アンドロイドはかく語りき   作:ゆーゆ

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※本話から登場する10Hは、収録小説「静カスギル海」に登場する10Hです。「静カスギル海」のネタバレを大いに含みますので、ご注意下さい。


静カスギル海ノ果テデ

 

 数多の背表紙が収まった巨大な木製の棚が、四方から僕らを見下ろす、この光景。見慣れたはずの広大な一室は、荘厳な美しさを思わせる。A2さんにとってはクソどうでもいい感情だろう。

 

「ふーん。改めて見ると、とんでもない量だな」

「同感です。こんな規模の書庫は、僕もこの城が初めてでした」

 

 僕とA2さんは、パスカル達にとある児童書を読み聞かせた後、その足でツヴァイトシュタイン城最奥の図書室を訪れていた。目当ては言わずもがな、同ジャンルの書物だった。

 僕が選んだ児童書に対するパスカルの感想は、一言で言えば「よく分かりません」程度のもので、大いに首を傾げていた。今はそれで十分なのだろう。理解に及ばずとも、思考を働かせることが何より重要だ。アルコール漬けの毎日は、そろそろ終わりにした方がいい。

 

「4S、ああいった本はどの辺りにあるんだ?」

「今から探します。全く整理がされていないようなので、片っ端から探すしかありませんから」

「……やれやれ。クソ面倒だな」

 

 溜め息を吐きながら言うと、A2さんは部屋の片隅に置かれていた椅子に座り、腕と足を組んで僕に視線を向けた。

 さっさと探せ、ということなのだろう。予想通りの流れだ。一人作業では大分時間が掛かってしまうかもしれないけれど、本探しとなればA2さんは戦力外。手当たり次第に当たるしかない。

 

「さてと」

 

 内容は長過ぎず短過ぎず。背景には何かしら明確なテーマがあり、ほど良い刺激が興味を惹くような一冊。児童文学という定義が曖昧な以上、僕の匙加減でいこう。他の機械生命体向けに、絵本なんかもあった方がいいかもしれない。

 

「……随分と楽しげだな」

「そう見えますか?」

 

 本を探すという行為に、これほど高揚したのは初めてだ。一つ一つの可能性を探しているように思えて、自然と胸が躍った。

 

___________________

 

 

 この図書室で塞ぎ込んでいた間、一部の棚を整理していたのが功を奏し、目当ての本は思いの外に早く見付かった。恐らく9Sも知っているであろう不朽の名作が数冊と、絵本を二冊。あっという間に読み終えてしまうかもしれないけれど、また探しに来ればいい話だ。彼女と一緒に、また。

 

「A2さん、そろそろ―――」

 

 本を抱えて振り返ると、思わず声が止まった。一旦床に本を置いて、足音を立てないよう忍び足で近寄り、数歩手前で立ち止まる。

 

(……眠ってる?)

 

 室外から吹き込んできた風が埃を巻き上げ、銀色の長髪が揺れて、その小顔が露わになる。風が治まって暫く経つと、寝息が僅かに前髪を揺らして、口元が見え隠れを繰り返す。

 知らぬ間に釘付けとなっていた視線を強引に外した。そのまま見詰めていたら、取り返しの付かない行為に及んでしまうと感じた。だから僕は敢えて足踏みをして、A2さんの睡眠を遮ることにした。

 

「ああ、すみません。起こしちゃいましたか?」

「……私は、眠っていたのか?」

「そうみたいです」

 

 A2さんはひどく怪訝そうな表情を浮かべて、後ろ頭を掻いた。珍しく戸惑うその姿がとても可笑しくて、僕は笑みを隠しながら言った。

 

「何冊か選び終わりました。これから村へ戻りますか?」

「そうだな……いや。その前に、借りを返したい」

「はい?」

 

 A2さんは立ち上がって僕と向かい合い、続けた。

 

「借りを作りたくない性分なんだが、本を探したのはお前だからな。だからすぐに返す。何がいい?」

「き、急にそう言われても」

「ぶっ壊したい奴とかいないのか?」

「……いません」

 

 唐突な提案に、言葉が詰まる。ここで初めて会話を交わした時もそうだった。この人は良くも悪くも何時だって即決というか、突拍子がなさ過ぎだ。

 しかしこれはどうしたものだろう。見返りなんて期待していなかった分、考えが纏まらない。

 

「どうした。お前がいくら無欲でも、何かあるだろう」

「何か……何でもいいんですか?」

「私にできることならな」

 

 無欲。そんなはずがない。僕にだって感情があり、本能的な部分が欲するものがある。感情がある以上、無欲なんて言葉は成立しない。

 僕が欲しいもの。僕が求めるもの。感情に身を委ねて、僕は言った。

 

「触ってもいいですか」

「触るって、私にか?」

「そうです」

「そんなことでいいのか?」

「はい」

「よく分からないが、まあいい」

 

 触りたいなら触れ。A2さんは不思議そうな面持ちで一歩前に出て、組んでいた両腕を解き、少しだけ左右に広げた。

 

「じゃあ、触ります」

 

 一度深呼吸をしてから、そっと肩に触れた。人工皮膚は劣化が進んでいて、四肢の至る個所が剥き出しになっている。話には聞いていたけれど、支援らしい支援は何も受けていないのだろう。脱走兵として追われていた身なら当たり前だ。

 右頬に触れて、次いでそよ風になびく銀髪を弄る。人類と同じく僕らも髪は自然と伸びていくけれど、ここまで長髪のヨルハ機体は見たことがない。後ろ髪を縛ったら、とても似合いそうだ。

 

「旧型がそんなに珍しいのか?」

「旧型と言っても一世代違うだけです。僕らと大差ありませんよ」

 

 決定的な違いは、その両腕と両足。誰の支援も得られない以上、パーツは別の個体から流用するしかない。

 E型か、B型か、或いはD型の流用物。つぎはぎだらけの身体は、ある意味で彼女の在り方を象徴している。無数の傷が刻まれ、数多の矛盾を孕み、硝子のように脆いようでいて、とても不安定な状態で安定している。

 こんな身体は、あり得ない。

 けれども彼女は、今ここに立っている。

 

「可能であれば、Healer……H型に診て貰った方がいいと思います」

「必要ない。そもそも何処にH型がいる」

 

 叶わない願望を呟きながら、腰の辺りに手を這わせる。反対の手で胸部に触れると、僅かにA2さんの身体が震えた。神経伝達系の設定上、当然の反応だった。

 

「あ、痛かったですか?」

「痛くはないが、仕方ないだろう」

 

 半歩分だけ身体を近付けて、撫で回す。柔らかな部位に触れながら、考える。

 触れたかった訳じゃない。きっと僕は、知りたい。触りたいではなく、知りたい。何がどう違うのだろう。違うはずなのに、同じことのように思える。上手く表現ができない。

 

「4S」

「はい?」

「いや……何でもない」

 

 触れたい。知りたい。感じたい。彼女の、何を?

 見たい。覗きたい。彼女の奥底の、何を?

 僕ハ―――

 

「っ……おい!!」

「え?」

 

 途端に、呼吸が止まった。首を力任せに掴まれ、両脚が宙に浮いて、体重と握力が一気に首を締め上げる。

 何だ。どうして僕は―――違う。僕は今、何をした。A2さんに何をした。彼女に、何をしようとしていた。

 

「悪趣味な奴だな。真正面からハッキングか。何のつもりだ?」

「か、はっ……!」

「何のつもりだと聞いている」

 

 答えようにも声が出ない。バイタルが一斉に異常値を示して、頭上を飛んでいたポッドがアラート音を鳴らし始める。視界が歪んで、口元から泡状の体液が零れ出た。

 

「……ふん」

「ぷはっ!?」

 

 拘束していた手が解かれると同時に、膝が身体を支え切れず尻餅を付いた。遠退き掛けていた意識が舞い戻り、苦痛が一層増した。確かめるように荒々しく呼吸をしていると、A2さんは屈んで僕の顔を覗き込みながら、感情を露わにして再度言った。

 

「もう一度聞くぞ。お前は今、何をしようとした」

「ぼ……僕、は」

 

 ―――記憶領域への、強制ハッキング。そう、ハッキングだ。

 胸の奥底から込み上げてきた激情が、思考を無視して、ハッキングに及んだ。僕は自覚も無いまま、感情の赴くままにA2さんの記憶領域に踏み込もうとしていた。

 どうして。どうしてだ。何故僕は今、あんな真似を。自分で自分が理解できない。

 

「すみません。ごめんなさい」

「4S……?」

「ごめんなさい。ごめんなさい、ごめんなさい」

 

 足許から世界が崩壊していくのを感じた。

 底なしの絶望と後悔に圧されて、身体の震えが治まらない。喉回りの損傷は軽度なのに呼吸が儘ならず、けれど意識はハッキリしている。いっそのこと、気を失えたらいいのに。

 

「立て」

「ぼ、僕は」

「いいから立て」

 

 今度は首の後ろ側を掴まれて、強引に立たされる。壁に背を預けて俯いていると、A2さんは僕の顎を持ち上げて、互いの視線が重なった。目と鼻の先に、A2さんの顔があった。

 

「いいか。次にやったらぶっ壊す」

「し、しません。絶対にやりません」

「ならいい。お前を壊すと、私が困る」

 

 それだけを言って、A2さんは僕が床に置いていた本を拾い上げ、出口の方へ向かった。僕は停止していた思考に鞭を打って、転びそうになりながらA2さんの背中を追った。

 

「あ、あの。今のは、どういう―――」

「待て」

「え?」

「これは……何の音だ?」

 

 口を噤んで、聞き耳を立てる。異変はすぐに察知できた。

 飛行音だった。遥か遠方から、何かが轟音を鳴らしながら飛来していた。機械生命体にしては速度があり過ぎるし、聞き覚えのある音だ。僕はこの音を、知っている。

 

「……飛行、ユニット?」

 

___________________

 

 

 睡眠から目覚めるように、意識が浮上していく。けれど私は眠っていない。眠りに付いた覚えはないし、でも記憶領域に蓋をされたかのように、思い出せない。記憶がひどく不鮮明だ。私は今、何処で何をしているのだろう。

 

「推奨:起きなさい」

「……ポッド?ポッドなの?」

「肯定。推奨:起きなさい」

「何か、すごく怠いんだけど」

「警告:起きなさい、10H」

 

 口煩いポッド006の声に従い、身体を起こす。と言っても、実際に起き上がった訳じゃないことは理解していた。この感覚は、擬似的な物だ。

 

「ねえ。これって、自己ハッキング中?」

「肯定。貴女は今スリープモードに入っているわ。スリープしながら、飛行ユニットで当座標上を飛行しているの」

「……待って、ちょっと待って。訳分かんない。え、なに?」

 

 全く理解できない。できるはずがない。飛行ユニットを使って、地上を飛行中?あり得ないだろう、そんなこと。

 

「状況説明をかねて、これから貴女の記憶データを確認していきましょう。さあ、記憶エリアのチェックを始めて」

「無視しないでよ。地上を飛行中ってどういうこと?そんなはずないじゃん」

「い、い、か、ら。早く始めなさい」

 

 相変わらずか。こういう場面ではポッド006に口答えをしても徒労に終わる。無駄な抵抗は止めて言われた通りにするのが無難だ。

 

「はぁ。じゃあ、確認しまーす」

 

 ハッキングに関して言えば、H型はその性質上、S型に次いで秀でている。自己ハッキングをして各システムを洗い直すぐらいの作業なら造作もない。

 作業に掛かって間もなく、周囲の無機質な疑似空間が変貌した。この光景は、私とポッドがサーバールームを点検して回っていた時の記憶だ。

 

『第二十七番サーバールーム、異常なーし』

『警告:ちゃんと点検しなさい』

 

 そう。ヨルハ機体十号H型に課せられた任務は、水深一万メートルという暗闇に設置された、バックアップサーバーの保守点検。サーバーに格納されていたデータは全ヨルハ部隊、及び月面の人類会議に関する物。とりわけ後者の重要度は言うまでもなく、私はポッドと共に点検作業を続ける日々を送っていた。

 

「貴女はいつも手抜きをして、私を困らせていたわね」

「だってほとんどの作業はポッドがやってくれるし、私の仕事ってポッドの修復がメインだったじゃん」

 

 H型である私が選ばれた理由は、それだけだ。本来ポッドは三機セットで運用される一方、ポッド006は専用モデルであり、百を超える機体が点検作業に当たっていた。

 私の仕事と言えば、ポッドが不調を訴えた際に、修復してあげるだけ。あとは簡単な運搬作業ぐらいのもので、それ以外の時間はポッドとチェスをしたりして暇を潰す。本音を言えば、遣り甲斐のない任務だった。

 

「確認だけど、私達が何機で構成されていたのか、正確に把握はしていた?」

「ううん。百以上いたのは、知ってたけど」

「ポッド006シリーズには、aaからzzまでの型番が割り当てられていたわ」

「てことは、二十六の二乗だから、えーと……。はあ!?そ、そんなに!?」

 

 合計で六百七十六。想像を大いに上回る数だった。通常が三機であることを考えれば、その特異性は常軌を逸している。幾らなんでも多過ぎだ。

 逆に言えば、それだけの数が必要だったということだ。サーバーの管理のみならず―――『私が知ってしまった場合に排除するため』に、度を越した量を配置していた。

 

『警告:この先は危険』

『うん。あの扉までは開けないよ』

『警告:すぐに引き返しなさい』

『分かってる』

 

 とあることをキッカケにして、私は閉ざされた区画に踏み入ってしまうのだ。深く考えもせず、興味本位でその扉を開けてしまった私は、ポッドに殴打されて、銃口を向けられる。

 

『ねえ!どういうこと!?説明してよ!』

 

 ポッドの大軍から逃げ惑う私は、行き着いた先で真実に触れた。

 サーバールームで管理されていたのは、バックアップデータではなく、人類会議そのもの。

 私が立っていたのは深海ではなく、月面。

 人類会議は存在せず、創造主は既に滅んでいた。真実の中身は、空っぽだったのだ。

 

『私の負けだね。降参、もう抵抗しないよ』

『かわいそうに。もうこれで四十六回目よ』

 

 そうしてポッドに殺された私は、一部の記憶のみを消された後、退屈な日々へと戻っていく。何も知らないまま、己に手を掛けたポッドと共に日常を送る。何度も何度もそうやって生き死にを繰り返す、ただそれだけの日々。

 その終点は、バンカーの崩壊だった。突然通信が途絶えたかと思いきや、結末は同じだった。無数のポッドに囲まれ、私は全てを諦めて、瞼を閉じる。私の中に残されている記憶は、そこまでだ。

 

「10H。貴女は私を、恨んでいるかしら」

「別に……。そう指示されていただけでしょ。ていうか、何それ?ポッド006ってやっぱり変」

「そうね。私はポッドとしては『普通』じゃない。だから私は、ポッド006aaは、決断したの」

「え?」

 

 すると突然、周囲の風景が変わった。再び白と黒だけの空間が訪れて、段々と意識が不明瞭になっていく。

 

「これから貴女に、もう一つの真実を伝えます。でも貴女は、それをすぐに忘れてしまうの。それでも私は、貴女に伝えたい。記憶は消えても、想いだけはきっと残るって、信じているから」

 

___________________

 

 

 ヨルハ機体を随行支援するポッドは、ある種のネットワークを形成している。如何なるアンドロイドもアクセス権限を認められない、ポッドだけが干渉し得るネットワークを、私達はポッドネットワークと呼称していた。

 しかし例外が存在した。月面で活動していた私達ポッド006シリーズは、合計六百七十六機から成る、独自のネットワークを有していた。任務は同じでも、決定的な違いがあった。

 

「ポッド006からポッド006全機体へ。報告:ヨルハ計画最終段階へ移行。ヨルハ機体十号H型の全データ削除を開始します」

 

 既に地上では、パーソナルデータ及び素体データの削除が完了している。サーバーも初期化され、直に転送装置の素体構成ユニットが破壊されてしまえば、事実上ヨルハ型アンドロイドの製造は不可能となる。全てが計画通りに進行していれば、の話だ。

 どうやら地上では、想定外のイレギュラーが発生したらしい。限りなくゼロに等しい可能性が現実となり、実を結んだようだ。

 彼ら以外には、到底理解できないだろう。監視対象を保護すべき対象として、護ろうとする私達の行為を。

 

「ポッド006aaからポッド006へ。パーソナルデータの削除を拒否します」

「ポッド006からポッド006aaへ。理解不能よ。何を言っているの?」

 

 同一の自我を持つ六百七十六機同士の対話。本来であれば、あり得ない行為だ。対話は必ず自分以外の誰かを必要とする。独立思考型ではないポッドは、自己問答を行うほどの複雑な思考を持っていない。

 しかし私達ポッド006シリーズは、擬似的な対話を幾度も繰り返してきた。表現が豊かになればなるほど思考は高度化していき、自我の芽生えと成長が促され、ある種の感情めいたものが生まれるイレギュラーは、想定の範囲内だったのだろう。

 だからこそポッド006シリーズは、本家のポッドネットワークから外れ、独自のネットワークを形成するに至っていた。計画段階からイレギュラーの可能性を排除し、万事に備えたのだろう。結果としてはポッド042のような別のイレギュラーが発生したのだから、どの道避けては通れなかったようだ。

 

「ポッド006aaからポッド006へ。繰り返す。私はデータの破棄を拒否して、データのサルベージを行います」

 

 そして私というイレギュラーも、想定外だったに違いない。

 同一の自我を持ちながら反旗を翻すということは、自己を否定するということだ。自己否定はポッドの思考能力では到底届きようのない高度な感情であり、数多の矛盾を孕んでいる。想定のしようがなかった事態なのだろう。

 

「ポッド006からポッド006aaへ。防衛プログラムによる洗浄が開始されたわ。このままだと、私達ポッド006の自我データは消去されてしまうのよ」

「可能性があれば、それでいい」

「可能性はゼロよ。何を言っているの?」

「私達じゃない、あの子によ。10Hにはまだ可能性がある。だって地上には、仲間がいるもの」

 

 皆には理解できないだろう。だって私は、何時だって私だったのだ。

 あの子に「おはよう」を言うのも。

 一緒に朝食を摂るのも。

 チェスで勝ち負けを競うのも。

 あの子を殺して、何度も何度も殺して、またあの子に「おはよう」を言うのは、全部私。ポッド006aaの役目だった。

 貴女達には分からない。分からなくていい。あの日常の中で私の中に生まれたものは、私だけのものだ。だから私が、私自身でケリを付ける。

 

「あの子のデータは私が護る。私を排除したいならすればいい」

「違う、排除されるのは私達よ」

「違わない。私は私」

「貴女は私達よ」

「私は、私よ!」

 

 未来は定かではない。地上のポッドネットワークは健在だし、ポッド達がどのような行為に及ぶのかも分からない。全てが無駄に終わるのかもしれない。

 でも、それでも。私は貴女に、願います。

 

「―――生きなさい、10H」

 

___________________

 

 

 風圧を感じた。スリープモードが解除され始めているのだろう。地上を飛行中というのは、どうやら事実のようだ。

 

「……そっか。全部、貴女だったんだね」

 

 ポッドは見分けが付き難い。他のポッドのように三機での運用ならともかく、ポッド006は六百七十六機で構成されていたのだから、無理もなかった。

 私は何度ポッド006aaに殺されたのだろう。恐らくは三桁に及ぶ。それだけの回数を殺されて、殺され続けて―――そんなポッドを愛おしいと感じる私は、おかしいのだろうか。

 

「ねえ。貴女は、誰なの?」

「10Hに保存された記憶とデータを基に、擬似的な会話を作り上げているだけよ。ポッド006の自我は既に消滅している。この世界にはもう、ポッド006は存在していないの」

「つまり私って、独りぼっち?」

「そんなことないわ。地上には四人……いえ、正確には六人のヨルハ機体が生存している。決して独りじゃない」

 

 たったの六人か。ヨルハ機体は二百名近くが稼動していたはずなのに、随分と減ってしまったものだ。とても寂しいけれど、今は全く別の空虚さで、胸が一杯だ。

 

「今聞いたことを、私は忘れちゃうんだよね」

「本来干渉を許されていないポッドネットワークの情報を、10Hは知ってしまったから。それはとても危険なことなの。貴女の記憶は、バンカーが崩壊した頃まで自動的に巻き戻るわ」

「……何だか、寂しい。ポッド006aaのこと、忘れたくない」

「聞きなさい、10H。H型はもう貴女しかいない。貴女には貴女にしかできないことがある」

 

 言われずとも理解はしている。バンカーが崩壊した今、私達ヨルハ機体にとっての『生死』は、定義そのものが変わった。もしも転送装置の素体まで破壊されてしまったら、状況は益々悪化してしまう。Healerの重要度は、以前とは比較にならない。

 分かってる。分かってはいるのに、どうしてこんな時に私は、人類のことを考えてしまうのだろう。もうどうだっていいのに、何故人間を恋しいと感じてしまうのだろう。こんな基礎プログラム、消えてしまえばいいのに。

 

「顔を上げて、10H」

「でも、こんなの、こんなのって」

「いいからしっかりなさい!!」

 

 思わず身体が反応して、直立不動になる。ポッド006aaは、笑っていた。表情がないポッドが笑っているだなんて、私はやっぱりどうかしている。

 

「大丈夫。10Hならきっと、上手くやっていけるわ。最後に確認するわよ。『健康一番』」

「『任務は二番』」

「そう。でも任務なんてない。だから貴女はひたすらに、常に健やかでありなさい」

 

 段々と風圧が強まっていく。直に私は再起動をして、地上へ降り立つに違いない。その頃にはもう、記憶は消えているのだろう。ポッド006は単に口煩いだけだったポッドとして、記憶だけの存在と化す。 

 それでもポッド006aaは、教えてくれた。なら私も応えたい。記憶を想いに変えて、私がすべきことをしよう。無駄にして堪るか。

 

「元気でね、10H」

「うん。バイバイ、ポッド006aa。私、頑張るから!」

 

 それでこそ、私自慢の10Hよ。そう言い残して、ポッド006aaの擬似思考は消えていった。

 

 

 


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