう私達には、まだ時間がある。抗うことが、できるのだから。

 

___________________

 

 

 雨足が強まる。造りが稚拙なせいか、天井では複数個所で雨漏りが生じていた。手当たり次第に容器を置いて対処はしたものの、床面はびしょ濡れだ。簡易な防腐処理はされているようだけれど、この小屋はそろそろ建て替えた方が無難だろう。

 

「一、二、三、四―――」

 

 ベッドに横たわるA2さんに寄り添いながら、僕は床面に刻まれた印の本数を数えた。

 一日が経過する度に、一本の線を引く。毎日欠かさず本数を増やしていき、今日の段階で二十本。仮接合を施してから、丸二十日間が経っていた。

 A2さんの精神は限界を迎えようとしていた。苦痛に耐え兼ねて全身を掻きむしり、元々少なかった人工皮膚は無残な有り様だった。全身が熱を帯びていて、唇や瞼は腫れ上がり、四肢の先端が所々欠損している。修復可能な範囲といえど、もう、無理だ。心が耐えられない。

 

『お邪魔しますよ、4Sさん』

 

 ハッとして振り返ると、部屋の入り口にパスカルの姿があった。

 少し前に休むと言って私室へ戻ったはずなのに、もう起きてしまったのだろうか。

 

『それが中々落ち着かなくて。気分転換にと本を開いたのですが、益々目が冴えてしまった次第です』

「はは。それは読書家にとってはあるあるですよ。よくあることです」

『なんと、そうでしたか。それはそれは。私はまた一つ、賢くなれました』

 

 見違えるような変化だ。初めて会った時と比較すれば、自我形成は各段に進歩を遂げていた。元々流暢に言葉を話す辺り、そういった素質があったのかもしれない。

 何よりA2さんが献身的に接し続けた影響が大きいのだろう。そして今も尚、パスカルは感情の幅を広げつつある。貴女を、想うことで。

 

『穏やかな寝顔ですねえ。ずっとこうして眠れるといいのですが』

 

 直にその寝顔は、苦痛で歪む。波があるようで、ひどい時には痛みのあまりに意識が飛んで、覚醒しては苦しむを繰り返す日々。苦痛は前触れもなく、襲い掛かってくる。

 

「っ……あ、あああ?」

「A2さんっ……パスカル、布を」

『は、はい』

 

 受け取った布を強引に噛ませて、ベッドに乗り移る。四つん這いになってA2さんの両腕を押さえると、充血した真っ赤な双眸が僕を睨み、暴れ狂う力が両腕を伝った。

 

「ああ、あああああ!!ああぁぁあああッ!!」

 

 ぎしぎしとベッドが揺れて、次いで僕の骨格も悲鳴を上げ始める。

 初めは押さえ込むことができなかった。しかし今となってはS型の僕でも、容易く身動きを封じることができてしまう。それほどまでに、A2さんの義体は衰弱していた。

 

「た……よん、ごう。た、た、える」

「A2さん?」

 

 妙だ。どうも様子がおかしい。掠れた声が途切れ途切れに、言葉を成していく。

 

「れで、たたか、る。また、たたか、えるよ!よんごう!」

「A2さん!」

「たたたえる、戦える!!よんごう、わたし、たたたえる!!!」

 

 記憶の、混濁?こんな症状、今まで見られなかった。まさか記憶領域にまで、侵蝕が及んでいるのだろうか。

 このままでは本当に、A2さんの自我データそのものが危うい。最早一刻の猶予もない。

 

「パスカル、10Hさんに連絡を」

『わ、分かりました』

 

 掴んでいた両腕から手を離し、代わりにA2さんへ覆い被さり、抱き締める。

 四肢を駆使して、縋るように抱いた。不規則な呼吸と共に、拙い言葉が次々と零れ出る。

 

「うで、うで!!またた、たたたう、ね、よんごう!!」

 

 戦う。何のために、誰のために?

 四号。誰のことだ。少なくとも僕ではない。

 こんな身体になって、生死の狭間に迷い込んで、どうして貴女は、戦おうとするんだ。

 

「っ……約束を破ります。貴女の全てを、見せて下さい」

 

 貴女の苦しみを、10Hさん達は懸命に取り除こうとしてくれている。

 だから僕は、僕のやり方で手を差し伸べる。僕の手で、見付けてみせる。

 

___________________

 

 

 強制ハッキングによる記憶領域への侵入。

 疑似空間の内部に入り込んですぐ、複数の声が聞こえた。

 

『―――て、二号』 

 

 複数人の声があった。とりわけ耳に残ったのは、凛とした女性アンドロイドのそれ。

 声の数だけ、A2さんの過去があった。込められたのは、届きようのない祈り。儚い願い。

 

『―――きて、二号』 

 

 深部へ潜るに連れて、記憶は意識とない交ぜになり、思考野との境目が曖昧になる。

 貴女は、どうして戦おうとする?

 貴女は―――私は、戦う。

 お前達に殺された。みんな殺された。だから殺す。片っ端から殺す。

 たったの一人で戦ってきた。一体一体を確実に破壊してきた。誰も守ってはくれない。孤独の戦闘は気楽でいい。裏切られる心配がないし、猜疑心に苛まれなくて済む。私以外の全てが敵。分かり易くていい。

 ヨルハ型との戦闘も珍しくはなかった。追撃を命じられた最新型を返り討ちにする。多少手こずる場面はあれど、所詮は司令部の犬共だ。後れを取る訳にはいかない。

 

『ぐああぁ!?』

 

 ヨルハ型との戦闘で、右腕を破損した。深い絶望に苛まれ、愕然とした。

 右腕がないと、戦えない。戦力が激減してしまう。

 戦えない。復讐できない。約束が果たせない。みんなとの、貴女との約束が。

 

『……右、腕?』

 

 肝心の右腕は傍にあった。足元で果てていたヨルハ型の腕を引きちぎって、強引に接合した。尋常ではない苦痛に襲われて、接合後は神経系が目茶苦茶になってしまったけれど、最新型のパーツは私の義体にも適合してくれた。

 接合に要した時間は、一度目は一時間。二度目は半日。三度目は丸四日間。段々と長引いていく悪夢のような苦しみは、どうだってよかった。戦えなくなる恐怖に比べれば、とても些末なことだった。

 四号。これでまた、私は戦える。機械生命体と戦えるよ。

 仲間のために、貴女のために私は戦う。一人で戦い続ける。

 私は―――違う。違う、違う!

 

「どうしてです。どうして戦おうとするんですか」

『決まっているだろう。あいつらを殺す。そう約束した』

「誰もそんなこと言ってません。貴女は苦痛のあまり、記憶を歪めてしまっている」

『違わない。私は仲間のために復讐する』

「違います。それはただの口実です」

『うるさい!お前に私の、私の何が分かる!?』

「貴女の仲間は、貴女に『生きて』って言ったんだ!!」

 

 どうして忘れてしまったんだ。戦えだなんて言ってない。

 戦うことと生きることは違う。生きるために戦うことはあっても、同じにはなり得ない。たとえ過去が争いで満ちていても、決してそれだけではなかったはずだ。

 

「貴女は自分で自分を縛っているだけだ。思い出して下さい、A2さん。貴女はいつだって、笑っていたはずです」

『何を言っている。そんなはずがない』

 

 一号や三号達と他愛のない会話を交わす時。パスカルと接する時。アネモネさんとの昔話。2Bさんとの一悶着。ナインズや10Hさんだって、分かっていたはずだ。

 貴女の不器用な優しさは、隠し通せるものではない。

 自己の犠牲も省みない気丈な振る舞いを、僕は放ってはおけない。

 

「もう我慢しないで下さい。貴女はもっと好き勝手に生きればいい」

『やめろ……やめろ。私は、忘れたくない』

「忘れなくたっていい。何の負い目もない。過去に執着せず、糧にすればいいだけの話です。貴女は貴女のために生きて下さい。A2さん」

『私はっ……私、が?』

「僕らと一緒に生きて下さい。傍にいさせて下さい。もう、隠さないで下さい」

 

 それに僕は、貴女に救われたから。貴女が手を差し伸べてくれた瞬間から、僕の生き方は変わった。

 傍で見ていたい。ずっと見ていたい。目には映らない貴女の笑顔が、僕は大好きだから。

 帰りましょう、A2さん。貴女の帰りを、みんなが待ってます。

 

___________________

 

 

 深海から浮上するように、意識が明確になっていく。恐る恐る右肩に触れると、鋭い痛みが走った。

 

「っ……まだ、掛かるか」

 

 強制接合は未だ不完全らしい。とはいえ峠は越えたのだろう。何度も斬り付けられるような激痛は感じない。

 代わりに右手には、温もりがあった。そっと上半身を起こして、漸くその正体に気付く。

 

「……また、お前なのか」

 

 右手をそのままにして、室内を見渡す。

 雨が降っていたのだろう。天井からはぽたぽたと雨水が滴り落ちていて、床面はひどい有り様だった。しかし室外からは木漏れ日が差し込んでいる。恐らく接合している間に短い雨季が始まって、今し方終わりを告げた。今日から快晴の日々が続くに違いない。

 ずっと悪夢に魘されていたような気分だった。右腕を失ってから―――否。それよりもずっとずっと前から、ひどく身勝手で欺瞞だらけの夢を見ていた気がする。悪夢を追い払うことができたのは、きっと私の右手を離そうとしない、誰かのおかげなのだろう。

 

「私は……そうなのかもしれないな」

 

 左手で右腕に触れると、また痛みで顔が歪んだ。実に面倒で、難儀な義体だ。

 それでも、こうして生きている。巡り巡って、私は生きている。私の中で段々と形を成してきた何かが今、明確になりつつある。だから―――

 

「十六号、二十一号……四号。私はまだ、生きてるんだ。ごめんね」

 

 先に謝っておくよ。かつて私が一方的に交わした約束を、私は守れそうにない。

 

「だからもう少しだけ、私は生きてみるよ。私はまだ、生きていたいんだ」

 

________________________

 

 

 パスカルからの救援通信が入った際、たまたま付近まで来ていた僕は、真っ先にパスカルの村へ辿り着いた。

 村の入り口で慌てふためくパスカルを連れて歩を進めていると、何処からともなく、一定のフレーズが聞こえてくる。

 

(―――歌?)

 

 案内された小屋の手前で、思わず足を止めた。視界の端に映ったのは、たった二人だけの世界。

 ベッドの傍らに腰を下ろして、静かな寝息を漏らす4S。彼の頭を膝の上に乗せて、その額にそっと左手を這わせる、A2。

 澄んだ声が、祈りを奏でる。

 波のさざめきのように穏やかで、綺麗で、美しかった。美しいと、感じていた。

 

「……ふうん」

 

 僕は踵を返して、パスカルの手を引いた。

 

『おや?9Sさん、どちらへ?』

「もう大丈夫みたいです。いちいち構っていられませんよ」

 

 この歌声は、僕らが聞いていいものではない。4Sに向けられた歌だ。

 歌声を聞かれて恥ずかしさを抱く者もいる。2Bが以前そう言っていた。だから今は、そういうことにしておこう。

 

「病み上がりだし、恩着せがましく食事でも作りましょうか」

『それでしたら、白米を塩水で煮たものがいいそうです。本で読みました』

「お米なんて何処にもありませんよ」

『では、ももかんとか』

「ももかん?なんですか、それ」

『さあ……私も本で読んだだけなので』

 

 A2。今この瞬間だけ、僕は貴女を赦し、貴女のために祈ろう。

 たとえその歌声が、無意味で、何の価値もないのだとしても。儚く消え去る運命なのだとしても。この世界の片隅で、僕は祈りを捧げよう。

 だから―――きっと。

 

 

 

 


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